はてなキーワード: テキストサイトとは
相性が良い一方で、専門的知見を述べた堅い文章との相性が悪い。
結果、はてなブログでは、平易な雑感しか書けない無教養なユーザーが
大多数を占めるようになり、数の力でホットエントリを荒らしている。
以前netcraft氏が、はてな女子のつまらなさを指摘していたが、
やってることは、精度の低い論考と平凡な自意識の垂れ流し。
そんな最下流の文芸を、頭の悪いファンが文才だと言って持ち上げている。
職業の裏話は面白いが、仕事の話が一番面白い人はやっぱり物足りない。
凡人の陳腐な雑感を、多くの人に読ませようとしているのだ。
だが、これを機に、はてなブログを削除しようと思う。
学識が無い人の論考はいらない。
マイノリティごっこや痛い人ごっこもいらない。
PS.
旧型のはてなダイアリーが、ある種のブランド性を帯び始めている。
はてなダイアリーのほうが、中身のあるエントリに出会えそうなイメージが広まっている。
実態は平易な雑記ブログなのに、精神科医という肩書きでブログに箔をつけている
俺は不動産屋であり飲食屋であり、最近貿易にも手を伸ばしてるんだけど
どの業種も、参入障壁は圧倒的に低くなったと思う。ネットの「おかげ」であり
また同時にネットの「せいで」でもある。
経験ゼロから俺はどれも参戦して利益まで持っていけちゃったしね。
ほとんどがネットから概論的な知識を得て、掘り下げて実践した感じだった。ネット様様だ。
以前は不動産や貿易なんてのは参入のクッソめんどいものだったけど
今だったら、その気になればネット上の知識だけで参戦自体は可能。
もちろん、それを体系化して実践する力は相変わらず必要だけど、
情報収集は非常に楽になった。それだけの「コンテンツ」はネット上に偏在するようになった。
しかし、コンテンツの総量の増加に反比例して、有用なコンテンツの「割合」は下降したように思う。
つまり、新たな能力が人間の側に求められるようになった。ゴミの山から宝を探り当てる能力。
結局のところ、先んじて学びリスクを取る人間が勝つってのは変わらんけどね。
ネット上の有用なコンテンツの総量自体は、今このときも増加を続けてると思う。
10年ちょい前。
俺中3。
テキストサイト全盛~やや衰退期。
ISDN。
通信速度は7kb/sとか。
アングラとかプロキシって言葉がさも大層なものに聞こえて(当時はググるなんてことはできなかった。yahoo全盛期。)、友達がすごく頭がよく見えた。
(アイコラサイトでやたら見かけるから相当需要があるんだろうなとは思ったけど。)
慣れない人差し指タイピングで長時間かけてノリツッコミを書き、すごく明るくておちゃらけてノリのいい男を演じていた。
事前に友達がプリクラを渡していたらしく、ジャニーズの誰それに似てる~と言われており、お互いまんざらではない感じだった。
数ヶ月メールをやりとりして、紹介してくれた友達とそのメル友と合わせてダブルデートすることになった。
女子と付き合ったこともない、メールで増長しまくっただけの薄っぺらい人間がそれに耐えられるわけもなく、終始友達の陰に隠れるような形でろくに話せなかった。
その日以来メールの返事は来なくなった。
ブスのくせに生意気な、と内心で負け惜しみをぶつぶつ言ってた。
実際、可愛くはなかったけど、ここまで明らかに切られるってのはきついなーとかなりショックを受けた。
それからもMSNメッセンジャーとyahooゲームで小学生とか中学生とかと仲良くなっては疎遠になりを繰り返した。
有名人の電話番号を売るという人間がいて、真偽確認のために後払いということで郵送してもらった。
そんで電話かけたらほんとにかかった。
マジだーと思ったけど怖くなってお金は払わなかった。
今考えたら住所氏名バレてるから怖すぎるんだけども。
ファイル共有ソフトで拾ったのかな、とか今なら思える。
つーか今考えたらただの同姓同名って方が可能性高い。
あとはチャット。
そんで受験だから自重しようということで、いついつにまたチャットルームで会おうと約束したが結局行かなかった。
今思い出すだけでも恥ずかしすぎて死にそう。
高校生になってケータイを買ってもらってADSLも普及してきたけど、運動部に入ったのと、家のネットがISDNのままだったから自然とネットからは離れていった。
大学生になってからまとめサイトとか2chとかに入り浸って堕落した。
そして今に至る。
はてな村民のみなさんは、やはりスターやはてブをもらった時なんでしょうか?
それも一度手に出した精液を舐めるようにして再び口に入れ、飲む瞬間ほど承認欲求が満たされることはありません。
それではなぜ僕がそのようにされると承認欲求が満たされるようになったかのお話をします。
あれは初めてのオフ会でした。
ぼくはまだ高校生になったばかり。中学の頃からネットでテキストサイトを公開していました。同じようにテキストサイトを公開している人たちとつながりができ、オンラインで仲良くなったのですが、中学生の時はオフ会には参加できず、いわゆるオフレポを読んでいいいなあと思っていました。中でも風俗系で働いている女性テキストラーの方とは、頭の中はエロばかりの僕の好奇心を満たすにはとても魅力的でした。もちろんコメントやメールを送り、いろいろな話を聞かせてもらったことを覚えています。
いよいよ高校生、という春。お花見オフというものが開催されることになりました。いままではたいてい夜で参加できませんでしたが、昼から、ということで僕も気軽に参加することができたのです。
当日、僕は風俗嬢テキストラーと会えるのが一番の楽しみでした。彼女とは中野の駅で待ち合わせをしていたので、ぼくは公園を通り過ぎ、いったん中野駅まで歩いていくことになりました。
初めて買ってもらった携帯電話。まだ家族と友人以外、その風俗嬢テキストラー以外、誰も登録されていませんでした。僕が中野駅に向かって歩いていると、その携帯が鳴ったのです。
「着いたよー。いまどこ?」とかわいらしい感じの声で聞かれました。僕は居場所を答え、あと5分くらいで着けることを伝え、当日の服装と待ち合わせにサンプラザの中を指定しました。
数分後、僕がサンプラザの中へ入っていくと、少し派手な、春っぽいピンク色の女性が見えました。
あ、あの人だ。そう思いながら僕は近づき、いったん顔を確認しようと前を通り過ぎようと思ったのです。しかし、僕の服装を伝えてあったので、通り過ぎようとする瞬間彼女と目が会い、「あ、オレ君?」と捕捉されてしまいました。ぼくはドキがムネムネしていました。
