はてなキーワード: 甲斐とは
「最近のラノベ」がどのくらいの範囲かでけっこう変わってくるんだが、
とりあえずおまえを「2010年くらいまでラノベを読んでいたオタク」と仮定する。
言わずもがなだな。
母体が大きいだけあって様々な作品が揃っており、掘り甲斐のあるカテゴリーだ。
大雑把にジャンルを挙げると、
といったところか。
・亡びの国の征服者(オーソドックスな異世界転生もので読み応えがある)
・オーク英雄物語(「無職転生」の作者の新作。特に転生ものではない)
・目覚めたら最強装備と宇宙船持ちだったので、一戸建て目指して傭兵として自由に生きたい(タイトルは酷いが良質の転生スペオペ)
・現代社会で乙女ゲームの悪役令嬢をするのはちょっと大変(バブル崩壊直後の日本経済史を題材にした現代転生もの)
といった要素が特徴だ。
漫画で言うところの「○○さん」系ラブコメやTwitter漫画の流行に影響されていて、
特徴のあるヒロインや特殊なシチュエーションのワンアイディアから話を広げていくタイプの作品が多い。
また、少しシリアス要素の強い、いわゆる「青春ラブコメ」も人気だ。
こちらは「とらドラ!」や「俺ガイル」からの流れが脈々と続いている感じだな。
・継母の連れ子が元カノだった(迷ったらとりあえずこれでいい)
・カノジョに浮気されていた俺が、小悪魔な後輩に懐かれています(上に挙げた要素をうまく消化している秀作)
・弱キャラ友崎くん(アニメ化済み、しゃらくさい感じもあるが「俺ガイル」の後継作として人気は高い)
・ぼくたちのリメイク(アニメ化決定、クリエイターものの代表格)
・声優ラジオのウラオモテ(二人の新人声優を描く微百合ラブコメ、巻を重ねるごとに面白くなるタイプ)
・探偵くんと鋭い山田さん(主人公たち三人でちょっとした「日常の謎」を解いていく学園ミステリラブコメ)
よく「ライトノベルと一般文芸の中間の小説」と言われたりするが、
実際のところはラノベ編集部が書店の棚を求めて一般売り場に進出したものが始まりだ。
とはいえ、少年向けのラノベから隔離されることで、いまでは独自の文化を築いている。
講談社ノベルスやハヤカワ文庫JAを取り込んだことで本格ミステリやSFも強い。
また衰退しつつあった少女ラノベがライト文芸に進出することで息を吹き返してもいる。
人気のあるジャンルとしては「妖怪」「ホラー」「後宮」「泣ける恋愛」「謎解き」「刑事もの」といったあたりか。
ライト文芸のオススメはこちらだ(ただし個人的にあまり読んでいないので少なめ)。
・さよならの言い方なんて知らない。(「サクラダリセット」の河野裕が贈る特殊設定頭脳バトル)
・探偵は御簾の中(平安時代を舞台に癖のある夫婦を主人公としたミステリ)
・僕は天国に行けない(2000年前後のあれこれを彷彿とさせる厨二くさい青春ミステリ)
・隷王戦記(チンギスハンとバイバルスをモチーフにしたと思われる戦記ファンタジー)
「その他」とか言ったら何でもありだろという感じだが、まあ簡単にはまとまらないので上記以外をまとめてしまった。いくつかオススメをしていく。
とりあえずこんなところか。おまえが実はここ数ヶ月ラノベから離れていただけで、俺が挙げた作品もだいたい知ってたらすまんな。
ある場所にA君という子がいた
A君はプロ野球選手になる夢を持っていた
当時A君は池沼グループと付き合っていて、おとなしいA君は池沼達にバカにされていた
それでもA君は誰にも文句を言われないように、いつも隠れて野球の練習をしていた
その甲斐があって、小さいころからの夢が叶いA君はプロ野球チームに入団できた
ある日池沼達は口元を歪めながらA君に「自分達もプロ野球に入れるか?」と聞いてきた
A君は池沼を怒らせないように「俺にもできたんだからきっとやれる、頑張れ!」と言った
彼としては頑張れば誰でも夢が叶う事を伝えたつもりだったが、池沼達はそうではなかった
池沼達はA君の球団に押しかけ「自分はAより優れた人間だからこの球団に入れて当然だ」と球団関係者に詰め寄った
A君の事を舐めきっていた池沼達はA君を入れたチーム丸ごと舐めきっていたのである
しかし陰で血のにじむ努力を重ねたA君と、おとなしいA君を物差しにして自分を推し量っていた池沼には雲泥の差があった
球団関係者は無謀な池沼達に呆れかえって、つい嫌そうな顔をしてしまった
その様子にキレたプライドの高い池沼はその担当者を見下しながら
「Aはこんなチーム楽勝で入れたと言っていたぞ!」とA君をダシにして球団をバカにした
この事がA君のチームの先輩たちに伝わると、新人だったA君はイジメを受けるようになった
そんな事はつゆ知らず、A君をコネとして手放したくなかった池沼は
「俺は駄目だったけどあいつは入れるか?」と別の池沼をA君に薦めたが、
もうA君は二度と利用されてはいけないと思って「無理だ」と言わざるをえなかった
池沼グループはそれを言質に「あいつはうぬぼれている!」とA君を非難した
