はてなキーワード: 矮小化とは
「山上容疑者の私怨だった。政治目的ではないから、テロではない」
という主張をよく見かける。
そのへんって、どうなの?
法令上の定義とか、学問上の定義とか、細かく分類できるんだろうけど、テロと呼ぶことは間違いなの?
しかし、Twitterでは左翼論客がこの事件を矮小化するため、テロという見方を否定し、「安倍が殺されたのは私怨トラブルだ」と言っている。彼らは安倍元首相をテロの被害者だと認めたくないらしい。そのようにして安倍晋三と自民支持者を叩きまくっていて、私には卑劣に見えた。
ところが実際には、共産党は声明などでテロと呼んだ。立憲民主党の泉代表や辻元清美もテロという言葉を用いた。もしこれがテロでないとすれば、野党側もさっさと頭を下げ、うかつにテロと言ったことを謝罪・訂正する必要がある。
Twitterのボケどもは森羅万象ネタツイにせんと気がすまんのか?
こんなことが起きたのに宗教矮小化して身近なちょっとハマってるモノ宗教認定して遊んでる奴、間接的に統一教会に寄与してるようなもんだろ。
というわけで「ま〜ん(笑)」は同性愛サロン板で生まれたんだぜ?当時の女2ちゃんねらーごめんな!だけど腐女子マジでうざかったよ!って話でしたw
マジで草
腐女子に対する偏見と歴史修正とヘイト振り撒いといて何を言ってるんかね
歴史修正どころか1時間前の自分の言動すら修正して矮小化しようとするとはねーw
これは草草の草ですよw
自分でも
とか言って偏見ばら撒いてるくせになぁ
Twitterのタイムラインでちらほら見るのがほんっっっとにむかついてしょうがないから書く。
先日の霊感商法対策弁護士連絡会の会見以降、世界平和統一家庭連合(旧 統一教会)の献金要求のやばさとか、信者の周囲の人たちの悲惨な実態が改めて報道されたわけだけど。
それでインターネッツ空間も「統一教会ほんとやばい」みたいな空気になり、Twitterでも統一教会に限らずカルトの勧誘に遭った体験談とか、そういう話題がよく流れるようになっている。
で、私がいまむかついてしょうがないのが、上納金の多さに引っ掛けた主に「宗教団体への上納金がやばいって話で」という枕で始まる「弁護士会に」「医局に」とかいうツイートを始めとした(正確に言うと震源地が上記いずれかのツイートであるかどうかは検証していません。すみません)一連の大喜利状態、もういちいち引用するのも癪だから雑にまとめるとスポーツチームとか推し活先とか、そういったものに上納金払ってるとかいうツイートで盛り上がってる現状な。
霊感商法対策弁護士連絡会の会見、私はまだ最後まで見てないんだけども、二世信者の人が実体験を話してくれたとこまでは見て、悲惨すぎて吐き気したわけ。
本当に悲惨としか言えない。もちろん山上容疑者のやった犯罪については許されるもんでは決してないんだけど、これまでの山上容疑者の境遇に想像を巡らすと、もう言葉もないと思ったわけ私は。
それをばさあ、あのTwitter民どもはさあ、わずか一日でこの悲惨で勇気あるあの信者二世さんの告発を、むたごらしいカルトの実態を元ネタに大喜利始めてキャッキャキャッキャ言ってんの。
そういうことしてただのバズネタとして消費して、問題を矮小化して、本当にカルト問題で悲惨な目に遭ってる人を貶めてることに気付かないもんかね?冗談を言うなって言ってるわけじゃないですよ。ネタにしていい話題とタイミングの分別もつかないもんかね?
一万歩譲って「弁護士会」と「医局」っつってたツイートについては、まあもしかしたらその仕組みに本当に問題があるのかもしれない。私は弁護士でも医師でもないので分からない。でもさ、今回のカルト被害者の話に引っ掛けて言う性質の問題なんだろうか。
言語道断だと思うのはオタクやべえwみたいな(推し/活動に貢いでてやべえ みたいな)文脈で今回の話題に乗っかってくるやつ。それいまの流れで言う必要ある????純然たる承認欲求だよね????
