はてなキーワード: ラストとは
大阪駅の萌え絵ポスター、憲法解釈論では「問題なし」 平弁護士と考える「表現の自由」 - 弁護士ドットコムという記事にブクマが集まっているのだが、弁護士らしいよくできた詭弁だなと思った。
はてなーはいつから憲法の解釈で戦ってると思ってたの?と増田でも言っているが、他にもいろいろとおかしいところがある記事だと思った。
1. 大阪駅に掲示された麻雀ゲームのエロイラストは法的には問題ない
3. 国会議員には憲法尊重擁護義務があるので、広告などの表現への批判はするべきでない
記事はまず「今回の広告は「法的」に問題があるのか?」という記者(無記名なのでこの記者が誰なのかはわからない)の問いかけから始まるのだが、このような論点では誰も争っていない。確実に否定できる問いから始めて、自分の正しさを演出する典型的な詭弁術である。
裁判例結果詳細 | 裁判所 - Courts in Japan
市営地下鉄の列車内における商業宣伝放送は、業務放送の後に「次は○○前です。」又は「○○へお越しの方は次でお降りください。」という企業への降車駅案内を兼ね、一駅一回五秒を基準とする方式で行われ、一般乗客にそれ程の嫌悪感を与えるものではないなど原判示の事情の下においては、これを違法ということはできない。
記事は何度も「とらわれの聴衆」判決を引き合いに出して広告批判をするべきでないと主張するのだが、「とらわれの聴衆」判決で問題になったのは市営地下鉄の車内放送で「○○へお越しの方は次でお降りください」という広告を行うことである。駅の構内に性的なポスターを掲示することを同列に扱って議論をすることに意味があるのかは疑問だ。仮に市営地下鉄の車内放送で性的な広告が流れたとして、それについて裁判を行えば判決もまた違ったものになるのではないのだろうか。
ちなみに「とらわれの聴衆」判決は以下に引用するように商業宣伝が表現の自由の保障をうけるものであるかは明らかでないとしているのだが、記事はそれについてはふれていない。自説を展開するうえで都合が悪いからだろう。
およそ表現の自由が憲法上強い保障を受けるのは、受け手が多くの表現のうちから自由に特定の表現を選んで受けとることができ、また受けとりたくない表現を自己の意思で受けとることを拒むことのできる場を前提としていると考えられる(「思想表現の自由市場」といわれるのがそれである。)。したがつて、特定の表現のみが受け手に強制的に伝達されるところでは表現の自由の保障は典型的に機能するものではなく、その制約をうける範囲が大きいとされざるをえない。
本件商業宣伝放送が憲法上の表現の自由の保障をうけるものであるかどうかには問題があるが、これを経済的自由の行使とみるときはもとより、表現の自由の行使とみるとしても、右にみたように、一般の表現行為と異なる評価をうけると解される。もとより、このように解するからといつて、「とらわれの聞き手」への情報の伝達がプライバシーの利益に劣るものとして直ちに違法な侵害行為と判断されるものではない。しかし、このような聞き手の状況はプライバシーの利益との調整を考える場合に考慮される一つの要素となるというべきであり、本件の放送が一般の公共の場所においてプライバシーの侵害に当たらないとしても、それが本件のような「とらわれの聞き手」に対しては異なる評価をうけることもありうるのである。
記事はここまで一応は法律論にのっとって議論を展開してきたのだが、ここから内容は抽象的で曖昧なものになっていく。広告主に表現の自由があるのなら、国会議員にも表現の自由があるし、思想・両親の自由もある。広告を批判した内容についてではなく、批判したという事実そのものを非難するのは難癖としかいいようがない。記事で展開される論に従えば、国内の民間の活動は経済的自由はじめほぼすべてがなんらかの形で憲法によって保障されているのだから、国会議員は憲法尊重擁護義務のせいでいかなる民間の活動に対しても批判することはできないということになってしまうだろう。
記事は広告が法的に問題があるかというだれも気にしていない問題は取り上げるのだが、自主規制のあり方がどうあるべきかという本来の関心が集まっていた問題については驚くほど無関心である。
