はてなキーワード: 矮小化とは
30代前半の二人で観てきた。
私たちの世代はちょうどウルトラマンがテレビでやっていなかった世代で、今回がはじめて観るウルトラマンとなった。
私はエヴァンゲリオンが好きで、庵野さんの映画を観たくて行ったクチだが、友人はエヴァすら観ていない。
とりあえずの感想としては、シン・ゴジラの焼き直しだなぁと思ったのが第一。
「怪獣やウルトラマンが本当に現れたら日本政府(と官僚)はどう対処するのか」という描写が映画の大部分を占めているが、「それシン・ゴジラで観たよ」という気持ちになった。
初代ウルトラマンだと科学特捜隊は国際組織ということになっているから、日本の官僚組織に位置付ける必要は必ずしも無かったのではないか。
官僚組織のドラマを描く過程で物語が矮小化されてしまった気がする。
成田亨『真実と正義と美の化身』をデザインコンセプトとしたと公式サイトにあって、その経緯は胸を打つものがあったが、実際あんまり格好良くなかった。
全体的につるっとしているデザインがCG感を増幅させてしまっていて、ダメージを受けても傷つかない(体のラインの色が変わるだけ)というのが戦闘の緊迫感を減退させていたと思う。
特に後者について、カラータイマーというのはひとつの発明だったんだなと思った。
最後に思い付きを書くと、終盤にさしかかるところで、これはキリスト教っぽいお話だなということを考えていた。
神に比類するウルトラマンが、有限な人類の姿に身をやつし、人類を救うというのはかなりイエス伝ぽい。
ググってみるとその類似性を指摘する人がたくさんいて、勉強になった。(『ウルトラQ』の「Q」はQ資料から来ている、とか眉唾ものだけれども、結構おもしろい)
そんな感じで、なんやかんや書いたけれども、人の考察を読んでいたりする時間も含めると、結構楽しんでしまった。
初代ウルトラマン、セブン、帰ってきたウルトラマンぐらいは観ようと思わされた一作だった。
amunku キスシーンすら封じられたインド映画が「ダンスしてラブラブを表現」とか最高な方向に行く快作に溢れたのを知っているので、規制が進んだ上でどうするのか、は嘆く前に少しもがいてから弱音を吐いてほしい
規制された上で頑張れというお達し。
萌え絵にもそう言えよ。
今回は「萌え絵の規制は大反対なのにテレビの規制は大賛成」な論敵として選ばれたamunkuさんが、最近盛り上がった萌え絵炎上である月曜日のたわわ案件では、どのようなコメントをしているのか調べてみました!
(もう一人の方は無言ブコメが大半で、たわわ問題では表現の自由戦士として名高い白饅頭を罵倒するコメントくらいしか見つかりませんでした)
amunkuのブックマーク
「どうせ女もいい思いしてるんだろ」とか言い出すんだよな。男と女で性的に見られる意識が真逆なのはこういう漫画のせいで浸透しない。恥ずかしげもなく女を鑑賞物と平然と言い切る作品が溢れている、人権侵害なのよ
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718216879353880962/comment/amunku
現実とフィクションの区別がつかない男がそれなりの数いるということ。少なくとも日本で痴漢は犯罪であるという当たり前の風紀が全ての男性に周知されるまでは(女子高生エロいが日本文化としてある)控えるべき
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718241157743732898/comment/amunku
未成年のおっぱいに興奮してもいいという公共意識を隠さない日本。広告出す場所の問題つってんのに表現規制と騒ぎ事が大きくなる。我々は子供の人権無視しておっぱいに癒やされたいです!と騒いで恥ずかしくないのか
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718217861291314370/comment/amunku
キモい脳みそ下半身男ども、諦めろ、公共の場でエロ本は読めなくなるし、女子高生かわいいねなどと言ったらえっ?という顔で見られる世界に日本はなるんだ。もうとっくに周りの女性はそんなお前らにドン引きしてるが
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718261983515194786/comment/amunku
ヒエ…たわわファンが痴漢予備軍であることの証明をしている…頭が悪すぎて凄い
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718617788996286914/comment/amunku
この件無視を決め込んでる日経と講談社は信頼も信用も置けない企業/性犯罪の矮小化に日本の漫画は一役買ってる。セックスのこと誰から学んだ?母親じゃないだろ男目線のファンタジーであるAVとエロ漫画からだろう
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718794062067426082/comment/amunku
よくエロ2次表現規制で揉めてるときに「これがだめなら殺人描写もだめになるけどいいのか」とか言う人おるけど、事件が身近な人にはもちろん駄目なわけで、治安が悪くなってくると探偵物が受けなくなるというね
https://b.hatena.ne.jp/entry/4718880569732848578/comment/amunku
失言炎上が2件しか無いって、こいつ分かっててしらばっくれてるだろ
まずその2件ってこれだよな?
