はてなキーワード: オリジナリティとは
そして、すごく地味にイク体質だった。
男が不意な刺激でドピュって出ちゃうみたいに、ふとした瞬間に。
「あ、ごめん。いっちゃった。今はもう感じないからちょっとストップ。」
みたいな感じだった。
いった後は賢者モードだった。
基本的に、男と一緒で日によってバラバラ。
感じやすい日もあれば感じにくい日も、荒々しくしたい日もあればやさしくされたい日も、なかなかイけない日も不意にいっちゃう日も。
中途半端に終わるのは嫌いだったように思う。
前戯だけして終わりにすると、(もちろん俺もおさまりがつかなくて苦しいが)すごく恨めしそうだった。
忙しい日が多くて、俺が逝かずに、相手だけ逝かせて終わったときはさびしそうな顔をしてた。
だから寸止め生殺しプレイとかも、挿入してる最中に背中をドンドン叩いて怒り出した。
またパクリ騒動があったみたいだ。ニコ動でランキングに上がってたボカロ曲が削除されてた。
その動画に、たくさんのコメントが寄せられてた。トレスを糾弾していたり騒動を見に来ただけの野次馬らしきコメントが書き込まれていた。
ゆのみPの時もラノベで大々的なパクリがバレた時も、炎上したサイトには似たようなコメントが飛び交っていた。カトゥーンの曲もPixivなんかでもおんなじだった。
似せているから責められる。意図的であるとしか思えないから追い詰められる。
過ちは正されるべきなんだろう。創作物とオリジナリティを冒涜するような行為は少なくなるに越したことはないのだと思う。
でも、はっきり言ってとんでもなく怖い。加熱し暴走しかけた正義とか糾弾とか、目を背けたくなるくらいに醜く見えてしまう。
たしかに良くないことだとは思うけれど、それを是正するための機能として炎上がフィードバックされるというのなら、その機能は行き過ぎてる。
炎上の元となる発信者が良くないのは分かるけれど、だからと言って際限なしに直接的に攻勢に出られてしまうというのは無法的にも程がある気がする。
追求してはならないなんて言いたいわけじゃない。悪いことにはそれなりの処罰がくだされるべきであるという考えには賛成する。
でも、その悪いことと処罰との間に格差が生じすぎていると思う。一言で言えばやり過ぎな気がする。
一連の出来事はそれほどまでに向こう見ずな正義が集中しなければならない事柄なんだろうかと疑問とともに可哀想にさえなってしまう、
もちろん、発覚した悪いことと処罰との適合性に関して判断の基準は人それぞれなんだと思う。僕が行き過ぎだと思うことさえ、誰かにとっては手ぬるいと感じることだってある。
だからこそ、一定の基準を設けるべきなんだ。節度を持ってネットを利用するべきなんだ。
価値基準が混沌としているネット社会に節度なんて不適合な概念なのかもしれないけれど、暴走する正義だけはどこかで抑えなきゃならない。
一つ一つのコメントにはなんら力がなかったとしても、数は暴力となり得るのだ、自己防衛だけはなく誰かがクッションになる必要がある。
……
とか何とか書いてみたけど、現状無理だよなあ。自由であることがネットの特性であり、匿名の利点であるんだから。
ただ、発言する自由は保証されるべきだと思うけれど、発言を押し付ける自由は制限されるべきなんじゃないかな。
でも結局自分が心地良く利用したいだけなんだよなこれって。誰かの心地良さを犠牲にしてまで得るべきものでもない気がしてきたし。
どんなことでもそうだな。現状に何か気になる改良点を見出すのに、それを変えることによる利害の判断がはっきりしなくて現状維持に落ち着いてしまう。
全部そうだ。考えることが苦手なんだろうな。思考放棄。そもそも考えてもないし。感じたことを列挙していって、それで行き詰ってハイおしまいなんだもんな。
駄目だこりゃ。
ウィキペディアで「空気系」を調べるとあまりの罵倒しっぷりに驚いた。
しかも「けいおん!」「らき☆すた」に限定したかのような書き方。
が、「『セカイ系』では主人公とヒロインが「引き裂かれる」ことにリアリティを見出すのに対し、『空気系』は「引き裂かれることのない」日常空間にリアリティを見出すものとして対比されることもある」という記述はおもしろかった。
しかし、うーん、と思って、そしていろいろ考えた。
本来、「君と僕の関係」に「世の中の流れ」が影響を与える「大河」を逆転させた「セカイ系」。
次に進む物語類型はどんなものになるだろうか?
