2011年09月20日の日記

2011-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20110920235530

なぜ?

あれは埋めなきゃ意味がないはずだが

埴輪は庭に置いてください。

パクリ著作権侵害

ネットを彷徨っていたら、自分が構想中の創作物とほぼ同じキャラクターデザインや設定、演出を使ったweb漫画発見した。

これでは、自分創作物がパクリ著作権侵害になってしまう、という不安が頭をよぎった。

色々なパクリ騒動を斜め読みしてきたけど、意識してなきゃ似るわけないと人事みたいに感じていた。

よく考えたらこのweb漫画じゃなくても、今世にある何かに自分創作物がそっくりな可能性はあったわけで

精神衛生上、パクリ著作権侵害のラインとは何かを勉強しておく必要はあったのかもしれない。


で、色々検索して勉強したのだけど、なんというか曖昧なんだなぁと感じた。

ストーリーや設定は似すぎなきゃいいとか言われても、やっぱり似てしまうこともあるだろうし、

キャラクターデザインに至っては、ミッフィー訴訟やDob君事件など、これでダメなのかと思われるものを見つけてしまった。

あれでダメだと、萌え系のキャラなんか殆ど危険領域なんじゃないかと思う。

髪型や髪留めや髪の色、リボンや靴下ニーソ靴など、この手のデザインはほぼ汎用部品化されている。

服のデザイン最後の砦だろうけど、これも汎用部品化されているものが多く、例えば制服なんかは似ているものが多い。

しかしそれに関して何も動きはないということは、有り触れた人物デザインに関しては甘いのだろうか。

色々と対策を検討したものの、設定やストーリーキャラデザインが似るのは防げない気がする。

防げない上に、あからさまなものを除いてトラブルになっていないようだから、もはや気にしても仕方ないと結論しかけている。

http://anond.hatelabo.jp/20110920234701

更にその前の「前世を探したい病」みたいな感じか

00年代は「セカイ系」って奴だな

でも、多分違うと思うけど

ゲハのハード信仰声優処女信仰やらAKBメンバー崇拝とか見てると、

こいつらみんな「新興宗教にはまりたい病」なんじゃねぇかと思えてくる。

90年代の末期に「多重人格になりたい病」がちょっと流行ったけどそれと似たようなもんかね。

勝手に祀って勝手に裏切られて発狂してるんならいいけど外に出てくるなよ。

疲れんだよ。

28というと、結婚するやつはしていて、20歳くらいでできちゃった婚したやつなんかは、今はその子供が小学校に上がっている歳だ。一方で、まだ結婚していない奴もたくさんいるし、なかにはまだ童貞を貫いてるやつもいる。仕事も、すでに年収が1000万近い奴もいれば、100万くらいのやつもいる。

からといって、彼我を比べてどうこう言いたいわけでもなく、自分自分の道をただ行くのみ。皆、幸せだといいねえ。

http://anond.hatelabo.jp/20110920232203

若者の「死にたい」は「穴があったら入りたい」と同義なんだよって話は秀逸だと思った

http://twitter.com/hibikimio/status/34107488068444161

【しにたい】って言葉は、「しんぼうできない」「にげだしたい」「ただ楽になりたい」「いなくなりたい」」の略だから別に本当に死にたいわけじゃないんですよ。

http://twitter.com/u10so2/status/57763103458344961

10人くらいの子供たち。斜陽の中にある街。

私の実家千葉の片田舎にある。もっと言ってしまうと、田舎イメージしたCMによく出てくる小湊鉄道沿線だ。その沿線(と呼ぶのも躊躇われるような僻地だが)にバブル最末期に出来た新興住宅地に私の実家は建っている。

今日は所用があってこの実家に帰ってきた。

駅に着きバスを待つこと20分。やっとやって来たバスに乗り込むと、乗客は私を入れて3人。本当に素敵な田舎だ。

実はこれでも便利になった方だ。去年まではバスも通らず、駅から家までは歩くかタクシーぐらいしか交通手段がなかった。歩けば相当速く歩いてやっと家まで一時間タクシーだと1500円はとられる距離。まあこれがうすのろのろとしたバスに乗って200円になったのだから、桁違いに便利になったと言ってもバチは当たんないと思う。