たぬかな「人権無い」
ttps://news.yahoo.co.jp/byline/shinoharashuji/20220217-00282567
sara「障害者やろ」
ttps://news.yahoo.co.jp/byline/shinoharashuji/20220503-00294390
他にもあるでしょ
kbaton
https://hanayaka-na-life.com/kbaton_ayagator/
ぼる「お前ダウン症か」
https://www.j-cast.com/2019/12/05374384.html
http://amahaya.livedoor.blog/archives/5695532.html
とくら「障害者はGを使え」
https://chigesoku3.doorblog.jp/archives/57215341.html
https://twitter.com/dappidesuy/status/1494449435178254337
ミートたけし「病気だよ、あのプレイ」等 ※プロゲーマーではない、有名プレイヤー(プロ音楽家)
ttps://kakulog.com/meat-takeshi/
勿論海外でもあるぞ
ttps://chigesoku3.doorblog.jp/archives/56865900.html
ttps://chigesoku3.doorblog.jp/archives/56668987.html
ttps://chigesoku3.doorblog.jp/archives/56901459.html
※園子音氏に関する一部表現を修正。週刊誌報道を認めての謝罪ではないと判断したため。こちらで係争中と見られる件の善悪についての判断をするのは不適切と判断し、一部の記述を修正・削除した。(5/8)
nori__3:
ツイフェミとかはフェミニズムとは区別すべきだと思うのだが、全うなフェミニストの方々はどう思ってんですかね…?フェミニズムを貶めてるとは思ってないのだろうか
「全うなフェミニスト」が別にいると思ってたけど、ツイフェミ以外にもダメなフェミニストが多い事がわかってきたので、まとめて扱ってるよ。完全にイコールではないようだけど、思っていた以上には地続き。
例えば、件のフェミ議連は所謂ツイフェミでは無いはずだけど、あの有様でしょ。
kaerufrog0033:
フェミニストの話してるんだから、表自戦士に話逸らすなよ?フェミニストの悪い癖だぞ。
aquatofana:
園子温が不起訴になったらフェミニズムもブチ切れると思うが、っていうか既にブチ切れてるが司法で裁かれると判断してるだけだな。/結局この増田は自分に都合よく愚かな脳内フェミという創作を信じちゃってるのよな
え?
流石に嘘はまずいと思うよー。
あと、脳内フェミって書いてるけど、実はさりげなく実在の事例ベースで内容が構築されている箇所が多いので、自分のバイアスが出てこないように、客観的に読むと良いと思う!ちょっと長めの日本語の文章だけど、読み慣れてなくて辛いのならがんばってね!
slowlypanda:
無罪とまではいかないだろが熱量の違いは明白なんだよな。なんであんなに問題視するのか。 追記 ハフポストはなぜ取り上げないの?
凄いよね。ほんと。
コンプライアンス的にセーフな部分に限っても、「この監督の男尊女卑的なカルチャーに怒らないで、たわわに怒るの???」って思うもんな。
たわわへの怒りが異常過ぎるんだよ。そして、それが正常なレベルの怒りなのかどうか、フェミニストは自分で判断できないんだよ。判断する物差しがないから。
toro-chan:
「まともにこれを読まない人間がきっと多数」ほんとそれ。自分を被害者だと思い込み、関係ない「たわわ」だけ非難する。どう考えても望まない妊娠を増やし、不幸を産むホストの方が圧倒的に害悪なのにそちらは無視
でしょ。
園子温の話に矮小化すれば、まともに読まなくていいし、自分に向き合わなくていい、と考えるの、本当に典型的なフェミニスト仕草なんだよね。だから、本稿ではその説明に手間をかけたの。で、書いた通りになったんだよね。本論で書いた通りにダメな人たちなんだね、フェミニストって。
murlock :
本文読んで園の部分だけ反発あるだろうな―と思ったら上位米見事にその一点突破で草
草。
というか、
uesim:
増田は箇条書きになってるフェミニスト・フェミニズムの特徴とかの部分の「フェミニスト」を「俺」に変えてもう一回読み直したら自分自身を見つめ直す良い機会になりそう
で、お前は見つめ直すんだよな?フェミニストは相手に要求して自分は対応しない、というクソムーブが目立つので、是非アップデートして頂きたい。
があるんだよ。
人にジェンダー規範の押し付けよくないと言っている人間が、ど真ん中ストレートの押し付けやってるのを見た時の情けない気持ちといったらない。
あれ、自分はなんで今まで丁寧にジェンダー扱ってきたんだろう、って心底情けない気分になったよ。フェミニスト名乗る奴らがこんなに堕落していたなんて、ってな。お前も堕落してるのかい?