ハルヒのように、いろいろな構造を抽出して配置するのではオリジナリティがない。
「セカイ系」から物語性を抜いてキャラを立たせたのが「空気系」なら、その逆でキャラクターを抜いて物語だけにするとどうなるだろう。
マンガであれば登場人物は全員黒子。
黒子だけが、セカイの滅亡について語り合って命を張る。
マンガであればおもしろそう、というか芸術性がでてきそうだが、小説にするとなると難しそうだ。
純文学ならありかもしれないけど。
名づけるなら「別セカイ系」とかだろうか。
それならばもう少し時代をさかのぼって、王道の物語をひっくり返してみる。
これを逆転させるなら、勝敗が善悪を規定する「勝てば官軍」類型になる。
それぞれの正義がそれぞれの立場で戦うのではなく、「勧善懲悪」よろしく圧倒的兵力でまず勝って、その後に戦に至った説明がある、という形だろう。
逆にするならパニックが起きて災害が起きる「お祭りで将棋倒し物」だろう。
「空気系」の様相からの展開で、パニックの収拾までは描かない。
かなり刺激的な作風になりそうだ。
冒険への動機は語られるが、冒険したいから冒険しているのが実際であるため逆転が難しい。
しかし、あえて風刺するなら、冒険するまでもない動機があって、それを達成するためにちょこっと冒険するパターンだろう。
これはその実「空気系」にならざるを得ない。
そう考えるほど、「空気系」は何もないがゆえに、物語類型の頂点にたっているようにも見える。
他の類型は様々な色を見せるが「空気系」だけはまさに空気、白である。
DAWを使って市販の音質レベルの曲を作ることは出来るのだが、全然利益に繋がらない。
『初音ミク』に関しては全然聴いたことがないのだが、儲かるらしいので、僕も参入してみたいとは思う。
ただ、初音ミクの魅力って何なのだろう?
それがどうにも掴みにくい。十代で初音ミクの世界にどっぷり浸っている人なら、
初音ミクの音楽の魅力や趣向なども把握していると思うのだが、僕はロック系しか聴かない。
おそらく、初音ミクに自分の曲を歌わせても、『初音ミク』らしさは失われてしまうだろう。
ポップスの、キラキラしたような感じの曲を歌わせれば良いのだろうか。
まあ小説に限らず、創作全般に言えることだと思うけれど、よくたくさんの作品に触れて親しめって言われる。
たくさんの種類の描き方、構成を捉えて、自らの糧にしろとか何とか。
個人的に、あれってすごくスパルタな教え方であるように思う。
だって、たくさんの創作物に触れてしまうと、いざ自分が作り出すときにその亡霊がちらつくんだもの。
加えて今は何かとオリジナリティを求められている時代ときている。
既存作品と似ているところがあれば、それはすぐにマイナス点になってしまう。
だから少しでも亡霊を追い払おうとアイデアを考えるのだけれど、たくさん創作物に触れていればいるほど困難になっていく。
コンテンツの価値は内容にあり、その内容を作り出すには、金がかかる。
価値のあるコンテンツを自社製作したり、外注で下請けに製作させるという事は、コスト的に成立しない。
社命で従事するアマチュアや、はした金で作られるコンテンツに、訴求力は無い。
また、木戸商売である旧来のメディアビジネスの手法も、通用しない。
インターネット上での競争は、同時性だけでなく、過去に蓄積された全てのデータとの競争でもあり、クリエイターの実存以外に、本当の意味でのオリジナリティは存在し得ないのである。
コンテンツを作るのは、高価なPCでも高価なソフトウェアでもない。生身の人間であり、それらの道具を使いこなせる能力は無いよりはあったほうが良いが、それだけでコンテンツを作れるわけではないという事である。
[2010.9.24]
あー,うん,まあ,とりあえず心がけはしましょう。
でも,そんな速攻で人柄が変わるもんではないってことは,知っておいてもらいたいな。
丁寧に叱るってのは,ガツンと叱るより性質が悪いことがあるんだ。後を引くという意味でね。
時間がかかる,と言い換えてもいいかもしれない。
丁寧に語って解る人にはそうするほうがいいだろうし,そうじゃないこともある。
丁寧語の湾曲表現って,えげつないんだよ。あんまり叱るときに丁寧語を使いたくないのはそういう点もある。
ガツンと言うよりも酷い表現ができてしまうんだ。
