2013-09-11

我々の愛したはてサは死んだ。

かつて、はてなには「はてサ」が居た。

hokusyu、toled、Apeman、D_Amon、tikani_nemuru_M、y_arim、amamako…

彼らは、はてな空気を支配し、はてなという小さな村の中で行われるネットバトルの頂点に君臨していた。

ここはてな村では、「はてサ」こそが掟であり、常にネットバトルの中心にあり、ネットバトラー達の倒すべき敵だった。

はてサは、人々に憎まれ、愛されていた。

一方で、我々の愛したはてサとは決して戦火を交えず、しかし、もう一つの頂点として君臨する者達がいた。

モヒカンである

その体現者、otsune

モヒカンはてサが、はてな村の頂点に君臨した唯一つの理由。

それは、自らが絶対に正しい知識と正義を持ち、それを体現しているという自負である

モヒカンはてサは、自らの正義を信じ、敵対するあらゆる人間を攻撃して来た。

超長文をダイアリー投稿し、あらゆる異論に反論し続け、メタブックマークバベルの塔のように積み上げる。

驚異的な粘着力が、敵対する全ての対象を討ち滅ぼし、はてな村から敵を消し去っていった。

やがて、彼らの自負が、彼らの論理はてなの掟にまで伸し上げる結果とまでなったのだ。


だが何故、2つの全く異なる集団が、はてなの頂点に君臨し、互いに戦火を交えることが無かったのか。

これは、モヒカンはてサ論理の決定的な差異が原因である

モヒカンはてサは『他者への共感』において対極にあった。

モヒカンは他者への共感人間的に表現しない。

モヒカンには感情がない。

まるでbotが喋っているかのような非人間的な態度で、「私はあなた共感しますが」と箇条書きにするのだ。

モヒカンには心情に踏み込まない。

あるコード記述ミスを指摘するコンパイラのように、淡々と間違いを指摘して、去って行く。

それはもはやbotなのか、人間なのかすら判別できない存在であり、はてなに残る都市伝説だった。



一方で、はてサの支配する掟の中では、より弱者共感を示している側が正義だった。

共感文化こそが、はてサだった。

弱者へ思いを馳せること、抑圧者である自らを自省すること、それらをウェブ上で表現すること。

はてな村に流れ込んだ2つの源流、fjと、テキストサイトのうち、前者はモヒカンが受け継ぎ、後者はてサが受け継いだ。

はてサテキストサイトのごとく、自らの自意識ダイアリー上で表現していた。

どれだけ自らが弱者の現状に思い悩んでいるのか、どれだけ強者として自省しているのか、その自意識を、はてなダイアリー上で開陳し、

はてなダイアリーマイノリティ当事者が居たのなら、彼/彼女マイノリティとしての心情を理解して、

トリアージが「さくさく」と表現されていれば、オノマトペで心が傷付く人々が居るのではないか弱者に思いを馳せていく。

従って、はてサとの闘いは、自陣こそが本当の弱者の擁護者であるという立場を得るための闘いだった。

はてサとは『弱者共感する人格一貫性』によって担保されており、もしも、はてサ言葉が滑らし弱者蔑視したなら、彼ははてサとして終わるのだ。

こうして、はてサの敵対者は、はてサ弱者蔑視する瞬間を狙い撃つ。

あるいは、はてサの敵対者は、自らを真の弱者として規定する。

ダイアリー自意識的長文を書き連ね、メタブックマークタワーを積み重ね、自らが弱者に値することをはてな村表現していく。

しかし、はてサは露悪的だった。

はてな村おいはてサは掟であり、自陣と敵陣を分かつ者である

死ねばいいのにこれはひどい、脳の失敗、頭が悪い、魂が悪い、国語の成績が悪そう、プーックスクスクス…

はてサの敵対者が書き連ねた言葉は、一顧だにされず、蹴り飛ばされる。

その徹底的な共感姿勢と、敵陣への圧倒的な嘲笑こそが「はてサ」だった。

こうして、はてサは人々に憎悪され、愛されていた。



だが、はてサは死んだ。

最早はてなに、はてサの掟は存在せず、ホットエントリーには、痛いニュースアルファルファが乱舞して、ブックマークヤフコメと大差ないコメントが立ち並ぶ。

我々の愛したはてサは死んだのだ。

2010年ネットバトルの中心はTwitterに移行した。

はてサの強み、驚異的なメタ粘着力や、超長文による物量攻撃は、Twitterでは存在することも出来なかった。

文章は140文字に制限され、粘着的なReplyはワンクリックブロックで終了する。

そして、はてブTwitter連携が設置された時、はてサが支配したはてな村は、Twitterの波に呑まれてしまった。


はてな村ダムの底へと沈んで、3年が経った。

mojimojiを筆頭に蠢く放射脳反原発

"/"で弱者属性をbioに並び立てる当事者弱者ツイッタラー

それら市民を冷笑し、圧倒的強者として立ち続ける悪質クラスタ

しばき隊にヘサヨ、在特会


しかし、そこにはてサの姿は見えない。

hokusyuも、有村先生も、今ではただのツイッタラーしかない。

我々の愛したはてサはもう、居ないのだ。

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