はてなキーワード: 構造改革とは
かつて日本を代表するPCメーカー、そしてシステムインテグレーターの大手6社に数えられるNEC。それを退職した今、機密に触れない程度に、特に研究所の裏事情を説明していこう。おそらく製品部門は違う苦しみを抱えているだろうが、高額なボーナスもらってるんだから耐えてくれ。
私が入社したのは、研究発表でのいわゆる一本釣りだった。釣りあげた部門も、当時の研究に比較的近かったため、給料をもらいつつ研究ができる、という不純な動機があったのは確かだ。大手特有の研修体制も魅力に感じた。
雲行きが怪しくなったのは1年目の夏である。当時研究所のトップであるE氏による、研究発表の総評の場で「まだそんな研究していたのか」という発言だった。NECのシステムインテグレーションといえば、重要な事業の柱であり、事業部からの引き合いも非常に強かった。折しも、AWSが日本国内での事業が躍進し、オンプレミスとは違う流動性の台頭に、研究テーマとしては佳境の段階であった。そこに貢献するミッションは他の研究テーマでは代用できないものである。
それをE氏は「そんな研究」と一蹴したのだ。翌年、予算はつかず、研究チームは文字通り解散となった。そしてシステムインテグレーションの研究はNECから完全に姿を消すことになった。E氏は光通信の元研究者で、正直なところなぜ偉くなったのか、今でも疑問であるが、少なくとも大のつくIT音痴であることは仲間内では有名である。それこそ当時はデータベースとは何か、すら知らなかったようである。
E氏が理解できる、できないはあったにせよ、そして価値の提供方法まで突き詰めて考えられていたかは怪しいけれど、少なくとも、なんのためにやっているのかわからない研究ではなかった。「バイオプラスチック 漆ブラック」などいった、海のものとも山のものともつかぬものより劣っていたのだろうか。カーボンナノチューブの研究すらまだ留保しているのに。
そしてE氏はNEC常務となり、CTOとなった。社内では最高級(給)のブロガーと称され、「未来について考える」だとか、「~について意識しなければならない」といった、きわめて抽象的、かつ薬にも毒にもならないビッグワードを垂れ流し、評論し、何かをいっているようで、実際には何ひとつ具体的な行動や指示を出せない人物である。そして未来創造会議というような、何ら結論の出ないものに露出するようになった。あれを見た人は、NECが何の会社なのかわからないだろうし、それは製品として何を提供するのかすら伝わらないだろう。漫画雑誌の企画会議ですらもっとマシなものだろう。
研究所といえば、技術部門の花形、と思われる人もいるかもしれない。事実、優れた技術はほぼすべて研究所発である。しかし、本当に優れた技術はNECからの広報には載らず、社外からの引き合いが先行する。なぜなら、広報はインパクトが優先され、そして広報ノルマを充足するために実施されるからだ。そして時には大きな「事故」となる。
数年前、橋梁構造物の劣化診断という技術が日経新聞に掲載された。これは固定カメラが画像を撮影し、振動による変化で構造内部の劣化をモデリングし、内部ひび割れを可視化するという画期的なものであった。事件の発端は、その研究途上であった技術に対し、研究所の理事(*2)がメディアの前で口を滑らせたことである。当然注目され、実用目途についてまで発表することになった。実際には理論検証が完了し、クリアしなければいけない項目の洗い出しの最中であったという。1年後を目途とされた研究テーマは、その後研究所から姿を消した。撮影には非常に繊細な取り扱いが要求され、撮影時の振動に弱いという欠点を克服できなかったと思われる。これは当時画像診断系の学会でも度々指摘されていたもので、研究者の間で共通認識であったが、残念ながら理事には理解できなかったようである。