tekmak:
お前もまず自分のことを振り返れよ。
フェミニズムは他の界隈と比べてもちょっと自省のしなさがハイアベレージなんだよ。
https://anond.hatelabo.jp/20220507222410
そもそも自分でツイフェミ、と言うのは自分でネトウヨ、と言うようなもの。この辺りに自分はリアリティを感じない。
あと、自分のエントリでは、フェミニストは自分のジェンダー観に鈍感だ、と主張している。
この「ツイフェミ」の視点で文章書くには、自分のジェンダー観を客観視する必要があるけど、大半のフェミニストにはそれは無理ではないかな。
thongirl:
id:entry:4719207127563580834 で藁人形扱いされて失笑された悔しさから自力で出来の悪い藁人形を作り、できが悪いなりに楽しく遊べてプライドも回復したようなのでそれで攻撃性を少しでも落ち着かせてほしい
藁人形作って相手叩いてるのはお前。相手の攻撃性を揶揄しているのに、自分の攻撃性に無自覚、というところが既に救いようが無い。
「親ガチャ」という言葉をやたら否定したがるのって右翼に多いのかと思いきや案外左翼にも多いんだよね
自分達が親ガチャ大当たりで高学歴高収入の安定した人生を歩んできたという事実が後ろめたいのか?
右翼は「日本に生まれた時点で国ガチャ大当たりなんだから文句を言うな」と言い、
左翼は「親ガチャじゃなくて国ガチャに外れたんだ、親は悪くない」と言う
どっちも親の重要性を矮小化して子供に自己責任論を押し付けるクズどもだ
「親ガチャ」という言葉は貧困層や毒親生まれがやっと手に入れた、自分達を語るための言葉なのに
※末尾に追記2(5/7 19:26)、追記3(5/8 01:45)を付与。
※園子音氏に関する一部表現を修正。週刊誌報道を認めての謝罪ではないと判断したため。こちらで係争中と見られる件の善悪についての判断をするのは不適切と判断し、関連する記述は削除した。(5/8)
何故、フェミニストの中では「たわわ」がNGで、園子温は"無罪"(論じる必要がない対象)なのか?何故、オタクがバッシング対象で、ホストは共感の対象なのか?フェミニストの性質の中にその答えが眠っている。
「フェミニストの活動家達には、何故こんなに一貫性が無いのか???」
こんな事を一度でも思った事のある方は、少なく無いのでは無いか。
何故、フェミニストは、実際の被害者が居ない「たわわ」にお熱になるのに、被害者と称する女性からの訴えが週刊誌に載った園子温にはさほど関心を示さないのだろうか。
何故、フェミニストは、「海、似合って無いね」動画における反応のようにインドア派の男性(というかオタク)への蔑視を隠しもしない一方で、実際に女性を搾取するホストに対しては、さほど怒りの声を上げず丁重に扱ってしまうのだろうか。
何故、成人指定でも無いお色気漫画のゾーニングを強く求める一方で、BLに対するゾーニングに抵抗し自由を求めてしまうフェミニストが出て来てしまうのだろうか。
フェミニスト諸兄は、胸に手を当てながら読んで頂き、自分に当てはまる点について、「アップデート」する事は出来ないか、じっくりと考えてみてほしい。
フェミニストは、「〜だから、ダメ」というタイプの論理を多用する。
フェミニストが火をつける炎上は、基本、この論理のタイプで起きる。
一方、フェミニストは「〜だから、良い」というタイプの論理を使用する事については慎重だ。
この論理を使用する場合、フェミニストでなくても言える以上の結論となる事は、あまりない。「性的表象」のような妙なフェミニスト用語を使うケースは滅多に見ない。誰もが「そりゃそうだ」と思えるレベルの、ある意味無意味な内容の時に、好んでこの論理を使う事になる。
これはどういう事を意味するのか。
フェミニズムは「何が良いのか」「何がダメなのか」という事の境界線をきっちり引くことに、正面から向き合っていない、ということだ。
そして、境界線がないが故に、個々の事象に対する良し悪しの判断が、個々のフェミニストに内在する、明確な境界線のない嫌悪の反応(つまりは「お気持ち」)に委ねられてしまう事になる。
「一人一派」と言う表現は、その現状を言い換えているだけに過ぎない。
次の論戦を見てみよう。
https://togetter.com/li/1873195
この議論で最も重要な指摘はCDB氏による以下のコメントである。
