はてなキーワード: 知識不足とは
私は、数年前に糞田舎の糞病院へうつった看護士だ。医者の知識不足による初期対応の遅れがあとを絶たない。人生を奪っている。
医療訴訟は、よほどのことがない限り病院が勝つ。つまり、現病院が犯してる過ちは法の下に守られる。
糞医者かいたずらに患者を殺めたり後遺症を残してる訳じゃないからだ。真面目にやって、その結果とんでもないことをしている。
そんな糞医者に対応された患者家族は、納得がいかない説明をされて終わり。訴訟をおこしても確実に負ける案件だ。あまりに不憫。
もちろん、前勤務先も医者による医療ミスはあったが、現病院はちょっと度を超している。
まあ、そんなことをしたら破産まっしぐらなのはわかっているけど、法人としての賠償義務を設けるべき。これは、今の糞病院に勤めてはじめて感じたことでもある。
私が勤める会社では車の点検・修理は行いますが、鈑金・塗装作業は道具もスペースもないため行っていません。
別の鈑金塗装専門会社に持っていき、そこで施工してもらいます。(複数の会社と付き合いがありますが、それらの会社とは人的・資本的な関係は一切ありません。)
いわゆる「外注」です。
弊社のフロントマン(お客さまと直接お話をする立場の者です。)がお客様相手に、この「外注」という言葉をよく使います。
お客さま「このドアの傷も直してもらえますか?」
といった感じです。
訊かれもしないのに、他社に施工してもらうことを言うのもどうかと思うのですが、
私も過去にフロントマンの立場で仕事をしていましたが、その時は「外注」という言葉を意図的に避けていました。
「外注」という言葉にどこかネガティブな気持ちを持っていたからです。
人任せというか、知識不足・技術不足をイメージさせるような気がしています。
正直に言って、「外注」という言葉を使って欲しくないのですが、
論理的に「外注」という言葉がどうして悪いのか、自分には説明できません。
みなさんはどうでしょうか?
先進国でも、発展途上国でも、みんながこのハイテクな板切れに夢中だ。
スマートウォッチ!スマートグラス!スマートスピーカー!スマート冷蔵庫!
「さぁ、君もスマート○○を手に入れて、もっとスマートになろう」
現代社会は、賢くなければ生き残れない。
スマートデバイスの代表例と言えば、やはりスマートフォンだろう。
スマートフォンはフィーチャーフォン(ガラパゴス・ケータイ)と比べて、どこがスマートなのか?
スマートフォンが登場した当初は既存のケータイと比べて「パソコンライク」に扱える印象があった。
パソコンのようにサイトを見ることができ、パソコンのようにマウスやキーボードを接続でき、パソコンのようにファイルにアクセスができる。
フィーチャーフォンはそれらのことが(基本的に)出来なかった。
「ケータイはパソコンに著しく劣る」という前提からのスマートフォンなのである。
比較的知名度の高いスマートウォッチやスマートグラス、スマートスピーカーであるがスマートフォンほどはヒットしていない。
スマートウォッチやスマートグラスは、まぁスマートフォンの周辺機器のようなものだ。
(スマートグラスに至っては盗撮問題が解決されない限り普及は困難だろう)
スマートスピーカーは主に裕福層<ブルジョワジー>や最先端技術愛好家<ギーク>が愛用しているにとどまるようだ。
(裕福層は豪邸に住んでおり手足を使わずにスイッチを音声コントロールするためスマートスピーカーを買う)
スマートデバイスは無数にあるが大成功といえるのは実質スマートフォンぐらいではないか?
他にはスマートフォン人気にあやかった周辺機器がそれなりに売れている程度だろう。
例えばドローン、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)、VRヘッドセット、3Dプリンタ、ロボット掃除機、シングルボードコンピュータなどが挙げられる。
安易にスマート○○と名づけてしまうのは方向性が明確でないためではあるまいか?
スマートデバイスのネーミングについて考えているうちに思ったことがある。
実はスマートフォンは、他のスマートデバイスと比べても特異なのではないか?
スマートフォン以外のスマートデバイスは「非コンピュータ搭載」→「コンピュータ搭載」というコンセプトのものが多い。
しかしスマートフォンに限って言えばフィーチャーフォンもコンピュータ(SymbianOSなど)には違いなかったはずだ。
(なおガラケーが本当コンピュータなのかについては知識不足により掘り下げて説明することができない)
スマートデバイスの代表例スマートフォンは、しかしスマートデバイスの中でも特異なのである。
思いついたスマートデバイスは大抵もうある。
スマートペン。スマート義肢。スマートカー。スマートバイク。スマートエレベーター。スマート監視カメラ。スマートインターホン。スマートドラッグ。スマートダスト。
傍から見るとあらゆる業界の開発者がスマートな使命感に燃えているようである。
それにしても製品を作っている当の本人たちは本当にヒットすると思っているのだろうか?