球団と地元でいじめられ、公私にわたって仲間外れになったA君は自暴自棄になった
池沼集団を「バカ、死ね!」と口汚くののしり、殴りつけ、やがて野球への情熱を失った
しかしうちではそのぐらいの価格帯の商品を買ってもらえるのは誕生日とクリスマスだけだった
子供には長すぎる数ヶ月を過ごし、ようやくそのタイミングを迎えたとき
ポケモン赤はプレゼントしてもらえたがゲームボーイは与えられなかった
代わりに与えられたのはスーパーファミコンに挿して遊ぶスーパーゲームボーイだった
素直にゲームボーイではなかったのは、携帯機であるため親の監視外で遊ばせたくないという思惑があったらしい
それに加えて
・小さな液晶を覗き込むよりTV画面の方が視力低下の影響も多少はマシだろう
という考えもあったようだ
友達と遊ぶときにはプレイ環境一式を外に持ち出すわけにはいかず
ソフトしかないのでそれぞれがゲームボーイを持ち寄って遊ぶ空間では自分はプレイすることはできない
公園ではもちろん無理だし
友達のゲームボーイを借りるにしてもみんなまず自分が遊びたいのは当然だ、貸してもらえることなど少ない
友達の家で遊ぶときでも、わざわざそこのスーパーファミコンを借りるというのも不自然でハードルが高く実現することは少なかった
そもそもその時に発売していた初代スーパーゲームボーイには通信端子が無いのだ
(通信端子のあるスーパーゲームボーイ2が発売したのはそれより後のことで、スーパーゲームボーイを既に持っている子供が買い換えるにもメリットが少なかった)
混ざれるはずなのに混ざれない
一番下が自分だった
悪意を持って明確に仲間外れにされることはなかったが
その場でポケモンを一緒に遊べる仲間の方が親交が深くなるのは当たり前で
それがすごく惨めだった
20年以上たった今、その時のヒエラルキーが流石にそこまで尾を引いているはずもなく
ふとあの時の疎外感を思い出す時がある
他と同等に揃えてもらえない子は
かつての自分と同じように寂しい思いをしているのだろうかと
ぼんやりと思いを馳せるのだ
はてブを見る限り、結構な共感があったようで、書いた甲斐があった。
寄せられたコメントの中からいくつか取り上げたいものがあったので、追記しておきます。
自分の回りにもいました。
貧乏だから買ってあげられない、というケースは見なかったけど、親の方針でゲームを買ってもらえない子。
90年代当時の親世代にとって、まだゲームへの偏見や未知なるものという認識は多かったと思います。
やはり、禁止されている子供は逆に執着してしまう傾向にありました。
大人になって反動でゲーム三昧の人もそれなりにいるでしょうね。
かく言う自分も、完全禁止でないにせよ少しずつ不便や不満を重ねていたので、
これは、当時は仕方のない話かと思っています。
特に恨んだとか、間違っていたとは考えていません。
子供のコミュニケーションツールとして重要なポジションにあったことは理解できていなかったのですから。
ゲーム世代が親になり、かつての苦労と大人目線での懸念から葛藤しているのもわかる話です。
ゲームに理解があっても程よい距離感で向き合わせるには難しいでしょうね。
ネット接続やSNSの広がりもあり、フォローアップしてあげることの難易度も上がってしまいました。
自分の家に呼べば友達がゲームボーイを持ってきて、自分は自分のスーファミで遊べますよね。
ここは地理的な問題なのですが、小学校から自分の家が一番遠くにあり、坂の上にありました。
いわゆる新興住宅地(○○台と名前のつくような所)です。集まるには不向きでした。
たまり場になる友達の家がありましたが、ゲームが多かったり集まりやすい立地にあったのが大きな理由ですね。
対戦というより、自分のポケモンを進めつつ、お互いの進行状況をその場で共有して楽しむ、という場でした。
ポケモンスタジアムは持っている子もいましたが、起動率はそこまで高くなかったですね。
ゲームボーイで何をしていたかと言うと、赤緑の出現ポケモンが違うので、
赤でしか出現しないマンキーを持ってない緑の子のためにその場でマンキーを捕まえて交換してあげる、なんて光景も有りました。
うちの地域でポケモンスタジアムが脚光を浴びたのは、ポケスタ金銀が発売されてからでした。
しかし、そこまで来るとポケモン一色ってほどのブームでは無くなっていました。
あくまで、ポケモン赤緑の一時期だけがそれ以外がほぼ無いぐらいに占めるコンテンツだったんですよね。
やりましたよ!スーパーマリオワールドや星のカービィスーパーデラックスなど。
ドラゴンクエストなど1人用RPGをプレイしている様子を眺めつつ、自分は置いてある漫画を読みふけるなんてこともしましたね。
その話を盛り込むと要旨がボヤけてしまうので、今回はポケモン赤緑の話に絞っていました。
みんな揃ってポケモンに傾倒した時期があって、そこで疎外感を覚えたのは大袈裟に受け取ったことでもなく事実です。
バトエンやカード、すごろくなんかも出ていたので、ポケモンブランドを冠した交流ツールはゲームに限った話でもないですけどね。
