はてなキーワード: クラス替えとは
普通なら喜ぶはずなのに全く持って喜べない
母には、立ち会って欲しいと言われたけど学校の単位に関わるテストがあるからと断った
最悪な娘だと思う
2年後には妹が生まれた
父親のことはよく覚えていないけど、暴力を振るってたことは微かに記憶がある
5歳の時に離婚した
そこから、ずっと私や妹の事を頑張って育ててくれた
去年の冬、「お母さん好きな人がいてね結婚したいの」といきなりクリスマスに紹介して来た
でも、次に妊娠をしてることを告げられた
「増田に新しい妹が出来たのよ」って
口では「おめでとう」って言ったけど、心の底では嬉しくなかった
義父は、39歳の医者だった
私が医者ならしない
義父には両親がいない
正確には若い頃に亡くなった
「こんなに、良い人はいない。増田たちの良いお父さんにもなれる。」って
私は喜べなかった
義父は、結婚して以来、あれやこれや服とかを買ってくれる
母は、「お父さんってちゃんと呼びなさい。あなたの大学の学費も全額払ってくれるのよ。」って、言う
でも、母の稼ぎだと行けないの分かってたから言うのは止めてたのに
母を思うと、死んでも言えないけど
義父と母は、母が夜に働いてるバーで出会ったと聞いた(週に3日働いてる)
義父はそこの客らしい
いくらなんでもこの歳になれば分かる
去年から何度か仕事以外で祖母の家に夜に預けられることが多かった
あぁきっと、あの時にセックスしたんだろうな
じゃなきゃ今頃産まれないし
そりゃ医者だもんね
嬉しいよね
そうだよね
何で私は素直に喜べないんだろう
妹は、病院に行ったよ
酷い姉でごめんね
何よりも母に罪悪感を感じてる
私は産まれた妹を見て、喜べるのかな
本当は学校に行こうと思った
でも、自分の罪悪感に苛まれて、気付いたら学校じゃなくて病院にいた
今日は確認テストの日だったけど、学校に電話して別の日に受ける事にしてもらった
義父と少しだけ二人きりで話した
義父は、大学に通ってる時に少しお金がなかったから、夏休みに工事現場の夜間のバイトをしてたと苦労話をしてくれた
少しだけ、義父にこんな態度をしてる自分に心が傷んだ
それまでは保留にするって話た
一応納得してくれた
ただそれだけだったから
本当に妹なんだと感じた
母は、「この子には、幸せになって欲しい。やれなかった事を沢山やらせたい。ピアノとか習わせたい。」って、言ってきた
また、感情がぐちゃぐちゃしてきた
確かに離婚してるしあまり裕福じゃなかったから、苦しかったけど
あぁ……きっと産まれたばかりのこの子は愛情たっぷりの両親に沢山お金をかけてもらって育てられて幸せなんだろうな
そう思ったら、トイレで泣いてた
「新しい命に感動して泣いてしまいました」って言っておいた
嘘だけど
本当のこと言えるわけないし
勝手にやってきて、勝手に金出して、母親を奪って、父親面して、挙句の果てに結婚できなかったから金返せ
元婚約者は、酷いやつだと思う
私が小○圭なら、「出してくれなんてこっちは頼んでません!そっちが勝手にやったのに何を今更騒ぐんですか」って、そう思うよ
そりゃ出してくれなきゃ大学に行けなかっただろうけど、私はそれでも小○圭の立場なら微塵も感謝はしない
でもそんなこと、私は母親には言えないし、そういう小○圭みたいな態度をとることはクズだと思うから、出して貰えたら感謝はする事にした
一生この思いは消えないと思う
でも、私のTwitterやインスタの友人の多くは所謂マイルドヤンキー層
みんなに聞いて欲しくても、絶対に分かって貰えなくて苦しい
義父のことは何も言ってないけど、どこからか医者だって事が知られてしまった
最近でも「増田は頑張ってバイトしなくていいじゃん。新しいお父さんにおねだりしたら。」って、心無い事を言ってくる
この前は、義父が買ってくれたサマンサタバサの財布について言われた
本当は使いたくなかった
見せびらかすみたいだし
でも、母親が使わないで蓋をしてるのを見たら説教してきたから申し訳なくて使った
「羨ましい」って、言われた
次の日からその財布は閉まった
使うのをやめた
また、部屋の奥に蓋をしてしまった
こういう事を言ってくるのは、他意は無いんだろうけど
中には円交してる人もいる
おじさんに数万貰ってるらしい
お小遣い代わりに
そんな事をしてる人に私の気持ちなんて言ったって、「セックスしなくたって、お金貰えて羨ましい」の一言で片付けられて聞いてもくれないだろう
学校に行っても何も話せないし、学校のTwitter上のコミュニティでも何も言えない
イツメンにすらも話すことができない
苦しくて仕方ない
妹みたいに素直に受け入れて、お金を出してもらえて幸せアピールを出来たらどんなに楽だろうかと思う
※円交って書いた理由
友達のTwitterの裏垢を見たら、#円 #地名 募集してますって呟いてたから
前から、おじさんとセックスしてお金もらってるって聞いてたから、このツイートを見て、この事なんだなって納得した
そんな人達に私の気持ちなんて言ったって、微塵も理解してくれないと思う
「増田は、金ある新しいお父さん出来ていいよね」って、面と向かってお昼ご飯の時に言われるぐらしいだし
今日は義父と妹は一緒に夕飯を食べるらしい
祖母と夕飯を食べた
辛いって
そしたら、「馬鹿な事言ってんじゃないよ。あんたなんかよりも今までのお母さんの境遇の方がもっと辛い。どんなにあんた達姉妹を抱えて苦労したのか分かってない。泣くなんて親不孝者だ。やっとお母さんは、幸せになれるのよ!あんたが笑ってれば、みんなが幸せ。お母さんだって幸せなの。妹みたいに物を買って貰って、幸せだって言いなさい。お願いだから、お義父さんを怒らせるようなことは辞めて。」と怒られた(要約)