あるいは「これからはスマートの時代だ。IoTの時代だ」という有難いアドバイスのおかげかもしれない。
スマート○○を名乗れるのは早い者勝ちで最初のひとつだけなのである。
最初のひとつがスマート○○をうまく解釈して、うまく顕在化させて、うまくアピールできればヒットする可能性はある。
しかし、いまいちシックリこないものが最初にスマート○○を名乗ってしまえば、そこでおしまいだ。
先に商標などを押さえられてしまえば後続者は身動きが取れない。
新しいスマートデバイスのコンセプトとして、既にあるものをスマートにする方向性は厳しいように思える。
なぜならコンピュータを搭載しないで普及したものは、コンピュータを搭載しないでも普及できたためだ。
もし成功するスマートデバイスがあるとするなら、それは恐らくコンピュータを搭載しないと実現できないものだろう。
個人的には「スマートフォンを制御モジュールとしてドッキングする製品」という方向性にシフトしていくと予想する。
規格化されたスマートフォンスロットがあり(ファミコンカセットみたいに)スマートフォンを差し込むことで機能をゲットできるという仕組みだ。
(オーディオインターフェイスやスピーカーなどのジャンルでドッキングする製品はすでにある)
スマートデバイスはスマートフォンの一強だということに、みんなそろそろ気づくだろう。
スマートフォンがすごいのならスマートフォンとひとつになればいいというわけだ。
紹介会社から「3ヶ月のプロジェクト」と聞いていたがどうも妙な話ががが。
・pc持ち込みというので指定のwindowsノート買って行ったら他の人ほぼ全員mac
・環境構築も箇条書きの手順があるだけでホスト/ゲストが明記されてない上にmac前提で書いてあるので極めて困難
・当初言われていた機能とは別の機能を開発せざるを得ないことが発覚し、それが非常に重く開発時間の大半をその機能のために費やす
・機能仕様は書いてくれるのだが、根本的なシステム仕様とかERがないので何をやるにしても聞くしかない
・開発手順書とかコーディング規約とかがないので素で書いたらアホみたいに手戻りが発生。関数名とか変数名まで修正させられる
・1書くと1.8くらいになって戻ってくる
・どう考えてもリーダーが直接コーディングしたほうが早いし正確
・会議が非常に多い。毎朝の部署ミーティングに加えてチームミーティングがあり、さらに週一回は部署全体の進捗/タスク振り分け会議と会社全体会議がある。あと勉強会も
・進捗会議で半人前扱いされる。そりゃまこれだけ手戻りがある上に業務知識に依存してりゃそうだろうね
・入社年次での年功序列が顕著。その上IT知識でのマウント取りが顕著
・入って半月くらいのときに賃金減額を打診された。それを承諾したら逆にこの先何があるか分からないので「今月一杯で退所する」と言ったら月額から時給にするという話で形式上は減額なしの継続で落着
・最近知ったが俺の前に入った人が1週間で逃げたらしい
・「どう考えても契約延長はないだろう」と安心してたら契約延長を打診された
■感想
もちろんこちらの知識不足な面もあり、プロジェクトを通して学べたこともあるが、これはもっと若くて単価の安い人を正規雇用として育てていくやり方で、高単価の非正規を雇う意味がない
■結論
いる意味ない
調べたら色々と出てくる。 GPIF、過去最大のマイナス運用14.8兆円 株安響く=18年10─12月期実績 | ロイターとか。
こういうニュースを機に、積立金とかに加えて公的年金制度そのものへのよくある誤解に対して何とかしたいなとおもったので簡潔にできるだけわかりやすいように書く。
不正確な点については指摘してください。
現在の日本の年金制度は賦課方式といって、現役の人が引退した人の給付を負担して高齢になったら現役世代から給付を受けるという制度になっている。
この説明は正しい。ただこの説明は少子高齢化に伴って、3人の現役で1人を支える騎馬戦方式から一人が一人を支える肩車方式になり、現役世代は高い負担を強いられる一方で、今の現役世代が引退するころには現在の給付額よりも少ない額しかもらえない…というイメージを我々に与える。
ところが、世の中にはもう一つ、こんなことは起こらない年金のやり方がある。積立方式である。これは、現役の時の掛金を一人一人ずつについて積み立てて、それを運用してある程度増やしたものを老後に給付してもらうという方式である。この方式は自分の老後を自分で支えるから、騎馬戦だの肩車だのと言った問題は起こらない。解決である。
と言いたいところだが、これには落とし穴がある。
年金はなんのために受給するのか。それは多くの人にとって老後だろうが現役だろうが必要となってくる衣食住に加えて医療などの生産物を手に入れるためであると思う。ではそれは誰が供給するのか?