私自身が元エホバの証人二世ということもあり、まあ今回の話題については感受性つよめになってるとこはあると思う。けど前から薄々感じてたものの今回ついにTwitter民の「オタクつよいw」みたいな自意識からのなんでもかんでもトレンドの話題として消費する、って姿勢が耐え難くなったのでここに投下する。あいつらもう少し考えたほうがいいわ。
そして最後になったが、この度改めて霊感商法対策弁護士連絡会の弁護士さんや元二世信者さんによって告発された旧統一教会の問題がきちんと追求され、この問題に苦しむすべての関係者が救われることを心から願っています。
金正恩が暗殺されて動き始めるスリーパーセルがいるのかは不明だが、安倍晋三が暗殺されたあと、なぜか安倍と統一教会の関係を無かったことにしたり、矮小化したりする学者くずれがうじゃうじゃわいたのは事実だよな。
うーん、実際いまも信者洗脳して金むしってるんであればそれはやっぱり問題になると思うけど。
ほかにもやばい話はある!ってんで、すべてがオーケーとはならないんじゃないかな。
あとこの話って支援団体一般の話である以上に、あれだけ嫌韓煽ってきた自民党が裏では韓国情報機関由来の反日カルトと関係を持ってた、っていう点で、日韓関係を理解するうえでも重要な意味があると思ってる。
ほかにもマスコミの態度とか見てたら、西側のようにジャーナリズムが機能して政権の腐敗を正し、国民を啓蒙して民主主義を機能させるというシステムではなくて中国やロシアに近い統制国家なのかなと思えてくるし、黒い話はある、清濁併せ呑むとかだけで済ませる事態ではないと思うんだけど。
黒い噂が小さくなってるっていうのもメディアが握られてるだけの可能性もあるしね。実際ワイドショーにそのまんま東とかスシローとかが出てきて必死に矮小化していた。あなたも全部知ってるとは限らないのでは。
まず最初に、安倍元首相のご冥福をお祈りします。
今回の事件、犯人は事前に射撃練習を重ねるなど用意周到であり、直前に安倍元首相の応援演説が決まったこともあり警備対策は困難であったと思う。
自分も事件直後は、警護は結果責任が重要な職務であり責任は問われるべきだと思うのだが、一方では、たまたま警護の責を負った奈良県警は不運だなとも考えていた。
しかし、Youtubeに上がっている複数の警護訓練の画像を見て、これは個別県警というより県警を超えた全体の警察組織の構造的な問題ではないかと考えるようになった。
(映像の中でも要人警護のあたりからスタート。都合よい切り取りではと思ったら通しで見てください。)
もちろん、これはマスコミや一般用の公開映像だということは留保すべきだとは思う。
外部に見せるための訓練として、ある程度のフォーマットが決まっているのではあろう。
しかし、どの自治体警察の訓練想定も非常に類似しているし、今回の事件と比較すると理想的すぎる状況ではと感じてしまう。
そう感じる点は下記のような点。ほかにも色々あると思う。
・ 訓練シナリオ : 要人が車から出てくる→観衆に近づく→暴漢が飛び出す→車に退避
・ 観衆は20人程度で片側に整然と並ぶ
・ あらかじめ安全地帯となる車が用意されている
・ 暴漢が飛び出ると観衆も一斉にしゃがんで回避姿勢をとるなど、冷静に協力的に対応
・ 警護対象の要人も即座に回避姿勢をとり、鍛えられた成人の退避スピードで車に迷わずに逃走する
もちろん訓練の目的として基本動作を反射的に行えるようになることは重要であり、ある程度の共通の型は必要だと思う。
また、現場の警察官やSPの方は個人個人は日々努力されているであろうし、要人警護に対する責任感も強くあっただろう。
しかし、あまりに画一的な訓練を行うことで思考力や判断力を停滞させ、今回のような事態に臨機に対応できなかったのではと思ってしまう。
おそらく、全国の警察組織にわたって訓練マニュアルと公開向けの訓練マニュアルが用意されていて、それに従って行動することが徹底されてしまっているのではないか。
