はてなキーワード: 携帯とは
キャッシュレス化が進み、電車の利用だけでなく、買い物でも使えるようになった便利な交通系ICカード。携帯にインストールすることができるようにもなり、ますます手ぶらで買い物が楽しめるようになりました。
交通系ICカードの中で、最も有名なものは「Suica」かと思いますが、みなさんは「Suica」の名前の由来を知っていますか?
答えは「Super Urban Intelligent Card」
Suicaは2001年に「スイスイ行けるICカード」として、JR東日本がサービスを開始。自動改札機にタッチするだけで改札を通れたり、チャージ機能がつき定期範囲外でも自動精算ができたりするようになりました。
その後、地方でも交通系ICカードも生まれましたが、使えるエリアの制限が問題でした。2013年には、交通系ICカード全国相互利用サービスがスタートして、今のような交通系ICカードひとつで全国に行くことができるようになったんです。
花をあげると喜ぶってのが間違ってるって話?
花瓶あっても要らんってこと?花瓶あったらオッケーなんか?
前に友人が彼女に花あげたら喜んでたって話をしてたから妻に100均の携帯式の花瓶と花をあげたら喜んでたぞ またやって欲しいとか言ってたからイベントの時とかに時々買ってくる
向こうの実家でも花買って飾ったりしてるみたいだしな 造花なら要らんみたいなことも言われたし
画一的に花あげりゃよろこぶってわけでもなかろうし、一回やって微妙だったら引き下がるべきだと思うけど、花を渡すような男って少なからず女性のこと思って行動してるんだろうしそこにキレてる方がヤベー奴じゃんって思うんだが、なんかおかしな世の中になっちまったな〜
そんなことで離婚してる奴見たことないけど、仮にそれで離婚したなら主原因は男が価値観押し付けてるからじゃなくてその辺りの擦り合わせができない双方のコミュニケーション不足やろ
物心ついた頃から現在までのことを(ボカしやフェイクを入れつつ)時系列で書かせていただく。
N=1の話で恐縮だが、読者には少しでもADHDについて知って欲しいし、それにより社会の分断がなくなって欲しいと思う。
と、ここまで書いて思ったのだが、私は数日前よりADHDの治療薬を断薬しており、マトモに「書く」ことができないことに気がついた。数日ぶりに薬を飲むこととする。
父親について覚えているのは、しょっちゅう会社を辞めてしまうということだ。それも突然に。
何かが(主にカネ)キッカケで口論となる。
父親に包丁を突きつける母親。まだ産まれたばかりの弟を盾のように前に突き出す父親。
床にぶちまけられる牛乳。
弟が1歳の頃、「ハロワいけ!」と喋ったことを覚えている。母親の真似である。
机をくっつけて、隣の席の子にしょっちゅう見せてもらっていた。授業はまあまあ理解できていたと思う。
宿題に関しては「忘れる」というより「やろうとしても動けない」が正しい感覚。
テコでも動けなかった。
宿題の代わりに家で何をしていたかというと、デュエル・マスターズのデッキを組んだり、ミニ四駆のカスタマイズをしたり、スマブラDXをしたり…?あれ、そんなもんかな。当時何してたかな自分…あまり思い出せない。熱中すると深く深くどこまでも熱中し続ける性格だった。(過集中)
同じマンションに1つ下、1つ上の子供が何人か住んでいたので、毎日遊んだ。河原で秘密基地作ったりとかしていた。
また、男女分け隔てなく誰とでも遊ぶ子供であった。
違う。
(上で挙げたマンションの住人以外の)男の友達がどうしても出来なかった。
全く交流できないということではなかった。
同学年で話したことがない人は恐らくいない。
誰とでもそれなりの雑談ができた。
輪に入れはするが、誘われる人間ではなかった。
故に、常に疎外感を感じていた。
今になって振り返ると、原因は恐らく「自分の話ばかりして止まらない」から嫌われたのだと思う。
次第に、無理してグループにいなくてもいいと思うようになり、休み時間は教室でひとりでボーっとしていた。
見かねた心優しい女子グループが、自分を輪に入れてくれた。情報量0のどうでもいい雑談がとても楽しかった。自分が輪に誘われたことが、なんだか初めて他人に受け入れられたようで、とても嬉しかった。
通信簿の「担任からのコメント欄」には毎年「男女分け隔てなく仲良く友達がおり〜」と書かれていたので、客観的にはそう見えていたようだ。
地方なので中学受験をする人なんてひとりもおらず、当然のように地元公立に進む。
中学での成績は150/200あたりだった。
たまに一夜漬けの過集中が爆発して、50番あたりになった。
国、社、英は不得意で、理数が得意だった。
勉強をしない分の時間は何をしていたかというと、運動部の活動をするか、家のパソコンでニコニコやYouTubeを見たり、携帯を買い与えてもらえたのでモバゲーやMixiをやっていた。
高校受験は持ち前の過集中で上振れを引き、偏差値50位の公立情報系学科に滑り込んだ。
元がアホなので上振れしてもこの程度である。
なぜ情報系にしたかというと、自分専用のパソコンを親に買ってもらう為だ。
高校では朝読書の時間があったので、とつげき東北氏の「科学する麻雀」を何度も何度も読み込んだ。熱心に読みすぎて、本の小口が手垢で黒くなった。点数計算を覚えたり、チンイツの牌効率を考えたり、24時間麻雀のことを考えていた。
この頃はもう自分の行動を制御できなくなっていた。自室のPCで毎日朝までニコ生をしながら天鳳を打っていた。学校の授業は全部寝ていた。教師は注意しても無駄だと悟ったようだった。自分の人生は天鳳の段位とレーティングが全てだった。