馬鹿野郎,てめえなに言ってんだコラ!,頭冷やして来い! と怒鳴るか,
少し調子が悪いようですので,外の空気でも吸って出直してみては如何でしょうか? と下から言うか。
前者は,言葉は酷いが単純だ。文字通り頭冷やして来いってこと。顔でも洗って出直して来い,ってのもある。
が,後者はどうだろう。どこの調子が悪いんだろう? ・・・頭の調子だよね。意味がわかってからじわりとくる。
俺のルーツに土建屋時代があるからかもしれんのですが,丁寧語表現で叱るというのはとてもイメージしにくい。
例示したように一歩間違うととんでもないことになるわけで。
特徴的なお顔ですから人に覚えられやすくて羨ましいなあ。それに言葉の端々からオリジナリティあふれるセンスが垣間見えます。さぞお勉強なさったのでしょうねえ。
むかつきますね。
丁寧語だから何?っていう感覚はそう簡単には抜けそうにありませんが,まあ,ですます調を心がけるくらいはしましょう。
少なくとも生島相手に相応の期間丁寧に事実ベースで誤りを指摘して無駄に終わった結果,感情に訴える手法を選択した経験があるので,また無駄に終わらない事を祈ります。
さて、
膨大に仕事が溜まっているが、
やっぱり書くことはやめられない。
いつ死ぬかわからないので、
記録しておく。
これってさあ、基本的にどっちかっていうと、
あんまりイイって感じじゃないよね。
だけど僕にとってはマジ基本的な思想で、
成長するにはもってこいのこと。
たとえば、すごい人がいると、
僕とどう違うのかを考える。
読んでる本、習慣などなど
あと、話し方とかから、ざっくりとした考え方や思想、
行動様式などを考える。
何が成功要因で、何がその人間を突き動かす要因になっているのかを常に考える。
で、今なにやってて、これからどうしたいのかを考える。
ってな感じで、ぼくと比較する。
この人に追いつくにはどうすればいいのかなー。
いまこの人は○○歳だから、あと○○年後には、
僕はこの人のレベルにたどりついていないとな。
○○やって、○○と○○を○○くらいやらないとだめだな。
とりあえず○○しよう!
ってな感じでざっくりとした筋道ができる。
これを何十人もやってると、
重複してくるところがいっぱい出てくるので、
それのプライオリティーを高く設定し、リソースを集中していく。
ってなことをやる。
ここで大切なことは、
修正条件として、時代のちがい、生まれた環境育った環境の違い、
思想信条のちがい、方向性の違いなどをちゃんと考慮しておくことだ。
全て負けているからといって、その人の模倣に尽力してちゃダメ。
オリジナリティがなくなるし、そんなんじゃうまくいかないからね。
あの人には勝っているとか、この人には負けているとか、
ただ常に成長したいと考えているだけだ。
これらをちょこっと抽象度を高めると、
一気に収斂し、凝縮しオリジナリティを加味し、質を高める。
やってみてあわんかったら、原因を把握し、修正するか破棄するか考える。
良かったらα版にして、完全に組み込む。
その過程でも常に改善、修正、調整は行われるよ。
人は不完全な生き物で、完全な把握もできないし、完全な方向性すらわからないからね。
つまり、人というものは矛盾した生き物であって、
だんだんとストックもされ熟成していって個人のその時期の意思とか判断が生じる。
だからね、複雑でいろいろだから変わるのは当然。
でも、たった一つの原理原則、ポリシーはあんま変えちゃいかんけど。
まあそれも20代では抽象的でいいと思う。
まだ社会のことをそんなにわかっとらんからね。
僕も今は適当に日々修正しながら、インプットアウトプットを繰り返している。
その中で今までのものとは全く異なった属性のモノを手に入れることが在る。
これはけっこううれしい。
レベルアップの源泉になる可能性が秘めているからだ。
けっこうあぶないものもあるけど、その辺は臨機応変に対処すること。
だからね、まずはベータ版で導入することが大切。
ってな感じで、生きていく。
んでもって時間ができると、
哲学者、政治家、文学者、慈善家、科学者、企業家、文明学・人類学者…
たんまりといるわけでかなり勉強になる。
一度、3年くらい集中して勉強したいが
日々のタスクを考えるとまあ無理だろう。
