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はてなキーワード: 曖昧とは

2024-08-13

anond:20240813132110

議論をしたいなら愚民などという曖昧言葉を使うべきではありません

劇場版ぼっちざろっく観た

8/12を詰め込んだ前編に比べると後編は余裕のあるつくりだった

テレビ放送当時の記憶曖昧だけど新規カットも前編よりあったような気がする

知らない曲が流れてたので帰ってからシングルCDミニアルバム買いました

2024-08-12

山道

私が大学生の頃の話です。当時の私は運転免許を取ったばかりということもあり、車で遠出することを趣味としていました。折よく父が車を買い替えたこともあり、今まで乗っていた小型車を譲ってもらえましたので、生意気にも学生身分自分の車を持っていたわけです。友人の中で自前の車をもっている者はおらず、仲間内で遠出する時には私が車を出すのが通例となっていました。特に付き合いが深かったS君とは、よく一緒に遠出をしたものです。S君は教授学生の間でも評判の良い好青年でした。私は人見知り癖があり奥手な人間ですが、なぜかS君とは馬が合いました。今思えば、S君の社交的な性格に随分と助けられていたのでしょう。

ただ、S君には不思議なところがありました。二人で買い物をしていた時のこと、レジに並んでいる人を指して「あの人は危ない」などと言うのです。その人の外見は全く普通でしたので、「どこが危ないんだ?」と聞き返しますと、「見ていれば分かる」と言って、それきり黙っているのです。はてと思い、その人を何気なく目で追っていますと、店から出たところで車にはねられてしまったのです。もちろん私は大層驚きましたので、あたりが騒然となる中で「あの人が事故に遭うと分かっていたのか?」と問い詰めました。S君は「何が起こるか分かっていたわけじゃない。ただ、悪い事が起こるのは分かっていた。」と言って、つらそうな顔をしていました。後から聞いた話によると、S君には所謂霊感」というものがあり、特に「悪い事が起こる予兆」が分かってしまうようなのです。本人も普通ではないという自覚はあり、家族と近しい間柄の者にしか、この事は話していないそうです。人に忠告しても信じてもらえないので、ただ見ているだけしか出来ないのが辛いと溢していました。私といえば霊感の類は一切なく、心霊の類にも懐疑的立場でしたが、親友といえるS君の言葉を疑う気も起きず、「そういった事も世の中にはあるのだろう」と、半ば自分を誤魔化す形で受け入れていたのです。

なんにせよ、普段S君がその「能力」を発揮する場面はありませんでした。私たち人畜無害学生生活を送っていましたので、そうそ危険に出くわすわけもなかったのです。そんなある日、S君から「久しぶりに二人で遠出しないか」と誘われました。課題に追われて図書館に入り浸っている私を日干しにしてやろう、という意図もあったのでしょう。私としても鬱屈とした気分を晴らしたかったので、二つ返事で車を出しました。見慣れた街から離れ、気の向くままに車を走らせていますと、山道差し掛かりました。車が通るには十分な道でしたので、山頂に向けてゆったりと車を走らせました。山道に入って10分ほど経ったでしょうか。不意にS君が「止めてくれ!」と叫びました。何事かと思い、車を止めてS君の様子を見ますと、顔から血の気が引いており、いかにも具合が悪そうにしています。「大丈夫か?酔ったのか?」と聞くと、首を横に振ってこう言うのです。

「すぐに引き返すんだ」

私は困惑していましたが、はっと思い当たり、「何か悪い事が起こるのか?」と聞きました。S君はもう一度首を横に振って、

「いいから引き返せ!」

と言って、項垂れてしまいました。彼が取り乱すところなど見た覚えがなく、尋常ではない事を察しましたので、急いで車を出そうとしたところ、ぞっと背筋が冷たくなりました。「総毛立つ」というのは、あの事だと思います。繰り返しますが、私に霊感の類は一切ありません。その私ですら、強烈な悪寒を感じたのです。妙に冷たく感じるハンドルを握り直し、今来た道を引き返しました。ああ、この山道はこんなにも長かったでしょうか?恐怖は時間間隔を狂わせるといいますが、それにしても麓に着くまでに長すぎるように思えます。曲がりくねった道の先は日が傾いているせいか薄暗く、危険を感じて車のライトを付けました。

ライトが道の先を照らした瞬間、私は思わず車を止めていました。ライトの光の中に、何かがいるのです。「それ」は、なんと言い表すべきでしょうか。奇妙なことに、そこにいると分かるのに外見が定まらないのです。まるで「それ」と認識するのを、私自身が拒絶しているような、もやがかかったような感覚なのです。しかし、恐ろしいことに、「それ」が私達に向かって近づいてきていることは分かるのです。「逃げよう」。S君にそう言おうとし、彼の方に必死で顔を向けました。

S君も、こちらを向いていました。白目を剥いていました。人の眼球というものは、あれほど裏返るものなのでしょうか。顎が外れるほど開かれた口は何かを訴えているようでした。しかしその喉からは、何の声も発せられていなかったのです。恐怖ゆえか、もしくは幸運であったのか、私は意識をその場で手放していました。

どれほどの時間が経ったのか、私は目を覚ましました。気絶する前と同じように、自分の車の運転席に座っていました。全て夢だったのかと隣を見ました。S君はおらず、助手席側のドアが開け放たれていました。私は恐る恐る、助手席側のドアから外を見ました。ああ、見なければどれほど良かったでしょう。助手席のすぐ外、山道の地面に、赤い線が引かれていました。赤い線は山頂に向かって引かれていました。まるで、人が引きずられる時に、地面を掻き毟ったような・・・・・・では、赤い色は・・・・・・

その後、私がどうやって帰ったのかは記憶曖昧なままです。両親によれば、家に帰宅した私は茫然自失の体であったようで、しばらくは会話もままならなかったそうです。S君はその後、行方が知れません。警察捜査も空しく、いまだに見つからないそうです。

そして、私から事情聴取をした警察の方からおかしな事を言われました。事情聴取にあたり、S君が消えてしまった山道の話をしたのですが、「そんな山道はない」と言うのです。「そんなはずはない。確かに車で走ったのだから調べてくれ」と言っても、「どこかと間違えていないか?」と言われてしまいました。そのような事があり得るでしょうか?では、私とS君が訪れた山道は、一体なんだったというのでしょうか・・・・・・

anond:20240812125520

日本人ルーツ

日本人はそれをわざと曖昧にしようとしている

なぜなら日本という存在自体捏造から

日本人祖先の「3系統説」、従来の定説修正迫る ゲノム解析進化人類学は「人類日本人本質」を探究

https://scienceportal.jst.go.jp/explore/review/20240724_e01/

関西地方漢民族遺伝親和性が高いことが明らかになった

東北系も縄文人との遺伝親和性が高く、沖縄県宮古島古代日本人韓国三国時代(4~5世紀)ごろの古代韓国人に近かったという

日本人中国人朝鮮人雑種である

また天皇家漢民族である


その歴史を暴かれないために今でも国は天皇陵の発掘を禁止している

[]【高橋源一郎にきく】今あえて社会内面化しない勇気

本書は、3年毎日に連載されている「これはあれだな」の中から選ばれた文章を集め、過失したエッセイです。

「これはあれだな」とはどのようなコンセプトのコラムでしょうか。

何か気になった事件や本、作品などがあったら、それについて書くのが普通ですよね。それだけじゃ面白くないので、過去に同じようなことがなかったかと探し当て、その二つを比べて何が変わって何が変わっていないかを考えるというのがコンセプトです。

