はてなキーワード: ジェンダーフリーとは
財政再建は不況にする事。財政赤字の拡大は景気を加熱させる事。ようはバランスの問題でどちらもリスクがあるのよーくらい雑な方がいいのかね。
債務=債権だから、政府債務1000兆の裏付けとして国民資産1000兆としてバランスする、国債を発行することで民間資産も増える仕組み。
国債発行に金融資産の規模は関係ない、返済能力とインフレという制約のなかならいくらでも発行できる。
お年寄りがいなくなっても資産は消えないし、負債も消えない。中央銀行システムのある自国通貨建ての国債なのだからインフレになるまで償還に問題は発生しない。
なので日本社会が続く限り肥大化し続ける、さらに借金を減らすと次世代の金が無くなる仕組みです。ようは債務負担と経済のバランスが問題。
日本の本当のツケは次世代への投資を怠った事になる。就職氷河期世代と少子化がそのツケ…
介護、看護の待遇を良くするのに増税したら、違う職種が貧乏になるんだけど、なぜ下げる前提なのかもよくわからん。
受益者負担の原則を言いたいのだろうが3号年金を問題にして、少子化を進めたいのか、改善したいのか落ち着こう。
色んな先進国が人口置換水準である2.07を下回っているが経済成長しているので日本が異常事態なのをまずは認めよう。
消費税は劇薬じゃなくて何も改善しない。まず「税収=国民所得×税率」になる。
日本は97年の金融危機と多重債務問題、緊縮にリストラと多重のデフレ不況に陥る。
GDPが減る→税収が足りない→赤字国債→国の借金が大変だ→公的投資削る→GDPが減る→税収が足りない→赤字国債→国の借金が大変だ→公的投資削る→最初に戻る
この悪循環に株主資本主義やグローバル、ジェンダーフリー、非正規で「国民所得」が伸びない「税収」が絶対に不足する構造になる。
デフレで国民所得が伸びないので税率や福祉費用を上げれば短期的に上がるがGDPが増えない構造が悪化する。(外需によって改善はあるが実感のない景気になる)
社会のリベラル化が進み、男性がある程度調教されてくると、女性自身が女性ジェンダーに乗ることを苦にしなくなってくるのである。
強制されていた女性らしさの時代が終わり、女性が自発的に伸び伸びと女性らしさを楽しめるような状況になると、女性は女性らしさを放棄するのが惜しくなってくるのである。
昨今の女性の「反男女平等志向」「反ジェンダーフリー志向」はまさにそういうことである。
エマ・ワトソンが「HeForShe」で男性に気を使いフェミニズム界に衝撃を与え、
ロクサーヌ・ゲイが「女性には女性特有の欲望があるし男性みたいな汚れ仕事はしたくない」と言い、長年フェミニズムが必死で保ってきた建前を一瞬でぶっ壊し、
日本では「やれたかも委員会」なる漫画が女性から大人気で、男性の性的な視線にまつわる物語を喜んで消費している。
好きなディズニー映画は『ムーラン』、好きな洋楽は Destiny's Child の 『Independent Women 』、好きな漫画は『クレイモア』である私にとって、
昨今の女性たちの反男女平等性・反ジェンダーフリー性は非常に嘆かわしい。
一つ言っておきたいのは、強制された女性らしさと自発的な女性らしさの間に大きな違いがあるとか本気で思ってるのは女性だけであるということだ。
「今から自発的にハイヒールを履くけど男性はこれを利用しないでね?」「今から自発的にブルマを穿くけど男性はこれを利用しないでね?」
なんて言われて、男性がそれに従うだろうか?いいや、従わない。女性たちが自発的に楽しむハイヒールやブルマを思う存分利用させてもらうだけだろう。
そういうところに考えが及ばないところも含めて、やはり女性は下等だなぁと思うわけである。
(文:masudamaster)
http://anond.hatelabo.jp/20170516141639
http://anond.hatelabo.jp/20170517150404
http://anond.hatelabo.jp/20170518235031
http://anond.hatelabo.jp/20170529064047
https://anond.hatelabo.jp/20170625153549
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頭の悪いリベラルは、男装した女性やお化粧した男性が往来を闊歩する多様性あふれる光り輝く未来を夢想しがちだが現実にはそんなことは起こらない。男女平等・ジェンダーフリーを実現するなら、北欧のような全体主義で統制するか、あるいはアメリカのようにLGBT・男らしさ・女らしさ何でもありにして「このハチャメチャな状態がジェンダーフリーなのである!(大嘘)」と言い張るかのどちらかしかない。
http://anond.hatelabo.jp/20170516141639
http://anond.hatelabo.jp/20170517150404
http://anond.hatelabo.jp/20170518235031
(文:masudamaster)
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「男なんだから泣くな」って言葉からどんなことが連想されるか。
勝負に負けて悔し泣きしてる息子にお父さんが呼びかけてる、みたいなシチュエーションを思い浮かべたりすると思うんだけどさ。
「悔しさをバネにして今の感情を次の行動のエネルギーにしてみようぜ」とか
「それは男が誰しも通る道なんだぜ」とかそういう”粋な世界での美徳”みたいなのを表現してると思うんだよね。
でも言葉尻だけ捉えると男性相手にだけしか使えないようにみえるけど、
ニュアンスとしては女性に対しても使えるシチュエーション増えてきてるんじゃないかと思って投稿してみた。