また、松井茂記教授(ブリティッシュ・コロンビア大学)は、ポルノによる性表現が女性の「人間性を傷つけ、その尊厳を損なう表現」だということで問題にするのであれば、「女性」の場合だけに限定すべき理由が乏しいことから、「およそ人間性を傷つけ、その尊厳を損なう表現はすべて禁止されうることになろう」とし、さらに「おそらく戦争の犠牲者やテロ行為の犠牲者の写真や映像も、公表できないことになろう」と解説しています(松井茂記『インターネットの憲法学 新版』(岩波書店/2014年)169頁)。
このように、「ジェンダー構造を再生産する」とか「女性の人間性を傷つけ、その尊厳を損なう表現」だといった理由で、表現の自由を制限する方向の議論を展開することは、表現の自由が広く制限されすぎてしまうことにつながりかねず、問題でしょう。
記事はこのように主張するのだが、「人間性を傷つけ、その尊厳を損なう」ような広告を鉄道の駅に掲示することは現在でも自主規制の対象になるだろうし、そのことについても社会的に広く異論はないはずである。性的な広告を鉄道駅に掲示することの是非は、その自主規制のラインをどこに引くべきであるのかという、より繊細な議論を必要とするのだが、記事はただ「規制は慎重であるべき」という何の役にも立たない一般論を述べているに過ぎない。
記事はわざとらしく「立憲」という言葉を繰り返し強調したり、以下のような文言をはさむなどしており、極めて強い党派性が感じられる。
なお、国会議員等が、与党の解釈改憲や検察庁法の改正問題を批判した際には、憲法学や法律学の通説あるいは多数説によるべきとしつつ、別の局面では少数説の立場に立つという態度は、結局のところ、憲法学や法律学の専門家の意見を尊重して判断をするというのではなく、自分たちの立場と意見が合致するのであれば、専門家を都合よく利用するといった態度である可能性が高いといわざるを得ないでしょう。
常に通説や多数説に従えというのはある種の見識なのかもしれないが、「とらわれの聴衆」判決から「広告表現は憲法で強く保障されている」という通常と真逆のメッセージを引き出す記事でそのように訴えられてもどう受け止めればいいのか困るというのが正直なところだ。
アーマード・コアシリーズの新作、ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON が発表された。
この10年近くずっと新作を待ち続けていたので本当に楽しみだし、たくさん売れて評価されて、今後も新作が出続けてほしい。
そこで、アーマード・コアをよく知らないけど少し興味がある、という人に向けてシリーズの紹介をしたいと思う。すでに同じような記事が出ているけど、こういうのはいくつもあって良いだろう。
3人称視点の3Dアクションゲームで、プレイヤーはアーマード・コア(AC)と呼ばれるメカ(ロボット)を操縦して戦う。公式にはジャンルは「3D戦闘メカアクション」とされている。
(ゲームとしてのアーマード・コアとゲームに出てくるメカとしてのアーマード・コアを区別するために、以下ではメカの方をACと書くことにする)
ACはコアと呼ばれる胴体を中心に、頭、腕、足(人型以外にも色々な種類がある)や武器、動力源のジェネレーター、高速移動用のブースターなど様々なパーツを組み合わせて完成する。完成済の機体の中から選んで操縦するのではなくて、たくさんあるパーツの中から自分で選んで組み上げた(アセンブルした)機体を操って戦う、というところがこのシリーズの大きな特徴。
主人公(プレイヤーの分身。名前も自分で決める)は金銭を対価に依頼を受けて戦う傭兵で、色々なミッションをこなして金を稼ぎ、稼いだ金でパーツを購入して機体を強化し、また次のミッションに向かう…というのがゲームの基本的な流れ。ミッションの他に、AC同士の一対一の対戦で賞金を得られるアリーナがある作品も多い。
先日公開された IGN のインタビュー (https://jp.ign.com/armored-core-6/64541/interview/armored-core-vi) から宮崎氏の言葉を引用する。
『ARMORED CORE VI』の開発がどういう形で始まって、どういう狙いがあったかというと、まずは「ARMORED CORE」シリーズ従来のコアコンセプトである、自分の機体を自由にカスタマイズできるアセンブルと、それを自由に動かせることになります。
アーマード・コアの核となる部分はまさにここなんだけど、これだけだと未経験者はイメージできないと思うので、もう少し詳しく説明する。
