はてなキーワード: ポジティブとは
まず、この話はとある創作界隈で起こったことである。創作界隈と言っても繋がりたいタグをやっているような大規模なものではなく、ほぼ全員がそれ用の鍵垢を使ってやっているような感じだ。
別の創作で意気投合した7人が新しくみんなで創作しようとなって、それぞれがキャラクターを作った。
クソリバ女の集まりであるためABがあればBAもある、はたまたBCもACもあるというような、ごちゃごちゃのウロボロス状態で創作の二次創作を楽しんでいた。
本当につい最近までバズツイをそれぞれのカプに当てはめたり、テンプレをやったりして楽しんでいたのだ。
ことの発端はそのうちの1人が壁打ち垢を作ったことだった。
いつものアカウントで壁打ち垢を作って自キャラの話をしている、とその人(Hさんとする)が打ち明け、みんなはおい!みせろ!ただでさえ供給がないんだぞ!と揶揄いながら怒った。もちろん本気で怒ってなどいないし、ただ見たいなという気持ちで言っていた。
しかしそのアカウントの存在をそれからもちょこちょこほのめかしながらもHさんは壁打ち垢を明かそうとはしなかった。
しかしHさんはそのうち「壁打ちで言うのはいいけどこのアカウントでみんなの興味ない話したくないな〜w」などと言い出した。
自キャラの話なんかつまらないでしょ、という自虐ツイだと思うが、正直どう接すればいいのかわからなかった。
もちろんみんなそんなこと思っていないので、そんなことないよ、好きに話して、聞きたいよ!など優しい言葉をかけた。
そこで壁打ち垢問題(私が勝手に問題にしているだけ)は一度落ち着いた。
だから普段の話も自キャラが絡んでいるカプの話しかしない。まあそれはわりとそういうもんだと思うので、私が自キャラを絡ませるより他の子と他の子を取り扱ったカプの方が好きになっていたためそういう印象を受けたのかもしれない。
ある時この狭い集落でとあるカプが大半の性癖にささり、流行っているような状態になった。しかしそれにはHさんのキャラは関わっていなかった。
自キャラが絡んでないカプの話をしないHさんはもしかしたらそこで傷ついてしまったのかもしれない。
「需要のない話はできない」「みんな興味ない」「A(自キャラ)B読みたい」「CA読みたい」「DA浴びたい」といったツイが増えていった。
もちろんみんな流行りカプ以外の話もしていたが、Hさんはそれでは満足いかなかったらしい。ついには個人にまでAB描いて、CA描いて、というようにリプライを送りつけるようになった。
Hさんのキャラと私のキャラには接点がなかったが、 乞食はわたしにも回ってきた。私は前にも書いたが他の家の子の二次創作も好きなのでリクエストに答えて初めのうちは描いていた。
しかしHさん、わたしがどれだけリクエストに答えても一度「最高!」というだけでまた「AB浴びたい」ツイに戻ってしまうのだ。
わたしに能力がないことが原因なのはわかっている。最高!と一言言ってくれるだけでもとてもありがたいことだ。でもリクエストに答えるたびにそういう態度をとられていると、「ああ、この人が求めているのはただ単にABじゃなくて他の神々のABなんだな」と思ってしまうようになった。
私以外のみんなは神絵師ばかりだ。もちろんHさんも。私なんかの作品ではなくもっと他の素晴らしい絵柄で見たい気持ちがあるのだろう。
話して欲しいとか浴びたいとか言うくせに、私がネタ切れでHさんも話して、というと需要ないから恥ずかしいwと言って誤魔化して話さない。
元々Hさんのことも大好きだったしみんな大好きな人だったのにこんな気持ちになってしまうのが悲しくて、私は距離を置くことにした。
ミュートしてHさんの乞食ツイ(日常ツイは見ていた)(猫かわいい)を見ないようにし、別のアカウントで息抜きもした。
そして落ち着いてきたある日、Hさんは今まで隠していた壁打ち垢を教えた。
自キャラの話はここでするとトスでツイートしてIDを載せて、固定にしていた。
純粋に私は喜んでフォローした。壁打ち垢の存在を知らされてからしばらく経っていたので今まで見られなかったツイートが見られるとうきうきしていた。
ところがツイートはごくわずかだった。Hさんの普段のツイート量を考えると明らかに少ない。壁打ちで話しているといつも言っていたのに…。
でも恥ずかしいって言ってたし見せる前にツイ消ししたのかもしれないとポジティブに考えた。
しかし固定ツイにしてあるとはいえ時間帯と、トスがついていることからか、そのツイートが消されるまでに壁打ちをフォローしたのはたった2人だった(もう1人後から入ってきた)。
壁打ち垢は愚痴垢になった。
「ここにいる3人もどうせ義理でフォローしてくれただけ」「みんなわたしにもうちのこにも興味ない」「何言われても信用できない」
わたしにはもう何もいえなかった。ほかの人もそんなこと思ってないよ!なんてわからないから言えないし、そもそも私なんかの眼中にない。ほぼ私しか見ていないようなところでお前以外のフォローが欲しかったと言われているようで辛かった。
とまあ勝手に辛くなった。
Hさんはわたしの知らないところで別の人と喧嘩?をしたらしく、今は創作アカウントを消してしまって、愚痴垢のような壁打ち垢だけが残っている。