ここ数年のNECでもっともインパクトがあった事象は2件の談合による指名停止であろう。煽りをくらい、全く無関係の研究所予算がまずは削減された。そして賞与が大幅に減額である。社内ですら、談合当事者やその上司の名前は完全に秘匿され、明に責任をとった人物は存在しないことになっている。おそらく、公表した場合、全社員から報復を受けることを恐れたのであろう。
すると、不透明な人事はいたるところにあることに気がつく。前期の大幅に未達だった中期計画の責任者だった遠藤元社長は会長になり、その策定の中心人物だった新野副社長は社長となった。そして次の新中期計画は1年目でとん挫したにも関わらず社長以下留任ときたもんだ。
グローバルビジネスの低迷。これからのNECの生命線とまで言われていたグローバルBU。彼らは海外売上比率を25%を目指すと宣言していた。中期計画に対して、何ひとつ貢献できずKPIを外したそのトップ、真っ先に責任を取らなければならない人物M氏は、翌年副社長となった。その自浄作用の無さもさることながら、株主や債権主の銀行は一体何を考えて、彼らの役員人事を承認しているんだろうか。株価は買値の1/10となった、もう値動きすら見たくないから早く潰れてくれ、と思っているのだろうか。
今後、NECは暗黒の時代を迎えるだろう。折しも今年は3000人のリストラを掲げ、断固と構造改革を実施する覚悟を強調する新野社長。しかし、彼にあるのは覚悟だけであり、スタッフを減らす方策すら定まっていないだろう。現状、10人が事業で仕事をし、8人が彼らの事務を担当するような人員比である。そして今回の早期退職は主に事業の主力たちが手をあげるようである。
思えば、個人の努力が何に対しても反映されず、学習性無気力に苛まれ続けたNECライフであった。管理能力に長けた上司はおおむね本社に接収され、帰ってくることはなかった。そして残ったのは、管理職不適格でありながらも、降格制度が存在しないことによる吹き溜まりである。会社に学会の仕事をしにきている主幹研究員なる人種もいれば、1時間前の記憶すらないような痴呆老人である。そんな中、近頃はカルチャー変革(*3)を謳っているようだ。NECの暗黒時代たる本質まで踏み込み、ぜひNECを再生していただければと思う。
(*1)ビジネスマナー研修や思想教育といったものから、ディスカッションなどがあったが、参加者も講師もレベルが低く、こいつら大学出てるのかすら怪しげだった。彼らが同期となって、社内キャリア形成上意味をもつ存在だと思うと、ぞっとした。さまざまな節目に集合研修は行われたが、効果を測定する様子もなく、ただそこに予算があり、研修を実施することが担当者の評価だ、というような空気であった。そしてその直感は、NECのスタッフ部門全体に共通するものであると後にわかる。
(*2)理事とは事業部長、本部長、中央研究所傘下の研究所長経験者で、様々な理由で部門が消滅したりすると発生する役職である。最近では、関西研究所CCII本部長、シンガポール研究所を歴任し、価値共創センターを立ち上げ、これらのすべてを失敗させたY氏が理事となっている。彼らは理事になると、「天下り」先を探すことがメインの仕事になる。そして彼らが天下れば、空席となった理事は別の元所長が補充される。
(*3)カルチャーは変革できても、働き方全般や違法裁量労働たるVワークの制度は変えられないだろう。また社員のモチベーションを上げるための施策は、すべて人事部門判断によって握りつぶされると思われる。総務部は人事部門の抵抗をどのように回避するのか、外様の役員の腕の見せ所だろう。
そんな時こそ構造改革ですよ?