まり、例えば文学作品であれば、文学作品と何かの映画とか、100年前に同じようなことがあったとか、こういう事件があったけど、50年前に全く同じようなことがあったよね、といったことです。だからジャンルが違う場合もあって、例えば映画と最新作のアニメでは、これどこかで見たことあるなと思ったら、80年前のあの映画と同じことをやってない?ということです。

パッと5、6個思いついて「これならできそう」と思って始めたんですが、途中で「大変だ」ということに気づきました。少なくとも二つは見つけなければならない作業であることに10回目くらいで気づいたんです。普通は一つの話題で済むところを、必ず二つ見つける必要がある。多ければ多いほどいいんですよ。例えば今と大正明治で同じようなことがあった、とか。

時代は変わらないね、というのは面白いんだけど、めちゃくちゃ手間がかかる。読み直しを結構確認しなければならないですからね。一応記憶に頼って「こんなことあったな」と思い出しても、記憶曖昧になってきます。でも、本当にこれ面白いんだと。途中からは大体ストックがあって、これは似てる、逆に今のこれがあれだけど、あれから発想する場合もあるんです。昔こんなのあって、こんな面白ものって今にはないかな、と。

そうやって見ていくと、最近若い人の旅に出た記録が1000年前の元神尚の記録に似てるとか、1500年前のものそっくりだ、とか。そういうふうにしていくと、結構いろんな時代に似たものがある。特徴性が被るものがある。だから時代にそういうものを生み出す必然性があるっていうことを考えると、話としては面白いんで、ただ手間がかかる。

今回本にまとめられたのも、別に今回が初めてではないです。これで3冊目です。毎週締め切りがあると憂鬱なっちゃう。まずこれを見つけるでしょ?で、あれがなきゃダメなので、どんなに面白くても「これ面白いんだけど、ペアになるものがいないよね」ってなると、できない。

そもそも、ご自身文学作品を作るっていうのも、アイデアを出さなきゃいけない。アイデアはひねり出すんですけど、あれを見つけるっていうのはなかなか難しい。でもやっぱりコンセプトが光ってますね。やっててうまくいったときは「これ、よく見つけたな、自分でも」って思います

あの、本書の前半では、2022年9月13日フランス映画監督ゴダールの死について書かれています高橋さんにとってゴダールはなぜこれほど特別存在なんでしょうか?

これは世代的なもので、僕の世代芸術音楽映画文学好きな人ゴダールに影響を受けていない人はいないと思います

皆さん結構しますね、やっぱり。

当時はSNSもないし、情報だって今ほどは入ってこなかったから、例えば映画ニュースもなかった。テレビニュースやらないから、どこで知ったかというと、映画雑誌とか、映画芸術とか、そういうところにちょこっと載っていて、新作が出たって今だったら全部SNSでお知らせが来るんでしょうが、そういうのがなかった。だから新作が出たって言っても、日本公開がいつかはわからなかった。

僕は映画だと、アートシアターというのに入っていました。60年代、相当幼い時から、そういう会の会員になって、中学入ってすぐそういう会に入った。だから映画クレイジーキャッツからゴダールまで一緒に見ていました。そもそもそれを分けて考えるのはダサいって感じだった。

しかも極端なことを言うと、芸術ばかり見ていると馬鹿にされるから、逆にクレイジーキャッツとかGS映画を見ないと恥ずかしいって感じだった。そういう背景の中で、ゴダール作品はかっこいいと思ってましたね。彼の即興スタイル特に印象的で、シナリオを書いていかないんですよね。当日、その場でセリフを持っていく。そして基本的編集映画を作るというスタイル

引用が多い。ゴダール作品は、引用が多くて、ただ引用しているだけのものもある。それはオリジナリティに対する嫌悪なんだと思うんです。オリジナリティではなく引用作品を作る。だから過去世代否定する度合が一番強いのが彼で、その影響を受けていると思います

最後作品についても書かれていますが、イメージばかりが連続してくる、写真バンバンバンと順番に来るような映画で、画質は必ずしも良くないのに、なんだか異様に綺麗な映像が印象的でした。

どうでしたか?その最終作に対する感想は?というと、ゴダール作品が好きだなって感じですね。もういい悪いじゃなくて、好きだって感じですね。ゴダールはずっと「映画テーマがどうとかじゃなくて、90分なら90分、じっとその映画館に座って見ていればそれでいい」と言っていて、ただ画面を見ていれば幸せ映画ってそれでいいんだ、という考え方を持っていました。

ゴダールは、自分映画自殺映画だと言っていて、主人公死ぬ映画が多いんです。「気狂いピエロ」もそうだし、「勝手にしやがれ」もそうだし、最後主人公自分で目を閉じて死ぬ。あれはすごいなと思う。しかも、あれがデビュー作なんですよ。最後自分意思表現する映画を撮るという意味で、彼の作品は一貫してそのテーマを持っているんです。

「映画史」という映画も撮っていますが、ゴダールという監督は、常に作品現実境界を取り払うことを考えていたんです。作品現実が別々のものではなく、その境界を取っ払って、映画館で観ている観客に語りかけるという姿勢がありました。

映画の中で、主人公が観客に話しかけるというのは珍しいことではないですが、それを堂々とやったのがゴダールアメリカでも10年くらい前に「ハウス・オブ・カード」とかで流行りましたけど、ゴダールもっとからそれをやっていた。それがかっこよかったんです。

また、魚くんの電気映画「魚の子」や、中村喜子の「女と刀」、植物学牧野富太郎の「牧野富太郎自伝」などについて書かれた箇所を読むと、一つの観念や興味に取り憑かれて、非論理的であろうが、非経済的であろうが、自分の道を進む人が高橋さんの好きなタイプなのではないかと思いました。そういう方にどんな魅力を感じるのですか?