前提として、ACのパーツには「これを選んでおけば最強」というものは基本的にない。どのパーツにも個性があって、選んだパーツやパーツの組み合わせによって機体の動きの特性や得意な戦い方が大きく変わってくる。
防御力の高い機体で真正面から敵と撃ち合っても良いし、動きの速い機体で敵を翻弄しながら戦ってもいい。遠くから狙撃するスタイルの機体を組んでもいいし、近接武器メインの機体で敵を切り刻んでもいい。
ミッション一つ一つにも機体の向き不向きがあるので、攻略するために状況に合わせて最適なアセンブルを考えていくことも必要になってくる。もちろん、自分の考えた最強の機体で最初から最後まで戦い抜いても良い。プレイヤーごとに様々なスタイルがあり得るし、様々な遊び方がある。
また、ACのアセンブルではただパーツを選ぶだけでなく、機体を好きな色に塗装したり、エンブレムを貼り付けたり、名前を付けたりと、機体の性能に関わらない部分まで細かくカスタマイズすることができる。そうやって隅々までこだわって完成したACは自分だけの唯一無二の機体で、そしてそれを自由に操って戦場を駆け回ることができる。これがとても楽しく充実感があって、他のゲームでは代えがたい魅力だと思う。
シナリオクリア後には全てのミッションを再度プレイできるようになるので、最初はガチガチの攻略用機体でさっさとクリアして後から好きな機体で趣味に走ってもいいし、クリア後はひたすら他のプレイヤーとの対戦に没頭しても良い。
一周クリアしたからもう遊び尽くした、おしまい、とはならないのもこのシリーズの特徴だ。
こういう戦法で戦いたい、好きな武器を撃ちまくりたい、見た目がかっこいい機体で戦いたい、他作品に出てくる好きなロボットに似た機体を作りたい、操縦が難しい機体を上手く乗りこなしたい、あえて自分で制限を加えて縛りプレイを楽しみたい、他プレイヤーとの対戦に勝ちたい、などなど、色々な遊び方にアーマード・コアシリーズは応えてくれる。そこが本当に面白くて楽しい。
これに関してはすでに IGN のインタビューでも語られているが、大前提としてソウルシリーズはアクションRPGで、アーマード・コアシリーズは戦闘メカアクションだ。
基本的な操作方法から世界観に至るまで全然違う。飛び交うのは矢や魔法ではなく銃弾やレーザーだ。とはいえ、同じフロム・ソフトウェアが作っているのでフロムゲーに共通する要素は見られるし、ゲームシステムにも似通った部分はある。
例えば、ACのアセンブルはソウルシリーズのキャラメイクと似ていると言えるかもしれない。
キャラクターが装備する防具のようにACにはフレームパーツ(頭、コア、腕、足)があるし、剣や弓、魔法や祈祷はACでは武器パーツになる。ソウルシリーズでキャラビルドを突き詰めるのが好きな人はきっとACのアセンブルも楽しめるだろう。
キャラメイクの際に外見にこだわり抜いた経験がある人はACのカラーリングやエンブレム作成にハマるかもしれない。
もちろん異なる点もあって、例えばアーマード・コアシリーズにはレベルアップの概念がない。同じアセンブルの機体は常に同じ性能で、レベルアップするのは操縦するプレイヤーの腕前だけだ。
この他にもシビアな世界観や多くを語らないストーリーテリングといったフロムゲーによく見られる特徴があるが、挙げていくときりがないのでこのくらいに。
そんなことは全くないので安心してほしい。シリーズが長く続く中で世界観やゲームシステムが何度かリニューアルされていて、分類すると以下のようになる。
系列が異なる作品にストーリー上のつながりは無いので、例えば3系だけプレイしても十分に楽しめる。(初代系と2系のように一部世界観がつながっているものはあるが、ストーリーを追いかける上では知らなくても問題ない)
なお、ここに挙げたのは据え置きゲーム機のタイトルのみで、他に PSP や携帯電話(スマホ以前のガラケー)向けのタイトルも存在する。
新作のACVIでは世界観からゲームシステムまですべて一新されることが(今出ている情報だけからでも)分かっているので、シリーズ経験者もVIからのプレイヤーもスタートラインは横並びになる。VIから始めても全く問題ないはずだ。
とはいえシリーズ全般に通用する基礎知識というものはある程度存在するし、過去作も面白いので気になったらぜひプレイしてみてほしい。