小宮先生は『まずUN WOMENの主張を理解せよ』と仰いました。なので、『UNWは広告表象を問題にしており、表現を修正すれば掲載可能である』と主張していると解釈されるのか、それともUNWは作品そのものが広告掲載に不適切であると主張している』と解釈されたのか、小宮先生の解釈を伺っています。
「たわわ」の広告表象が問題であるのか、作品が問題であるのか、という質問である。小宮氏はこれに直接回答する事を避けている。
小宮氏を少し擁護すると、これは小宮氏でなくとも回答が困難な問いであろう。何故なら、UN WOMAN側がどちらの解釈が適切なのかを提示していないからだ。そもそもフェミニズムが、この場合にどう判断するかという線引きに十分に向き合ってこなかったのだから、小宮氏にはどちらとも言えないのである。
UN WOMANのコメントがなければ解釈が出来ない、という構造は興味深い。つまり、結論が先にあって、その理論付けは後から行う、と言う実態を示唆しているからである。
多くのフェミニストの主張では、個々の事象に対して、それを許すか許さないか、についての個人の無意識的なバイアスに基づく判断が先にある。そこから理屈が逆算される形で構築されるのである。
最近、「当事者性がある人が批判するべき」「当事者性がなくても批判できるべき」と、シチュエーションによって主張が安定しない論者が話題になった。
理由は簡単で、その場その場で結論から後付けで理屈を構築しているからである。
シチュエーションによって、議論の構造と前提が異なるため、その場で自分に都合の良い形(言い換えると「お気持ち」)で論理を組む事になる。結果として、ダブルスタンダードな主張が散見される事になる。
良し悪しに関する客観的な物差しの不在はまた、男性に向ける物差しを自分に適用しないように巧妙にサボる事も可能にする。
「海、似合ってないね」という例の動画を見れば、これがジェンダー的にかなり多くの要求を男性に課している事は間違いない(性別を逆にして、スタイルの悪い女性に「海、似合ってないね」と言ったら大炎上するのは、火を見るよりも明らか)。しかし、何人かのフェミニストはこの動画を絶賛した。
それは、彼女らが自身の中にジェンダーについての規範をインストールしてこなかった事を強く示唆している。言い換えると、相手に求める厳しさを自分に適用していない、という事である。
「たわわ」や「宇崎ちゃん」に怒りながら、BLの不健全図書扱いに怒るフェミニストもまた、非常にわかりやすい例である。男女間で別の基準を適用することの狡さを、本人の中で言い訳をしながら共存させてしまっているのである。
フェミニストは、ダブルスタンダードと言われても意に解さない。
自分が悪者になりうるような基準を、そもそも自分の中に持たない(もしくは言い訳、という形でパッチを当てる)事で、「自分がおかしいのではないか」と懐疑心を持たなくても済む、という構造があるからである。
なので、フェミニストが自分が責められた時によく使うロジックは、「それには当たらない(だから自分は悪くない)」である。常に自分は(何やかやと言い訳をして)安全地帯にいることになっているのだ。
私見だが、
この文章を読んだフェミニストは恐らく「これは、きちんと書けていない。だから自分の話では無い」と矮小化するか、「この論理は破綻している。だから認める必要はない」と全てを排除するか、の大きく2つの類型に向かうのではないか、と予想している。
フェミニストの一部に非常に性格の悪い人間が居る。多分本人は気づいていないだろうが、周囲からは丸わかりである。これはフェミニズムが他責型の人間にとって居心地が良い構造にあることと無縁ではないだろう。
フェミニストは行動を起こした結果がどうなろうと、その事にはあまり関心を持たないし、結果に責任を取ろうともしない。ましてや「これはやり過ぎたのでは?」と思う事もない。
大量の人間を集めて、一人の人間を徹底的に糾弾するほど、社会的に強いメッセージを発している。にも関わらず、問題が起きても、誰も責任者が出てこない。これはあまりに情けない話で、呆れている。何故フェミニストはこんなにも無責任な人間の集まりなのだろうか?
オープンレターでもう一つ興味深いのは、「教授」などの肩書きをとても重要視している事だ。単なる署名であれば肩書きは不要であるはず。肩書きをつける事で権威を付けて相手を攻撃しようと言う意図を読み取る事ができる。
たわわの件でも「UN WOMAN」が日経新聞に抗議するというアクションが取られている。
演繹的な議論を嫌う性質と、結論ありきの権威主義は相性が良いといえば言い過ぎだろうか?