この前うちの会社であった話を以下に。
−−
この前後輩の女性(Aさん)に「ちょっと増田さんいいすか」って相談された時の話なんだけど。
どうやら社内の新商品コンペみたいなのに参加したけど負けたのが悔しかったみたいで、
添削をしてほしいとのことだったんだよね。
調査も深掘りしてたし、資料もわかりやすい上に、社内の(政治的な)状況とかも加味した上で
でも、Aさんは最終ジャッジで別の後輩のB君に負けたらしい。
Aさんの提案した事業は普段自分がやってる事業とは別のお題で提出、
資料はB君の方が見劣りしてた、っていう点もAさん的には堪えたみたいで。
途中から半べそかきながら泣くのを我慢しつつ相談してくれたんだよ。
で、そこで僕はまぁ普通に相談に乗りつつ、初回でうまくいかないことの方が多いから諦めずに頑張ればいい。
応援してるからいつでも相談していいよー的なアドバイスをしてたんだけど、
ふと、このシチュエーションに一番いい言葉って「男なんだから泣くなよ」かもしれないなぁと思ったんだよね。
それまで男女どちらかだけがやっていた事も両方ができるようになってきた時代。
それに伴って呼称とかもジェンダー色が強いものはどんどん改称されていってるけど、
「男なんだから泣くなよ」に込められてるカッコイイメッセージ性みたいなものって残せないのかなぁ。
ってふと思った。
■性犯罪者が存在するからといって、男性保育士を排除するのは差別だ。← 正しい。
■保育士さん達は子育てのプロなんです。それを解った上なら、今回のような話は想像すらしなくなると思いますよ(https://travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/ 千葉市長の発言) ← いや、プロとか関係ない
■(男性保育士反対の人ことを)プロフィールから過去の発言も全部追いかけて / で、調べていくと、“ジェンダーフリー”の生き方を持った方々で、例えば女性の権利を守るために活動している方が非常にこだわっていらっしゃることも分かりました。(https://travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/ 千葉市長の発言) ← ジェンダーフリーを公言してる人じゃなければ、思ってても言わないのでは? 差別主義者と断罪されるとわかってるし。
多くの男性にとって、子どもが被害にあう性犯罪は以下のようなものではないのか?
・あったとしても、不審者による事件をまず思い浮かべる(先生や保育士が加害者の話は、身近に聞いたことない)
で、これ、なんかに似てるなと思い出した。女性のほとんどは痴漢被害にあっているというアンケートだ。
【男性が知るべきこと】女性の58.3%は痴漢に遭ったことがあり、その殆どは泣き寝入り
http://sirabee.com/2014/06/24/560/
https://www.marsh-research.co.jp/examine/ex1705.html
首都圏在住で、通勤・通学に電車を利用してい人対象のアンケートでは83%が痴漢被害にあってるという結果が。
このような結果に対して「嘘だ誇張だ」という男性の意見に驚いたけれど、私だって痴漢にあったことを家族にも友人にも彼氏にも話してないから、男性が知らないのも当然かもしれない。
まわりに話してもいいことないし「隙がある」「ブスのくせに自意識過剰」って言われるのがオチだから黙っていた。
同じように男性にとって子どもへの性犯罪はレアケースでも、女性はよくあることと認識しているような気がした。
他の人はどうなのか知りたい。男女で結果が異なるのではないか。
【子どもが被害者の性犯罪が身近に起こったことがありますか?自分が被害にあったことがありますか?】
条件
・被害者もしくは加害者と面識がある(お互いに知り合って話したことがある)
・いい加減な噂などでなくある程度確実であること。
私は3件心当たりがある。
case1:小学生低学年のとき、担任の先生に罰としてお尻をつねられていた。変なつまみ方だった。今ならわかるがアウト。
case2:仲のいい友達が習い事の先生から被害にあった。直接聞いた。
case3:親戚の子が学童の先生から。母から聞き、あなたも気をつけなさいと言われた。
※公園で変なおじさんに…というような不審者は入れてない。入れたらもっと多くなる。
※3件とも警察沙汰にはなってません。
3件が多いのか少ないのかわからない。
でもきっと、私の兄は何も知らないと思う。
お尻をつねられても何も思わなかっただろうし、母から注意もされず、自分のまわりで起こってる事件に気づいていない。
痴漢と同じで、同じ環境に育ってても男性と女性で見てる世界が違う。
「3件は多すぎる、私は1件も知らない」という女性もいそう。
痴漢とは違って被害者のことを知る機会があり、いい家庭の子どもは狙われないので、育った環境によって偏りがあると思う。
言いたいこと
・でも事件はレアケースじゃなくよくあることなので、反対する気持ちもわかる。共感がある。
・反対する人をジェンダーフリーとか差別主義者ときめつけないでほしい。
なんか今バズってるらしい男性保育士の記事だけど最後の方に問題がたくさんあって怒りが収まらないので自分の思考を整理するためにメモします。
https://travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/
たくさんコメ(http://b.hatena.ne.jp/entry/s/travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/)がついているようだけども、はっきりいって的外れ。手ばなしにいい記事とか言ってる人のセンスがわからない。自分の差別意識に気づいていないのかな???