ぜひプレイしてみてほしいと書いたものの、残念ながらどの作品も動作するハードが旧世代機になってしまっているので、2022年現在だとそもそも過去作をプレイする環境を用意するのが難しくなってしまっている。
手元にある(あるいは手元に用意できる)ゲーム機で遊べるタイトルがおすすめ。機種別だと、最初にシリーズに触れる作品としては
が個人的におすすめ。これに限らず気になった作品から手を付けても大丈夫だけど、同じ系列の中で後発の作品は前の作品をプレイしていることを前提に難易度調整されていたり、前の作品とストーリー上のつながりがあるものがある。
そのため、3を飛ばして3SLから始めたり、NXを飛ばしてLRから始めるのはあまりおすすめしない。(ストーリーに関しては作品ごとに単体で完結するので、その点は安心してほしい。ただ、同じ系列の中であれば前作をやっておいた方が後の作品をより楽しめる)
ちなみに、PlayStation の初代アーマード・コアは古い作品なので今遊んでも面白くないかというと、全くそんなことはない。
アーマード・コアというゲームの基本はシステムの面でも、世界観の面でもほぼ全てこの1作目の時点で完成しているので、古いゲーム故のグラフィックの粗さが問題ない人はぜひ触れてみてほしい。
ネット広報が下手で全然話題にならない少年サンデーで今年連載始まったオススメ3作品を挙げてやるから読んどけ
・帝乃三姉妹は案外、チョロい。
(テンプレタイトルだけどマガジンで量産されてるようなエロハーレム漫画とは全然違って、サンデー伝統のちゃんとした少年誌ラブコメな。ポジティブお馬鹿な主人公っていいよね。最初はとっつきにくいかもしれないがキャラが動くたびに面白くなる。あとやっぱり絵がキレイ)
(獣医ものっていろいろあるけど、これは法獣医学。とはいえ推理ものってわけでもなく、法獣医学を学ぶ主人公の青春漫画。高校編が終わって今大学の獣医学部編。何より動物漫画にハズレなし)
・レッドブルー
(リアル系総合格闘技漫画。主人公が陰湿で性格悪いのが面白い。主人公はいじめられてるところを総合格闘技の若きスター候補の同級生に助けてもらって総合格闘技を始めるんだけど、同級生に憧れて始めるのではなく、助けてくれた同級生が顔や能力だけでなく性格まで完璧すぎるのにムカついて一度ぶん殴って地べたを這いつくばらせたいという負の感情で総合格闘技を始めてしまう。しかも自分をいじめてたやつの手を借りて。主人公は粘着質だけど漫画自体はカラッとしていて読みやすくて面白いからずっと続いてほしい)
ただ、今まで成功しやすい戦国と幕末しかやってなかったが今回不人気な鎌倉時代で視聴率を稼ぎにくい今そこそこの成功を収めたことでもう次の企画も内々定されていそうで普通のドラマを観たい自分は鎌倉殿の13人を楽しみつつ憂鬱な気分になっている
おそらく次は年齢的にもラスト大河、そしてラストということで真の不人気"応仁の乱"を取り上げるのではなかろうかと思っている(数年後なら落ち着いてるやろという賭けで呉座を使ったりするかもしれない)
ただ、その集大成となる大河ドラマのせいでもう連ドラも書けなくなるだろう(大河ドラマの脚本は多分数年かけて作り上げるだろうから)
所詮妄想だし大河ドラマの脚本が決まってなくてももう単純なコメディドラマはウケなさそうだし連ドラの脚本書かないかもしれないけど、単純に面白いコメディドラマもう一本くらい観たかったな
14:58でクリア
ほぼ15時間ちょうどだな
桐生編がどんだけ長くなるか戦々恐々としてたけどあっさり終わってよかった
ほんとファン向けのおまけって感じだった
1つの事件を複数キャラで多面的に追っていく構造はよかったけど、収束のさせ方とオチとラストがダメダメだった
敵がスウェイしすぎ&スーパーアーマーでひるみなしで反撃&連続攻撃してくる&ガードしまくり&こっちはすぐピヨったりダウンするのがめちゃくちゃストレス
動作キャンセルとか攻撃中の方向転換できねーからスウェイしまくる敵とアクションの相性が悪すぎた
敵がスウェイしまくってもそれをおっかけながら=攻撃方法変えながら攻撃したりだとか、
敵が攻撃してきたら今のモーションキャンセルして回避に転じるとかそういうのが全然できない
操作不可時間ができるだけ短い弱攻撃をペチペチあてては離れるみたいなのの繰り返しでマジつまんない
スカると隙だらけ
前作のままいじってないんだろうけどまったく使う気にならん
5やる前にff7のユフィやる