彼女は公園の場所をよく知らないというので、「歩いて5~10分くらいですよ。」と説明すると、「歩くのだるい」と言われてしまいました。仕方がないのでバスに乗ることにし、彼女を誘導しました。これがいけなかった。
僕がバスの二人がけのシートに先に座ると、隣に彼女が座ったのです。こんなに空いてるのに隣に座るかね、と思ったことを覚えています。彼女はそして生の太ももを僕に見せ付けてきました。
どうしてばれたのかわからないのですが、彼女は「ねえ起ってるの?」とぼくの股間を触ってきたのです。僕は恥ずかしくてたまりませんでした。
「かわいいね」
とにかくバスは公園に着きました。彼女はバスを降りるとオフ会仲間の場所を探しにどんどん先に行ってしまいました。ぼくはなんとか必死で後をついていきました。勃起したペニスを静めながら。
「あー、これオレくんだよ。」
僕は歓迎されました。ぼくもやっと彼らの仲間になれたんだ、と喜びました。
当然ですが、みなさんはお酒を飲み、わいわいい盛り上がっています。ぼくはぽつんとしていながらも、いつも読んでるテキストラーの方たちの話に耳を傾けていました。
だいぶ陽も落ち、そろそろお開きにしよう。二次会へ行こう。という話になりました。
風俗嬢テキストラーの方は男性の中心にいました。みんな狙っていたんだと思います。ぼくは嫉妬なのかわからない感情でその様子を眺めていると、突然「オレくん」と呼ばれました。
彼女は他の男性陣に向かって、「わたし、オレくんに送ってもらうから」と宣言しました。「えー二次会はー」と一人の男性が言いました。すると彼女は、「気が向いたらね。」と言って駅の方へ歩いていきました。僕は男性陣に失礼しますといい、彼女の後を追いました。
酔っ払っている様子の彼女。バスを待つ間もベンチに座ってとてもだるそうに見えました。「大丈夫ですか?」と聞くと、背中をさすってくれといわれたのでそうしました。
バスに乗り、中野駅に着くと、「オレ君、カラオケでも行こうよ!」と言ったので、ぼくは友達とよく行く小さなビルを改造したカラオケ屋に案内しました。
「オレくん、歌ってよ。」といわれたので僕はミスターチルドレンを歌いました。彼女の日記に好きなアーティストと書いてあったからです。
「オレくん、うまいねー。じゃあ、ごほうび!」
僕は彼女の方に引き寄せられ、あっという間にベルトを緩められてトランクスをはがれました。彼女と二人っきりでボックスにいるというだけで、ほぼ半立ち状態でした。
ぱくっと咥えると、ぼくのペニスはみるみるまに大きくなりました。当時、まだ包茎でした。
ぼくは気持ちよさにあっという間に発射してしまいました。彼女の口内に。
「あ、ごめんなんさい」
ぼくはこんなにもはやくいってしまったことを恥、さっと彼女から離れてトランクスをあげ、彼女に謝りました。
「いいよ。ほら、きれいにしてあげる。」とまた僕のペニスを引き出し、フェラを始めたのです。
僕は出したばかりなのにまた勃起してしまいました。そして、再び口内に発射したのです。
「ほら、おれくんの。」
と手のひらに吐き出した精液を僕に見せてくれました。
しばらく指で大量の精液をいじっていたかと思うと、ペロッと舐めて再び口内へ入れ、飲み込んでしまいました。
「おれくんの、おいしい。」
そう言って。
7月12日開催予定のはてブユーザーオフ会が準備段階でちょっとごちゃごちゃしているみたいなので、
思った事を書いておく。
僕は主催みたいな感じでそこそこ大きい規模の飲み会やったりしてるのでその時の経験を踏まえて。
他にもテキストサイト系の大規模オフなんかにも何回か参加したことはあります。
そんなわけで「こうしたほうが良いんじゃない?」って事を書いておく
主催者からするとやっぱり来て頂いた人には楽しんで帰って頂きたいので、
「楽しませる仕組み」みたいな事をアレコレ考えがちになると思います。
それはもちろん悪いことでは無いのですが、準備してきた事が上手く現場で機能するかどうかなんてのは結局「やってみなければわからない」部分が多いし、
当日は絶対にばたばたするので主催者側がやるのはお店選びとか会費の設定などなど必要最低限にして、
当日現場でやる事は極力減らした方がスムースかと。あれこれ考えるのは回数を重ねてからで良いと思います。
そんなわけで「各種企画を暖めて」なんて言わずに、
早々に「とりあえず集まって飲もうよ。当日は別に何の用意もしないけどそれでも良い人はおいで」くらいに宣言してゆるい感じでやった方が良いんじゃないかしら。
初回はとりあえず様子見て、余裕がありそうなら次回以降に企画をやったら良いと思うよ。
とは言え、顔も知らない同士がIDを訪ね合う所から会話がスタートするのは効率が悪いので、
参加者には全員名札を配ってHNなりIDなりを記載した上で見える位置に装着しておくと良いと思います。
あと、当日参加する人のHNもしくはIDと、ブログなどをやっている人ならそのURLを記載した名簿みたいなものを事前にエントリ書くなりして共有しておけば、
当日「あーあのブログの人ですね」って所から会話が弾んだりもするのでそれもやっておいた方が良いかも。
当日名札を配ったら後は何もしないで良いんじゃないかなー。
この仕組みでやると、「1人で参加して周囲と溶け込めなかった」って人が絶対出てしまうと思いますし、
そういう寂しい思いをする人は1人でも減らした方が良い事は間違いありませんが、
人との会話が苦手、みたいな人を楽しませようと思うと、究極はショーみたいに出し物をやるしかないわけで、
それだとオフ会の趣旨から外れるでしょうし、そこはもう前述した通り「何もしないからね!それでも良い人は来てね!」みたいな念押しするしか無いんじゃないかなー。
なんだか妙に香ばしい記事を拝読したが、どうもこれ、やまもといちろうがかねてより言及していたイケダハヤト師によるものであった。やべえなこれ…。さすが特攻隊長も折にふれてネタにするわぁとご納得の香ばしさ、あたかも身があるようでいて1ミリも為にならない砂上の楼閣。師の申し上げるこれが芸術(アート)なのだろうか……。
この御仁、インターネットリトマス試験紙として実に有益であると思ったら、あんのじょう耳聡い諸兄らによってまとめられていた。
http://matome.naver.jp/odai/2135569541599954601
なんと無意味に魅力的なんだろう……。