もっと言われたけど忘れた
実父に暴力振るわれてたりしたのは、私がおねしょを繰り返したかららしい
だから、嫌われるような事をするなって
あぁ……やっぱり私がいて不幸だったんだね
そっか……ゴメンね
そう言う意味じゃないと分かっても、私が邪魔者だった事にしか聞こえなくて布団で泣いた
祖母も私に笑えって言う
今、幸せでしょって
何年か後に読み返して、自分なりにその時には受け入れることが出来るようになりたい
ありがとうございました
※断っても義父は物を買い与える
これが自分に出来る最低限の親の務めだって、悲しい目で言われたから
本当にこれで書くのは最後にしようと思う
寝ようと思ったら、5月に担任に言われたことを思い出して、また泣いた
私は地方に住んでいる
6人目を堕ろすかどうかも迷ったらしい
「イエスに誓って堕ろすのは辞めたんです」って美談みたいに話してた
その話をした時は性についての授業だった
「先生はお小遣いが俺らより少ないのにこれからどうするんですか?」って、クラスの男子が笑いながら質問した
そしたら、「長女が看護師になって4月からお金を入れてくれてるんだよ!」って、嬉しそうに話していた
複雑な気持ちになった
去年の流れなら、「学校はどうか」、「成績の話」、「進路」とか普通の話をするのに
「増田の新しいお義父さんって医者なの?あ!今日は増田の進路とかそんな話は軽くでいいから!お義父さんの事聞かせてよ!医者って年収高いんでしょ?俺みたいに3000円のお小遣いなわけないよね〜wwwいくらか教えてよ!興味あるから」
お前が好きでセックスして産んで3000円のお小遣いなのを自虐ネタにするのが心底腹が立った
単純にこの閉鎖的な地方では「医者」と言う職業に興味津々なのだろう
情報の授業でもそうだった
パソコンを触っていたら先生に「増田さんのお義父さんってお医者さんなんだって??こんなパソコンたくさん買ってもらえるんでしょ!!このにあるの全部買ってもらえたりしてwww」って、みんなの前で言われた
本当にこんなこと言う人達だって信じたくないし、嘘だって言いたかった
私の義父が医者だと言うことはもう変えられもしない事実だし、それを避けては通れないことが分かってしまった
それ以来学校でも居づらくて仕方ない
これで眠れると思う
私の家で友達とお菓子を作った。2月13日、バレンタイン前日のことである。
もう夏だって?うるせえ書き溜めてたメモを発見したからいま投稿すんだよ。
私を入れて4人、その中の2人は数ヶ月前に彼氏ができたばかりだった。一人をAとしよう。
クリスマスイブに告白され、なんやかんやで後日付き合い、バレンタイン当日に彼氏の家に泊まりに行くというAとその彼氏を「イベントに乗っかりすぎじゃね?」とからかった。
私たちのグループはとても下品で、よく下ネタを話していた。ちなみに全員処女である。Aに彼氏ができてからはよく彼氏の下半身の話をよくした。まあ、有り体にいうとち◯このことだ。
わたし「一人で致す時でさえ指二本も入らんのに、ちんこなんか入るのか?」
A「いやほんまにそれすぎる……しかもあいつ(彼氏)のブツはかなりでかいっぽいしどうしたらいい?」
普段からこんな会話ばかりなので、お菓子を作り終わる頃には「避妊に気をつけよう」という結論を出して解散となった。
そして、後日。
「快感が3、痛さが7。でも、まあ、なんとかなるもんだ」
という非常に力強いメッセージだった。
こいつに一生ついていこう…という頼もしさを抱きつつ祝福をした。
そのあと。
ふと、「自分はこうならないんだろうなあ」という漠然とした予感が頭をよぎった。
自分は愛されない。資格がそもそもない。ステージに上がれない。確信めいた予感である。
小学校の時からあるこの予感は、幽霊のように私に付きまとっている。
ここから急転直下に暗い話になる。下着売りのJKのエロい話を期待していたなら申し訳ない。
話は戻るがAとは高校からの付き合いである。しかし彼女は中学の頃から何度か彼氏がいたことがある「女の子」である。
私はというと、街中を歩けば容姿を見ず知らずの人に貶められる体験を何度もしたことがあるブスだ。ナンパをしようとしたやつが「よく見るとブスじゃねーか!」と叫ぶ、というものだ。ブスは「女の子」ではない。男女という枠から追放されたバケモノなのだ。私がそう実感するようになったのは小学校からである。
ブスと馬鹿にされ、毎年クラス替えの度に違う男子からいじめられていた。そうして自信を無くしたブスはカースト上位の女からもいじめられた。いじめの内容はテンプレすぎるのでつまらないと思う。まあ一つ例をあげるなら、プールの自由時間に複数人に足を掴まれ背中に乗られたりして軽く溺れたりした。ちなみにこれをやった女子で、今看護師を目指しているやつがいる。怖すぎる。
自己嫌悪の塊となり私はいつしか精神を病んだ。朝、身体が動かない。何もないのにいきなり涙がでる。人が集まる場所に行くと馬鹿にされている気がして体が動かなくなり涙が出る。声を出して泣くと姉にうるさいと言われるので夜は声を出さずに泣けるようになった。リストカットは親にバレるので足や腕を殴ったり、見えない部分を引っ掻いて血を出していた。相談したスクールカウンセラーは嘲笑し「かまってちゃん」といった。やはり手首を切らないと精神を病んでるとはいえないのでは?と思ったが心配した親に心療内科へ連れていかれた。親は泣いていた。
そして通院をし、カウンセリングを受け、薬を飲み、生活に支障をきたすほどの病状は高校に進学する頃にはほとんど治っていた。