2009年11月のいわいる事業仕分けから、もう13年も経った。「2位じゃダメなんですか?」の質問の発言で非常に曰く付きとなったアレだ。
ところが最近、13年も経ってまだなおナゼ「2位」という言葉が出てきたかが理解できてない人がかなりいる事を知った。それどころか、スーパーコンピュータの京は、事業仕分け時点で世界一になることが明白だったなどという認識まで飛び出す始末である。
ただ、資料もなしにどこが変だと言っても仕方あるまい。何がどうして「2位」なのか、少し語ろうじゃないか。
初期の次世代スーパーコンピュータ (この時点では名前が付いていなかったが、以下わかりやすく京と呼ぶ) 計画 は、補助金を投入してのHPC産業育成に目を向けられていた[1]。世界一の性能を出していた海洋研究開発機構の地球シミュレータが、NECのSXシリーズをベースにしたベクトル型であり、ベクトル型のスーパーコンピュータは日本のお家芸とみなされていた。これを育成することが一つの目標。そして、立ち遅れていた当時の世界のスーパーコンピュータの潮流、スカラ型の開発に追いつくこと。これがもう一つの目標となった。結果、世界でも類を見ないベクトル型とスカラ型のハイブリットなどという中途半端な方式になる。実に日本的な玉虫色の決定と言えるだろう。しかし、補助金の注ぎ込みが不足し、事業者持ち出しの負担が大きくなってしまった。結果、事業費負担が高額になることを嫌い、NECと日立の撤退する[2]。これにより、世界の潮流通りのスカラ型とならざるをえなくなった。
CPUはというと、世界のスーパーコンピュータの潮流では当時から既に汎用のx86アーキテクチャのCPUが既に多くなってきていた中、富士通はSPARC64VIIIfxを採用した。よく国産CPUと表現されているが、SPARCの名で分かる通り、当然命令セットは米国Sun Microsystems (現 Oracle) のセカンドソースであり、端から端まで国産というわけではない。更に、業務用UNIXをささえるマシンとして一世を風靡したSPARCではあるが、当時ですらもう下火となっていた。京の事業費の約半分、実に600億円が、この専用CPUに注ぎ込まれることになった。なぜその選択をしたのか。富士通のサイトには省電力と安定性が理由として書かれている[3]。しかし、その省電力という目標も、後述するように微妙な結果となってしまった。また、ソフトウェアの使いまわしも微妙となった。
計画は2005年に始まる。世界でも類を見ないベクトル型とスカラ型のハイブリットという構成もあり、概念設計にはしっかり時間を費やした。2007年9月には性能目標は10P FLOPSと示した[4]。稼働開始は2010年、2012年に完成という工程も同時に示されている。直前の2007年6月のTOP500を見ると[5]、1位のIBM BlueGene/Lが370TFLOPS。5年後に30倍という性能を目指したことになる。当時の発表としては、世界一が取れるような計画だったが、しかし日進月歩の分野で5年は結果的に長かった。
さて、前述のように、ベクトル陣営は2009年5月に撤退を決めた。10P FLOPSの性能と決定した時には、ベクトル側も居たのに、そこがぽっかり空いた状態。10P FLOPSのあてはいつついたのだろうか? 2009年7月の報告書[6]では、スカラ単体で10P FLOPSを達成できること、ベクトル部は存在していても接続まわりの性能が不足していて問題があったことが表明されている。結果的に、なくなってよかったというトホホな内容だ。さて、同報告書では、稼働開始前の2011年6月に、ベンチマークだけでも10P FLOPSを達成してTOP500の1位を目指すと書いてある。どうしてこうなったのだろうか。
遡ること半年の2009年2月3日、米国国家核安全保障局(NNSA)はIBMと新しいスーパーコンピュータ Sequoiaを展開すると発表した[7]。性能は20P FLOPS、京の予定性能の実に2倍を達成するという発表だ。しかも、提供開始は2011年~2012年。京の1年も前になる可能性があるという。
そう、双方が計画通りなら、京は2012年、提供を開始する時には既に2位になっているという話題が出ていたのだ。なるほど、あせって2011年にベンチマークだけでも「トップを取った」という実績を残したいわけである。
さて、その後のSequoiaはというと?