上記の映像を見ていると、訓練プログラム自体が機能していなかったのではという思いに駆られる。
今回の件を警護に当たったSP・奈良県警個別の責任問題のみに矮小化するべきではないと思う。
非命に倒れた安倍元総理に殉じ、現場警察官の努力に報いるためにも、警察は構造的にプログラムを見直した方が良いのではと考えた。
仁藤夢乃氏(どういう人なのか私は知らない)が今回の事件に絡めて安倍政治批判を行い、その内容が「自業自得」と要約・報道されて仁藤氏が怒ったという一幕があった。
なお発端ツイートについては私もあまり賛同していない。政治家の不正義を殺人と並べるのは不適切だと思うし、また、権利や安全をゼロサム的に取り合うものと捉えているように読めるので。
しかし、発言の妥当性以前に、解釈を間違うことに対しては慎重であるべきだ。
(追記:ここで書いた「犯人の責任」にはかなりの疑義があるようだ。下の追記でも言及したけど、確かに表現としても切り口としてもイマイチだったという認識になってきている。反省。)
「自業自得」という表現は基本的に「他責にするべきではない」という意味で使われる。
今回の事件で安倍氏に「自業自得」と言い放つのは、「犯人の責任はあまり大きくない/問題視すべきでない」という含意を持つことになる。
仁藤氏はそれを言っていない(内心どう思ってるかは別として、ツイート中の文字として現れていない)。
仁藤氏の主張に賛同するかはまったく別の話だし、かつ、「自業自得」という解釈を招くような分かりにくいツイートだったのも確かだと思う。
しかし、間違った要約をしたりそれをもとに非難したりするのも良くないことで、仁藤氏側の不手際を指摘することでチャラになるとは思えないんだけど、どうだろう。
いちおう、次のような反論はできるかもしれない:
再反論としては:
とはいえ、私も「意図が無ければセーフwww」には反対なので、難しいところではある。
書いたけどなんだか自信なくなってきた。
augsUK "法に反した暴力は許されないので、犯人は悪いし咎められるべきである"が、どうして当然の前提として共有できてると思い込んだのかがわからない。「凶行は許されない」とかの形だけの枕詞すら書いてないのに
仁藤氏との間で「共有できてる」かは分からない(もしかしたら仁藤氏はとんでもなくアナーキーな人物かもしれず、そのソースを示すことができれば上述の解釈をひっくり返すことができる)。
少なくとも世間的には共有されていることなので、それに反する明言がない限りは「共有できてる」という前提での解釈のほうに分があるし、もしその前提が成り立っていないのならそれを示す何かを記事中で紹介するべきである、という考え。
poko_pen 普段は「誤解させる発言をしたのが悪い」なのに、フェミニスト案件だと「誤解した相手が悪い」「国語力がない」かとなるのね。
どっちが悪いとか言い出すと不毛なことになりがちだけど、「誤解」の責任がどちらにあるかを強いて言うなら仁藤氏のほうである気はする。(追記: その要約を流布するにあたっては別の責任が発生する)
どっちがどっちだろうと意図を汲む努力はあって良いと思うけど……。
あと「国語力がない」は私含め人類共通で、どっちか一方に欠如しているのではないと思う。
colonoe 赤松健のツイートは適当に要約するのに他の人だとそうでもないんだな/追記:この増田じゃなくてブコメに対して書いたコメントです
私の普段のブクマの話かな、スマソ。解釈を試みるも失敗しているか、字数が足りないか、私の話題選択にバイアスがあるかのどれかだと思う。
hdwdgfva 百文字じゃ足らん。例えば「外務省の制止を振り切って危険地帯に行った結果、タリバンに捕まっても自己責任だよね。」って言う主張があったとして、これタリバンの誘拐を免責する発言だと思う?