さて、そんな素敵なバスに乗ってしばらくすると他の二人の乗客は降りてしまって、バスは私の貸し切りになった。この調子だとバスは長続きしないだろうと思っていると、急に10人くらい客が乗ってきた。みんな小柄でランドセルを背負っている。小学生たちだ。そこは、小学校にほど近いバス停だった。

この小学校も私の実家のある新興住宅地から遠かった。距離にして3.5キロ子供の足で歩いて45分から50分くらいの距離だ。今さっき乗ってきた子供たちも、大方は私の実家のある住宅地の子供たちだろう。あの距離を歩かないですむようになったのだから、この子たちも嬉しがっているだろう。

さて、子供たちとバスに揺られて10分弱。目的である住宅地が次のバス停になった頃だ。子供たちは誰が降車ボタンを押すか、みんなで相談し始めた。そんな子供たちを後目に、私は降車ボタンを押す。え、今の誰が押したよ?!と子供たちが騒ぎ始めるなか、私は黙って手を挙げた。

最初は私が何故手を挙げているのかわからない様子だった子供たちも、ちょっとするとなぁんだというような顔をした。けれども、あなたが押したのか、という意味合いのことは一言も言わなかった。きっと私のことをオバサンと呼んだらいいのかお姉さんと呼んだらいいのか分からなかったからだろう。賢い子供たちだ。

そしてそれをきっかけに、バス停までの短い間子供たちと話した。バスが出来てから通学が便利になったと子供たちは口を揃えて言っていた。けれども朝はバス時間が上手く合わなくて、バスに乗っていると遅刻するとも。

一生懸命体全体を使ってコミュニケーションしてくる子供たちと話すことは楽しかった。しかしそろそろバス停に着いてしまう。私は簡単に降りる準備をした。夕日が眩しくて外していた眼鏡をかけ直しただけだが。そうしたら、子供たちは口々にこう言ってくれた。その眼鏡、カッコいい!と。大切な方から贈ってもらった思い入れのある眼鏡だったので、その子供たちの感想が余計に嬉しかった。

そして、田舎道に沿って突如現れる、総計200戸ほどの住宅地の中心にバスは着き、みんなで揃ってバスを降りた。そこからは散り散りで、みんな手を振って別れた。

私は心地よい余韻に浸りながら実家までの短い道のりを歩いた。10人くらいの子供たち。みんな仲良そうにしていた。

10人くらいの子供たち。

私はようやく気づいた。この住宅地にはもう10人ほどしか子供が居ないのかと。

この住宅地バブルの最末期ほどに売り出されたものだ。その時三十代の戸主を持った核家族が移り住んできて二十年。彼らは五十代になり、その子供たちは二十代で自立のときだ。ここに建っている家々は皆核家族用のもので、複数世代が住めるものじゃない。私だってちょうどその世代だ。私が子供の頃はこの住宅地はもっと賑やかで、小学生だけでも百人近くはいたではないか。それこそ、あんな小さなバスでは乗り切れないくらいに。

この住宅地は、確実に斜陽の中にある。分かっていたはずだ。考えればすぐに分かることだ。そんなことだが、実際に子供たちの姿を見なければ、何も分からなかった。

この住宅地はこれからゆっくりと老いてゆくのだ。その事実に愕然としながら、私は実家の扉を開けた。そこには、もう随分と白髪の混じった母が、小学生だった私を迎えてくれるのと同じようにして待っていてくれていた。

しにたい

しにたい、とTwitterで言えない。

誰にも言えない

誰とも喧嘩してないし仕事も順調だし趣味も充実してるし友達もたくさんいるし

なんの文句もない人生のはずなのに、なぜか死にたくなる。

彼氏にはわがまま言いたくない。普段もいつも面倒みてもらってるから、これ以上負担

かけたくない。

なんで死にたいと思うのかわからない。なんでなんだろう。

悩みもないから、解決しようもない。

誰かが亡くなった話を聞いたら、

じゃあ私が死んだらどうなるかな、って考える。

親には申し訳ないな。謝ろう。兄妹には親を頼む。彼氏と共通の友達には、彼氏のことを頼む。

彼氏にはありがとうって言いたい。

それできれいさっぱい消えてしまえたらいいのに。

なんでなんだろう。なんで死にたいって考えちゃうんだろうなあ

ふっしぎー

原発を止めるたったひとつの冴えたやりかた

原発を即時停止すること」が、原発を動かし続ける事よりも国益資することを、政策科学的に証明すればいい。

言い換えると、「官僚言葉」で書かれた原発推進論を、より優れた「官僚言葉」で完全否定すればいい。

原発即時停止に伴う利点と悪影響を、短期的、中期的、長期的視点から分析し、

原発稼動を継続する選択肢比較して、原発即時停止の優位性を証明すればいい。

上人妻と不倫している独身男だがもう限界かもしれない

まあ、タイトルの通りだ。

身バレが嫌なので詳しくは言えないが、あるイベント彼女が一人で行く予定と知っていながら、俺は別の女友達(互いに恋愛感情はない)にそのイベントに誘われ、行くことにした。