だが根本的な問題が残ったままだった。圧倒的な自己肯定感の欠如だ。私には「根拠のない」自信がない。
私は顔はブスであるが、身体はエロい。スレンダーでもないがデブでもないし、なんといっても巨乳である。Fカップである。意味がわからない。発育の良かった私は小学校四年生からブラをしていたし、中学生ではDカップになっていた。私のようなタイプは基本的に男に軽んじて見られるのだ。
そういうことだ。
性被害には頻繁に合うのに、告白は一度しかされたことがない。しかしその告白の理由も後から聞けば「胸がでかいから」だった。死ね。
でも私は、異性からの「かわいい」がずっと欲しかった。女の子として見られたかった。「価値のある女の子」になりたかった。
そんな私が自分の裸をネットにアップし始めたのは高校の頃からだった。
リアルではないネットの世界でなら、たとえ性欲の先にある「かわいい」でも受け止めることができたのだ。何も目の前でブスだと罵られたり暴力を振るわれる訳ではない、安全な位置からの「かわいい」は単純に嬉しかった。私は自分の身体を自分で好きになることができなかったのだ。だから誰かにジャッジされないと価値がないと思い込んでいたのである。歪んでいるとは自覚していたが、「かわいい女の子」ではない私にはこの方法でしか価値は与えられなかった。
ある日、テレビでJKビジネスのうち「下着売りの少女達」といった特集をやっていた。
そんなものがあるとは知らなかった私は、早速検索して下着売買の掲示板を見つけた。
現役JKだと警察から「やめとけ」的なメールが送られてくるのを知った。
待ち合わせ場所近くのコンビニで脱いだ下着を男性に渡して5000円貰った。つけられていないかの確認の為ロフトのトイレで身を隠していた。個室でボーっとしながら男性のポケットから出されたクシャクシャのお札を見て「汚いお金」とは思わない自分に驚いた。これが自分につけられた価値かと冷静になったのである。
だが下着売りはそれ一回きりで辞めた。ちなみに私は小心者なので、これでもかというほど念には念を入れて個人の情報につながらないようなやりとりをしており、辞めた理由としてその労力と対価が見合っているとはとても思えなかったというのもある。もう一つの理由として、いい意味でも悪い意味でも、なんだか自分が自分ではないような感覚になったのは確かだったのだ。
帰りの電車でその男性からまたリピートしたいというメールが来ていたが、捨てアドを消して終わった。してはいけないことをしたという気が私にはなかった。これから男にブスと貶められても5000円で私のブラを買ってオナニーする男もいるのだな、と思うと笑ってしまう。なんだかいろんなものがバカらしくなった。
人は見た目が100パーセント。それは真実であり、ブスに人権はない。世間がどう取り繕っても現実は非情である。それでも自分の好きなように適当に生きようと思った。恋愛なんてできる気はしない。好きの気持ちの前に諦めがくるからだ。自分が嫌いな人間を好きになってくれる人なんてありえない。それに時々送られてくる異性のメッセージも、男友達がいない私からしてみれば「急に友達でもないのに連絡とったりなんかしてこいつも彼女(という名の穴)がほしいだけのやつか」という捻くれた物の見方しかできず相手する気すら起きない。相手にも失礼だし、この考えが間違っているのはなんとなくわかっている。若い頃の恋愛なんて、そんな真剣に考えずに「寂しい」という理由でフィーリングで付き合うのが正しいのだ。
幼いころから肯定されてきた人間、または周りの環境に恵まれてきた人間の、「根拠のない自信」からくる落ち着きや振る舞い、言動にはどうあがいても勝てない。
それでも一度精神を病んで薬を飲んでから、これでも大分マシになったのだ。時間はかかったが、昔より自分を客観視できるようになった。努力をして人並みに容姿や外ヅラを誤魔化すことができるようになった。メイクも洋服も好きなのを着れるようになった。スカートやスキニーを履けるようになった。友達も増えた。
けれども。それでも。
それを悲観しているくせに、自分から目を背けているところもあるのだから手に負えない。
多分これは私の中の私と向き合わなければ解決しない根深い意識だ。まだ血が流れてる傷を見なきゃいけないのかと思うとしんどい。それでも幸せな友達を見て、私は半ば諦めつつも幸せになる努力をしようと思った。
恋愛は諦めている。では自分で自分を幸せにするしかない。他人からの「かわいい」だとか他人からの承認に頼るんじゃなくて、自分自身が「かわいい」とか認めてあげることが1番大事なんだってことに漸く気付いた。自分を大事にすれば、いつか他人と向き合える日も来るかもしれない。
あのとき下着を売ったことを後悔したことはない。ブスという化け物が執着していた「かわいい」なんてクソほども価値もないことに気付くことができたからだ。愛されなくても自分が自分のことを愛していたらそれでいい。
メモに書きためていた、数年前のバレンタインに思ったいろんなことをまとめてたら夏になってた。
今読み返してみて思うところはたくさんあるが、あの時だからこそ感じた決意などがはっきり書けていた為このまま記事にしようと思う。JKビジネスなどを推進する記事ではないということを明記しておく。
私は現在18歳のの女で身体醜形恐怖症と摂食障害と戦っています。
私の通っている高校は少人数制でクラス替えが無く、男女も8対2位だったので必然的に男性と仲良くなりました。その中でも特に仲良くなったのがA君でした。
A君と私はアニメと言う共通の趣味がありとても話して楽しかったです。
