はてなキーワード: ライフスタイルとは
なぜなら食材を中途半端に余らせたくないので、一回の食事で使いきろうとするからだ。
このせいで汁物は、むしろ煮物といった様相を呈することもしばしばある。
それを何か上手いこと別の料理に使えばいいと思うかもしれない。
だが、我が家にどんな食材が余っているか把握し、それを献立にどう捻じ込むか、といったことを要求するのは酷というものだ。
じゃあ、この冷凍された野菜はその名残なのかというと、ちょっと事情が異なる。
料理好きを自称するタイナイが言っていたことだが、「野菜は大量に買って加工だけしておき、後は冷凍しておけば利口」らしい。
やたらと熱弁するのでやってみたのだが、そもそも俺とタイナイでは“前提”が違う。
料理好きな輩の言う利口な、上手い料理法ってのは、他人の環境やスペック、ライフスタイルを一切考慮しないからアテにならないのだ。
だがタイナイだけではなく、俺もその“前提”の重要性をまるで分かってはいなかったのだからお互い様である。
こうして冷凍した野菜は活用の機会に恵まれず、冷凍庫に眠り続けた状態だった、というわけだ。
解凍したら水分と一緒に野菜の旨味的な成分が出て行ってしまうと、どこかで聞いたのを思い出したからだ。
このスープだけでは食べられたものではないので、野菜から滲み出る成分に期待しようという算段だ。
仕方がないので大きい鍋に移し、更に追加でコンソメと水を投入する。
すると、スープだけでお腹一杯になりそうな量になってしまった。
不味かったら大事だぞ、これは……。
かわいいスイーツや、お洒落なファッション、流行のコスメ、最先端の流行スポット、自分らしいライフスタイル、婚活、彼氏のこと旦那のこと、いいけど、いいけどさ。
ほかにも大事なことはあるんだよ。
勉強ができるできないはおいといて、中学生のまんまおっきくなった女性が多いの。年齢とか職業とかすんでる場所関係なく。
30間近の普通に社会にでて働いてる女性が、本も読まず社会情勢にも関心がなく、顔が変わりすぎるアプリで可愛い自分の写真をたくさん撮ってSNSにあげて「あっフォロワー増えた♥」とかいってはしゃいだりさ。少女漫画の原作を実写化した中身スッカスカのラブストーリーとか観ちゃってさ。とにかく精神年齢がこどもすぎる。
それともさ、国とかメディア総ぐるみで、女が賢くなったら権利を主張するだけで面倒になるから馬鹿のままでいさせよう、子供を産み育てる、これだけやってりゃ知性を磨く必要はなしって考えなのか?だからあんな低俗なテレビばっかして女性を馬鹿にしてるのか?
あんな稚拙な内容の番組ばっかりだから、この国で女性として生きるのに、賢くなる必要はないんだって女性が思い込んじゃうんだろうが。
女性は空気に敏感だから、賢くない人が多くいれば、やがて賢い人も、退行して多数派に流れちゃうんだよ。
読書もろくにしないから語彙力に乏しくてむかつく~きもい~ヤバイ~うける~しか言えないあほな女性、
ネットのニュースの表面的なことしか知ろうともせず他人の評価を気にしてSNSに依存する女性、
若くて美しい自分が一番大事だから綺麗でいることに固執する女性、
キャバクラで働くこと水商売をステータスだと感じてる下品な女性、
男のことで頭がいっぱいで男に好かれる女を演じ続ける女性、
結局は稼ぐ旦那を捕まえるのが女の最上級の幸せだと信じて疑わない女性、
こんなんが8割。あとの2割は賢いはずなのに少数派だから日陰者。
なんて視野が狭い生き物なんでしょう。
男もさ、日頃からニュースについて話題に出して意見を言い合うとかさ「日本の政治終わってんな~」とか言って終了、じゃなく、どうしたらいいんだろうって一緒に考えて、もうちょっと彼女とか奥さんの知性の向上に努めるべきだと思う。
もちろん男も馬鹿じゃいけないと思う。スマホゲームばっかしてちゃあいけない。
女性が難しい話よくわかんないとかぬかしたら、わかる努力をしようって言ってあげなきゃいけないし、