謎の過集中で競技プログラミングが少し出来たので(当時はchokudai氏もまだ大学生で、AtCoderもない時代だった)、大会に参加して何度か受賞するなどした。
その後、持ち前の過集中により小論文と面接を突破し、AO(アホでもオッケー入試)により近所の私大に滑り込む。
麻雀への情熱は大学に入っても変わらず、1限どころか2限3限も出席できなかった。たまに講義に出ても何も分からなかった。
情報系科目だけはテストだけ出て100点を取るという天才ムーブをかました(自慢)。
麻雀サークルに入った。楽しかった。今でも付き合いのある友人が数人できた。
2年次が終わった時点で16単位しか持ってなかった。中退した。
バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳が社会に放出された。
なんていうか、普通に死のうと思った。
ある日、ふと一回死んだ。
自○未遂をしたということではない。
自分は今死んだ。そして新しい自分が今生まれた。そう思うことにした。
どうせ一回死んだのだから、もう好きに生きよう。
それでなんともならなくなったら、生活保護でも受けよう。
一応、親は家に住まわせてくれた。
速やかに就職して家を出ろということだったので(言われなくてもそうするが)仕事を探し始めた。
やり方がわからなかったので、若者向けハローワーク的な所に行った。色々親身に相談に乗ってくれて、クソみたいな人売りSIerを紹介していただき、内定が出た。
自分に内定が出るということは、「バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳に内定を出さざるを得ないクソ企業」であることが導かれるのである。
人売りのクソさを書くと主旨がブレるので割愛する。
自分が特別社会に適応できなかったのかは分からない。他にも大勢辞めていたから。
この辺で(不快になる方もおられると思うので大変恐縮なのだが)所謂理解ある彼女ちゃんが突然地面から生えてきて、家を出て2人暮らしを始めた。
会社を辞める前に人生初の精神科に行き、うつの診断書を書いてもらい、色々金に困らないような諸手続きをした。こういう手続きは自分では何もできないので、理解ある彼女ちゃんがサポートしてくれて本当に助かった。
うつの治療で通院する中で、医師よりADHDについて指摘された。
3割負担だとバカ高かった。1ヶ月分で5000円以上したのではないだろうか。当時はジェネリックがなかったと思う。無職にはとても支払えなかった。
脳の中の話なのでうまく言語化するのは難しい。
今まで自分は文をうまく読めなかった。
脳のメモリが小さいので、読んだ瞬間内容を忘れてしまい、戻り読みばかりしていた。
また書くのはもっと苦手だった。いくら考えても頭にモヤがかかり、表現が出てこなかった。
そして計算は最も苦手だった。一時的に何かを記憶しておいて、他のことを考えるのが無理だった。
プログラミングが得意だったのは、自分で計算する必要がなく脳のメモリがあまり要らないからだろう。
皆これが普通だと思っていた。
薬を飲む前は苦手だとも思っていなかった。
当然みんなもそうなんだと思っていた。
こんな「脳縛りプレイ」で学生生活を送ったら、そりゃ、こうなるわと思った。
薬を飲んでからは夜更かしが減った。
アホみたいな情熱に突き動かされることはなくなったが、その方が穏やかで心地よかった。
人生も徐々に良い方向に向かった。
長々と書いてしまった。
もし読んでくださった方がいるのだとしたら、とてもありがたいと思う。
自分はADHD当事者として、発達障害で苦しむ人の気持ちが分かる。
「○○ができないだけでしょ?」「やれないっていうかやろうとしてないだけでしょ」のような反応を見ると、心が痛む。
しかしながら、発達障害はその「できない」「うまくやれない」があらゆるライフステージで常に足枷となり、人生全体に負の影響を及ぼし続ける。
そして大人からは常に怒られ続け、自己肯定感もなくなり、「自分の可能性」を信じられなくなる。
その一瞬だけではないのだ。「常にその状態が続く」ことによる不利が、生まれた瞬間からその人にはあるんだということを、できれば理解してほしいと思う。
そして、今小さい子供を持っている親に言いたいこと。
もし子供が何かをできなくても、その全てを無条件に受け入れてあげてほしい。
そして、もし発達障害の疑いがあるなら、早い段階で医療にアクセスしてほしい。
ヨッピーがはてブに返信させろって言ってるけど、それではてブがちょっとはマシな存在になるのか?って言うと全くそんな風には思えないんだよな。
かつては、idコールって機能があって、頻繁に難癖付けてくる奴がいたし、そう言った連中に不愉快な思いをしてた人って少なくないんじゃないのかなって思う。
往々にして、このidコールは非建設的なやりとり、罵倒の応酬に成り下がってたよね。100文字で的確に反論できないと、嫌味の一つも飛ばしたくなるんだろう。
で、しょっちゅうブログで人をおちょくって馬鹿にしてたHegexが低脳先生に殺されてしまって、この不毛な口喧嘩になりがちなidコールも問題視されたと。
Hagexはいずれネットでデカいしっぺ返しを受けて当然と思ってたけれど、だからって実際に殺されていいはずがない。
そんな経緯から言って現状のまま返信機能追加はあり得ないと思うけど、もしもはてブを改善するとしたら、何が出来て、どの程度の効果が見込めるだろうか?