1ページ目の保育の現場のレポートはとてもいいと思います。現場を知らない人がこういうのなんだって知るのは大事。
このページの前半も、とてもいい。
保育園の整備の必要性だとか、保育士の専門性、子育てを核家族が担うのは限界がある現代で、保育園が保護者に子育ての専門知識やスキルのインプット・サポートになっているという指摘は本当にその通り。
https://travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/2/
千葉市長の掲げた「男性保育士活躍推進プラン」にSNSから批判がたくさんあったことに関する話に及んだところで、千葉市長は、自分にコメントを寄せたアカウントなどを全部過去発言なども遡って調べたと言って、こう述べる。
「マジです。この問題は、真面目に研究しなくてはならないと思いまして。で、調べていくと、“ジェンダーフリー”の生き方を持った方々で、例えば女性の権利を守るために活動している方が非常にこだわっていらっしゃることも分かりました。もちろん、保育園に預けていた経験のある方で反対意見を出していた人もいましたけれども、それは本当にレアなケースで。例えばその人たちの中には、“旦那が自分の娘のオムツを替えているだけでも嫌”みたいな意見を言っている人もいました。でもそれはもう、ポリシーの話ですからね。生き方の」
ここのあたりの段落よんで、それまですごくいいねこの記事!って思っていた心がボキっとへし折られました。
私の周りで男性保育士活躍プランが出た時に批判していた意見を思い出すと、(かなりざっくりまとめると)実際に現実に起こっている小児への性的虐待をいかに防ぐか、そこが大事なのに、その議論をしなくて男性保育士を増やそう〜っていうのってどうなの?っていうことだったと記憶している。
(市長も「自分に寄せられたコメントを調べて」意見を言っているので、私も自分の周りでみかけたコメントから意見しますね)
で、そういうコメントの多くは、過去に学校とか教育現場で男性の教育者、あるいは家族や親族の中で年長の男性から向けられる性的な眼差しや振る舞い、そういったものに感じる「いやーな感じ」を思い出して、「やめてほしい」っていう感覚を抱いている、そう見受けられた。
この千葉市長の答え方の問題点は、そういう、過去の性被害体験につながるようなものも含まれているはずの批判を、十把一絡げに「“ジェンダーフリー”の生き方を持った方々」と雑にまとめてるところだと思う。はっきり言ってこれはセカンドレイプではないですか?
この発言によって、「性的虐待の心配がある」という指摘が、「うるさいフェミニズムがなんか言ってる」という文脈にすり替えられてしまっていて、問題が矮小化されて対策が全く取られなくなってしまう。子どもを主役に考えるはずなのでは?子ども守れないよねこれじゃ?
性的被害やそれを守ろうとする人の意見をこうやって矮小化するのは、被害を防ぐことはできないどころか、温床にしてしまう可能性もあって本当に危険。
「とはいえ、例えば“性犯罪の9割が男性だ”という意見なども出ていました。こういう意見は、男性として受け止めなければいけない現実っていうこともありますよね」
「それはある種の真実でもあるし、そのご意見に至るなんらかのご経験をされてきたことを受け止めなければならないと思います。しかし、我々が議論しているのは、保育という世界の話です。ですから、保育という中において望むべきものについて、少なくても公的な側はしっかりと筋を通さなければならないと思います」
ここにきてトンデモ感が倍増。保育の世界の問題、と切り取って、対策を打とうとしないのは、いじめの問題を教育現場で「教育の問題なんで」って言って、本当は暴行脅迫、金銭の搾取なのに刑事事件にしないのと同じくらい悪質。
そもそも、ジェンダーフリーの何が悪いんですか?と小一時間問い詰めたい。
インタビューの最後の方で、「“男性の子育て”を多くの市民に理解してもらうという意味もありましたけど」とか言っているくせに、なんでジェンダーフリーに批判的なの?
ジェンダーフリーってそもそも「女性を守る」ってこの市長はインタビューで言っているけど、女性の方が男性に比べてハードモードだから、そこから守ろうよって言っているだけで、別に男女の間に格差がなければわざわざ守ろうとしなくてもいいはず。
女性の方が小さい・若いうちからレイプに遭いやすかったり、性的搾取(JKビジネス、って狂ってるよね、まだ学校行ってる高校生で医学的にも発達過程だったりするんじゃないの?な存在で性的サービス受けるとかさ…)されやすかったり、女性だけ家事育児を担うような風潮があったり、その影響で男性が正社員長時間労働化するから男性の方が賃金高くなって格差があったりするから、そこをイーブンにしようとするだけじゃん?
だから、ジェンダーフリーになったら、子育てに理解のある男性も増えるし、男性保育士も増えるだろう?なのに、そういうダブルスタンダードに気づかずになんとなく言っている。
そういうところが、ほんと〜〜〜にムカつきました!
あと、そもそも論として、「男性保育士活躍推進プラン」の政策的な面に対して分析すると、ダイバーシティを促進するために男性保育士の働きやすい環境を整備するというものらしいんですが。
https://www.city.chiba.jp/kodomomirai/kodomomirai/unei/documents/danseihoikusi.pdf
これ、つまり、男性保育士の数がめちゃめちゃ少ないから、将来男性保育士がこれだけ増えるように数値目標を立てましょう。それを達成するために魅力を発信したり、働く環境の整備をしたりしましょう。ということみたいなんですが。
環境とか魅力の発信もだいじだろうけれども、そもそも根本的に増やすために、じゃあなんで男性保育士がこんなに少ないの?っていうのをまずかんがえてほしい。
去年の待機児童問題の国会の議論以降いろいろ発表されてますが、ざっくり、女性だけで比較しても、全産業平均より5万少ない、男女全部平均すると、全産業平均に比べて10万少ないって言われてる。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201605/CK2016050102000129.html
http://www.sankei.com/life/news/161205/lif1612050042-n1.html
冒頭記事にもある通り、子供の命と発達を担う責任重大な仕事で、最近はブラックな現場も多いというし、それだけ働いて、手取りが少なかったら、そりゃみんな辞めるよね?