それはまあ考えなくてもわかると思うが、あなたが年金を受給するときの現役世代に他ならない。少子高齢化が避けられないなら彼らによる供給量は当然今の水準より小さくなる。当たり前だ。生産者世代自体がシュリンクしていくのだから。つまり、社会全体が取り合うパイが小さくなっているのだから当然現在より貨幣価値は下がる。ということはお金を積み立てておいて、2,30年前といった時期からお金を蓄えて将来の生産物への請求権を確保したつもりでいてもこれでは全然ダメになるだろうことは予想がつく。結局のところ、年金としていくら支給されようとその時代の生産物を確保できなければ意味がないのである(また、このことは現代の日本において、“若いうちに老後のための費用を貯蓄して自らの老後に備えるべき”という人口に膾炙した考え方も実は誤解である事を示しているのは注意に値する)。
つまり、年金制度において一番重要となるのはその時代における生産物。これを心に刻んでほしい。
積立方式は生産物という観点から見ると問題があるのがわかった。現在の日本のみならず多くの先進国で行われている賦課方式ではこれは問題にならないことがその制度から明らかだろう。
では冒頭にあげたようなニュースにでてきたような積立金はどうだろう?ちなみに、現在の積立金の総額はおよそ2,3年分(正確な数値は忘れた。別にここではさして重要でない)の給付を賄える額である。そして今後100年において年金給付の1年分になるまで積立金を使う事になっている(厚生労働省の公的年金の財政検証のページを見てほしい)。今後やっていけなくなるから積立金を切り崩すと言ってたコメントを見た気がしたがそれは単なる知識不足によるものである。
ここで重要となるのはこの今後100年分の給付における積立金の割合はたったの10%程度であるという事実である。これは調べればいくらでもエビデンスが出てくる。何を言いたいかというと、年金制度において積立金は貯金ではなく、単なるバッファーとしての役割を持つものなのである。つまり年金制度の維持という観点からみると、積立金の運用成績による短期での増減は全体から見てあまり大きな問題ではなく、一番重要となるのは掛金の増大をもたらす賃金の上昇および、社会の生産物を増やす人的な資本の増大なのである。
加えて指摘しておきたいのが年金の未納の問題である。これまでの説明からある程度分かるとは思うが、年金は貯金ではなくて保険なのである。保険では当然ながら掛金を支払わない人には保険金は支払われない。年金でも同様となる。つまり、未納分による保険料の分は当然、バッファーの役割を果たす現在の積立金から支払われるが、その未納者が給付を受ける年齢になっても給付分は支払う必要がなく、“浮く”ので結局未納分を取り返せることになるのである。なので未納によって保険料を支払っている人の年金が破たんすることはない。だから、年金を多く支払っているであろうはてなのメインユーザーの皆さん、安心してください。
もちろん、今の年金制度が完璧なのかと言われれば当然そんなことはないし、課題は山積している。ただ、現在の多くの人々が持っていると感じている年金制度に対する誤解を解きたいと思ってこの文章を書いた。
>エアプまるだし。
エアプ初めて聞いた。今調べた。まさに自分のこと。MMORPGはほとんど経験なくて、ドラクエXだっけ?をちょっとやってやめたくらい。
>「神話が語り継がれているのは普遍的な魅力があるから」というのと、「読者が英雄になりたい」論がまったく噛み合ってないぞ。
ここは確かに雑です。
主語が少し大きいかもしれないけれど、物語を読むときって何らかの形で、登場人物に自分自身を投影するということが起こるように思っています。異世界転生ものにしろ、神話・昔ばなしの英雄譚にしろ、何らかの形で感情委移入:投影が起こる。
神話の世界には自分を投影するというと誇大的になるかもしれないけれど、個人的な読書体験として、自分は王子でも何でもないけれども、ホメロスでもマハーラーヤナでも主人公に対するいくばくかの投影があったために物語を楽しむことができたのかなと思っています。勝手な想像だけど、ムラの長老がたき火を囲んで部族の子供たちに建国神話を聞かせるなんてイベントが、その時代には娯楽の一つであって、私がラノベを読むのと同じようなわくわく感を、その時代の子供たちも持っていたかもしれない、などと考えます。
物語を楽しむためには投影がなされる、その意味では神話もラノベも同じようであって、主人公への投影を容易にする点では、普通の人が転生して大きな力を得るという形式は、優れた構造といえるかなと思います。
>「異世界転生には神話類型が見られるから魅力的である」で済むところに、ゲーム云々を持ち出す必要があるか?
>「異世界ものが下敷きにしているMMORPG」?SAOからの流れでMMORPGの要素が一部に取り込まれているだけで、ジャンル全体に言えるような傾向ではまったくないが?
ジャンルもすべて把握しているわけではないので、この界隈の知識不足は否めないですね。
語りたいこととしては、異世界転生ものへの批判対象の一つである、「スキル、レベル、ステータス」といったモチーフのことです。これらはMMOでないRPGに起源があると思いますが、異世界転生ものが量産される背景として、MMORPGで主人公になれないユーザーのフラストレーションが、少なくとも初期にはあったと思っています。SAOはMMORPRGの要素が取り込まれているというよりは、MMORPGを題材そのものとして取り扱っているように思います。
なぜゲームを持ち出す必要があるのかというと、まさしくご指摘の通り、エアプな私が、ゲーム的な異世界転生ものをそれなりに楽しんで読んでいる傾向があるからです。MMORPGへのフラストレーションが著者の動機にある(あった)と考えているのに、フラストレーションを持つほどにMMORPG親しみを持たない”エアプ”の自分が、そこそこ異世界物を読むのはなぜなのか?それは、異世界物がライトな消費物としての、物語であったとしても、何らかの普遍的な構造を持っているのではないか?という疑問がエントリーの原点になっているからです。
>つか異世界ハーレムで挙げるべきは異類婚姻譚よりマレビト信仰だろ。異類婚姻譚を挙げるならモンスター転生などを挙げるべきだろ。
マレビト信仰も、場合によっては異類婚姻譚の亜型ととらえることはできるかもしれません。
https://www.jiu.ac.jp/files/user/education/books/pdf/833-56.pdf
モンスターのような外形上明らかな異質性を持つ”異類”でなかったとしても、異世界ものでは異世界を訪れており、そこで生活している人を転生以前の世界と変わらぬように描いていたとしても、構造上は、転生者にとって異類であると思います。
>まあ結局は後知恵の辻褄合わせとしか思わんがな。
おっしゃる通り。異類婚姻譚をもちだしたのは、神話類型に寄せるためのこじつけ感は否めませんが、ハーレム展開とまでいかなくても美しい異性と結ばれたいという構造はやはり神話・昔ばなしと同根と思えてしまいます。
>次はロクに研究対象も読まずに文学論モドキを騙る馬鹿がなぜ出てくるのか分析してくれよ。
jungianでもないのに、神話類型を持ち出して、文学論もどきを語っても、ちゃんと読んで批評してくれるからです。ありがとう。
https://anond.hatelabo.jp/20190122090529
の元増田です
接近戦の話はランチェスター戦略で詳細ぐぐってみて下さい
前回の話はランチェスターの第二法則、近代戦における兵力二乗の法則に従い、戦いは数だよ兄貴って話を書いたんですが
生存者バイアスだろ、と書いた増田がいたけど、というかこの増田に限らず、そもそも障害児の親になった時に生存戦略が描けない状態なんだと思います
軽度と重度、最重度では違いますが、中程度であればトリソミーでなくともこの数字です。
成人するまでに、我が家の末っ子が国や自治体からもらえるお金は、
1100万 です。
内訳は
特児 約800万
子供手当 約245万(三人目なので増額
福祉手当 約114万
成人後は?