喧嘩した人のこともあからさまに嫌っているとかぐちぐち言っていたので誰と何について喧嘩したのかは大体わかっているがその件に関してはHさんが悪いと思っているので触れない。というか部外者なので触れようがない。
私には何ができたんだろう。
居心地の良い場所を守るために、均衡を保つために何ができたんだろう。
きっと何もできなかっただろうな。能力がないので。絵を描く才能もなければ文章力も語彙力もない。
おわです。
いつかみんなで集まってしたいことがたくさんあったのに、みんなで集まることはもうきっとない。
諸行無常。
推敲もなにもしないで書きなぐっていくので読みづらい部分はご愛敬。
わたしは元々pixivにアップされていた彼女の作品を何作か読んだ。
キャラ崩壊したラインのやりとりや、小説においての新しい切り口等が、それまでアップされていた作品とは一風違っていたから、目を惹いた。イベントや通販もされていたが、特に購入しようとは思わなかった。その程度のファンだった。
両手を挙げて「大ファンです!」という程ではないが、「この人は本をたくさん読むんだなぁすごいなぁ」とは思っていた。
6月初旬頃に、彼女がアップしたプライベッターを読んだ。以前より彼女が二次創作においてルールを守っていないことについて意見を述べているひとがいるのは知っていた。
正直わたしは二次創作のルールはよくわからない。グレーゾーンだからとか、売り上げで利益が云々とか、彼女の現在のジャンルがDなのでルールに厳しくて…等、奥が深すぎて全容を掴めていない。
なので、その部分について、裁判官でも弁護士でもないわたしが、著作権云々のことに述べるのはやめておく。専門分野は専門家に任せるのみ。
わたしが心に引っかかっているのは、彼女のプライベッターにもある<ツイッター上での暴言>の部分に関してだ。
わたしは、彼女の作品のゆるいファンであると共に、ここに描かれているネイルデザインの絵師さん、ヒプマイ絵師さんのこともフォローしている。
TLに流れてくる彼女らのイラストを見て、時には引用で、時にはマシュマロで感想を送ったこともある。インドの大運動会さんと同じ(もしくは絵師さんに対してのほうが少しだけ熱心な)ファンなのだ。
純粋な疑問として、まずなぜ2年間もの間放置していたこの内容を今になって認め、謝罪しようと思ったのか。それが疑問の始まりだった。
このプライベッターをアップする理由はやはり、炎上の沈下なのだと思う。そもそもが「騒動に対しての謝罪」なのだ。
騒動に対しての謝罪…騒動に対しての謝罪???この<ツイッター上での暴言>に関しては、謝るべきは暴言を吐いた相手にである。わたしたちにではない。
彼女は「作者様と連絡を取る手段がなく、直接の謝罪はできておりません」と述べているが、相手からブロックされているということなのだろうか。それとも作者のアカウントがわからないということなのだろうか。
いや、そもそも。直接謝罪をしようと、アクションを起こしたのだろうか。
「連絡が取れれば直接謝罪する」とあるが、それは「こちらからは連絡できないので、相手からコンタクトがあれば直接謝る」という、条件付きの謝罪ではないのか?
正直、第三者からでもその絵師さんが誰なのか特定することは簡単だし、「謝意を伝えたいので取り次いでほしい」と誰かに頼むこともできると思う。
「相手が直接連絡を取りたくないということであれば、弁護士を通して伝えます」という部分にも、疑問符だらけだ。
弁護士とは、本来「加害者Aさんが、被害者Bさんに謝罪を伝えたい。しかしBさんはAさんと直接話をしたくない。だから間にワンクッション挟むために雇う」ものだと認識している(違う?)
今回に当てはめると、インドの大運動会さんが、絵師さんに謝罪を伝えたい。しかし絵師さんは直接話をしたくない…から…絵師さんが…?弁護士を…雇う…?
本来、彼女自身が精神誠意に謝意を伝えるべきで、そこに第三者を挟むかどうかという選択は相手が選ぶべきだと思う。
ではなぜ弁護士が出てくるんだろう…。
正直、2年も経ってしまった今更、相手の絵師さんたちが怒るのには「遅すぎる」とも思う。そういうことをされて嫌だった、怒った、謝ってほしいという気持ちは、2年前に伝えるべきことだと思う。
リアルタイムでならインドの大運動会さんに対して「このジャンルから出ていってほしい」などという要求が、もしかしたら通ったかもしれない。わからないけど。もしかしたら。絵師さんたちが同じジャンルに居たくないからってことでね。多分。わたしの勝手な想像。
ただ、2年後の今「わたしも同じジャンルに居て、当時のことを思い出すのでこのジャンルで活動してほしい」という要求をしても、年月を考えたらもしかしたらその要求は不当かもしれない。これもわたしの勝手な想像。
そして、その相手からの要求が不当か否かをジャッジする為に、弁護士がいるのではないか、とわたしは思った。
「2年も放置してきたくせに今更何!?人の創作物にケチつけたペナルティとして今のジャンルで活動しないで!」と怒った相手が同等以上の要求をしてきたときに「そこまでは飲めません」とジャッジするために、弁護士がいるんじゃないか…?
自分が相手に対して、本当に申し訳なく思っているから、謝意を伝えたい…と思うことに対して、何がどうなって「弁護士用意します」になるんだろう…?