いや、面白いですよ。単純に普通面白くないですか?ちょっと病的な感じさえありますが、頭おかしいんですよね。でも、そういう人は見ていて面白いですね。付き合いたいとは思わないけど。

でも例えば、魚くんだと、そこに書きましたけど、魚くんも面白いけど、お母さんがすごいですよね。僕も読んで「あ、そうなんだ」と思いました。魚くんの主人公はお母さんなんですよね。つまり、こういう人はいるんですよ、きっと。街を歩いても変な人はいます。変な人はいるけど、大体は困るんですよね。それが普通で、生きる人の知恵です。普通に生きてるとそうなるんですよ。

でも、時々そうは思わない人が出てくる。だから、変な人も大事なんだけど、その変な人を受け入れる人の方が自由だと思っています。お母さんがそうですね。お母さんは自分の息子だけど、そのおかしさを全面的に抱きしめる。

普通おかしいって言っても結局排除されるか、直されちゃう。「お前、おかしいか普通にしなさい」と。でも、そのおかしさを育てるというのがすごいなと思います。それは他者とか異業のもの尊重するってことなんですよね。つまりおかしくても存在意義がある。

これは結局、すべての人に存在意義があることにつながるんですけど、普通の人は存在意義があると認められている。でも、おかしな人とか、魚くんならいいけど、例えば身体障害者とか、知的障害者の人たちは見たくないと思うこともある。でも、それでも家族でも受け入れられない人もいる。

僕も色々調べました。障害ある子供が生まれると、受け入れられる家族と受け入れられない家族がいます時間をかけて受け入れられるようになる家族もいます特に父親最初は受け入れないんですよ。でも、母親はすごいなと思います。お母さんは何でも受け入れるんですよね。

魚くんも牧野富太郎も色んな人が出てきますけど、その面白さとは別に、それを誰が受け入れたのかが重要なんです。牧野富太郎変人だけど、奥さんが受け入れたんですよね。牧野富太郎植物愛に没頭する変人ですが、それを受け入れるのは大変なことですよね。

でも、それを受け入れたからこそ、彼の生存保証されたんです。だから、僕が書いた美方ククスとかも超天才だけど、あれ夫だったら困るよ。でも、受け入れた人がいたから、その生存保証された。

でも、どうですかね。例えば、牧野さんとか魚くんとか、みんな著名になって仕事に繋がって成功しているけど、そこまでお母さんが考えていたか奥さんが考えていたかは分からないけど、魚くんになれなかった魚くんや、牧野富太郎失敗版みたいな人も絶対たくさんいたはずです。

結局、成功者の影には1000人の失敗者がいると思います。きっとそういう人たちのところにも、お母さんがいたんですよ。でも成功しなかったけど、いいんじゃない、それで。

これでも、親もすごいけど、1000人の失敗した人を見守ってた親がいて、その人たちが不幸だったかっていうと、そうでもない。そういう人たちは必要なんですよ、ということをよく考えますね。

セコさんの漫画マダムたちのルームシェア」とか、信友直子監督の「ボケますからよろしくお願いします」、早川知恵監督の「プラン75」など、老いと向き合った作品が多数言及されています。今、世界で最も高齢化の進む国と言われる日本で、高橋さんは何を感じていますか?

自分が年取ってきましたからね。今年で73歳です。もうやばいです。あと2年で後期高齢者です。やっぱり、身体的な衰えを感じます。確実に老いていくのがわかります。それに対して色々と体に気をつけています

一つは、老いを新しい経験だと捉える感覚です。確かにそうですよね、経験したことないことですから、新鮮です。僕もそうですよ。ちょっと年を取ってきて体が辛くなってくると「こんなの今までなかった」と思うことがあります

例えば、鶴見俊輔さんという哲学者の方が「限界芸術論」を書かれたんですが、90歳を過ぎて、「今日1日転ばないことを目標に生きよ」と書かれていました。「あ、そういうもんなのか」と思って、わかりました。

転びそうになるんです。僕、スクワットして足腰を鍛えているから平気だと思っていたら、筋肉じゃないんですね。バランスが悪くなっている。神経が悪くなっていて、神経は鍛えようがないから転ぶ。僕は筋力鍛えれば大丈夫だと思っていたけど、そうじゃなかったという新しい発見がありました。

そんな老いを新しい経験だと思って、余裕を持って受け入れることが大事なんです。実際、この国、これは日本だけじゃないと思いますが、68歳、70歳、72歳になると社会の窓が次々と閉まっていく。つまり、色々なことができなくなってくるんです。

例えば、家を借りようと思ってインターネットを引こうとしたら「72歳ですか、ではご家族契約になります」と言われたんです。「70歳とインターネット契約ができないってどういうこと?」と聞いたら、「こういう決まりなので」と言われて、「おかしいでしょ」と思いました。これってちょっと差別的ですよね。

プラン75もそうですが、年寄り不要だという考え方があるんですよね。これが寂しいです。今「シルバーデモクラシー」と言われて、年寄りが恵まれていると言われていますが、それは嘘だと思います。年を取ってみたら、社会の窓が閉じていく。シルバーデモクラシーという言い方で、年寄りが恵まれていると若い人に思わせようとしているんです。

でも実際には、全世代がそれぞれ抑圧を受けている。70代以上はこういう抑圧があるけど、20代30代も年金の支払いなど、みんなそれぞれ抑圧されているんです。だから、全世代連帯しなきゃいけないと思うんです。分断が一番都合がいいから、それをやめるべきです。

僕は政治テーマとして、全世代連帯すべきだと考えています。知らないかもしれませんが、70歳になったらインターネット引けないんですよ。72歳になったらローンもできないんです。なのに恵まれているなんて、ふざけているとしか思えません。

これは、土線(映画)とかでテーマになってもいい話ですよね。でもそれはなかなか声になりにくいんですよね。40代50代の時には知らなかったけど、68歳70歳72歳で新しい抑圧が出てくるんだな、と気づくんです。

社会ってさ、普通のことは知らせないようにしているんですよね。それぞれの世代とかジェンダーで、社会から抑圧されていることをお互いに調べ合って、連帯しなきゃだめです。

ジャニーズ問題玉音放送について、高橋さんテレビ局の幹部たちに「ジャニーズ問題無視するのか」と質問した時のエピソードについて書かれています。昨年末ジャニーズの性加害問題が巨大なテーマになりましたが、この間、どう感じていましたか

あそこにも書きましたけど、僕がちょうどBBC放送した直後に番組審査員を辞めて、最後番組で「これはダメだよ」と言ったんですが、沈黙がありました。その後、某テレビ局が漫画問題で騒ぎになって、それを良かったと思って続けました。

でも、やっぱりテレビ局は商業放送から視聴率が下がることが怖いんですよね。だから視聴率が下がる可能性があることはなるべく避けたい。僕は怯えすぎだと思うんですけどね。もうそんなに怖がらなくても、普通常識でやればいいのに、忖度している。忖度しない方が視聴者の指示を得るんじゃないかと思いますが、なかなかそうはならないんですよね。

今と昔を比較して、昔の方が保守的だったかというと、そんなことはなく、テレビ全体は進化している。ただ、メディア動画サイトSNSに壊れていく時にどうするかを同時に考えなきゃいけなくなっているので、やることも多いんです。

から、僕も言ったんですが、面白動画サイト番組テレビより面白いですよ。テレビバラエティなんてやめたらいいと思います個人で作っているものでも、ものすごくよくできた動画番組があるんです。それを見たら、テレビお金も人もあるんだからもっとできることがあるはずなんですよね。

Netflixドラマなんかも面白いですよ。コンテンツの中身も含めて、やれることがあるのにやっていない。同じようなラブコメばかり作って、誰が見るんだろうって思います

江戸川乱歩の「芋虫」を現代では取り上げることがかなり難しいということについて書かれていますが、以前、マルキ・ド・サド作品を絶賛されていた話もあります。今の時代言論空気感についてどう感じていますか?

