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はてなキーワード: 費用とは

2024-06-22

採用学歴差別はやっていい

それはいいとして4年間の大学生活の勉強に興味ないなら大学合格時点で採用決めちゃえばいいのに。4年分の学費を0円にして受験費用だけ。

anond:20240622132709

夫婦レイプは妻が妊娠してしま場合があるのが問題なのだよね。

プラスで幼い子がいて経済DV受けてると、堕胎にも夫の同意書が必要なのと堕胎費用がなくて産まざるを得なかったり。

anond:20240621200606

子育て費用のために子なしから税を取る(今もやってるけど)なら分かるけど、同じかそれ以下の非生産層に配分するのはわけわからん

2024-06-21

頼むから原発再稼働して

電気代下がるだけでなく、莫大な貿易赤字が減少する。化石燃料よりウランのほうが安いからね。これが転じて円高に繋がり、インフレセーブにもなる。

 

ん?原発の発電量は再エネより高い?

 

それは様々な論があるから何とも言えないけど、少なくとももうできているモノは、有っても無くても金かかってるんだから使わなきゃ損でしょ。

 

廃棄物だってどうせ今まで50年分のモノがあるわけだから、ここで1年分増えたってその費用が莫大に増えるわけでもなし。

 

再エネ万歳してるバラモン左翼には、電気代やインフレでひーひー言ってる数多の庶民なんて目に無いんだろうけど。

anond:20240621201501

ワンルーム飼い殺しする時点で虐待どころの話では無いし

人間一人の生活をまるっと保証する費用からしたら産科医療費なんて誤差みたいなもんでしょ

さっきから反人道的な思考実験に「反人道的!」って突っ込んでくる増田が多すぎます

増田の読解力は年々落ちていくばかり

anond:20240621100016

これで裁判するなら裁判費用カンパするぐらいはしたいが、警察に警告されただけで撤去するとか何がしたかったんだ?

anond:20240621013106

まず確実に供託金没収だが、300万+選挙運動費用の金が集まると本当に思ってるんだろうか

反暇に見せかけてとんでもねぇ暇信者に思えてくる

2024-06-20

anond:20240618100125

テレビに比べたら番組制作にかかる費用は桁が1つ低いんじゃないの? 知らんけど。

そういうところを削るのは順番が違うよねえ。

2024-06-19

ディズニーランドディズニーシーに続く第3のディズニーとは?

ディズニーアンダーグラウンド(地下に潜んだミッキーたちと一緒に工作活動をしよう)

ディズニースペース(宇宙ステーションにある。往復費用含めて1000万円かかる)

ディズニー4thディメンジョン(4次元世界にあるディズニー。行くと二度と帰ってこれなくなる)

ディズニーヘブン(死んだ後に行けるディズニー善行を怠るとディズニーインフェルノに堕とされる)

ディズニーいかわ(ミッキーたちとちいかわの国に行こう。草むしり検定も受けられるよ)

ディズニー温泉適当に考えてたけど意外と良さそうなので今回はこれイチオシ

ディズニーソープ

ディズニー国会ミッキーカチューシャをした政治家さんたちに会える。牛歩体験もあるよ)

ディズニーSAITAMA(埼玉を盛り上げたい)

2024 年の Sprout Social の代替ツール 7 選

Sprout Social は、私がソーシャル メディア管理使用してきた素晴らしいソーシャル メディア ツールですが、コストが高く、他の多くの機能が欠けています。このブログでは、Sprout Social の代替ツールをいくつか紹介します。無料のものもあれば、費用対効果の高いものもあります機能がそれぞれ異なるソーシャル メディア管理ツールは数多くあり、すべてのツールを試すのは大変です。しかし、このブログでは、アカウントの強化に役立つトレンドの SMM ツールをすべて絞り込みます

1. Fly Social https://fly-social.com/

価格: 無料プレミアム プランはすべてのチャネルで月額 8 ドルから

Fly Social ツールは、X、LinkedInFacebookInstagramYouTubePinterest など、8 つ以上の主要プラットフォームソーシャル メディア投稿をワンクリック作成計画スケジュール分析できるソーシャル メディア管理プラットフォームです。柔軟性を重視して設計されており、個人クリエイター中小企業大企業対応しています。また、クレジットカードの詳細を入力することなく、生涯無料パックを提供しています

主な機能:

分析: エンゲージメント指標を取得し、ユーザーフレンドリーレポートを生成します。

AI アシスタント: AI を利用して投稿アイデアを生成し、コンテンツ再利用し、エンゲージメントを強化します。

2. Buffer https://buffer.com/

価格: 無料、有料プランは 1 チャンネルあたり月額 5 ドルから

Buffer は、スケジュール設定、コラボレーション分析機能提供するユーザーフレンドリーツールです。複数ソーシャル メディア プラットフォームサポートし、ソーシャル メディアでのプレゼンス管理するための直感的なインターフェイス提供します。

主な機能:

エンゲージメント ツール: コメントメッセージリアルタイム管理します。

分析レポート: コンテンツパフォーマンス理解し、オーディエンスに関する詳細な洞察を得ます

3. Hootsuite https://www.hootsuite.com/

価格: 30 日間の無料トライアルプランユーザーあたり月額 99 ドルから

Hootsuite は、リソース豊富マーケティング チームに最適な、もう 1 つの強力なソーシャル メディア管理プラットフォームです。ソーシャル リスニング承認ワークフロー、一括スケジュール設定などの広範な機能提供します。30 日間の無料トライアル中にクレジットカード情報を取得します。

主な機能:

統合: 100 を超えるアプリサービス接続します。

ソーシャル リスニング: ブランド言及監視して対応します。

包括的分析: 詳細なパフォーマンストリックインサイト

4. Agorapulse https://www.agorapulse.com/

価格: 限定無料プラン、有料プランユーザー 1 人あたり月額 49 ドルから

Agorapulse は中規模から大規模のマーケティング チームに適しており、強力なレポート作成およびソーシャル リスニング ツール提供します。ソーシャル メディアの取り組みの ROI証明することに重点を置いています

主な機能:

オールインワンの受信トレイ: すべてのソーシャル メディアのやり取りを 1 か所で管理します。

ROI レポート: ソーシャル メディア キャンペーン効果を測定します。

5. Sendible https://www.sendible.com/

価格: 14 日間の無料トライアルプランは月額 29 ドルから

Sendible は、ソーシャル メディア マーケティング担当者代理店の両方にとって多用途です。すっきりと合理化されたダッシュボード提供し、ソーシャル メディアタスク簡単管理できます

主な機能:

タスク管理: プラットフォーム内でタスクを割り当てて管理します。

クライアント アクセス: 投稿を表示および承認するための限定アクセスクライアント提供します。

統合: 主要なソーシャル メディア プラットフォームツール接続します。

6. Later https://later.com/

価格: 14 日間の試用版、プランユーザー 1 人あたり月額 25 ドルから

Later はビジュアル コンテンツ計画に特化しており、Instagram に重点を置くマーケティング担当者に最適です。他の主要なソーシャル ネットワークサポートしています

主な機能:

ビジュアル プランナー: 美しいフィードのために投稿視覚的に計画およびスケジュールします。

Instagram ツール: 投稿に最適な時間ハッシュタグ提案など。

分析: さまざまなソーシャル メディア チャネルパフォーマンスを追跡します。

適切なツール選択

最適なソーシャル メディア管理ツール選択は、特定ニーズ予算によって異なります。これらの各ツールには、ソーシャル メディア管理のさまざまな側面に対応する独自機能が備わっています。柔軟性と AI 機能のために Fly-Social Tool選択するか、ワークフローにより適した別のツール選択するかにかかわらず、費用をかけずにソーシャル メディア戦略を強化できます

anond:20240619093004

つか初期費用が高すぎる少なくとも今30万はかかるし

2024-06-18

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

結局コロンブスITも一緒じゃね?

発注者が適切に監督/検収できないかゴミ現場リリースされたり費用の増大化するんでしょ

プロジェクトマネジメントコンサル外注してもいいけど発注者仕事ってのを改めて肝に銘じてもらいたいね

制作会社はその道のプロじゃねんだわ。

anond:20240617001927

税金弁護士費用で3割くらいは取られてるだろうからスタートが4億くらい?

運用してる様子もないしいくら残ってるんだろうね

anond:20240618143115

うるせーハゲ

無痛分娩なんて子供を産まない女性には関係ないしどうでもいい

そんなものよりも歯列矯正とか薄毛治療みたいに全ての人に大いに関わる事項なのに何故か保険適用外で莫大な費用がかかる事の方がよっぽど問題なのに

無痛分娩なんて子供を産まない女性には関係ないしどうでもいい

そんなものよりも歯列矯正とか薄毛治療みたいに全ての人に大いに関わる事項なのに何故か保険適用外で莫大な費用がかかる事の方がよっぽど問題なのに

何故かそっちはスルーだよな

ほんと、「生きる事」には無関心なのに「産ませる事」にばかり必死な国で気持ち悪い

anond:20240618115935

んー…一理あるかもだけど、少子化は国がなくなる要因になりうるひとつの要素だけどそれだけが原因の全てではないので、今の段階で義務づけるのはちょっと難しいかもな。

戦争は負けたらその一発で大体はその国なくなっちゃうか、あるいは戦勝国の都合のいいように作り変えられちゃう植民地なっちゃうかそのあたりじゃん?なんか理不尽理由で侵攻されたならなおさら

