2013-12-19

天野の話

 天野はおそらく一昨年に死んだんだと思う。おそらくというのは家族を名乗る人のそういう報告をインターネットで見ただけで、自分天野の下の名前実家の住所も果たして天野本名だったのかも知らないんで、確かめようがないからだ。

 天野のことは8年くらい前に、当時付き合っていた優子に紹介されて知った。テキストサイトと呼ぶべきかよくわかんないけど、そういうシンプルweb サイトを運営していて、優子は天野のことを彼は頭が良くて面白いし、彼の書くコードは綺麗なんだ。そう紹介した。確かに天野の書く htmlcss は当時めちゃくちゃな装飾で溢れていた素人web サイトの中で明確な秩序を保って美しく存在していた。ように思う。無駄に頭の回転が早くて、ニヒリズムの塊みたいな天野の知識量はどのジャンルおいてもだいたい自分を上回っていて、優子と天野MSN メッセンジャーの会話を横から見るのは素直に面白かった。

 天野自分クラブミュージックが好きだったので、音楽の話を少しした。テクノが好きだと言う天野最近 Squarepusher を聞いていると言ったら珍しく知らないと言うのでえっおまえ Squarepusher 知らないの。まじかよ絶対知ってると思ったのにとかなんとか言って手持ちのアルバムmp3 を送ったら、かっこいいと言って喜んでいた。お返しに自分の知らなかった WEGmp3 を送ってくれた。こいつは無駄に口が悪いけどどうやら相手が嫌いでそういう態度をとっているわけではないらしい、ということがわかった。まあ別に自分は好かれていたわけでもないだろうけど。

 天野はいわゆるメンヘラクズだった。被虐待家から出る気もなくてきとーにバイトしてはネトゲをしその日暮らしを続けている、それなりに頭の良いボンクラだった。優子は天野能力を買って有償コーディングだかなんだかの仕事をふったりしていたが、天野仕事を受ける時はそれなりにやる気のあるようなそぶりを見せるのに、作業を開始すると途端にだるみの境地に達してしまうらしく、締め切りや納品の約束が守られるようなことはなかった。らしい。まあよくいるよね、そういう人。というわけで天野は、能力はある、ように見える、残念なクズだった。そんな自分は更に人のことをとやかく言う資格のないアホなクズだが、アホから見ても天野の頭の回転は素晴らしかったので、これがたまに聞く「生き辛い人」というもんだろーかと思った。

 天野には2回会った気がする。一度目は数人で集まって飲みに行った。二度目は優子と3人で飲んだあとオールカラオケに行ったような気がする。天野は実際に会うとネットの中の攻撃的な物言いが全く想像できないくらい物腰柔らかで、長身で、声がよくて歌がうまくて、手が綺麗だった。これって典型的ギャップモテっつーやつじゃね?なんつーかこいつずりーなと思った。

 そんな天野女神が現れた。聞けば横浜に住んでいてネトゲだがネトゲの実況をするねとらじだかで知り合った年上のお姉さんだそうだ。もっと聞いたら天野という年下のネット弁慶で会うと物腰柔らかで長身で声が良くて歌がうまくて手がきれいなメンヘラニヒリストを「私が救ってあげるの!」と使命感に燃える赤縁メガネをかけた面の皮の厚い地雷感満載のアラサーお姉さんだそうだ。自分と優子は天野の機嫌を損ねないようにねえねえ天野くん、赤縁メガネあかんくないか?赤縁メガネあかんくないか?とヘラヘラ冗談を交えて忠告したが、天野は聞く耳を持たなかった。天野日本国民に共通する「惚気けは恥ずかしいか適当自虐ネタ相方下ネタお茶を濁す」などという技は全く繰り出さず、女神いかに素晴らしく自分女神をどれほど愛し女神のために生きるかということしか語らなくなりクソつまらないので話すのをやめた。腹いせに天野の知らない女神日常ブログなどを見つけしばらくヲチしたりしていたが、更新頻度は低いし、そもそも自分は自他共に認めるロリコンなので、すぐ飽きて見るのをやめた。赤縁メガネBBA に興味はない。

 そんな女神はなんのかんの理由をつけてネトゲ内で天野という彼氏がいることは伏せていたらしい。まあなんか、ネトゲとかねとらじかいうのはいろいろ事情もあるらしいですからねっと思っていたが、女神女神にゾッコンでありながらもなんだかんだ言ってクズいその日暮らしを抜け出さな天野だんだん飽きてきたらしく、天野キープしながらネトゲ周辺で堂々と男漁りをするようになったらしい。そして程なくして天野は捨てられた。自分はほれみたことかと思いつつ、坂を転がり落ちるように不安定になっていく天野メンタル心配ではあった。あとから知るところによると、女神女神の周辺の Twitter アカウントに、定期的に嫌がらせじみた Reply を送ったりもしていたらしい。今まで嫌なことがあるとすぐ諦めて、人に執着しなかったはずの天野の行動とは思えなかった。しかし同時に自分も優子と仕事とその他と絶賛修羅場っていたので天野のことは次第に忘れていった。