で、何となく彼女に言いづらくてとうとうイベント直前の日に打ち明けたところ、もう手の付けられないほど怒ってしまった。

あなたは私が会場のどこかで一人でいるのをよそに、平気で他の人と楽しめるの」

「後ろめたいことがあるからぎりぎりまで黙ってたんでしょ」

「感じ悪い。私の気持ちなんかどうでもいいんでしょ」

嫉妬の類と言ってしまえばそれまでなんだろうけど、このイベントは俺との仲が深まるきっかけと関係していて、それだけに思い入れが強かったみたいなんだ。だから余計むかっ腹が立ったらしい。

とりあえず直接会って、誠心誠意謝り、何とか機嫌を治してもらって、その後セックスまでこぎつけて仲直り、というのがイベント前日。

やれやれこれで大丈夫かな、と思ったらイベントの当日、俺がその女友達と楽しそうにしているところを彼女が遠目から見てしまい(ちなみに俺は気づかなかった)、怒りの炎が再燃したようだ。

そして仲直りのきっかけが掴めないまま、今日に至る。

これまで何度となく俺の不甲斐ない態度や考えの浅い行動で彼女を怒らせ、そのたびに彼女を失いたくない一心で話し合いの場を作り、悪いところを全面的に認めて謝り、愛していると連呼するなどして何とか関係を保ってきた。

しかし、今回のこじれ方は酷い。またしても俺が悪いんだが、一旦収まりかけた話が再発したということで、何となく取り返しのつかないことになっている気がする。

今回のことは全面的に俺が悪くて、もはや関係を終焉させたいと向こうが言ったとしても抵抗などできる立場ではないと思っている。

でも、まだ愛しているし、何かあったら支えてあげたいし、同時に俺のこともずっと見守っていてほしいというのが本当の気持ち。できることなら、俺のことを嫌わないでほしい。

でも、都合の良すぎる考え方なんだろうなと自分でも思う。これを伝えて謝ったところで、今更何を言っているんだなどと言われるのがオチなんだろう。

自業自得だと分かっているし、もう謝って謝って謝り倒したいんだけど、彼女は日頃から「ただ単に謝られると私が納得していないのに『許す』と言わせて終わらせようとしているみたいで嫌だ」と言っていたので、それはあまりよくないやり方だと思う。

それに、俺を口撃することで彼女自身が精神的に疲弊するに違いない(事実メンヘラ気味なので普通の人より確実に悪影響)ので、なるべく怒らせたくない。

かと言って、連絡をとらず何も言わないのも、それはそれで後味が悪い別れ方になる気がするし。

最悪不倫関係は終わっても、彼女とは何かあれば連絡をとれるような関係でいたい。

彼女は俺の物の考え方に非常に大きな影響を与えてくれたし、お互いが寂しいと思ったときに(肉体関係以外の面でも)優しく支え合える関係でいたし、ともすれば仕事で自信を失いがちな俺を凄く励ましてくれたし、また彼女精神的に危なくなったときに俺が電話言葉をかけたときは、彼女にとって命を救われた思いだったとも聞いている。