メディアテレビラジオだけじゃなくて、小説も含めて、僕がデビューした頃に比べると、だいぶ書きにくくなっています。例えば「ピエロ」って言えないじゃないですか。今では「ピエロレフ」って言われることがありますが、検索しても出てこない。

一番怖いのはこれですよね。こういう名詞ごと削除されること。ポリティカル・コレクトネスで、こういう言葉を使いなさいというのは一つの考え方としてあるかもしれませんが、元々あった言葉が使えないというのは、歴史捏造じゃないですか。

今、「ジプシー」って言葉も使えないんです。「ロマ」とか言いますが、これは歴史捏造であり、存在させないという方向に進んでいるんです。例えば、ゴダールの「気狂いピエロ」も、僕はそれを見ましたからね。でも、「ピエロレフ」って言われてもわからない。

ポリティカル・コレクトネスについては、理解できるところもありますが、理解できないところも多いです。多分、それを推進している人も、やっていて変だと思っているんじゃないかと思います定義や限度が確定していないのが問題で、空気みたいなものから

ポリティカル・コレクトネスの一つの問題点は、日本が元々空気社会から空気で決めるというのはやばいポリティカル・コレクトネス空気で決められるようになっているのが、日本事情なんですよ。

上辺だけの議論が多く、社会的な不正義の問題は見ないで、言葉だけで物事判断する。ポリティカル・コレクトネスは、社会的な問題言葉だけで覆い隠そうとしているだけです。

その辺が、日本という国は忖度する社会から空気を読めということがずっと言われてきて、変わらなかった。変わるかと思ったら、ずっと空気を読んでいる。片方では多様性を唱えているけど、それは言っているだけで、実際には何も変わっていない。

大杉栄についても言及複数見られます思想生き方性格、私には高橋さんと似ている印象を受けましたが、大杉栄をどのように見ていますか?

大杉栄は、日本でも代表するアナキストですが、やっぱり感じがいいですね。友達になりたいなと思う。問題はいっぱいありますが、女癖が悪いとか、迷惑な部分も多いけど、その一方で愛すべき点がある。だから、あの人は人たらしなんです。

例えば、子育てをしていたんです。普通政治的な人は政治活動はするけど、家のことは見ない。でも、大杉栄は、伊東のと結婚して子供が生まれたら、赤ん坊選択をしたり、オムツを変えたりしていた。嫌じゃなくて、それが好きだったんです。

彼の中では、夫婦や男女の形は形式じゃなくて、対等であって、子供から自分 Permalink | 記事への反応(1) | 08:25

2024-08-11

10年前に聞いた歌詞「優しさの理由が知りたい」 ← 10年前の俺「性欲だよwwww性欲由来の優しさ」

久しぶりに聞いた俺「性欲由来の優しさでもいい!性欲由来でいいか・・・! ということだったのでは・・・

結局なにが答えなんだ。

ハッキリと言語化出来るわけでもないものをなんとか捻り出しているから歌ってる側も分かってない感じか?

曖昧表現しようのないもの必死に形にしようとするから他人に刺さるっていう奴か?

そうかー

俺はもっとこうBUMPの「カルマ」みたいな終わってから振り返れば何が言いたかったのか全部ハッキリする歌詞の方がスキなんだがなあ。

男脳と女脳って奴なのかな

俺もマジでアルバイト時代仕事できなくて暗然とした気持ちだったけど

アルバイト面接で「8時半」って言われたから行ったら誰もいなくてパニックになってたら「20時半です」って言われて辛い→様々な意見が集まる

https://togetter.com/li/2415811

これ見て思い出したのよ。

パニックになってドア叩くのはどうかと思うがこういう指示で混乱する気持ち自体はわかる。

  

学生時代バイトしてた時にこういうことがよくあった。

コミュ障の自信の無さから程度低いところからバイト始めたんだよね。宅配便仕分けとかさ。

搬入用のシャッターを閉めててって言われて全部閉めたらなんでここも閉めるんだみたいなこと言われたり

俺がわかってないっぽい空気になることがしょっちゅうあって、自分仕事が出来ないと感じてたんだけど。

 

大学出て就職したらそんなこと全然なかった。

まあ相性もあるけど、職場が程度のいい職場だったんだよね。

意味不明曖昧な指示をしてこないし、誤解が生じそうなところもきちんと潰して指示を出す。

俺も指示出す立場になってやっぱり明快で誤解の余地がない指示を出してるし

必要に応じて指示の分割したりもする。手順を文字にまとめたりもする。

   

まり、俺がバイト時代あかんかったのって指示出してた奴等の能力が低かったからなのよ。

これ自分で言ってて漫画に出てくるやべー奴みたいだなって思うけどマジでこうとしか言えない。

宅配便仕分けなんか何年もやってるのは能力も意欲も低いカス人材なわけで

そんなやつが短期バイトに指示を出してるから当然ハチャメチャなんだよね。

 

自分が分かってる情報他人が分かってる情報区別もつかないし思考力も予測力もない。

単純に頭が悪いのか発達ナントカなのかわからんしま特定属性disっちゃいけないけどさ。

俺が学生時代体験したていどひくいバイトの数々はほぼ全部従事者がカスだった。

仲良くしてた人も居たし仕事できます風に職場で頼られてる風の人も居たけど

それら含めてほぼ全員人格的にも能力的にも社会的にもゴミだった。

 

今にして思えば本当に効率悪いことやってるだけで

頭が悪くて意欲も薄いからなにごとも改善することもなく

そういうガバガバフローなうえに言葉にも出来ないから人なんか使えなくて

いまにして思えば生活の話も趣味の話も終わってたなあいつら、っていう。  

そういえば別に俺以外にも指示が理解出来なくて戸惑ってる学生いたなあって思い出したりね。

  

 

こういうとバイト時代のことがすげー悪い思い出見たいだけど

よくしてくれた人も居たし自分仕事できないってこと以外に不満はなかったんよ。

ただ自分が働いて10年経つ頃にはあの頃接した全員凄く能力の低いカスだったんだなあってしみじみ感じた話。

なんだろうなこの社会体験。なんの役にも立たねえ。

2024-08-10

anond:20240810110645

賭かってるものは何?