中央省庁再編、金融国会、行政改革、財政構造改革、経済構造改革、金融システム改革、社会保障構造改革・・・。
26 名前: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/11(日) 20:04:21 ID:Tb6HTBHT0
ざまーみろ、民主wwwwwwwwwwwwwwwww
哀れwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
失せろ売国奴wwwwwwwwwwwwwwwwwww
59 名前: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/11(日) 20:05:06 ID:kmOObWrx0
当然だ。
119 名前: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/11(日) 20:06:22 ID:UJ+lM0UV0
これでいよいよ構造改革に本格的に着手できる。
日本人を信じて良かったよ。。。。本気で泣けてきた。
298 名前: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/11(日) 20:09:40 ID:nU10rvvLO
(=゜ω゜)ノやった!自民劇勝
362 名前: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/11(日) 20:10:32 ID:hEUyC5zH0
あはっは、ほんと圧倒的だな。
自民に入れてよかったよかった。
511 名前: 松下(本物) ◆3bVLh9KgpU 2005/09/11(日) 20:13:08 ID:uF7+v+Up0
820 名前: 名無しさん@6周年 2005/09/11(日) 20:18:03 ID:oAW9jZRj0
自民大勝ばんざーいヽ(´∀`)ノ
961 名前: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/11(日) 20:20:15 ID:SFAh1S2z0
995 名前: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/11(日) 20:20:48 ID:tloXCISE0
wwwwwwwwウハッwwwww自民大躍進ッwwwwwww日本安泰wwww
578 名前: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/11(日) 20:14:07 ID:sL5fIqZI0
ちゃねらーでニートやヒッキー、非正規雇用者、正社員でも年収600万未満の層は、今後激しい逆風が吹くことを覚悟した方がいい。
生きるか死ぬかまで「自己責任」の名の下にところん追い詰められるぞ。自民は勝ち組のための政治だからな。
いやー。森さんの言ってたやつ。直球でしたね。
誰も表題は信じてないと思うけど、みーんなが「どーせ嘘だろ」と思ってるの、すごいことだと思います。
「(略)質問だけにお答えいただけると有り難いと思います、時間が限られておりますので。今、大親友だというふうにお答えいただきましたけれども、そうすると、大親友である加計さんがずっとこの獣医学部を新設したいという思いであったということは当然ながら御存じでいらっしゃいましたよね。
「これは、安倍政権になりましてから、国家戦略特区に、その申請を今治市とともに出された段階で承知をしたわけでございます。それ以前から、それ以前から例えばこれは福田内閣のときに申請が出され、これは対応不可とされたわけでございますが、その前年、構造改革戦略特区はあったわけでありますが、その一年前は安倍政権でありますが、そのときには出されていないわけでございます。(略)」
2016年6月4日の申請時点のことと思われるけれども、この時はまだ最初の申請時に加計学園の名前が入っていてはいけないことを知らない模様。日付も聞いておくべきだったねー平山さん。相手は嘘つきなんだからさ。
「総理、加計学園の加計孝太郎さんが今治市に獣医学部をつくりたいというのは、いつから知っていましたか。」
「これは、安倍政権においてこの申請について受け付けてはおりません、安倍政権においてはですね。安倍政権の後、福田政権において申請を受け付け、しかし対応不可となったというふうに承知をしておりますが、安倍政権においては、第一次安倍政権においては受付も受けていないわけでございます。そのことは明確にしておきたいと思いますが、その後にこうした形で、当時も自民党政権でおりましたから、この特区については安倍政権としても取り組んでまいりましたので、当時は国家戦略特区ではなくて構造改革特区であったわけでありますが、そこで申請されたということについては私は承知をしていたところでございますが、その後に当然、私は議長を務めておりますから、国家戦略特区に申請をすれば私の知り得るところになるということでございます。」
