はてなキーワード: レイヤとは
承前。
前編(http://anond.hatelabo.jp/20130825133734 )では三縞君に作品そのものについて総括をしてもらった。
彼女はあの通り真面目な人なので、旧約聖書やら仏教の経典やら沢山の資料を比較参照した跡が見える。まああとは文章の方にもう少し可愛げがあれば……なんてうっかり口にしたらまたもや新品の机を蹴られてしまった。情報庁の事務机と違って、アルコーン社のオフィスウェアは本物と見紛うばかりの高級情報材製なのだが、彼女は遠慮なくその黒いストッキングの美脚を持ち出してくる。せめて元上司を「鼻持ちならない」と無遠慮に評するところくらいは変わってほしいと思う。
で、ここからが僕の出番。
稀代の大作家・野崎まどが残した作品の中に埋め込まれた、人間の癖や偏りを利用した暗号。
といっても僕は特殊な暗号解読の専門家でも何でもないので、あのときのような成果を期待されても正直困ってしまう。
あれは先生と僕の間柄だったからこそできたことであって、大して知りもしない作家を相手に同じことができるなんて考える方が間違ってる。
けれど僕はこの仕事を受けた。
基礎コードの解析を終えた量子葉の研究はとっくに先生の意図を探ることからは離れていたし、こうして頭を使うのはとても心地良い。
だから、これはまあ、知ルが帰ってくるまでのお遊びみたいなものだ。
一般発売前の自社製ワークターミナルは唸り声ひとつ挙げずに目を覚まし、僕の電子葉とダンスを始める。啓示視界に多重展開された書字情報マトリクスが視線の導きで然るべき場所に配置され、僕はその本を〈知る〉。
ウィンドウをもう一つ開く。首振りで先のレポートを取り出して、目の前の本を固有値解析にかけた。多次元スライスされた書字情報はいくつものキューブに分裂し、吸い込まれるように消えてゆくと、瞬く間に啓示視界がウォッシュアウトされて、周囲の情報圧が低下してゆくのがわかる。
三縞君は常識人だ。凡人と取り違えてはいけない。常識人というのは世の中の人が当たり前のように知っているとされることを本当に当たり前のように知っている、得難い優秀さに与えられるべきタグだ。才媛三縞君が組み上げた意味論フィルタは時にピーラのごとく表面を撫で下ろし、時にスライサのごとく作品を賽の目に刻んでは雑味を取り除いていった。後に残るのは〝野崎まど〟という名の個性の結晶だ。
想像が始まる。僕は右脳と左脳を車の両輪のように回して脳内に〝野崎まど〟を仮定すると、感じるままにコードに潜む違和感をすくい上げていった。
少し難しい……ノイズが多い感じだ。ライトノベルをフィールドとする氏の世界描写は童話的で、本筋に関わらない部分は余計な注意を惹かないよう可能な限りオミットするのがスタンダードだ。とはいえ今回の版元は早川書房、百戦錬磨のうるさ型SF読みが相手だ。手加減はないと思っていいだろう。
思いつくまま挙げてみる。
序章。情報格差を乱用して女遊びをした僕は翌朝当然のようにバスでオフィスに出勤する。さらに車内には大声でおしゃべりに興じる女子たち——思念通話はとっくに実現されている時代だが、僕は咎めることも聴覚を遮断することもなくそれを聞いている。
やれやれ、と僕は首を振った。僕の仕事の大半は場所を問わない。だいたい情報化が極限まで進んだ社会で肉体の移動を要する業務分野といえば食事・医療・性風俗くらいのものだ。その意味での役得といえば唯一、三縞君と交わす、互いに性的関心を潜めたコミュニケーションだけだろう。この危うさだけは何事にも代えがたい。
〝先生〟について語る以前に、僕がわずかにでも興味を向けた人物がみな女性であったことに気づいただろうか。正確に言えば老婆を迎えにきた男性についてたった一行触れただけだ。京都の町は不朽を表す国家的なシンボルだ。だから、この一連のシーンで描かれているのは、僕ら男が背負うべき、いつの世も変わらぬ女性への関心に他ならない。
ジェンダー的な視点で見出すと、他にも気になる点が出てくる。京都大学の構内で赤ん坊を連れていた学生は性別不明だが、どうあれ血のつながりはないだろう。養護施設の保育士は男性だった。けれどエピローグで死に瀕した子どもに付き添っているのはなぜか母親ひとりで、これは明らかな偏りだ。「女性にお茶汲みを頼むのは性差別」という認識は根付いていても、我が子に対する愛情など僕らの世代の男性は持ち合わせていないのだ。
と、ここまで書いていたら三縞君から「あなたのろくでなしな価値観を世の男性にまで一般化しないでください」と書かれたメールが飛んできた。
退庁後の僕のクラスは、彼女は同格の4まで下がってしまっている。おかげでプライベートレイヤがだだ漏れだ。もう迂闊な発言はできない。
僕はおとなしく仕事に戻ることにした。
該当箇所をズームする。それは〝集落〟の場面。クラス0の女子中学生に対するのぞき行為が行われ、社会がそれを容認していると語られる箇所だった。