以下に個人的に考える例をあげてみるけど、皆さんはどう思うかな?
ヤフコメなんかでも、thumb downの反応が出来るが、それを導入して人気ブコメの評価を下げられれば改善されるだろうか?
それはないだろうね。
はてブってのは、今や絶滅危惧種のサヨクが集まる限界集落で、リベラル傾向のあるコメントが評価を集めやすい構造になっている。
BAD評価、はてなブラックスター、みたいなものが出来たとしても、はてなサヨクの集団投票でよりリベラル傾向が強くなるだけだと思うよ。
例えば、東京オリンピックの際にアスリートに向かって「人殺しの顔をしろ」と言って罵倒しつつ、自分はライブに行っちゃう人のコメントが星を集めるんだからさ。
人生賭けて来たアスリートに、「人殺しの顔をしろ」って言える人たちは、応援コメントにthumb downしちゃうでしょ
これが正解だろう。コメントに優劣を付けない事で余計な論争も、しょうもないコメントに星が集まる事でリンチされてる感も消える。
ただ、この場合、はてなブックマークってサービスそのものが人気なくなりそう。
今は、このスターの機能のおかげで、限界集落のサヨクが連帯感を感じられて居心地良い訳だろうしなw
俺は、これをやって欲しいと思ってる。はてなブックマーク及び、はてなのサービスの最大の欠点は、誰もが簡単に複垢を作れてしまって
それを使ってコメントにスターを付けたり、コメントを増やしたり出来るって所にある。
全てのアカウントに携帯電話番号を紐づけたら、もしかしたら有効なアカウント数は半分以下になるんじゃないかと思える位だ。
携帯番号を抑えられてたら殆どのユーザーは大人しく、常識的に振舞うようになるだろう。ヤフコメの正常化は、これが大きいと思うよ。
例えばTwitter やインスタとの連携が義務化されるか、連携してるアカウントのブコメ以外は人気コメントに載せない様にしたらいい。
手斧の投げ合いは、そっちで出来るだろうし、手斧を投げ合う気がない奴らは過激なコメントを差し控える様になるでしょう。
例えば、とある、はてなサヨクのフェミおばさんは、人のアカウントのブックマークページに、罵倒のブコメを日々書き込んでるよね。
こういう行為に対する通報とか、苦情って、相当数寄せられてると思うんだよね。
くそ喪女にマッチングアプリで彼氏ができるまでの備忘録。普段は二次創作BL字書きなので、ところどころ小説チックになってしまい我ながらキモイ。
私は小学5年生のときに同級生の男子に貸してもらったギャグマンガ〇和でオタクになり、程なくして同時期に腐女子にも目覚めた。ちょうど、小学生はもれなくDSを所持していた時代で、ニコ動はちょっと怖かったから見られなかったけど、うごメモがめちゃ流行っていたので、あっという間にオタクが重症化した。
それに加えて、翌年くらいにはキッズ携帯を得て(確か英検4級合格のご褒美とかだった)パケ死に怯えながら、友達とメル画やら個人よろずサイトを巡回しまくっていた。
つまりは生粋のオタク。初恋よりも先に、推しカプの恋に夢中になっていたような女児だった。
その後も、中学時代はとにかく部活に明け暮れ、高校は女子校で趣味に奔走し、その間もずっといろんなジャンルの推しカプのことばかり考えていた。
好きな人がいなかったわけではない。けど、私はいずれ結ばれることが約束された二次創作のBLの恋愛の展開にはアホほど詳しいが、毎日校内で顔を合わせる相手への好意の伝え方や、友情と恋愛の両立についてはさっぱりだった。ので、本当に、本当に何もないまま、恋愛経験値0のままで高校卒業を迎えた。
それでも、大学は共学だしもう大人だし、さすがにこれからは何かしら起きるのだろう。漠然とそう信じながら、買うのを楽しみにしていたR-18同人誌を片っ端から虎穴で得つつ、私は大学生になった。
が、お察しの通り4年間はあっという間に終わった。かけがえのない気の合う友人たちと出会い、飲み会やら合宿やら、p〇xivでよく見たラッキースケベが起きそうなイベントも一通り経験したが、普通に楽しく過ごしていたら、普通に何事もなく終わった。
それでも、毎日推しカプは愛おしいし、この間ずっと家族の仲は良好で、友達も最高の連中ばかりだったので、特に人生への不満はなかった。まじで恵まれた人生に感謝している。これは今もずっと。
ただ、それもあって余計に、恋愛的に焦りや寂しいといった気持ちが生まれにくかったんだと思う。しかしさすがに、大学卒業後はちらほらと身近なところでも、恋人ができたとか結婚したとかいう話を聞くようにもなってきた。