「(略)構造改革特区について加計理事長は申請をしていたわけでございます。安倍政権においても四回申請をされ、民主党政権の最後に申請され、そしてその判断をしたのは、安倍政権であったものを入れると五回でございますが、五回とも我々は事実上認めていないわけでございます。そこで、この構造改革特区については説明がございますが、いわば事実上、十数通の申請がございますが、認めていないものでございますので、私はそのときに説明は受けていないものでございます。
ですから、この加計学園の申請が正式に認められた国家戦略特区諮問会議において、私が知るところに至ったわけでございます。」
「正確にお答えください。いつですか。」
「これは、一月二十日に加計学園の申請が正式に決定したわけでございます。」
大串
「もう一度お尋ねします。加計学園が申請しているということを、ことしの一月に、認められたときに初めて知ったということですか。」
「先ほども申し上げましたように、私は知り得る立場にはあったわけでございますが、しかし、そのことについての具体的な説明は私にはなかったわけでございまして、知った時期については今申し上げたとおりでございます。」
大串
「総理、本当に、加計理事長が獣医学部新設を申請していたということ自体を知ったのが一月の末だとおっしゃるんですか。私、ちょっとにわかには信じられないんですよ。といいますのは、去年の秋以降、国家戦略特別諮問会議、二十三回、二十四回、二十五回、これは総理が出席している会議ですよ。総理が出席している。その間にワーキンググループも開かれて、そこで各関係人からヒアリングもしているんですね。その結果も含めて、諮問会議で、総理も出たところで議論をされているんです。にわかに信じがたい。もう一度お答えください。いつ総理は、加計学園の理事長が申請しているかということを総理の頭の中で認知されたんですか。
「先ほど答弁をさせていただいたところでございますが、いわば今回の申請は今治市ということでの議論になって、国家戦略特区はその議論でございまして、そこで、事業者はその段階で決まっていないわけでございます。その観点から、いわば先ほど申し上げましたとおりでございます。
「本件は、首相案件となっており、内閣府藤原次長の公式のヒアリングを受けるという形で進めていただきたい。」
「国家戦略特区でいくか、構造改革特区でいくかはテクニカルな問題であり、要望が実現するのであればどちらでもいいと思う。」
「これまでの事務的な構造改革特区とは異なり、国家戦略特区の手法を使って突破口を開きたい」
ちなみに出席者は、朝日記事で巧妙に隠してある、報告・伺の方に書いてあると思われるけれども、
愛媛県の政策課長以下3名、今治市の職員の他に、加計学園の事務局長のWさん、学部長予定者だったY教授、加計学園相談役のTさんがいるはずなので、残念だけど、加計学園は公募前だから、知らないから、っていうのはさらに厳しくなる書類だと思われますけどねー。
総理が知らないことを首相秘書官が勝手に暴走して、勝手に内閣府に段取りつけたけど、当然総理には報告していないですね。安倍総理に報告するなんてとんでもないことですよ。個別案件については関知するわけがないじゃないですか!
そもそも出所もわからない紙に政府はいちいちコメントしないし、怪文書のようなものではないでしょうか(棒)
これは出版業に隣接する場所で働く人間にはこう見ているという話だ。出版業は苦境に立たされている、新しい売り方を模索せねば、という声が聞こえてくるが、いや、苦境どころじゃなくてもう終わっているよなーと素直に思う。
編集者はいつ会っても疲弊している。ノルマに追われ、考える時間がない。著者を見つけ、本を作っても、宣伝費がないので売る方法がない。ノルマがあるので完成したらすぐ次の本に取り掛からなきゃいけない。同時並行でやっているので、一冊に力をかけることもできないし、完成したら販売に力を入れることもできない。結果、作ったらあとは放置。売れてくれたらラッキー。そのぐらいの気持ちでやっている。