馬鹿なことを。
当たり前だが個人情報保護と児童保護はまったく別の問題だ。しかも情報格差は技術的限界によるものとされている。少なくとも一般的な認識としてはそうだ。だったら法が容易くその現状を追認することなどあるはずがない。
ここだ。ここにヒントがある。僕はそう直観した。
思考が活性化し、電子葉によって自動収集された関連情報が僕の啓示視界を埋め尽くす。
ソフトSF——純粋に人文科学に基づくSF。とりわけフェミニストSF。女性作家の隆盛。メアリー・シェリー。ベネット。ル=グウィン——違う。こっちじゃない。右脳が理屈を飛び越えて判断を下し、一足飛びにその本質をたぐり寄せる。ヒントはこれだ。
社会描写の神髄は、弱者をどう描くかに現れる
即座に理由を問う。
社会の歪みを体現する存在は常に女・子どもといった弱者であるからだ
方向付けされた認識が参考作品を引き寄せる。
過去の日本SF大賞受賞作。『マルドゥック・スクランブル』。この作品では〝戦う女の子〟を地に足がついたものとして描くために、少女娼婦の身分、戦争由来の過激な技術、ならびに犯罪的な出来事に即応するための法体制を用意した。出来上がった少女は社会的に見れば化け物でしかないというのに。
僕はようやく理解した。
それが指す存在を、僕はすでに知っていた。
誰より保護されるべき存在でありながら、誰よりも自分の身を守ることに長けた少女。量子葉とともに生体脳を育て上げた、人類初のクラス9。進化の特異点。
道終・知ルその人。
ようやくあの男について語る時が来た。
クラス*(アスタリスク)。素月・切ル機密官。主人公(僕だ)の心の闇を凝縮したような人物。
結果から言えば彼はかませ犬以外の何者でもなかった。彼の行動は無意味で無価値で、そして無残なものだった。けれどその劣悪な人間性については触れておかないといけない。
裏仕事を専門とし、存在自体が機密とされる、規格外のクラスホルダー。そうした役職に求められる一番の資質は、規律、そして良識だ。ところが素月はその逆をいった。
自らが果たすべき任務を忘れ。
14ページに渡って狂ったように女子中学生の裸を狙い続けるその様は。
ただの変態だった。
それから僕はことあるごとに知ルに対して欲情するようになった。
可憐な容姿。挑発的な言葉。妖艶ささえ感じる所作。それと同居する少女の無垢さ。知らぬ間に僕は虜にされていた。
それでもあの男、アルコーン社CEO、有主照・問ウさえいなければ、僕が女子中学生を相手に一線を踏み越えることはなかったんじゃないかと思う。
そのことを知って咎めるどころか喜んだミアもちょっとどうかと思う。
いや。
なぜそう設定したのか。
答えは簡単。知ルが初潮を迎えるその日をただ待っていたのだ。現代人としてはずいぶんと遅いように思えるが、そこは孤児で栄養状態が悪いことと対象となる異性がいないことを考慮すれば説明がつく。
本番を迎えた知ルの口から「私、セックスって初めてです」と言わせなかったことは氏の最後の良心だろう。そう信じたかった。
すっかり忘れていたが作中の三縞君の扱いはこの作者にして徹頭徹尾まるで違和感のないものだった。
長く辛い旅路だった。
結局、作者の真意は何だったのか。
僕には朧気ながらその姿が見えていた。
そう。氏は切望していた。
情報の秘匿も。
時代の空気も。
何もかもが存在しない、本物のオープンソースの世界というものを。
最後に。
解読の結果、僕がすくい上げた言葉を君たちの啓示視界に残してこの稿を結ぼう。
うわぁい、子どもの保護なんて全然乗り気じゃなかったけど、こんだけいけてるなら俺もロリコンでいいやあ!
(続かない)
http://anond.hatelabo.jp/20130811212721
大丈夫だと思うよ。
あなたみたいに「代表取締役自身が、労務問題について給与労働者の目線で考える感性を持ってる」というのは希有なことだよ。ベンチャーではなおさら。それだけでも働く側にとってはとても大きな恩恵だし、実際に心強く感じるとも思う。
もちろん労働分配率を上げる、または業務負荷を下げるというのが最終的なゴールでなければいけないんだけど、あなたのビジョンと価値観を適切に社員に伝達して、この会社はいまその過程にあるのだ、このしんどさは一種の成長痛なんだ、という確信を与えることができれば、みんなのモチベーションは全然違ってくると思うよ。
あなたがサラリーマンの感覚を兼ね備えてるなら、「上は自分たちの頑張りを見てくれている」という感覚がどんなに無形のサポートになるかも覚えていると思う。そしてあなたはそれができる立場にある。社員に1on1ミーティングとかボーナス査定の機会を使ってヒアリングしたり、360評価を使って経営側のメッセージを伝えたり。方法はいくらでもあるよね。
そして自分を含めた創業メンバーに対しては、10年後に自分はこの会社でのマネジメントレイヤの一員になっていたいのか、現場のエースとして今まで通りの働き方をしたいのかを問いかけるべき。