僕の頭の中はほとんど仮説で構成されている。
それを実証したいと思うが、
そのためにはかなりのリソースが必要なので
現実的でない。
よって、これをやったら大体の仮説に、ある一定以上の確実性を
与えることができる、というようにもっていこうと考えている。
いま渋谷にいるのです。
おわり☆
基本ポイント押さえれば誰でもお店の味に。本当に基本のみ。
1.ちゃんと皮をむけ
切り子でも塊の奴でもちゃんと皮を細かくして混ざりやすくすること。
んでもって軽くボウルで混ぜてペースト状にすること。
2.味付けはしろ
醤油でも白だしでもかまわんけど、明太子の味だけでは単調かつ量が多く必要になり財布に優しくない。
個人的には醤油、白だし、料理酒、マヨネーズを上のペーストに加える。茹でるときの塩も忘れずに。
3.バターをすぐに和える
ゆであがったらお湯を切ってすぐバターを和えろ。こうすれば風味も際立つしよく混ざる。
麺も固まらなくなるので次の日弁当とかに入れるのにも良い。
4.のりは彩りに非ず
のりは彩りじゃない。大量に入れる必要はないがなるべく細く切って全体に混ぜろ。
のりと明太子の風味はよく合う。
5.オリジナリティは出すな。
パスタ系全般にいえることだけどあんまり色々いれると大抵失敗する。
ttp://www.ideaxidea.com/archives/2009/03/how_freshnessburger_was_built.html
# 「オリジナリティ」は半分の人に嫌われること
一番ぐっと来た言葉。ソニーの人も「あえてアンチソニーを作っている」と言っていたような。全員を満足させるより、自分が思い描いた人に熱狂的にファンになってもらう。それが個性だと思っていますが、実にうまく表現されていますよね。
# イヤなやつと最初に仲良くなる
どの職場にいても必ずいる「イヤなやつ」とは最初に仲良くなること。とことん話して苦手意識をなくしておこう。毎日「あいつに話しかけられたらいやだな」と思いながら仕事をすることこそばかばかしいことはないのだ。
# 大事なのは「自分一人で決めること」
なにかを始めるときは自分一人で決めることが大事。みんなで新しいことについて決めようとするとうまくまとまらない。やりたいことがあったらまずは自分一人の力で始めてみよう。
フレッシュネスバーガーの人気商品、バナナケーキ。これが売れたのにはちょっとした仕掛けが。焼きたてのバナナケーキをさますために奥の事務所に持って行くのですが、そのときにわざと客の前を通っていくらしいです。よい香りがふわーっと広がるので「お、何?」「ひとつちょうだい!」とすぐに完売。プレゼンテーションは大事ですよね。
# 質問されていやな上司なんていない
知らないことは素直に聞こう。よく人に聞く人とそうでない人は1年もたてば大きく違ってくる。プライドが高くて質問がなかなかできない人もいるだろうが、あとで自分で調べよう、などと思わずにどんどん聞こう。質問を熱心にされていやがる上司はいないのですから。
でも同じ質問は2度しないように気をつけましょうね。
あるところに、Cという男がおりました。
A「そういえばこないだテレビで」
B「ああアレ? 面白かったよね」
C「お前らまだテレビなんか見てるの? 俺もうテレビとか何年も観て無いわ。家にあった奴もだいぶ前に捨てたし。毎日テレビ観て面白いか?」
A・B「……」
A「昨日ミュージックステーションに出てたあの人誰だっけ?」
B「ああ、なんだっけ? すごいいい歌だったけど」
C「お前らまだ邦楽なんか聴いてんの? Jポップとかいって、どれもみんなオリジナリティのない洋楽の劣化コピーばっかじゃん。うちにあるCDはだいたいヨーロッパの…」
A・B「……」
A「このステーキ屋おいしいらしいよ?」
B「ほんとだ、おいしそう。こんど食べに行く?」
C「お前らまだ肉なんか食ってるの? 俺ほとんどタンパク質は魚と豆しかとらねーわ。なんつーか、胃にくるんだよね、胃に。いいねえ、若い人はね」
A・B「……」
A「今週のジャンプ読んだ?」
B「読んだ読んだ。ワンピースがさ…」
C「お前らまだジャンプ読んでるの? あんなの子供向けだろ。俺はコミックビームとIKKIしか読まねえな。話の密度が違うよね、やっぱ」
A・B「……」