23歳で処女なのはまあいい(?)として、経験が0なのはいかがなものか。くらいには思っていたので、2021年の年明けに同じように彼氏がいない友達と、ノリでマッチングアプリを入れた。忘れもしない、地元の激狭だけどケーキがめっちゃうまいカフェのカウンターの隅っこで、お互いに少しでも写りのいい写真をアイコンにして、嘘ではないプロフィールをうんうん考えて、本気で出会いを求めていたというよりは、それすら友達とやいのやいのするおもちゃの一つみたいなノリだった。
で、当然始めればリアクションをいただくのだが、気づかないだけで世の中にはいろんな男性がいるんだなあと勉強になった。そして、何人かとやりとりをするうちに、気づくことも多かった。主に自分の内面について。
基本に新しい環境や人との出会いは得意なほうではなかったのだが、逃げられないのなら覚悟を決めてどんと構えるしかない。というスタンスで生きてきたのだが、恋愛については最悪「逃げる」がコマンドのひとつとして選択可能で、時としてそれは正解だったりもするので、むっず! と思った。
悪い人じゃなさそうだけど、友達やもっと深い仲になりたいかと言われればうーん? てこともあったし、趣味はかなり合いそうなのに会話のちょっとした言葉選びとか考え方がたぶん合わないな……みたいなこともあった。学歴や経歴は全てではないけれど、この辺の相性を判断する材料にはなること。そしてそれは、お相手側にとっても同様であったんだろうと思う。
飽き性なこともあり、仕事の閑散期にちょっとアプリを覗き、稀にお会いするところまでいくも、まめに連絡を取り合うのがだるくなってしまい二度目に繋がることはない。その繰り返しの中でコロナが職場で大流行したり、自分が罹ったりしたこともあり、変わらず恋愛経験0のままいつしか25歳の秋を迎えていた。
大学卒業の少し前、同じく女子高出身で彼氏がいなかった友達と冗談で言い合った言葉を思い出した。
「25歳のときにお互い彼氏ができてなかったら、この間テレビで見た相手が自衛隊員オンリーの合コンに一緒に行こうよ!」
筋肉ヤバそう! イケメン多そう! 逆に楽しそうじゃない? なんて、たった数年前の話だが、もうあの頃みたいに本気で冗談としては笑えない。
というのも、卒業後も特に仲良くしていた友達グループ5人のうち、ついに彼氏がいないのが私だけになってしまったのだ。
それでもまだ、焦っているわけではなかった。相変わらず人生は楽しく、仕事はしんどいが日々は十分に充実しているといえる。友人らも別にこちらを憐れむでもなく、まあこういうのはタイミングもあるし、それだけが人生じゃないしね〜というスタンスでありがたかった。
だが、年末年始頃になってくるとじわじわとこみ上げてくる思いもあった。
数年前まではクリスマスパーティーに忘年会に新年会と、友達と楽しい予定を入れまくり、さらに寝る間を惜しんで推しを愛でて最高になっていた。が、やっぱり周りに彼氏ができれば、そちらを優先してもらって予定を立てることになる。今年もクリスマスパーティー兼忘年会も新年会もやったが、あと数年もすれば今度は結婚する子が出てくる。子どもが生まれれば、さすがに今と同じようには遊べなくなるだろう。
その分、推し活が捗る。とも思ったのだが、実際暇だったクリスマス前後はイベント用の原稿がめっちゃ捗ったのだが、同時にめっちゃ眠いし疲れがやばい。
まだまだ若者だと自負しているし実際25なんてまだまだ若いのだが、確実に学生のときより衰えている。多分体力作りや体調管理で盛り返すことは可能なのだろうが、仕事がなかなかの漆黒分野なので、今すぐに改善していくのは難しそうだ。それに、推しとの時間は一期一会。新たな出会いもあろうが、いつサ終や最終回も迎えるかも分からない。
二次元三次元問わず、何事にも終わりはくる。家族がいても友達がいても推しがいても、仮に恋人がいても、最終的には一人だ。そのことへの、漠然とした不安があった。
そうなってくると、己の進むべき方向は大まかに二つではないか。
もうなりふり構わず、とりあえず一度は恋愛というものを経験しておいて、合わないなら止めて一人で楽しく生きていく。それか、もう腹を括って一人で生きていく。どちらを選んでも、幸いなことに漆黒だが安定で安泰な手に職はある。
ということで、なあなあにしていたアプリを、インストールから2年経った2023年1月に改めて本腰を入れて再開してみた。