彼らがマネジメントをやりたいと希望するなら、当然、マネジャーとしての成長を要請しなければいけない。その核になるのは、部下を順法的に使いながらトータルの生産性を維持向上するという技術。みんなは、技術面では腕っこきだとしても、マネジャーとしての経験値はゼロに近いはずだ。部下と同じく上司としても1年生から学ぶという姿勢を持たなければいけない。そういう話を折に触れてしていこう。それでも考え方が変わらないようなら、最終的には労基を持ち出すことになる。コンプライアンスの問題だからこうしなければいけない、と。
彼らが現場のエースでいつづけたいと希望するなら、それを精一杯サポートできるように給与体系を調整しよう。技術職トップの給与を管理職と同等以上にする、役員手当でフォローする、株式の配当でフォローする、など。そのかわり、彼らはマネジメントにならないことを選んだのだから、ヘッドハントしてきた社員や新入社員が自分の上司になることも受け入れてもらおう。
なんのかんの言って、一般に「成功しにくい」といわれる対等な複数メンバーによるベンチャー起業を継続的に新規採用できるというラインまで持っていったんだから、起業フェイズは十分以上に成功しているわけだ。みんなもそう思ってるでしょ? ほかの増田も書いてるように、ここからは経営のフェイズだから、今までとモードを切り替えていかなければならない。そして、それができるのは、他でもなく、あなたなんだよ。それは今あなたが直面している最大の課題だし、それをやりとげればあなたも、あなたの会社も、創業メンバーも、社員たちも、さらにステップアップできる。
状況を楽しもう。
店長が「うちら」の世界について記事を書いて大ヒット、あちこちのblogで議論の対象となっている。
http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/08/06/155425
しかし多くの場所で議論になってるような「バカな一部がバカをやってしまう行動を理解」という文脈よりも、この記事には注目すべき点があると思うので、それをメモする意図で記事を書く。
それは記事中の
彼らの感覚としては「所与の権利」の範囲が非常に広い。権利が広いため、たいていのことをしても許される「ことになっている」。(中略)所与の権利の幅が大きいということは、逆になにやっても自分たちには危害は及ばないということでもある。つまり危機意識の低さだ。
この部分。
この部分に注目した場合「うちら」は多い。たぶん、日本人全部がそう。
上記の指摘は、たとえば「学生ローンを借りたんだがこれは借金じゃないか!若者の未来を潰すつもりか!」とか「大学院を出たのに就職できないなんて信じられないクソ社会だ!」に通じる。
大学に行くのも就職するのも「所与の権利」ではない。「所与の権利」だと思って安心しきっていた(=危機意識がない)からそれが無くなると「奪われた!」と騒ぎ出す。
この話をすると、国は国民に一定の生活を提供する義務がーとか吼える人がでてくるのだがそう言う話ではなく、そもそも「国がある」というのは人類に与えられた所与ではない。作ったからあるのだし、維持してるから現存している。運用しているからサービスが降りてきている。それだけだ。
当然その維持運用コストは参加者全員で支払わなければならない。資本主義の現在のこの社会において、その代表例はお金(=税金)である。
しかしそのさらに下のレイヤとして、本当の最低限、参加しているんだから全員支払えよというコスト、もはや参加資格といってもよいコストが存在する。それは「所与に対する盲信の否定」を含む「システムに対する理解」だ。
この社会は、社会構成員が望む「所与の権利」を望むままにえられるコストをちゃんと支払っているのか? と問われれば、疑問符がつく。
個人的な感覚の話になるんだが、日本人は、これ以上コストを払う能力がないように思う。もちろん、税金は払える(所得が上がれば)。そうではなく、前述の認識や道徳的な「理解というコスト」を支払う能力、店長の言葉を借りれば「社会に対する想像力」がもう頭打ちなのじゃないかと感じている。もちろんその想像力が高い人も低い人もいる。でもその格差ってのは現実にあるし、それを教育で是正しようぜというのは正論なんだけど、じゃあ大学教育がここまで一般化した現在、知識は増えたのかもしれないけれどバカは減ってるのかと言えば、ヤンキーやDQNでも大卒になれる社会になっただけのように見える。たぶん衆愚政治っていう言葉の意味は「「理解というコストを支払う能力の限界」を指しているんじゃなかろうか。
じゃあどうすべきかというと、日本はもうこれ以上「所与の権利」を増やせない、増やすべきではないと思うわけだ。というか、現在のレベルすら維持できない。もっと「所与の権利が低い」国になっていくのが現実なのじゃ無かろうか?