ていうか、DHPってなんやねん(清原)。彼はもしかして気の利いたジョークを飛ばしたつもりなのかな? 嗚呼、ページトップの自信にみちたドヤ顔ポートレイトがちらつきます。まさか、まさかこれスベリ芸というわけでもないですよね……? そんなばかな。きっとイケダ師は徹頭徹尾ガチで提言したつもりなのだ。DHP、いいじゃないですか。ビジネスシーンで積極的に使っていきたい単語ですね。おもしろいおもしろい。彼の業績についてはくわしくは存じ上げませんが、デイリーポータルZに門前払いを食らいそうなこの壊滅的センスについて折り紙でつくった敢闘賞バッヂを進呈したくなったりもしないでもないかもしれないと思ったような気もする。どうでもいい。
そしてさりげなく添えられた家入一真へのナチュラルすぎるリスペクト。これによりイケダ師が醸しだす香ばしさにはさらなる彩りが添えられて、インターネットの電子の海に禍々しい巨塔がいきり立つ。ハエ寄ってきそう。類は友を呼ぶと申すが、胡散臭さと胡散臭さが両方備わり最強に見える。
イケダ師、これほどの逸材だったとは……。胸の高鳴りはとどまるところを知らない。インターネットの漆黒の闇に燦然とかがやくショッキングピンクのネオンサイン、巷間をあやしく惑わす偽りの灯台、クソどもを引き連れて自らもまた沈みゆく現代のレミング。師を褒め称えることばは尽きませんが、今後とも師には、ポスト=テキストサイト時代を力強く牽引する芸人としてのご活躍に一層の期待を寄せるものであります。
昔の友だちが死んだ。実は友だちと言うほどでもない。実際には知り合いですらない。同じ時期に、インターネットの同じようなコミュニティ(というか界隈)で活動していて、複数人のチャットで2,3回話したことがあるぐらいの間柄だ。でも、その界隈で、すごい近い距離でサイトの更新をしたり、同じような元ネタから二次創作をお互いにしたりしていて、きっと、自分が向こうの事を意識しているように相手も自分の事を意識してるんだと勝手に思ってた。いつか、一緒に何か企画かなんかやりたいと思ってた。それから、時間が流れて、お互い、インターネットで、自分をさらけ出すような身を切るような文章や漫画も書かなくなって、そして、活動してる界隈も遠くなってしまって、たまに観に行くくらいになってしまって。そして、死んでしまった。それがなんだか胸の奥に刺さったしこりみたいになってうまく動けない。すごく怖い時に感じるような、胸の奥から来る寒気がどうしようもなくなってる。多分、いつか、また、合えるとどこかで思っていて、昔みたいにネットの片隅で気持ち悪いものを作って、直接の交流はしないでも、どっかで触れ合ってるような、そういうことが出来る時がいつか来ると思ってた。寂しいという感情に近いけれどもそれとも違う。過ぎ去ってしまった時間は戻らないし、戻せないし、あの、なんか楽しかった時間というのは、もう戻って来ないのだというのを、知ってしまったんだと思う。たとえ彼が死んでいなくても時間は戻せなくて、そして、これからも会う事はなかったのだと。小学校や、中学校や、高校時代の友だちがたとえ死んでもこういう感情は持たなかったと思う。かつて、場があって、そしてその場というのは自分や彼が作っていて、そしてその場が失われて、失われてしまったら、もう戻らなくて。今、彼は、物理的に死んでしまって、そして、もうその場が作られることはないのだけれども、でも、同じように自分も死んでいるのだ、と、この文章を書きながら、分かった。あの時の自分は死んでいて、あの頃、テキストサイトとか、テキッ娘とか、敵ッ娘、とか、不適ッ娘とか、ダークマターとかテキストサイト選手権とかそういう内輪向けの祭りを、ずっと続けてたかったけど、でも、そういうのはいつか終わって、それが出来なくなってしまった時点で、みんな、その場を作っていた死んでしまって僕も死んでしまって、でも生きてるから別のサイトや別の界隈や、リアルで生活をするけれども、失われて、ああ、駄目だ。悲しい。それが何が悲しいのか分からないけど悲しくて仕方がない。自分は冥福を祈るというのが苦手で、というか、もう、分からなくて。それは、死んだら人は無になると思っていて、幽霊も神様もいないと思ってて、でも、冠婚葬祭というのは必要だというのも分かる。それは、生きている人間の為のものだからだ、生きている人間が、死んで失われてしまったものにケリをつけて、過去のものにして、今の生活から遠ざけてしまって、思い出の中にしまいこむのに必要な儀式だからだ。だから冥福を祈る。死んだ人間の為じゃなくて、生きている自分の為に。でも、自分はそもそも人とのかかわりが苦手で、出来るだけ友だちを作らないようにしていたし、誰もいなくても生きていけるようになりたいと思っていて、だから冥福を祈るというのが、わからない。だって元々遠くに会って、これから会う予定のない人が、永遠に会えない人に変わってしまっただけのことだから。でもそれが今とても辛い。過去のものにするには、彼の作ったものがインターネットの海の中に溢れていて、そして、これからも残り続けるだろうし、あちこちのサービスやコピペブログに転載された文章や絵は、そのサービスが終了したり消えていく度にさざ波のように少しずつ亡くなっていくだろうけれども、でも、多分なくなりきることはない。リアルな、リアルというものもよく分からないのだけれども、区切りという、死があるわけではなく、ただゆっくりと今までに作ったものが見えなくなっていって、そしてそれが新しく更新されることがないというだけのことで、それがどういう意味になるのか、やっぱりよく分からない。楽しい事がしたい。インターネットの死は、失われるという事ではなく、時間が止まったままになる、という事なんだと思う。なにか、止まってしまって、自分も動けなくなってしまって、だから冠婚葬祭をしなければならないけれども、どうやって冥福を祈って良いのか分からない。辛い。
天野はおそらく一昨年に死んだんだと思う。おそらくというのは家族を名乗る人のそういう報告をインターネットで見ただけで、自分は天野の下の名前も実家の住所も果たして天野が本名だったのかも知らないんで、確かめようがないからだ。
天野のことは8年くらい前に、当時付き合っていた優子に紹介されて知った。テキストサイトと呼ぶべきかよくわかんないけど、そういうシンプルな web サイトを運営していて、優子は天野のことを彼は頭が良くて面白いし、彼の書くコードは綺麗なんだ。そう紹介した。確かに天野の書く html や css は当時めちゃくちゃな装飾で溢れていた素人の web サイトの中で明確な秩序を保って美しく存在していた。ように思う。無駄に頭の回転が早くて、ニヒリズムの塊みたいな天野の知識量はどのジャンルにおいてもだいたい自分を上回っていて、優子と天野の MSN メッセンジャーの会話を横から見るのは素直に面白かった。