ずっと一緒にいたので傍から見ればカップルのように見えていたと思います。私も彼に対して好意を抱いていました。
ある時からA君は私の事を弄ってくるようになりました。
始めは「お前って○○(アニメキャラ)にそっくりだよな。」とか些細な失敗を弄ってくる様になりました。
私はどちらかと言うといじられキャラで慣れていたので受け流していたのですがある時から「お前ってデブだよな」、豚のぬいぐるみを指して「うわ、そっくり!」、顔をじっと見て「ブスやん!笑」など容姿やスタイルを貶めるようないじり方をするようになりました。
それを言われるたびに否定してしたのですが心の片隅では「私ってそんなブスなんかな?」、「私って太ってるん?」と不安が募っていきました。
段々とその不安は私の中で確信へと変わっていきました。「私はデブでブスで救いようの内人間」、「女として無価値」だと思い込むようになり自分が普通な顔だと確認する為の自撮りが止められなくなり、ダイエットの為にご飯が食べられなくなりました。
極端なダイエットと何時間も続く自撮りを心配した母に連れてかれた精神科で身体醜形障害と摂食障害と診断されました。
ガリガリに痩せた私を心配したA君がどうしたの?聞いてきた時になにかが壊れ
こうなったのはお前のせいだ。ガリになったのも自撮りが止められなくなったのもお前が私を貶めたからじゃないか!と思いをぶつけました。
A君は目を見開き口をぽかんと開け驚いた顔をしてしました。
震えるA君の声から「デブやブスなんて思った事ない可愛いと思う。弄ったのは俺の方を見て欲しかった本当は好きだった。」と告げられました。
ふざけるなよその稚拙な独占欲でこっちはメンタルをやられたんだぞ。殺したい
女に対して容姿や体型を貶める様な発言を控えて頂けないでしょうか。
仲間内で言うのは構いません。ただ本人言うのだけは絶対に辞めてください、心に深い傷をつけることになりますのでどうかお願いします。
164cm52kgだった体重が現在40キロまで落ち生ける骨格標本状態です。
死にたいです。
理由。
昔々、もう遠い昔の出来事。
給食当番を無理やり代わりにやらされたり、ひどい暴言で罵られたり。
消しゴムを裂かれて、シャーペンの芯を手や肩に刺されたりしたこともあった。
もう本当にひどくて、つらかった。
よく”いじめられる側に原因がある”なんて言う人がいるけど。
「お母さんがいないこと」
私がまだ小さいうちに両親は別居し、あれよあれよと言う間に離婚した。
父親一族は家の後継ぎ欲しさに、一人っ子だった私をろくに子育てもしないくせに強引に引き取った。
母親は泣く泣く私を手放したが、相当揉めたのだろう(この辺りの詳しい事情を私は知らない)。
月に数回、実父のもとを離れて、母と遊びに行く時間をもらうことができた。
だから厳密に言えば、生き別れでも死に別れでもない。
決して「目の前にいない」わけではなかったのだ。
会いに行こうとすれば会える。
話ができる。
本当に幸せだった。
今考えれば、このあたりが気に食わなかったのかもしれない。
「お母さんいないんだよね」
両親が離婚したことは、その女の子には言っていなかったが、なぜか知っていた。
流行りの通信学習講座でもらったプレゼントがあれば、それを取り上げて隠し、勝手に使う。
お楽しみ会でくじ引きがあれば、私が引く前だけわざと中身を見て、私に都合の悪いくじを引かせようとする。
1人がいじめ出すと、いじめられっ子と特に関わりのない子までいじめるようになるらしく、いじめはクラス全体に広がってしまった。
何かあれば「お母さんがいないのをばらすぞ」と脅された。
いないわけではない。それなのに、そんなことを言われるのが悔しかった。
学校に行くのが嫌だったが、それとは比にならないほど、家庭環境(実父と祖母)が悪かったせいで、不登校にはならなかった。
その頃、母は再婚して、実父とは大違いの、優しい義父と3人で遊びに行くようになった。
それからは、4人で遊びに行ったり、家で家族団欒したりするようになった。
多分これも、いじめてきた女の子にとっては気に食わないことだったのだと思う。
いや、あの女の子にこの辺りのこと一言も言ってないんだけどさ。
というか、このことは友達にも父方の親戚にもほとんど話してない。
何度も何度も、バラすぞと言われて脅された。
仲の良い友達は他のクラスにたくさんいた。だけど、いじめは、友達のいないところで受けていた。
母親がいないせいで(もちろんいじめる側が悪いのだけれど)いじめられてるってバレたくなかった。
相談しても「お母さんがいないからだね」なんて言われるはずがないことぐらい分かっていた。
だけど、どうしてだか分からないけれど、誰にも相談できなかった。
ーーーーーーーーーー
私は知っていた。
いじめてきたその女の子の両親は離婚していて、その子にはお父さんがいないことを。
私が母から聞いたように、きっと、あの女の子も誰かから人づてに、私の家庭環境について知ったのだろう。
不思議と、「相手の身の上をばらしてやろう」とは思わなかった。
結局、ばらすことはしなかった。
きっと、あの女の子は、私が何も知らないとでも思っていたのだろう。
あの時はそう思っていた。
離婚していても、離れ離れになっている親や兄弟と会うことのできている、私の環境がうらやましかったのだろうか?
そんな風に思ったのは、随分後になってからのことだった。
だけど
いじめられる側にも原因がある、という人たちへ。
声が汚いから。
本人がどうにか努力して、変えられることですか?
足が遅いから。
もし百万歩譲って、本人に原因があるとしても、いじめていい理由にはなりませんよね?
伝わりましたか?