今回のインドの大運動会さんのプライベッターは絵師さんたちに対してではなく「騒動に対して」の謝罪をしているように見えた。本人たちに謝意を伝える為にできる限りのアクションを起こそうとしていない時点で心の底から申し訳ないと思っているわけではない、と思った。
わたしはネイルデザインの絵師さんの作品も好きだ。ヒプマイイラストの絵師さんも好きだ。もう一方の絵師さんは存じないがきっと素敵な絵を描かれるのだろう。そして、インドの大運動会さんの作品も好きだ。
だからこそ、インドの大運動会さんは、絵師さんへの謝意が本物ならば、相手から連絡がくることを待つのではなく、自発的に相手へ謝意を伝える為にアクションを起こしてほしいと思う。それが誠実だとわたしは思うから。
絵師さんたちのことを考えると、どうしても手放しでインドの大運動会さんの新作に、沸けないのだ。
だってわたしなら。わたしの作品に引用で暴言吐いて、2年も音沙汰ない人が、炎上のついでに突然わたし宛ではなく「関係者、ファンの皆様、ごめんなさい」なんて言ってるのを見たら、「そのごめんなさいはまずわたしにちゃうんかい!」って思うもん。相手からコンタクトがないのに「連絡があれば謝罪したい」なんて言っているのを見たら、「お前から出向くべきだろうが!」って思うもん。
わたしは、作品と作者は別物と割り切れるタイプなので、インドの大運動会さんの作品を読んで、素直に面白いと思う。
だが、その気持ちをツイッターで表面化したときに、絵師さんたちがどう思うだろうかと考えると、ポジティブな感想をツイートする手が止まってしまう。
「彼女は人の作品に暴言吐いて、2年も知らない顔をして、炎上のついでに謝罪のポーズを見せてるけど、わたしのとこに直接謝りにきたわけじゃないですからね!」っていうのは…絵師さんは悪くないのにあまりにも孤独なのではないかと思った。
だけど、どうかインドの大運動会さんの謝意が本音であるということ、本当に申し訳ないと思っていること、炎上を沈下させる為ではなく、傷付けてしまった相手に対して誠心誠意誠実であってほしいと、わたしは勝手に願っている。
わたしは絵師さん本人ではないので、絵師さんは意外と「え、もうどうでもいい」って思ってるかもしれないし「一切かかわりたくない」って思ってるかもしれないし、わからないけれども。
単に、ユーザーは広告を見ることで対価を払っている=無料では遊んでいないってことやろ?
あるいは、無料でお試し(楽しむ)をしてお金を払う価値を認めたら人はお金を払うよって話かも知れない
動画や音楽のサブスクリプションが儲かっている理屈と同じ理屈だね
ワイはバズりを狙うなら、
アプリのマネタイズ方法や、YouTubeやイラスト・マンガ・ゲーム・音楽の中文・英文、
その辺にフォーカスした方が需要あるしポジティブだと思うけどなぁ・・・
技術は拙いけどやたらめったら共感パワーと拡散力が強いクリエイターをテーマにしてはどうか?
こういうタイプのクリエイターは無料のうちは崇められるけど有償にしたとたん、
世の中既にこんな文章は大量に出回っているんだろうが、自分の思考を言語化する目的で表題について考えてみることにする。
冗長で長くなってしまったが、もし読んでくれる人がいればありがたい。
かなり幼い頃から自分は不細工だと認識していたし、運動もからきしだったためか、早々に自分は「男らしく」はなれないと気づいていた。
ほとんどの男子児童は小学校卒業までには一人称が「俺」になるが、自分は「俺」という一人称が野蛮に思えて「僕」という一人称を使い続けた(今もそうだ)。
ここまで明確に言語化はしていなかったが、人生の早い段階で「男らしさ」みたいなものに対する嫌悪感を明確に感じていた。
口は達者な方だったので一対一なら女子にも口喧嘩で勝てたが、相手が複数になると大体泣かされて帰宅していた。
男子にも女子にもそれぞれ固有の嫌なところがあると思っていた。
やや特殊な環境で、中学は完全に男子校、高校は女子もいたが全体の10%前後だった。(見る人が見れば大体ある程度見当がつくかもしれない)
高校に入って共学クラスになった生徒もいるが、中高6年男子オンリーのクラスだったという生徒も多い(私もそうだ)。
そんな理由で、高校は男子校的な雰囲気と共学的な雰囲気が同居していた(前者のほうが強かった気もする)。
ちなみに女子生徒からは、当初はかなり困惑したがそのうち気にならなくなったという声を多く聞く(サンプルサイズは極小)。
私はやはり「男らしさ」みたいなものには馴染めなかったが、だからといって別に居心地が悪かったということはない。
恋人なんか端から諦めていて、「男らしさ」的なノリはあくまでネタとして捉えているオタクが自分の周囲に多く居心地が良かったからだろうと思う。
ただ、(おそらく悪気は全くないのだが)女子がいるという事実を忘れたかのように自分を男子校出身だとアイデンティファイしてしまう友人たちに微かに苛立ちを覚えてはいた。
「クラス対抗競技で女子がいるクラスには絶対に負けたくない」「◯◯さん女子なのに理数系強くて凄い」と無邪気に思ってしまう自分にも気づいていた。
総括すると、ややマイルドなホモソーシャル環境で中高時代を過ごしたおかげで、同性だけから構成される空間の良さと悪さを両方知ることが出来た。