天野も自分もクラブミュージックが好きだったので、音楽の話を少しした。テクノが好きだと言う天野に最近 Squarepusher を聞いていると言ったら珍しく知らないと言うのでえっおまえ Squarepusher 知らないの。まじかよ絶対知ってると思ったのにとかなんとか言って手持ちのアルバムの mp3 を送ったら、かっこいいと言って喜んでいた。お返しに自分の知らなかった WEG の mp3 を送ってくれた。こいつは無駄に口が悪いけどどうやら相手が嫌いでそういう態度をとっているわけではないらしい、ということがわかった。まあ別に自分は好かれていたわけでもないだろうけど。
天野はいわゆるメンヘラクズだった。被虐待家から出る気もなくてきとーにバイトしてはネトゲをしその日暮らしを続けている、それなりに頭の良いボンクラだった。優子は天野の能力を買って有償でコーディングだかなんだかの仕事をふったりしていたが、天野は仕事を受ける時はそれなりにやる気のあるようなそぶりを見せるのに、作業を開始すると途端にだるみの境地に達してしまうらしく、締め切りや納品の約束が守られるようなことはなかった。らしい。まあよくいるよね、そういう人。というわけで天野は、能力はある、ように見える、残念なクズだった。そんな自分は更に人のことをとやかく言う資格のないアホなクズだが、アホから見ても天野の頭の回転は素晴らしかったので、これがたまに聞く「生き辛い人」というもんだろーかと思った。
天野には2回会った気がする。一度目は数人で集まって飲みに行った。二度目は優子と3人で飲んだあとオールでカラオケに行ったような気がする。天野は実際に会うとネットの中の攻撃的な物言いが全く想像できないくらい物腰柔らかで、長身で、声がよくて歌がうまくて、手が綺麗だった。これって典型的ギャップモテっつーやつじゃね?なんつーかこいつずりーなと思った。
そんな天野に女神が現れた。聞けば横浜に住んでいてネトゲだがネトゲの実況をするねとらじだかで知り合った年上のお姉さんだそうだ。もっと聞いたら天野という年下のネット弁慶で会うと物腰柔らかで長身で声が良くて歌がうまくて手がきれいなメンヘラニヒリストを「私が救ってあげるの!」と使命感に燃える赤縁メガネをかけた面の皮の厚い地雷感満載のアラサーお姉さんだそうだ。自分と優子は天野の機嫌を損ねないようにねえねえ天野くん、赤縁メガネはあかんくないか?赤縁メガネはあかんくないか?とヘラヘラ冗談を交えて忠告したが、天野は聞く耳を持たなかった。天野は日本国民に共通する「惚気けは恥ずかしいから適当に自虐ネタや相方卑下ネタでお茶を濁す」などという技は全く繰り出さず、女神がいかに素晴らしく自分が女神をどれほど愛し女神のために生きるかということしか語らなくなりクソつまらないので話すのをやめた。腹いせに天野の知らない女神の日常ブログなどを見つけしばらくヲチしたりしていたが、更新頻度は低いし、そもそも自分は自他共に認めるロリコンなので、すぐ飽きて見るのをやめた。赤縁メガネの BBA に興味はない。
そんな女神はなんのかんの理由をつけてネトゲ内で天野という彼氏がいることは伏せていたらしい。まあなんか、ネトゲとかねとらじとかいうのはいろいろ事情もあるらしいですからねっと思っていたが、女神は女神にゾッコンでありながらもなんだかんだ言ってクズいその日暮らしを抜け出さない天野にだんだん飽きてきたらしく、天野をキープしながらネトゲ周辺で堂々と男漁りをするようになったらしい。そして程なくして天野は捨てられた。自分はほれみたことかと思いつつ、坂を転がり落ちるように不安定になっていく天野のメンタルが心配ではあった。あとから知るところによると、女神や女神の周辺の Twitter アカウントに、定期的に嫌がらせじみた Reply を送ったりもしていたらしい。今まで嫌なことがあるとすぐ諦めて、人に執着しなかったはずの天野の行動とは思えなかった。しかし同時に自分も優子と仕事とその他と絶賛修羅場っていたので天野のことは次第に忘れていった。
翌年の秋の終わりに、 Maltine Records っていうナウでヤングでカリスマ~なネットレーベルが主催するイベントに友人知人の荒川智則が集まって楽しいことをするというのでいそいそと出かけていった。財布が厳しいから今回はパスするわといっていた友人に「今日来なかったやつバカ」と SMS を送って楽しく荒川智則した。朝、ガラガラの電車内で Twitter を開くと、「富士そばステッカーをSさんに貰った」という post が RT で回ってきていた。天野だった。生きてた。ついでに来てた。なんだよかったな。そのまま寝落ちして電車を乗り過ごした。
クズなりに大人としての責務を果たすべく忙しくしていた翌年の夏、もうすっかり優子のことも天野のことも忘れていた頃、また件の Maltine Records がイベントをするよっ☆彡っていう告知がまわってきた。絶対行くだろjkと何人が思っただろうか。自分も思った。思うと同時にふと天野のことを思い出した。あの状態の中で見つけ出す自信は正直ないけれど、もし会ったら?そもそも行くんだろうか?行くよな普通に考えて。行くとか行かないとか、何か Twitter で反応してるかな。
天野の Twitter ID をブラウザに打ち込むと、天野のアカウントは消えていた。ユーザーネームを変えたのかと思って検索したけれど、違った。同じように「あれ?きぐりーさん消えた…?」と戸惑っている人が数人いることが確認できた。みんな知らないってことは、本当に消えたんだろう。そうか。でもまたすぐ戻ってくるだろ。あいつがインターネットを止められるわけがないんだから。
その時のイベント「やけサマ」には、出発の直前にだるみに襲われて、行かなかった。前から決まってた予定に限って、よくあるよね。
年が明けた冬、魔が差して優子の Twitter を見た。元気かなとか、そういう特になんということのないきっかけで。なんということのない可愛い日常を遡っていくと、天野の訃報が書かれていた。天野はやっぱりインターネットを止められていなかった。メインアカウントが消えた後の新しい天野の Twitter アカウントにリンクが貼られていて、弟さんを名乗る人が訃報を書き込んでいると書いてあった。あわててリンクを辿ると、確かに天野の弟を名乗り、葬儀を終えたこと、本人の遺志によりこのアカウントのログは消さないことなどが書かれていた。その前には、年が明ける前の秋に、女神のことを引きずり続けた天野がゆっくりと絶望し衰弱し、最後の食事を買い、所持金が無くなり、恐らくどこか人に見つかりにくいところに行って、そして post が途切れる様子が記録されていた。