いじめって。
それでもまだ、いじめられる側に原因があるっておっしゃいますか??
それでは、見方を変えてみましょうか?
そういうの、身を滅ぼしますよ?
例えましょう。
「〇〇って部署のアイツ、男のくせに男と付き合ってるらしいぜ。俺、先週見たんだよ。男と2人で手繋いでデパートに入っていくの。アイツと同じ部署になりたくねーわ。気持ちわりーww」
あなたがそれを笑いながら話している相手、同性愛者かもしれないって考えたことありますか?
その会話を黙って聞いている、遠くのデスクのあなたの上司、同性愛者だったらどうしますか?
両性愛者かもしれませんよ??
あなたの印象悪くなりませんか?
え?????
ちょっと待って。
だってそれ、取引先の会社の人と飲み会したりしてるときに、酒に酔ってポロっと口走っちゃうかもしれませんよ?
言っていいことと悪いことが分からない人だと思われるかもしれませんよ?
働いている時はダメ?
プライベートな付き合いだったらいい?
あ、絶対違うって?
お気づきでしょうか?
あなたの恋人も、両性愛者であることをあなたに言えないまま、あなたと付き合っているのかもしれないですよ。
いい加減、差別する人間の方がマイノリティな世の中になりつつあるって気づけよ?
※セクシュアルマジョリティ&いじめっ子&差別主義者の読者が前提みたいな書き方をしてしまって申し訳ないです。読者の大部分の方々は、私がこんなに熱弁せずとも、お分りいただけると思っています(これも一種の偏見なのかもしれませんが)。もうこんなにひどい差別はなくなって欲しいです。
話が逸れました。熱くなりすぎましたね。続けます。
ーーーーーーーーーー
中学2年の時、クラス替えでその女の子とは別のクラスになった。
中学3年になった。
クラスメイトの男の子がいじめられていて、クラス中で大問題になった。
聞いた話だと、わざわざ見張り要員まで用意した上で、ターゲットにされたクラスメイトに対して暴力をふるったそうだ。
この件にあの女の子は無関係だけど、いじめをより一層のトラウマにした。
そう思った私は、合格圏内だった地区二番手の進学校(いじめてた女の子はそこに進学した)を受験するのをやめ、いじめっ子全員とは別の高校に進学した。
やっと自由になれた。そう思った。実際、その通りだった。
好きなことを好きなだけ勉強できた。
幸せだった。
旧帝とか早慶上理とかではないけれど、行きたかった大学にも合格できた。
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後日談として。
ここから先はほとんど独り言&愚痴みたいなものですので、読みたくない方は読まなくても結構です。
ちなみに、先にお断りしておきますが、お互いに謝って仲直りの握手をしてハッピーエンド!!めでたく仲直り!!みたいな展開は一欠片もございません。
そもそも、直す仲もございませんし。
まあ、高校が離れていたけれど、相変わらず同じ地区に住んでいたし、買い物したりしてると遭遇してしまうんですよね。
しかも私がよく行く店でアルバイトを始めたから、嫌でも会ってしまうことに。
途中で辞めたんだかシフトを減らしたのか知らないけど、そういやいつの間にか見かけなくなった。
それと、私が勉強に部活に忙しくなって、あんまり学校以外の場所に出没しなくなったせいだと思うけど、街でも会うことはなくなった。
次に再会してしまったのは、高校3年生の暮れにあった、大学入試センター試験の模擬テストのときだった。
大学のキャンパスとか、センター試験が実際に行われる会場を借りて行われるテストで、休憩時間?に遭遇してしまった。
私の名前を呼び、話しかけてきたが、挨拶をしたぐらいでほとんど話さなかった(気がする)。
遭遇したことは覚えているが、多分この頃には、記憶に残すのも勿体無いほど、どうでもいい存在になっていたんだと思う。
ここまでの記憶で終わっていれば、ああ、そんな控えめに言っても人間の風上にも置けない最低な人いたなーぐらいの存在の枠に収まっていたかもしれない(じゅうぶんすぎるほどのインパクトはあるし、自分でもひどいことを言っているとは思うが)。
控えめに言う。
お前、どのツラ下げて友達名乗ろうとしてんの?
