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はてなキーワード: 迷信とは

2021-03-25

anond:20210325165819

自分先祖の墓に誰かがバラを備えてたら不快になる?ならないでしょう

仏教的にバラ不適切とか、入院患者ツバキダメとか、そういうのって迷信宗教的意味合いなので、それを知らないだけで、誰かが気持ちをもってやってくれたことに不快になることはないでしょう

ライスシャワー青いバラ不快ってのは単純にマンガとかオタクへのヘイトからくる感情でしょ

それは生者同士で快不快を懸けて争えばいいだけの話で、死者への接し方に対してこちらこそが正義だ、って話はそもそもナンセンスだよ、って話

2021-03-13

anond:20210313205439

何も食うなと言ってるわけじゃなく、量を減らせと言ってるだけ。どうせ夜中まで何か食べるなら昼や夜を最初から少なめにするのもある。1日3食が健康的とか迷信から、朝は食わんとかでいい。

2021-03-08

anond:20210308153637

俺50代だけど、PC使うとき10代のときから↓こういう悪い姿勢の例の座り方をしてる。

https://img01.hamazo.tv/usr/oozeki/katakori_sisei.jpg

でも、いまだに腰の具合が悪いとか、肩がこるとか、そういう悪い兆候はでてこない。

猫背なんかも、腰に悪いとか、内臓を圧迫して健康に悪いとか言う人言う人いるけど、どう考えても猫背のほうが楽だよな。

正座なんか子供のころからやってたら膝が変形するし、血の巡りとかわるくてかえって健康に悪そう。

世の中の、美しい姿勢健康にもいいって思想は、迷信とか思い込みなんじゃないかって思うわ。

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(3)

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E・M・フォースター「ハワーズ・エンド

「人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたししまいには、どこかの場所わたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」

つの家族の間を行き来しながら、人間記憶や、場所への執着を捉えた文章。それはまるで、漱石のいいところだけ抜き出したような文章だった。

ところで、同じ著者の「インドへの道」もいい。これは大英帝国支配下インドで、未婚女性が現地の男性暴行されたという疑惑を巡る話だ。女性を守ろうとする騎士道精神排外主義が結びつき、支配者と被支配者の亀裂が広がる様を描く、不幸にして極めて現代的な作品である冤罪をかけられたインド人が、「誰があんな不美人な年増を」と心の中で毒づくの、とても嫌なリアリティがある。たぶん、帯を工夫したら売れるし、どっちの「弱者」がより保護されるべきか的な話題で定期的に盛り上がる増田住民にも刺さるんじゃないかな。

ニコルソン・ベイカー中二階

切れた靴紐を昼休みに買うだけの、注釈だらけの何だかよく分からない小説。細やかな観察眼と都市生活者が思わず共感してしまう日々の経験で、要するにあるあるネタで延々と読ませる。すごい。こういうのが現代文学なのね、みたいに一席ぶつのにも使えるかもしれない。

真面目な話をすると、文学はいろいろな機能があって、それは作者の意図とはかけ離れているかもしれないのだけれども、その結果的機能の一つとして、その時代言語化されていないもの文字化するというのがある。だから文学賞を受賞した作品からと言って、実は今の自分が読んでも面白いかどうかは全くの別問題なのだ文章が巧みで、いかにも知的主人公知的な悩みを描いた文学けが主流な時代は終わっているのかもしれない。そういうのが好きな人古典で充分であるし、逆に言えばいろんな立場の人のきれいごとではないこじれた気持ちが知りたければ現代文学面白い

ヘルマン・ヘッセ車輪の下

理由は書かないが、自分は周囲の期待を一身に背負っていたエリート挫折する話が好きだ。前途有望な若者が、将来を棒に振ったり挫折したりする筋書きに対するこの偏愛ゆえに、自分は「ゲド戦記第一部の前半部分や「スターウォーズ」のエピソード3に対する執着がある。

生きていくとは何らかの失望を味わうことであり、時間をかけてそれらを味わいつつ咀嚼していく過程であるのだけれど、こうした自分のどうにもならない感情言語化した先行作品があることで、自分孤独ではないとわずかな慰めが得られる。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス伝奇集」

「鏡の中の鏡」「魔術」「薔薇の名前」などの元ネタとなる作品を書いた人。「バベル図書館」は聞いたことがある人もいるかもしれない。

非常に濃密な短編を書く人で、このネタで長篇普通に書けちゃうだろ、みたいなネタをそのまま短篇調理する。どの作品も非常に濃密で、読み解くのにエネルギーがいる。文体は簡潔で、物語必要最小限の描写できびきびと進む。ただ、具体的に何が起きているのか、そしてなぜそうなったのか、その設定の意味は何か、を追うには読者に教養要求される。読破すると、それ以上のものが得られる。読み終わったらカルヴィーノだとかスタニスワフ・レムの「虚数」だとかミロラド・パヴィチ「ハザール事典」だとかそういう沼にようこそ。

ジョン・ミルトン失楽園

キリスト教文学の癖にルシファーがめちゃくちゃかっこいい。地獄に落ちても神への反逆を続けよとアジる場面は音読したくなる。そのくせ、彼の弱く情けない姿もまた魅力的だ。アダムエヴァ楽園で楽しげにしているところを見て、自分には愛する伴侶もなく、人類に与えられている神から恩寵も既に失われたことを嘆く場面もまた、声に出して読みたい。そして、彼は人類への憎悪嫉妬のゆえに、アダムエヴァ堕落させる。この叙事詩の主役はルシファーだ!