初めこそ、趣味やノリが自分と近そうで、リードしてくれそうだから少しだけ年上の方……なんて思っていたときもあったが、休み休みでも2年アプリをやっていると理想と現実がわかってくる。
趣味やノリが合うかはプロフィールだけじゃ最低限しか分からない。そもそも私が好きだと言っている漫画もゲームも全部、二次創作BLを含めて言っている時点で重視すべきポイントにはなり得ない。この趣味をリアルの知り合いにカミングアウトするつもりはないからだ。
年齢もあまりに離れていなければ、この際どうでもいい。そもそも誰ともお付き合いしたことがないのだから、年下年上同級生、どんな人と合うかなんて分かるわけもない。
ということで、ほぼフィーリングでピンときた数人に「いいね」を返し、そのうちの一人と数回電話で雑談し、会う約束をした。この間、アプリ再開から約2週間。25年何もなかった自分にしては、なかなかのスピード感である。
それなりに楽しみにしながらデート当日を待っていた。浮かれて久しぶりにワンピースなんか買ってしまって、たぶんはしゃいでいたんだと思う。
前日の夜に「明日って、〇〇駅に何時ですよね?」と送ったきり、返事が途絶えた。その前日までは普通にやりとりしていたのに。
それでも、万が一でもお相手の方を待たせてしまっては申し訳なさすぎる。ので、電車で1時間半かけて当日私は待ち合わせ場所に会いに行った。案の定、そこには誰も来なかった。悲しくて恥ずかしくて、追加の連絡はできずに、一人で駅ビルを3周くらいして、ご飯を食べて、何か一つでも納得したくて可愛いヘアクリップとずっと欲しかったSABONのフェイススクラブを買って帰った。
帰りの電車の中はカップルばかり目について、まじで最悪の気分だった。けど、冷静な自分もいた。会う約束までしてすっぽかしたことはなかったけど、だるくなってアプリ内のチャットを切ったり、LINEをスルーしてしまったことは私にもある。たぶん、アプリで出会いを求める以上これはよくあることだ。
だからこそ、もう決着をつけたい。
明日から一週間は恋愛のとこは考えない。ちょうど推しカプのオンリーイベントにも参加するし、全力で楽しむ。そして、イベント明けの一週間に最後にもう一度だけ、ちゃんとアプリをしよう。どんな相手でも真剣に向き合って、それで一週間でなにもなければ、アプリを消そう。
25歳なんて、これから恋愛経験を積もうには少し遅いかもしれないけど、長い人生の中ではまだまだ若い。
これ以上、自分の恋愛でうだうだ悩むのに時間を割きたくない。そもそも、人生における恋愛が占める部分は、人より少ないタイプだ。今までがそうなのだから、そういうものなのだ。それならもう恋愛を諦めるわけではないけれど、中途半端に振り回されるより、推しカプ並のご縁とやらに巡り会うことがあるまでは、恋愛のない人生でいいや。
そういうつもりで、ラスト1週間アプリをしっかりめに見る日々が始まった。
確か、彼からいいねが来たのは水曜か木曜くらいだったと思う。そのときちゃんとやりとりをしていたのは、彼を含めて二人。(マッチングアプリでは、お互いにいいねを送り合うとやりとりが始められるが、いいねを送りあっても会話が始まらないこともままある)
同い年の人と、一つ年下の人。
正直なところ、どちらの人もプロフィールや写真はあまり印象に残っていない。ごく普通っぽい感じの人だった。ほぼ同時進行で二人とアプリ内チャットでやりとりしていた。
もともと、やや人見知りする性格なこともあり、今までの人生で先輩や後輩とは、仲が悪くなったこともないが、仲良くなれたこともなかった。ので、同い年の人のほうが話しやすいかな? と思った。が、話をしているうちに、何とは言えないのだが、なんとなくこちらの恋愛経験が浅いことや学生時代の思い出なんかを話しているうちに、ちょっと上から目線を感じた。互いに品定めする場でもあるのだから、当然といえば当然なのだが、今回の私はこれ以上もう恋愛で不快な思いをしたくないという思いが強かったので、ごめんなさいと思いながらフェードアウトした。(「女の子は〜だもんね」、「(部活や勉強について)それなりに頑張ってたんだ、真面目だね(笑)」的な言葉に、なんとなくモヤってしまった)
一方、もう一人の年下の方。
仕事のことや漫画のことなんかの当たり障りのないことを話していると、一度通話をしないかと持ちかけられた。今週は頑張ると決めていたのでokすると、「初めましてだし、だらだらしちゃってもあれなんで時間を決めましょう」と相手から言ってくれた。