とにかく彼女と過ごした時間は俺にとってかけがえの無い宝物だし、彼女にとってさえもそうだったと(自意識過剰かもしれんが)思っている。

それが終わるにしても、こんな悲しい終り方はあんまりだと思う。彼女だって不倫は悪いと思いつつも、こんなことは望んでいなかったはず。

でも、どうしても解決方法が見つからない。

http://anond.hatelabo.jp/20110920214938

女子」の無謀な万能感のはびこり具合は本当にウザい。

女子高生とか女子中学生とかの傍若無人キュート若さハイブリッドパワー的ななにかを引きずり過ぎ。

ガキじゃあないんだからさ。

http://anond.hatelabo.jp/20110920223600

とか

このブログに、これを貼ろう!運動  マルチ宗教面白おかしからかう人も居るのに

http://blogs.yahoo.co.jp/goisu166/folder/1209047.html

迷惑だし同じように弱者から搾取しかねない存在なのに。


731 :優しい名無しさん:2007/07/06(金) 10:14:11 ID:dSHhKWfW

1990年には、米国の3つの物質依存治療センターで、アルコール依存症治療中の患者を対象に、

親のアルコール依存症の有無によって2群に分けて調査を行い、

その結果、米国の正統派の精神科の診断基準マニュアルであるSM-Ⅲで、

その2群にはまったく統計的な有意差は認められなかったと報告し、

アダルトチルドレン(AC)そのもの存在しないとした。

http://mimizun.com/log/2ch/utu/1175555457/


http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3653/archive/kato01.html   アダルト・チルドレンの語られ方  -雑誌記事の分析より- 加藤 篤志 『茨城大学人文学部紀要 コミュニケーション学科論集』No. 4 (1998年9月発行) 165-180ページ所収

http://www5.ocn.ne.jp/~misuzu/tamaki.html  書評心理学化する社会」 -精神医学という名のメタなる怪物-

上記レスの調査ではないようだけど、フロイト先生のウソという本でも、虐待連鎖については差はあるものの、8%と12%なので、大した差では無いという事になったと書いてあるらしいです

http://psychodoc.eek.jp/abare/ac.html  中立的なもの見方精神科医意見 精神医学界では冷遇されているとしながらも、頭から否定はしていない。1999年書かれたもの。ちょうど流行りかけのころか。

その中にもこう↓書いてある。 

ACとそうでない人々の間に統計有意差はなく、ACなんてもの存在しないと主張する研究者もいたりする。



986 : 没個性化されたレス↓ : 2010/06/29(火) 22:37:15

アメリカソーシャルワーカー達がアダルトチルドレンという無根拠なレッテル貼りを始めてから

もう40年という月日がたってしまった。

それを利用したAC業者やマスコミが被害を拡大させて、日本でも30年近くこの無根拠な概念暴威をふるった。

このAC概念は無根拠なくせに極めて専横的で疑いを許さなかった。マスコミAC業者がそうさせなかったのだが。

AC概念は人々を苦しめ、裁き、断罪し、この概念くびきのもとで生きる事を強い、いささかの救いの道をも与えなかった。

ACは無根拠であるが故に疑いを許さなかった。ヒットラーのように。北朝鮮のように。

人々はACという強制収容所に入れられたようなものだ。

AC収容所人間は小石のようなあきらめをしゃぶり乾きを癒すしか無かった。

私はACからしょうながい。私はACからここにいるんだ。

ACに根拠は無いのに。

そして強制収容所の人々が「ここにいるから私は友と知り合えて生きていること許される」と心理的な合理化をするように

AC知ったからこそ私の人生がある」と合理化をするようになる。

商業主義の暴虐に痛めつけられ囚われの身となった人の心が、最後の誇りを失わないようにするために

心が最後防波堤を築き、なんとか自分を守ろうとするのだ。

強制収容所に30年幽閉された人が解放されてもとまどうように。

30年と言う月日をAC商業主義の暴虐に晒された心に「ACには何の根拠も無い」

と言われてもすぐには受け入れらないのはもっとなことだ。

このスレも次スレもこうしたAC被害者リハビリをどうするかという問題も検討されるべきだろう。

http://logsoku.com/thread/academy6.2ch.net/psycho/1035617398/

フリーランスプログラマの開発費の一例

http://anond.hatelabo.jp/20110918202040

なんか自分の受けてる仕事の10倍くらい高いんです

事例を幾つかあげると、自分場合はこんな値段

※金額は総額。括弧内は開発期間。

なんかおもしろい動が無い?

おしえて

うん?恵まれて無いけど

http://anond.hatelabo.jp/20110920205634

意味わかんねーwww

助けてくれなくていいからって言っちゃうYO

経済貧乏人は意味わかる。知的貧乏人てどういう意味

unless/if not

このブログ

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51133522.html

P.S.の3段落の2文目

You can't carry out, proceed, or execute, unless you don't know how to do it, right?

の"unless"がしっくりこない。"if"の方が良い?

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