ましてや、「結婚したら一家の稼ぎ頭」を期待される性役割分担を負いやすい、男性が、長く働けるだろうか?
だから、男性を増やすという施策をするよりかは、とにかく保育士という仕事の待遇をもっとよくする、根本的にはこれが男性保育士も増える本当の解決策だと思うんだよね。
もちろんトイレとかないんだったらそういうのの整備は大事だけど。でも給料安くてもトイレと休憩室よくなったから続けよ、って思わないよね。
あと、男性保育士批判を批判してる人に、子供を主役に考えてないっていう人いるけど、それも違うとおもう。
子供の性虐待防止のための現場の仕組みをもっとしっかり作ることが、男女関係なく、現場の保育士への疑いも晴らすし、子どもの安全も高める。
あと性虐待ではないけど、保育園での死亡事故は毎年報道されていて、これは根本的には「お昼寝中のうつぶせ寝をさせてはいけない」みたいなスキルの共有ができていなかったり、人手が足りなすぎて泣いちゃってる子どもをぐるぐる巻きにしちゃったりという、結局は現場の保育士への教育・人的リソースが足りていないせいでおきている。
だから、性虐待、暴力的虐待、ネグレクト、いろいろふくめて、子どもの安全性を高めるために、保育士の配置を増やしたり、研修のリソースを増やしたり、ということで対応するべきで。
そういう対応をちゃんとして、男性保育士に子どもを世話されたくない、という恐怖心を持っている人も、男性保育士が増えても大丈夫、って思えるような仕組み作りをしないといけないはずでは。
ネットの世論は福島から自主避難した横浜の児童へのおごりの強制は「いじめだろ!みとめろよ!」っていうのに、保育園で虐待を防ごうよっていう話にはなんでこんなに気づかないんだろうね。まあみんなが保育園行くわけではないからしょうがないのかな…
すばらしい記事でした。
ただ、この中で
「Twitter、FacebookなどのSNSで様々なツッコミがあったと思います。反論をしている方々は子育て世代ではないという肌感を、どこで感じたのでしょうか」
「実は、TwitterやFacebookに意見をくれたユーザーがどんな方なのかを、全部チェックしました。プロフィールから過去の発言も全部追いかけて」
「マジですか」
「マジです。この問題は、真面目に研究しなくてはならないと思いまして。で、調べていくと、“ジェンダーフリー”の生き方を持った方々で、例えば女性の権利を守るために活動している方が非常にこだわっていらっしゃることも分かりました。もちろん、保育園に預けていた経験のある方で反対意見を出していた人もいましたけれども、それは本当にレアなケースで。例えばその人たちの中には、“旦那が自分の娘のオムツを替えているだけでも嫌”みたいな意見を言っている人もいました。でもそれはもう、ポリシーの話ですからね。生き方の」
「はい」
「そして、反対している人の多くは、女性なんです。母親ではなくて、“女性”です。それはもう、ご自身の女性としての“お考え”なんですよね。男性に対する哲学的な全体評価も含めて。なぜ反対されるのかっていうのを色々見てみると、そこには男性全体に対する根深き不信っていうのがあったので、これは保育士云々の話ではないっていう感じがしました。もちろんそういった方々が人生で色んな経験をされて、その上で男性不信があったとしたらそれは否定するつもりはありませんが、この保育士の話とは分けて考えて欲しいんです」
というのは微妙に話がずれている気も。また、千葉市長のズレ方はまだマイルドだが、特にブコメにあったようにこういう女性の方が「男性差別主義」だというのは多分大きくずれている気がしてならない。
「人生で色んな経験をされて、その上で男性不信があった」というのが、不安気質のあるような女性になんらかの男性不信につながるトラウマ的エピソードが起こった結果として、防衛的機制として男性について過度に攻撃的になっているのだとしたらそれは精神医学的な範疇の問題だと思う。
例えば自閉症児は騒音が苦手だ。自閉症児が騒音が苦手だからといって、この世から騒音をなくすべきだとはならないだろう。しかしながら、その自閉症児が騒音が苦手だと、親が主張し公的教育機関などでの対処を要求した時、その要求は完全に的外れなものだと言えるものだろうか。全ての学校がそうすべきだと言われたらそれはおかしいと思うが、そういった自閉症児も快適に過ごすことができるような空間や施設も、予算的に可能であるならば提供すべきだとするならば考慮すべきだと思う。
これと同様に、何らかの精神医学的反応として過度に男性保育士を攻撃するような女性(という私の捉え方が正しかったとして)がある時、それを考慮して全てのシステムを設計するとしたらそれは間違いである一方、そういった女性が安心できるような選択肢の提供もまた考慮すべきことであるように思われるのである。ただしそれは、少なくとも保育所というものがある程度充足してからのちのことではあろう。
なんか今バズってるらしい男性保育士の記事だけど最後の方に問題がたくさんあって怒りが収まらないので自分の思考を整理するためにメモします。
https://travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/
たくさんコメ(http://b.hatena.ne.jp/entry/s/travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/)がついているようだけども、はっきりいって的外れ。手ばなしにいい記事とか言ってる人のセンスがわからない。自分の差別意識に気づいていないのかな???