友達と電話するのは好きだが、そんなに関係が深くない相手と世間話をするのは得意じゃないのでありがたかった。
30分だけという約束で週末に通話をしたのだが、驚くことにとても話しやすかった、とても初めて話す相手とは思えないくらいで、それでいてお互いに敬語は崩さずに程よい距離感で楽しく会話ができた。今までもアプリで知り合った相手と通話したことはあったが、こんなにも話が弾んだのは初めてだった。30分があっという間に過ぎ、私のほうから「少し延長しませんか?」とお願いした。これも初めてのことだった。
結局、一時間以上通話が続き、「よければ会いませんか? 会わないと分からないこともあるだろうし」という相手の言葉に同意して、電話を終えた。恋愛経験が乏しいこと、なかなか進展できていないことも伝えていたため、「それなら早いほうがいいですね」と3日後に夕ご飯をご一緒することになった。
これもなかなかのスピード感で、正直展開の速さについていけていないところもあったのだが、25年間で0だった経験値が、25年間で1になったと考えれば、別に早くもなんともない。
すぐに当日を迎えた。仕事終わりに、前述した浮かれて買ったワンピースに着替え、待ち合わせ場所のレストランに車を走らせた。
今度はちゃんとそこに相手が待っていて、私はもうそれで少し嬉しくなっていた。我ながらちょろい。でも、そのレベルのくそざこ恋愛初心者なのだから仕方ない。
写真で見るより、感じがよかった。1つ年下ということだったが、そんな感じは全然せず、まあ1歳違いなんて誤差みたいなものかと年齢差という偏見を取っ払うと、より人として良いなと思えた。
ご飯を食べながら話をしたが、対面してもやはり楽しく過ごすことができた。
仕事の話、学生時代の話、恋バナ。まあこっちに話せる恋バナなんてカスみたいなのしかないのだが、それもちゃんと聞いてくれた。そして私にはずっと縁がなかった、高校生や大学生のときの恋愛話をぽつりぽつりと語ってくれた。トキメキしか詰まっていない推しカプの妄想とは違っていたが、それはそれで興味深かった。
印象に残っている彼の言葉がいくつかある。
「僕も楽しいです。できれば、また会ってほしい。けど、もし他にもいい人がいれば、全然そちらと会ってもらっても大丈夫なので…」
程なくして
「そろそろ敬語やめない?」
タメ口で距離を狭めてくる人は、Twitterでもアプリでも苦手だったのに、電話でもたくさん話したからか自然と受け入れられた。
「誰とも付き合ったことないんてしょ? なら、僕と付き合ってみない?」
からかわれているんじゃないかと思い、「冗談?」と聞き返すと「本気だよ」と言われた。どんな顔をしていいか、これは進研〇ミことp〇xivでも同人誌でも予習したことがなく、たぶん半笑いの変な顔をしていたと思う。
だめかな? と問われたので、信じられなくて「逆に私でいいの?」と聞き返してしまった。
「いいよ、いいに決まってる。付き合ってください」
改めて言われてしまって、目の前の人が好きなのかどうかなんて全然分からなかったが、少なくとも一緒に話していてずっと楽しかったこと、沈黙も気まずくなかったこと、腹をくくってアプリをしていたこと、いろんなこと思い出しながら、一言
「はい」
と答えてしまった。
これからよろしくね。うん。とお互いに照れながら言い合って、恥ずかしいような、でも数週間前のような惨めさはない、知らない気持ちで溺れそうだった。
ラストオーダーも過ぎていて、焦って退店するともう駐車場に車は疎らで、次の日も仕事なのでどの道我々も解散の流れになった。
車の前まで一緒に歩き、でもなんとなく別れ難くて立ち話をしていると
「手を繋ぐのも初めて?」
と手を握られた。「うん」と答えると、指を絡められ、なるほどこれが恋人繋ぎかと思った。推しカプはよくやる、というより脳内のデフォはこれだ。
「……じゃあ、キスも?」
あれ、この流れ。推しカプで予習はしてないけど、数多のBL読んできたから察しはつくぞ。そう思いながら「……うん」と答えた。
見つめ合うのも初めてだけど、伝えるタイミングはなかった。
本当にキスするときってチュッていうんや……と頭の片隅で感動していると、再び唇を合わせられた。
今度は軽く唇を噛まれて、舌が入ってきた。口内を吸われて、舌を甘噛みされたりした。たぶん時間にして10秒くらいだったけど、25年間0だったものが一夜にして、自分的に200くらいに跳ね上がり、すっかりノックアウトだった。