自分が話してる内容に対して、よく知ってるね!すごい!とか言ってうんうん聞いてるだけなら、それだけで悦に入らず、あなたはどう思う?って意見を言う機会を作ってあげようよ。
キラキラしてること、興味のあるものだけ見て生きるのはだめだよ、もっとちゃんと知っておかないと、歳をとると、どんどんどんどん見えるものが狭まって、(今よりもっと)お馬鹿さんになっちゃうからねって。
自分で幅を狭めている部分が気になったので一点。
裕福とは言えない家に生まれても、少なくとも親が定年退職するまでは、親のすねをかじり続けていくことはできるよ。
もちろん実家ぐらしで、親と良好な関係を築けるだけの努力はする。
そのライフスタイルだと自立は難しいのだから、他人と快適に暮らすだけの手伝いや、心配り、慎ましさは必要。
それでも理不尽で心身を損耗する「世の中」に出て生きるよりはだいぶマシだという実感はある。
親がもともとリベラル傾向で、「べき」論を押し付けてくるタイプじゃなければ、うまくやれる率は高いと思うから、
親が頭の堅い人だったら、なにか自分の長所を活かして、大きな貢献を一度してみせよう。見直してくれるかも。
スマホ代をMVNOに契約変更してあげて大幅に節約しつつ、スマホの使い方を教えるだとか、電気の乗り換えとか。
節約する、得をする、広く言えばQOLを上昇させてあげる。せめてもの親孝行にもなるし。
こういう生き方を選ぶなら、一生孤独でも苦痛を感じないくらいの、ある種の精神的たくましさは必要。
Google翻訳にぶちこむと、
「過去数年間、PCゲームの成長の大部分は、アジアにおけるプラットフォームの採用によるものでした。今では、アジア以外の8600万人の潜在的なPCゲーマーが、市場成長の牽引役となっていると見積もっています。 「これはソフトウェアだけでなく、PCハードウェア上での消費を促進している消費者であり、ゲームをプレイしたり、見たり記録したりするために高価な機器を購入している」
2014年は成長の面でPCゲームのもう一つの歴史的年です。リーグオブレジェンド、ワールドオブタンクなどのパワーハウスフリーミムゲームは、引き続きPCゲームの健全性の鍵となる指標となります。
OGAのボードメンバーと研究小委員会の委員長Matt Ployhar氏は、次のように述べています。「PCゲームを一番上に置く方法は簡単です。プラットフォームはすべての市場、特にフリー・プレー・フリー・コンテンツでアクセスできます。ハードウェアはゲーマーのライフスタイルによって進化を続けており、より多くの選択肢と自由を提供しています。また、世界中のPCが普及しているため、友人や家族との共有、コミュニケーション、社交がより簡単になります。これらの同じ要素は、部分的には、eSportsの急上昇を説明するのにも役立ちます。」
PC向けの基本無料ゲームの課金が大きいという話で、コンソールとマルチで出してるタイトルでPCのほうが売れてるというわけではないだろ。
東京では高度経済成長時代あたりから「ドーナッツ化現象」と言う現象があった。
都市部から郊外へ人が流出し都内の公立小中学校の統廃合や公立保育園の統廃合や規模の縮小が進んだ。
その流れで都内の空き地がどんどん商業ビルやオフィスビルやマンションに切り替わっていった。
90年代に煩わしい近所付き合いやしがらみの多い地方から脱出する目的で上京していく人も増えた、そして2000年辺りにおひとり様ブームや
独身バリキャリ女性が贅沢を楽しむライフスタイルがもてはやされた・・・そして「単身世帯向けに最適化された東京」と言う首都が完成した。
政府は対策を練り自治体も保育園を増やそうとしてる、しかし「単身世帯に最適化された東京」は一般世帯(夫もしくは妻子持ち)が快適に暮らせるようにするのは無理だ。
一言で表せば「都市計画の失敗」である。しかしもう何十年にも渡って単身世帯向けに最適化され続けた東京を「一般世帯に暮らしやすい東京」に変えるのは至難の業だ。
