すばらしい記事でした。
ただ、この中で
「Twitter、FacebookなどのSNSで様々なツッコミがあったと思います。反論をしている方々は子育て世代ではないという肌感を、どこで感じたのでしょうか」
「実は、TwitterやFacebookに意見をくれたユーザーがどんな方なのかを、全部チェックしました。プロフィールから過去の発言も全部追いかけて」
「マジですか」
「マジです。この問題は、真面目に研究しなくてはならないと思いまして。で、調べていくと、“ジェンダーフリー”の生き方を持った方々で、例えば女性の権利を守るために活動している方が非常にこだわっていらっしゃることも分かりました。もちろん、保育園に預けていた経験のある方で反対意見を出していた人もいましたけれども、それは本当にレアなケースで。例えばその人たちの中には、“旦那が自分の娘のオムツを替えているだけでも嫌”みたいな意見を言っている人もいました。でもそれはもう、ポリシーの話ですからね。生き方の」
「はい」
「そして、反対している人の多くは、女性なんです。母親ではなくて、“女性”です。それはもう、ご自身の女性としての“お考え”なんですよね。男性に対する哲学的な全体評価も含めて。なぜ反対されるのかっていうのを色々見てみると、そこには男性全体に対する根深き不信っていうのがあったので、これは保育士云々の話ではないっていう感じがしました。もちろんそういった方々が人生で色んな経験をされて、その上で男性不信があったとしたらそれは否定するつもりはありませんが、この保育士の話とは分けて考えて欲しいんです」
というのは微妙に話がずれている気も。また、千葉市長のズレ方はまだマイルドだが、特にブコメにあったようにこういう女性の方が「男性差別主義」だというのは多分大きくずれている気がしてならない。
「人生で色んな経験をされて、その上で男性不信があった」というのが、不安気質のあるような女性になんらかの男性不信につながるトラウマ的エピソードが起こった結果として、防衛的機制として男性について過度に攻撃的になっているのだとしたらそれは精神医学的な範疇の問題だと思う。
例えば自閉症児は騒音が苦手だ。自閉症児が騒音が苦手だからといって、この世から騒音をなくすべきだとはならないだろう。しかしながら、その自閉症児が騒音が苦手だと、親が主張し公的教育機関などでの対処を要求した時、その要求は完全に的外れなものだと言えるものだろうか。全ての学校がそうすべきだと言われたらそれはおかしいと思うが、そういった自閉症児も快適に過ごすことができるような空間や施設も、予算的に可能であるならば提供すべきだとするならば考慮すべきだと思う。
これと同様に、何らかの精神医学的反応として過度に男性保育士を攻撃するような女性(という私の捉え方が正しかったとして)がある時、それを考慮して全てのシステムを設計するとしたらそれは間違いである一方、そういった女性が安心できるような選択肢の提供もまた考慮すべきことであるように思われるのである。ただしそれは、少なくとも保育所というものがある程度充足してからのちのことではあろう。