宣伝費がかけられないので、少しでも売れる確率をあげたければ、すでにファンがいる人間にあたらなきゃいけなくなる。なので、ツイッターでフォロワーが多い人間、ブログが少しでもバズった人間に声をかける。だから、今はネットでちょっとでもバズると、すぐに出版の声がかかる。今やネットで人気のある人が毎月のように本を出す。フォロワーに対して「なんと本を書きました!」と報告する。初版は6000部。編集者からは「普通はもっと少ないんですけど、フォロワーが多いので増やしました」と言われている。「うちは新人の印税は7%なんですよ……」と申し訳なさそうに言う。ツイッタラーは一生で初めての出版なので、舞い上がり、少ない報酬でも睡眠時間を削って書く。だから、出版を報告するのは一世一代のことだし、売れてくれと願っている。だけど、出版社はそうじゃない。出版社は現実を知っていて、売れないことを見込んでいる。フォロワーたちが買って、万が一にもヒットしたらいいと考えている。
売れないことがもはや当たり前なので、本を出してそれが売れなくても、気にしない。というか、気にする余裕がない。次の本を完成させなきゃいけないのだ。売れないことで凹んだりはしない。だけど、著者は違う。報告ツイートは「いいね!」されたけど、レビューもそんなにつかず、ツイッターで感想もあまりつぶやかれず、「これでほかの出版社からも依頼があるかも」と期待していたけど何もなく、「あれ?」と思っているあいだに、ビックリするほど静かに時間が過ぎていく。そして、また別のツイッタラーが「本を出しました!」と報告する。
そこで出るツイッタラーの本も通り一遍なものだ。生い立ちを語り、私はこうやって成功しました、と成功談をつづる。ちょっとツイッターでバズったぐらいの人間が、ものすごい人生を送っているわけでもない。文章がすごいわけでもない。だから、どこかで見たありがちな内容になって、売れない。
本はビックリするほどたくさん出ていて、そしてビックリするほど売れない。
本屋に行けば、いつも同じ本が並んでいる。「自由に生きよう」「夢を諦めるな」「こうすれば上手くいく」同じような内容を著者を変え、毎日出している。どれかが万が一にもヒットしてくれたらいいと思いながら。
小説はどれも内容違うじゃないか、と言われるかもしれない。だけど、小説はもう本当に売れない。書くのに2年かかって部数は4000部。特に宣伝もされずに一部の書店に一週間ほど置かれてなくなっていく。そして、売れなかったことを理由に次回作は出ない。
じゃあ、売れる本は何なのか、というと、偶然としか言えない。たまたまタイトルが時流に合っていた、たまたま表紙がキャッチーだった、たまたま部数が多く出て書店での露出が多かった──これらの偶然が重なって発売数日、書店での売れ行きがいい。すると、出版社は「おっ」と思い、「じゃあ新聞広告出すか」とここでやっと宣伝することを考え始める。宣伝するとそれなりに売れる。だから、増刷をする。すると、書店で目につきやすくなるので、また売れる。その売上を見て、また広告を入れる。すると、また売れる。一度売れだすとこういう循環が回り出す。
じゃあ、最初から部数を多くして、宣伝をしていけばいいじゃないか、と思うかもしれない。だけど、そんなことは怖くてできない。すでに数字がないと営業や宣伝を説得できない。
こんな構造ができあがっているので、いい本はできないし、著者の期待は裏切っていく。似たような本しかないので読者も離れていく。これはもう「構造改革」でなんとかなる話ではなく、すでに業界が瓦解していると思う。
・今回、はあちゅう氏の告発により、岸氏の信用が地に堕ちると共に、はあちゅう氏自身に批判が集まり、結局、告発行動の趣旨が矮小化されてしまった。つまり、セクハラを許す構造は何に由来し、その構造が未だに維持されている業界は他とどう違っており、我々はどのようにその構造を解体したらいいのだろう?という議論の深まりには至らなかった。
・武器を持った通り魔が瞬間的に大量殺戮を行なうのを制止するのと異なり、日常的恒常的に行われるある種の性暴力は、単に悪い個人を排除すれば解決する問題では無い。それを許す(時にはそのような人を求める)ような土壌、構造が存在する限り、排除された権力の空白に他の誰かが座るだけだからだ。仕事が出来るキチガイは、どうせ星の数ほどいるのだから。
・このような構造、土壌を個人の力で解決することは非常に難しく、だからこそ誰かが声を上げ、人数のチカラ、ある種の動員を持ってして構造改革にまで持っていく必要がある。metoo運動に意義があったとしたならば、そのようなところだろう。
・しかし、結果として、そのような論点には目はあまり行かず、はあちゅう氏やよっぴー氏に批判が集まり「岸氏は非常に悪かったが、はあちゅう氏も同じ穴の貉的」な扱いを受けることになってしまった。