ある意味計画通りだろう、2012年に提供が開始され、2012年6月のTOP500[8]では予定通り20P FLOPSを叩き出し、1位になる。しかし、2012年11月のTOP500[9]では、Crayとオークリッジ国立研究所が作ったTitanが叩き出した27P FLOPSという数字ににあっさりと抜き去られ、2位になる。まるで幽遊白書のラストのような展開だ。しかも、SequoiaはIBMのPower系アーキテクチャで構築されたA2プロセッサだったのに対して、TitanはAMD OpteronとNVIDIA K20Xの組み合わせ。汎用性でも差を開けられている。これはお手上げというものだろう。
さて、話は京に戻す。京が有名になったのは2009年11月13日の行政刷新会議、いわいる事業仕分けである(ここは参考文献は要るまい)。このときまで、そんな計画があることを知らなかった人の方が多かったのではないだろうか。どういうニュアンスで言ったかわからない、まるで日本を貶めているかのように聞こえる「2位じゃダメなんですか?」という言葉が非常にインパクトを与えたことだろう。
さて、じゃぁ何が2位なのか。だ。前述の通り、この時点ではIBMのSequoiaに追い抜かされることが見えていた。TitanはGPUの調達など細かい話が決まってきたのは2010年なので、この時点ではほとんど影がなかったはず。ということで、3位じゃなくて2位としたのは、Sequoiaを意識してのことだろう。つまり、「2位じゃダメなんですか?」というのは、1位を諦めて2位の性能で我慢するべきということではなく、客観的に見れば「2位になるのが見えているのだけど、何で1位と言ってるの?」という話になってくるのが見て取れる。蓮舫氏がそこを意識してたか知らんけど。
共同事業者が撤退し、一応強気に「大丈夫」と言ってはいるが、本当に達成できるかは周りからは疑問符が付くグダグダなプロジェクト状況、ほぼ専用設計で量産時にどういう問題が出るかわからないCPU、ソフトウェアも新規制作。税金の投入は中途半端で、産業を育成したいのか企業負担を増やしたいのかよくわからない(だから撤退する事業者が出る)。そもそもここで出来たスーパーコンピュータ、CPU抜きにしても売れるのか分からない。そりゃ、金田康正教授でなくても、京にはため息が出るというものだ。
さて、京は何を達成したのだろうか? 京は完成前ではあるもののベンチマークを実施し、見事11P FLOPSを叩き出し、2011年6月[10]と2011年11月[11]のTOP500でトップに躍り出る。この分野に日本ありと示した…かどうかはわからないが、一つの実績として言えるのは間違いない。いや、経緯のグダグダ感からして、見事なプロジェクト進行だったと称賛できる。しかし、前述の通り供用を開始した2012年9月[12]にはTOP500ではSequoiaに追い越されており、直後のTOP500ではTitanにも追い越されて3位となっていた。1位は、ベンチマークだけの存在だったと言える。
では目標の産業育成としてはどうだっただろうか。京をベースにしたスーパーコンピュータ PRIMEHPC FX10[13]やFX100は、東大[14]、名大[15]、キヤノン[16]、九大[17]、信大[18]、JAXA[19]、核融合科学研究所[20]、気象庁気象研究所と、調べるだけでも国内実績は多くある。国外実績は、台湾中央気象局[21]、シンガポールナショナルスパコンセンター、豪州 NCI、英国 HPC Walesと、それなりにある。ただどうだろう。産業としてうまくいったのだろうか。有価証券報告書を見ても、その他のセグメントに入ってしまっているため状況がつかめない[22]。謎ではある。とはいえもし、産業としてそれなりに育ったのならば、有価証券報告書で報告する事業セグメントとして独立したものを与えられてしかるべきだったのではなかろうか。少なくとも1000億も出したのだ。そのくらいではあってほしかった。更に言うなれば、特に競争の激しい国外市場をうまく取り込めたかというと、産業育成という視点では頑張ったとは思うものの心もとない結果だったように、少なくとも私には見える。
消費電力の面はどうだろうか。上述の通り、SPARCを使う理由には省電力が上げられていた。これをライバルのSequoia、Titanと比較してみよう。2012年11月のTOP500[9]で見ると、京は12.6MW消費するとある。Sequoiaは7.8MW、Titanは8.2MWだ。実はこの時の報告のあるスーパーコンピュータの中で、最大の電力消費量を誇っている。高いほうがいいのではなく、消費電力は低いほうがいいので、これはかなり問題がある。
費用面はどうだろうか。これもライバルと比較してみよう。京は日本円にして1120億円かかっている。対してSequoiaは2億5000万ドル[23]、Titanは9700万米ドル[24]だ。2012年11月で見るとドル円相場は82円なので、Sequoiaは約205億円、Titanは80億円となるだろうか。京のプロセッサ開発費を除いたとしても、数字が違いすぎるのだ。
纏めてみよう。京は、一時期でベンチマーク上だとしても、TOP500で1位を取った。これは「夢を与え」(平尾公彦氏)た結果だったろう。しかし、それは砂上の楼閣でもあった。しかしそれを実現するための費用は米国の5~10倍で、性能は実は半分、消費電力は1.5倍という結果になり、産業育成も盛り上がったかどうかは判然としない。こんなところだろうか。