男子校では「男らしさ」をやりたい人はやればいいし、「男らしさ」に馴染めなくても馴染めない人間同士で連帯することが出来る。
そして、「男らしさ」をやりたい人々もそうでない人々もお互いに仲が良かった。
そういう懐の広さが男子校の良さだった。
男子校が「男らしさ」を助長するというのは必ずしも正しくないし、むしろそれをやらなくても楽しく生きていけることを教えてくれる。
ただ、同時に異性に対してかなり排他的である、あるいは個人の中で排他性が強化されるというデメリットもある。
一定の人々は、そういう排他的な感覚を異性の前で隠すということを覚えないまま大学生になり、社会人になってしまうのかもしれない。
もちろんこれは明確に欠点なのだが、男性のみの集団だけでなく女性のみの集団でも同様のことは言えるように思う。
さて、ツイッターという悪い遊びを覚えた私は大学に入学する頃にはジェンダー意識をすっかりこじらせていた。
社会のメジャーな領域において女性が男性よりも不利な立場にあることは理解している。
しかし実感として別に自分が楽に生きているとは思えないし、男がこんな社会を作ってきたのだと言われても自分のことではないのでどうしようもない。
日常において性差別を行っていると言われても、そもそも異性と雑談のような会話をする機会がほとんどないので身を振り返りようがない。
男性全体のあり方と自分のあり方を勝手に分離してしまうのが厚かましく思えて、謂れのない批判を日々受け続けているような気がしている。
だから、メジャーな領域における女性の不利さへの鈍感さに比してフェミニストのわずかな瑕疵やオタクへの攻撃に対して非常に敏感になってしまう。
女を生きることの苦しみに思いを馳せつつも、特に炎上しているような話題ではフェミニストを批判するツイートのほうが論理的だと感じることが多かった。
多分これはフェアな態度ではないなと思い、ある時期から意識してツイッター上でフェミニストをフォローするようになった(体系的に学習しないのは単に私が怠惰だからである)。
そうすると、「女であるが故の連帯」ということを明に暗に唱える人々がいることに気がついた。そういう人ほど男性のホモソーシャルを攻撃していることにも。
第一に、一部のフェミニストにとってフェミニズムとは男女同権主義ではなく、女権拡大主義でしかないのだと考えた。
私のフェミニズム的思考の源流は、身体的に男性であるというだけで「男性」と括られることへの違和感であった。
(ちなみに私はシスのストレートであるし、それに関して疑問を持ったことはない。セックスするだけなら男性とも出来る気はしているが恋愛感情は女性にしか持ったことがない)
つまり身体性から離脱すること、「男に生まれても女に生まれても生き方が変わらないこと」が目標だった。
だから、「この世の中は女にとって辛いものなのだから、女しか持っていないものはガンガン活用していくべきだ」という態度は理解は出来ても共感できない。
私が勝手な期待だったのだけれど、スタンスがはっきり違うことを改めて意識して裏切られたような気持ちになった。
第二に、女性だけが持っているらしいポジティブな「シスターフッド」みたいなものが心底羨ましくなった。
私は先程男子校の懐の広さについて書いたけれど、これは恐らく「同性のみからなる集団」のメリットである。
そうした「同性のみからなる集団」の特質に加え、どうやら女性には女性だけが持つ「シスターフッド」なるものがあるらしい。
何度も言われていることだが、男性の多くは馬鹿話と趣味の話と仕事の話は出来ても辛さを共有することは出来ない。
弱みを見せたくないというのも無くはないが、どうせ真面目に共感されることはないとわかっているからというのが大きい気がする。
実際、自分だって男性から何か弱さを打ち明けられても「うーん大変だねえ」くらいのことしか言えない気がする。
相手が女性となれば話が変わってくる。多分、親しい同性よりもそれほどではない異性のほうが親身になって話を聞くだろうし、共感を示すだろう。
性欲由来の優しさだなんて言いたくはないけれど、恋愛対象でも性的対象でもない人間の辛さを親身になって聞くことは自分にはかなり難儀なことだ。
男性の多くはセルフケア能力も性的に興味がない他人をケアする能力も欠けているし、それを改善する方法も全く思いつかない。
基本的に男性は他の男性に興味がなく、馬鹿話と趣味の話と仕事の話が出来る相手を望んでいるだけなのだと思う。
だから、お互いをケアできる人間同士の「シスターフッド」という関係がとても羨ましい。
もちろん、ケアをする能力というものを女性一般が持っているとは思わないし、前述のような理由で辛いことは男性に相談するという女性も多いのだろう。
それでも、多分ブラザーフッドに比べればシスターフッドはかなり現実的だ。
しかし、結局はシスターフッドだって別に女性万人が適用できるものではないし、そんな良いものではないんじゃないかという冷笑的な気持ちになることもある。
男子校は心地よかったけれど、誰かが私と肩を組もうとするたびに私は反射的にその手を跳ね除けていた。
自分が女に生まれていて女子校に入ったとしても、多分ベタベタしたことは出来なかっただろう。