90年代に煩わしい近所付き合いやしがらみの多い地方から脱出する目的で上京していく人も多かった影響で下町の住人以外は他者への関心も薄い。
公立小中学校の統廃合や公立保育園の統廃合や規模の縮小で出来た空き地を売ってしまった以上は買い戻すこともできない。
「保育園落ちた日本死ね」を言っている世代の子供が成人している頃には状況が変わっているかもしれないが、今度は高齢化社会だ。
人口が減ってせっかく増やした保育園をまた潰すことになるからなるべく自前で建てたくない・・・・と言うのが自治体の本音ではないだろうか。
「本田透」と聞いて、「ああ、あの人ね」と一人の男を思い出す人はもはや少ないかもしれない。
今から10年以上前の2005年、『負け犬の遠吠え』や『電車男』のブームに反発して、『電波男』というタイトルの本で最もラディカルなオタク擁護を行った人だ。
当時、オタクは恋愛弱者で「大人に成り切れない大人」として扱われていた。そんなオタクに対して『負け犬の遠吠え』ではオタクは恋愛対象にならない、大人に成り切れないオタクが増えたせいでまともな恋愛ができなくなった、と批判し、『電車男』では「オタクを卒業して真実の恋愛を見つけよう」と煽った。
本田はそんな風潮にたいして、「いやいや、真実の恋愛はオタク側にある」と180度傾倒した思想を展開した人だ。
現実社会の恋愛は打算が絡み合い、相手を傷つけあうような暴力的な恋愛だ。それに対してオタクが行っている脳内の恋愛は、誰も傷つけず、打算も絡まない純粋な恋愛だと反論したのだ。
本田の主張はセンセーショナルだった。熱狂的に受け入れるものもいたし、極論だと反発するものもいた。是か非か、で論争となり、当時の主要な思想家は彼の考えに言及した。ほとんど彼を批判するためだけの本も出た。
本田はオタクがキャラクターを愛でるときに使っていた「萌え」という言葉は、恋愛を超克したものだと位置づけた。ネット用語だったこの言葉は一躍ホットワードとなった。
彼の主張は岡田斗司夫の「オタクは情報社会に適合した最先端の人種」というオタク擁護を引き継ぎ、さらに先鋭化させたものだった。本田は自分の考えを深掘りし、哲学史や文学史とも接続させて思想的な裏付けをも与えようとした。
このうえ、本田はライトノベルも書き始めた。それは自分の思想の「実践」だった。人類が最高に萌えられるキャラクターを生み出せれば、恋愛で傷つけ合う人々もいなくなるはずだ、という考えのもとに行われた。2005年〜2012年にかけて、ほとんど毎月のように彼のライトノベルが刊行された。異常なペースだ。
オタク生活が「思想」や「ライフスタイル」じゃなくなって、「娯楽の一部」になってしまった今じゃ、彼の本を読んでも「何この人、こんなに鼻息荒いの?」としか思われないかもしれない。当時のオタクを取り巻く状況を込みで知らなきゃ、この本の勢いはわからないだろう。
「萌え」もすっかり死語になってしまった。当時纏っていた特殊な意味合いは今ではなくなっている。
本田は2012年に『ライトノベルの楽しい書き方』シリーズの最終巻を刊行して以来、一切、本を出さなくなってしまった。
もはや自分の考えを表現することに興味がなくなってしまったのか? セールス的な要因で出せなくなってしまったのか? あるいは大著の準備をずっとしているのか?
その理由は一切わからない。更新の止まった公式サイトだけを残して、彼は長い沈黙に入ってしまったのだ。「本田透、何しているんだろう?」と言う人もいない。あれだけ論争を巻き起こした人なのに、この扱いはちょっと、いや、かなり寂しい。
村上春樹が新刊を出して、小沢健二が復帰し、林原めぐみが初ライブをするって聞いて、ふとこの人のことも思い出してしまったよ。
私はその年に初めて子供を産んだ。
流行語になったんだろう?
何でを考えると日本が見えてくる。
悲しい事に我が家では今でこそ数少なくなったが
パパとよく喧嘩する。
全く認識してない事が原因。
詳細を見て選んでいる。
時間という労力をかけているのだ!