勘違いも甚だしいよね。
しかも付随して来たメッセージに音符(♪だったかな?)ついてたし。
そしたら、何年か経った後で、また別のSNSで友達申請が来ました。
このSNSはメッセージつけられないから、友達リクエストが届きましたって通知が来ただけだけど。
あんなにひどいことをしておいて、
自覚ないんだね。
遺憾です。もちろん今回は即ブロ。
友達のお父さんが「みんな預けたくないって言ってる」って言ってたよ。
みんなって誰だか知らないけど。
今、友達のお父さんって言ったけど、実は私も同じこと思ってるよ。
そうこう言ってるうちに、幼稚園お辞めになられたそうですね。
かぶっている猫が足りなくなったんですかね。
知らないけど。
多分、私も相当ひどいこと言ってるね。
一言だけ。
しないと思うけど、もし、この歳になっても、また前と同じことをするのなら、その時はもう容赦しないよ。
高校は私も納得できないことが多かった。
「高校は、好きで来てるんだろ、おとなしくしておかないとご褒美をとりあげるぞ。」←わからない。(小学校のときこういうひどい先生にあたったことがある人は異論があるとおもいますが、公立はめったにいないとおもう。とにかく自分とこの場合こういう感じだった。)
もしお子さんにテニスをやらせてもらえないことなどによる鬱症状か、
または強いこだわり、眠気がでていたら2か月くらいいやがっていても医者にかからせて診断書をとる。
担任の先生のおかしな点について、また対処、今後の処遇についてまともに「相談する」気が出てくると思う。
うつ病は命にかかわる病気だということも社会的に認知されてきた。
子供は自分で医者にかかろうなどということは全くできない。親がいうまでシャツの裾が外に出ていることさえわからない。
自分の健康状態は未成年には全く判断できないし手続きもやれないので、
「発達障害/鬱と親がレッテルを張ってしまっては将来が・・」とかいう妙な遠慮はしないほうが逆に将来のためにもよい。
卒業までまともなクラス替えはしてもらえず(文転さえ禁止された)、
テストだけ机にしがみつくように受けて40点以上をとり、
大学になってからようやく本当に勉強が好きだった自分をとりもどしつつある。
それを3年間手をこまねいてみていると本当にダメになってしまうので、行動してください。
自分は遅すぎたとおもいながらできるだけのことをやった、不幸中の幸いルートだったとおもっている。
中学一年のときに性的なネタでからかわれていた(?)ことがすごく嫌だった話。無意味に長い。
私をからかっていたのは主に同じクラスの二人の男子だった。私は兄とその男友達に囲まれて育ったからか中学くらいまでは女子より男子のノリのほうが性に合っていて、休み時間もその男子とはよく話をしていた。私をからかっていた二人は小学校からの知り合いで、中一でもラノベを貸し借りするような仲だったし関係は悪くなかったはずだから、あちらからしたらよくしゃべる相手をからかっていただけだったんだろう。
中一と言えば男子は性に目覚め始める時期、というか、小学校までのうんこ、ちんこみたいな可愛げのある下ネタからSEX、オナニーみたいなちょっと生々しい下ネタにステップアップする時期で、私のまわりの男子も例外ではなかった。女子は中一くらいではまだそういう下ネタに興味を持つ人は少なくて、男子に下ネタをふられても理解できない、もしくは下ネタであることを察して嫌悪感を示すことがほとんどだった。でもそんな中で私は当時、男子にとっては女子の中で数少ない「下ネタが通じる相手」だった。というのもそのころ私はオタクになった影響でネットサーフィンを趣味としていて、流れ着いた掲示板やまとめサイトに貼ってある18禁男性向けエロ同人やAVのキャプチャ画像なんかを毎日のように見ていてそういう知識が身についたからだが(ここにはツッコまないでほしい)、今思えばたぶん男子にふられた下ネタにノッてしまったのが発端になったのだろう、下ネタが通じる女子=エロい女、みたいな扱いを受けて、いつの間にか下ネタ、というか性的なネタでからかわれるようになった。言われた内容ではっきり覚えているものをあげてみると、
・オナニーしてんの?
・バイブ入れてんだろ
・兄貴とSEXしてんの? (私には兄がいるしまわりもそれは知っていた)
・お前の父ちゃん、単身赴任先で女作って毎日SEXしてるかもよ
・お前の父ちゃん、家族に隠れてAVでも出てんじゃねえの? (当時父親は遠方へ単身赴任中だった)
といった感じ。全部一回や二回じゃなくて、結構な期間にわたって言われ続けた。なぜ家族にまで飛び火したかは正直全くわからない。本当に。二人の男子は確実に私の父親とは面識がなかったし、たぶん単にからかいのネタを増やしたかっただけだと思うけど。私と家族の名誉のために言っておくが、これらは全て事実無根の言いがかりだ。
で、私はこのからかわれ方が本当に嫌だった。私はただそういう下ネタを知っていただけでそれを自ら実行することに何の興味も抱いていなかったし、自分や家族に関して性的なことを言われるのは苦痛で嫌悪感しか感じなかった。でもやめさせ方がわからなくて、からかいに対して強く出ることもできなくて、笑いながら「ちげーし、やめろよwww」って返すぐらいしかできなかった。もちろんそんなことしても「図星だろwww」とか言われて更にからかわれるだけなのだけど。特に「バイブ入れてんだろ」と言われ始めてからは、どんな反応を返そうとしても「今バイブ鳴っちゃった?ww」「感じちゃってんの?ww」と畳みかけられてどうしようもなかった。このころにはその二人の男子は私のことを「痴女」呼ばわりしていた。わりとデカい声で。
本当にやめさせたいなら先生に相談するのが筋だったのかもしれないけど、担任の先生は私たちの母親よりちょっと若いくらいのおっとりした女の先生で、悪い人ではないけどとても相談できる相手ではなかった。いちど冗談のようなノリで「せんせー、あいつらが私のこと変なあだ名(痴女呼びのこと)で呼んでくるー!!」って言ったことがあったけど、まあただの戯れだと思われた。当たり前だ。母親含め家族にはもっと言えなかった。そもそも「エロいことしてるんだろって男子にからかわれてる」って他人に相談するなんて屈辱と恥ずかしさで絶対にできなかったし、今でもこの話は他人にはできない。増田には匿名だから書き込めているけど。