残塁してない三者凡退と表面上変わらないじゃん

野球だってホームラン打てばいいし

バスケだって自陣からぶん投げて相手ゴールに入る可能だってあるじゃん

でもサッカーバスケ曖昧野球は明確じゃん

明確なルールがあるものを知りたい

anond:20240810104313

清潔感の話からは外れるけど、もし飯作って「好みが分かれる味だね」とか曖昧な言い方されたらムカつくと思う。これは多分創作でも何でもそう。

当人相手に気を使って表現をぼかしてるんだろうけど、表現をぼかすってことは「良くはなかったんだろうな」って察せるし、それが察せてるからこそ曖昧な言い方が腹立たしく感じる。

清潔感に対する反発は多分この感覚に近いんじゃないかな。

曖昧な言い方って相手を気遣ってるという見方自分の保身に走ってるという見方もできるし、負の女性観のひとつとしてネットで語られてる「責任を負いたがらない」っていう性質合致するから反発を呼ぶんだと思う。

ブレイキンってスポーツなの?

テレビでやってた予選見てた。日付変わる前に寝たけど

ダンス自体はかっこよかったと思う

細やかなステップ?が上手い人がいたりアクロバティックな動きが印象的な人もいたりで選手の人たちもそれぞれ個性的だった

でもこれスポーツなの??

採点競技、たとえば夏なら体操とか冬ならフィギュアスケートとかって実施した技に名前スコアがあって、出来の良し悪しにもスコアがあったり加点減点されたりするじゃん

でもブレイキン見てると審判投票しか出てこないし、一応基準はあるみたいだけど解説もレッツゴーレッツゴーで何がどう評価されたのかよく分からないし

ストリートカルチャーとしては面白いかもしれないけどスポーツとしては勝敗を決める部分が曖昧(に見える)なのはなんだかなあ…と思った

2024-08-09

anond:20240809210627

かに清潔感の指すもの曖昧にするのは卑怯だ、ということで解説したらしたで文句言うやつがいから

努力したくないのか、努力を帳消しにする顔面なのか、努力方向性が間違ってるのか、どれなのか気になるよ

OMORIに心を壊された

OMORIというゲームがある

ゲーマーの間では発売当初から大変話題となり、増田もその頃から気にはなっていたものの手付かずで、今年のサマーセールでちょうど安くなっていたから買ったんだ。

それで最後まで何とかプレイしたんだけど、ゲームとしては最高に面白かったし、このゲームをやらずしてゲーマーとは言えないんじゃないか?と思えるほどには稀に見る傑作だった。

ただ個人的には非常に苦しいところがあり、少しネタバレにもなるので、この先は未プレイ増田は決して読まないでほしい。


このゲームには"オーブリー"というヒロイン女の子がいる。非常に可愛らしい子で、まさに天使みたいな子なんだけど、その子は後年グレて出てくる。

素直で純朴だった少女のはずなのに。

ここから増田自分語りになる。増田は幼少期、祖父母の家に預けられていたんだ。家庭に大きな問題があったとかじゃなくて、単に両親が共働きかつ転勤の多い仕事をしていたからなんだ。

それに祖父母は優しかったし、別段不便に感じるようなこともなかった。俺はその田舎に中1まで居た。そして、幼馴染みがいた。

彼女はいつも素直で、笑顔が最高に可愛い子だった。俺たちは二人で本当によく遊んだし、いろんな所に二人で出掛けたりもした。まるで彼女と一緒にいるのが普通で、当たり前みたいに。

から両親の仕事が安定して、それで一緒に暮らすことになって引っ越すことが決まったんだと訳を話しても彼女は大泣きして、すがり付くようにわんわん泣いてて次第に俺も泣いてしまった。

大人になったら戻ってくるから、とそう約束して、引っ越しの当日までまるで引っ越しの話がなかったかのように、いつもみたいにずっと一緒にいて、一緒に遊んだ。だから当日も「さようなら」は言わなかった。「またね」と言って、笑顔で別れることができた。一時のことだから。それがお互いに分かっていたから。

引っ越し後、俺はすぐにでも会いに行きたかった。けど、転校のことでバタバタしていたし、勉強をより頑張らないと志望の高校に行けなかったこともあって、とにかくやることが山ほどあったんだ。

都会の時間は、田舎時間とは違う。

そんなことを後になって思うようになって、気づけば大学生になっていた。

大学一年夏休み。俺は祖父母の元へ行った。

目的はもちろん幼馴染みの彼女に会うためだった。

連絡はしていなかったし、当時はまだ携帯時代で、中1では持たせてもらえなかったんだ。

でも彼女の家は近所だし、行けば会えるだろう。なんて呑気に考えていて、実際会えた。

忘れもしない。祖父母の家に帰った次の日、朝から暑くて、アイスでも買いに行こうと家を出た。昼前のことだ。家を出たところでばったり出くわした。彼女自転車を手で引いていた。

俺は動揺した。別人であってほしいと思いながらも面影が濃すぎた。

幼馴染みは髪を茶髪に染め、ピアスをつけ、目付きは鋭く、化粧をしているように見えた。

彼女は俺を見ると動きを止めた。そして俺の全身を見て、「増田じゃん」と言った。口調もちがう。そのとき俺は咄嗟にそう思った。

「久しぶり。帰ってたんだ」と彼女はそんな感じのことを言ったと思う。この辺りは曖昧だ。そして次の言葉は鮮明に覚えている。彼女は俺が無言でいることに気づいて鼻で笑い、「変わったって、思ってるでしょ?」と言った。

俺はなにも言えなかった。まだ動揺が続いていたからだ。彼女はそのあと何か俺を馬鹿にするようなことを言って笑った。なんと言われたかよく覚えてない。彼女それからも何か言ったけど、何を言われたかはっきりとは覚えていない。

ただ少しずつ嘲笑するように笑っていた顔が真顔に戻っていったのだけは覚えている。

彼女は手を離すと自転車は倒れ、構うことなく俺の目の前に来ると俺のことをビンタした。

「なんで…なんで、もっと早く来てくれなかったの?」

こう言われた。涙声で声は震えていた。泣いていたのかもしれない。はっきりとは覚えていない。はっきり覚えているのは震えた声で「なんで…なんで、もっと早く来てくれなかったの?」という声で、彼女は翻すと自転車を拾ってすぐ何処かへ行ってしまった。