長時間労働というガンを産んだのも、
もてはやされてきた事が今の歪みの原因〜。
なんて考えが貧困を産んでいる。
いつになったら日本では当たり前になるのか?
イクメンてなんか偉そうな感じに聞こえるのは
私だけなのかしら?
そもそも当たり前の事をしているだけなのに
歪んだ構造のままなんでしょうね。
ああ悲しきニッポン…
自分自身、そういうとこで育ち、それが自分にとって当たり前の生活だと思っていた。
しかし、振り返ってみると、別に郊外の生活が好きだったわけではない。
少なくとも、わざわざ自分で選ぼうとは思わない。
ガーデニングの趣味はないし、知り合いとバーベキューがやりたいわけでもない。
子供の頃読んだ国語の問題で、庭のないとこに引っ越す子供の話というのがあったが、
そういうテンプレによくあるのは、後は犬小屋とかだろうが、動物もあまり好きではない。
正確に言うと、犬が嫌いなだけで後は普通だが、いずれにせよ世話するのがめんどくさい。
メリットがよくわからないのに比べると、デメリットだけははっきりしている。
車が動かせないと移動の自由がない。免許は取ったが、今でも車に対する憧れはない。
ぶっちゃけ、移動中は寝ていたいのだ。
子供のことを考えても、歩いて図書館に行ける程度には便利な方がいいのではと思う。
売る側の事情はわかる。マイホームの夢を売るには、日本の平地は少なすぎた。
しかし、郊外のライフスタイルとやらが、いったい誰の目にそこまで輝いて見えたのか。
そもそも、あれは誰の欲望だったのだろう。
俺は大都会の真ん中で生まれ育って、そのエリアの国立大の大学院まで行ったので、まあ、都会の人間だと思う
大学は望めば誰でも行けるものと思っていたし、勉強嫌いな人や、特に他にやりたいことがある人が行かないよね、程度に思ってた
言うとバレそうだけど、辺境の人口10万人程度の街の高専の先生をやっていた
高専なので、当然、ここに来る人は1年次から普通に受験して大学に行くことはない
都会に近い高専なら、7割くらいは大学に3年次編入するけど、僕のいた高専では、大学編入者は半分以下だった
最寄りの大都市まで行こうと思うと高速でも3時間程度かかるような田舎で、大卒がほとんどいない街で、大学に行かない子供達を教育し、進路指導する
こういう経験を何年かするとね、ああ、田舎ってこうなんだなぁーってものが見えるようになって来る
ああ、俺、田舎って知らなかったな、って
そういう学生と関わるからこそ、ただ田舎に暮らすだけじゃ見えない田舎の文化も見えるようになる
しかも高専生はそこそこレベルが高いので、田舎であるがゆえに、優秀だけど大学にはやれない家庭、みたいなのとすごく関わるんだよね
田舎の中でもただ貧しい子、ってわけじゃないんだよね
このくらい、都会と田舎の両方を肌で理解して、都会論田舎論語ってる人って、はてなじゃほとんどいないよねーって思うわ
都会も田舎も、文化の違いであって優劣じゃないんだよ、ほんとに
都会が劣ってるところも腐る程あるし、田舎のつらいところも腐る程ある
田舎暮らしは言うほど安くない!って騒ぐ人も多いけど、単身者じゃあんま変わらないし、中流家庭を築くコストはどうやっても田舎のほうが安い
自分の家族構成、ライフスタイル、趣味趣向によって、合う街合わない街があるだけ
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
伝わる人にはこれだけで伝わるが、いわゆる“終わりなき日常”だよ。
広義的な意味でのオタクコンテンツは、豊かなライフスタイル(日常)を基盤としているし、その点で日常の肯定がフィクションにも求められたというわけだ。
なぜならそこから離れれば離れるほど憂鬱な現実か、未来への根拠なき夢想に近づくからだ。
つまり表面的に調和しているだけで、それら側面的に見えてくる構造が露呈していないだけだ。
『ど根性ガエルの娘』15話の影響で、色んな人たちの毒親の話が出てきているが、これは当然ながらいきなり出没したわけではなく、元から既存の構造にあったものが露呈したのであって、件の作品はきっかけに過ぎない。