1ページ目の保育の現場のレポートはとてもいいと思います。現場を知らない人がこういうのなんだって知るのは大事。
このページの前半も、とてもいい。
保育園の整備の必要性だとか、保育士の専門性、子育てを核家族が担うのは限界がある現代で、保育園が保護者に子育ての専門知識やスキルのインプット・サポートになっているという指摘は本当にその通り。
https://travel.spot-app.jp/hoikuen_nagahashiryo/2/
千葉市長の掲げた「男性保育士活躍推進プラン」にSNSから批判がたくさんあったことに関する話に及んだところで、千葉市長は、自分にコメントを寄せたアカウントなどを全部過去発言なども遡って調べたと言って、こう述べる。
「マジです。この問題は、真面目に研究しなくてはならないと思いまして。で、調べていくと、“ジェンダーフリー”の生き方を持った方々で、例えば女性の権利を守るために活動している方が非常にこだわっていらっしゃることも分かりました。もちろん、保育園に預けていた経験のある方で反対意見を出していた人もいましたけれども、それは本当にレアなケースで。例えばその人たちの中には、“旦那が自分の娘のオムツを替えているだけでも嫌”みたいな意見を言っている人もいました。でもそれはもう、ポリシーの話ですからね。生き方の」
ここのあたりの段落よんで、それまですごくいいねこの記事!って思っていた心がボキっとへし折られました。
私の周りで男性保育士活躍プランが出た時に批判していた意見を思い出すと、(かなりざっくりまとめると)実際に現実に起こっている小児への性的虐待をいかに防ぐか、そこが大事なのに、その議論をしなくて男性保育士を増やそう〜っていうのってどうなの?っていうことだったと記憶している。
(市長も「自分に寄せられたコメントを調べて」意見を言っているので、私も自分の周りでみかけたコメントから意見しますね)
で、そういうコメントの多くは、過去に学校とか教育現場で男性の教育者、あるいは家族や親族の中で年長の男性から向けられる性的な眼差しや振る舞い、そういったものに感じる「いやーな感じ」を思い出して、「やめてほしい」っていう感覚を抱いている、そう見受けられた。
この千葉市長の答え方の問題点は、そういう、過去の性被害体験につながるようなものも含まれているはずの批判を、十把一絡げに「“ジェンダーフリー”の生き方を持った方々」と雑にまとめてるところだと思う。はっきり言ってこれはセカンドレイプではないですか?
この発言によって、「性的虐待の心配がある」という指摘が、「うるさいフェミニズムがなんか言ってる」という文脈にすり替えられてしまっていて、問題が矮小化されて対策が全く取られなくなってしまう。子どもを主役に考えるはずなのでは?子ども守れないよねこれじゃ?
性的被害やそれを守ろうとする人の意見をこうやって矮小化するのは、被害を防ぐことはできないどころか、温床にしてしまう可能性もあって本当に危険。
「とはいえ、例えば“性犯罪の9割が男性だ”という意見なども出ていました。こういう意見は、男性として受け止めなければいけない現実っていうこともありますよね」
「それはある種の真実でもあるし、そのご意見に至るなんらかのご経験をされてきたことを受け止めなければならないと思います。しかし、我々が議論しているのは、保育という世界の話です。ですから、保育という中において望むべきものについて、少なくても公的な側はしっかりと筋を通さなければならないと思います」
ここにきてトンデモ感が倍増。保育の世界の問題、と切り取って、対策を打とうとしないのは、いじめの問題を教育現場で「教育の問題なんで」って言って、本当は暴行脅迫、金銭の搾取なのに刑事事件にしないのと同じくらい悪質。
そもそも、ジェンダーフリーの何が悪いんですか?と小一時間問い詰めたい。
インタビューの最後の方で、「“男性の子育て”を多くの市民に理解してもらうという意味もありましたけど」とか言っているくせに、なんでジェンダーフリーに批判的なの?
ジェンダーフリーってそもそも「女性を守る」ってこの市長はインタビューで言っているけど、女性の方が男性に比べてハードモードだから、そこから守ろうよって言っているだけで、別に男女の間に格差がなければわざわざ守ろうとしなくてもいいはず。
女性の方が小さい・若いうちからレイプに遭いやすかったり、性的搾取(JKビジネス、って狂ってるよね、まだ学校行ってる高校生で医学的にも発達過程だったりするんじゃないの?な存在で性的サービス受けるとかさ…)されやすかったり、女性だけ家事育児を担うような風潮があったり、その影響で男性が正社員長時間労働化するから男性の方が賃金高くなって格差があったりするから、そこをイーブンにしようとするだけじゃん?
だから、ジェンダーフリーになったら、子育てに理解のある男性も増えるし、男性保育士も増えるだろう?なのに、そういうダブルスタンダードに気づかずになんとなく言っている。
そういうところが、ほんと〜〜〜にムカつきました!