子どもが大学に行けないのはあたり前。家計が苦しいのはあたり前。学校のレベルが低いのはあたり前。旅行に行けないのもあたり前。中古車はあたり前。スマホ持ってないのはあたり前。お店で店員に怒鳴られるのはあたり前。公共サービスの質が悪いのはあたり前。郵便が届かないのはあたり前。夜の街を女性がひとりで歩けないのはあたり前。水道の水が飲めないのはあたり前。
もちろんそれはとてもいやなことではあるけれど、コストを負担せず権利だけわめくよりはまっとうな結末に思える。
試験業務中心だった。
その中でもシステムテストとかやったりしてるのでネットワークやサーバー、アプリは商用の状態に近い環境で試験をしている。
具体的にはサーバーはLB使って冗長化/スケールアウトされていたり、クラスタリングされていたり、データセンターにあるサーバーにリモートでログインして試験をしたりとか。
rebootコワイヨーとかHW障害うざいよーとか思いながら。
ソフトウェアの受託開発の会社で、Javaの業務アプリを設計・開発・試験していた様な人達が集まっているので、ネットワークやLinuxなどアプリよりは低レイヤなところに詳しい人が地味にいなかった。
システムテストの項目書をExcelで作るお仕事や、試験を実施するお仕事は凄くやる気しなかったが、試験の実施方法を検討するお仕事や、試験をするための環境を構築したり、仕様書を読んでミドルウェアやアプリにコンフィグを投入する仕事は楽しかった。コンフィグを投入する作業をスクリプトで怠惰に自動化したりするのは、けっこー楽しかった。
リグレッションテストや、バージョンアップでの改修テストなどで環境を再構築する際に、作成した自動化スクリプトは腐らさせずに誰かに展開することが出来たので、自動化した工数も無駄にはならなかった(ちゃんと効率化に!)大量にデータを投入するとき、さすがにだるい。ツールも使えば使うほどバグなくなるし良い感じ。PerlやBashを覚えるきっかけにもなるし。
今思うと出向も楽しかった!メーカーSIの会社は社員食堂とかあったので、うわすげぇドラマみたい!とか朝はエレベーターの前に人が並ぶのでうわすげぇ人多い!とか。(最初だけだけど)
後はサーバー室でサーバーとかLBとかを目の前で見れたのがテンション上がった。うわこれF5じゃね?うわこれJuniperやん…いくらすんだよ…HPのブレードサーバーだ!いくらするのかググった。
まぁ、普通に誰も興味示さないw あの時は商用ネットワーク機器という物に憧れている少年だったw
作業で疲れたときはぶらぶらして眺めてた。
何かの見学の時は「おいふらつくな」とか誰かに怒られそうだけど、仕事で来てると誰も何も言わないので見たい放題。転んでケーブル抜いた日には大問題になりそうなので、さすがにそこは気をつけた。
あの1UサーバーにRHELをインストールするとか、少年には楽しすぎた。でも手順はMacのVirtualBoxにCentOS入れるのと変わりはなかった…。ただ、仕事として1UサーバーにRHELをインストールした、という経験を持つことが嬉しかった(少年だから)
でもいいさ。
F5なんか使わずにLVSやUltraMonkey-L7で負荷分散すればいいし、商用のアプライアンス機器なんか使わずにオープンソースで解決してしまおう。AWS使うならELB使えばいいし。そういう環境行ってみようぜー。
備忘と記念を兼ねてまとめ。
http://dka-hero.com/pict_03/mak/01.html
『 A4を8等分するんだよ 』
『 だいたい 13~15枚におさまるように調整する 』
A4用紙を8つに折る → 折れ目で区切られた一枠を一コマとして描く。
この解説イラストを見ていなければ、描いてみようと思えなかったと思います。
ありがとうございました!
affected そういうシステム
● 動いているネットワークには触るな。
● 配線図を信用するな。
● 特権権限のパスワードが「password」の機器は誰もログインしていない。
● 冗長構成は動かない。
● 機器触っている時に「あっ。」って言う人は信用するな。
● しばらくアラームが来ない場合、何らかの問題が起きている。
● ググれ。
● 再起動は命がけでやれ。
● バックアップは戻らない。
● 素人は素直に申し出ろ。
● 手順書も読めない
● 手順書は読めるが作れない
● 手順書がないと作業できない
● だいたい手順書が間違っている
● 早業で障害対応したのに怒られる
● 飲み会の日は夕方障害発生
● コンフィグを保存し忘れる
● デフォルトオリジネートは消える
● 堅い名前をつけても誰も呼ばない
● MUAにこだわる
● キーボードにこだわる
● OSにこだわる
● そのスイッチのせいでSTP走って混乱
● 攻撃だそれフィルタと安易に言う奴が多い
● それはだいたい管理職
● 攻撃されている顧客には連絡が取れない
● DNSのことは知らない
● 経路交換は政治だ
● 落雷に敏感だ
● 生き字引みたいな人が居る
● その人のデスクはだいたい汚い
● 椅子の座り方をしらない
● 椅子を並べて寝るのが上手い
● ラックの間で昼寝する
● 光ケーブルの受光は目で確認しちゃう
● DC電源が怖い という話が怖い
● 低レイヤの事は以外としらない
● ケーブルは埋め殺す
● 埋め殺されたケーブルが多くてケーブル撤去できないのでそのケーブルも埋め殺す
RubyをやっていてCとかレイヤの低いことが大してできない。
もう10月なわけで、世の中の中学3年生は受験やらなんやらで忙しそうだ。
俺もそろそろ高校のことを考えないといけない。
そもそもまともに勉強していないから都内でも限られる。頭悪いからしょうがない。
定時制はDQNの巣窟というイメージがあるのでそれだけは嫌だ。