だが、“終わりなき日常”にある優しさや安定といった停滞感の肯定に慣れ親しんだ一部の層はその側面が見えたときに、元から既存の構造にあったにも関わらず大きなショックを受けてしまうのである。
おっと、断っておくが別にこれは日常系の是非を問う話ではなくて、なぜそれらが求められているかという話の一環だからな。
当然、現代でも非日常的エンターテイメントは基本であり花形だし、日常や空気を破壊したり、そういったものを皮肉った側面を持つ作品も多く出ているしな。
Switchはギミックで積極的に新しい遊びによるヒットを追求した攻めのハードではなく
任天堂が「どこでなら生き残れるか」を真摯に考えた消極的なな守りのハードである
WiiUはリビングのテレビが専有される問題の解決のためのものだったが
Switchはリビング以外に、またはリビングにすらテレビがないことを想定して問題にしている。
スマホ全盛の今、もはや個人用のテレビはマストアイテムではない
持ち運べるWiiであると同時にファミコンであり、スーパーファミコンでもある。
歴代すべての任天堂ハードの要素を内包してるといってもいいかもしれない。
守りのハード故にこれまであった需要をかき集めることを狙っている。
レトロゲームを愛好する層。
新しい需要といえるのは「みんなで遊ぶために持ち運ぶ」という要素だ。
スマホゲームの普及でもはや個人でゲームをするためにゲーム専用機を持ち歩く時代ではない。
おすそ分けプレイにより魅力がソーシャル的にどこまで広がりがあるかは未知数にしても
第三者がゲームに触れる機会を手軽に増やせるため狙いとしては悪くないといえる
ファミコンなどのタイトルのオンラインプレイ対応版を提供することだろう。
VSモードのみが遊べる仕組みがありバランスにも修正がはいるのかもしれない。
過去のIPを部分リメイクし積極的に運用するというのは総力戦を感じさせる。
フレンドとのコミュニケーション機能をスマホに切り出したのは妙案だ。
コミュニケーションでなにか問題がおきてもゲーム機の問題でなくスマホの問題にできる。
また、「みまもりSwitch」をみてもスマホとの連動は積極的でまだなにかあるのではと思わせる。
3月までには配信するという話のわりに内容がでてこない。
Switchが歴代ハードの要素で内包できてないものを考えると、
この欠けた部分はあるという噂のDS後継機で担われるのかもしれないが
もしかしたらスマホ連動でなんとかするプランがあるのかもしれない。
妄想すると、すれちがい通信のようなものを実現するための規格Wi-Fi Awareは普及しておらず
実現にはスマホとペアリングして使うすれちがい通信専用の持ち運べる機器が必要だろうが
そこまで密接に連携するなら、例えばポケモンのボックス整理をスマホから行ったり
クラウド上に保存したゲームデータにスマホから部分アクセスできるなどもできるなど広がる余地がある。
HTMLで表現できる程度の簡易なセカンドスクリーン(WiiUのゲームパッドの画面など文字通り二つ目の画面)や
夏までは2万5千円で発売された3DSを縮小させたような推移で売れていくだろう。
秋という年末商戦前にマイナス要素になりうる有料ネットワークサービスを開始するということは
そのあたりに再度のテコ入れ策があるとみていいだろう。
先述の妄想のようにスマホ連動あたりにもまだ仕込みがあるのかもしれない。
従来型の据置ゲーム機のように携帯できなくした廉価版を出すというのも考えられ
資産の連続的な運用というのがSwitch失敗時の保険になるのだろう。
「このギミックで遊ばせたい」という強い攻めを軸にしておらず
しばらくは生き残る場所を模索し需要をかき集めて守り凌ぎターンが続くだろうが
また任天堂がおもちゃ屋としてハードで新しい遊びづくりという本領を発揮する機会は巡ってくるだろう。
ゲームの可能性の広がりという観点ではSwitchでWii/DSのような革新がおこりそうにないのは残念だが