 翌年の秋の終わりに、 Maltine Records っていうナウでヤングカリスマ~なネットレーベル主催するイベントに友人知人の荒川智則が集まって楽しいことをするというのでいそいそと出かけていった。財布が厳しいから今回はパスするわといっていた友人に「今日来なかったやつバカ」と SMS を送って楽しく荒川智則した。朝、ガラガラ電車内で Twitter を開くと、「富士そばステッカーSさんに貰った」という post が RT で回ってきていた。天野だった。生きてた。ついでに来てた。なんだよかったな。そのまま寝落ちして電車を乗り過ごした。

 クズなりに大人としての責務を果たすべく忙しくしていた翌年の夏、もうすっかり優子のことも天野のことも忘れていた頃、また件の Maltine Records がイベントをするよっ☆彡っていう告知がまわってきた。絶対行くだろjkと何人が思っただろうか。自分も思った。思うと同時にふと天野のことを思い出した。あの状態の中で見つけ出す自信は正直ないけれど、もし会ったら?そもそも行くんだろうか?行くよな普通に考えて。行くとか行かないとか、何か Twitter で反応してるかな。

 天野Twitter IDブラウザに打ち込むと、天野アカウントは消えていた。ユーザーネームを変えたのかと思って検索したけれど、違った。同じように「あれ?きぐりーさん消えた…?」と戸惑っている人が数人いることが確認できた。みんな知らないってことは、本当に消えたんだろう。そうか。でもまたすぐ戻ってくるだろ。あいつがインターネットを止められるわけがないんだから

 その時のイベント「やけサマ」には、出発の直前にだるみに襲われて、行かなかった。前から決まってた予定に限って、よくあるよね。

 年が明けた冬、魔が差して優子の Twitter を見た。元気かなとか、そういう特になんということのないきっかけで。なんということのない可愛い日常を遡っていくと、天野訃報が書かれていた。天野はやっぱりインターネットを止められていなかった。メインアカウントが消えた後の新しい天野Twitter アカウントリンクが貼られていて、弟さんを名乗る人が訃報を書き込んでいると書いてあった。あわててリンクを辿ると、確かに天野の弟を名乗り、葬儀を終えたこと、本人の遺志によりこのアカウントログは消さなことなどが書かれていた。その前には、年が明ける前の秋に、女神のことを引きずり続けた天野ゆっくり絶望し衰弱し、最後の食事を買い、所持金が無くなり、恐らくどこか人に見つかりにくいところに行って、そして post が途切れる様子が記録されていた。

 優子はこのアカウントをずっと見ていたのだろうか。別れたあとも天野交流があったのかどうかわからない。どうでもいいことだけど、天野の行動が Twitterログの通りだったなら、おそらく天野が死んだ日かその翌日くらいに自分は優子とは別の人と婚姻届を提出した。ような気がする。本当にどうでもいいことだけど。

 ログをさかのぼり「やけサマ」が開催された8月21日の post を確認すると、「やけサマ」をめいっぱい楽しむ天野の様子が書かれていた。おまえはしゃぎすぎだろというくらい。そうかやっぱり行ってたのか。そんなに楽しかったなら自分も行けば良かったな。あの中で見つけられるとは思わないし、見つけられたところで「あ、どうも。お久しぶりです」とかなんとか、こっちが拍子抜けするくらい物腰柔らかで当たり障りの無い対応しか返ってこなかっただろうけど。

 たまにふと、やっぱ生きてるだろという気になって検索してみる、と誰かがどこかに書いていた。それは自分も同じだ。別にあのとき行って探して、止めていればとかは全然思わない。2回しか会ったことないし。ちょっとインターネットで話しただけだし。ただなんかずっと気になっていた。そういうわけで、明日はまた Maltine のイベント、今度は「山」だ。多分行くと思う。同時に天野のことも思い出した。のでこれを書いた。多分しばらくしたら消すと思う。

 ずっと気になっていると言えば結果的に優子から借りパクすることになってしまった本やゲームが数点あって、気にしながら数年持っていたんだけれども、この間引っ越す機会に思い切って処分した。もしそんな機会が訪れたとしてももう物を返されても困るだろうし、あのとき迷惑かけましたと少し包むくらいが大人というものではないかと思ったからだ。けれど多分そんな機会は、やっぱり訪れない気がする。

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