健康保険は、年金全額控除の範囲、税金系はほぼゼロ、よって丸々使えるお金になります。
まあそのまま私の扶養に入ると思うので、
よって
私が死んだ時点で、末っ子には3400万の資産がある状態になります
どうでしょ?親がキチンとしてやれば、ここまでは誰でもできます。
生存戦略、できそうですか?
三千万じゃ足りないと思う人もいるだろうし、なんとかなりそうってひともいるとおもう
むしろ、ここまでもらえるように動いていることが生存者バイアスだーとか言い出す人がいそうなのでそこは反論しておきますが
親がちゃんと調べて申請して、もらえるお金の価値と総額をみつめられる人が親なら全員ここまでは出ます。
無慈悲な数字の話として、中程度認定なら全員がでます、親の知識不足とスキル不足で使っちゃうなら、それ生存者バイアスでもなんでもなくて、ただの戦略不足だよ。
といいつつ、障害児の親の多くは、ここまで貯められるつもりも、もらっているつもりも無いと思う
予防線もはったところで
少なくとも、トリソミーの子を授かったからといって、即座に悲観するほどなんの支援も受けられないわけじゃない事は知って欲しいなと思います。
ここまでが覚えて帰ってほしい話、以下は余談とか皮算用とか細かい助成や補助による戦略なので読まなくてもいいです。
うちは子供NISAにいれてるのでこれより増える予定、NISAだけではやり続けられませんが、色々つかって今から50年も複利効果だせます。
なお国債に移していくとマル優という療育手帳で使える別の制度で、利息や利子を非課税にできます
さらに、私が療育手帳をつかって心身障害者扶養共済に入っているので、私が死ぬと月二万円、子供が死ぬまで支払われます
上の二人は、健常児なので
それぞれ子供手当使わずいれてあげても200万しか無いですね。
まあ、こっちには自分で稼げるように教育を施していくのでそれはいいのですが。
話戻って私が死んだ後の事、
うちは持ち家なので、これを相続させるのもありですし、グループホームに入っても自分名義のお金だけで月額費用は賄えるでしょう、ただ成年後見人として上の二人どちらかには後見人として補佐を私から引き継いでもらわないとな、と思っています。
でも金額が大きいので信頼できる弁護士とも顔つなぎしておかないとな、とは考えていますけど、今活動してる弁護士は、末っ子より先に寿命で死ぬから子供が成人した後考ることにしてます。
成年後見人と補佐については今回省略。
医療費について
自治体で大分変わります、都内でも区ごとで違いますし、県だと市毎で違います
道を挟んだあっちに家を買っていたら受けれない助成とか普通にあります、通勤可能圏で転居も視野に入れましょう
うちは、現在の手帳で成人まで0割負担になるところに住居を構えました。
成人後は自己負担分がかかり、入院については医療保険頼りになりますが
前述の通り、コープのJ1900に入っているので
成人後は、健康状態に関わらずV2000に入れます(J1900から入ってないと V1000にしか入れない)先進医療と個人賠償つけても月額2240円。
65歳をこえたら、プラチナ85へ移行可能なので、おそらく一生コープ共済でしょう。
税金や補助について
医療費と同じく市によって大分違いますが、中度障害程度だと他に比べて瑣末事です
例えば、プロ野球チームを抱えてる市だと、試合を無料でみれたり、NHKや光熱費、車の税金なども安くなるところもありますが
他の金額に比べれば微々たる違いなので、ここにあまり力を入れない方がいいですよ。
まあ余す事なく福祉を使い切るゲームみたいで、考えるの楽しいですけどね
さて、
こんな面倒な事を考える事がまず健常児より大変だーって思った人もいるかと思いますが
本来はこんなこと考えないでも普通はパッケージが売り込まれるべきだと思うんですよね。
でも今って、医者からは特にアドバイスもなく、たたき台の情報はないけど夫婦で話し合ってね!しか言われません
少なくとも、末っ子が生まれる前に、あなたが死ぬ頃までにトリソミーの息子さんが中程度障害認定なら三千万以上お子さんにお金出ますよ、なんて言われてません。
まあ、子供の障害程度でこの金額は文字通り桁違いに変わるのでそりゃ言われないけどさ。
おかげで
待って待って、産むにしてもどんなコースあるの?さっぱりわからんし、色々どこにコンタクトとるの?
ってなるのが実情なわけです。
てかコンタクトとっても、ここまで詳しく計算して教えてくれた人はいませんでした。医療保険のコープの話すらアドバイスくれた人はいませんでした
てか彼らも多分もらってないし、何もしてないんだと思う
それもまた仕方ないと思う、本来ならこんなこと調べないでもそれなりの団体が作られていて、教えてくれるべきだと思う
うちは中程度なので、軽度、重度の人がどんな数字になるかは話せません。
もし、どこか他に愛の手帳4度とか1度の人がいれば、是非一度
自分が死ぬまでに出るお金の話を計算して、この増田にでもぶら下げて欲しいなぁと思います
ここまで読んでくれた人、ありがとう
「極端に危険」なものと比較するのがおかしいって言ってんだよ差別主義者。
何回言わせんだ。
危険度の評価基準は往々にして差別的な個人の意識や知識不足を原因とする誤差が入ってしまうので慎重に考える必要がありますし、また個人的な感想以上になり得ないですがロリコンとLGBTの危険度違いは明確だと思います。
それ、君の主観じゃん。何回言わせる?