普通科に行ったらリア充生活できるのかもしれないけど、まあまた不登校になったらオワコンなので四部制の情報科にでもする。
そんなこと書いてもどうでもいいと思うので彼女欲しい話をしようと思う。
こんなクズがぐだぐだ書いても多分誰も読まないと思うが。
そんな俺にも彼女が欲しい。
どのくらい欲しいかってジョブズが亡くなって自分の手でAppleの新製品を発表できない後悔の念ぐらい彼女欲しい。
それはともかく彼女がほしい。
中学は中1の夏休みまで行っていたが、その頃に小学校からのクラスメイトを好きになった。
ずっと好きだし、今も好きなわけで、割と身元バレる前提で増田に書いている。
今まで2年半ぐらいこの想いをずっと伝えられないでいる。
リア充になりたい。
俺は別に人間関係で不登校になったとかなんだとかいうありがちな理由で行かなくなったわけではない。
だから行こうと思えば行ける環境にあるわけだし、実際最近行きたくなってきた。
あー学校行ったら好きなあの娘と話せるんだろうなとか毎日考えながらだらだら生きてる。
3年からクラス替えでまた同じクラスになったのに行かないのはすごくもったいない。
クロックの低い年寄りにHTCのデュアルコア端末を使わせるぐらいもったいない。俺にくれ。
自分がコンテンツ価値ある人間だとは全く思ってないが、せめてこの想いを伝えてから死んだっていいのではないか。
14年生きてきたし今更死ぬわけにはいかない。せめて元を取らせろ。伝えてからじゃないと。
あーどうしたら伝えられるかなー
最近恐れていることがある。
ずっと好きだけどそのうち諦めがついたり今好きな娘よりも可愛くて優しい娘が目の前に現れたらどうするか。
もちろん今も好きだし、早く伝えたい。
だからこそ伝えなくてはならない。
別にあの娘は俺のことなんかなんとも思ってないだろうし、もし少しでも考えてくれていたら嬉しいけど多分それはない。
でも考えてくれていたらなーとか考えるとあの娘にも迷惑だしさっさと伝えて片付けたい。
今年中には伝えたいけどやっぱり早ければ早いほどいいわけで、なんとかして伝えたいがなかなか勇気が出なくて伝えられないでいる。
なんかここに書いたら少し気分晴れるかなと思ったらそうでもなかった。
追記
やっぱり学校行けと言われるのは当たり前か。
好きで行ってないわけじゃないから何かきっかけがあれば行けるんだけどなぁ…
111010 0:25追記
http://anond.hatelabo.jp/20111008133632
伝えられなかったら多分後悔するでしょうし、
想いを伝えてきもいとか言われていてもそれはまあ少なからず想定していないわけではないのでなんとかなります。
むしろ何も言われないよりはきもいから無理とか明確な理由が分かったほうがいいので。
もうフラれてもいいのでさっさと伝えたいですね。
111019 0:39追記
俺があの娘を好きになった理由
小4のときの話。
そして、先生がやってくれたんだと思うのだが、俺にクラスの人が書いたメッセージカードとかくれたりした。
学校行けよ的なそういうあれで、あんまり不登校の人いないから聞けないけどだいたい経験あるらしいので割と普通にあるみたい。
その中に今の好きな人が書いてくれていて。
あれって全員分じゃないし先生が勝手に決めたわけじゃないだろうし自分から書いてくれたんだろうなって考えてるうちに…
まずそれが違うなら俺の3年間根底から覆されるわけなんですが。
まあそれはもういい。
自分で書きたいと思って書いてくれたなんて少なくともやさしいんだなーって思うじゃん。少なくとも俺は思った。
こんなので好きになるの多分自分だけだと思うけど。リア充から見たらアホみたいに見えるんだろうな。
それを中1ですでに不登校になった9月の下旬だか10月ぐらいに引き出しから見つけてなんか泣きそうになって、
やさしいんだな、そういえばけっこうかわいかったよね…とか考えてるうちに好きになっちゃった。
なんかごめんなさい。
仕事を休んだ。
なぜこれだけのことが今まで出来なかったのだろう。
これから先「ものづくり」なんてのは日本の仕事ではなくなるのだろう。自分はIT関係のドカタなのだが、その仕事も減っていくのだろう。
ものづくりのもうひとつ上の層の仕事、SI屋のもうひとつ上のレイヤの仕事。そういうのがこれからの国内産業の主幹じゃないだろうか。とはいえそれのために求められる人物像は厳しいし、日本人の就業可能人口すべてに仕事があるとも思えない。
なんてことを思いつくくらいにはヒマだ。ぼくみたいな低脳でもこれくらいは思いつくのだから、数多のいい人はもっと違うことを書いて欲しい。とあるblog記事やら本の紹介をするだけのライフハック記事を読んでそう思った。
ここがどういうことを言ってるのかちょっとよくわからないんだけど、
アプリ間の依存関係はまぁそれほど問題にならないからどうでもいいかな。
下位レイヤがほんと酷い。
dllだのランタイムライブラリだの、スクリプト言語の実行環境だの何だの
パッケージ単位で全部解決させようとするからどのインストーラにもいちいちpythonとか入ってやがる。
逆にその辺がまとまってないソフトを入れようとすると、依存関係を自分で解決する必要があって大体ハマる。
この記事(http://www.drk7.jp/MT/archives/001769.html)が話題になっているので、自分も書いてみます。まずは自分の属性。
そもそもNexusSは国内で販売されてないので、NexusSとiPhone4のどちらがイイですか?と人に聞かれることは全くないですが、
NexusSの方が圧倒的によいと"私は思う"と(もし聞かれたら)答えます。今後の機種変も間違いなくGalaxy S2、3?、と買い続け