それが、あのときの幼馴染みの言葉が、すべての答えだったんだと思う。

俺はそれから二日引きこもり、三日目に帰った。

あれ以来、幼馴染みには会っていない。

OMORIをプレイして、変わってしまったオーブリーちゃんを見たとき、この記憶が鮮明に甦り、俺は唖然とした。

思い出したからといって、今更何かが変わるわけでもない。

サニーとケルとヒロと仲直りができたオーブリーちゃんの姿を見る度、本当に辛かった。このゲームをやらなければ良かった、と本気で思ったほどだった。

照れながらも和解の合図に皆とバグするオーブリーちゃんの姿を見て、泣きそうになった。俺の心が今になって、壊れたような気がした

清潔感批判

清潔感という言葉設計には問題がある。

清潔とは違う、心がクリーンになる気持ちを上手く表してる一方で、

大谷翔平とか好きな男性など、すでに好感度の高い異性の寝癖を評価するとき清潔感概念バグる

言葉が期待通りに機能するドメインは「清潔感がない」状況だけ。

清潔感のなさは共有されて議論される概念なので、男性サイドの性質なのだが、〜感、という単語構造主観なのか客観なのかの混乱を招き、わざと曖昧にして悪用される場合さえある。

anond:20240809150539

清潔感人間扱いも未定義曖昧語でしかいから聞くだけ無駄だし

なんかよさそうな改善しても新たにケチつくだけやで

口を揃えて同じコトバで批判するのに

個別定義を聞くと各自バラバラのことを言う

これでは言われる側は各自定義の和を要求されてる状態なわけで

言ってる側と言われる側に非対称性が生まれ

そもそもの話、曖昧表現で逃げるな

槍持てよ、刀持てよ、その鏑矢で額貫けよ

誠心誠意で殺しあえよ

anond:20240809105536

~~感という曖昧もの必然の様に押し付けて答えたらそれは違うとはぐらかすガスライティング辟易してる。

2024-08-08

あなた歌詞を書けないのは、どのような難しさに由来する?

 歌を作ることが趣味で最高に楽しかったのですが、歌詞が作れなくなり、困りました。僕は、つい「歌詞 書けない」とGoogle検索してしまます。僕は、それを何度も繰り返した経験があるので、検索バーに「歌詞 書けない」と打ち込み、エンタキーを押す前から、そのような検索が僕に有益情報をもたらさないことを知っています。僕が知りたいのは、自分で作った伴奏で何かを歌うために、ただ歌詞っぽい言葉の羅列を作り出すための手法ではありませんが、しかし、検索エンジンが提供するのは、そういう手法についての情報ばかりです(声には、楽器にはない何らかの特別な迫力がありますシンガーソングライターボカロPが、インストではなく歌をつくる理由ひとつは、その効果です。「言葉で何かを作りたい」より「音楽を作りたい」が先行する場合シンガーソングライターボカロPは、歌詞っぽいキレイ言葉の羅列を並べることで、作詞に関しては、満足してしまうことがよくあるのではないかと思います)。僕は、僕が納得できる歌詞が書けなくて、ひいては、僕を納得させる歌詞とはどのような歌詞なのかわからなくなって困っているのであり、歌詞っぽい言葉を並べる技術がなくて困っているのではありません。僕は、僕自身歌詞を書けなくなったことへの考察を通じて、「歌詞が書けない理由」についてのオルタナティブなヒントを提示できればと思います。僕が書くことは、個人的なことですが、僕とあなたの「歌詞が書けない理由」に重なる部分がある、ということは十分あり得ると思っています

 

 歌が、良い歌であるためには、作曲編曲サウンドの面で優れていなければならないのは当たり前ですが、僕は、それに加えて、歌詞が良いかどうかについても、気になってしまタイプ人間であるようです。良い音楽家の歌は、世に評価されることが多いですが、良い音楽家が、僕にとっての良い作詞家とは限りません。歌詞が良くなければ、僕にとっては良くない歌です。僕にとっての良い歌詞とはどのような歌詞なのかは上手く言い表せませんが、僕は、どのような歌詞が気に入らないかは少しわかります。例えば、ある一つの感情に一辺倒になっている歌詞は好きではありません。歌詞言葉すべてが、感傷的な感情だったり、希望みたいな感情だったりとか、ある一種類の感情に吸収されてしまっているのはあまり好きではありません。あと、何を言っているのかよくわからない歌詞もあまり好きになれません。歌詞は何言ってるのか少しわからいくらいがいいんだよという人も多いかもしれませんが、僕は「何が言いたいんだよ」という気持ちが出てきて、気になってしまうのです。最後に、僕は、作詞自身経験に、より直接的に根付いた言葉構成されているほど、その歌詞を好みます歌詞が、作詞自身について語っているほうが好きです。僕が気に入らない歌詞の傾向として今挙げられるのは、上記の三点くらいです。ほかにもあるかもしれません。とにかく、こういう「気に入らないポイント」に引っかからない歌詞を書きたいです。

 

 また違う観点から歌詞というものを考えます作品がどのような形態をとるかによって、その作品に乗せることのできるテーマは異なってくると、僕は思います。例えば、散文と歌詞では、乗せられる事柄タイプが異なるし、例えば、メタルR&Bの間でも、乗せられる事柄タイプに、ずれがあると思います。少なくとも、作品形態によって、ある作品に乗せられるテーマには、得手不得手があると考えます。例えば、哲学的テーマを扱うために、どのような形態作品を用いればよいか。おそらく、それをダンスで行おうとするのは難しそうですよね。小説ならば、哲学的思考を巡らせることは、やりようによっては十分可能ではないでしょうか。論文形態をとるならば、哲学的思考を最も効率的に込めることができそうです。歌詞は、どのようなテーマを扱うことが得意でしょうか。その点を考えることは、良い歌詞を書こうとする上で有用だと思います。僕の意見としては、歌詞は、ある程度強い感情を伴う事柄表現することに適していると思います。そして、むしろまり感情の動きを必要としない事柄については、不得意なのではないかと思います理由として、歌詞純粋な散文ではなく、散文と韻文の中間存在であることや、歌詞は、メロディー伴奏といった、情動喚起する力をもつ音楽的要素とともに歌われるものであるということが挙げられます(僕は、散文は感情喚起する力において韻文に劣る気がするのです)。あまり感情の動きとのつながりの薄い事柄を、歌詞テーマにしようとするならば、歌詞の韻文的性質音楽的要素が、歌詞のものと比べて余計に感情的になり、アンバランスが生じるでしょう。

 

 このように特定作品形態について、できること・できないことを決めつけてしまうことは、その表現の幅を狭めてしまうかもしれないことには注意したいです。歌詞は、歌詞である以前に創作物であり、面白い創作物を作り続けるには、自由な発想を縛らないようにすることもまた重要です。しかし、僕が歌詞を書けなくなったという事態には、僕が歌詞の得手不得手をあまり考慮してこなかったことが関わっていると思いました。考えていたのは、僕の趣味嗜好についてだけでした。先ほど申したとおり、僕が書きたい歌詞は、ひとまず、ある感情一辺倒にならず、言葉意味がある程度明晰で、作者についての、歌詞でした。言葉の紡ぎ方を、このような趣向に合致させたうえで、かつ、歌詞の得手不得手――