近年のスーパーコンピュータを含めたHPC分野はどうなっているだろうか。近年のクラウドコンピューティングの流れを当然HPC分野も受けており、主要プレイヤーとしてAWSの名前が挙がっている[25]。またレポートでは挙がっていないものの、Google Cloudも猛追しており、円周率の計算では1位を叩き出している[26]。必要な時に、必要な規模で構築できるクラウドコンピューティングの波は、さてHPC分野でどこまで浸透していくのだろうか。産業育成の方向が、2009年時点では確かにハードウェア開発だったろう。しかし、事業仕分けへの反発により、日本は方向性を間違ってしまったのではないか。私は、そんな気がしてならない。
[1] ttps://www8.cao.go.jp/cstp/tyousakai/hyouka/kentou/super/haihu01/siryo2-3.pdf
[2] ttp://www.nec.co.jp/press/ja/0905/1402.html
[3] ttps://www.fujitsu.com/jp/about/businesspolicy/tech/k/whatis/processor/
[4] ttp://web.archive.org/web/20130207162431/https://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2007/070914/index.html
[5] ttps://www.top500.org/lists/top500/2007/06/
[6] ttp://www.jaist.ac.jp/cmsf/meeting/14-3.pdf
[7] ttps://www.llnl.gov/news/nnsa-awards-ibm-contract-build-next-generation-supercomputer
[8] ttps://www.top500.org/lists/top500/2012/06/
[9] ttps://www.top500.org/lists/top500/2012/11/
[10] ttps://www.top500.org/lists/top500/2011/06/
[11] ttps://www.top500.org/lists/top500/2011/11/
[12] ttps://www.riken.jp/pr/news/2012/20120927/
[13] ttps://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-24020620111107
[14] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2011/11/14.html
[15] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2013/05/15.html
[16] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2013/08/6.html
[17] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2013/08/22.html
[18] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2014/02/13.html
[19] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2014/04/7.html
[20] ttps://nsrp.nifs.ac.jp/news/PS-next.html
[21] ttps://pr.fujitsu.com/jp/news/2012/06/25.html
[22] ttps://pr.fujitsu.com/jp/ir/secreports/2015/pdf/03.pdf
[23] ttps://arstechnica.com/information-technology/2012/06/with-16-petaflops-and-1-6m-cores-doe-supercomputer-is-worlds-fastest/
[24] ttps://web.archive.org/web/20120727053123/http://www.hpcwire.com/hpcwire/2011-10-11/gpus_will_morph_ornl_s_jaguar_into_20-petaflop_titan.html
[25] ttps://www.sdki.jp/reports/high-performance-computing-market/109365
[26] ttps://cloud.google.com/blog/ja/products/compute/calculating-100-trillion-digits-of-pi-on-google-cloud
若い頃はエロイラストに寛容(気にしていない)だったけど、歳を取って感覚が変わる理由。
若気なので経験も少なく、判断を外に求めてしまう。そこで自分の商品価値を判断してしまう。
セクハラなどに対してもその感覚で、文句も言えず、後で恥ずかしく悔しい思いをする。
(セクハラと関係ないだろうと思うかもしれないが、加害者被害者共にハードルが低くなっていると事故る。あとで悔やむのは被害者)
特に未熟な人にとって、自己投影しやすい同年代の画には影響を受けやすいと思う。
(もちろん過去の自分が未熟だっただけで、気にし過ぎという意見もあるだろう)