あ、やってます。
図鑑は剣盾時点までコンプしてます。アンノーンもビビヨンも今の所全種揃ってますよ。
対戦はあまり興味ないですが。
ええ、それを狙いました。
あの時代を生きていた人が「ポケモン」「スーパーゲームボーイ」と聞いたら
ピンと来るだろうな、という期待を込めてタイトルに入れておきました。
これからする話は、とある小さなジャンルの小さなカプの字書きである私がいかに身勝手だったかということを伝えるものである。
大多数の人間にとっては、読んでも糧になるものはなく、むしろ不快になるものだろう。
それでも記事にしようと思ったのは、私の中で未だに蟠った昏い感情をひとつの文章として昇華し、過去の出来事として今の自分から切り離し、客観的に見てみたいからだ。
P氏と私の出会いは三年前。
私はそれまで活動していたある大きなジャンルを抜け、小さなジャンルのABというカプで活動を開始した。
前のジャンルを抜けた理由は、そのジャンル民が望むものが書けなくなって、しかも自分がそれにショックを受けていたからというありきたりなものだった。
二次創作は、当然ながら自分が望むものを作って楽しむのが正しい。けれど、あなたの書く○○が好きだと言われ、しかもそれが結構な人数いたとするなら、自分のためだけに書くのではなく、他人が望むものを書きがちになる。承認欲求というやつだ。
当時の私は、自分の望むものではなく、他人が望む作品を作り出すことに腐心していた。厄介なことに、それが楽しいと思っていたのだ。
しかしある日、私ははたと我に返った。
自分のためにではなく、他人のために二次創作をしているということに気づいた私は、そのジャンルを去ることにした。
そうして辿り着いたABで小説を書き始め、私は驚いた。
文字が次々と紡がれていくのだ。
私はあっという間に小説を書き上げて、某サイトに投稿した。ツイッターも始め、このカプのここが好きだということを、誰のためにでもなく、私のために呟き続けた。
千人近くいた前のジャンルのアカウントに対し、今のアカウントのフォロワーはゼロ。私の呟きなんて、誰も見ていないから当然いいねもつかない。
それでも楽しくて、私は呟きを量産し、小説を書き続けた。
三年前の、四月の終わりのことだった。
フォロワーがゼロと言ったが、そもそもABの活動人数は少ない。
活動を始めたばかりの私がフォローしたのは四人くらいだった。その内の一人がP氏だ。
P氏はすぐにフォロバしてくれた。
お互いに挨拶をすることもなく、話しかけることもない。いるけどいない、という関係だった。
私自身、あまり積極的に絡みに行くタイプではなかったので、何人かの相互さんと話したこともなく、黙々と壁を打つ日々だった。
相互になって二か月ほどした頃だろうか。P氏が私にリプを送ってくれた。私はABで初めて、同ジャンルの人間としゃべった。
嬉しかったが、それだけ。
今から思えば、初めてリプをくれたのがよりにもよってあの呟きだったのはP氏の性癖が相当ヤバイことを示していると思うが、それはまあ別にいいだろう。
初めてリプを貰ってから、P氏と私は一カ月に一度の頻度でやり取りをするようになった。
どちらかが作品を上げると「素敵です」と言い、それに対して「ありがとうございます」と返す。それくらいだった。
彼女と急激に仲良くなったのは、はじめてリプを貰ってから一年と少し経った頃だった。
その時の彼女と私は、同じような人間関係の問題で、同じように悩んでいた。
その頃の私は人間関係に疲れて、殆ど誰とも繋がっていなかった。
フォロワーはP氏だけ。正直、ABで活動を続けていくことに限界を感じていた。
ただ、まだ書き続けていたいという気持ちもあった。
私は彼女しか見ていないTLに、ABの小説を投稿し続けていた。
P氏初めて通話をしたのもその時だ。
その時に私は、彼女が二次創作で仲良くなったフォロワーとどう付き合いたいのかを教えてもらった。彼女は「同じ熱量の人と狂っていたい」と言った。私も同じだ、と嬉しくなったことを覚えている。
なにが問題なのかというと、熱量は主観的なものだということだ。
ある人の、あるジャンルに対する熱量を、客観的に計る方法はない。本人が冷めたと言えばそうだし、冷めていないと言えば冷めていない。
ここまでは、誰もが共通認識として持っていることだろう。
P氏も、私も、そう思っている。
ただ、私は、その先も考えていた。
ジャンルに対する熱量は主観でしか計れない。決して、他人には伝わらない。他人に伝えるには、行動として示さなければならない。こうした時に言葉で伝えるのは逆効果であること私は思っていた。
たとえば、あるカプについて毎日十以上の呟きをしていた人がいるとしよう。その人はある日別のジャンルにハマって、別ジャンルについて呟くばかりになって、あるカプについては殆ど話さなくなった。あるカプの絵や小説がTLに流れてきても反応しなくなった。以前なら、必ずその作者に感想を送り、フォロワーにその作品が素晴らしいからとプレゼンしていたのに、そうした反応を一切しなくなった。その人が唐突に「最近○○についてばかり呟いているけど、元のジャンルの熱は冷めてない。今でも大好き」と言ったとして、残念ながら私はそれを信じることができない。