この文を読んで、「アカデミックなバックグラウンドを持つ人物かどうか確認出来ないからダメ」と考えるならば、それはつまり権威主義の病が膏肓に入っていると言えるだろう。
フェミニストは自分を省みないので、まともにこれを読まない人間がきっと多数だろうが、フェミニストでなければ首肯する点が多いのではないか。
また、上記の逆になるように行動するようなフェミニストは健全であるとも言える。皮肉ではなく、そのようなフェミニストであれば全力で応援したい。
他者にばかりアップデートを求めるフェミニストに自らのアップデートが出来るとは到底思えないが、実現すれば結果としてもっとジェンダー的にフェアな状況が生まれるように思える。
若い世代でフェミニズム離れが進むのは、こういうフェミニスト・フェミニズムの(卑怯な)特性に嫌気が差している部分も大きいと考えるからだ。
面白いなー。園子温への対応の話以外にも一貫性の無さを取り上げているのだけど、園子温の件を否定できれば俺無罪!!という感じのブコメが多くて興味深い。通底するテーマは批判するかしないかに関する基準の無さ、一貫性のなさだよ。園子温に対する考え方をちょろっと批判した、という程度では揺らがない部分。
BL無罪の人なんて、フェミニストの矛盾を体現するようなアクションだったけど、そこには全く目を向けない。まー、フェミニストは、自分に問題があるかもしれない、という論理は受け入れ無いということが良くわかる。
lacucaracha:
有罪だから語るべきものがない、って不思議な論理だね。UN WOMANが、園子温(や榊秀雄)のような現在進行形の問題よりも先に、たわわのように複雑な議論が必要な事象を糾弾したのは何故?
cinefuk:
「女性差別的な文化を脱するために」と、特定の人間を貶めるためにフェミニストが結集し、オープンレターを叩きつけ、失職に追い込んだのと比べると、今回は弱々しいですね。名指しでないオープンレターぐらいはあってもよかった。
(女性原作者のオープンレターをフェミニストの手柄にするような下衆しぐさはしませんよね?)
「たわわ」との違いは、園を免罪しようとする擁護が出なかったからでは。炎上案件は、フェミの批判より反フェミが盛り上げてる印象
たわわには反論すべき論理もあるけど、それ故に炎上の責任を負わされる、という構造があるのであれば、それは容認していいの?
ウクライナが抵抗したから戦争が激しくなった、みたいな論理ですよ、それ。
todomadrid:
園子温を支持しているフェミニストなんて存在するの?そしてそもそも、広告のバッシングは広告主や媒体、もしくは痴漢をバッシングしているのであって、オタクをバッシングしてるわけじゃないので勘違いでは。
何で「園子温を支持している」にすり替えてるんだよ。こういうフェミニズムの卑怯さの構造を説明したんだからしっかり読め。
フェミニストのオタクバッシングは結構見苦しいものがあるので、これも話をすり替えないように。だから、たわわと園子温事案の熱量の差は何だよ?という話をしている。
kohgethu:
誰が性的加害やらかした映画監督どもを無罪と言ってるんだ?奴らは粛々と社会的制裁を受けてるし騒がなくても罰せられている真っ最中なので騒ぐ必要が全く無い。もしも当人が足掻いたならたわわレベルに炎上するよ。
https://www.jprime.jp/articles/-/23703
Domino-R:
一昔前に、一部の女性が自分はフェミニストをやめたと、怒りながらに距離を置くのを見ていたが、理由が分からなかったんだな。
フェミニストとの議論を通じて気付いたのは、フェミニストの立論が場当たり的で、論理がなく、端的に不誠実だという事。何故か自己中心的で、話のすり替えに余念がないクズが多くて、腹が立つ事がやたら多いんだよ。
フェミニストは、ツイフェミに限らず、例えば立憲民主の中で、まともな議論を尽くさずに議員を辞職させたりしている。害悪が大きくなるばかりじゃん。その構造がクリアでなかったので、まず見える化をしようとして書いた。
今回まとめた特徴に合致しないフェミニスト、ほんと見つからないね。居たら連れてきてよ。1人でも居ます?