一人の任天堂ファンとしてこれまでの任天堂ハードの集大成といえるSwitchは純粋に楽しみだ。
発売日が待ち遠しい
仕事で共働き既婚子持ち女性のライフスタイル研究してるんだけどさ。
奥さんたち。
朝8時に子供を保育園に送ってそれから出社して、6時まで働いて保育園に迎えに行って、(小学生は宿題の世話して)ご飯作って風呂掃除して子供を風呂に入れて、選択畳んで、子供寝かしつけて、10時くらいに旦那が帰ってきて旦那は飯食べて風呂入って寝るだけっていうそういうのが結構スタンダードみたいで。
そういうの聞いてると内心「うわっ、金を稼ぐ家政婦じゃないか⋯!」って思っちゃうのよ。
奥さん達よく死なないよなぁ。
で、それで追い詰められても、挙句にはそういう旦那を選んだ人間が悪いとか言われるわけじゃないですか。
なんで成人男性の生活態度まで他人が責められなきゃいけないんだ?というの不思議に思うのは自分だけだろうか。
旦那のインタビューしてても、残業を盾に許されてる印象があるけど、こいつら本質的には家事したくないから残業を盾にしてるのでは?って思う時があるんだよね。
時々居る子供大好きパパなんて、週に数回は絶対定時で帰るマンになってるし。
実際奥さんたちもそうだと思うんだけど。
結局それをしない心理って何なんだろう。
そういうの聞いてると、自分は仕事柄経済的に余裕があることもあって、絶対結婚したくないって思うようになった。
自分は仕事好きなので続けたいけど、結婚すると今の自分の生活に旦那の面倒がついてくる時点でかなり厳しい。
子供の世話ならまだわかるんだけど。
みんな何も言わないけどそんなこと思ってるの自分だけなのだろうか。
それくらいみみっちい話なのか?これ。
はっきりとそう言えないってだけで
発達障害ですという前置きをつけるだけで
健常者と関わるかぎり「こいつ空気読めてないな鈍くさいな」という眼差しからは逃れられないし
健常者と関わらずに生きていくことなんてできない。
健常者は発達障害者の欠点を受け止めつつそれをカバーできるよう
なんとか良い面がうまく作用するように工夫して付き合う必要があるし
発達障害者も障害は欠点にしかならないということを受け止めた上で
自分の長所や個性を活かせるライフスタイルを模索したほうがいいんだよ。
「障害があるからこれまで人生うまくいかなかった」んじゃないの。
あなたの人生がうまくいかなかったのはあなた個人の問題であって
あなたと同じ様な障害を抱えていても地位や名誉や富に恵まれている人もいるし
健常者なのにあなたと似たような境遇に陥って困っている人もいるんだよ。
と感じる。
障害があれば難しいこともあるのはわかるけど、
ああいう人って外的要因のせいにして自分を正当化しようとしてるところない?
「障害さえなければもっと人生うまくいってた。障害を除けば自分は結構能力高いんだよ。」
相応の待遇って何なんだろう?
自分のことを無能だと思っている人が目につかない世界を構築しろってこと?
増田が無能扱いされてて、一般社会の目に晒されればそういうこともあるだろうっていうのは事実であって覆せないんだよ。
「空気読めない、鈍くさい」ということが明文化されてる分余計相手は意識して見てくるよ。
無能であることを受け入れて、そんな自分でもできることはないかって考えない限り
そのフラストレーションって消えないよ、多分。
君の言うね、
「君の名は。」のヒットから「聖地巡礼」という言葉が浸透したということすら
流行語大賞の発表で、
アニメのモチーフになった場所に行くのを「聖地巡礼」ということを知った
という人も相当数いるかもしれない。
そういう人が僕らが普段見るメディアや関わるコミュニティに接触してこないから可視化されない可能性は払拭できてないよね。
「神ってる」も「聖地巡礼」も実生活の会話で用いる人はあまりいなくて
一部の野球好きとアニメ視聴者がそれぞれ使う程度なんじゃない?
ニュースのスポーツコーナーと君の名は。の紹介でそれぞれ軽く触れる程度
「神ってる」が駄目で「聖地巡礼」はOKということってバイアスかかってない?
