日本人だと、ていおはがむちゃくちゃ = その他教育も大体おろそか = 論理構造なっていない人が
多いということに繋がりやすいと思うが、論理構造を説明する上で、てにおはは手段でしかない。
いやいや。てにをはは論理構造の基礎も基礎、初期のスコア10くらいの位置でしょう?
「増田に100万円与える」と「増田が100万円与える」の意味が同じなわけはない。それをおまけだ接着剤だとはとても言えないよ。
「(言語の利用は)論理構造を説明する手段でしかない」っていうの考えは、人間の脳内に、言語を超越した「論理的思考」が存在していて、それを言語で他者に伝達しているはずだという思想があるわけなのだけど(だからこそ母国語と外国語を並列に並べて、どっちでもいいじゃん、並行で学べばいいじゃんというわけだけど)、そうではなく、人間の論理的思考というのは何に由来して何に育まれているのか? という話をしているんだよ。
結論から言うと論理的な思考というのは言語によってなされている。脳内の自己対話、思考の検証にすら言語がつかわれているんだよ。直感や閃き、感情などは言語に先立つけれど、仮説や推理や検証、そして論理や伝達などは言語化における教育で内在する。だから母国語をきちんと使いこなすことは重要だし、人文教育はまさにこの「思考できる人間を育てる」ことに価値が存在する。
もちろんそういった論理的な会話や文章っていうのは日常生活では必須じゃないよ。「だるい」「電車むかつくわ」「わかりました」「できた」「計算ミスったわ」「先言っとけよ」「腹減った」「眠い」「昼ラーメンミスったわ」「二倍だって課金しなきゃバカ」「大盛りくおう」「トイレ紙ねえし」「買ってこないとねえし」「だるいわ」「もう寝よ」くらいで生きていけるし、問題は特に起きない。そしてそういう思考や言動をしているとき、てにをはも、主語述語も、論理構造も気にしないでいいし、事実そこまで厳密な運用を求められない。
個人的にこの言説、ずっと、どうしたらいいんだろうと思ってきた。 個人的には、同時並行をすると、どちらかがおろそかになるという意味なのだろう。 非常にセコい言説だ。 日本...
普通「日本語もできてないのに英語ができると思うな」ってのは日本語能力が5~25/100の人に対してだろ。 増田は国語能力ってものをバカにしすぎ、甘く見すぎだよ。もしくは市...
なるほど。考えさせられる意見でした。 ちょっと考えてみたけど、てにおは は個人的には、日本語を100マスターする 上での残り30だと思っている。 いわゆる 日本語でおk...
日本人だと、ていおはがむちゃくちゃ = その他教育も大体おろそか = 論理構造なっていない人が 多いということに繋がりやすいと思うが、論理構造を説明する上で、てにおは...
ちなみに日本語が母語の人ですか?
exactly and you? アホは短文で釣ってくるということが傾向ですかね。 論理構造は複雑なものを表現すると難しくなりますからね。 短文だと粗がでなくていいですね。 人生もそうやっ...
そういうのって「英語よりも日本語を優先せよ」というだけの話でしょ
優先させる?ってことはバランシングを意図的にとってるの? 英語運用能力を高める前に、日本語力を高めることを意図的にとっている人見たことないっすわ。 っていう意見ですが。...
日本制覇してないのに海外旅行なんか行くなよとは思う (年を取るほどより遠くに行くだけの体力と時間は確保しづらいという問題はさておく)
学校でやってる国語教育なんか俺の日本語力の向上になんら寄与しなかったわーみたいなミサワ?
国語は全然体系化されていない学問っすね。 ただのフィーリング。 日常生活で見たことない難解な論理的な文章/情緒豊かすぎる小説をセンター試験でよく見ますが、 あれを鍛える...
国語学って知ってる?知らない?
教科としての「国語」なら確かに体系化とは程遠い 論説文、叙情文、詩、古文、漢文を一緒くたに「国語」として括っていて、同じ理屈で解答できないから けれどそれだけで国語教育を...
日本語もろくにできない人が海外に出かける必要に迫られることは稀なので、 優先順位が低いのは間違いない。