緊急度が違うから今のところは同等の扱いにはできないかもなー。

でもあるいはもしかしたらほんとに世界中少子化すぎて逼迫したときに、出産かそれに準ずるもの義務化する国とかでてきても不思議はないかもしんない。

しかしたら後世の人たちは今の時代を指して「あそこで義務化しといたら…!」って悔しがることもあるかもね…まあそれでも現時点では無理なんだけど。

まあでももしそうなったとして、それならそれで徴兵は当然トレーニングにかかる費用とか生活費は国から出るし給料も出るんだし、同等の扱いならば出産育児に関する費用とかその間の生活費は全部国から出るんだろうし給料ももらえるだろうし、そういうもんだと思ったらそこまで人権侵害って思わない価値観とかも出てきそう。

アメリカ中絶禁止法は実はそれに近いような気はしてる。手当も出ないのにな。まああれは非難轟々だけど。

リベラリズムの果てにそういう話が出てくるのはなんか皮肉っていうか興味深いっていうか。

2024-06-17

氷河期で女は採用されなくて職歴ボロボロ保育園も入れなくてパートしか採用なくて」 ←ほーんいろいろ大変やな

「私は子供いないからなんとかキャリア積めたよ」 ←君もドンマイやで

子供産めるんだからこいつは恵まれてる!」 ←いやお前は育児の手間と費用かかってへんやろ

独身女より恵まれてる!」 ←男にたかる気満々だったんかーい

anond:20240617092251

統合するにあたって既存小学校1つに周りの小学生を集める場合

もっとも遠いところで車で30分以上かかるようになる。スクールバス巡回すると1時間以上になるところもある

もともといる慣れてる子供と移動してくる子供の差が生まれ

  

真ん中くらいに新しく小学校建てる場合

建設費用問題場所問題スクールバスルートは短くなるが本数が増える(運転手の確保の問題

  

うちでも統合の話は出たけどやり方で上のような話が出た

2024-06-16

anond:20240530115943

札幌など北海道の結婚式は会費制が主流! 費用やマナーを解説

北海道結婚式は会費制ウエディングが主流です。会費制ウエディングとは、主催者が一律で会費を設定し、ゲスト指定された金額を支払うスタイルのこと。ゲストとしても、ご祝儀制より金銭負担が少ないため気軽に参加しやすいというのがメリットの一つです。