優子はこのアカウントをずっと見ていたのだろうか。別れたあとも天野と交流があったのかどうかわからない。どうでもいいことだけど、天野の行動が Twitter のログの通りだったなら、おそらく天野が死んだ日かその翌日くらいに自分は優子とは別の人と婚姻届を提出した。ような気がする。本当にどうでもいいことだけど。
ログをさかのぼり「やけサマ」が開催された8月21日の post を確認すると、「やけサマ」をめいっぱい楽しむ天野の様子が書かれていた。おまえはしゃぎすぎだろというくらい。そうかやっぱり行ってたのか。そんなに楽しかったなら自分も行けば良かったな。あの中で見つけられるとは思わないし、見つけられたところで「あ、どうも。お久しぶりです」とかなんとか、こっちが拍子抜けするくらい物腰柔らかで当たり障りの無い対応しか返ってこなかっただろうけど。
たまにふと、やっぱ生きてるだろという気になって検索してみる、と誰かがどこかに書いていた。それは自分も同じだ。別にあのとき行って探して、止めていればとかは全然思わない。2回しか会ったことないし。ちょっとインターネットで話しただけだし。ただなんかずっと気になっていた。そういうわけで、明日はまた Maltine のイベント、今度は「山」だ。多分行くと思う。同時に天野のことも思い出した。のでこれを書いた。多分しばらくしたら消すと思う。
ずっと気になっていると言えば結果的に優子から借りパクすることになってしまった本やゲームが数点あって、気にしながら数年持っていたんだけれども、この間引っ越す機会に思い切って処分した。もしそんな機会が訪れたとしてももう物を返されても困るだろうし、あのときは迷惑かけましたと少し包むくらいが大人というものではないかと思ったからだ。けれど多分そんな機会は、やっぱり訪れない気がする。
みなさんが、2ちゃんねるを今でも見るのはなぜでしょうか。
みなさんが、ニコニコ動画から一歩引いたのは何時ごろでしょうか。
ソーシャルサービスの先駆けであり、最も世界で何度も終わったと言われたサイトですが終わりません。
以前より終わった感がありますがmixiより終わっていません。
2ちゃんねるを観測していたとき、ネットコミュニティとしての文化の終焉に何度も出会えました。
2ちゃんねるは、時代によって中心となる板が代わり、中心が動くことを繰り返すことで不死性を持った謎のサイトです。
一番最初は、開始1年目ぐらいでしょうか。その時代の中心は、ロビーといわれる場所でした。
ロビーとは、日常の違和感を一般的な問題化することで、無駄にしゃべりあうための場所です。
基本は今のニュース速報の様なものを考えて貰えば良いですが、取り扱う視点の広さは比べ物になりませんでした。
この時代を知っている人は、有名固定(笑)とか、その辺が懐かしい人もいるかもしれません。
さて、そんなロビーもだいたい一年ぐらいでダメになりました。原因は、マンネリ。
抱え込むネタの広さがマンネリとくだらなさを加速させました。今の嫌儲みたいな感じです。
嫌儲以上にひどい部分は、慣れ合いです。
元々は斬新な視点を提供できる人達でしたが、割に合わない思考を放棄するようになり
顔出しても知ってる固定同士でどうでも良い挨拶と雑談を繰り返すようになりました。
そんな感じでロビーは特筆するような最終回もなく、気が付いたら端にいる板になるようになりました。
その時代の結論は、慣れ合い禁止でした。
内輪ネタによる安易なコミュニケーションは、興味の無い他人にとっては「見てほしい」ネタでしかなく、「見たい」ネタではないわけです。
これを経験してる人やこの血を受け継ぐ人達は、内輪ネタや身内性に吐き気を催すように調教されています。
ちょうど良いので話は変わってmixiです。
「見てほしい」ネタと「見たい」ネタのバランスに対して、革命的な答えを提供したのがSNSです。
mixiのようなソーシャルネットワークサービスは、「見てほしい」ネタでしかない内輪ネタを
興味のある人に限定公開することで、「見たい」ネタに昇華させたのです。
好きな人のおならの臭いなら嗅ぎたい。それがSNSの本質であり、勝因でした。
でも、強引に近づけてしまった距離感が、結果的に息苦しくなり、若者のSNS離れを呼びました。。
mixiなので、四行ぐらいでどうでもいいです。
2ちゃんねるの歴史に戻ろうかと思ったのですが、飽きました。mixiのせいです。
ネタのマンネリ化を防ぐために、外部の時事性に依存したニュース速報。
VIP。作り出すことに徹した姿勢や、「見たい」を拡散したまとめサイト、慣れ合いの回帰。
ひろゆきが「まとめサイト」に対して好意的なのは「見たい」を拡散する効果なんですね。
2ちゃんねるの不死性は、少なからずひろゆきの空気の読み方も影響してたと思います。以前は。
で、最近話題のはてなブログのマーケティングは「見てほしい」を拡散してるんですね。
「見てほしい」を「見たい」に「見せかける」ツールとして利用されたのが、はてなブックマーク。
そこには「見たい」人達が集まる。なのに「見てほしい」人達を流れにのせる。
そんな風に利用されれば、反感を買うのはあたりまです。どちらの彼らのせいでもありません。
「見たい」の正体は、コンテンツです。Web2.0とかそんな時代でもそこが大事でした。
そして、コンテンツがマンネリ化した場合、その打開策として利用されるのが
「見てほししい」の無理やりなコンテンツ化です。
なぜかって?新しいコンテンツを作るより、人の欲望を見える化する方が簡単なんです。
ユーザー同士の関連テーブルを作れば終わりです。
それを体現したのが、ニコニコ動画です。ここまで読んだ人には書かなくても伝わる気がします。
で、なぜここまでモチベーションがあがらないかというと、このネタ10年前にみたとか地獄のミサワレベルだからです。
本来その先に時に生まれた異端児のストリーム論があるのです。Twitterですね。
そのネタもかなり古いですが。ストリームコミュニティの衰退を定義化されてるのはまだ見たことない気がします。
まだ、衰退してないからか?