紫式部源氏物語

好きなヒロイン六条御息所自分の意に反して生霊飛ばし他人を苦しめてしまうことに悩むのがかわいそうでならない。今でいうなら、好きという感情コントロールできなくて、それでも好きな人が振り向いてくれなくて苦しんでいるタイプで、感情エネルギーが強い自分としては大いに共感する。

他に好きなキャラクターというか、嫌なリアリティがあっていいと思うのは薫で、その優柔不断さがいい。「この子とつきあいたいけど、でもこの子そっくりな別の子はい雰囲気だしなあ」みたいな優柔不断というか欲深さは、男性心理をよく観察していないと書けない。そういう意味で、自分の中では紫式部評価がすごく高い。

アルベルト・モラヴィア軽蔑

情けない夫が不機嫌な妻に、お前それだけはやっちゃダメだろ的な行為を延々続け、妻から完全に軽蔑され、とうとう上司に妻を寝取られしまうだけの話で、一人称視点から延々と繰り返される言い訳はひたすらに情けない。ねえ、僕のこと愛してる? 嫌いになっちゃった? と尋ねまくって、わかっているくせにとぼけないで! 今忙しいから後にして! うるさいからほっといて! もう愛してないったら! あなた軽蔑するわ! と怒らせるのは、完璧反面教師であり、ギャグすれすれだ。

しかし、作者は妻のことを相当恨んでたんだなあ。

サマセット・モーム人間の絆」

身体劣等感を持つ主人公が、付き合うだけで不幸をもたらす浮気性の彼女を振り切って、幸せにしてくれる女性を見つける話。多くの人が何かしらのコンプレックスを持っているし、何であん自分に敬意を払ってくれない人を好きになったんだろうって記憶を持っていることだろう。王道過ぎるといえばそうかもしれないが、結婚してハッピーになる王道何が悪い

マルグリット・ユルスナールハドリアヌス帝の回想」

ローマ皇帝自分の治世を振り返る体裁でありながら、欺瞞自己満足をさほど感じないのは文体のせいなのか。時代性別文化言語も超えて、別の個人に憑依しながらも、己を見失うことなく語る著者の声は、他人視点に立って(歴史小説を書くとはどういうことなのかを、これからも厳しく問い続けることだろう。

中年や老人にならないと書けない小説がある。そして何年もかけて書かれる小説があり、構想から数十年が過ぎて着手される作品もある。そうした重みを持つ文学作品がどれほどあることか。

技巧も素晴らしく、文体も素晴らしい。こうした作品に出合えるのは、年に一度か二度だ。

吉田兼好徒然草

説教臭い頑固おやじブログ基本的には仏教説話が多いが、それらに交じって挿入される、「〇〇という迷信には典拠がない」だの「〇〇という習慣は最近のもので、本来のありようや精神とはかけ離れている」だの「〇〇という言葉語源を考えれば正しくは〇〇と言うべきだ」だのが、まさにその辺のおじさんがいかにも言いそうなことで面白い

ただ、それだけじゃなくて、第三十九段の「或人、法然上人に、……」のエピソードは、「とりあえずできるところから頑張ればいいじゃん?」的な内容で励まされるし、十八段の「人は己れをつづまやかにし、……」は身軽に生きていくことの幸せさを教えてくれる。

ジュンパ・ラヒリ「その名にちなんで」

最高だった。ラヒリ大好き。体調崩すレベルで刺さった。アイデンティティの混乱という古典テーマもさることながら、ラストシーン過去と不在の人物記憶が、そして小説の全体が何気ないものによって濃密によみがえってくる様子がすばらしい。そのイメージプルースト以上に強度があるかもわからない。

これは、インテリインド系(ベンガル人移民第一第二世代の話なんだけれど、読んでいるうちに海外赴任者の寄る辺なさを思い、つまりイギリス暮らしていた自分の両親の境遇勝手連想させられ、ついつい感傷的になってしまった。随分と勝手な読み方だが、小説の読み方はいつも私的ものから構わないだろう。

外国では気候も習慣も何もかもが違う。両親の教えることと学校でやることが矛盾していて、両親が里帰りしても子供たちは故郷のノリについていけない、ってのが、すごくパーソナルなツボをついてくる。こういう経験がなくても、地方と都会として読み替えると、増田でいつも議論されている話にも近づくんじゃないかな。

H・P・ラブクラフト時間からの影」

正直なんでこの時代ラブクラフトを読むのか、というのはある。人種差別主義者だし、排外主義者だし、クトゥルフ物はパターンが決まっているコントみたいだし(人類理解できない名状しがたいものに触れて発狂するのが基本的オチ)。でも、彼の持っていた宇宙の巨大さと人類の取るに足らなさという感覚は、まさにセンス・オブ・ワンダーだ。そして、「人間感情の中で最も古くて強いのが恐怖であり、その中で最も強いのが未知のものへの恐怖である」という言葉の通り、究極的には理解できない「他者」という存在の恐怖にまっすぐに向き合おうとしたことを何よりも評価したい。