Cは、狼に食べられてしまいましたとさ。めでたしめでたし。
おはようございます。
もう2月ですね。
きわめて特殊な形式を持ったテストに立ち向かう上で、
僕が個人的に獲得していった「戦略」についてお話しできればと思います。
なお今回の話はあくまで、僕個人の経験から導出されたものですし、
ですからこれから東大を受験されるかたには限定的にしか役に立たないでしょうし、参考程度に聞いて下さい。
また、話していく中で、僕が他の先達たちから聞いた話をそのまま織り交ぜていくことが予想されます。
おそらくこういった話はすでに多くの方がされた類のものでしょう。
ただ僕は田夫野人にして『ドラゴン桜』すら未読なので、
僕自身のオリジナリティがあるのかどうかすらわかりません。
もし著作権等の問題に抵触する場合は、明示していただければ対処します。
さて、それでは本題に入っていきましょう。
第一に考えなければならないことは何でしょうか?
それは、各大問の性質を明らかにし、それにあった戦略を考え、
「解く順番」を明確にすることです。
和文要約と長文を含む第一問、英作文の第二問、リスニング第三問、英文和訳と文法問題の第四問、長文読解第五問(もちろん、年によって変動があります)。
それぞれの大問は、独自の設計思想に基づいて作られており、
これらを最初に分析した上で学習の指針をたてるのがベストでしょう。
私見では、東大英語で求められる英単語・熟語知識は3つに分けられます。
すなわち、「長文でつかうもの」「和訳でつかうもの」「英作文でつかうもの」の3つです。
これについてもおいおい説明していければと思いますが、
とにかく、5大問の分析と戦略策定が何よりも重要だと言っても過言ではありません。
また、その結果得られる「解く順番」も重要です。
ですから、各工程を適切な順番で適切な戦略の元に片付けていかなければ、
最後まで解ききることすら出来ません。
その意味で、東大英語は「ドラクエをいかに短時間・低経験値で全攻略するか(タイムアタック)」という「しばり」プレイにも似ています。
ここでは、僕のおすすめの「解く順番」を一つ挙げてみましょう。
それは、「後ろから解いていく」です。
つまりおおざっぱに言って、第五問(長文読解)→第四問(英文読解和訳→文法)→第三問(リスニング)→第二問(英作文)→第一問(長文→要約)のプランです。
「解く順番」を考える上で一番のボトルネックは、
やはり試験時間のまんなかに鎮座ましましている30分のリスニングでしょう。
ですからこれを中央にして、前半に読解系を、後半に作文系を入れてみました。
このプランにした理由や各大問の設計思想などもからめながら、もう少し細かく見てみましょう。
最初は、第五問……ではなく、リスニングの問題文の下読みから。これは当然ですね。
リスニングを解くのは真ん中ですが、第五問第四問がどう転ぶかはまだわからないので、
あとで下読みする時間が無くならないように、最初に読んでおきます。
そして読解系の第五問・第四問(の和訳)。
これらの1.5大問が問うているのは、「精読・読解できるか否か」でしょう。
それにしても、なぜこの二つを最初に置くのか。
それは、「ある程度時間と集中をかければリターンが大きい出題形式」だからです。
長文を精読して答えを詰めるのも、英文と格闘して解釈をひねり出すのも、
だからこういった粒の大きな作業は、余裕のある最初に入れておきたい。
2ちゃんねるのコピペで、「小さな砂をビンに最初に入れてしまうと、あとからでは大きな石は入らない(だから最初に石を入れよ)」というのがありますね。
それと同じです。
読解系を集中して解き終り点数を積んだら、リスニングに入る前に、
第四問(の文法)と、第二問(英作文)のメモ作りに参りましょう。
英作文、リスニング、文法の2.5大問が問うているのは「ロジカルな文脈復元力」ですが、
文法も、英作文のメモ作りも、「石」というよりは「砂」です。
リスニングの開始まではもう余裕がありません(もちろんリスニング中も)。
ですからここは「砂」を入れて、無駄なく(そしてリスニングへの弊害なく)進めていきましょう。
(ちなみに、「英作文はいきなり英文を書き出すのではなく、一度日本語でメモを作る」というのは常識ですよね?)