いつこのからかいが終わったのかはよく覚えていない。中二に上がるクラス替えでクラスが離れるよりも前に終わっていたような気もする。私をからかっていた二人とは高校が離れてからは一回も関わっていないし連絡を取るような相手でもないし取る気もないし、向こうはたぶんこんなことがあったことも覚えていないだろう。覚えていないほうが嬉しい。
この体験と関係があるかはわからないけど、私は自分や自分に直接関係のある人間に関する性的な話がすごく苦手で、そういう話題には胃がむかむかするような本能的な嫌悪感を覚える。これは高校くらいで自覚した。自分と全く関係のない人間が出演しているAVとか2Dのエロ同人とかは平気だけど、あの人がかっこいいから付き合いたいとかあの子の体がエロいみたいな話は嫌い。自分に関するものは特に。18になった今でも自慰も性行為もしたことがないししようと思わないし、友人の初体験の話を聞くのもしんどかった。他人が肌を露出しているのも男女問わず苦手で直視したくない。高校の水泳、特に着替えの時間は地獄だった。そんな感じなので、エロい女とか痴女とか言われるのはマジで心外だ。
こうして文字にして書いてみると完全に私の対応の仕方が悪いような気がしてくるし実際にそうだろうけど、まあとにかく当時は本当に嫌で真剣に悩んでいたし今でもときどき思い出して嫌な気持ちになる。別に謝罪がほしいわけでも何かを訴えたいわけでもないけど、整理のために何となく増田に書き込んでみた。
小学校、あんまり楽しくなかった。別に虐められてたわけではないんだけど。
みんなで国語の教科書順番に音読して(これ時間の無駄感ハンパない)授業は教科書読めば分かるような内容を延々引き伸ばしたような内容でさ。家庭科の調理実習とか理科の実験は楽しかったけど。
クラス替えの度にドキドキして、私はいつもみんなに敬遠されるようなちょっと気の強い女の子に好かれてその子に執着されて、自分から他の子と仲良くなる力も無いからあんまり好きじゃないその子といつも一緒にいた。ひとりぼっちより全然良いけど。
特にやりたいことないなら就職しといた方がいいよ。あとから軌道修正がききやすい。
自分も売り手市場って言われた年になかなか内定出なくて死にたかったけどなんとか中小(ホワイト)潜り込んで、いまはまた別のちょっと給料いい会社で普通に生きてる。
思うに大手志向だけど大手に採用されにくい人(実学専攻じゃない人ね)って、能力じゃなくて気質があってないんだと思うんだよ。
仮に採用されても多分辛い。
増田は多分クラス替えや入学式が楽しみで楽しみで仕方がないタイプではなかろう。
そういう人は新入社員2人〜3人くらいなところで地味にやっていくのが結局一番楽しかったりするんだけど、
大手が最良、中小は負け組と思ってる就活生はそれがわからない(しかたない、働いたことないんだから)から大手には自分の本質と外れたPRをし、中小にも大手向けに作った上っ面自己PRを開陳して自滅する。
世の中を斜めに見てるやつが欲しい会社、
サークル活動もバイトもしてないぼっちでも一人で単位揃えて卒業できる地味な確実さ、単調な毎日をこなせる人が欲しい会社、
ネットで広報したいけど誰もわからないからネットに詳しい人が欲しい会社、
中小は一括大量採用の大手と違って、社長や現場の好みだったり職場の空気に合うかどうか、その時の会社の状況ってものがかなり重要視される。
会社の数だけ欲しい人間のタイプはあるんだから、卑屈さを捨てて、雇っていただける会社を探すんじゃなくて、自分が無理せずやっていけそうな、無理しなくてもそこで存在していて大丈夫な会社を探すために数を打て。
そしてそのためには自分を飾り立てたりとりつくろったりするのではなく、自分を説明する自己PRをしろ。
多分増田が一次全く通らないのは、ESで期待したのと違う人間が来たからだ。
ESには自分の説明を書いて、その通りの自分を持って面接にいけ。
どこかに増田みたいな人を欲してる奇特な社長さんがいるはずだ。
ちなみにしばらく社会人やってると説明書はどんどん書き換わっていくので、一生働ける会社は探さなくていい。あくまでしばらくやっていけそうな会社なら大丈夫。
あー、かったるい。。。。
来月のクラス替え。。。
マナト君と一緒のクラスになれたら良いけど、まさに宝くじやね。
思えば辛かった1年間
ウェーイ系に愛想を使い
このさじ加減に365日神経を使ってきた。。
それがまた1からだよ。。
なんなんだよこのシステム。。。
文化部だと舐められるから運動部に入るもそこで舐められたりね。。。
あー、かったるいの極みあああああああああ!!!!!
それもこれも私に度胸や芯がないからなんだけどね
それはそれで良いんだか悪いんだか・・・
・・・っていうの思いもできない私。
気を使う相手すらいない
親からは見放され
あーあ、ウエーイ系に愛想笑いしてみたいな。
あーあ、テスト勉強、してみたいな
所詮ないものねだり、あったらあったでやはりうざいのだろうけど
私はオタクだ
小さい頃から絵を描くのが好きだったし今も描いてるし、
でも、オタクが嫌いだ
私はおおっぴらにオタクです!と公言した事がないけど、まったく喋らないわけでもなく、わかる人にはオタクだと思われてるんだろうなという生活を送っている
今高校生だけどクラスに居るラブ●イバー、アニメオタク、そのオタクと喋る女オタクが本当に気持ち悪い
最近ラ●ライバーが至る所でオタ芸をし始めた辺りでほんとに無理になった
文化祭でのステージ発表では時間制限がある中で、クラスの人には内緒でオタクコール(よく分からなかったけど推しと自分の自己紹介と何かのコール?)をして時間を押したり
もうやりたい放題だ
地蔵(?)のオタクが多くて嫌になると言っているけど地蔵の方がおめーの1000倍マシだわ
私はオタクは忌み嫌われるものだと思っているし気持ち悪いと自覚しながら過ごしているのでもう吐きそう
クラス替えでいなくなってほしいけど固まると急にうるさくなるアニオタがクラスに10人はいるので無理そうだ
1P1コマ目。
スマホを落としてないことが吉田さんにバレてしまっているが、大丈夫だろうか。
1P2コマ目。
雌猫グループはお揃いの耳をつけてるのに、うっちーはもこっちとお揃いの耳……
そしてこのコマ割り、もうさ谷川ニコ漫画うまいね、漫画上手だね。
あと、このグループのみんなはもこっちとうっちーのことをどう解釈してるんだろう、肉焼いたところとか、クラス替えで駄々こねるところとか。
このLINEの話はまだ続きそうだ。
小さいけど、みんなパレード見てるのに、うっちーだけもこっちを見てる。
うーん、これは純愛。
3P。
うっちーがまこのことをまこっちと呼ぶのは初めてかな?