例えばさ、はてブ見ててもEXILEファミリー好きな人って全然見つからないでしょ?
でも彼らにはアリーナやドームを容易く埋めるだけのファンが確かに存在する
それでTwitterでサーチして見ると、
アニメアイコンを使うような僕らと相容れないような奴らがEXILEのことをツイートしてる
キラキラ女子()やはてな民、こういう人たちが共感できないようなライフスタイルや嗜好を持つ人々がいて
そういう人たちの間では「神ってる」は馴染みあるものかもしれない
そして流行語大賞の選考にピンとこないのは文化的断裂の最中にいるためかもしれない
僕は「なんで増田みたいな人がそう考えられないのか?」
生きるために仕事をしてるのではなく、仕事のために生きている。
例えば、仕事で人に迷惑かけないよう、いつでも残業できるように予定は入れない。
友人は学生の時の仲良しのみで、卒業後に新しくできた友達はいない。
■いつもイライラしてる。
思うように仕事が進まないこと。
見当違いな反論をされて何から説明したら良いのか途方にくれること。
仕事で心が疲弊して、何もする気が起きず、部屋が散らかり放題なこと。
そんな自分の全てが嫌になること。
子持ちは早く帰り、小無しにしわ寄せがくること。
■いつも焦燥感がある。
Facebookでの様々な報告…
趣味での成功、ブレないライフスタイル、信念を持って撮り続ける行動。
彼氏ができない。結婚できない。駐在できない。帯同できない。出産できない。
■いつもビクビクしてる。
少しでも目立てば叩かれる。
この3つの気持ちが、心の中でグルグル渦巻いて、それぞれの気持ちが足を引っ張りあって、より強い負の感情となっていく。
■鬱ではない。
こんな状態でずっと生きてる。
成績も1番ではなかったけれど上位だったし、一般的に良いと見なされる企業で働き、それなりの評価も得て、仕事をさせてもらってる。
■私は早く挫折したい。
鬱発症でもいい、出勤できないほどの痛みでもいい、クビでも降格でも、流産でも、離婚でも、何でもいい。
もう今のような働き方が出来ないくらい心が折れてほしい。
■そして、もうこんなに頑張らなくて良いんだと、気持ちを楽にしたい。
相手の非を責める気持ちを持たずに、自分の仕事も完璧でなくて良い、身体に良いものを食べて、よく寝て、よく笑って、家族の寝顔を眺めながら眠りにつき、今日も良い1日だったと思えるようになりたい。
「辛いのはあなただけじゃない」「誰だってそのくらいの辛い思いはしてきた」
「もっと辛い思いをしている人はたくさんいる」
こう言われることが、何も解決しないし叫びを封印するのに有効な悪魔のセリフであることはいろんな人が主張してきた。
でも、もはやこれは暴力なのではないか、と考えるようになった。
私は、今1人の発達障害児と、もう1人の発達障害疑いの子を育てている。
私より辛い思いをしている人がいくらでもいることは知っている。
そういう認識は、そういった人たちを見下しているという批判を生みかねないことも理解している。
でも、私より辛い思いをしている人がいるから私はその心の叫びを封印しなければならないという理論は成立するんだろうか。
キャパシティは大きいに越したことは(表面的には)ないが、自分でコントロールできるものかというとそうではない。
知識を身につけたり、信仰を持ったり、ライフスタイルの改良を伴うものだと考える。
キャパシティを広げることも、それをあたかも必須であるように強制されればそれは暴力である。
暴力を受け続け、体力も気力もなくなったころに、暴力のおすそ分けを喰らうのは子どもかもしれない。
私は、それをしない。
と今は思っている。
辛いときに、辛いと叫ぶこと。
叫ぶことは何も解決しない。だが、「世の中にはもっと辛い思いをしてるひともいるのよ」という励まし(という顔をした暴力)よりはずっと精神を正常側に留まらせる力を持つ。
皮肉なことだが、「世の中にはもっと辛い思いをしてるひともいる」という人は、その「辛さ」=痛みを理解できない・共感出来ていない。
だからこそ、世界中で最も辛い思いをしている人間たった一人以外の人間の痛みに共感する能力を持たないのだ。
おまけに、「私の時なんてね、〜〜で〜〜〜で、もっと悲惨だったわよ」なんて発言ができる。
そういう人に「でも、世の中にはもっと辛い思いをしてたひともいますよね?」と言葉の暴力を振るうことができたらなあ、と思わないでもない。
それをしない弱さが、私を殺すのだろう。
人は分かり合えない。
宇宙人のような2人の子どもたちに、別れを告げなければならない。
せめて私が彼らに言えることは、
「他にもっと辛い思いをしている人がいたとしても、あなたの感じている痛みはあなたのもの。叫ぶも、抑えつけるも、前向きに考えて進むも、絶望するもあなたの自由である」
さて、どうしようか。