anond:20240616200344

夫はもともと善人→おためごかしで100万円くらい独立費用を揚げるからつって協議離婚するしかねえな

夫はもともと悪人浮気させ屋とかで有責にしちゃえ

あと転勤引き受けてみるとか

内視鏡検査をやってきた

今月はコレのせいで憂鬱だったから、終わってほっとしている

検査を受けた理由

生活習慣病検診で「要精密検査」の判定が出てしまい、「どこかで検査を受けてこい」と検診センターに言われる。

便潜血かなんかだったか細かくは覚えてない。

検査の予約まで

検診センターから近所で内視鏡検査を受けられる病院リストを貰っていたので、

それを頼りに最寄りの病院検査をお願いすることにする。

当日行ってすぐ帰れる検査だと思っていたが、まずは採血検査して、検査日を予約して・・・・という流れが必要らしい。

最短で検査日の予約をお願いしたが、それでも3か月後だった。マジかよ。大盛況か。

検査前日・当日の食事制限とか費用など、説明を聞いてその日はおしまい

3か月後の検査当日が来る頃には絶対に忘れている自信があったので、紙のカレンダーと、スマホスケジュールと、職場グループウェアに予定を入れて置き、

さらに、「検査前日に飲むように」と渡された下剤を自宅の目に付くところに置いておいた。ここまでやっておけば流石に忘れまい。

検査の前日

から消化の良いモノしか食ってはいけない。バナナ豆腐しか食わなかった。

検査食」なる専用の食事病院で売ってくれるらしいが、俺は買わなかった。

なんとなく、高価なもの押し付けられている気がしたからだ。バナナでいいならそれでよい。

夜21:00以降は絶食普段普通に夕食を摂っている時間なので辛い。

空腹だ。量については何も言われてなかった気がするからもっとたくさん食って置けば良かったと若干後悔する。

明日の持ち物を確認し、検査についての同意書やらにサインをしておく。

下剤を飲んで早めに寝る。

検査の当日朝~

検査終わったら何喰おうかな」と思いながら起床。

水以外は口にできない。病院に向かうため、身支度を整える。

当日の持ち物として「水1リットルとあるので、コンビニに寄ってペットボトルの水を買う。

病院で受付を済ませ、用意された個室に通される。

リクライニングシート、テレビテーブル、あと引き戸の先にトイレがある4畳あるかどうかくらいの部屋。

テーブルにはデカビニールのパックに液体が詰まったものとコップが置いてある。下剤らしい。

看護師さんから指示・説明を受ける。

  • 10分間に下剤を一杯と水一杯を飲む。10分かけて少しずつ飲んでもいいし、10分おきにグイっと飲むでもどっちでもよい
  • 検査に適した状態の便」が出るまで下剤を飲み続ける
  • 検査に適した状態の便」になったら、流さずそのままにして看護師を呼べ

検査に適した状態の便」はわかりやす写真が個室内に貼ってある。

分かりやすいのは良いが、あまり見ていたくはない。

テレビをつけて、下剤を飲み始める。

下剤の最初一口目の感想は「意外と飲みやすい。スポーツドリンクみたい」だったが、飲み進めるうちに辛くなってくる。

腹いっぱいな感じが気分がよろしくない。吐きたい。

しばらく耐えていると、便意が来る。出す。一回目は普通だ。

引き続き、下剤を飲む。3回目くらいから、ほぼ液体になる。

以降、繰り返し。

10分で1杯下剤を飲むペースを守ろうとすると結構忙しい。

リクライニングシートと便座を頻繁に往復することになる。テレビを観てのんびりする暇はない。

10回目超えたくらいでそろそろ検査できるのでは?と思われたので看護師を呼ぶ。

出したものを見られるのはかなり恥ずかしい。

「まだカスがあるんで次くらいでもう一回呼んでください」この恥ずかしいやり取り、またやるのか・・・

その次の次くらいで「いけそうですね」とのこと。下剤が回収される。検査を待つことにする。

結構待ったのでリクライニングシートで寝そうになる。というかちょっと寝た。

検査の順番が近づいてきたのか、看護師さんから検査用のズボンへの履き替えと貴重品のロッカーへの保管を指示される。

検査用のズボンは紙製でケツの部分に穴が開いている。

恥ずかしさがこみ上げるが仕方がないので無心で着替え、財布をロッカーに保管し、引き続き待機する

検査

看護師に呼ばれ、検査用の部屋に移動する。

他の患者?の個室の前を通るので、このタイミングでもし他の個室の患者廊下の様子を伺おうとしたら、

検査ズボン姿の俺を見ることになる。これ、後ろからみたらどう見えるんだ?とどうでもいいことを気にしつつ看護師についていく。

数人の看護師に囲まれ、ベッドに寝かされ、口にのど用の麻酔を吹き込まれる。飲み込む。苦い。

口になにやら筒状の物を咥える。腕に点滴を差される。

まな板の鯉の心境でしばらく待つと、医師先生登場。

先生は「じゃぁ眠くなるんで」みたいなことを言っていた気がする。

意識が遠くなる・・・という記憶もない。

気が付くと検査は終わっていて、個室のリクライニングシートで休んでいた。

どうやってここまで移動したのか全く覚えてない。麻酔スゲェ

検査

元の私服に着替えて、個室を退去し、待合室で先生に呼ばれるのを待つ。

呼ばれる。

とのこと。

正直、検査後の記憶曖昧だ。

後の説明の時、先生から「覚えてる?」という問いかけがあったが、あの様子だと麻酔の効いた俺との間で何らかのやり取りがあったようだ。

何か良からぬことを口走っていないと良いが。

支払いを終えて、俺はとりあえずハンバーグを食いに行った。美味かった。薬局に行くのは忘れた。

何が言いたいのかと言うと、健康には気をつけましょうね、という話。

anond:20240616095823

遠隔でサーバー監視やな。大当たり案件なら小説書いててもマンガ書いてても短時間のお散歩行ってもいいぞ

『ただ長く続けられる』ってところに問題点がある

 

これ、えらい人が、『リモートハンズサービスとかやるわけじゃなきゃ、別に有人じゃなくてもいい』ことに気づいてないか

『誰かの職を奪って恨まれたくない。別に自分給与から費用から出してるわけじゃないし、誰かに指摘されるまでほっとこ』って

やってるだけだから

 

 

大当たりのサーバー監視ほど楽ではないが、パソコン先生(情シス社内SE)がだいたいの職業に比べたら楽だし、長く続けられそうよ

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