強い感情を扱いやすい――を考慮するならば、その結果どのような歌詞を書くことになるでしょうか。作者自身経験した感情、そのなかでも複雑、曖昧で、なおかつ強めの感情について、その有り様をぼやかさずに正直に描くような歌詞を書くことになります。それは、さまざまな理由によって、とても難しいと思いますしかし、本当に僕自身を納得させるような歌詞を書くには、僕の趣味趣向に合致し、かつ、「なぜそれは歌詞という形態表現されなければなかったのか」という問いに答える(つまり歌詞の得手不得手を考慮した上でつくられている)ような言葉を書くのではなりません。僕が歌詞を書けなかったのは、僕が納得する歌詞を書くのが難しかたからで、なぜそれが難しいかというと、僕の趣味趣向と歌詞の得手不得手を両立することは実は難しいからだった、ということです。僕がやろうとしていることの難しさは、どのような難しさとして理解されるべきなのかを明らかにできれば、そのように理解された難しさを、なぜ自分歌詞を書けない状態にあったのかという問題に対する一旦の応答とすることができます(その「難しさ」とはどのように理解されるべきかを説明するには、僕の個人的すぎる部分に踏み込まねばならないし、なにより長くなるので、特に書きませんが)。

 

 これからは、僕がやろうとしていることの難しさの内実を意識した上で、作詞に挑戦することができるので、以前より進むべき道の開けた地点に僕はいるといえますあなたが、あなたの望む歌詞を書くことの難しさは何だと思いますか。その難しさの内実は何なのか、あなた趣味趣向と歌詞という形態の得手不得手はどう両立するのか、といった手がかりを用いて考えてみると、以前と違うあなた視点で、作詞に挑戦できるようになるかもしれません。

臭いや音みたいな「具体的じゃないし正確でもない情報」が本当に苦手

文字数字は素晴らしいよ。

具体的だ。

絶対に揺らぐことがない(書き手の誤字脱字や表示エラーがない限りは)。

俺は感覚的な所でしか測れないような曖昧もの基準判断をしておきながらやたと強気な態度に出られるやつが本当に苦手なんだ。

から振り返って誰の目にも明らかにその存在がどういうもの証明できるもの以外によって、何かを査定することが出来てしま人間感性が信じられない。

曖昧自分感覚をよくそこまで信じられるものだなと。

運転免許試験理不尽さについて

自動車運転免許試験には、このようなOXクイズがある。

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問:原動機付き自転車公道で50km/h以上で走ってはいけない。

答:X。

  30km/h以上で走ってはならないから。

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問:夜の道路危険なので気をつけて運転しなければならない。

答:X。

  昼夜問わず気をつけて運転しなければならないから。

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問:標識のない道路運転する時、100km/h以上で走行してはいけない。

答:X。

  原付は30km/hまでだから

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問:公道一般自動車運転する際には必ずシートベルトを装着する必要がある。

答:X。

  一般自動車でなくてもシートベルトをしなくてはならないから。

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問:制限速度30km/hの道路では、その制限速度を超えて走行することは許されない。

答:X。

  非常時はその限りではないから。

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(参考元:https://clacff.hatenablog.com/entry/2016/11/05/230610

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 読むだけで胃が痛くなってくる。

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 ネットでは「対偶確認しながら解くといける」という意見もあった。なるほど。「夜の道路危険なので気をつけて運転しなければならない」という問題について考えるときは、「気を付けて運転しなくてもよいのは、夜の道路以外の全てである」に読み替えて、その答えはXなので、答えはXということか。ヨシ!

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 つまり、例えば運転免許試験で「人間には脊椎が通っている。OかXか?」という問題が出たときも、落ち着いて「脊椎が通っていないのは、人間以外の全てである」と読み変えれば、答えはXになるはずだ。「人間には脊椎が通っているか?」答えはX! ヨシ!

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 私が運転免許試験マインド理解できた所で、ネットの皆にもそのマインドを学んで貰うために、例題となるOXクイズをいくつか考えた。これを解くことは、運転免許試験への予習になるだろう。

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問:人間には脊椎が通っている。

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答:X。

  脊椎が通っているのは人間だけではないから。

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問:人から金品を盗むのは違法である

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答:X。

  刑事責任が問われるのは人間だけである。つまり、野生のカラスなどが人から金品を盗んでも違法ではない。

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問:制限速度30km/hの道路では、その制限速度を超えて走行してはいけない。

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答:X。

  縄文時代にそのような取り決めはない。

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問:車を運転する場合、必ずシートベルトを着用しなくてはならない。

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答:X。

  見ず知らずの他者が車を運転している場合、それを見ている、車の外にいる全く関係のない人までシートベルトを着用する必要はない。(車を運転しない助手席の人などもシートベルトをする必要があるためXである、という解釈もある)

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問:地球上で最も大きい大陸ユーラシア大陸である

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答:X。

  パンゲア大陸の方が大きい。

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問:三角形内角の和は180°である

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答:X。

  非ユークリッド空間においてはそうではないため。

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 問題のものの真偽でなく、問題対偶の真偽を問うことで答えを自由操作することは容易い。主語を隠したり状況を曖昧にすることで、真とも偽とも取れるようにし、答えを自由操作することも容易い。

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 程度は違うにしても、運転免許試験の抱える理不尽さは、私が出した例題の理不尽さと、方向性は同じである