この作品が好きな理由もまた、不気味なクリーチャーが非常に知的であり、かつ知識欲が旺盛だということによっている。

U・K・ル・グインゲド戦記

一巻から三巻までは、ゲドという人物自我確立に始まり他者を助けることや世界を救う英雄行為が扱われる。しかし、実はゲド戦記は第四部からが本番なのだ。あらゆる魔法の力を失い無力な存在となった彼が、魔法のある世界いかに生きていくか。これは、老いに直面する男性物語だ。

そして第五巻! ゲドの生涯で一番の功績が、実は重大な誤り、人類傲慢に過ぎなかったのではないか、という仕事に生きてきた男性には非常に厳しい可能性が示される。

しかし、ル・グインはゲドにとてもいい歳の取らせ方をしている。果てしなく努力をすれば、男性女性を、女性男性理解できるのだと作者はどこかで述べていたが、その希望を見せてくれるし、そこに女性作家を読む喜びの一つがある。

男性気持ちがよくわからない女性にもオススメしたい。

ジュール・ルナールにんじん

いわゆる毒親について書かれた小説なんだけど、ねちねちしていなくていい。文体は軽く、描写も簡潔。だからこそ、彼の育った環境の異常さが際立ってくる。なんでこんな親子関係なっちゃったかについて掘り下げられることもほとんどない。

そして、暗鬱なだけの作品にならないのは、にんじん少年の異常なたくましさだ。ひどい目に合っても受け流し、冷淡な母から何とか愛されようともがいている。読んだときの年齢によって、感想は大きく変わるだろう。

以上。五十音順計算を間違って40冊の予定が1冊増えた。書いていて非常に楽しかった。

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(2)

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倉橋由美子聖少女

まり男性女性がとは言いたくないのだが、女性作家の描く知的早熟少年たちというのは、エルサ・モランテの「アルトゥーロの島」なんかでもそうなんだが、男性が描くときはまた違った魅力を発する。サリンジャー知的論理的自分を追い詰める子供たちとはまた別の硬さがあってよい。新城カズマサマータイムトラベラー」の高度に知的でありながら情緒は年相応な少年少女もいい。

さておき、これは近親相姦お話なのだが、印象に残っている描写は次の通り。主人公たちの仲間に大食漢の男がいて、しばしば生肉弁当の代わりに食らっている。回りの女子生徒たちも面白がって彼に餌付け(?)していたのだが、ある女子生徒がブルマーを入れていた袋の中に隠していたウサギを、生きたままで彼に与えた。血まみれで凄惨な場面でありながらも、大食漢は実においしそうに平らげていた。

例の文学少女から薦められて読んだことでも思い出深い一篇。

ミラン・クンデラ存在の耐えられない軽さ」

頭が良くてモテる男が主人公なのでいけ好かないモテること、たくさんセックスすることこそが人生の目的になっているような奴は理解できない。なんか知らないやつにいきなり人の部屋をのぞきまれ、「お前の人生にはエロスが足りない!」と叫んで出ていかれるような気分がする。しかし、これもまた祖国を追われた人間が、知性と皮肉現実適応しようとした姿なのかもしれないのだ。

それと、この本で感謝しているのは、さまざまな政治的活動に対して感じていた居心地の悪さを、「キッチュ」をはじめとしたさまざまな言葉言語化してくれたことだ。ポリコレを正しいと信じているのに、そこにあるどうにも解消できない居心地の悪さが気になる人が読むといいんじゃないかな。

あとは頭が良すぎて、多くの人が無視したり忘れていたりしていることが見えてしまい、幸せになれない著者みたいなタイプが読むと幸せになれそう。イワンカラマーゾフとか御冷ミァハみたいに、頭が良すぎて不幸になるというか、自分の知性をどこか持て余してしまタイプキャラクターが好きだ。

メアリーシェリーフランケンシュタイン

死体から作られた怪物がただただかわいそう。容貌醜悪なだけで化け物として追われ、創造主からも拒絶された彼の孤独を考えるだけで悲しくなる。まったく同じ理由で「オペラ座の怪人」も好きだ。どちらも間違いなく殺人者ではあるのだけれども、容姿馬鹿にされたことがあるのなら共感せずにはいられないだろう。関係ないけど、オペラ座の怪人ヒロインから振られたことを受け入れられたのって、やっぱり正面から振ってもらったからだよな、と思う。音信不通フェードアウトされたら怨念はなかなか成仏しない。

それと、これはSF的な感覚かもしれないが、人間離れした(時としてグロテスクな)姿を持つ存在が、非常に知的であるというシチュエーションがとても好きで、その理由から後述の「時間からの影」や「狂気山脈にて」も愛好している。

ロード・ダンセイニ「ぺガーナの神々」

架空神話ショートショート形式で述べられていく。ただそれだけなのにこんなに魅力的なのはなぜだろう。彼の作品基本的に短く、しょうもないオチ作品も割とあるのだけれども、時に偉大で時に卑小な神々の物語は、壮大な架空世界に連れて行ってくれるし、すぐ隣に隠れているかもしれない小さな妖精魔法も見せてくれる。

テッド・チャン「息吹」

あなたの人生の物語」とどっちにするかやっぱり迷った。映画メッセージ」の原作が入ってるし、増田で盛り上がってるルッキズムテーマ作品だってある。だが、寡作な人なのでこの2冊しか出していないし、片方が気に入ったらきっともう片方も読みたくなる。