社会が全て無菌室はよくないけど、公共に近いところは建前を気にしてほしいという思いです。
結果的にOKとなったものに、異を唱えるのも有り。異に異を唱えるのも有り。
…
ここではババア乙とか馬鹿なお前だけのお気持ちだろとか言われるのが関の山なんだろうね…
…
追記:
若者に何かを押し付けるつもりはなくて、大人側に公共に近い場での広告を配慮してほしい、性役割的なハードルを下げないでほしいと思っただけでした。
個人的な経験は自分の反省点として子供にそれとなく伝えようと思います。どう受け取るかは子供次第というのも理解しています。自分が幼く未熟だったのを他人もそうだと思っているわけではありません。
戸締りする映画を観てきた
今はまだ行動を起こさずにすんでいるが
落ち着くまであと数ヶ月かかるかもしれない
いやなことは何年経っても
鮮明に思い出してしまうたちなので
いくつも蘇ってずっと泣いていた
けれど
どんな台詞を言われても上滑りして響かなかった
いまだに流された場所には怖くて行けない
何年経っても怖いものは怖い
シにたい訳ではないし
今大事な人もたくさんいる
ふとシぬ方法を探している
昔、好きで読んでた漫画があった。
それなりに長い漫画で、最後に悪役を倒して黒幕も逮捕されて、一件落着、ってなった時に
突然主人公がスナイパーに射殺されて、そのまま最終回を迎えた。
私は正直呆然とした。
初恋という訳では無いけど、主人公のキャラがとても気に入っていただけに、
最終回で伏線も無しに突然死亡して、主人公を殺したスナイパーは黒幕に雇われてただけの因縁もロクに無い人で
主人公に報復する様なエピソードも無く、本当に唐突で理不尽な展開過ぎて、恥ずかしい話だけどショックで号泣してしまった。
今思えば当時としても古い漫画で、作者の別シリーズ含めて古本屋で安く一括購入した様な代物だったので
(作者さんゴメンなさい、後に出た完結済の別作品はなるべく紙の本を新刊で買ってます)
ネットを見てればネタバレも読めたんだろうけど当時はネットなんてちょっと調べ物ぐらいにしか使わなかったので、
以来それがトラウマになったのか、完結済且つラストのネタバレもちゃんと
読んだ状態じゃないと漫画やシリーズ物の小説を読めなくなってしまった。
最終回迎えてちゃんとオチを読んでから、安心して全巻購入して読んだ。
もちろんハッピーエンドなら良いし、バッドエンドでもちゃんと覚悟して読めるなら良い、
とにかく「最後どうなるのか?」を知ってからじゃないと長い作品を読めなくなってしまった。
トラウマ原因の漫画家の連載中の長編シリーズも、読みたいの我慢して完結を心待ちにしている状態である。
ドラマとかアニメ、映画も同様の理由でネタバレを事前に知らないと安心出来ない。
そんなタイプなので私自身はネタバレは気にしないというか寧ろボヤかさずに
ちゃんと教えて!ってタイプなんだけど、ネットだとネタバレは嫌われるし
続きが気になって読み進めたいのにネタバレを食らって怒る、というのは理屈では分かっている。
けどこういった事を友人や知人に話すと
「オチをちゃんと知った話を見て何が楽しいの?」みたいな反応を度々食らう。
恐らく一般的には自分みたいなタイプの方が異端だとは思うんだけど
例えば風俗店の広告は風営法16条によって規制されていて、自由に広告を出すことはできない。
自治体によっては風営法以外にも、条例でより厳しく規制しているところもある。
これ、昭和の頃は風俗店やいわゆるピンク映画が公共空間に看板やポスターなどのエロ広告だして問題になっていたため後に規制された。
このとき、それこそ風俗店の経営者たちが「表現の自由を奪うな」とか、いろんなあの手この手を駆使して反発したけれど最高裁で「違憲にあたらない」と判決がでて沈黙した。
扇情的な問題のある広告は「表現の自由」に抵触せずにきちんと規制することができる。
なので、広告に問題があると思う人はTwitterのハッシュタグで世の中動かそうとするんじゃなくて、ちゃんと自治体に苦情をいれるといいと思う。
とくに、子を持つ親なら学校やPTA・教育委員会などのルートを通じて苦情をいれるとかなり効果が高い。
どうもSNSが出来てから、既存のちゃんとしたルートを軽視してTwitterで晒せばなんとかなるだろうみたいな人が増えて困る。
最近は、中華ソシャゲとかがチキンレースの様に微エロイラスト広告をパブリックスペースに大量放出しているから、それらを集めて証拠として提出すればサクッと規制するための条例が作られるかもしれないし、試してみる価値はあるだろう。
ちなみに、風営法16条による宣伝の規制は「清浄な風俗環境を害するおそれのある方法で広告又は宣伝をしてはならない」とかなり曖昧なんだけど、一般的な通念をもとにした解釈運用基準で運用される。
ようするに法令や条例で規制されるようになれば、その対象は一般的な通念によって「こりゃ駄目だろ」というイラストが規制されるわけで、Twitterでありがちな「このイラストをエロいと思う奴がエロいだけ」といったくだらない屁理屈に付き合う必要もない。
ブコメに「青年マンガにそういう青臭い少年マンガ的潔癖倫理観持ち込むのほんと止めてほしい」というのがあったが、倫理的に人殺しが許されないから報いを受けて死ぬべきという話ではない
金カムはわりと初期から読んでいたけど、最後は干し柿を食べて戦争に行く前の杉元に戻り、アシㇼパを庇って死ぬのだろうなと思っていた
物語そのものが杉元の死を要請しているようにしか読めなかったというか
何年もそう思ってきたから、あのラストには本気で困惑してしまった
ああ、そう…自分のことを好きになれたんだね、それはよかったね…フーン…みたいな