anond:20240808133701

こういうのは自分とか自分が同情してる人に対して

他人も同じ方向性で接するべきっていう

自他の境の曖昧さの発露

ソフトウェア開発で誤解されてること

開発期間は見積もりできる

できません

数学証明問題を解いているようなものなので

「この3問を解くのにかかる時間は?」

とか聞かれても

「5分で解けるかもしれないし3時間かかるかもしれないしそもそも解けないかもしれない」

という答えになります

「xに1から順番に100ぐらいまで代入したら証明できるよね?」

みたいなこと言う人いますが、それは証明になっていないので後々困ることになります

とはいえ、なんとなくの経験

「この辺をこうしておいて、この場合だけ別途証明して、ここはこうすればいけるかな?」

という感じでざっくりの見積もりは出せますが、5分か1時間か、ぐらいの粒度しか出せないし

大半の場合はハズレるし下手すると大ハズレするので意味がありません

「あの部署ちゃん見積もり出してくるけど?」

とか言ってくる人いますが、見積もりを出してくるソフトウェア開発会社部署

「かなり多めに見積もって遊んでる」

中途半端実装してテストだけ通してリリースしてる」

のどちらかです

テストが不十分だったりセキュリティ脆弱性を抱えていたり拡張性がなくて結果的にはゴミになるか追加費用が発生するかのどちらかです

動くことが大事で綺麗さは趣味

コードの綺麗さは趣味ではありません

そもそもクソコードと呼ばれるコードは本当にちゃんと動いているのかどうかが分かりません

綺麗なテストが書けるならテストを通過するコードは動いていると言えます

そもそも綺麗なテストが書けるような仕様ならクソコードになりません

大半のクソコードそもそも仕様曖昧状態で、その曖昧状態コードに落とし込むのでクソコードになります

なのでバグがあるかどうか判別できず、本当に動いているかどうかを保証できません

型があるような言語を使っていればインタフェースキッチリ設計してある程度保証できます

型が無い言語地獄コードを1行ずつ読んでメモしていかないとバグがあるかどうか分かりません

最近だとChatGPTなんかのLLMを使うことでその辺はかなり楽になりましたが

綺麗に書かなくて良いわけではありません

ソフトウェア開発者は育成できる

できません

その辺の企業一般社員プロ野球選手に育成しようとしているのと同じレベルで出来ません

最初からプロ志望で社会人野球枠で入社してきて仕事はそこそこに毎日トレーニング試合をしてるような人で

その中でもほんの一部の人プロになれます

そのぐらいのレベル投資しないと育成できません

また、そのレベルであっても、せめて「野球甲子園行きました」レベル人材必要

大学に入ってから野球を始めました」

趣味野球やってます

みたいな人がプロレベルになれるわけがない、というのが現実です

ソフトウェア開発者100人育成!」

教育プログラムを充実!」

とか言ってる会社が多いですが、育成するぐらいなら他から選手集めてきてチーム作る方が早いし安上がりです

ちなみに日本ソフトウェア企業の大半はこのプロレベルに到達しておらずほとんどが草野球レベルなので

そういった企業を使って大リーグ試合しようとしている大企業現実を見つめ直した方が良いです

anond:20240808074010

死の間際のANMCの思念が聞こえた…。

毎日自動的快感物質を投与される苦痛の無い平和で穏やかな日々…。幸せなのに…。尊い命なのに…。ボクのせいじゃないのに…。ボクはみんなのためにがんばって…。消えたくない…。死にたくない…。」

幸福を味わうための生物…。死を避けるための機械…。どちらでもあり、どちらでもない曖昧存在…。 いくら自分偽善で塗り固めても、一皮むけば際限のない欲望の塊。自ら何もせず、自ら何も失わない、とても楽で卑怯生き方…。でも、私はそれが生きてることとは思えない。

2024-08-07

https://anond.hatelabo.jp/20240711135913

逆の立場からの苦情として、非常識なオーダーや金額交渉曖昧要求のまま際限のないリテイクを強要されたりといったもの日常的に聞かれる

元増田はそういった人ではないかもしれないが、イラストレーター側の立場から見れば、そういう非常識顧客ばかりという可能性もあり、お互いに相手非常識な奴らばかりだと辟易しているかもしれない。

既に指摘されているかもしれないが「著作者人格権の不行使」は法的にはグレーである

元増田要求する様な一般的な改変については、著作者人格権同一性保持権)の侵害には当たらないという判例はあり、逆に不行使特約をしていても改変や氏名表示権を認められた判例もある。

まり普通契約範囲で十分対応可能なことであるにも関わらず、権利放棄(不行使)という過大な要求をしていると受け取ることは何ら不思議ではない。

「当然の権利を主張するな」という要求は、「基本的に」不当要求であり、それは態度が事務的かどうかに関係が無い。

社会的常識を持って」いて「法知識習得」しているのであれば、これは常識なはずだ。

業界の慣習だからといって、何ら問題が無いとは言えず、「発注側の意図を汲め」といった、所謂空気を読め」という同調圧力が叶わなかったからと怒り出すのは、少し幼稚ではないだろうか

頼むから契約内容は事前にわかるように書け、とのこと

お客様じゃなくて受注側が言ってるんだぜ

契約内容を明確にすることは過大な要求とは言えず、むしろ当然の努力である

受注側・発注側みたいな「立場」に拘っているが、俺様は「お客様だぞ」という態度になっているのではないか

少なくとも、契約というのは対等な関係で結ぶものであるという前提を解っておらず、見当違いで不当な怒りを相手にぶちまけている様に見える。

幸い俺のケースではやり取りの文面や社名までは晒されなかったけど

と書いているが、元増田名前こそ出して無いが、こうしてぶちまけているわけで、「非常識行為」としてポイント先取している。

社会人として対等な立場でまともにビジネス上のコミュニケーション普通に失礼なくやってくれ」

「対等な立場」と言うが、「発注側」といった立場にやたら拘ったり、元増田が本当に問題ない態度であるのかは疑わしい。

そういった感情は表には出していないと反論するかもしれないが、本人が無自覚なだけで、ちょっとした言葉遣いジェスチャー、声色、表情等で、こうした感情はけっこう相手に伝わるものである

ここまで酷いやつは珍しいにしても、殿様商売気質なやつはかなり多い

これまで書いてきた様に、どちらかと言えば元増田の方に「殿様商売気質」を感じてしま

元増田文章には、随所にイラストレーターを見下していることが見受けられ、それは本当にイラストレーター非常識人間ばかりだったから、という後天的ものだろうか?

例えば、Twitter(X)のフォロダー数万「程度の」といった見下しは、元増田の主張とは何ら関係の無いナチュラルな見下しだ。

会社看板商売しているだけの人間が、自分が大きくなったと勘違いし、やたらと高圧的な態度を取る人間は多く、自戒したいところだ。

anond:20240717044601

この件に関して、おそらく自身の子がいないであろう極端な意見無視して良いと思う。彼ら彼女らは無責任なので。

で、本題だけど、重要なのは情操教育途中である9-15歳前後までの影響で、漫画現実区別曖昧なあたりが一番難しい。

単純なエロ絵だけであれば、昔もエロ本など転がってる事があったし、完全に制御できるものではない。し、完全に知る機会を奪ってしまうと別の問題が発生しそうではある。

例えば小学生低学年男児あるあるで、ダークヒーローものにハマると言動が露悪的になって友達喧嘩したりする。

一方でその経験でもって現実との区別を獲得していくと考えると、それはそれで必要通過儀礼とも言えるので、話がややこしくなってきてしまうが…。

諸々言ったけど、まぁようはバランスって話なんだけど、多分増田自身言葉で整理しないとモヤモヤしたままかもよ。

自分は情操教育途中の子供への悪影響があるため、無差別に露呈するのは問題がある、と整理した。

(というか自分の子供への影響考えるとそうしてくれないと困る)

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