結局ブラザーフッドにせよシスターフッドにせよ、自分が男/女であることにためらいも屈託もない人間だけのものでしかないのだ。
自分は明確に男/女であるが、男にも女にもなりたくない卑屈な人間として、ブラザーフッド/シスターフッドを嘲笑してやろうと思っている。
少し話が変わるが、感覚としてBLを愛好する男性はGLを愛好する女性に比べて遥かに少ない。
ストレートの人間に限って言えば、女性が好きな女性に比べて男性が好きな男性というのは少ないのだろう。
男性から見れば、ブロマンスなど女性にとって都合が良いファンタジーでしかない。
男は無徴だなんて言うと怒られそうだが、実際身体感覚として男性同士で共有できる「徴」みたいなものは思いつかない。
あるとして、「男はつらいよ」は「女のほうがつらいよ」によってポリティカルにインコレクトで不健全なものにされてしまった。(ここにもやるせない怒りはある。もうどうしろと...。)
愚痴ばかりでは締まらないので、身勝手でも現状の希望を書いて終わりたい。
私はやっぱり異性の恋人が欲しい。
生きているだけでしんどいこの世の中で、なんとかお互い傷を舐めあえる恋人が欲しい。
何とか自分に与えられた分以上は与えるように努めたい。
大学では何とか異性と話せる程度にはなったし、卒業したころには(私の思い込みでなければ)ごくわずかながら友人も出来た。
夢見ててよくわからんくなってる状態自体はワイも全くおなじだわ・・。
いや、俺はちゃんと節度を持って、あくまでエンタメとして楽しんでいるんだ。ちゃんと現実はみているんだ。
・・・そんなふうに考えていた時期が僕にもありました。
私って、ほんとバカ
ワイのプロファイリングによると、おそらくワイの推しは専業主婦(子なし)じゃないかなあと思われる。
考えたくねえ
書いててすでにつらい
何にも夢中になれない人生よりは、なにか女の子の尻を追いかけることにでも夢中になって過ごした思い出のある人生のほうが、いくぶんかはマシじゃないかと思うんだよな、死に際。
アイドルとファンという関係性以外に異性とのポジティブなコミュニケーションを取る関係を構築する方法を知らないんだよ・・・。しょうがないじゃん
それを言うならボディポジティブだよ
実際、差別する方が悪い
ポジティブボディってのがあるのでデブに差別的なこと言ったらアウトだぞ
上級労働者はセルフマネージメントの一環として体型にめっちゃ意識を払うが
上級労働者を使う側の上級国民はその必要が無いでな。別にデブで良い
なのでデブを差別してはダメだぞ(多様性の否定)とアクションを起こす
あらゆることはそんなもんだぞ
例えば美を司るはずのファッション関係の大御所クリエイターがデブだったり、
パリコレに招待されるガチもんのセレブリティがデブでフルオーダーしたり、
ガチもんのセレブでは無くても外商が付くレベルのふくよか(婉曲表現)なお客様向けにセミオーダーやプラスサイズが展開されたり、
偉大な大御所クリエイターのデブに「おまえの美意識どうなってんの?」とは言わないし、
ガチのセレブや重要顧客のデブに「デブに売る服はねぇ!!」とは言わないし、
ファッションに関してもコストが掛かるプラスサイズを展開するより既製品で押し通したいので
下々の者に対しては「デブは悪、痩せろ」と唱えるだろう
何やら「アメリカの人種ヒエラルキーではアジア系は黒人より下で、黒人と白人の両方から差別されてる」などという与太が出回っているようで。
これは嘘っぱちですのでご注意ください(個々人の経験は別として、全体から言えば)。
むしろ、アジア系アメリカ人が他の人種的マイノリティ、特に黒人に対しての差別者であるとの認識すら、決して珍しいものではないのです。
※注意:この増田では基本的にアフリカ系アメリカ人のことを黒人と呼称します。
アメリカにおけるアジア系アメリカ人はその高い学歴、経済的成功から、他の人種的マイノリティより高い階層にいるとみなされています。
これは"中間層マイノリティ/Middleman minority" (Bonacich 1973)や"人種的ブルジョワジー/Racial bourgeoisie" (Matsuda 1993)といった呼び方や、"アメリカの人種的ヒエラルキーにおいて白人と黒人の間のどこかを占める、第三の存在" (Kim and Lee 2001)という評価など、古くからの認識です。
Bonacich, Edna. (1973) A Theory of Middleman Minorities” American Sociological Review 5: 583–594.
Matsuda, Mari. (1993) We Will Not Be Used. UCLA Asian American Pacific Islands Law Journal 1: 79–84.
Kim, Claire Jean, and Taeku Lee. (2001) Interracial Politics: Asian Americans and Other Communities of Color. PS: Political Science and Politics 34 (3): 631–637.