仮に正しかったとして、「一部犯罪者がいたらまとめて人権侵害してもいい」と言うんだね?これも何回聞かせる?
なんだ、自分の利益のために人権侵害を正当化したかっただけか。
より理性的に自身の欲望をコントロール出来るのではないか、それが、子供にとってもより安全な社会になるのではと思いお話をさせて頂きました。
「理性的な欲望のコントロール」って要は人権を捨てろと言ってるわけじゃないか。ロリコンの場合。
秋葉原から岩本町に向かって歩いていたら、めちゃくちゃ遠慮がちに、黒人の女性に呼び止められた。
赤いクリアファイルに目的地の紙が入っている。場所が分からないらしい。
自分も2ヶ月前に東京に引っ越してきたばっかりだし、分からない。そこらへんのおじさんを呼び止めて教えてもらった。
女性の様子がなんか普通じゃないというか、「清水寺はどこですか」って聞いてくる人とは明らかに違っていて、なんかほっとけなくて、そこそこ遠かったけど、一緒に歩いた。
カメルーンからの難民らしい。そういえば牛久の入管施設で亡くなったのもカメルーン人だった。
無事に着いたし、ここでOKだよねと離れたけど、遠くからもう一度見てみると、彼女はまだ立っている。施設がオープンしていないから、ドアの前で、寒そうに立っている。
今日の東京は特に寒くて、周りの友達も騒いでいたくらい。1時間半もほっておけない。
戻って、ランチに誘って、一緒に喫茶店に入った。日本語は全然だったし、英語もあまり話せなさそうだったけど(母語はフランス語らしい)なんとか会話した。
喫茶店は暖房が効いていたけど、氷入りの水を「ノー!」と拒んだ。
「聞き流しフランス語」で「délicieux」だけは覚えていたので、使った。
一応、電話番号も伝えた。Facebookもやってるらしく、カメルーンの写真を見せてもらった。日本に家族はいなくて、ひとりぼっちらしかった。
就労ビザが下りないから、働けない。日本語を話せるようになって、日本人と結婚したい。
「どうして親切にしてくれるのか」と聞かれて、ずいぶん困ったけど、大学院で鬱になったときを思い出した。
他大学の先生がきれいに撮れた花の写真を送ってくれたりとか、しばらく会ってない友達が長文でメールしてくれたりとか。そもそも私も貧乏だったし、でも今は比較的困ってないから、返す番かなと、そういうことを伝えた。
時間がきて、再びフードバンクへ送っていった。「さむい!」と震えていた女性は、スープを飲んで「さむい、おわり!」と言った。
彼女の住んでいるところは千葉県で、フードバンクまではかなり遠い。「日本の物価は安い」と言いつつ、お金がなくて朝ごはんは食べていないらしい。
体力も落ちる中で、こんなに遠くの施設まで食事をもらいにくるのはどんな苦労だろう。
紛争とか、政策とか、移民とか、外国人労働者とか、入管での事件とか、いろいろなことを考えながら歩いた。「カメルーン」と言われてパッと場所が思い浮かばない、自分の知識不足とか。こんな無関心なやつが住んでいる国に、それでも逃げてくる意味とか。なんでこうなってるんだろう。どうしたらいいんだろう。
つらい。
人間はいくつもの社会的属性を掛け持ちしていて、そのうちの一つとしてたとえば私は女性という属性を持っている。ときとして女性という属性は不利に働くことがあり、私はそういった意味で被害者となることがあった。たとえば小学校のときクラスで一番に計算ドリルが終わったときに「女子のくせにかわいげがないね」と先生に言われたこと、高校通学時に電車で男性に痴漢にあったこと、大学2年のときに4年の男の先輩に「2女はババア」とからかわれていたこと、就職を頑張ったので男性の平均年収より稼ぐのに、男性から家事スキルのレベルでジャッジされること。それらについて当然被害者意識を持っているし、よりよく生きていきたいのでその被害を主張し、加害者に改善を要求したいとも思う。
ところがその一方で、私が持つ属性は他の属性に対して加害者となることもある。たとえば性別という観点では女性という属性が有利に働いて、男性、○○(ここに男性、女性以外のたくさんの性別を書きたかったのに知識不足でなんと書いていいか分からなかった、それ自体がもう私が無知ゆえのの加害者であることを示している)という属性に被害を与えることもあるし、他の観点であれば私はいわゆる健常者であり、いわゆる障がい者という属性に対していまだ無知であるし、また人種という観点で言えば日本では圧倒的マジョリティである日本人という属性上で、人種差別にも鈍感であったと思う。
上記の自分が受けた被害も与えた加害も、大部分が倫理観の欠如というより、無知、その属性とのつながりの無さからくる想像力の欠如から発生していることに気づいた。同性愛者の友達ができて初めて、「君オネエなんじゃないの?」というテレビでの“イジリ”に笑えなくなった。在日の友達がなぜ泣きながら自分のルーツを話したのか、後にその事実を知った別の友達が彼女と縁切りしたと聞くまで分からなかった。聴力の弱い人にとって、エスカレーターの右側を駆け下りられることがどんなに怖いことなのか、ネットで見るまで知らなかった。彼氏に理由を聞くまで、満員電車でつり革2つ使ってる男の人って迷惑だなと思っていた。知っていたらそんなことはしなかった、そんな風に思わなかったというのは他の属性の人から見ると言い訳であり、私はその人たちにとって加害者だ。
ここまでが前提で、そして私が言いたいのは「加害者であったことを反省、謝罪するし、これから誰かにとっての加害者となることのないよう、他の属性についてたくさん勉強する。だから自分の受けた被害も知ってほしい。」ということなのだ。
倫理観の欠如ゆえの加害(上記で言えば痴漢行為)を起こした状態でこんなことを言うのはもちろん間違っていると思うけれど、無知ゆえの加害って誰もが受けうる、起こしうることで、そして謝罪と反省と改善ができるものだと思うのだ。だから過去/現在において無知ゆえの加害者であった人が被害者として被害を主張することが許されていいと思うのだ。
オリラジあっちゃんの記事に、憤りしか感じない。それはおそらく、自分が似たような行き違いを夫としているから。肝心なのは、中田さんは、福田さんの気持ちをわかろうとしたか?ということだと思う。
中田さんは、アレをした、コレをした、ということを言っているけど、じゃあなぜ妻がそうして欲しかったのか、わかろうとしたか?なぜ妻が子どもを先に拭いてくれと言ったのか。子どもが冷えてしまうことを心配していた母親心を、中田は理解したのだろうか。
中田さんの主張を見ていると、自分は我慢して、自分のやりたいことができていない!と仰せだけど、奥さんは?