完全に冷めてはないのだろう。新しくハマったジャンルの刺激が強くて、元のジャンルへの反応ができなくなっただけだろう。ただそれは、見方を変えれば、「冷めた」ことにならないだろうか。少なくとも、以前と同じように反応ができなくなったということは、そこに割く労力を減らしたことに違いはない。
別ジャンルにはまることも、そこに熱量を注いだ結果元ジャンルへの熱が冷めるのも、悪い事ではない。
何を好きになるのかは、その人の自由だ。
ただ私が、「冷めていない。今でも大好きだ」という言葉が出た時点で、その人はもう元のジャンルにこれまでと同じだけの熱量を注いでいないと思うようにしているだけだ。
本当に元のジャンルにも今までと同じだけの熱量を注いでいるなら、わざわざ言葉にしなくていいはずだ。
言葉にして、「冷めてないよ。だからこれからも仲良くしてね」と友情を乞うているような姿に、私は何とも言えない嫌悪感を覚えてしまう。
あくまでも私がそう思うだけだということは、言うまでもない。
人の考え方は人それぞれだ。だからこれは、私がこう考えたというだけの話であることを改めて記しておく。
話を戻そう。
P氏は私にこうも言った。
「別ジャンルにはまっても、そのジャンルで狂ってる君を見てたら私は楽しい」
別ジャンルに嵌って、別アカウントを作ってしまうと元々のアカウントのフォロワーと疎遠になるのはよくある話だ。チェックするTLが二倍になるのだから当たり前だ。そして先述の通り、新しくハマったジャンルの方に熱量を注ぎがちになるのも明白。結果として、元のジャンルの作品や元のジャンルで出来た知り合いの呟きへの反応は鈍くなり、その後ろめたさからアカウントを消すという人もいるだろう。
彼女は私にそうなって欲しくないと言いたいのだろう。別ジャンルにはまっても、同じアカウントで活動して欲しい、あるいは、別アカウントを教えて欲しい。たぶん、そういうことだと私は考えた。
ただ私は、彼女の言葉から彼女が望んでいることをできるだけ汲み取り、そうあるようにした。
その頃は、多分、上手くいっていたと思う。
彼女と私は毎日十や二十のやり取りをして、時々通話して、ABについてああだこうだと話していた。
傍から見れば異常だったのだろう。言われるまでもなく、当時のP氏と私の関係は、正しく「傷の舐め合い」だった。
少なくとも、私は楽しかった。今思い出しても、思わず頬が緩んでしまう。
そうしている間に、秋が来た。
彼女しか見ていないTLで「○○にはまった」と呟き。ABと一緒に新しいジャンルについて呟くようになった。
そのジャンル用のアカウントを作ったが、稼働させるのはすぐにやめた。
新しいアカウントで活動を始めると、熱量が分散されることを私は知っていた。だから、元のアカウントで新しいジャンルのイラストをリツーイトしたりしていた。P氏は私が新しくハマったカプについても「私は絶対はまらないけど」と言いつつも好意的だった。私が新しいジャンルに狂っている姿を見て楽しいと、初めて通話した時に言っていた台詞を繰り返していた。
彼女の様子が変わったと感じたのは、年が明けた頃。
彼女はしばしば、創作のモチベーションが上がらないと呟いていた。
例のウイルスの件もあり、イベントは軒並み中止。ジャンル民の創作活動も下火になっていた。
元々小さな規模のABというカプで、この一年間コンスタントに作品を上げていたのは、P氏と私だけ。
小説も毎日書かないと感覚を忘れてしまう。私の執筆スピードは目に見えて遅くなり、大量の文章を、人様に見せられるほどの完成度に仕上げられなくなっていた。
それがストレスでスランプに陥り、さらに創作頻度が下がっていることを自覚していたから、呟きは多くするようにしていた。
私がスランプに陥っている間、彼女はABの作品が増えないことに寂しさを募らせていたようだった。私は自分の不甲斐なさを痛感しながらも、スランプだから仕方がないと自分を励ましていた。
なんとか創作に集中できる環境を作りたいと四苦八苦していたが、そうこうしている間に彼女の方に変化があった。
毎日二十近くやり取りをしていた彼女は、私の呟きにリプを飛ばさなくなり、彼女自身が呟くこともがくりと減った。
私は彼女の行動に覚えがあった。
彼女はとにかく呟くタイプの人間だ。呟くことで、日々のストレスを軽減しているのだろう。だから、ここで呟いていないのなら、どこか、別の所で呟いているのだろう。そこで呟いているから、こちらで呟くことがなくなった。多分、そういうことだろうと私は考えた。
少しだけ、私の心に靄がかかった。
「別ジャンルにはまっても、そのジャンルで狂ってる君を見てたら私は楽しい」
かつて彼女は私にこう言った。