モデル・マイノリティ(ここで言う"モデル"とは"見本"のようなニュアンスです)という言葉もあります。ポジティブなステレオタイプを持つマイノリティのことで、アメリカではアジア系を指すことがほとんどです。
勤勉で、まじめで、よく働き、自立していて、etc., etc...ポジティブなステレオタイプゆえに支援の手が伸びにくかったり、ステレオタイプの押し付けが起きやすかったり(褒めてるんだからいいじゃん!的な)、ネガティブなステレオタイピングとはまた別の問題があります。
これは他のマイノリティをディスる、さらには人種間の対立を煽るのに使われる――アジア系の連中はあんなに成功しているのに、黒人はどうして貧乏なままなの?努力が足りないんじゃない?――場合があります。
一方で、このステレオタイプは就職等でプラスに働くこともあり、一筋縄ではいきません。
アジア系の中には上記の対立煽りを真に受けたり、黒人への蔑視を白人と共有する人も存在します。
アジア系アメリカ人の人種差別に関する意識は白人と近く、2008年の世論調査(***)では黒人の65%、ラテン系の55%が「人種差別は未だ、我々の社会における重要な問題である」と答えたのに対し、アジア系と白人でそう答えたのは33%でした。
また、「人種差別は存在するが、もはや重要な問題ではない」という答えは黒人で23.9%、ラテン系37.8%、アジア系50%、白人60%でした。
しかし、やはりマイノリティー、被差別者としての側面もあり、上記のステレオタイプの押し付け、落伍者への冷たい目、キャリアにおける差別("竹の天井"と呼ばれます)が存在します。
さらに、アジア系は集団内の格差が激しく、日中韓印系とそれ以外で状況は違うにもかかわらず、アジア系全体の恵まれたイメージから支援が届きづらいことがあります。
黒人たちと同様、シンプルで醜悪な人種差別にさらされることだって当然あります。
また、コロナパンデミックにおけるアジア系の人たちへの差別で、黒人が声を上げなかったとするのも間違いです。
100 Black Menという市民団体はAsian American Business Development CenterおよびHispanic Federationと共同声明でアジア系差別を批判してますし、黒人コミュニティや個々の黒人もtwitterなんかで差別を批判してます。
ただし、アジア系の人々が今まで黒人を差別していた/黒人差別に声をあげなかったという理由から、彼らのために声をあげたくないという黒人もいます。
例えば、黒人コメディアンのGodfrey氏はinstagramに投稿した動画で「エボラのパンデミックの時、君らはどこにいた?我々が警察に殴られているときには?」と述べ、「君たちのスーパーヒーローにはなれないよ。他にやること(無数の差別への対処)がいっぱいあるんでね」と答えています。
※トランプの"中国ウィルス"呼びを肯定していたり、中国人の食生活や、パンデミックに対する中国の責任、中国から入ってくる安い商品等への批判もしているため、単なる反中国論かもしれませんが。
アジア系アメリカ人とBlack lives matter (以下BLM)の関係もまた歴史的に複雑な背景を持ちます。
BLMが使われだすずっと前ですが、ロス暴動の前日譚として黒人と韓国系アメリカ人の間の緊張状態および、韓国系アメリカ人による黒人少女Latasha Harlinsの射殺事件がありました。
2014年の黒人射殺事件は中国系アメリカ人警官によってなされました。新人警官のPeter Liangが同僚とパトロール中、ガールフレンドとデート中のAkai Gurleyと暗がりで鉢合わせ、つい射殺(直撃ではなく跳弾)してしまったのです。
Liangは過失致死で有罪判決を受け、それに執行猶予5年がつきました。
この事件は中国系アメリカ人と黒人の両方から批判を浴びました。
中国系アメリカ人側は「白人なら起訴されないのに中国系ならされるのか」と起訴の取り下げを要求し、黒人側はBLMを掲げて射殺に抗議しました。
ジョージ・フロイドの死に関しても、関わった4人の警官のうち一人はアジア系アメリカ人のTou Thaoです。
アジア系アメリカ人団体Asian American CommissionはBLMへの連携を表明した上で、その声明文中にて「アジア系コミュニティにおけるアンチ黒人の深い根」の存在をあげ、コミュニティの変革を求めました。
※「(アジア系は)差別されてきたが、同時にモデルマイノリティ神話等から利益を得てもいる」等の意見も声明文には含まれていることもあり、一部のアジア系アメリカ人はこの声明に反発しています。
勘違いしないでほしいのは私が「黒人がアジア系を差別している」へのカウンターとしてその逆を言っているわけではないということです。
黒人差別に声を上げるアジア系、アジア系差別に声を上げる黒人、当然のようにいます。黒人のレイシスト、アジア系のレイシスト、当然います。白人、ヒスパニック、その他マイノリティも同様です。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 54 | 9018 | 167.0 | 67 |
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05 | 28 | 2717 | 97.0 | 51 |
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15 | 80 | 10561 | 132.0 | 55 |
16 | 116 | 13899 | 119.8 | 48.5 |
17 | 127 | 11653 | 91.8 | 36 |
18 | 108 | 10481 | 97.0 | 46.5 |
19 | 98 | 11065 | 112.9 | 48 |
20 | 84 | 22242 | 264.8 | 54 |