顔が離れて目を開けると、彼との間に唾液の糸が切れる瞬間で、内心
「こ、これは進研〇ミで死ぬほど見たことあるやつ。なんなら自分の小説でもよく書くやつ……こんな感じやったんか――」
と謎の感動に包まれていた。
そしてぎゅっと抱きしめられ、
「あー、離したくない。でも、これ以上は止まんなくなるから我慢する」
と言われ、夜も更けてきたのでバイバイした。
帰りの車内では完全に放心状態だった。だって、まさか、25年なにもなかったのに、この数時間でこんなことになるなんて、思ってもみなかった。今思い出してもやばい。
26歳の誕生日まで、あとちょうど2ヶ月という夜だった。
その後はじわじわと恥ずかしさが込み上げてきたが、同時に彼のことが日に日に好きになっている気がする。
断言できないのは、もちろんその経験がないからだ。でも、お相手は程よく優しく、こちらに経験がないことも承知である程度ぐいぐいリードしてくれるのが、ありがたくもある。そして、その振舞いから、「本当にこの人、私のことが好きなんか……」と実感できることもままあり、なんともこそばゆく嬉しい。
経験してみて、合わなければ止めればいいと覚悟して臨んだが、今のところはとりあえず幸せに過ごせている。
推しカプも相変わらず愛おしい。家族も友達も愛してる。そこに、もう一つ楽しくて素敵な気持ちになれる存在が加わった。
無論、よいことばかりの毎日ではないが、それでもまあいいかと思いながら生きている。本当に、本当にありがたいかぎりである。
※利用していたアプリはペアーズとwith。今回の最終的な出会いに繋がったのはペアーズだったが、使用感がおもしろかったのはwith。用心してまじめに使えば、怖い目に遭うことは少なそうだと思う。
世の中の男全員に全自動射精型チンコケースの装着義務を科せば世の中は平和になるのかもしれない。
全自動射精型チンコケースはいうなれば携帯型のオナホのようなものと思っていただいても構わないが
(具体的に言うとGPSと物理的な鍵を自宅設置することで自宅でないと外せない仕組みによる(同居者がいる場合にはさらに同居者の生体認証とパスワードを必要とすることで安全性を確保))
オトコの欲情や勃起を感知すると全自動で射精するまで全自動射精型チンコケースが稼働を始める点だ。
課題としてはバッテリーの持ち時間があるが将来的には気軽に街中で充電できるような設備を作れたらと考えている。
スタイリングとしては大体においてガンダムのチンコ部分になると思っていただいても差し障りない。
幸いなことにファッションはオーバーサイズがブームなので違和感なく装着できるものと考えている。
お前が書くなよって内容だと思いますが
いい加減こんなのやめろよって気持ちと
これを見た人が今後気を付けてほしいなという気持ちも込めてます
"頭金"って聞くと総合計のうちのいくらかを最初に払っておいて残りを分割する…とかのイメージがあると思います
私も昔はそう思ってたよ
でもこれ、"総額のうち"の頭金では無くて、"総額に足された"頭金なんですよね
本当は総合計10000円の機種があったとしてそこになぜかプラスされた10000円(これが頭金)
びっくりした
わたしが高校の時にルンルンで機種変更しようとしたら突然言われてその場であれよあれよと親が払うことになった10000円って…なに?
そりゃそうなる
この制度に異議を唱えるお客様がいるんですが、その気持ちとっても正常なので大切にしてください
頭金払いたくないんだけど?→オンラインで買ってください→でもお店の人に聞かないと不安→じゃあ店来て頭金払ってください
なんじゃこりゃ
そもそもプランとかなんやかんや売ってるこっちも意味不明、そりゃクレームも絶えない
頭の中でもうやめましょうよ!ってとある海◯が叫んでるよ(命もったいない)
まあきっとそのうち機械が全て解決するようになれば頭金という名の利益搾取も無くなるんだろうなと思います
早くそんな日がきてほしい
篠原涼子さん的に言うと
平松愛理さん的に言うと
「部屋とワイシャツと私」
「手軽さと簡単さと食べ応え強さ」
なんだけど、
60歳以上で1人で乗り込んで機種変とか様々な手続きとかしようものなら
認知症かそんなボケ防止か何かの観点から1人で行くと止められるそうよ。
そんで60歳未満の人が一緒に付き添ってってのが必須先手必勝法らしいわ。
でもさ、
80何歳の父か母かの両親に
息子や娘が60歳以上でってもうすでにそう言うシチュエーションも現にあり得るわけじゃない?