「それぞれの夫の長所を伸ばしてほしい」
奥さんは?あんなに可愛くて素敵な奥さんの笑顔をどうして伸ばしてあげなかったの?あんなに可愛かった奥さんを、わがまま若手女優にしてしまったのは、誰?
奥さんは?奥さん、タバコは?お酒は?趣味は?オシャレは?仕事は?
当たり前だ。奥さんだって、子育てなんかしてるより、綺麗に着飾ってて面白いこと言って、みんなに素敵って言われる方が向いてるし楽しいに決まっている。
男性は、「やーめた!」で投げ出せる。
でも奥さんは?奥さんは子育てを投げ出せるの?子どもたちはどうするの?
本当に自分のことしか考えずに、わがままを言っているのは、誰?
「シッターを雇えばいい」
結論的にはそうかもしれない。でもね、奥さん んは、まず旦那さんにわかってほしかったんじゃない?自分のやりたいことぜーんぶ我慢して子育てしている自分の気持ちを。
同じ我慢をしろとは思っていない。ただ、わかってほしい。子育てのタスクの多さ、自分のことなんて考える余裕もない日々。追い詰められた気持ちを、分かって、助けてほしかったんじゃないかな。
どうやら、ここに男女の行き違いが生じるらしい。男性は「問題解決」、行動で解決したがる。妻がああ言うから、やった。言われた行動をとれば満足してもらえると考える。
でも女性は違う。女性が求めるのは、「感情の共有」。自分のかかえる悩みやフラストレーションを、とにかく「わかってほしい」。わかってほしいから訴える。
けれど、女性から何かを訴えられたとき、男性は「じゃあこうすればいいんでしょ」と行動をとる。あれもやった、これもやった、と主張しているあたり、中田さんもそれに当てはまるのではないかしら。
けれど、女性が本当にしてほしかったのは、「気持ちをわかってもらうこと」。いくら行動をとっても、気持ちをわかってもらえない、自分の本当にしてほしいことが解消されないから、エスカレートする。そして男性は、こんなにやっているのに!なんで!?となる。
うちの場合はそうだった。
もちろん、男性でも他者の気持ちを慮ることのできる人もいる。でも、男性の中には他者の気持ちに共感するということが本当に苦手な人もいる。それこそ、個々の得意不得意、の範囲であって、どちらがいい悪い、ということはない。
ただ、女性にとっては、出産・育児の大変さは、その向き不向きに関係なく、女性というだけで降ってくる。その人生の大変な時期に、パートナーである夫に寄り添ってほしい。ただそれだけのことなのだ。
そのあたりの男女の行き違いは、お互いに自覚することが欠落していると思うし、もう一つは、女性にとって出産・子育てというのがどれだけ大変で、どんなサポートが必要か?という社会全体の知識不足にあると思う。
ここまでボロクソに書いたが、実は中田さんの感じている事は間違いではない。自分の好きなことを我慢して、仕事も制限され、自分の向いてない家事育児をしなければならない。それはとても大変でつらいこと。
しかし、多くの女性はその困難を背負うことを「当たり前」とされているのだ。中田さんの奥さんもそう。中田さんが「やーめた!」と言った家事育児は誰が担うのか。間違いなく中田さんの奥さんだ。そこをどう考えるか。
「奥さんが作り上げたいい夫像を押し付けられる」と言っているが、自分はどうか。「子育ては女性のするもの」という「いい奥さん像」を無意識のうちに押し付けているのは中田さんのほうなのではないだろうか。
つまり、足りなかったのは「出産・育児が女性に与える負担」の知識。奥さんも中田さんも、ぼんやりと家事育児は女性がして当たり前、という前提があって疑わなかった。けれど実際蓋を開けてみたら趣味も仕事も我慢するばかりで育児って大変。
もうこれは日本社会全体がそういう空気だし、女性の出産・育児ということへの知識が足りなさすぎるのだ。本当はこんなに大変なことなのに、何の疑問もなく全部女性におっかぶせてきた。そこに問題があるのではないだろうか。
夫と妻、それぞれどの程度負担していくかは、各夫婦で落とし所は違うかもしれない。それで構わない。けれど、芸能人である中田さんが「いい夫やーめた」と声高に言うことで、それがモデルケースのように扱われることに怖さを感じる。
ちょっと待って、それでいいの?