gagababan 「地震でA地区が土砂崩れを起こしたのはA地区の工事反対のせいだ。自業自得」という際に用いられる自業自得は土砂崩れの原因が地震でないを意味しないんだが。何が国語力案件だ。
トラバ反応で書いたけど、どうも「自業自得」から受け取るニュアンスには幅があるようだということが分かってきた。上記の例示には確かに私の話は当てはまらない。
犯行の容認に繋がるかが争われていないのであれば私にそれ以上の異議は無いです(仁藤氏の発言そのものの妥当性を擁護していないことは先述の通り)。
あと「国語力案件です」は「なんかこれって国語のテストの問題みたいだよね」みたいな考えで無邪気に書いてしまったものだけど、誰かの国語力の低さを揶揄しているという受け取り方が可能かもしれない。ので撤回します。
casm 「業」(カルマ)についての理解が足りていない。/追記:トラバでの気付きを基に、次はカルマ思想について学ぶべし。自業自得は仏教用語。
興味深い、そうしよう。
nunune 安倍さんが殺されたことと、彼が政治家として行ってきたことを1つの話題で語ろうとしないほうがいい。じゃないと、その意図はなかろうと結果的にいじめられる側にも問題がある的な理路になってしまう。
qawsedrftgyhujikolpzxcvbnm123456 真実は1つだけど原因は1つじゃない 被害者に電車に乗るから痴漢に合うんだって言う奴が居たらソイツは屑だが悪い事した人がすべきじゃなかったはド正論
この問題はありますね。一緒に語ることか? 仮に犯人を免責しないからといって、被害者への責任追及は二次加害ではないか? 本件が違うとしたらどのような点が違うのか? この先は本稿とはまた別の話。
この解釈はおかしい、という指摘があった。なるほど、この含意が無いんだったら話が変わってくるな。
私には、「自業自得」と言ってしまうとなんだか犯行を容認しているように感じられるんだけど……(私もまた、無駄に相対的な比較をしてしまっているのかもしれない)。仮にそうでないなら当該記事も間違ってないと言えるかも?
これは同意ですね。
私は「犯行の容認」という観点に言及したが(他の記事で、反安倍な人は犯行を肯定するはずだという趣旨のブクマを多く見かけたのに引きずられたかもしれない)、そんなニュアンスは元々無いという反論を多く貰ってしまった。
もう少し一般化すると、自業自得と言い換えることで余計な(かつ、非難に値するような)意味を追加していないか、ということを問題にしていたのだった。
ここ最近、SNSやネットニュース上では「親ガチャ」「毒親」という言葉が流行しているが、自分はどうもこれらの言葉が好きにはなれないでいる。
いや、正確には「言葉自体」が嫌いなのではなく、「その言葉を使うことを無条件に肯定する人間や風潮」が嫌いなのであろう。
その嫌悪感は、「親の言うことは無条件に正しい」「産んでくれたことに感謝しろ」「みんな大変なんだ、自己責任だ」といった無根拠な精神論、根性論によるものではないということは、初めに強調しておきたい。
どうも、インターネット上ではこれらの言葉に反感を抱く者は、上記のような精神論を振りかざしていると、誤解により、若しくは意図的にレッテルを貼られ、
「無理解な大人である」とカテゴライズされることを免れないようだが、せめてもの抵抗として、ここにその旨を記しておこう。
さて、私が「毒親」「親ガチャ」を不快に思う理由は、主に以下の3点にまとめられる。
この3点について、それぞれ考えを述べていきたい。
(精神的、身体的、性的)虐待をしている、経済的に困窮している、近所とトラブルを起こす、アルコール中毒者である、自身の進路や恋愛への過干渉、単に性格が合わない等々、
しかしながら、その言葉の意味の含有する領域があまりに広いことにより、非情にカジュアルな意味合い
(具体的には、自分の意見を聞き入れてくれないといった、思春期にはありふれたような悩み)でも使うことができてしまう。
この言葉の使用者の目線で言えば、自らの具体的な悩みを抽象的で使用しやすい概念を指す言葉に置き換えているので、
当然自らの状況が「毒親」「親ガチャ」に該当するのであると確信を持てている状態となる。一方で、この言葉を見る者からは、
「毒親」「親ガチャ」といった抽象的な概念を指す言葉から、発言者の具体的な悩みを推し量ることは難しい。