21 | 121 | 26769 | 221.2 | 53 |
22 | 92 | 17544 | 190.7 | 63 |
23 | 103 | 16199 | 157.3 | 51 |
1日 | 1751 | 259001 | 147.9 | 51 |
水平思考(3), ホーキング(3), 文語(3), 今し方(3), 10兆円(3), 乱獲(5), ぷりん(3), ムーアの法則(3), シュッシュッ(4), ひろみちゅ(3), ロングテール(3), 👁(14), 学問(19), 資源(12), 同性婚(6), 国籍(7), 内定(8), 悪用(7), CPU(6), 告知(6), 無償(8), あくまでも(7), 自己紹介(9), 白人(18), 復讐(6), アジア人(6), 誹謗中傷(10), 高卒(9), 民度(7), 障害者(16), 肌(12), 仕方がない(10), けれども(11), 黒人(15), いわ(27), 重視(9), 平日(10), 左翼(20)
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それで、ちょっと今朝のNHKの「はね駒」の弘次郎を思い出した。
娘のおみつが出産で弱ったからだをいやすため、実家に戻っていたが、
嫁ぎ先の吉川家の姑は、おみつを肺病と疑う。
肺病のうわさもひろがっていることから、と
嫁入り道具を送り返して離縁を言い渡されてしまう、
そのことを知ったおみつは、ショックから病気が悪化し、亡くなってしまう。
橘家は、打ちひしがれてしまい、しばらく、おみつロスの状態が続く。
おみつの父の弘次郎はそうした吉川家への非難とはまったく正反対の境地に至るのだ。
橘家当主の弘次郎はいう。そもそも、おみつを嫁に出した自分の責任だと。
また、武家のプライドに固執し、普段から人付き合いを憚ってきたことが、
弘次郎は、おみつの墓前でちょんまげを切り落とし、ざんばら髪にしたうえで
突然の決断ではあるが、並々ならぬ弘次郎の思いが伝わり、一家は上京を即断する。
大変、興味深い。
跡継ぎを生む道具としてしかおみつを扱ってこなかった吉川家のふるまいは、
現代の価値観からすると、なおさらひどく感じるが、しかし、当時としてもおそらく
子供を産んで弱った母親を離縁させ、息子に再婚させるなどという姑のふるまいは、かなり非常識だったに違いない。
しかし、弘次郎は、吉川家に対して、一切そうした批判をしなかった。
おみつが病にふせっているときに元気づけるために、
生まれたばかりの赤ちゃんにおみつを会わせてやってくれ、と懇願しに吉川家にいったときに
長女のおりんがずっとついていなければいけないと心配するほど、グダグタになっていた。
そんな弘次郎だったが、
小刀を抱えておみつの墓前に向かうシーンで、もしや自傷行為か、と思わせておいて
心を入れ替えて上京する、という、なんともポジティブすぎる決断をすることになった。
東京で、何をする、ということも何も決めていない。決めているのは、ただ家族で上京するということだけ。
動揺するおりんに弘次郎はいう。
おまえにとっても東京のほうがいいだろうと。
弘次郎は、こうして、吉川家を一切非難せず、変わるべきなのは自分だ、という境地に至る。
本当に、このシーンは、はね駒の見どころの一つだと思う。
ありふれた話だけど、自分の顔が嫌いだ。
久しぶりに自分の顔が憎くてたまらない波が来たので、感情を小さくするために、自分の中の顔に対する思いの変遷をまとめてみた。
今となっては愚かすぎて笑っちゃうんだけど、小学生の時は自分のことを絶世の美少女だと思っていた。親に溺愛されて育ったのと、親戚にも地域にも小さい子が少なかったので、褒められる機会が多かったせいである。
しかも捻くれたことに、(自分は美人だからおしゃれなんかしなくても充分だ)と思っていて、おしゃれに目覚めて盛り上がる女子たちを小馬鹿にしていた。
その考え方はやがて女子=愚か、という結論にたどり着く。小学校高学年の頃は、男子と混ざって馬鹿な下ネタを言う自分が格好いいと思っていた。そして、体つきの変化を隠すためぶかぶかの服ばかり着ていた。つまり、小学生にして名誉男性思想を獲得していたのだ。我ながら最低だと思う。
しかし、中学生になって分別が出てくると、さすがに自分の顔が美しくはないことに気づき出し、その反動で自分の顔も体もとことん嫌いになってしまった。
毎日マスクをつけ、夏でも長袖チェックシャツに太めジーンズで、前髪を伸ばし、制服のスカート丈も靴下すれすれまで長くしていた。服屋なんて鬼門中の疑問で、滞在時間を最小にするために絶対試着をしなかったから、ジーンズの裾をいつも何重にも折り返していた。
写真にはとことん写らないようにしていたため、冗談抜きで中高の写真は高校の卒業アルバムの個人写真1枚のみである。(中学の卒業アルバムは、受け取った瞬間自分の写真を切り取ったせいで親と大喧嘩になり、貰った翌日にはもう捨てしまった。)
その頃の私が一番恐れていたのは、周囲の人に(あいつ不細工のくせにオシャレしてて、身の程知らずだな)と思われる事だった。自分の体を隠し、不細工の自覚をアピールすることに必死だったのだ。
ただ一つ恵まれていたことは、私の母校は穏やかな私立の中高一貫女子校で、私がゼロ年代の男オタクみたいな服装だろうと、毎日毎日「私不細工だから〜」というフォロー待ち感満載の発言をしようと、派手な子から地味な子までみんなフレンドリーに接してくれたことだ。(というか派手な子地味な子普通の子、みたいなヒエラルキーすらほとんど無かった。)中高時代の私が私が醜形恐怖症にならなかったのは、間違いなく同級生のおかげである。
自己嫌悪と同じくらい自己愛が強い私は、共学の大学に入学すると、オシャレへの拒否感との板挟みに苦しみながらも必死に自分磨きをした。
詳細は省くが、努力の結果、ゼロ年代のオタクから垢抜けない女子大生くらいにはアップデートできていたと思う。(ちなみに、アラサーの今までついぞ垢抜けることはできていない。)