こっちに移動
https://twitter.com/nae_auth/status/1516394011325571072
このツイートが話題となっている。スレッドの上のほうで「ゾーニング」がどうこうと言っているので、『月曜日のたわわ』の問題についての話ということでいいはずだ。
このツイートで特に問題になっているのは、「自由な娯楽を嗜むには一定以上の知性が必要で、そうでない人には自制が難しく作品に影響され自分勝手で感情的な行動をとりやすくなってしまう」という部分だ。
多い批判が「選民思想だ」みたいな話である。まあ選民的でないとは言い難いのだが、youtubeとかYahooニュースのコメントとか見ればわかると思うけど、世の中話が通じない人っていうのはかなりいる。娯楽作品を「正しく」楽しめる人っていうのは、楽観的に見て、世間の半分、いや三分の一……くらいは……いてほしいが、多分「マイノリティ(!)」である。
この主張は、要するに娯楽作品の犯罪描写に影響されて犯罪を起こす、という話に基づいている。これについてはいくつかの研究があったと記憶しているが、肯定的だったり否定的だったりする結論が出ていたはずだ。
これらの研究のどちらが正しいかという話をしたいわけではないので、まあそこはなんとも言い難い。ここで問題なのは、科学的な議論ではなく、表現の自由のような社会問題を論じるときに、このような(たぶん)科学的な研究に基づいたフリをして、賛成・反対に立つ人間が主張することである。
そういう人たちが、論文を読み比べた結果としてどちらの研究がより正しいと考えられるのでそちら側に立つ、なんて手順を踏んでいるわけがない。結論に合致する研究を持ち出すだけだ。大麻合法化とかの話もこういう議論が行われているはずで、これの良しあしがどうとかいう以前に、議論が成立するはずがない。
で、いわゆる「表現の自由戦士」(この言葉に「ネトウヨ」とかみたいに侮蔑的なニュアンスが含まれているのかもしれませんが、単に他の表現を知らないので使っている、とポリコレ的な言い訳をしておきます)の側にとってマズいのは、学者の間で、「人間は娯楽作品の表現に影響されて犯罪を起こす傾向がある」という考えがコンセンサスを得てしまうことだろう。
彼ら戦士たちは、上記のようなことはない、という立場の研究にかなり依拠して自らの主張を保持しえているのだから、もしそういうことになったら大変だ。大体学問の世界は割とリベラルが力を持っているわけで、結構危機的なんじゃないだろうか。
わざわざこんな文章を書くくらいだから、私も娯楽作品の内容に規制がかけられたくはない側の人間である。単にポリティカルにコレクトな内容の娯楽なんか読まされてもクソつまらないからというだけなので、「表現の自由戦士」のみなさんには怒られそうですが。
そういうわけで、学問の世界が(日本のクソバカな)リベラルにとって都合のいい方向に行ったときに、表現が規制されるということはこのままでは避けられないし、実際(単にクレームとそれへの対応によってではあるが)様々な「自主規制」が幅を利かせ始めている状況である。
一方で「創作に影響されて犯罪を起こすことはあり得ない」というのは、ある種創作を矮小化しているのではないか。
そこで、リベラルの理屈をひっくり返して使ってしまえばいいのだ。ここでは、「娯楽作品の犯罪描写に影響されて犯罪を起こす人がいる」という話はある程度事実だと認めてしまおう。
でもって、「自制が難しく作品に影響され自分勝手で感情的な行動をとりやすくなってしまう」「自由な娯楽を嗜む」のに必要な「一定以上の知性」がない人もいるという側面もあるにはあるだろう。(ただし、私はこういうのは「知性」というよりは、「常識」とか「(人文・社会・自然)科学的な素養」の問題なんじゃないかと思う)
宮崎勤事件の報道をリアルタイムでは知らないが、要するに宮崎勤がオタクで、ロリコンポルノに影響されて事件を起こした、という理屈がまかり通っていたはずだ。Wikipediaを読む限りはそれは否定されているようだが、有名ではなくとも、そういう事件はあったにはあっただろう。
日本で語られる「犯罪の動機」が大体警察の作文であるにしても、根っこにそういうことが潜在的にあること自体を否定するのは困難だろう。
しかし、宮崎勤事件もそうだが、センセーショナルに報道される事件というのは、無差別殺人みたいに、わかりやすく怖くて視聴率が取れる事件である。たいていの犯罪は、非常に狭い人間関係での問題か、経済的な問題によるものであって、そういう事件はレアケースなのだ。
まして「自由な娯楽を嗜む」のに必要な「一定以上の知性」がない人が、それが原因で事件を起こすというのは、世の中の犯罪のなかでも非常にレアケースで、リスクは自動車とかのほうがはるかに高いだろう。
そんなことをいちいち予防して回るのは、過保護としか言いようがない。
しかし一方で、そういうので「不安だ」とかみんな言うわけである。ちょっと違う話だが、(ポルノとかじゃなく、ガチの)性犯罪者にGPS発信機をつけて位置情報を公開すべきだ、と言う話について、「不安を解消するためには、この程度の人権の制限は必要だ」という意見が、有名人から発信されていた。個人的には、人権をそんな風にとらえる人間が同じ社会にいるのは結構「不安」なのだが……。
リベラルな人らが大好きな日本国憲法を読めば、権利の制限は「公共の福祉」に基づくべきだ、とみんな理解できるはずだ。「安心」なんてものは「公共の福祉」なんかではありえないだろう。「不安」なんてことのためにいろんなことを規制するのは、公権力がやるべきことではない。
大体、世間の人々が不安になるのは、マスメディアの報道に「影響されている」からだろう。日本はこんな社会なのに、恐ろしいことに犯罪は減少傾向だったはずだ。みんなもっと科学的思考をしてほしい。特に学問しか取り柄のないリベラルな学者のみなさんは、このような世間の風潮を批判すべきであって、それに便乗して、多くの善良な人々を、人権などクソほども守られない日本の監獄にブチこめるようにすることなんか望むのでは、「リベラル」という言葉は無意味どころか逆の意味になるじゃないか。なってるんですけどね。それも「グローバル」に。
「表現規制」に反対する側が言うべきなのは、以下のようなことだろう。
「娯楽作品には人を影響する力があるし、それによって犯罪を起こす人もいるかもしれない。でもそんなの犯罪の中ではレアケースですよ。あなたたちテレビの報道に『影響されて』言ってるんじゃないの?そんなことのために我々『一定以上の知性』がある人々から自由を取り上げるのは、『マイノリティ』の迫害だ!」
実害として京都人のイケズに迷惑を被ってきた経験から、ネタなんかではなく、真面目な問題として取り上げてるんだよ。
むしろ「京都人のイケズをネタにしてる~」とか言ってる奴は、京都人の陰湿な嫌がらせを「ネタ」程度のものとして軽く扱って矮小化してるだろ。
京都人をイケズ扱いするなって言うなら、せめてまずはイケズ撲滅運動を始めろよ。誰もやってないだろ。
だからオレはこれからも「京都人のイケズ」という名の陰湿な嫌がらせについて、問題として取り上げて指摘し続けるつもりだ。当然ネタなんかではない。
この件の話な。
「京都人はイケズ」という説のせいでバスの中で泣いている赤ちゃんとママさんに「大丈夫ですよ、お元気でかわいいですね」と声をかけた...