表題作は、意識を持ったロボットのような存在がいる宇宙お話なのだけれども、そのロボット自分の脳をのぞき込んでその複雑な仕組みに心を打たれる。そして、世界を観察することで、何万年も経てばこの世界は滅んでしまうことを悟る。人間とは全く似ても似つかないロボットたちだが、やっていることは人間サイエンス、真理の追求という営みと本質的には同じだ。何かを知ろうとする営為の尊さについて語っている。得られた知恵で、自分たちも世界もいつかは終わってしまうと知ることになろうとも、知識を求める崇高さは変わらないのだ。

イワンセルゲーヴィチ・ツルゲーネフ「初恋」

学生時代自分女性に冷たくされる文学が好きだった。からかわれたりもてあそばされたり馬鹿にされたりする作品のほうが好きだ。そのほうがリアリティがあったから。寝取られ文学が好きなのもそれが理由だし、谷崎潤一郎作品も同様の理由で好きだ。

自分馬鹿にしていた少女が突然しおらしくなり、自分に近づいてくる。いったいどうしたことか、と思って期待しながら読んで、絶望に叩き落されるがいい。

イサク・ディネセン「アフリカの日々」

ライ麦畑」でホールデン少年が感動した本。アフリカ植民地で暮らす女性視点からその生活を書いている。友人のイギリス人が亡くなったとき、まるで故郷をしのぶかのように墓が深い霧に包まれたシーンがとても美しい。

個人的には、当時の基準からすればアフリカの人々に対して丁寧に接しており、評価も概して公平であるように感じた。ところどころ「有色人種特有の」といった表現があったり、アフリカ前近代社会とみなしたり、古い進歩史観は見られるし、植民地支配者側から視点批判的に読まなければならないが、色眼鏡比較的少ない観点に心を動かされてしまったのは事実だ。

植民地時代アフリカって、宗主国以外の人もたくさんいたこともわかって面白い。当時は英領東アフリカだが、そこにはスウェーデン人もいればノルウェー人もいる。古くから貿易相手としてのインド人だっている。独立後、彼らは日本人満州朝鮮半島台湾などから引き揚げたように、撤退したのだろう。植民地について理解するためにもおすすめ

J・R・R・トールキン指輪物語

はまった。十代の頃にとにかくどっぷりとはまった。今でも表紙のエルフ文字を使って誰にも読まれたくないことをメモするレベルではまった。

かに話の展開は遅い。重厚に過ぎる。設定を語るためのページも多い。しかし、この長大小説を読むことで、開始数ページで読者をひきつけなければならない現代小説からは得られない、長い旅をしたという実感を得られるのは確かだ。小説家には良き編集者の助言は必要だが、今のように急ぐ必要のなかった時代もあったことは忘れたくない。

中島敦「狼疾記」

李陵」や「弟子」や「山月記」じゃなくてなんでこれなのか、という声もするのだけれど、自意識過剰文学少年の思っていることをすべて言語化してくれているので推さずにはいられなかった。十代の頃の感受性は、何よりもこうしたものを求めていた。親の本棚にこれが積んであったのは幸運だった。

これは「三造もの」と呼ばれる中島敦私小説的の一つであり、世界の滅亡や文明無意味さに対する形而上学的な恐れや不安意識の片隅にある人間なら確実に刺さる内容だ。最後説教パートもさほどうっとうしくない。なぜなら、きっと文学少年文学少女たちは、その言葉無意識のうちに自分に投げかけてきたからだ。

ウラジーミル・ナボコフロリータ

膨大な知識と華麗な文体を背景にして、あらゆる性的な乱行を正当化してしまうのがナボコフ作品の一つの特徴である。語り手ハンバート・ハンバートは十代前半の少女を性の対象とする中年だ。自分初恋の思い出がどうこうとか述べているが、それだって言い訳だ。

しかし、この作品はただの小児性愛者の物語ではない点が油断ならない。少女ロリータはただ性的搾取されるだけの存在ではなく、自ら性の冒険に乗り出す。清純で清楚な少女という幻想は、最初からハンバート夢想の中にしか存在しない。ハンバートにはロリータ内面や考えなど最初から見えていなかったし、見ようともしてこなかった。

ただのスキャンダラスな本ではない。これは一人の身勝手男性心理の解剖である

新美南吉「屁」

ごんぎつね」の作者として知られるが、こんなふざけたタイトルの話も書いている。しかし、これは「自分は常に正しい、正しく道徳的であらねばならない」としてきた子供挫折を描いた小説であり、この社会弱者にあらゆる責任を擦り付けている様子を全く卑近話題から告発した話なのだ自分がした屁の責任かぶらされた、いつも屁をこいている少年への同情と軽蔑は、僕らの弱者への姿勢のものじゃなかろうか。

短いし、青空文庫で読めるのでオススメ

https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/3040_47823.html

仁木稔「グアルディア」

遺伝学の発展が少し早かったパラレルワールド未来舞台にした愛憎劇であり、変身ヒーローものでもある。ただのSFと違うのは、さまざまな文化が変容を受け、再解釈を受けて受容されることまでもプロットの一部として組み込んでいるところだ。さらには疑似科学陰謀論社会関係も描いている。今、読まれてほしい作家の一人だ。