別ジャンルにはまって愉しそうにしている姿をみせてくれと言っていた彼女は、しかし、別ジャンルにはまって楽しそうにしている姿を、私に見せてはくれなかったのだ。
春の訪れと共に、P氏と私の最後の一カ月が始まった。
わたし個人は下方婚してるし、女性の給料が全体的に上がれば経済力も甲斐性も上がるだろうね。
今はそうなってないので本当は加害性の低そうな弱者男性と結婚したいけど経済力のあるマチズモ男と結婚せざるを得ないという女性もいるかもしれない。このへんは発言小町とか見てたら事例あるだろう。
電車で30分程度なのですぐ行ける距離ではあるけどわざわざ電車に乗るという甲斐性もないので実に5年ぶりだった。
特にきっかけもなかったがなんとなくこのコロナ禍でまだやってるのか気になったというのが大きな動機だった気がする。
店は普通に開店していたし、当時のように客がそんなにいないという状況で懐かしさがあった。
今でも同じ店員がいて、当時生やしていた髭が剃られスーツ姿でもない俺に気づいたようで、ご無沙汰ですね的なことを言われた。
ちょっとびっくりしながら「引っ越したんですよ」と軽く答えて以前よく食べていたメニューを注文した。
安いから通っていただけでそんなに味自体に思い入れなかったのだが(だからこそわざわざ電車に乗って食べに来るということがなかった)、改めて食べてみると「ああ、こんなだったな」という感じで思いのほか感動はなかった。
○ご飯
朝:キウイ、クラッカー、チーズ。昼:キャベツ、にんじん、目玉焼き、ベーコンの焼きそば。夜:キャベツ、しいたけの味噌汁。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、ごれんきゅーの5人目。
めっちゃ悲しい話をすごいすらすら読ませる、いい意味でのあっさりさがあって好き。多分前作がウェットだったから、その辺を改善ポイントにしたのかなあ。どっちも好きだけど。
○グ
ルオー連戦を毎日した甲斐があって、この連休中にルオー斧を3本集めた。あと10戦程すればマンスリーボーナスでも1本貰えるので、明日には4凸できる予定。
ルオー斧はリミテッドカリオストロと組み合わせると良さげなので、マグナでも握る機会がありそう。ランバーのメインってのも嬉しい。
これで六竜武器の進捗は、ルオー斧4凸1本(予定)、ワム槍4凸1本無凸1本、ガレオン銃無凸1本、ウィルナス拳2凸1本、イーウィヤ剣4凸1本、フェディエル0本。
日課にしてるのは、ウィルナス(フルオ)、ガレオン(手動)、イーウィヤ(フルオ)、ルオー(連戦部屋)の4つ。
ルオーが明日終わるから、明後日からは代わりにフェディエルを日課に加えようかな。
ウィルナスもリーチなので、ここら辺の日課の整理もそろそろ考えたい。
イーウィヤは何本あってもいいし、EXスキルの厳選し甲斐もあるので4凸1本作った後も掘ってる。
なんにしろフルオート放置できる属性は気楽だわ。ウィルナスも掘る必要無いから4凸終わったらやめる予定だけど、別になんとなくで回すかもなあ。
教えてほしい。
気が強い女が結局ラストでは男に泣きついて助けてもらう作品も見たくない。
とにかく、女がそのクズっぷりを最大限に発揮し、男を翻弄してもてあそぶストーリーを見たい。そういう世界観に浸りたい。
増田のみんな頼んだ。
小説でも漫画でも、物語の作家とそれを目指す人に対して「文章力とか画力以前に、これらについて気をつけておいて欲しい」と読者の立場で願っていることが有る。以下にいくつかを記す。
基本的に読者とは「物語の中で、何かが起きて、それに対して登場人物が反応(行動)し、物語の中で時間が経過して、登場人物が『上昇』または『下降』いずれかの変化を遂げる」姿を見届けるために物語を読む。何も起きない、何もしない物語を読みたがる読者は、滅多にいない。
したがって、物語を作る者は最低限、以下のような『構造』を物語が持つように努めるべきである。
= = =
(1)昔の主人公:充足した状態にある。もしくは、主人公自身は「満ち足りている」と思っている。
(2)少し昔の主人公:何か事件が起きて「欠落」が生じる。例えば、宝物や恋人を奪われるなど。或いは、主人公自身が「何かが足りない」と考えるようになる。
(3)現在の主人公:修行して能力を得たり、協力してくれる仲間を募ったり、旅をしたり、戦ったりして、欠落した何か、奪われた何かを取り戻そうと行動する。
(4)未来の主人公:欠落したものを取り戻す。あるいは、欠落していなかったことに気づく。あるいは、欠落をしたものを取り戻せない代わりに、他の何かを手に入れるなどして、欠落を受け入れる。
= = =
もちろん、これは構造の要件としては最低限のものにすぎない。連載途中で完結していない作品の場合には「目的を遂げようとする中で、登場人物が変化をするのであろう」と読者に『予感』させねばならない。その『予感』を持たせられず「本当に目的を遂げるのか?」とか「その目的を主人公が遂げたからといって、それが何なの?」と読者が感じたら、もう物語を読む動機を失ってしまう。