なんでこんな古いをネタを書いたかというと、はてなブログから、すんごい古臭い匂いがするんですね。
「見てほしい」「見てほしい」文化。下手すると、テキストサイト時代のレベル。
なんつうか、うちらの世界によるtwitterの隔離閉鎖理論が、コミュニティ論そのものを衰退させて
古臭い「見てほしい」論に回帰したように感じるのは、僕の観測範囲の狭さでしょう。
時代遅れのブログでどうするか、無理やり考え出した古臭さこそ、nextネットコミュニティのはてなブログ。
なんかすんごい古い感じの、時代遅れな感じで、ループモノは飽きた。
昔なら衰退のトリガになる「見てほしい」のコンテンツ化が、この時代にどうなるか、というのはなんか少しだけ見守りたいけど。
どっちかという、こんなマンネリ論より、新しいコミュニティ論が見たいです。
下を読んでて思いました。
hokusyu、toled、Apeman、D_Amon、tikani_nemuru_M、y_arim、amamako…
彼らは、はてなの空気を支配し、はてなという小さな村の中で行われるネットバトルの頂点に君臨していた。
ここはてな村では、「はてサ」こそが掟であり、常にネットバトルの中心にあり、ネットバトラー達の倒すべき敵だった。
はてサは、人々に憎まれ、愛されていた。
一方で、我々の愛したはてサとは決して戦火を交えず、しかし、もう一つの頂点として君臨する者達がいた。
それは、自らが絶対に正しい知識と正義を持ち、それを体現しているという自負である。
モヒカンとはてサは、自らの正義を信じ、敵対するあらゆる人間を攻撃して来た。
超長文をダイアリーに投稿し、あらゆる異論に反論し続け、メタブックマークをバベルの塔のように積み上げる。
驚異的な粘着力が、敵対する全ての対象を討ち滅ぼし、はてな村から敵を消し去っていった。
やがて、彼らの自負が、彼らの論理をはてなの掟にまで伸し上げる結果とまでなったのだ。
だが何故、2つの全く異なる集団が、はてなの頂点に君臨し、互いに戦火を交えることが無かったのか。
まるでbotが喋っているかのような非人間的な態度で、「私はあなたに共感しますが」と箇条書きにするのだ。
モヒカンには心情に踏み込まない。
あるコードの記述ミスを指摘するコンパイラのように、淡々と間違いを指摘して、去って行く。
それはもはやbotなのか、人間なのかすら判別できない存在であり、はてなに残る都市伝説だった。
一方で、はてサの支配する掟の中では、より弱者へ共感を示している側が正義だった。
弱者へ思いを馳せること、抑圧者である自らを自省すること、それらをウェブ上で表現すること。
はてな村に流れ込んだ2つの源流、fjと、テキストサイトのうち、前者はモヒカンが受け継ぎ、後者ははてサが受け継いだ。
はてサはテキストサイトのごとく、自らの自意識をダイアリー上で表現していた。
どれだけ自らが弱者の現状に思い悩んでいるのか、どれだけ強者として自省しているのか、その自意識を、はてなダイアリー上で開陳し、
はてなダイアリーにマイノリティ当事者が居たのなら、彼/彼女のマイノリティとしての心情を理解して、
トリアージが「さくさく」と表現されていれば、オノマトペで心が傷付く人々が居るのではないかと弱者に思いを馳せていく。
従って、はてサとの闘いは、自陣こそが本当の弱者の擁護者であるという立場を得るための闘いだった。
はてサとは『弱者に共感する人格の一貫性』によって担保されており、もしも、はてサが言葉が滑らし弱者を蔑視したなら、彼ははてサとして終わるのだ。
こうして、はてサの敵対者は、はてサが弱者を蔑視する瞬間を狙い撃つ。
ダイアリーに自意識的長文を書き連ね、メタブックマークタワーを積み重ね、自らが弱者に値することをはてな村で表現していく。
はてな村においてはてサは掟であり、自陣と敵陣を分かつ者である。
死ねばいいのに、これはひどい、脳の失敗、頭が悪い、魂が悪い、国語の成績が悪そう、プーックスクスクス…
はてサの敵対者が書き連ねた言葉は、一顧だにされず、蹴り飛ばされる。
その徹底的な共感の姿勢と、敵陣への圧倒的な嘲笑こそが「はてサ」だった。
だが、はてサは死んだ。
最早はてなに、はてサの掟は存在せず、ホットエントリーには、痛いニュースやアルファルファが乱舞して、ブックマークはヤフコメと大差ないコメントが立ち並ぶ。
我々の愛したはてサは死んだのだ。
はてサの強み、驚異的なメタブ粘着力や、超長文による物量攻撃は、Twitterでは存在することも出来なかった。
文章は140文字に制限され、粘着的なReplyはワンクリックのブロックで終了する。
そして、はてブにTwitter連携が設置された時、はてサが支配したはてな村は、Twitterの波に呑まれてしまった。
"/"で弱者属性をbioに並び立てる当事者系弱者ツイッタラー。
それら市民を冷笑し、圧倒的強者として立ち続ける悪質クラスタ。
hokusyuも、有村先生も、今ではただのツイッタラーでしかない。
我々の愛したはてサはもう、居ないのだ。
まあ根本は馬鹿なのが問題なんだけどちょっと同情する部分もあるというか。
35歳の私は大学時代にWindows95が発売されてその後パソコンが一気に普及して自宅でも大学でもパソコンは結構使っていて、
インターネットも利用していたんだけど基本的にはサイト閲覧だけだった。
もちろん一部の個人が開設していたテキストサイトとかはあったけど、ドシロウトが「ホームページ」を作れるなんて知らなかった。
掲示板てものに書き込んで見ず知らずの人とやり取りをしたのもこの頃かな。
その後ウェブログという言葉を知って徐々に普及し始めたんだけど人との繋がりとかほとんど無かったというか、
それこそただの日記の公開みたいな感じだったと思う。
ただ、人との繋がりが無かったからこそ世界中に開かれた場であることを認識していた気がする。
ソーシャルネットワークなんて言葉はそれからだいぶたってから知った気がする。
ミクシィが始まった頃かな。
で、
こうして振り返ると私より上の世代は個人が情報発信するまでにいくつかの段階を経験してきた。
閲覧のみ → 掲示板書き込み → テキストサイト作成 or ブログ作成(誰も見てないけど地球の裏側の人も見れる) → SNS(ブログ+仲間との繋がり)
情報発信する前段階として観察する期間があって他人の成功や失敗を見てきた。
次に匿名で掲示板やサイトやブログ作成して情報発信をして、ミクシィで人と繋がったりコミュニティを利用したりした。
で、
最近の馬鹿たちの話に戻ると、彼らは気がついたらそこにいきなりSNSがあった世代なのかなあと。
観察して何かを感じて何かを学ぶ過程を知らずに、仲間と繋がるツールを与えられた。
仲間や繋がりのことは意識するけど、その画面の向こう側に広がるインターネットを意識するのは難しいよなあと思ったり。
もちろん馬鹿な彼らと同世代の中でもちゃんと学んでわかっている子もいるだろうしそういう子のほうが多いのかもしれないので、
結局馬鹿が馬鹿なだけってのもわかるんだけど、それもなんだかなあと。