きちんと奥さんと話し合って。納得した上で決めてほしい。
シッターを雇うにしても、奥さんの気持ちを聞いた上で「そんなに負担に感じているんだね。それならシッターを雇うのはどうだろう」と話し合うのと、「やーめた!そんなに不満なら稼いでくるからシッターでも雇えばいい!」と突き放されるのとでは全然違う。
イクメンがもてはやされ、男性の育児参加が進んできた時代、揺り戻しがくるのは仕方のないことだと思う。でもそれは、女性からしたら「やっと育児の大変さに気付いてくれたのか!」という段階。
そうなんだよ、仕事も趣味も酒もタバコも付き合いもぜーんぶ我慢して向き合わなきゃいけないんだよ。すごく辛いことなんだよ。
だからこそそこで、「やーめた」となってしまうのではなく、もう一歩踏み込んで、「この負担を減らすために、夫婦2人でどうやって協力していったらいいか」という視点に持っていける社会になってほしい。
1.
2.
仮に「炎上」しているのが本当だとしても、千田氏が引用したケースでは「炎上」の理由が「性的に強調された描写、女性の体をアイキャッチに使うこと」であり、
千田氏が(最初の記事で)苦言を呈する内容と一致するものではないので、「炎上しているから(炎上していることから分かるように)適役でない」というようにとれるタイトルは不適切では? ということ。
さらに言えば、わざわざこの「炎上」を取り上げなくても書ける内容なのでは? ということ。
3.
なぜもっと「公の場」である地上波TV番組の同様のケースではなく、キズナアイの件が選ばれたのか? ということ。
あるいはもしキズナアイではなくリアル人間の女性が特設サイトに相槌役で起用されたとしてもこの問題を取り上げたのか? ということ。
(キズナアイ問題以前からの千田氏の言動に対する不信によるもので、ぶっちゃけ難癖)
4.
ジェンダロールの再生産の問題というなら、どうすればよいのかもっとはっきり書くべきでは? ということ。
千田氏はただ相槌を打つだけの女性ではなく「せめて白衣の女性が立ち、きちんと受け答えをしてくれていたら」と書いているが、
このようなケースでジェンダロールの再生産をすべきでないというのであれば
・「先生と生徒」スタイルでも、生徒役に「相槌役」はさせず、ある程度の知識を持った者を配置すべきである。
・「先生と生徒」スタイルで、生徒役が相槌を打つことがメインであれば、先生役が女性もしくは男女両方(生徒役は男女どちらでも可)か、生徒役が男性もしくは男女両方(先生役は男女どちらでも可)に限定すべきである。
のいずれかということになるのでは?(今自分が思いつく限りでは)
であれば、はっきりそう書くべきでは?
そしてそうなると、キズナアイが生徒役(相槌役)しかできないような分野のこういったコンテンツには、
先生役も女性でない限りキズナアイは同じ役割の男性を伴わなければ参加するべきではない(企画側が呼ぶべきではない)ということになってしまわないか?
それはキズナアイ(のような女性)の活動の場を制限してしまっていないか? ということ(個人的には企画側あるいは演者側がこういった構造を自発的に避ける事自体は「よく考えられた配慮」と思うし、本当に「女性は相槌役」だから「相槌ができる」「相槌しかできない」女性を出そうというコンセプトが明らかであればそういったケースには反対したいが、一方で必ずしもそのような理由でなくても何らかの理由で選んだ「人」が「たまたま(知識不足の)女性」であることはありうる(例えば「自局のとあるドラマ番組をアピールしたいからそのドラマの主役を採用」とか、「今年の流行語大賞獲得間違い無しの話題No.1の人物を採用」など)と思うし、そのような場合であってもその女性が知識不足であるために採用すべきでないとするのであれば行き過ぎと感じる)。
仮にそうだとしても、それでもジェンダロールの再生産はすべきでないのか? それほどジェンダーロールの再生産の悪影響は強いのか?
そうであれば、千田氏なりの配慮なのかもしれないが「若い女性が励まされるだろうか?」「配慮をお願いしたい」という程度に留めず、はっきりそう書いてほしいということ。
5.
4.と多少重複するが、そもそもNHKはキズナアイが「(見た目が)女性だから」「生徒役に」選んだのか? 他の可能性はないのか? ということ。
キズナアイについている客層目当ての人選ではないのか? あるいは意外性のある起用によって耳目を集めるためでは? ということ。
仮にそうだとしてもジェンダーロールの再生産に変わりないのだろうが、そういったことも考慮に入れた上で、それでもの話ということであれば、
あるいは女性だから選んだのだと思える理由があるのならそれを書けば説得力が増した。
6.
ジェンダーロールの再生産の問題というなら、この場合どちらかといえば問題は配役、つまりは企画側のNHKにあると思うのだが、キズナアイが強調され過ぎではないか? ということ。
NHKはこうした、こうすべきという言い方よりも、キズナアイはこうであるという書き方が多い。
「「キズナアイ」に割り振られた役割」ではなく「NHKが「キズナアイ」に割り振った役割」では?