あと、そもそも論として、「男性保育士活躍推進プラン」の政策的な面に対して分析すると、ダイバーシティを促進するために男性保育士の働きやすい環境を整備するというものらしいんですが。
https://www.city.chiba.jp/kodomomirai/kodomomirai/unei/documents/danseihoikusi.pdf
これ、つまり、男性保育士の数がめちゃめちゃ少ないから、将来男性保育士がこれだけ増えるように数値目標を立てましょう。それを達成するために魅力を発信したり、働く環境の整備をしたりしましょう。ということみたいなんですが。
環境とか魅力の発信もだいじだろうけれども、そもそも根本的に増やすために、じゃあなんで男性保育士がこんなに少ないの?っていうのをまずかんがえてほしい。
去年の待機児童問題の国会の議論以降いろいろ発表されてますが、ざっくり、女性だけで比較しても、全産業平均より5万少ない、男女全部平均すると、全産業平均に比べて10万少ないって言われてる。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201605/CK2016050102000129.html
http://www.sankei.com/life/news/161205/lif1612050042-n1.html
冒頭記事にもある通り、子供の命と発達を担う責任重大な仕事で、最近はブラックな現場も多いというし、それだけ働いて、手取りが少なかったら、そりゃみんな辞めるよね?
ましてや、「結婚したら一家の稼ぎ頭」を期待される性役割分担を負いやすい、男性が、長く働けるだろうか?
だから、男性を増やすという施策をするよりかは、とにかく保育士という仕事の待遇をもっとよくする、根本的にはこれが男性保育士も増える本当の解決策だと思うんだよね。
もちろんトイレとかないんだったらそういうのの整備は大事だけど。でも給料安くてもトイレと休憩室よくなったから続けよ、って思わないよね。
あと、男性保育士批判を批判してる人に、子供を主役に考えてないっていう人いるけど、それも違うとおもう。
子供の性虐待防止のための現場の仕組みをもっとしっかり作ることが、男女関係なく、現場の保育士への疑いも晴らすし、子どもの安全も高める。
あと性虐待ではないけど、保育園での死亡事故は毎年報道されていて、これは根本的には「お昼寝中のうつぶせ寝をさせてはいけない」みたいなスキルの共有ができていなかったり、人手が足りなすぎて泣いちゃってる子どもをぐるぐる巻きにしちゃったりという、結局は現場の保育士への教育・人的リソースが足りていないせいでおきている。
だから、性虐待、暴力的虐待、ネグレクト、いろいろふくめて、子どもの安全性を高めるために、保育士の配置を増やしたり、研修のリソースを増やしたり、ということで対応するべきで。
そういう対応をちゃんとして、男性保育士に子どもを世話されたくない、という恐怖心を持っている人も、男性保育士が増えても大丈夫、って思えるような仕組み作りをしないといけないはずでは。
ネットの世論は福島から自主避難した横浜の児童へのおごりの強制は「いじめだろ!みとめろよ!」っていうのに、保育園で虐待を防ごうよっていう話にはなんでこんなに気づかないんだろうね。まあみんなが保育園行くわけではないからしょうがないのかな…
男子トイレ女子トイレという表記を、「立ちション+個室トイレ」と「個室トイレonly」と変えれば良い
これだけで全て解決する 自分の行きたい方のトイレに行けば良いだけ
リベラルな人ならみんな賛成すると思う
フェミニストってさんざん男性の私的領域、つまり男性の欲望に口を挟んできた。介入してきたんですよ。
しかしそういった手出し口出しも、「まぁジェンダーフリーに移行するためには必要なことなんだろう」と思って男性は受け入れて来た。
で、「じゃあ次は女性の私的領域(欲望)にもそろそろ手をつけないとね、女性の意識も改革しないとね。」という話になった途端に
「バッドフェミニズム」とか言い出して、「女の欲望には手をつけるな」って言いだした。それが許せない。
最近こういう女性増えてる。「女の子の再発見」「女性性の再獲得」 「女性ジェンダーに乗って何が悪いの?」っていう主張。
こういう女性が増えるとフェミニズムとしてもキツい。欧米でも「バッドフェミニスト」が猛威をふるった。
「ジェンダーフリーとかいうけどやっぱり男みたいにはなりたくない!」が先進国女性の本音。この本音にフェミニズムが打ち勝てるかどうか。
ロクサーヌ・ゲイの言うような、「女の欲望を認めつつ男女平等・ジェンダーフリー」みたいなのはありえない。
「じゃあ今まで(gender-freeのために)男の欲望にさんざん介入してきたのは何だったの?」という話に
http://b.hatena.ne.jp/entry/323571458/comment/masudamaster
http://b.hatena.ne.jp/entry/323633259/comment/masudamaster
http://b.hatena.ne.jp/entry/323712613/comment/masudamaster
関連URL(「フェミニストがフェミニストや弱者男性と結婚する義務はない」に対するmasudamasterの反論)