・この増田としては、よっぴー氏や深津氏が問題点として挙げていた「身辺が綺麗な人間で無いと告発出来なくなる」ことについてもう少し深く言及していきたい。
・一部では岸氏のセクハラ問題とは別に、はあちゅう氏の童貞揶揄問題があるのであって、それはそれこれはこれで批判すべきであると言う正論が主張された。確かにこれは全く別件の話なのであって、別の話としてはあちゅう氏が批判されることは妥当であるかのように思われる。
・しかし、問題はそんなに簡単なのだろうか?ここから人々はこう学習するのでは無いだろうか?「セクハラ告発をすると注目が集まり、その結果、告発に関係ある/ないを問わず批判が集まってしまう」と。そのように言うと、批判の妥当性を持ち出し、妥当な批判だから為されるべきである、とあなたは言うかもしれない。
・物事はそのように単純には割り切れない。告発者にとってみれば、批判が妥当であればあるほど、正当であればあるほど、謝罪や総括や反省をする必要性が生じる。告発による負荷が増えるのである。それは、別件であろうが何だろうが、告発を行なった結果、告発をトリガーとして発生したことなのであって「実質的な告発のコスト」として勘定される。告発者となる可能性がある人が、これらを予期し、結果としてそれをやめてしまうことは充分考えられる。
・それでは、果たしてそうした予期を防ぐために、我々は司法取引的に、告発者の全てを許すべきなのだろうか?いや、それもあってはならないし、単に受け入れられ無いだろう。はあちゅう氏のある種の価値観や童貞揶揄に対する批判はいつか為されるべきだった。
・ここでの落とし所は「いつか為される」こと、つまり、司法取引的に告発者の過ちを「全て帳消し」にするのではなく「一旦、この告発が行われたタイミングで過ちに対する請求(批判、反省や謝罪を求める行為)を停止し、しかるべき時と場所で行う」ような、タイムラグを作ること、あたりにあったのではなかろうか?告発のコストとして勘定されないように、すぐに批判を加えず、一旦留保するいう振る舞いである。
・その意味で言うと「はあちゅう嫌いだが(一旦置いといて)、告発は応援する」という態度は、実はかなり妥当な落としどころであった可能性が高い。しかし、よっぴー氏の擁護が「彼女の過ちをチャラにすべき」のように響いてしまった(意図はそうでは無かったようにも読めるが)のもあり、その遅延的な免罪も無くなってしまったように思う。
・無論、別の観点、例えばはあちゅう氏の発言や態度により、実質的な被害を被った人の立場からすれば、はあちゅう氏の過ちに何らかの配慮すること自体を許せない、許さないと主張するのも当然、正当な立場である。それが帳消しだろうが遅延だろうが関係ない、結果として、セクハラ告発のコストが上がろうが、それは別の話であって、自分には関係の無いことだ、と。
・ここで、我々はもっと当事者意識を持つべきである。問題はこのように複雑である。我々は例えば、どちらかの立場を選ばざるを得ない。
1)告発者の過ちに何らかの手心を加え、告発コストを下げて悪しき構造の解体への寄与にコミットする。
2)告発者の被害者にコミットし、告発者を批判し、反省を促す。実質的な告発コストは上がる。
・そう、我々は無関係では無い。我々がこのような件について言及するとき、批判するとき、それが本気であっても面白半分であっても、その件についての、なんらかの結果を左右してしまう。我々はいずれかの立場を助け、もう一方を挫くような、そのような当事者である。つまり、ある立場の人間を傷付ける者である。
・告発者は善人でなければならないのだろうか?やましい人達は、弱い人たちであることも多い。傷つく人達は、愚かな人たちであることも多い。素晴らしい人たちについて、我々は簡単に同情可能である。善人ついて我々はすぐに感動を覚える。善き人たちは、すぐに救われるだろう。善人たちとともに、そうでは無い、理解不能で、愚かで、同情し難い全ての他者を「人間扱い」するために、おそらく、人権はある。
今にして思えばSTAP細胞事件が典型的だったと思う。妄想(ゆめ)を語る研究者に対する人々の期待がバブルのように膨らみ、マスコミや業界紙はそれをさらに煽るべくショーアップする。結果として、彼らの下には多額のカネが集まってくる。
結局、そのバブルは弾けて水泡に帰した。しかし、本来、科学的研究などというのは失敗してナンボのものであり、提案された成果の追試が成功せずに認められないことは珍しくない。STAP細胞も、そのような失敗した研究の一つとして粛々と科学史の闇の中へと消えていく程度の話であったはずだ。
しかし、現実には有名研究者であった副センター長の自殺という衝撃的な結末を迎えた。何が、彼をそこまで追い込んだのか?