で、
タイトルなんだけど、
例えば某巨大掲示板なんかだと匿名で好き勝手にレスしててちょっとおかしい内容だったりすると、
「半年ROMれ」とか言われちゃってカッとなってレス返すとフルボッコで涙目になるとかあったりして、
その時の「半年ROMれ」って「半年ROMって勉強しろ」というよりは「うぜえから消えろ」の意味だと思うんだけど、
実はやっぱり「半年ROMって勉強しろ」の意味もあるんじゃないかと思ったり。
実際、ROMって雰囲気を掴むとか傾向と対策を学ぶとか、情報発信の前にやること色々あるよってことで大事なんだなあと。
で、
自分でアプリを作って、自分のiphoneで実機テストするのはappleさんの監視外なので
1年くらいすると、自作アプリをプログラムの状態で販売・配布するようになる。
「2chアプリのプログラム、ダウンロードはこちら」みたいに。
プログラムを落として、アプリ開発サイトにアップロード、アプリ化してインストール。
この流れを1つのサイトでやっちゃえば下品だろうが、反社会的だろうが、インストールできちゃう。
appleの審査にもれるようなアプリを開発して、プログラムの状態で販売したら儲かるかもね。
すぐに無料で配る人が出て来るだろうけど。
それにしてもアプリ開発が簡単になって来て、近所の美容院がお店の宣伝用にアプリ作ったりし始めてる。
「アプリ作ってます」ってのはもはや、「ブログやってます」と同じになりつつある。
20年前は誰もがシコシコプログラミングしてテキストサイトとか作ってたけど、
今やブログサービスが当たり前で、「ブログやってます」ってのは凄くも何ともない。
アプリ開発も3年も立てば「ただの趣味」の範囲になっちゃいそう。
オリジナルアプリ(勿論、審査フリー)を共有するサイトとか作った方が
商売の寿命が伸びるんじゃないですかね。
まだ個人情報保護法が制定されていない位の大昔、俺はインターネッツで「テキストサイト」と呼ばれるようなものをやっていた。
アクセス数は一日50人いれば御の字で、時々テキストサイト管理人同士で気が合えば会ってみたり、オフ会に出たり大学で得られない友人関係をインターネットで築いていた。
侍魂が有名になるずっとずっと前の話だ。
理由はあまりに失礼なメールをもらったから晒し者にしたくなって俺のサイトにその内容を掲載したからだ。
俺も悪かったと思う。
失礼なメールの内容というのは、なぜか知らないけど俺に一方的にメールを送ってきて自分のSEX体験を赤裸々に語るような内容のため童貞の俺は頭に血が上った。
女からだったら喜んで読んだだろうが、相手は男だ。
それで怒りにまかせた勢いから俺のサイトに「失礼なやつからメールが来た」とメールの文面を掲載した。
わざわざ文面をそのまま載せる必要はなかったのに。
そのメールを送った相手がそれを見てファビョって、俺のサイトを2chで晒した。
メールをそのまま載せられた、性格が悪い、著作権法違反だと騒がれた。
俺は悪くないと思っていたが、俺の思いとは裏腹に2chでは俺が悪い事になってどんどん炎上していった。
嬉しい事に当時付き合いのあったサイトの管理人がそれを見て「そいつは悪くない」というように擁護してくれたが、やはり「本人乙」としかならず擁護するような意見が書きこまれれば火に油を注ぐように炎上していった。
当時インターネット上を探しても個人情報などは見つからないような時代だったが、個人情報の管理について企業側が甘かったので「こいつを訴えるから住所名前を教えろ」とレンタルサーバの会社に連絡され、全てばれて2chに載せられてしまった。
おまえらならその後の流れは解るだろう。
スネークとは呼ばれるものの隠れる気が全くないような行動力あるオタクが俺の家に突撃し、ピンポンダッシュをしたり、窓をドンドン叩いたり、家の前でクラクションを鳴らして、名前を叫ばれた。
俺の存在は完全に「悪い事をしたから何をやってもいいおもちゃ」状態だった。
俺が仲良くしていたサイトも荒らされまくり、親しくしていたネットの友人にもかなり迷惑をかけた。
サイトは閉鎖し、メールアドレスも即座に解約、携帯電話もいたずら電話がかかってくるので解約した。
外に出るのが怖くなり、数日学校を休んで家でじっとして2chの俺のスレを見て鎮火していく様子をチェックしていた。
俺の個人情報を漏らしたレンタルサーバの会社に文句をつけようと電話したが電話に出ない。
クソが。
それでも夜になると俺の家に凸するやつが数日いたので警察には相談をした。
だが個人情報保護法がなかったせいなのか、レンタルサーバの会社のことを話したがとくに相手にはしてもらえなかった。
当時インターネットはアナログ回線で普及していなかったが、外の様子を見計らいつつ学校に行くとあの炎上しているサイトの主が俺だとバレたらどうしようという被害妄想にも陥った。
何の知名度もないただの大学生である俺ですらかなり追い詰められた。
幸いなのは写真なんてものをアップしたことがないので、顔写真のようなものは公開されなかった。
とにかく俺が言いたいのは岩手の議員がどうではなく、炎上はヤバいという事だ。
FBは意外と全体公開しているヤツが多いが、ビジネスライクで利用しているのでなければ公開範囲に気を付けた方がいい。
ネットにはキャッシュというものがあるから、炎上した時に消しても遅い。
みんな炎上には気を付けろよ。
【追記】
ネタっぽいというコメントがあったが、実話だとだけ言っておく。
当時「乙」とか「スネーク」という単語があったかは覚えてないが。俺の今の感覚で説明しているだけなので細かい事は気にしないでくれ。
まだ草が生えていなかったという事だけは覚えている。
また、ISDNというのはそれほど普及してなかった。というのはADSLのリリースが見えていたのと、ISDNは月額が高く工事費もかなりかかるので親元を離れて暮らす学生にはとうてい引くことのできない富裕層向けのインターネット回線だった。
学生でもISDNを使っているヤツは親が金持ちとかだった位なので、学生や若者にとってダイヤルアップがまだまだポピュラーだった時代の話である。
本当に家に突撃されるけれど、俺が一番つらかったのは仲良くしていた人のサイトが全て荒らされまくった事だった。
周りの人に迷惑がかかることが一番痛いって解ってて、わざとやられるからな。
本気で気を付けろよ。
オモコロで記事になっていたので少し書きたいと思う。
何故テキストサイトが消えていったか?というのは、ブログやmixiが普及した結果、テキストサイトの管理人たちは時間の経過とともに環境が変わり忙しくなりhtmlを更新するのが面倒になり飽きたから、消えていった…という風に捉えています。
侍魂はおそらくテキストサイトという世界を有名にしたひとつの事件です。
しかしながら、それまでテキストサイトを見ていた人たちにとってはイマイチ面白いものではなかった。
テキストサイトで人気があったのは色々とこじらせている自虐系シュール日記だったと思う。