>大島新という、過去に性加害者を告発されている人物と仕事をしていて、「その加害が真実であれば責任を取れ」という、あたりまえの声明に「なぜか」特定期間の潔白を、自分が観測した範囲しか知らないクセにつけ加えるという謎の行動を取る人間がいました。
意味がわからない、「自分が見ていた特定期間では潔白であったものの、それ以外の期間の潔白を証明するものではない、よって加害が事実であれば罰を負うべき」という話をした人に対して、どういうことがあれば『謎の行動』になるの?ふつうに、自分が見た範囲では加害はなかっただけのことでは?
>大島渚は、「なぜか」自分が現場を見たわけでもないのに性加害の事実を、わざわざ矮小化せんとする発言をしていた人物でした。
はあ。
>俺は、大島渚という、性被害者を自分の無根拠な妄想で蹂躙する人間を、絶対に許さないと思っていました。
はあ。
>ということを、たまたま、大島新という、大島渚の息子の名前を見たことから思い出したという意味のあっ……なわけ。
はあ??
>ある単語が別の単語と関連していて、別の単語に関する個人的な思いが喚起されましたというだけだから、あっ……なわけ。
あのさ、君さ、マジでそれを言ってるの?だいじょうぶ?
ああこの大島新は、自分が見た範囲では加害はなかった(が、それ以外であったことにはならない)って言ってるけど、その父親の大島渚は許せない……!!!だから、息子の話のときは父親の話をするぞ、息子もなんかおかしな感じに違いないってことにするぞ……!!みたいな話をしたいの?
あのさ、君さ、マジでだいじょうぶ?
ちょっと本気で大丈夫?なんかドン引きしちゃう人からレスがきて怖いんだけど、マジで君、それをいろんな人に言ってるの?みんなからどういうレスが返ってきた?
『独身非モテ男性にとって選挙の争点ってマジでエロ漫画規制くらいしかなくない?』みたいな言説にこそ真っ先に怒るべきだと思うんだけどね
男性にもいる筈の社会的経済的弱者の存在を完全に透明化し、男性の欲求全てを『エロ漫画規制』のみに矮小化している
という言葉を河瀨直美監督の東大入学式の祝辞を読んで思い出した。ナチスの将校にも、大日本帝国の兵士にも、自分たちの行為を正当化する「内在的論理」があった。
だからこそ、それを悪魔化して切り捨てることなく、真摯に分析して、過ちを繰り返さないために再び社会に包摂していくというプロセスが必要になる。
ロシアという国もいずれは国際社会に復帰し、そのようにして再統合される日が来るだろう。
しかし、彼らの主張を他の正義と同じ水準に並べることには慎重でなければならない。なぜならそれは彼らの蛮行を正当化する主張に力を与える行為に他ならないからだ。
河瀨監督の真意はともかく、その語りの重心が「悪魔化された対象の包摂」よりも「ロシアの蛮行の不用意な相対化」に傾いていることは否定しがたい。
ひとりの宗教家の「あれらの国の名前を言わへんようにしとんや」という遠回しな言葉を引用するとき、「ロシア」「ウクライナ」という具体的な国名があえて補われている。
そして「その国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら」と相対化を試み、「一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?」とダメ押しが加えられている。
が、「ものの本質」が何なのかという具体的な説明はなされないまま、語りは「自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです」という一般論的な自省へと流れていく。
ここで分かるのは、「ロシア」と「ウクライナ」は一見するとまったく具体的な固有名詞のようだが、このテキストでは単に「同じ水準で対立する2つの正義」という抽象化されたアイコンにすぎないということだ。そしてそのような使われ方によって、両者の「正義」の対立が同水準であることが暗示されてしまっている。
また、ロシア悪玉論を揺さぶるオルタナティブな視座として提示されているらしい「それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?」という問いかけは、実のところは開戦当初から繰り返しメディアに登場してきたものだ。