仁木稔作品は僕の好み、ストライクど真ん中なんだけど、世界史や文化史、自然科学物語論の素養がないと(かじるレベルでいい)作者の構想を味わい尽くすのが難しいので、滅茶苦茶売れる作品にはならなそうだというのは認めざるを得ない。現に舞台ラテンアメリカ日本人になじみが薄いし、シリーズの別の作品中央アジアだ。それでも、伊藤計劃と並んで、社会学なんてつまらないって誤解を解いてくれた大きな恩がある作家だ。早くこのシリーズ最新刊が出ないか、今か今かと待っている。

イザベラ・バードイザベラ・バード日本紀行」

明治一年日本都市から農村を実際に歩いて見聞した手記である。率直に衛生状態の悪さやはびこる迷信批判している箇所はあるものの、その率直さが当時の日本がどんなだったか身びいきなしに教えてくれる。現代日本人が近隣の、例えば東南アジア諸国を見聞して不満がる、偽ブランドの横行や衛生状態の悪さ、家畜との同居や騒々しさなどが明治日本ではごく普通だったってことは知っておいていいと思う。

著者は北海道にも足を延ばした。アイヌ民族について日本人よりも好意的に描いている場面もある。しかし、当時の西欧人の感覚でよくわからないのだが、「粗野な外見だけどとても優しい目をしている」と褒めた民族のことを、別のところでは「将来の可能性を閉ざされ民族である」と書く点だ。もしかして、かつての人々が持っていた、文明と野蛮の間にある壁・差異イメージは、僕らが直観するよりもはるかに深刻な差別意識内包した、強固な偏見に根差しものだったのかもしれない。単純な軽蔑どころではない、もっとひどい無理解に基づいた恐ろしい何か。同じように、キリスト教によってこそ日本の悪習は絶えるという発想がどこから来たのか。そういうことを考える意味でもおススメしたい。

ハン・ガン菜食主義者」。

とても面白かった。父の暴力を遠因として、あらゆる動物的なもの嫌悪するようになった妹と、ただやり過ごすことで生きてきた姉を軸に描かれた三連作。壊れた夫婦描写に優れる。

妹は最後には精神を完全に病んで、何も食べられなくなるのだけれども、彼女が持つ植物になりたいという妄念が、本当に精神病の患者さんを観察したんじゃないかってくらい、細部にリアリティがある。

姉はおとなしいのだが、自分はただ忍従し、やり過ごしてきただけで、自分人生を全く生きていなかったのだと、夫の裏切りによってやっと気づく。夫は夫で、そのおとなしい妻に対して息苦しさを感じている。他の家庭のように、怒鳴り散らしてくれたらどれほど楽か、と嘆くのだ。

韓国ってよく叩かれているけど、日本と同じように家族のしがらみとかとかで苦しむ描写が多いので、意外とわかりやすい気がする。

進む→anond:20210301080225

2021-02-16

anond:20210216110314

明治大正期の良妻賢母像と昭和以降の良妻賢母像は全然違うぞ。増田イメージは夫と子供に尽くし家庭に入る女的なのかもしれないけど、女子大がつくられたころは「高等教育を受けて科学知識を持ち迷信や噂に頼った子育て・家庭運営をしない進んだ女性」くらいのイメージではあったはず

2021-02-09

母の実家モラハラ一家だったことに段々気づいてきた

母方の祖母は今認知症になってほとんど施設から出れてないんだけど、祖母長男(つまり私の叔父)一家祖母に対してあまりにも酷い仕打ちをしていると思ってた。

・盆、年末年始にもろくに顔を見せない

祖母介護ほとんどしない(一度だけ一緒に泊まった時にはインスタントラーメンを食べさせていたようだった)

祖母のひ孫(つまり私の従兄弟の子ども)ができても何の知らせもない、会わせてあげたことがない


だけど段々、ひょっとして彼らは祖母がかつてモラハラをしていたことを根に持っているのではないか、と思うようになってきた。

祖母は、私にとっては大好きな87歳のおばあちゃんなんだけど、たぶんその世代の人にとってはごく当たり前の価値観を持っている人だった。

私も小さい頃からおばあちゃんに嗜められるのはなんとなく嫌だった。女は働くもんじゃないとか、女が勉強できても仕方ないなどの考えを持っていた人だった。年下は年長の兄を大事にしないといけない、女は結婚して子供を産みさえすればいい。他にも色々と面倒な迷信?みたいなことを言ってくるので面倒だな〜とは思っていた。

極め付けは、孫たちの名前だ。祖母の家の近所には霊感が強いのかなんなのか、占い師みたいな人が住んでいて、私や従兄弟たちの名前はみんなその人につけてもらっていたのだった。私は普通名前なんだけど、叔父さんの子供たちの中にはちょっと当て字っぽい名前(響きは普通名前なんだが、漢字普通とはちょっと違う名前)をもらった子もいた。私は自分名前を気に入っていたし、ちゃんと画数とか縁起とかがわかっている人に名付けを任せるのはよくある話なんだろうなと思っていたけど、それが嫌だと考える人がいるのも当然だろう。私が子供を産んだとして、その名前を嫁ぎ先の実家勝手に付けられるのは確かに不愉快だ。