翻って今回の場合、齊藤氏とその技術者チームが開発したスパコンはGreen500で四位という立派な成果を出したのであり、その技術力は虚像ではない。だが、その発言が非常に危ういものであったことはすでに指摘されている。
(中略)
次世代のスーパーコンピュータの必要性は、もう釈迦に説法であるかもしれないが、さまざまな手法による省エネルギー、そして新エネルギーであり、最終的にはエネルギーフリーに持っていく。小型熱核融合といったところには核変換の機能が付与されるため、資源問題が大きく改善、解決されていく可能性がある。
食糧問題というものも、植物工場のあり方次第で大きく変わってくるということや、衣食住がその次のフリーになるというようなところも議論としてあり、続いては安全保障、軍事の議論もここに含まれてくる。やがて保有するスーパーコンピュータの能力が国力という時代が非常に近づいてきているのではないかと思う。
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/2030tf/summary_281003.pdf
夢を語るのは良い。だが現実には何が起きたか。おそらくは、彼の描く楽観的なビジョンに対して次々と舞い込んだ多額の助成金が、後ろ暗い勢力を引き寄せる結果となり、最後は食い物にされた。それが、今回の件の実態なのではないか。
(追記:四億円だけの話をしているわけではないよ。)
同じく委員会に参加していた「東ロボくん」などのプロジェクトで知られる新井紀子氏は、今回の件についてこうコメントしている。
マクロのパラメータが痛んでるときに、最後のブラックボックスであるイノベーションにかけて一発大逆転を狙うと必ず無理がたたってインパール作戦になるので、現実を直視し、エビデンスに基づいてコツコツ修正するように、と言ったのに…。 経産省にも責任があると私は思う。
この指摘は非常に正鵠を射ていると思う。今や、この国のあらゆる人々が一発逆転を期してユメを語る人間にカネを託すようになった。言い換えれば、経済が停滞を続ける状況下において、ブラックボックスは最もカネになる存在となったのだ。
このことは、昨今の政治スキャンダルの様相が変わったことと大きく関係していると思う。前世紀と比べて、我が国ではハコモノ利権は相当に厳しくなった。これは、有権者の目が嚴しくなったこともあるが、マクロの経済環境が停滞した結果、そもそもバラ撒くためのカネがないということもあるだろう。
一方で、昨今に取り沙汰されている政治スキャンダルを振り返ってみると、全て「教育」「構造改革」「イノベーション」に関するものだ。繰り返そう、ブラックボックスはカネになる。子供の中にも先端技術の中にも無限の可能性があり、そこに対する投資は無条件に正当化される。
既存の利権の伸びしろが無くなった今、ブラックボックスに対する期待をカネに変えて配る、すなわち「イノベーション利権」の構造こそが、この国の政治の最先端の姿なのではないか。
wikipediaに出てた「観光協会」があったのでみてみた。
なかなか問題を孕んでるなー
内部事情に詳しい人が書いたっぽい
主な財源は国及び地方自治体からの補助金、会員からの会費、観光イベントなどに於ける収入、各種団体からの観光を目的とした事業の委託等により賄われている。
実際に観光施設や駐車場などの運営事業を持っている場合は、当該事業から黒字が出ている限り、観光協会の自主財源ができるため、組織運営は安定する。
しかし、赤字に陥った場合、会社組織に比べて意思決定機構が複雑で、極端な場合、当該組織では意思決定できず、管掌する行政の指導・助言を仰いだりする場合もある。この場合、行政と観光協会とで責任の擦り付け合いになり、組織としての意思決定が遅れ、結果として思い切った構造改革ができず、赤字累積となる危険性もはらんでいる。
設置規模によって事務局の体制は大きく異なる。もともと人件費よりも事業費を重視する体制であり、業務内容と量に比べて職員数は抑えられている。
出向職員の給与は出向元が負担するが、専従職員の給与は観光協会の体力や設置する自治体の方針によって異なる。
役場職員に準じる場合もあるが、規模が小さな観光協会の職員は事務局長であっても年収200-300万円であることもままで、ワーキングプアもしくは名ばかり管理職の温床となっている。
こういった特殊な職場環境にあるため、新卒者採用を含め一般公募による職員採用はほとんど行われず、定年退職者の受け皿として機能することが多い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E5%85%89%E5%8D%94%E4%BC%9A
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170818121139
由乃の年収 204万円・・・ 福利厚生の内容によっては貯金できるけど、あれだけのモチベーションを維持できる由乃たちはすごいと思う