まこの顔が広いよね、ねもとも親しげだったし。
必然的に、ねもくろの写真をとってるのは、うっちーなんだよな。
あだ名呼びの時に後ろできもいきもい言ってたぐらいだから、あんなハートマーク作ってたら、うっちーの歯ぎしり止まらないんじゃ?
そうえば、ねもとうっちーはモノマネの回で会話してたけど、実はねもはうっちーの恋心に気づいていて、うっちーにもこっちのエロいアングルからの写真を撮らせてあげるため…… とかは、さすがに飛躍が過ぎるか。
10P。
ゆりまこだけトイレ行って、うっちーはもこっちにべったりでもいいし、
今の所、くろねも吉田と三人づつに別れる理由もイマイチ思いつかない。
うっちーが切れる、
まこが喪127でうっちーが言っていた「好きな人いる」の意味に気づく
みたいな?
家庭が不安定で、父は何か気に触ることがあると、声を荒げ、物に当たり散らす人だった。
母は子どもたちを守っては白い肌にアザを作っていた。
そんな家庭で育った私は妙に達観した子供で、大人におもねるのがうまく、空気を読むのが得意だった。
家庭では自然と自分が調整役を担い、何でもない風に明るく振る舞うようになった。
小中学校では同年代の子との付き合いに苦手意識がありつつも、部活の部長も任されたし、友達とはなんとなく合わせてうまく付き合ってきた。
(同級生女子の好む話題に乗れないのと、女子のねっちょりした付き合いが苦痛だった。)
そうやって家でも学校でもいい子の仮面を付けてうまくやってきていたのに、次第に身体の方が拒否し始めた。
大きな物音や男の先生の大きな声を聞くと、震えが止まらなくなった。
次第に朝、息が詰まって動けなくなり、無理やり足を一歩踏み出すたびに涙が出た。
もう無理だった。
当時、たった1年間だけスクールカウンセラーを配置しようという試みが私を救った。
カウンセラーの先生は「とりあえず休もうか」と休学を提案してくれた。
行きたくなったらもう一回1年生したらいいんだよ、フリースクールだってあるし、大検受けたら大学にも行けるよ、と。
「このままだとこの子は死にますよ」と母を説得してくれ、私は1年間の休養を与えてもらった。
そして、母もまた父を説得してくれたのだと思う。
1週間に1回、カウンセラーが来る水曜日には登校して面談する以外は、ひたすら寝て、ひたすら本やマンガを読みまくった。
働く母に代わって家事をしたり、一日本屋や図書館で過ごしたりもした。
誰も何も言わなかった。そっとしておいてくれたことに感謝している。
あるとき、学校に行ってみようかな、行けるんじゃないかなってふと思い、次の春から二回目の1年生に挑戦した。
精神的に不安定になることも多かったが、たくさんの先生の助けや、理解ある友人を得て、休みがちながらも卒業することができた。
大学でもカウンセリングを利用して、自分を噛み砕いて受け入れコントロールする術を身に着けていった。
今では死にたくなることも、精神的に揺らぐこともない。
大人になれないと思い込んでいた、あの頃には信じられない。
一度止まってしまったらなかなか戻れないのが日本の学校制度であり、高校をドロップアウトした者が休学留年してまで、やり直すケースはあまりないと思う。
希死念慮は自覚していなかったが、ここで止まってしまったらもう将来は無いのだから自分は死なないといけないなと漠然と思っていた。
カウンセラーの先生はその絶望をすくい取って「ちょっと休んで、力をためて、それから次に進んだらいいんだよ」って言ってくれた。
この逃げは、将来のことを何も考えていない、その場限りの無責任な勧めだとあなたは言えますか?
追記
「安易に逃げろなんて言うな」って流れにちょっと意見したくて書いてしまった。
もちろん、復学は容易ではなかったし、たった一年で容易に自分が変えられたわけではない。
復学初日の自己紹介で「留年して二回目の一年生です」ってさっさとカミングアウトしたら、周りに無駄に人が寄ってこなくて楽だったのは作戦勝ち。
クラス替え初日、仲良く慣れそうな人を見極めババっと磁石がくっつくみたいに、グループ作る流れが苦手だったので。
女子は初めての昼休みに誰とお弁当食べるかがその先を決定するんだよね。
1年の休学という区切りがあったのも良かったと思う。
母も先生たちも一年休学したところで、そのままドロップアウトして引きこもりコースかなって思ってたと思う。
何よりも自分が一番状況を打開しないと、という焦りがあったけど、区切りがなかったら外に出るのが怖くなって惰性で引きこもっていただろう。
逃げる、休む、戦略的撤退でもなんでも、それは一時的なもので、元に戻る道、別の道を選んでいかないといけないことには変わらない。
少しずつでも挑戦して、自信をつけていくことが大事で、あまりに長い休養はかえって毒になると思っている。
とにかく私は周りの人に恵まれていたのだけは確か。
でも、自分でも心の許せる人を周りに集めて、自分の居心地の良い環境を作るのが大事だと思う。
優しい言葉をかけてくれる人ではなくて、ときに叱ったり発破をかけてくれる人。
ちなみに父自身も癇癪を抑えられない自分が嫌だったのか、少しずつコントロールできるようになり、力も衰えた今ではすっかりおとなしくなった。
私も父を客観的に見れるようになって、距離を保ってうまく付き合えるようになった。
昔のことは許せないけど、父を受け入れることは私の成長の一部となったと思う。