昔の価値観のことは私には分からない。仕方のない部分もあるだろう。だけど祖母のしてきたことは今で言う立派なモラハラだ。

大人になって、そういうことがだんだんと分かってきた。


祖母のことは好きだし、介護だって私ができることは何でもやってあげたいと思う。加えて、叔父たちが何も手伝ってくれないことを今後は大目に見てあげようと思っている。

叔父たちに会えなくて祖母が寂しがっているのは、祖母のせいも一部あるのかもしれないんだから可哀想だと思って叔父に対して腹立たしく思うことも今後はもうないだろう。

2021-02-05

友達のせいで、犬が虎馬になった

チコは犬を飼っていた。ヨークシャーテリアという犬種だった。

子供の頃、サチコが家に遊びにおいでと言ってきて

他の友達と一緒に訪れた。

ピンポンを押したらヨークシャーは狂ったように吠え、

玄関を走り回っているのが外からでも分かった。

ギャンギャンギャンギャン

カリカリカリカリ!(玄関の扉をガリガリする音)

これが数回続いたと思ったら、ゆっくりと扉が開いた。

やっとか!と思ったら扉から勢いよく犬が飛び出してきた。

ビックリして逃げたが、階段の途中で逃げ場所もあまりなく

追いつかれて足を思い切り噛まれた。

デニムノミニスカートを着ていたので、むき出しの脚は数か所噛まれ、血だらけ。

血を見る事には問題なかったけれど、痛すぎて号泣した。

その間、サチコも、サチコの母もニコニコしてこちらを見下ろしていた。

 うちの子ったら、暴れん坊さん★

こんな感じのことを思ってそうな顔をしていた。サイコパス顔だった。

結果、数か所の傷が出来ていた。とりあえず家に入れとうるさいので、家に入った。

血はダラダラ流れていたが、サチコ母は私が乗ったカーペットに血が垂れないか必死

チコは私の傷には一切触れず、謝罪もなく「なにしてあそぶー」という感じ。

放心状態になっていた他の友達

「ひどすぎる!帰ろう!」と言い出してくれて

痛い足を引きずりながら一緒に帰った。

家には医療系の身内がいるので、消毒等してもらったので

幸い他の病気にはならなかった。

両親は怒って抗議とかはしなかったと思うけれど、

まりよく思ってなかったと思う。

その後から自然とサチコとは関わらないようになった。

後日あっても、犬が噛んだことに対して謝罪は一切なく

他の友達が「犬が増田ちゃんを噛んだの悪いと思ってんの!?」って聞いても

「仕方ないじゃん」としか言わない。そうして自然と友やめしていった。

友達が「サチコっていうか、幸せっていう漢字が入っていると不幸になる」という

良く分からない迷信で私を元気づけようとしたのをよく覚えている。

付き合った彼氏の家には小型犬が居た。ミニチュアダックスだ。

見知らぬ人が来るとギャンギャン吠えるタイプで、トラウマが蘇った。

ダックス女好きらしく、家に上がって少し経てば落ち着くらしいのだが

自分にとっては恐怖でしかなかった。

良い歳してボロボロ泣いた。噛まないと言われていたので安心していたものの、ボロッボロ泣いた。

初めての彼氏の自宅訪問で、祖父母が居る前で号泣

今はもう亡くなっちゃったけど、おばあちゃん凄く優しかったなぁ。

大きな体した私が立ったままボロボロ泣くのでビックリしただろうなぁ。

ダックスが2分~3分程度で落ち着き、私にすり寄ってくる頃

私も落ち着いた。ダックスを触れるくらいになった。

元々は動物が好きだったんだ。サチコのせいでダメになっただけなんだ。

彼氏には小型犬トラウマとう話はしてあった。彼氏大型犬に噛まれたので苦手というのは聞いてた。

彼氏に「飼い犬が悪いのではなく、飼い主のしけが悪いのだ」という話をすると、

必ず「あいつはバカ犬だから仕方ないんだ」というような反論をしてくる。

トレーナーつけるなり、何かしら対応しろよ近所迷惑だろアホかと毎回思う。

でも、結婚した。

面倒を見切れないしつけのできない奴は、動物を飼えませんように!

クソみたいな飼い主が滅びてくれますように!

2021-02-03

日本先進国で最も宗教的

ここまで数字で物を考えることができず正しいか間違っているかという善悪尺度、すなわち宗教観で全てを判断する国民性を持つ国が他に存在するのか?

新型コロナワクチンに対しても最も打ちたがらない人が多く懐疑的だという調査が出ており、まるで輸血を拒んで自分子供を死に追いやるエホバの証人のようだ。

特定の神やら宗教やらに対しては嫌悪感を持つ割に、誰もが迷信を信じる国、それが今の日本だ。

2021-02-01

anond:20210201082104

所詮日本人迷信大好きの田舎者なんだよ。

そのくせ自分たちこそ科学的な思考をしていると考えているからタチが悪い。

日本人が「科学」という時、それは大抵「常識」という言葉の言い換えに過ぎず単に自分の主張に説得力を持たせたいだけだ。

anond:20210201005255

科学手続きこそが単なる知識科学事実にするんだと思うけどねえ。

そこを抜きにしたら知識はただの迷信とか常識とか言われるものになってしまうよ。

2021-01-30

「実際、大乗仏教と比べて紛争なども絶えないし。」

emuaeda 仏教研究しても仏教からは何も学べなかったのかな。個人的感覚だけど、上座部仏教を学ぶ人は本当の仏教だと主張が激しく攻撃的かつ排他的な人が多い気がする。実際、大乗仏教と比べて紛争なども絶えないし。