その80何歳の両親か60歳以上の子どもたちを引き連れていったとて
そう言った機種変などの手続きが出来ないって社会構造バグってない?
そんなこと自体由々しきことじゃない?
一生一緒にいてくれや!ってずっと一生同じ携帯は使い続けられないわけじゃない。
定期的に機種変とかはしないと行けない宿命でもあるしそれが業界の縮図でもあるし。
ところで、
一生一緒にいてくれや!の歌と
大貧民負けてマジ切れそれ見てパスタ作ったおまえ!の歌って一緒の同じ歌?だっけ?
でもさー失礼よね。
60歳っていっちゃーまだ若いじゃない世の中のそういう60歳って
なのに軽くボケてませんか?みたいな前提で
奥歯にものも挟まず歯に衣着せない言い方で
ものを言われたらそりゃムッとするわよね。
奥歯にものを挟んでは歯に衣着せて言って頂戴!って
バックアップなしで丸腰でドコモショップに行った母親はその適用前の入店だったのかしらね?
気になるようで気にならないけど。
ソフトバンクでなら
これが本当の
祖父とバンクに!ってこれを地で行く時代が遂にやってきた感じが
少し不思議な話よね。
そんでね、
こないだ銀行に寄った際、
通帳記帳を慎重にしなくては!って思いながらさすがにそこは飛び込み前転では入店しなかったけど、
そのときに見かけた自転車でやって来て銀行に用事があるご老人の方がいたのね。
私が自転車起こして手を引いて起こしてあげてわちゃわちゃしていたら
その人は私の祖父ではないけど
きっと孫とかと来店来行しようとしていたら、
これをまた地で行くような時代になったもんだなぁ。
私しみじみしじみ汁飲みながら思うワケなのよ、
しみじみ飲めばばしみじみと~ってそんな八代亜紀さんの舟歌級に。
少し不思議な話よね。
「祖父がバンクの前で転ぶ自転車で行って」ってなんか後ろに付け加えるとさまぁ~ずさんの悲しいなんとか級に悲しくなると思わない?
さらにしみじみさがしじみ70個分の命と引換に作って美味しくお味噌汁として得られるオルチニンだと思っていたら、
実はその命シジミのオルチニンじゃなくて乳酸菌由来のものらしくて、
じゃ私が信じていたシジミたちの命の70個分は?って
そこには失われたシジミの命がなく乳酸品由来のオルチニンだったって、
少し不思議な話よね。
今まで信じていたシジミの力の70個分は
乳酸菌由来だったって!
舟歌の歌詞もしみじみシジミ汁飲むオルチニンは乳酸菌由来だった!ってアップデートしなくてはいけないってね。
実際にはそんな歌詞を変えなければいけない!って言ってるんじゃなくて
オルチニンの概念を今まで擦り付けられていたシジミの力だったってことを乳酸菌由来だったって私たちがアップデートしなくてはならないって意味よ。
だけど絶対シジミ汁はそのイメージがありまくりまくりすてぃーでそれなんてオルチニン?ってなるわよね。
霞ヶ関ビルをビールジョッキに見立てて何棟分の年間ビール消費量とか
オルチニンシジミ70個分だとかってのを
祖父がバンクの前で転んでいるって喜んで言ってる場合では無いわ!
喜んでは言ってはないけれどね。
とにかくオルチニンがシジミ由来じゃなくて乳酸菌由来だった!ってことが
それが一番衝撃的な事実だったし、
祖父とバンクに行くときは転ばないように気を付けようと思った次第よ。
うふふ。
なんかいつもあるわけではないみたいで、
見つけたので即座にゲッツよ!
レモン炭酸ウォーラーを今日はそのままストレートに追いレモンもしたら良かったかしらねポッカレモンのね。
あれも切らしちゃったので
思いだしたら買っておかないといけないわ。
今朝は冷たい物一気に行きたい気分の感じだったわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
2023年5月11日にマイナンバーカードのスマホ搭載がスタートする。
例えばネットでSIM契約するとき、今はいちいち運転免許証の写真を送信しているだろうが、
数年後にはスマホ搭載のマイナンバーカードを使ってノンストップで手続き完了するのが当たり前になる。
身分証明証を用意する手間がなくなる上に、写真が確認されるのを待つ時間もなくなる。そもそも写真を送らなくなるので。
ただしマイナンバーカードの作成・更新が来庁必須なのは変わらない。
非対面で色んな手続きが終わるカードだからこそ、作成・更新のときは対面手続きでセキュリティを確保する必要がある。
また健康保険証がマイナンバーカードに統合されるのはみんな知っていることだろうが、