これもまた「ロシアを悪とする議論はこのような基本的な問いかけすら踏まえていない」という誤った矮小化を導きかねないものだと思う。
河瀨監督がミスリーディングを意図したとは思わない。だが、このウクライナ問題の扱われ方は、同じ祝辞の中で語られる「たった一つの窓から見える光景を深く考察すれば、世界に通用する真理に到達できる」という世界観の限界をまざまざと示している。
河瀬さんが訳の分からんことを言って左右を超えて四面楚歌になってる件、当然はてブでも叩かれていた。
[B! ロシア] 東大で入学式 来賓の河瀬直美氏 「ロシアを悪者にすることは簡単」:朝日新聞デジタル
問題になったのはこの部分なわけだが…。
管長様にこの言葉の真意を問うた訳ではないので、これは私の感じ方に過ぎないと思って聞いてください。管長様の言わんとすることは、こういうことではないでしょうか?例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。
このうちの「悪者にすることは簡単」の部分がタイトルになって特に叩かれた部分なのでそこを中心にこの増田を書くとしよう。
これ、ネットで一時期流行ってた類の陳腐な正義の暴走論じゃないの?実際にこの祝辞を抽象化してみようか。
(2) 正義と正義がぶつかり合っていると考え両者の意見をよく聞いてみることが必要ではないだろうか。
(3) 悪と断じて切り離すよりも自分事として自省することが大事だ。
この(1)(2)は正義の暴走論における典型パターンだ。まあ正義の暴走論でなくても一方的に悪のレッテルを貼り糾弾することはよくないことだという論法はよくある。
悪と認定することについて例を出せば、ナチスについて「絶対悪」だと論じた記事にも「世の中に『絶対悪』などと言うものが存在するという考え方も十分危険」「絶対悪とか言い出す人って、時代が違えばホロコーストやってた方なんじゃないかと思う」というコメントがついた。あのナチスですら、だ。
[B! 歴史] 新書の役割――「ナチスは良いこともした」と主張したがる人たち(田野 大輔)
それとも「世の中に『絶対悪』などと言うものが存在するという考え方も十分危険」と「誤解を恐れずに言うと『悪』を存在させることで、私は安心していないだろうか?」には大きな差があるだろうか。「絶対悪」と「悪」は違うということなの?
「一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?」という文章があると意味が変わるとか?それならこの部分を叩くべきなのでは?
まあ、そもそもきっと恐らく同じ人が書いているわけではないだろう(両はてブで誰がどんなコメントをしているか比べるつもりはない)から、一方が優勢なら他方は黙って他方が優勢なら一方を黙って様子を窺っているだけで意見が変動したように見えるだけだとも言えるかもしれない。
ただ、正義の暴走論って例えば「何かを悪だと決めつけるのは危険だ。ファシズムだって正義の暴走から始まった」って議論が数年前ツイッターとかで起こったらしいけど、こんな感じである意味将来惨禍を起こさないようにする謙抑的な目的を持った思想でもあったはずなんだよね。個人的にはこういった論は期せずして矮小化や擁護に繋がってしまいがちではと危惧するし悪しき価値相対主義に陥りそうで不安になるんだが、一方で自省的な側面に意義があるとも思ってたわけです。
つまりこういう時どう考えても悪(いや侵略行為はどう考えても「悪」でしょ?何か時代によって価値観は変わるからって言う人もいるけどそういう話ではなく)だと考えられる行為を行っているものが悪認定されてボコボコに言われていれば言われているほどこういう論が出てこないとその意義は達せられないよなと思うとこもあって…。いや言い出しにくいよ。現にナチスがユダヤを虐殺している最中に「絶対悪が存在するのと考えるのは危険」なんて言ってみ?最悪だよね。人格を疑われて当然だと思う。でも誰もが悪だと考えている時に異議申し立てしてこそという話になるのでは感はある。
でもそれができずに過去の出来事に適用して話をするだけなら意味もなく矮小化しかねないリスクを伴うだけでどうしようもない論法じゃね?まあくだらないことで炎上した人を過剰な叩きから庇うことには使えてるからいいのかな?中途半端な理解で口を出して火に油になるパターンもあるけどそれは使い方が悪いということで。