2021/01/30

上座部仏教大乗仏教なら確かに前者が後者に対し批判的になりがちだと思う。

(そういう対立が出る場合はということであって、その二者が同席したって99%そんな論争なんかしないが)

 

なんでかというと上座部の方が今となっては教理があるから

大乗仏教って何をやるんですかっていうと、お葬式やって、ふにゃふにゃしたお説教して、いい加減なもんでしょ。

から地元檀家が減ったり葬式ビジネスが揺らいだりした途端に大乗仏教のお坊さんには売るものが無くなっちゃった

から上座部のお坊さんが売ってるような瞑想を急ごしらえで真似る大乗のお坊さんとかが増えてきた。

 

このあい増田でバズってたお坊さんだって出家比丘智慧と言えるようなものがどっかにあった?

どこにもないでしょ。

説教れいい話慣れした学校道徳先生とかが言いそうな話でしかなかった。

 

大乗仏教にも元から売り物がなかったわけじゃなくて

色んな呪術的な儀式や祭礼とその格式みたいなものは構築してた。

でもそういうのに檀家としてガッツリ付き合ってくれる人達が減れば立ち行かなくなってくるよね。

その儀式に何の意味があるんだって言われると文化財的な価値認めてもらえない限り「無」だしさ。

 

上座部の特徴は何かというと、理屈っぽい。

このあいだの増田のお坊さんに理屈があった?ないよね。

情念というか、元増田に対する寄り添いの感情で押し切るような話だってでしょ。

 

上座部のお坊さんはあんな風に「温か」くはなくて、結構突き放したようなことを言う。

もっとましなことで悩んでもらえませんか?ぐらい言うことだってある。

 

鈴木大拙大乗を情の仏教上座部を理の仏教だみたいに書いてたけどまさにそれ。

でも上座部立場から言わせれば、情でどうするんだと。

なんとなく寄り添って、肩入れして、励まして、あとはお経を唱えるだけで阿弥陀様が救ってくれるからねとかいって、それで解決するのかと。

ちゃん仏法を説いて、理屈説明して、実践手段を与えて、やらせて、指導して、時に「だらしねえぞ」としばいて、頑張らせる、当人が頑張るのが仏教でしょうと。

 

もともと大乗仏教という名乗りは上座部仏教を「小乗」として見下し自分達を持ち上げる名乗りだったわけ。

何が「大」なのかというと救う対象スケールが大だと。

念仏を一回唱えただけで極楽往生間違いなし!みたいなことじゃなきゃ世の中を広く救う、大多数のバカまで救う事なんてできないでしょうと。

 

これに対する上座部反論

いや念仏唱えて救われるってもう仏教でも何でもないし、呪術迷信凡庸宗教ですよねと。

そんな話を広めたって迷信広めてるだけで誰のことも救ってないじゃんと。

自分達の教えは自分で頑張る人しか救わないけど、でもお釈迦様の教えがそうなんだからさと。

釈迦さまは救い主じゃなくて教師だと名乗っていて、頑張るのはあんたらだよと言ってたよねと。

 

このような大乗VS上座部の激しめの論争がかつてはあり、(何百年以上前、さかのぼれば二千年前からの話よ)

大乗の方が後からできたものの常として勢いも鼻息も強くて攻める側だったの。

 

でも現代では大乗大衆向けヒット商品だった呪術的な儀式とか念仏とかが全部通用しなくなって

上座部の教えとか瞑想メソッドが「マインドフルネス」なんてパチモンが出回るぐらいに売れるようになったわけ。

から今は上座部側の方が理屈大乗に攻め込む立場で、大乗の方がそういう場面ではまあまあと誤魔化す、ぐらいになった。 

 

ただ大乗仏教紛争がないなんて言われるとそれはさすがにどうなのかってことで 

日本の歴史の中で寺同士で殺し合い燃やし合いした荒くれ坊主は全部大乗仏教ですからね。

今でも創価学会が仲間割れした兄弟みたいなとこと争いまくってるけどあれだってどっちも大乗仏教の中の近い宗派でしょ。

 

世界的に見れば上座部仏教仏教徒とイスラム部族と争ってるとことかあるけど

あれは上座部から大乗からっていうよりも政情とか民族とか経済問題なんじゃないのかね?しらんけど。

 

 

当人が頑張るのが仏教” こういう考えが嫌い。どうしようもなくなったときに、絶望しないためにあるというのは宗教の一つの機能の気がする。それがないなら、大乗でいいです

から上座部仏教宗教ではないという人が上座部のお坊さんにもいます

"文化財的な価値認めてもらえない限り「無」"なのは宗教みんなそうでしょ。

宗教そうかもしれないですね。

anond:20210130001129

んーと

Googleって知ってる?