とはいえ、上のような「物語の世界で起きた出来事(1)〜(4)」を、時間経過の順番どおりに並べただけでは、読者の興味を惹いてページをめくらせることはできない。「何故、どうして事件は起こったのか?」という物語の中の『過去』と、「この後、登場人物はどうする、どうなるのか?」という物語の中の『未来』に対して、読者が興味を持つように仕向けければならない。
そのために、事件の発生原因や経緯、それに対する登場人物の反応・行動を「どのように読者に見せるか」という見せ方、見せる順序の構成、視点を考える。それが『構成』である。
最もわかり易い例は、密室殺人などのミステリ作品。単に時間経過どおりに出来事を並べただけでは、読者の興味を惹き続けることはできない。分かってみれば謎でも何でもないことも、見せ方によって「謎」に変化する。それが『構成』の力である。
もっとも、ミステリで言えば刑事コロンボのように犯人の視点で「動機となる出来事」や「アリバイ工作の様子」などを、最初から出来事を見せるという手法もあるにはある。しかし、これとて「効果的な見せ方」として選択した結果なのであって、単に出来事を順番どおりに見せているわけではない。
作家志望者ならば、一日にストーリー(上の1で述べた出来事の羅列)一つと構成一つを作るぐらい訓練をして欲しい。
【3:読者が物語(の登場人物)に『感情移入』できるような『動機』を】
読者を登場人物に『感情移入』させられれば、物語を読む『動機』が生まれる。以下でいくつか例を示すが、感情移入とは親近感や変身願望のことであると考えれば理解し易いと思う。
= = =
ケース1:スポーツやゲームなど、現実の愛好家が存在する物事をモチーフにして、主人公たちが戦う物語を作ると、その愛好家たちを読者として感情移入させ易いといえる。例えば、高校野球で甲子園を目指す物語、サッカーでワールドカップを目指す物語、囲碁の名人を目指す物語、ポーカーの世界大会での優勝を目指す物語など。ただし、そのネタに関心が無い人間を、門前払いしてしまうというリスクは有る。
ケース2:現実世界の読者の立場では様々な制約(物理的なもの、法律など)から実行できないことを、作品の登場人物たちがやっている姿を見て、読者がカタルシスを得る。例:ヤンキーやヤクザが、学校や地域で覇権を争う物語。厳重な警戒を掻い潜る、大ドロボウの物語。報酬を受け取って殺しの依頼を引き受ける物語。詐欺師がコンゲームをする物語。犯罪プランナーの物語など。
ケース3:主人公が闘って勝利することで、脇役も利益を得るような物語。読者は、脇役に感情移入して主人公を応援したくなる。核戦争で荒廃した世界で、無法者によって弱い人たちの生存が脅かされているが、無法者たちを倒すために主人公は闘う。人間を食い殺したり操ったりする怪物が跋扈して、人間社会を脅かしているので、その怪物を倒すために主人公は闘う。大半の読者は一般庶民なので、このように「弱者を救うために闘う登場人物」には感情移入し易い。
呪いのビデオを観てしまった!何とかして呪いを解かなければ主人公は死んでしまう!そのタイムリミットが(a)1週間以内、(b)五十年以内のどちらかだとしたら、物語を読む意欲をそそるのはどちらか?
子供が生命の危機!手術をしないと死ぬ!そのために主人公は(a)有り余る財力と人脈を駆使して世界一の名医に手術を依頼する、(b)金も地位も人脈も持たない主人公が何とかして子供を助けるために苦闘するのどちらかならば、物語を読む意欲をそそるのはどちらか?
何も制限を課されていない登場人物は、読者にとって応援する甲斐が無い。貴方に腕前が有るのでない限りは「パンが無いならケーキを食べれば済む」といった恵まれた境遇の人間を主人公に据えて物語を書くことは避けた方が良い。
特にファンタジー系作品を書く場合、この種の落とし穴に嵌まり易いので作家志望者は注意した方が良い。一度「結局は、作者の匙加減一つじゃねえか」と思われたら最後、読者は興醒めして離れると思え。
【5:補足】
昔、海外のチェス初心者用指南書に『How not to play Chess』という本があった。「『やってはいけない駒の動き』をしないように心掛けるだけで、まともな対局が可能になる」という内容であった。今でも「悪い指し方」「他山の石」の例を見せて教えるのは、チェス・将棋・囲碁などの訓練では常套手段である。
したがって、物語についても「悪い例」を示すのが効果的である。例えば「『海賊王』に俺はなる!」という某漫画は、多くの人が知る有名な大衆的な商品なので、その駄目な所を指摘するのは、物語作家やそれを目指す人にとっては格好の「他山の石」と言える。そこで、この商品の駄目なところをいくつか指摘して終わる。
= = =
定義が不明瞭なのに「海賊王になる」と言われても読者にとっては「パンピレホニョンに俺はなる!」と言われるのに等しい。意味不明。
主人公が海賊王になるのを、脇役や読者が応援するべき理由や動機が有るの?