「人工知能という設定を生かして、もう少し専門的な解説をする役割を、振ることはできなかったのか」ではなく、
「NHKは、人工知能という設定を生かして、もう少し専門的な解説をする役割を、振ることはできなかったのか」では?
「このキズナアイの代わりに、せめて白衣の女性が立ち」ではなく、
「NHKは、このキズナアイの代わりに、せめて白衣の女性を立たせ」では?
これでは「NHKがジェンダーロールを押し込めた役割を振った、もしくはジェンダーロールを体現するような者を起用した」ということより、
「キズナアイがジェンダーロールを体現している、振られた役割にとどまっている」ということが強調されていて、
言い換えとして成り立つ範囲を超えて、「NHKはジェンダーロールを再生産しないような配役を考えるべき」というよりも
「(この場では)ジェンダーロールの再生産となるようなキズナアイは不適切だ」というニュアンスが強まってしまっていると感じる。
イノベーションのにおいての変革者という話ですよね。まあ、イノベーション自体「死体投げ込んで祈ったら世界が良くなる治水の人柱」という感じすらするので、僕自身は嫌いな言葉ですが。
で、変革には、変革者に加えて「ボス、メンター」が必要。その3者でやらないとならないという話があります。
ボスは、お金をとってきて、トップクラスで調整が必要な話をやってきてくれる人間。
変革者本人は信用も権力も時間もないのでできないしさせられない。
メンターは、変革者が躓いたり、知識不足だったり、メンタル的に疲れてしまったときに知識を持ってアドバイスできる人間。
変革者なんて、何かやりたいと思って突き進むだけの人間なので、当然知識不足経験不足だったりする。
出典どこだったか。
まあ、なにか変革させたいと思えば、ボスやメンターいなくてもやるものはやる。
で、何もせずただ祈って世界が良くなることを願う人間はボス、メンター機能も自ら備えた変革者スーパーマンを求め続け、石ぶん投げ続ける。
「お前やる気があるんだろ?だったら、この俺様のわがまま聞けよ!」ぐらいのものすら見える。
で、矢尽き、剣折れたら次の変革者スーパーマンがどこかに隠れてるはずだとウロウロ徘徊する。
「僕と契約して魔法社長になってよ。一つだけ願いが叶うよ?その後世間から石を投げ続けられる魔女になるがな!」
このループ。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180923-OYT1T50010.html
「中国人観光客が偽造の国際運転免許証でレンタカーを運転し、交通事故を起こすケースが相次」でいるという問題。この記事に「ネットで購入した偽造免許を違法と認識しないで使っている中国人ドライバーもいる」とあることについて、はてなーから「そんなわけないだろ」と声が上がっている。
id:qwerton“偽造免許での運転は無免許運転となるが、ネットで購入した偽造免許を違法と認識しないで使っている中国人ドライバーもいるという。”そんな馬鹿じゃないでしょ。「知らなかった」ってシラ切ってるだけでしょ
まあ、普通に考えればそりゃそうなんだけれど…。
しかし国際免許制度って、日本人でもどれだけの人が知っているだろうか。
日本人が国際免許を取得するときは、運転免許センターへ行ってお金を払う必要がある。しかし、何の試験も講習もなく20分ほどで取得できてしまう。こういう話をすると、たいていの人はびっくりする。
おそらく中国人も、「日本に行って車で旅行したい!」→「ネットで検索!」→「某サイトで発給してくれるらしい(こういうお店がけっこうあったらしい)!購入!」とだけ考えてた人もいたんじゃないだろうか。
https://www.zhihu.com/question/21139395/answer/54476270
1つめの回答はなんともはやなのだけど、注目すべきは2つめの回答。さんざん「借りれるよ。こんなに楽しかったよ」と書いておきながら、その上から「情報更新します、某サイトで売ってるフィリピンの免許はニセモノです。日本のテレビ局が報道してました。私が購入したお店もなくなっていました」と書き込んでいる。この人は実際にその免許で日本で車を運転していたようだけど、それが法的に問題があるとは知らなかったのだ。
上で国際免許制度に対する知識不足のことを書いたけれど、フィリピンの免許制度に詳しい人はさらに少ないだろう。
おおっぴらにフィリピンの免許証を売っているサイトがたくさんある中で、「フィリピンでは海外から免許を発給する制度がある」「国際免許も発給してくれる」と思うことはありうるんじゃないかと思う。少なくとも、私はフィリピンのサイトで法律をじっくり読まない限りは否定でいない。もし仮に、自国語のサイトで「フィリピンではそれができます」なんて書いてあったら、英語を読む煩わしさも手伝って、自国語のサイトを信じてしまうかもしれない。
国際免許は、条約に加入している国が発給する、本国免許の英訳(フランス語、そのほか国連公用語が載っているけれど)文書に過ぎない。それを持っているからといって、その国で運転できる技能を保証してくれているとは、(実際に受給したことがある身としては…)とても思えない。
それで割り切っているのかどうか、実は中国人は、ヨーロッパのいくつかの国や、アメリカのいくつかの州などでは中国運転免許と公的な翻訳文があれば、運転ができるようになってきているようだ。(ただ、そう書いてあるいくつかの国のサイトを読んだだけで、本当にそうかは未確認)
中国人が国際免許を手に入れるためには、香港に住んで香港免許に書き換えるとかいう話が書かれている。ちょっと失笑してしまう。しかし中には、韓国に行けば3日半で運転免許を取得できるからそこで国際免許を、という話もあって驚く。(韓国の免許取得の必要日数が短いことは有名だけど、まさかそんな裏技に使えるとは。。。でも今は少し難しくなったんじゃなかったっけ?)