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20170221130104
「バッドフェミニズムをしたい、女の欲望は変えられない」って言うんなら、それでいいんです。
でも、ならば最後に一言だけ、「騙してすまなかった」って、謝って欲しい。
今までフェミニズムに協力してきた男性たちに対して謝罪してほしい。それだけなんです。
https://anond.hatelabo.jp/20170731152739
(文:masudamaster)
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ほとんどの人間は「男らしさ」「女らしさ」というフォーマットに沿わないと恋愛ができないんだと思う。
大昔の時代は「男らしさ」「女らしさ」の価値観が強固だったんじゃないですか。
「相手は男だから強さ逞しさを求めていい」「相手は女だからお淑やかさを求めていい」…的に
相手に「男女像」というもの求めてることが、まあ、許されていたんじゃないですか。(そりゃパーペキに許されたとは言わないけどさ)
「男だから~」「女だから~」と価値観を押し付けることができた。
しかし現代はどうだ?ジェンダーフリー、男女平等、反セクシズム。
…基本的に相手に「男らしさ」「女らしさ」を求めるのはアウトな価値観の時代です。政治的に正しくないです。ポリでコレじゃないです。
「相手が男だからって強さ逞しさを求めてはいけない」「相手が女だからってお淑やかさを求めてはいけない」
…これを破る者は基本的にモラハラセクシズムハラスメンターです。
要するに『相手に「男らしさ」「女らしさ」とかカンケイなく一個人として見るべし』…というのが現代における恋愛の規範と言えましょう。
が、これこそがまさに、恋愛の難易度を爆上げさせてしまった要因なのではないか、と思う。
上記の通り大昔は「男らしさ」「女らしさ」というごく単純なコードにより、ある程度は相手のことが『分かりやすかった』(そりゃパーペキに単純化されてたとは言わないけどさ)
だが「らしさ」というものが忌避される現代では、「相手を読み解くコード」が非常に複雑難解と化しているのだ。
「相手が○○だからって××と思ってはいけない」「△△と決めつけてはいけない」「■■と扱うな」
あぁ^~コードが分かりづら杉るんじゃぁ^~…トライアンエラートライアンエラーはトライアンエラーブライアンエラー
…って感じが昨今のありがちな恋愛離れ像だと思うのですよ(←すげえ単純化してんな)
結局ね、逆説的に言って大昔は「男らしさ」「女らしさ」というものの保証があったからこそ、
万人にとって恋愛はある程度単純化されていて、参入障壁が低い文化であった…と思うんですよね。
いや、上記を読んでムカムカする人がいるのは分かりますよ。おまんら「男らしさ」「女らしさ」に頼らんと恋愛もできんのかいシバくぞワレ!?と
でもね、でもね…そういう「男らしさ」「女らしさ」に頼らなくても恋愛できるあなた方は「恋愛強者」なんですよ。
でもその「恋愛強者」は、正直すっげぇ少ないと思うのですよ。残念ながら。
人間というものはほとんどが「恋愛弱者」で、「男らしさ」「女らしさ」に頼らないと恋愛できない。
しかし「男らしさ」「女らしさ」に頼ってはいけないとなったら、「恋愛離れ」に至るしかないのですよ。
悲しいけどこれ現代ナノヨネ(チュドーン スレッガーサーン!!!
いやいや、誤解せんでほしいんスけど、このエントリの主張は
「大昔の男女差別社会に戻るべきなんじゃ~~~!」とかそんな極端な保守主義者みたいなことを言いたいわけではないデスよ。
あと、「なんでそんな恋愛離れを嘆くのだ。恋愛しなくても別にいいじゃん」と意見する人もいるだろうが、それはとりあえず後のお話。
ただ、言いたいのは、「男女平等を推し進めたから恋愛する人が減ったんじゃね?」
「男女平等な恋愛ができるのは少数の恋愛強者のみ。大多数の恋愛弱者は「男らしさ」「女らしさ」に縋らざるを得ない」というだけの話。
「男女平等を推し進めよう!その上でみんな恋愛しまくろう!」なんて無理無理カタツムリ。
「男は女に女らしさを求めてる」ということに関しては、男も女も軒並み肯定する。
一方で「女は男に男らしさを求めてる」ということに関してだが。
女性側は大体「私は好きな男性に男らしさを求めていない。むしろ男臭さが薄い男が好き」と言い、
その一方で男が大体「いや女は男らしさ求めてんだろぉぉぉ!?」と言ったりするが
(全ての女性がそうとは言わないけど)女性は大体『私は男らしさを求めていない』としているからに他ならない。
女性は男に比べて(まあガチガチのネトフェミほどではないが)ジェンダーフリー意識が高い。
確かに、女性にモテている男というのは、必ずしも筋骨隆々とした感じではなく、どこか女性的だったりすることは、ままある。
…だがしかしここで「女性は男らしさを求めていない」と結論付けられない理由がある。
何故かというとそれは、『女性にとって「私はマッチョイズムで汗臭い男らしさなんて求めていないんだな~」と思わせる演出力』
それ自体が男にとって「マッチョイズムで汗臭い男らしさ」の内でしかないのである(な、なんだってー!?