もしも主人公が海賊王になったら、脇役にとっては何か恩恵が有るの?
いつ迄に主人公は海賊王になるつもり?一週間後?一ヶ月後?半年後?一年後?十年後?
海賊漫画なのに海賊行為(襲撃、略奪、誘拐、密輸)をしていないよね?
どうせ戦っても「ハァ…ハァ…」と言うだけでダメージを負ったり死んだりしないから、単なるプロレスごっこになってるよね?
現在リアルに少年・少女のジャンプ読者は、連載中の海賊王漫画のことを「今、誰が、何のために、何をしているのかがサッパリ分からない」と思ってるよ。その読者の率直な現状を、編集者は把握してる?
= = =
冗談抜きで今現在、漫画なり小説なりの作家を目指している人は、某海賊王漫画を反面教師にして欲しい。
健闘を祈る。
27歳の男だけど毎日つらい。
甲斐性のある妻に守ってもらって、家でマイペースに家事してたい。料理作って家で待ってたいよ。家の中が一番好きだよ。
もう仕事したくない、どんなに頑張っても責任増えていくだけ、リーダーもしたくない。プレッシャーのない範囲で趣味程度に働けるならいいけど。
内気な性格だし、口下手だから大勢と喋ったり、意見をすり合わせしたりするの本当に苦手だし。黙々と一人で考えて行動したいの。でも力仕事の世界ってホモソだし近寄りたくないよ。
はぁー、つらいつらいつらい。本当にこれあと40年近く続くの?
毎日寂しい、仕事ではコミュニケーションが必要で一人になれないのに、いつも独り。集団に上手く馴染めない。和に加わると会話に入れない、頭が回らない、変な空気作ってゴメン。すぐ居心地悪くなって一人になりたくなる。でも寂しい。なんか後ろめたくなって嫌な態度をとってしまう、すれ違い様に気づかないフリをしてしまう。そして嫌われる、不快にさせてゴメンなさい。悪意はないんです。自分の嫌いなところです。
お父さん・お母さんなんで僕を産んだんですか、もう勘弁して。
開チン獣「シゴキング」現る!! 警視庁生活安全総務課の「子ども・女性安全対策室」(愛称・さくらポリス)は14日までに、
深夜のコンビニで女性に下半身をシゴきながら露出したとして、公然わいせつの疑いで、東京都***********の自営業、****容疑者(**)を逮捕した。
インターネットの「陰茎露出自慢サイト」をみて犯行に及んだという同容疑者の体重は100キロ超級。その大胆不敵さは“金”メダル-。
開チン獣「シゴキング」が突如として、その不気味な姿を現したのは深夜のコンビニだった。
7月19日、午前2時15分ごろの「セブンイレブン瑞穂武蔵店」の駐車場。
瑞穂町内に住む無職の女性(28)が、同店で買い物をしている友人を軽自動車内で待っていたところ、約15メートル離れた普通乗用車から降りてくる**容疑者の姿を視認した。
ジリジリと女性に向かって歩いてくる。女性はこの時点で早くも「やばい」「危ない」と察知。開けていた助手席の窓を慌てて閉めたという。
実際、やばく、危なかった。**容疑者は下半身を露出、つまり開チン状態で、さらにはモノをつかんだ右手をせわしなく動かしていた。
瞬く間に15メートルの距離は詰まり、目前まできた甲斐容疑者は怪獣が火を噴くかのごとく、車をめがけて“発射”。
本懐(!?)を遂げると、自分の乗用車に引き返し、猛スピードで立ち去った。ちなみに登場から“発射”までの時間は「さすがに分からない」(捜査関係者)という。
警視庁生活安全総務課の調べに、**容疑者は容疑を認めている。
また、動機については、インターネットの「陰茎露出自慢サイト」のファンで、体験コーナーに投稿されている書き込みを読んでいるうちに“発情”。
27歳の男だけど毎日つらい。
甲斐性のある妻に守ってもらって、家でマイペースに家事してたい。料理作って家で待ってたいよ。家の中が一番好きだよ。
もう仕事したくない、どんなに頑張っても責任増えていくだけ、リーダーもしたくない。プレッシャーのない範囲で趣味程度に働けるならいいけど。
内気な性格だし、口下手だから大勢と喋ったり、意見をすり合わせしたりするの本当に苦手だし。黙々と一人で考えて行動したいの。でも力仕事の世界ってホモソだし近寄りたくないよ。
はぁー、つらいつらいつらい。本当にこれあと40年近く続くの?