それとフォントを色々な色を使ってでっかくするのは「ダサい」とされ、顔文字は使わずフォントの大きさはよほどの事がない限り変えずに日記を書くという雰囲気があった。だからこそフォントの大きさが変わることには効果があったのだ。
侍魂を好きだ面白いと言っているのは、当時侍魂が爆発的に人気が出た時にインターネットをしはじめた層なので、それまでシコシコオナニー日記を書いたり見ていたりした人たちにとっては「やめろ、俺たちの隠れたオナニーを陽のもとにさらすのはやめろ!」という雰囲気もあった。
自分は何度かアクセス数の多いテキストサイトの管理人と会ったことがある。
そのことから、当時あの管理人たちは若くて独身だったり、学生だったりで暇だったのだ。
中には女子中学生なのにハッカーとして日記を書いているイタズラっ娘もいた。
ネカマとして出会い系で男を釣り、そのメールを晒す…という内容のものですね。
2chで祭りになったネカマ作戦記、ネカマ道というサイトが有名だったと思います。
それが時間の経過とともに卒業し就職して忙しくなりサイトを構っている暇がなくなったり、ある程度昇進をして仕事が忙しくなったり、結婚をしてテキストサイトをしていた黒歴史を闇に葬ったりしているうちに、少しずつ面白いサイトが更新をしなくなっていき、いつしか消えていったのではないかと推測する。
また、アクセス数の増減だの掲示板のコメントやメールでの感想等に相手をすることに疲れたという部分もあるだろう。
そうしているうちにブログが普及しだすので当時日記サイトをやりたいと思っていてもhtmlを知らなくてできなかったという人たちが日記をはじめた。
テキストサイトというのは日記というよりは管理人によるネタ的文章だったのだけれど「日記サイト」という呼び名だったもので、ブログをはじめた人たちが本当に「ただの日記」を書きはじめたのだ。
本来のネタ的テキストサイトである「日記サイト」よりも「ただの日記」であるブログの数が増えはじめ、当時は「ウェブログを略してブログだからただの日記を書くやつはわかっちゃいねえ」なんて文句をたれる人もいたけれど、結局は「ただの日記」の数に負けてしまい、そうした声も消えていった。
テキストサイトは自分でサーバを借り、htmlで作成したファイルをアップロードし、コメントを書くための掲示板はcgiを設置して自分で設定しアップロードする。
いずれも簡単な素材が無料で配布されていたとはいえ、ブログに比べると非常に面倒くさい作りだったと思う。
広告が嫌だからと自分でレンタルサーバを借りる人も少なくなかったし、その頃一部のサラリーマンはパソコンをいくつか買ってレンタルサーバという副業をしてお小遣い稼ぎもしていた。
でも面倒くさかったんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20121209000955
自分がネットを始めたのは1999年で小3からだったけど、あの頃は自然の中で秘密基地を漁ってるような感覚だった。
個人サイトは、その個人がネットという世界で表現したいリビドーが詰まっていたように見えた。
整理されていない雑多なサイト構成や、稚拙に濫用されたTABLEタグも、材木や廃品を用いたDIYによって作られたアジトみたいで楽しかった。
サイトを漁る時にはロボット検索エンジンは利用していたようにも思うが、登録型検索エンジンや、個人サイト同士のリンクから辿るのが主であり、それは草木の中で目当ての物を探す、面白い場所を求める冒険のようだった。
でも、気が付いたら、それまでとは異質で、均質な形をもった、ブログが目立つようになっていた。
いつの間にかGoogleは、検索単語をダブルクオーテーションで囲まなければ、まともに使えなくなっていた。
Web2.0(死語)の頃から、どんどん都市開発の波が押し寄せて、区画整理がはじまり、個人サイトは廃墟と化し、Infoseekは楽天都市開発に買収されたまま打ち捨てられてしまった。
DIVタグにより整備されたサイト構成は、その見た目も、どこか没個性的で無味乾燥としたものを感じるようになったと思う。
残ったのは画一的な建造物ばかりが建て並ぶソーシャルサイトやブログ、WIKIの都市圏で、そこではWeb1.0の頃よりも人間個人がクローズアップされるようになったけども、個人サイトは消滅した。自分は個人のウェブサイトとして作られ、サイト同士が繋がるネット上の表現物が好きだった。
あれだけ雑多で手作りな感覚があった個人サイトは消えてしまったのに、個人サイト周りに巣食っていた、対人関係を消費するネットウォッチャーや、揉め事と言う名の床屋談義は、未だに息衝いているどころか、情報の流通・蓄積を効率化していく流れに乗って、TogetterやSBM、まとめサイトを牙城に、ネットの娯楽として定着し、規模を肥大させたきらいすらある。
ネットにワクワクしないなら自分で面白いのを探せ、作れ、本を読め、リアルに出ろ他のものに目を向けろ、というブコメ/TBが付いているけども、それは違う。
ネット以外でワクワクしても、ネットでワクワクしたかった感情とは関係がない。
教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書とかで語られるテキストサイト文化圏付近の諸処ではなく、それらについてはどうでもよく、全く無関係に、自分が見ていて、自分が好きだったインターネットの楽しさについて。
自分が見ていたインターネットの楽しさも、総体すればテキストサイト文化圏をも内包した2000年代前半の日本語圏インターネットとして言えると思うけども、今は時代によるサイト構造の発展と、均質性の中に取り込まれて、消えてしまった。
http://anond.hatelabo.jp/20130503141442
特徴的なタイポがあると、すぐにネタ元が見つかるのは皮肉だなw
大学生にとってネットが公の場って意識がなくなったっていうのはtwitterとかで「裏垢」で検索してて、そうかもなと思う。
俺はそこらの大学生と違って、生まれたときはCERNにはWWWがなかったので、ネットが普及する前と後の違いを知っている。
だから、ネットが普及して既存のマスメディア以外の情報をテキストサイトで簡単に読むことができて、顔も名前も知らない人の書き込みに
おお、駅の伝言板よりよっぽど便利じゃねーかと思う一方でここが公共の場であることを強く印象づけられた。
今まで駅の伝言板しか知らなかったから、いやでも"外" だって思うじゃねーか。
でも、駅の伝言板を知らない今の大学生はそれを体験してこなかった。
生まれたときからネットの掲示板に対応するプライベートなものがなかったら、
その辺の区別もなくなって、今時の学生にとって、ネットが公の場って意識がなくなったんじゃないか。
公共ゆえの恥ずかしさとかそういったものも置き去りになって、結果として
twitpicで悪事所行を合法的に楽しむすべを覚えたのはおっさん的に嬉しいが。
たまたま「ヒャッコ」を読んでて思ったのだが、友達の部屋でフォトアルバムを眺めるって行為もその描写も、