あれ単純な文字列の一致で検索する単純なものじゃないよね

なんなら文字列なんて全然合ってなくても似てる画像勝手提示したりするよね

Googleって別にマニア向けでもなんでもなくてなんなら小学校の授業でだって使い方教えられるんだ

文字列ちょっと伏せたり言い換えたりするくらいで検索は避けれてないんだ

あれは太古のマナーでもはや迷信しかなくてなぜかそれを未だに押し付け老害がいると伝え聞きはする

2021-01-24

anond:20210124124341

SNSバカ発言力が増した結果、人間精神レベルってほとんど中世レベルになってねーか。

迷信>>>>科学な連中だらけになりつつあるやろ。

anond:20210123162859

ウイルス曝露の危険性だけで言うならば、20分で空気が全て入れ替わる映画館は、飲食されていても、居酒屋飲食店よりは相対的安全だろう。

客の間では。ただ無症状キャリアかもしれない客を相手にするスタッフ危険性は増す。映画館安全だと喧伝され、色々溜め込んでる人々が押し寄せたなら尚更。

そのスタッフお気持ちに寄り添わないといけない。これは科学レイヤー感染症管理レイヤーの話ではなく、社会政策人権政策お気持ち対応の話。

水素同位体を含む水を太平洋放出するのと同じ話。

相対的安全だし、水素同位体生態系で濃縮されないにも関わらず、そういう事をされたら魚を食べたくないという人がいるから、その人のお気持ちに寄り添わないといけない。

そういう人を非科学的だ、迷信だと切って捨てるわけにはいかない。そのレイヤーの話ではないから。「科学的には検討不要レベル安全とわかっているが、気持ち悪い」。

ムスリムが「豚を食べても体を壊さない事は知っているが、生まれながらに『不浄だ、食べるようなものじゃない究極のゲテモノだ』と教わっているから食べる気にはならない」のと一緒。

2021-01-23

anond:20210123155329

そういう人間の話に皆が耳を傾けるようになると迷信とか宗教みたいなものが生まれしまうんやで

2021-01-16

anond:20210116222057

どっかで、ファクターXとか迷信

風邪とか信じてしまったんだろな。?

金もさないとなると働くしかなく。

政府も出す気もなく。

アリとギリギリスになってないか

完全に油断だろう。

2021-01-05

疳の虫

独身KKOおっさんなので、赤ん坊を育てたことがない。

まり哀れな人生を送っているのだが、

疳の虫という現象に興味がある。

赤ん坊が泣き止まない場合に、お札やら漢方薬やらを使って、

エイと願掛けすることでピタっと泣き止むという現象である

科学迷信が入り混じっていて面白い

2021-01-02

反出生主義ってのは呼び方が間違っていて、正確には「反出生絶対価値主義」なんだよね

「生まれてきたことそのもの無限大価値がある」

「生きていることそのもの無限大価値があり、無限大幸福がある」

といった概念に対するアンチテーゼが反出生主義と呼ばれているものなんだよ。

これは反知性主義が反「知性主義」ではなく「反知性」主義として扱われているのに近い問題だ。

そもそもをして誰が名付けたのか名前自体が混乱の元となっている訳だな。

反出生主義は、「生まれ落ちること」を否定しているのではなく、「出生そのものに∞の価値を期待されて産み落とされること」を否定しているわけだ。

まりは「生きているだけで価値がある」という概念に対して、生きるということはフラットであり不可逆ではあってもプラスでもマイナスでもないと考えてもいいのではと疑問を投げかけているのが反出生主義と呼ばれるもの価値観だ。

よく勘違いされる「反出生主義の人は子供を生むこと自体否定している」というのは途中経過をすっ飛ばしものなんだ。

反出生主義が安易出産否定するのを段階的に説明すると。

  1. そもそも今の世の中には「生む(生まれてくる)ことそのものに+∞の価値がある」という迷信じみたもの蔓延している
  2. 反出生主義はその「+∞の価値」に対して疑念を抱いており、本当は「±0の価値」なのではないかと思っている
  3. 新しく生まれてくる命が幸福になるかどうかは、もしも出生に「+∞の価値がある」のなら疑う余地はない
  4. しかし、出生の価値が「±0の価値であるのならばそれは生育環境社会情勢によって左右される
  5. その中でそれぞれが生まれてくる人間幸福計算した結果、「出生の結果が不幸な人間を増やすだけになりうるパターン」が見いだされる
  6. 反出生主義者から見ればそのパターンになる場合であっても、世間では出生そのものが持つ「+∞の価値」によって差し引きでは+∞の幸福が待ち受けていると考えられている
  7. この両者の考えの違いにより軋轢が生まれている

これが現状だ。

この過程無視して、「反出生主義者はすべての出生を否定している」というのはそもそもが誤りなのである

おわかりいただけただろうか

2020-12-30

anond:20201230162324

オヤジって人の心に無頓着すぎる。

心を整える環境の構築の重要性がまるで分かってない。

今まで怒鳴り主義社会が散々デスマーチを起こしてるのに、

今だに「怒鳴れば人は動く」って迷信してるし。特にバブル世代は。

2020-12-24

anond:20201224174601

運ゲーは行動の評価が難しいから嫌いなんだよ。

運が良くて勝ったのか、プレイングが良くて勝ったのかわからず、戦術迷信行動を履き違える可能性がある。

2020-12-21

夜に口笛ふくな

迷信じゃなくて、静まり返った夜に口笛ふくと響くんだよ。

隣近所に迷惑だろ。今なんか騒音でどんな仕返しされるかわからねーんだから

夜中にむやみに音たてるな。ていうか逆に普段からそれくらい気を使えアホが。

2020-12-15

腐女子が言う受けと攻めはジェンダーしかない

本人たちは高度で先進的な話題のつもりなんだろうが、その実はひどく性差別的で迷信的なことを言っている

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