毎日寂しい、仕事ではコミュニケーションが必要で一人になれないのに、いつも独り。集団に上手く馴染めない。和に加わると会話に入れない、頭が回らない、変な空気作ってゴメン。すぐ居心地悪くなって一人になりたくなる。でも寂しい。なんか後ろめたくなって嫌な態度をとってしまう、すれ違い様に気づかないフリをしてしまう。そして嫌われる、不快にさせてゴメンなさい。悪意はないんです。自分の嫌いなところです。
お父さん・お母さんなんで僕を産んだんですか、もう勘弁して。
そんな甲斐性があったら少なくとも金は持ってそう
そもそも社会運動とは、一般的に弱者と呼ばれている属性の人間が地位向上などによって「強者」を目指すことだよね。
弱者男性は「強者」と見なされていること自体への異議申し立てなので、社会的な運動をする理由が無い。
弱者男性は、「社会的強者」と見なされることによる不利益を大きく受ける。
男性のみに経済力や甲斐性を求められること、男性のみが徴兵の義務を負うことなど。
なので弱者男性が進むべき方策とは、弱者男性を弱者のカテゴリーに入れさせるか、女性全般にも強者の義務を負わせることである。
まず俺のスペックを書く。
・35歳男性
かつては自分の不甲斐なさ、社会の冷たさに涙したこともあったが、ここ数年は比較的平穏に暮らせてる。
何故か。理由はいくつかあるかもしれないが、最大のものはネトゲを始めたからだと思う。
ネトゲに容姿は関係ない。自分の好きなアバターをつかって遊べる。格好いいイケメンも、可愛い女の子も自由自在だ。
俺は格好いいイケメンを作って遊んでいるが、結構褒められる。格好いいねーとか、その装備似合ってるねとか。
それはアバターが褒められているんであってお前が褒められているわけじゃない。空しくならないのか、と思うだろ?
それが案外空しくならない。何というか、自分の子供が褒められている感覚に近いかもしれない。俺に子供はいないけど、そう感じる。
自分の子供が褒められたら、多分嬉しいだろ。誇らしく感じさえするかもしれない。それを通じて自分も褒められているように感じているのかも。
大人になれば、普段の生活で褒められることなんてまず無い。弱者男性ならなおさらだ。
しかしネトゲなら簡単にそれがもらえる。これを知ったときは衝撃だったな。
特に深い考えがあったわけではなく、なんとなく女性キャラで遊んでみようかなーという程度。
そしたら驚いた。ただ単にフィールドを歩いているだけでも声をかけられるのだ。それに答えていたら簡単にフレンドが増えた。
他にも俺のキャラの動作にいちいち反応してくれたり、アイテムをポンとくれたり、ミスしても優しかったり。
男性キャラで遊んでいるときはまずこういうことは起こらない。ネカマにはまる人の気持ちがわかった気がした。
でも何故か罪悪感と違和感がつのり、そのキャラは消してしまった。別に騙していたわけではないんだけど。
そして容姿の問題がクリアできるなら、他者とのコミュニケーションは容易になる。
「俺みたいなのが話しかけて迷惑じゃないかな?」という考えが起こらないから、本当にポンポン話しかけられるのだ。例え初対面の相手であっても。
そのキャラいいね!から始まり、今どこら辺を遊んでいるのか、どこが難しいか、どのキャラが好きか。そのうち他の人も入ってきて、会話がキャッチボールのように飛び交う。
もうすごく楽しい。時間が矢のように過ぎていく。リアルではまずこんなことは無い。俺の人生では。
案外そうでもない。上手いに越したことは無いが、下手でもまあ問題ない。俺だって別に上手くはないしな。
何故なら、最近のネトゲはゲーム下手でも楽しめるように作られているからだ。
例えば生産系。いろんなアイテムをこねくり回して貴重なアイテムを作り出す。これにスキルはいらない。根気さえあれば誰にでもできる。
そうやって作ったアイテムを仲間に提供するだけでマジ感謝される。
最近のゲームはストーリーを追うだけだったらそれほど難易度は高くないし、自分が下手でも仲間が何とかしてくれる。
そしてそういった過程をSNSにアップするだけでもいいねが結構付く。
他にも世界設定を考察したりキャラのロールプレイをしたり。いいゲームは楽しみ方のすそ野が広い。
そういうのを通じて、他にも同じようなことが好きな人たちと繋がっていく。
要はネトゲをやれば俺たち弱者男性が求めてやまない「他者とのコミュニケーションと、それを通じた自己肯定感」が非常に容易に得られるということだ。
俺はこのお陰で日々の苦痛、虚しさをうまく中和できてる。それどころかネトゲ仲間と自分のアバターに恥じない自分でありたいと最近転職活動まで始めた。成功するかは分からないけどな。
以前の俺なら考えられなかったことだ。
ネックがあるとすれば初期投資がそれなりにかかるというところか。
ただはてなに居るならPCぐらい持ってるだろ?低スペックでも始められるネトゲはある筈だ。
まあダメだったらいつでも止めれるんだし、始めてみてもそう損はないんじゃないか?
そういう簡単でドライなところもネトゲのいいところだ。特にコミュニケーションに難がある俺たちみたいな人間には。
ネトゲでは容姿も年齢も経歴も能力も関係ない。ただできるだけ誠実であればいい。
これを読んでいる全ての弱者男性に、幸があるよう祈っている。