ていくと思います。一方で別の技術はもうわかったのでiPhone4は手放そうと思っており、iPhone5が出たら誰かに触らせてもらい
たいです。※NexusSは技適未通過端末なので、帰国前の使用感レポとなります
元記事に異論なし。音質は音楽聞かないから知らない。AndroidはiPhoneよりもっさりしてるし、落ちるし、電池減る。
Nexus Sの解像度はWVGA(800x480)とiPhone4(960x640)より劣るのに、画面自体が大きい分広く感じる。Nexus Sは4インチ、iPhone4
は3.5インチで、だいぶミスタイプが減った。Xperia arcは4.2インチなので確かに大きすぎるかも。Nexus Sはちょうど良い。
だいたい元記事通り。ランキングサイトを見て色々試すのが自分は楽しい。iPhoneでスクエニのゲーム買ったけど、結局スマホで
ゲームなんてやりにくいし放置。ゲームは3DSかPSPで良い。
で、大事なのはここから!速度・安定・電池を差し引いても自分がAndroidを選ぶ理由。
Androidアプリの良いところは、アプリ間の連携がシームレスなところ。写真とる→ギャラリー(iPhoneでいうアルバム)→共有から
直接twitterなどにうp、が可能。(http://www.gazo.cc/up/37699.jpg)iPhoneは写真とる→アルバムは移動出来るけど、うpする
には各アプリを立ち上げないといけない。ブラウザもメニュー→共有で、そのページを色んな方法でシェアできる。アプリ連携し
すぎ。あとページ内検索とかも地味に便利。
他にも良いアプリとしてはIMEのSimeji。←→キーとソーシャルIMEが便利すぎ。iPhoneだとiとiの間にカーソル合わせるとかほぼ
無理。ツイートする時に少し戻りたいとかもよくあるので、←→は不可欠。ソーシャルIMEの効果は
(http://www.gazo.cc/up/37694.jpg)参照。スマホは数字・記号が混ざった入力がだるいので助かる。
GoogleMapは拡大・縮小した時にコンパスが元に戻らないのが良い。(ブラウザにもついてる)- +ボタン便利。本来はマルチタッチ
非対応端末用だけど、片手で縮小出来るのが十分便利。iPhoneだと縮小時に左手に持ち替えるとかよくやってた。他にマイマップ
とか様々なレイヤが重ねられる。Latitudeは友人0だから意味無いんだけど、mixiのAndroidアプリ(上の画像の)みたいな感じで4sq
iPhoneは他のアプリが起動すると投げっぱなしで戻れないし、1つのアプリ内でも戻れなくて迷子になることがよくある。
だいたい左上が「戻る」系ボタンがあることが多いけどそうでないアプリもあるし、左上とか遠くて画面を覆い隠してしまう。
今では「戻るボタンが無いなんて、ブラウザバック禁止でブラウザ見るぐらいストレスだろ…」と思っている。
色んなアプリの新着がステータスバーに表示される通知機能が死ぬほど便利。twitterにおける通知(とウィジェット)の良さはこ
れ(http://ran.private.coocan.jp/omusubi/log/2010/12/android-twicca-beta.html)あたりを参照。iPhoneにもPush通知はあるけ
どすぐ見なくて良いものを保留、とかが出来ない。強制的にアクティブになるのが鬱陶しい。インテントと組み合わさると最強で
、こんなこと(http://www.gazo.cc/up/37695.jpg)が出来る。
上のtwitterクライアントのエントリでもあるようにウィジェットが便利で、ホームから色々設定変更が出来る。自分は家帰ったら
NoLockウィジェットでロックオフしてすぐ操作出来るようにしてるし、布団でごろごろ使う時にはScreenFilterウィジェットで好
みの程度暗くする。あと計画停電があった時はホームに付箋メモ貼ってすぐ確認出来るようにしてた。この辺はiPhoneでもJBすれ
ば出来る範囲なのかな。
他にもFLASHが動くとか、NFCがついてるとか、電源ボタンがサイドについてて使いやすいとか、丸っこくて可愛いとか、Macがなく
てもアプリ作れるとか、色々良いところはある。代わりに先に述べた体感速度、OSの安定度、充電池の悪さの他に、フォントが変
元々NexusSはAndroidアプリ開発用にと買っただけで、予想以上に気に入ってしまったのは誤算。久しぶりにiPhone使ったら「戻れ
ない」「←→ない」「通知ない」が死活問題だし、最近Softbankの電波はさらに悪化したのか屋外ですら300~500Kbpsしか出てい
ないことも多く、人が多いと100Kbpsも出てない。(前は1Mbpsとか普通に出てたので、ここ最近何かあったのか、場所・時間帯に
"自分は" Nexus S > iPhone4だが、我慢してiPhone4を使っている。iPhoneにはAndroidのようなワクワク感が無いのが残念だが、
カスタム面倒な人・初心者にはiPhoneを勧めているし、無難だとは思う。2.2か2.3以降のAndroidなら、用途や好みによってはオス
スメ。色々出来るから本当楽しい!アプリをアドオンで強化出来るとか感動したし!個人的には「iPhoneに貼る電子マネーシール
」「iPhoneでも音の組み合わせで決済」「iPhoneでFlash」「iPhoneで赤外線」とかにエネルギー使うのは勿体無いので、より自由
なAndroidが普及して技術が発展すると良いと思っている。
じゃあ何を使うべきか迷っている。Softbankは解約して本体売るつもり。回線はdocomoか、b-mobile+WiMaxか、auのEVO WiMax
(CDMA+WiMax)が良い気がしている。EVO WiMaxはかなり魅力的だけど、CDMA通信時の安定性が不安なのと、端末がHTC EVO一択にな