しかし、顔だけでなく性格も悪く、社交性もほとんどないので、多少見た目が改善されても全くモテなかった。女子校時代とは比べ物にならないくらいの恋愛至上主義の中で、数年にわたって誰からも好かれないということは異常事態である。特に文系大学生にとって、彼氏ができたことがないといのは、ほとんど社会不適合者のお墨付きをもらったようなものだ。当たり前のことが当たり前にできず、みんなやすやすと飛び越えたハードルの前でいつまでも立ち尽くしている気分だった。
このモテなさを改善するには、性格をよくする努力をしたり、社交性を磨いたりするのが正しい道だとわかっている。しかし、他人と話したりポジティブな振る舞い(人を褒めるなど)をしたりすると、必ず不細工な自分が不細工な笑みを浮かべながら必死に媚びへつらっているイメージが頭をよぎっていたたまれなくなる。そして何もできなくなってしまうのだ。
大学時代を経て、顔へのコンプレックスが、容姿も含めた自分という人間全体へのコンプレックスに変わったように思う。小学校時代は明るいお調子者だった自分が根暗に変わってしまったのは間違いなく顔へのコンプレックスのせいなので、顔と性格の間に負の連鎖が生まれてしまったのだ。
その負の連鎖は今でも続いている。自分の行動がうまくいかないと、その事だけでなく自分全体を憎んでしまい、最も慣れ親しんだ顔への憎しみに帰結するのだ。仕事で失敗すると、トイレの鏡に映る自分の顔の醜さに絶望する。ちょっとした不幸(通販で失敗するとか)があると、何時間も鏡を見て、自分の顔のレベルをいつまでも考え込む。あまり他人に顔を見られたくないので、いまだに人の目を見て話せない。それどころか、不細工が調子に乗っていると思われたくないので、気持ちを奮い立たせないと自分から人に話しかけられない。
この増田を書いているのも、見知らぬ誰かに、自分は不細工の自覚があることをアピールしたいからなのかもしれない。やっぱり自分は醜形恐怖症なのかなとも思うけど、顔がいい人が醜形恐怖症になりやすいっていうのを聞くと、もう醜形恐怖症を疑うことすら調子に乗っていると思われそうで怖い。周囲の人は着々とライフステージを進めているのに、こんな思春期半ばみたいなことで悩んでいる自分の幼稚さも嫌いだ。
自分の感情を小さくするために書き出したのに、結局変に興奮してしまった。でも、朝起きてこの文章を見返せば少しは冷静になるかもしれない。明日は少々自分の醜さに折り合いをつけられる気持ちになっているといいな。
児童虐待に於いて最も難しいプロセスは、児童本人に「自分は虐待されているのだ」ということを認めさせることだと言います。
虐待というのは、客観的な証明が難しく、畢竟当人がどう感じるかが全てという側面がありますので、裏を返せば、思い込もうと思えばいくらでも思い込めるのです。「自分は虐待などされていない」と。
「愛されていなかった訳ではない」「自分の態度が悪かったのだからある程度は仕方がない」「こんなことはよくあることだし、もっと酷い事例と比べれば大したことではない」などなど。
そうやって思い込むことで、自分の精神を守ろうとするのは已む無きことです。
そう思い込めれば幸いな誤解の中で生きることも可能ですが、自分が虐待されていたという事実を直視するのは、猛烈な惨めさに襲われるだけで、何の救いにもならず解決もないからです。
しかし、そのような自己欺瞞は往々にして精神の失調という形で現れることがあります、あなたの場合はフラッシュバックなどでしょうか。
あなたは、聡明なるかな、そのような己の認知に疑問を抱き、他人に己の状況を客観的に説明してみせました、その解決法として「父を許す必要があるだろう」という憶測を交えて。
つまり、あなたには現状を変化させようという意志があるということです、他人に頼ってまで。これはポジティブなことです。
また、ところどころ自虐的ながらも己の過去を客観的に記述出来るようになるまでには、それなりの月日が経っているのだろうと憶測します。つまりあなたは精神的にも大人であるということです。
以上を踏まえて申し上げますが、あなたに必要なことは、まず父を許すことの前に、自分が虐待されていたということをお認めになることなのです。
お気づきでしょうが、あなたのお父様が幼き日のあなたにした仕打ちは、それはそれは酷いことです。
そして幼いあなたは、何も悪くありません。
あの日、トイレで壁をジッと見つめて涙を目に溜めていたあなた。その子を受容してあげてください。手を差し伸べてください。「あなた(私)は何も悪くなかったんだ」と。
それが出来るのは、あなたしかいないのです。大人になって見聞を広げ、社会性を身に着け、自分のことを客観視出来るようになりつつあるあなたにしか。
信頼できる友人、恋人などいれば、助けを求めるのも良いでしょう。カウンセリングも良いかもしれません。
それさえ出来れば、その後お父様を許そうが許すまいが、それはどうでも良いことです。
感想って嬉しいから欲しい人も、自分の思考に水を刺されたくないから欲しくない人もいます。ただ実際感想欲しくてやってる人は一定数いても、根本的には同人ってそのジャンルが好きでやってる人がほとんどだから、感想のためにやってる方は永遠にこの鬱屈を感じ続けると思います。目的が違うから齟齬が生まれるのは当たり前です。
本当にそのジャンルのこと好きですか?同人が好きですか?ただのコミュニケーションにおける媒介でしかなくないですか?
さすがは感想を責務と思ってる方なので感想貰うことに感謝と敬意が無いですね。私が送る側なら作品が好きでも送ることをためらいますよ、責務で送ったなんて思われたくないので。責務の感想を貰って嬉しいのか疑問ですが、送るほうはそう思われるの心外ですよ。
自分の作品が感想が来て当たり前のクオリティと思ってるポジティブさは良いですが、長いだけで理論的じゃない人の文章って書けば書くほどオブラートに包むはずだった本心が透けて見えてますよ。