この文法とメモ作りを、余裕があればリスニング中の小休止にも行った方が良いですね。「リスニング中」!? そうです。
そんなことしたらリスニングがまともに聞き取れなくなるじゃないか! ……確かにそうです。
でも、そもそも東大英語のリスニングって、「まともに聞き取れ」るものでしょうか、帰国子女ですらない僕らが?
個人的には、「帰国子女じゃあるまいし、リスニングはまともに聞き取れない(そしてまともに聞き取れなくても点は取れる)」という戦略をお勧めしたいと思います。
聞き取るのは、断片だけで構いません。
「ディスコース・マーカー」などのテクニックに限らず、基礎的な文法知識や「教養」など、すなわち「文脈復元力」があれば、
かろうじて得た断片から選択肢を絞るのはそう難しいことではありません(東大英語リスニングはPolitically Correctですから)。
さて、こうしてリスニングを耐えしのいだあとは、文法問題を片付け英作文のメモを英訳しましょう。
そういえばさっき、単語・熟語には3分類ある、と言いました。
これは要するに、「今見ているこの単語が、いったい試験の何処でクリティカルに使われるものか常に意識して学習せよ」ということでもあります。
具体的には、たとえば英作文では、たとえ中学英語レベルでも、絶対にミスのないイディオムで無難な英文を生産する必要があります。
他方長文では、つっかえずに読むためには、「なんとなく意味が分かって読み流せる」単語が重要です。
和訳では、「微妙なニュアンスを原義にさかのぼって解釈する」ような単語も出てくるでしょう。
良い具体例が思いつきませんが、英作文のhave nothing to do with、長文でのsimultaneously、和訳でのdevelopなどですかね。
はい、英作文が書き終わりました。え、細かいテクニックは、って? それは皆さんのほうが詳しいでしょう……。
第一問は、僕の記憶が正しければ英文の和文要約(1A)と、乱文整序や選択式問からなる長文(1B)の2本立てです。
どっちも時間と集中の要る読解系じゃないか、って?
いやいや、長文のほうは第五問に比べれば「パラグラフ・リーディング」で対応可能なものですし、
乱文整序なんかは特に、運の要素が読解系より格段に強いですよ。
大問1が問うているのは「ぱっと見で大意をつかむ作業効率」。
もちろん読解はするのですが、そもそも要約とは、
極論すれば「キーセンテンスを運良く一文訳せれば点数の半分は来る」程度の運試しです。
大意さえつかんでしまえば、枝葉にまで潜っても、対時間コストパフォーマンスは悪い。
それよりは最後の5分で幹だけ掴み、荒削りで確実に効率よく得点したほうがクレバーですね。
以上、「解く順番」をフックに、東大英語の戦略についてしまりなく語ってきました。
大問毎の設計思想「精読・読解できるか否か」「ロジカルな文脈復元力」「ぱっと見で大意をつかむ作業効率」を見ても分かるとおり、
やはり、東大英語というのは「官僚スキル」を見るためのものなんですね。
大量の紙幅を右から左に流しつつ、個々の場面で求められるレベルでアウトプットを行っていくという。
もちろん、基礎的な英語力や各大問ごとのテクニック(「リスニングではHoweverなどのディスコース・マーカーに注意しろ」とかの類)に関しては、
僕なんかより、受験生の皆さんや予備校の先生のほうがよっぽど詳しいでしょう。
僕も枝葉末節については記憶が怪しいので、今回は「幹」や「石」の部分について覚えていることを語ってみました。
ひねくれているとは思いますし、多くの真面目な受験生にとってはむしろ混乱の素かもしれません。
(帰国子女ではないが現役で本試験(英語)約100点を獲得し文科一類に合格した、という)「過去の栄光」がぎりぎり通用するうちに、
偉そうなことをはき出しておきたいという、僕のささやかな実存を感じ取ってもらえれば幸いです。
細かい部分や他教科については、また要望が万が一あれば考えます。