ってしまう。docomoの最新はXperia arcだけど、なんかぺりあってダサい感あるしGalaxy Sの方がNexus Sと似てて良さげ。ただ来
この記事(http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/038/38214/)のように、SIMフリーの技適通過済みAndroid端末をデータ通信の
みで使うのが安いし早いのは魅力。でもIDEOSは小さいしスペックが…
この辺(http://gpad.tv/phone/docomo-sc02c-samsung-galaxy-s2/)を見るに、Galaxy S2の発売とレポを待つのが良いと思うので
、たぶんそうする。本当はすぐにでも変えたいので辛い。
さて、タイトルで「議院内閣制」「二院制」「二大政党」と並べられていますが、これはそれぞれ制度として次元が違う話です。また「この3つの制度を組み合わせて使った方が良い」とかいう根拠は政治学的には特段存在しません。例えば、「強い大統領制-二院制-二大政党」のアメリカ、「議院内閣制-一院制-二大政党」の現在のスウェーデン、「議院内閣制-二院制-多党連立」のイタリア、といったように各制度とも、様々に他の制度との組み合わせが存在します。もちろん英国のように「議院内閣制-二院制-二大政党制」でやっている国もありますが、これが特別にメジャーな組み合わせというわけではありません。
そしてこの3つの次元の違う制度の中でも、「二大政党」は他の2つとレイヤの隔たりが大きいです。「議院内閣制&二院制」と違って「二大政党」は時に「二大政党制」などという風に「制度」として扱われますが、厳密に解釈すれば「制度」として(すなわち法的な根拠を以て)「二大政党であるべき」と定められているものではないからです。「二大政党」というのは「結果としてそうなってる」という状態を指していっているものですので、本来的には制度ではありません。それでも「二大政党制」という言い方が(政治学においても)許容されるのは、二大政党の国の大半は、小選挙区制度等で「二大政党になるよう誘導している」実態があるからです。直接的には「二大政党制度」という法的規定が無くとも「立法精神において二大政党を期待・想定している」と言えることが多い、という程度の根拠なのです。
日本の政治制度も、もちろんこの区別の原則から外れるものではありません。「議院内閣制&二院制」は「日本国憲法」という最高法規で規定されている制度of制度な代物ですが、自民、民主の「二大政党制」になったのは、あくまで「選挙制度(及び政党助成金等の法規定)を大政党に有利な制度としたこと」「大政党有利な選挙制度をひっくり返す程の大きな民意の動きはなかったこと」の結果でしかありません。
長々と前置きしましたが、「議院内閣制」「二院制」といったレベルの狭義の『制度』と、「二大政党」のような実際的な『政党のありよう』は、政治制度論的には全く別レベルの話だ、ということです。
以下、本題。
●他の国のように二大政党制に~
良く聞く言説ですが、これは「間違い」に近い話です。日本では米英の政治が有名なため、あたかも二大政党制が欧米の標準的な制度のような印象がありますが、政党結社の自由が保障されてる国に限っても、二大政党になっている国はむしろ少数派です。しかもその過半を英連邦またはその流れを引く国家で占めています。二大政党は「民主主義国の標準的な制度」ではなく「アングロサクソン系国家での標準的な制度」です。
更に言えば大国で単独政権が普通な国は英米と昭和日本、サイズを広げてギリシャくらいで、二大政党制の国でも連立政権の方が普通です。英米の政党のあり方はかなり特殊で、英米それぞれに、特有の固有事情によって成立している面が大きいのです。
●一党優位用の仕組みを二大政党時代に利用しているのが問題だと~
日本の政治制度は、憲法で規定されているような大枠の部分では、別に一党優位を想定した仕組みではありません。日本の政治制度を大枠で分類すると、「立憲君主国-議院内閣制-(民選第二院型の)二院制」と言うことになりますが、これは結社の自由が保障されている民主主義国家では比較的ありふれた組み合わせです。天皇制を維持することを前提とした上では最も無難な標準パターンと言えるでしょう。このありふれたタイプの政治制度の国での政党のありようは、分極多党制、穏健多党制、二大政党制、一党優位制(例は戦後日本とマレーシアぐらいしか思いつきませんが)など様々です。従って、この「大枠」の部分について「一党優位用の仕組みである」とするのは無理があるでしょう。
そもそも日本国憲法には「一党優位」どころか「政党」に関する規定そのものがありません。日本には戦前から政党政治の伝統があったにも関わらず「国会運用の主体は別に政党である必要はないよ」というのが日本国憲法の立場なのです。
●何かシステム的に抜けているところがあるのでしょうか。
「大枠」が特に関係無いならば「細部」で抜けている可能性が高いでしょう。二大政党制が定着している米英の日本との違いを挙げてみます。