こういった「発信者」と「受信者」の理解に隔たりが生まれることは、良い状況を生まない。
発信者は深刻なSOSのつもりであっても、受信者は「カジュアルな意味合いで使っている者との区別がつかず、無条件に肯定し難い」のである。
この問題は、単なる親との不和を指す言葉として「毒親」「親ガチャ」を使う話者が増えれば増えるほど、深刻化していくだろう。
では、そういった発信者と受信者のすれ違いを解消するには、どのような方法を用いればよいのか。
私は単に、それぞれの問題に相応しい言葉を使うべきだと考える。
虐待は虐待、貧困は貧困、我儘は我儘なのであって、それ以上でも以下でもない。
果たして、「親から虐待を受けているから早く家を出ていきたい」「貧困のツケを子供に払わせるような親を恨んでいる」といった趣旨の発言に対して、
冒頭のような「親は悪くない/自己責任だ」と心無い言葉を浴びせる者が、そう多くいるだろうか。
たとえ同じ悩みについて語っていたのであっても、「毒親」「親ガチャ」と表現するより、遥かに受信者にはその深刻さが伝わるだろう。
「毒親」「親ガチャ」の言葉の定義の曖昧さに起因するカジュアルな響きは、「万引き」「いじめ」といった言葉において指摘されているような、問題の矮小化という欠点を抱えている。
(いじめや万引きは、その加害者や責任者が使うことによる問題の矮小化を指摘されているので、正確にはやや性質が異なることは承知しているが、毒親、親ガチャは被害者自らがそれに類似した矮小化を招いていると言える。)
自分の悩み、心の叫びを誰かに聞いてほしいのであれば、より正確に、相手にそれが伝わる言葉を用いることも一つの工夫であろう。
「毒親」「親ガチャ」といったサーチに引っ掛かりやすい、目につきやすい言葉を用いて形容することで、より多くの人の目に触れる可能性は高まるというメリットも確かに存在する。
よってその言葉自体を使うことを非推奨するわけではないが、用いる場合も自らの具体的な悩みを併記する方が、真剣に捉えてくれる人は多いはずだ。
これは、「毒親」「親ガチャ」を使用する側の問題ではなく、「受信者」の、更に言えば「大人」の責任の問題だ。
「毒親」「親ガチャ」を使うことは何も悪くない、どんどん使うべきだ、批判者は恵まれているだけだ、こういった無条件な肯定は、同世代の共感からくるものとは限らない。
自分が虐待などに苦しんだ、などの経験を持つ「善意の」大人からも多く寄せられている。
しかし私には、どうも「嫌ならやめよう、逃げよう」論と同様に、自らが責任を持たなくて済むのを良いことに、軽々しく注目を浴びたいだけの者や、
「毒親」「親ガチャ」といった言葉の存在を社会問題に繋げたい者といった、「悪意ある」大人が多分に含まれているように思えてならない。
(思えてならない、というのは正確ではないかもしれない。実際にそういった趣旨の発信を観測したことや、発信者のbioおよび過去の発信を観察した結果などから鑑みるに、上記の大人が一定以上の確率で紛れ込んでいるのが事実だ。)
1で述べた通り、「毒親」「親ガチャ」は曖昧な言葉で、本来は「虐待」「貧困」などといった深刻な問題から、単に思春期特有の不和なども含まれている。
そこに新たな社会問題が生まれたのではなく、「元々そこにあった問題が別の呼称をされている」に過ぎない。
もし社会的な問題が新たに生じているのだとすれば、青少年がSNSを使用する機会が増えたことにより、そういった「無責任な大人や唆したい大人」の意見へ触れる機会も、必然的に増えてしまったことこそが問題だ。
(無論、SNSの繋がりによって救われる人も多い。SNSそのものが青少年に悪影響である、と主張するつもりは全くない)
本来であれば、後から思い返して「自分が若かったな」で済む話を、周囲や社会へ責任を転嫁するような、拗らせてしまった人が量産されることは、自分は望ましくないと考える。
(「じゃあ『悪い大人』の狙いを嘯くお前の狙いは何なのだ」と聞かれたら、自分の幸福を守るためです。単に拗らせた他責性の強い人が社会に出てこられると迷惑なので。
ついでにその人自身も拗らせない方が幸せだとは思っていますし、正確な言葉でSOSを求める人が増えた方が、社会全体の利益に繋がるとも考えていますが。)
これも言葉を使う若者というより、それに付随する議論で生じる「悪い大人」の話に近い。