外面的にはマッチョイズムで汗臭くないが、その内面はものすごくマッチョイズムで汗臭さに満ちている。
否、外面の男らしさを排除しようとすればするほど、内面は男らしさに満ちていく、というべきか。
女性には理解しがたいことかもしれないが…「男らしさ」はフンガーウラー的な行為のみと思うのかもしれないが、
男女平等だとかジェンダーフリーだとかって全人が男らしさとか女らしさとか捨てて中庸を目指そうって感じなんだったと思う多分だけど、
実際はそんなことなく
「男も女も女らしく」「男も女も男らしく」の2種類どっちかに振れてるのが大体だと思うのよね。
もうちょっと具体的に言うなら「男も女も女らしく」は
「男も女もマッチョイズムとか捨てよう」な感じ。
一方で「男も女も男らしく」とは
「男も女もマッチョイズムを背負おう」な感じ。
リアルで推進してる男女平等はこっちなのではないかと思うんだがどうか。
これはもう男女どっちも仕事しまくろうな世の中によって強化されているというか…
俺の言ってる男女平等とあいつの言ってる男女平等って齟齬をきたしてなくね?ってことがあり得るというか
おんなじだと思ってると足を掬われるんじゃね?…ってお話です。
いろんな方々のおかげで今の生活がある。
公的書類から性別欄がどんどんなくなり、本来受けるはずだった苦しみはどれだけ軽減されたのだろうか。
医療機関など理解のある一部のところでは、戸籍とは異なる性別を記載してくれるところもあった。
性同一性障害に悩む人たちのグループを紹介してもらい、そこでは傷のなめあいなどもあった。
(言い方は悪いけど、年齢・元の容姿の面で多くの人よりわたしはまだ希望があると少し気持ちが楽になったりもした)
性同一性障害の診断をもらえたのも、国内での手術ができる今も、性別変更の手続きができるようになったのも、そういった活動をしてくれたいろんな方がいたおかげだと思う。
今、同じように性の問題で苦しんでいる人たちにも、早く、少しでも心が穏やかな生活を送れるように祈っている。
今もどんどんジェンダーフリーが進んでいる。
今後は同性間での結婚も認められたりするのかな。
同性、なんていう言い方すらなくなるかもしれない。
でも内心は、もうやめてくれと思っている。
だけどわたしははじめから「男女2つの性で分けられた世界で女性として暮らしたかった」のだ。
昔あれほど憎かった「男は男らしくを求められる世界」と同じ「女は女らしくを求められる世界」に今は幸せを感じるのだ。
性はグラデーションじゃなくてよい。
「男女平等」とか「ジェンダーフリー」とか「性差をなくす」とか「多様性」とか…ここらへん全部「恋愛」と相性が悪いんじゃないかと。
もうちょい具体的に言うと「相手が男/女性だからって、男/女らしさを求めるのはアウト」みたいな、アレ。
何で相性が悪いかというと、大昔は「男らしさ」「女らしさ」のフォーマットが強かったんじゃないですか。
だから異性と言う相手に対して「相手は男/女なんだから、こういうヤツだと判断していいんだな」と思うことができた。
要するに「相手を読み解くまでのコード」ってヤツが、比較的少なかった。
…だが現代はどうだ?「相手が男だからって強く逞しいと思ってはいけない」「相手が女だからってお淑やかと思ってはいけない」
多すぎるんですよ、「相手を読み解くまでのコード」ってヤツが。
ってなって結局は「恋愛」ってヤツが「面倒」なものと化してしまったのではないか、と思うのですよ。
要するに大昔は「男らしさ、女らしさ」という保証があるからこそ、万人が「恋愛」というゲームへの参入障壁が低かった、のではないかと思うのですよ。
…いやいや、分かりますよ。
上記で言ってることは「無能の戯言」と断じられても致し方ないってことは。
「男らしさとか女らしさとかこだわらず行うのがこれからの恋愛だ!」とか言うんでしょう?ねえそうなんでしょ?
でもねえ、恐らく結局は「男女平等な恋愛」というものが「恋愛強者」しか不可能だと思うのですよ。
「だったら己を磨いて男女平等な恋愛ができる人間にになれ!」と仰るんですか?
でもねぇ…それってマチズモだなぁ、と思っちゃいけないのでしょうか?(あんま知られてないようだが、恋愛は体育会系マチズモとの親和性が非常に高い)
ココらへんになると藁人形論法入りますけど「そこまで努力したくねえよ!つうかおめえら男女平等とかポリコレ言う割に
恋愛弱者にひたすら努力を強いるてめえらの態度は非ポリコレじゃねぇのかぁ!?」…って気分になるのですよ…怠惰とか言われようが。
そんで、ここで「恋愛強者」を「男女平等な恋愛が可能な者」と設定するなら、
それ以外の「恋愛弱者」は以下のいずれかのメソッドを採るしかないのですよ。
②そもそも、恋愛しない
…で、①はポリコレだとかでアウトと指摘されやすいから、②に流れてる
これが昨今の「恋愛離れ」の正体だと思うのですよ。
いやいやいや、誤解せんでいただきたいのですが、
別に私は大昔を賛美するとか「男女平等はクソ!」とか保守主義者じみたことを言う気は無いですよ。
あと「別に恋愛する人が減ろうがいいじゃんッ」とか「世の中そこまで男女平等とか気を遣ってる人おらんよ!」とか仰るかも知れんが
そういうのは後の話で…
ただ言いたいのは「男女平等な恋愛というのは万人が行うの不可能なウルトラ高度技術」
「男女平等を推し進めよう!その上でみんな恋愛しまくろう!」な~んて無理くりな贅沢いいとこ取りなんじゃないの?ってお話。
A『男女平等を推し進めよう!そのせいで恋愛する人が減っても仕方ない!』か
どう考えてもあの頃の上野千鶴子はジェンダーフリー教育=同性愛プロパガンダ=あたしからヘテロ男を奪うっていう爆笑もののホモフォビックなバックラッシュ言説しまくりだった。
この言い方は極端すぎとは思うけど、上野千鶴子が若い女やキレイな女に接するときの態度の冷たさからして「この人女が嫌いなんだな」って思ったことは何度もある。
どーも、互助会増田です
以下読む価値なし