強い大統領制(首相がいない)を採っていて、議会と大統領が別個に選ばれるアメリカでは「大統領-議会」及び「上院-下院」のねじれが日常茶飯事です。どちらでもねじれが生じていなかった期間の方が短いくらいのはずです。それでもアメリカの政治が何とかなっているのは(実は「レームダック現象」のように結構止まってるのですが)、「大統領権限の強さ」及び「習慣的に党議拘束が無い」ことが挙げられます。実は日本の首相も法制度上は非常に権限は強いので(後述)、違いとして大きいのは「習慣」でしかない党議拘束の面です。アメリカ議会においても党の決議というものはありますが、党の決定に反した投票を行っても除名されるというようなことは滅多にありません。従って、大統領が少数派政党所属でも野党の一部を引き抜いて政府法案がとおってしまうことが良くあります。もちろん一部と言えども説得するためには、法案の修正などを余儀なくされることも多いですが、「0か100か」ではなく話し合いで妥協案が作りやすいということです。野党の中核が認めてくれる(かつ与党が我慢できる)ような修正は困難ですが、野党の一部を納得させるだけなら説得でなんとかなることが多い、という感じです。「与党40、野党60、このままじゃ法案通らないので、修正して野党から20人賛成に取り込み。修正を批判して与党から8人離反したけど可決」なんてことを日常的にやっているのが米議会です。
当然ながらアメリカでも日本でも「党議拘束をどうするか」というのは政党内部での独自の取り決めであって、法律で規制しているものではありません。
イギリスではそもそも「ねじれ」は問題になりません。第二院が「貴族院型第二院」であり、貴族院型の通例として非常に権限が弱いからです。貴族院が否決しても庶院が可決していれば、再議決等もなく法案は成立します。
ただ、この両院の権限については「細部」というより「大枠」に近い部分です。日本でも衆議院の優越具合は憲法上で定められています。ちなみに「日本の参院は強すぎる」とよく言われますが、政治制度論的にはこれは怪しい話です。確かに「貴族院型第二院」の場合は第二院の権限が非常に弱い(しばしばイギリスのように形式的存在)場合が多いのですが、日本のような「民選型第二院」や「連邦型第二院」の国では「ちょっとだけ第一院が強い」というのが標準で、日本の参院の権限は(どちらかと言えば強い方には入りますが)「第一院がちょっとだけ強い」の範疇に収まる話です。
●(なぜ)ねじれた時点で機能不全になる仕組みがまかりとおっているのでしょうか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%A1%E9%99%A2%E5%88%B6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%99%A2%E5%88%B6
あたりをご参考に。
もちろん二院制には欠点も多いのですが、実は世界の主流は二院制です。一院制をとっている国は「軍事政権or一党独裁時代の歴史的な経緯を引き継いでいる国」もしくは「人口数百万以下の小国」が大半です。
確かに二院制は本質的にねじれ可能性を内包しています。にも関わらず二院制が主流だということは、多くの国が「ねじれ」を始めとする二院制のデメリットよりもチェック&バランスのようなメリットの方が大きいと判断している、ということです。
制度論としての正面からの回答としては「なぜ両院の与野党構成がねじれた程度で簡単に機能不全になるんだ?ねじれ議会なんて良くある事じゃないか?」という話になります。
実は(二院制とは別の側面ですが)日本の採っている議院内閣制は、行政府の安定性が最も高い制度になります。強い大統領制や、大統領と首相が行政権を分け合う半大統領制は、議会勢力と行政府の代表が独立した選挙で選ばれますので、制度の本質として行政府と議会の一致を担保していないため(両院間の対立ではありませんが)、行政府と議会の対立は議院内閣制より遥かに起きやすいのです。フランスのコアビタシオン時代にせよ、アメリカ大統領の任期後半(たいてい議会が野党多数です)にせよ、ひどい政治停滞にはなっていないわけで、普通はねじれても何とかなるよ、というのが民主主義国一般での実績なのです。
●それとも二大政党制の作法を政党も国民もマスコミも知らないのが問題なんでしょうか.
そもそも二大政党制と「ねじれ」とは直接的な関係はありません。
議院内閣制の日本では「ねじれ」が「両院対立」として現れましたが、「ねじれ」の問題点の根本は「行政と議会の対立」なわけです。この対立は「一党が圧倒的に優位で行政も議会も常に押さえている」という(自由主義的民主国家としてはかなりレアな)状況でない限り、しばしば起こる方が普通な訳です。
「作法を知らない」とするなら「二大政党制の作法」ではなく「議会制民主主義の作法」というべきでしょう。そもそも英米以外の大国はほぼ常に連立政権ですので、どの政党も最終的に何らかの妥協すること無しには政策が実現しないため、閣内/閣外双方の政党間での政策のすりあわせや、政権交代/政権与党組替時の継続性、について不文律が確立しているケースが多いです。
「日本の政治制度は大枠としてはごく標準的なもの。それが上手く行かないなら、制度大枠に起因する本質的な欠陥ではなく、日本特有の事情による欠陥と考えた方が良い」
ということになると思います。(その特有の事情って何だ?という話は政治制度論の範疇を超えますので、ここでは省略させてください)
もし「ねじれ」のような問題を解消するなら、制度論から言っての解決策自体はいくつもあって、例えば
・狭義の「制度」面からの解消→イギリス流に実質的一院制にしてしまう。
(自由主義的民主国家において最も行政府が強力となる政治制度は大統領制ではありません。議院内閣制&一院制の組み合わせになります)
・運用面による解消→アメリカ流に各党が党議拘束を外し、個別の議論で成否を競う。
の2つの方法なんかは、二大政党との相性に100年以上の実績があります。日本の国会の「ねじれ」については制度の大枠の問題、運用面での政治行動の実態の問題、の双方が重なったゆえに生じているので、どちらか片方の解消だけで解決するはず、という考え方ですね。
最も前者は憲法改正が必要な点で、後者は政党の内部規定という法律で縛りにくいものである点で、実現可能性が非常に厳しいのですが。