はてなキーワード: 評定基準とは
私は現在、見た目のよさで得をしている。ニコニコ愛想よくしてれば大抵のことが上手くいく。ルックスのおかげで仕事は成功しやすいし、人脈にも恵まれやすい。
とはいえ、自分語りをさせてもらうと、もちろんルックスがいいことで損をすることもあった。
同世代と大人どちらからも強姦未遂や傷害事件の被害にあったし、PTSDとノースリーブを着れない傷跡が残っている。
ただ子供の頃は同級生や先生とのトラブルが頻発する理由が分からず、知らない大人がよく話しかけてくるのも普通のことと誤認していた。
成長してルックスに自覚的になれば上手く自衛もできるし、頑張って稼いでセキュリティ高い物件・防犯アイテム・タクシー移動に課金すれば苦労はだいぶ減る。
そのためのお金も、ルックスがプラスに働く仕事をすることでどうにか確保できている。
あとは嫌われないためにコミュニケーションや話し方の本を読んだり、しわしわになっても生き残るためにスキルアップに勤しんでいる状況だ。
過去の損・現在の手間と得で、プラマイゼロかちょっとマイナス寄りくらいかなと思っている。過去の損がデカい。
さて、もしこの世から完全にルッキズムがなくなり、これまでの常識がまっさら漂白されるのであれば、とてもいい社会になるだろうとは思う。そんな時代に生まれてみたかった。
ただしルッキズム撤廃の周知が中途半端になってしまうと、(現基準で)ルックスの良い子供・悪い子供の被害が増えそうだと懸念している。
きちんと性教育をしないせいで性被害に遭っていることに気付けない子供がいるように、表面的な道徳教育程度では外見差別や様々な被害とその原因に気付けない子供たちが増加するのではないかと。
「自然と容姿の良い異性を好きになってしまう傾向」という、最早本能にも近い概念を無いものとするのには途方も無い時間がかかる。いきなり切り替えるのは無理がある。
ルッキズム反対派は、せめてカーボンニュートラル計画のように段階的な目標を立ててほしい。ざっくりでもいいので。
プラスチックストローの廃止すらなかなか上手くいかないのに、数千年レベルで刷り込まれた価値観をハイ今日からやめましょうといきなり覆すのは厳しいだろう。
容姿主義を無くすのではなくて、たとえば(かつての裸婦像のように)贅肉のなだらかな曲線を堪能するとか、そばかすをまるで星空のようだとありがたがるとか、そういう美の基準をちょっとずつ増やしていった方がいいと思うんだ。
「他人を美しさで評価する」ことを悪とするのではなく、「多様な美しさの評定基準を当たり前とし、受け入れ合う」の方がまだ広めやすいかなと。