冒頭で述べた通り、「毒親」「親ガチャ」へ不快感を示す人は、その論の内容について考慮されることなく、「無理解な大人」のレッテルを貼られることが多い。
加えて言うと、「あなたは恵まれた家庭環境(親ガチャ当たり)だから恵まれない人の気持ちはわからない」というレッテル貼りを、非常によく見かける。
この論は全く筋が通っておらず、安易に社会の分断を加速させる、極めて悪質極まりないものであると私は考える。
何故ならば、「毒親」「親ガチャ」否定派の家庭環境についてはどう頑張っても想像の域を出ることはなく、属人的な論法でありながら「人」の部分を故意に都合よく歪めているからだ。
このやり口には一欠片ほどの正当性もない。
「毒親」「親ガチャ」という言葉へ好意的な者の家庭環境が、批判的な者よりも劣悪だったという根拠は何一つない。そもそも家庭環境そのものに対する評価が極めて多様なベクトルからなされるものであり、単なる比較がしづらい。
更に言うならば、「『毒親』『親ガチャ』批判派には人の気持ちがわからない」論者は、この点を最大限悪意的に利用し(または思慮深くないためか)、他者の家庭環境をジャッジしている。
親ガチャ批判派「自分も貧乏だったけど…」→虐待されてないだけマシ
親ガチャ批判派「自分も虐待されていたけど…」→裕福なだけマシ
といった具合である。彼らは相手によってゴールポストをずらすことで、自分たちが相手よりも恵まれていないことを強調する。繰り返すが、そこに根拠は何一つないのである。
先ほど、家庭環境については想像の域を出ない、と記したが、珍しくこの点についてある程度確度がある情報が世に出ているにも関わらず、誤った「ジャッジ」がなされた例もある。
昨年、某男性アイドルが「親ガチャ」という言葉に難色を示した件について、多くのネットユーザーが「お前は恵まれていただけだ」「アイドルになれる時点で親ガチャ当たり」
しかし、当該アイドルは幼少時に父親から身体的虐待を受けていた事実をカミングアウトしており、ニュースにもなっている。
虐待を行い、我が子に恐怖を植え付ける父親を、どういった基準で判断すれば「親ガチャ当たり」なのだろうか。全くもって理解に苦しむ。
「毒親」「親ガチャ」といった言葉を無条件に肯定する者の中には、勝手な想像で同情し、勝手な想像で批判する、
真の意味で他者の心に寄り添うだけの器量を持たない人間が多くいるということが、あの一件だけでも証明されたと言っていいだろう。
家庭環境について想像の域を出ないことは、「毒親」「親ガチャ」を使う人に対しての批判にも当てはまる。だから私は、「毒親、親ガチャは甘え」と、使用者そのものを批判するつもりはないのである。
ただ、「その言葉が多用され、繰り返し無条件な肯定をされると、社会は少し良くない方向に進む」と考え、非推奨しているに過ぎない。
・最後に
以上、3点にまとめて私の意見を述べてきた。
おそらく、「こうやって書くお前自身親ガチャ当たりなんだろ」と、全く内容を理解しているとは思えないコメントや反応も来るかもしれない。(そもそも誰にも反応されないかもしれない)
属人的な話をしたところで正当性が担保されるとは考えていないため、私自身については語る必要はないと思っているが、やや長めの文章を読めない人のために、家庭環境のうち、あまりよろしくなかったと感じている点を一応書くことにする。
私の両親は治療を要するレベルのアルコール中毒者で、父は酒を飲むと理不尽に怒るため、家の中で遭遇しないようにしていました。
母は酒を飲むと暴力へのハードルが著しく下がる方だったので、対処に苦労しました。今の関係性は身バレを少しでも防ぎたいので書かないことにします。
今回の文章を通して、それぞれの立場の人に伝えたかったことを簡単にまとめて、締めくくりたいと思う。
然るべきところ(学校や児童相談所)へ相談しましょう。インターネットで愚痴をこぼすことで発散するのも、それはそれでいいと思いますが、
本当に困っているなら、より正確な表現を用いた方が、真剣に聞いてくれる人は多いはずです。あと、悪意ある大人の、わかりやすいけど破綻しているような話には気を付けましょう。
その不快感の理由を言語化しないと、単なる無理解な大人と映ります。
深刻な悩みを抱えているかもしれない人へ、心無い言葉を浴びせるのは絶対にやめましょう。