母は、絶望を選ぶことにした。
基本的には衣(MERY)・食(CAFY)・住(iemo)、旅行(Find Travel)、ココロとカラダの悩み(welq)などライフスタイル領域ごとの専門的なメディアということになっている。
専門メディアというものの、彼らのやっていることは検索数の多いキーワードをターゲットにして、他のサイトを参考に長文にリライトした記事を大量に作るという「専門メディア」とは言い難い内容だ。
もちろんこれは所謂SEOと呼ばれる、GoogleやYahooの検索上位をとることを目的にした行為だ。
https://twitter.com/i/moments/782773534850371584
読み手のことを考えて作る既存メディアと違い、検索上位に入れることだけに先鋭化されたやり方で作られている。
(ここでは詳細な手口を書くことは控えるが、真似することはできないレベルでやりきっている)
恋愛やファッションみたいなカテゴリーでやるぶんには「よくやるなー」と見ていられるが、[死にたい]と思っている人や病気・妊娠などの高い倫理観と専門性をもって取り扱われるべきものにも
と検索上位に入ることだけに特化した中身のない記事を作ることは倫理的に問題ありまくりんぐである。
経済活動なのだから合法である以上は何をしてもいいと思うトンチンカンもいるようだが、たまたま上位表示されるのではなく彼らは自分たちの力でどのキーワードの記事を検索上位に放り込む社会的なスパム的な行為をしているわけだから、そこにどんな記事をぶち込むのかという倫理観は問われるべきだろう。
リンク先にもあるが、
閲覧者の1%が本当に深刻で、更にその1%が強く影響を受けたとしたら。この記事は現在90万PV以上。ギリギリで踏みとどまっていた90人が踏み越えてしまったかもしれません。
自殺や重大な病気や妊娠、子育て情報を「良い情報かどうか選別しないで検索結果の上位にぶち込む」ことの意味をよく考えてみてほしい。
さて。
ここまで真面目な話をしてしまったが、これよりおっぱいの話をはじめるおっぱい。
https://www.google.co.jp/search?q=B%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97&pws=0
検索キーワードは[Bカップ]で1位welq、2位welq、3位welqである。
https://www.google.co.jp/search?q=C%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97&pws=0
[Cカップ]検索の上位1位はjooyだ。もちろんDeNAパレットのメディアだ。
2位と3位は、両方とも冒頭で問題にしたwelqだ。さすがDeNAパレットである。
https://www.google.co.jp/search?q=D%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97&pws=0
なるほど、1位welq、2位welq、3位welqである。
https://www.google.co.jp/search?q=E%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97&pws=0
おお、1位welq、2位welqである。
Eカップになると3位まで全て抑えるのが難しくなるのだろうか。
https://www.google.co.jp/search?q=F%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97&pws=0
ない!!
これはどういうことだ。
そして[Gカップ]や[Hカップ]となると完全にエロ系に独占されている。
https://www.google.co.jp/search?q=G%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97&pws=0
https://www.google.co.jp/search?q=H%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97&pws=0
https://www.google.co.jp/search?q=F%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97+site:welq.jp&pws=0
これは恐らく、Fカップ以上のキーワードでの検索意図は自メディアと合わないと考えたのではないか?!
お前らキーワード選んで記事つくれるじゃねーか、[死にたい]とかも避けろよ!!アホか!!
というわけでおっぱい。