本当に心配なら、言葉に不快感を示す人を煽ったり、無条件な肯定をするのでなく、
相談を呼びかける、貧困解決や、虐待防止運動をするNPOなどへの寄付をする(又は呼びかける)など、もっと当事者たちのためになることがあると思います。
https://project.nikkeibp.co.jp/behealth/atcl/feature/00003/061500126/
こういうの、なんで女性個人に啓発してそれで何とかなると思ってるんだろうな
若い女性の痩せ傾向って、どう考えてもマスメディアの影響が大きいと思うし、
実際のところ女は健康体重では太っているとみなされて美容体重にまで落として初めて人権を得られるような社会なんだから
それを個人の意識の問題に矮小化して「痩せているとこんなに危険です!」と啓蒙されたところで変わらないと思うんだよね
あと、女性が盛んに痩せたがるのって、太っているとそもそも「着る服がない」って問題も大きいと思うんだよね…
自分は最近必要に迫られて、ユニクロで久々にズボン(パンツ)を買ったんだけど、以前はMサイズだったがゆったりしたボトムを履きたくて
かなり大事をとってXLを買ったが、思っていたよりも余裕がなくてショックだった
一番大きいXLでこれなら、Lだとそもそも入らなかったかもしれない…
きついのは肋骨の辺りなので多分どんなに痩せてもきついのは変わらないと思う
普通にダイエットするだけじゃなくて、ちょっと前にバズってた肋骨を取る美容整形手術でも受けないと、着たい服を着るのは無理そう。
ネットで調べてみたところ、店頭にはXLまでしかないけれど通販では3Lまで扱っているもよう
3Lだったら入るのかな…?
でもネットで見たところによるとユニクロの服ってサイズが上がっても着丈が変わるだけで肩幅や袖の太さは変わらないというのも見掛けたから、3Lでもやっぱり駄目そう
基本的に誰だって差別者(加害者)と呼ばれたくないので差別性を指摘されても増田のようには受け入れられないことが多い。
当事者でなくてもどれだけ当事者性を自分に引き寄せて考えられるかが大切。増田は数日かかったが自分の子どもがそうなる可能性とか障害者の場合等を考えて自分に引き寄せて考えることができた。
それができない人、したくない人は自分を差別者だと思いたくないので自分の差別的な発言・行動を否認する。
そしてその正当性を確保するために指摘された差別事案の矮小化を行い、批判者の悪魔化を行う
(例:お前の性格が悪いだけ、あたおか、メンタル異常、当事者だけで解決すれば良い、関係ない人を巻き込むな等…一見もっともらしく聞こえてしまうのが怖いところ。)
そして同じ考えを持つ人同士でつるんでその考え方を強固にしていく。
結婚式程度に加害だのなんだの目くじら立てて発狂してる狭量さを指摘してるだけだが
後オマエの?!?を多用する文章、まるでパワハラ上司が怒鳴っているかのような暴力的な表現で心底傷ついたから謝罪しろよ。加害するな
同性婚とか別姓選択できない人からしたら腹立つの当たり前では…?!
何かの場面で自分は優位な立場になり得るってことをなんで認めたがらないの?!
急に加害者認定みたいでちょっと言葉強くてびっくりしちゃったか?!でもそこまで言われないと気づけない自分の視野の狭さとか反省しない?!
加害者みたいに言われるの嫌だからって与えられたものに満足しないのが悪い、自分でなんとかしないのが悪いって言ってしまう自己責任論にびっくりだよ。
他人の幸せにいらだつお前が悪い、精神異常だ、とかさ、そうさせてんのは社会構造じゃん。なんで個人の問題に矮小化させて見てみぬふりしてんの?
そういう狭量さ指摘されてんじゃないの?
とか言ってる俺も結婚式したばっかなので(ジューンブライド!)初見で正直イラッときてしまったが、一日、二日ほど考えて自分が良ければそれで良いみたいなひどい考えだったなと思ったよ。
結婚に限らず、例えば足が不自由で移動や使える施設を制限をされる人に対して自分は優位な立場だし、自分が同じ立場になったときどれだけ自分の心がドロドロしてしまうだろうかと考えた。
なのに「優位な立場の人を嫌な気持ちにさせるな、わきまえてろ」って言えるか?(言えるやつもいるんだろう)
と思ったら「結婚式の加害性」に苛立ってんの健常者の金と労働でバリアフリー化を求めるなとか言うくらいやばいと思ったわ。