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2023-02-08

外国で暴れて精神科に入れられたんだけど

なんか書いたけどクソ長いか外国精神科措置病棟が気になるやつは下までスクロールしてくれ。

入院に至るまで

お前らは精神科入院したことはあるか?俺は一回もなかった。でも精神科/心療内科に通院はしてた。俺はADHDから毎日ストラテラを飲まないと仕事にならない。ストラテラは処方薬だから医者に行かねば貰えない。毎回医院に行って1分話して処方箋貰って金払うだけ。

ある時、俺は海外一身上の都合引っ越した。医療制度というのは国毎に大幅な差異がある。引っ越した先の国では生憎ストラテラは18歳以下のみの保険適用だった。やっとのことで見つけたクリニックの先生は、ビバンセを勧めてきた。言うには最新の作用機序リタリンよりOD不安もない。そして保険適用。かつてコンサータがまるで駄目な方にしか効かなくて3日でやめた記憶もあったものの、軽い気持ちスイッチしてしまった。

ADHDにはニ種類の薬がある、と俺は思ってる。集中力を高める薬と、気が逸れにくくする薬である。似たような響きだがまるで逆だ。後者が俺の相棒であるストラテラ、前者はコンサータ(どちらも先発名)。コンサータは薬というと聞こえはいいが、どちらかといえばヤクと読むべき、ほぼ覚醒剤である。もちろん患者が薬物依存になるとまずいので、徐放剤といってガツンとキメないように調整はされている。先生の勧めてきたビバンセもこの覚醒剤サイドで、違いといえば覚醒剤原料が体内で覚醒剤に変わるというところであるビタミンAじゃなくてカロチンなのかくらいに俺は認識していた。間違ってたら教えて。

そうして薬をビバンセに変えたら途端に寝れなくなった。初日なんて考えてるだけで夜が明けた。今思えば当たり前で、覚醒剤なんだから眠れなくなるのは当然だ。でも俺は一日の睡眠が減っても活動できると喜んでいた。季節は夏。高緯度の日照も相まってたいそう便利だった。

しかし季節が進むにつれ、困ったことが出てきた。まとまって考えることができないのである仕事の都合上ゆっくり腰を据えて考えられないのは致命的だ。家族にも最近まるで話ができないと呆れられている。俺は薬が足りないのだろうと考えた。先生相談して薬は一日40mgから徐々に増え、ついには120mgまで達した。高緯度では夏昼が長いかわりに冬がとことん暗い。俺史上で最悪の冬が迫っていた。

冬になると俺の考えはいよいよまとまらず、出前一つ頼むにも1時間かかるレベルになっていた。仕事でも当然頭は微塵も回らない。上司は進捗の無さに苛立ちを隠せず、俺は完全に途方に暮れていた。家族心配してるものの俺にも全く見当がつかない。しっかり薬を飲んでるのに…俺は焦って更に薬を飲んだ。そうして寝室に籠もって考えると、ふと人生とは詰んでいる気がしてきた。人生とは詰んでるから人生は詰んでるのだ!ただの循環論法小泉進次郎も逃げ出すくらいのアホくさい"証明"だが、当時の俺にはQEDと思えた。そして俺は一切の社会活動をやめた。

俺は恐怖に怯えて布団にこもる。世界は詰んでるから何をすべきかわからない。俺は何日も何週も寝てないように感じた。もはや家族もこの世界を詰ませた陰謀一角に違いない。俺は家族の一人をその首謀者と断定し、他の家族と俺は囚われているか処分しなければならないと画策した。幸いこの企てはすんでのところで失敗し、家族は俺を行きつけの精神科に連れて行った。そこでも俺は先生に向かっていか家族が俺の世界ダメにしたか語った。診断は統合失調症、なんか薬を処方されて俺はそれを飲まざるを得なかった。そして俺は意識を失った。

意識を取り戻すと俺は大変なことに気づいた。家族は俺を陥れるのに成功し、完全に俺は世界から分断されてしまった!行動するのは今だ、そう思った俺は誰かに家族陰謀告白するたった5,6行のメールを2時間かけてしたためて、覚悟を決めて救急車を呼んだ。俺はこの内容を見せて告発するんだ。しばらくして警察が家に来た。俺はぱっと玄関に出た。あれ、俺は鍵かけて閉じ込められてたんじゃなかったのか?それに警察?でも俺が家族に嵌められてることを説明するには誰でもいいか。そう思い俺は警察官についていった。本当は俺が傷害罪犯人っぽいか警察署に連れて行かれたんだけど、俺は家族が悪いと信じて決めつけている。警察官も通訳挟んでもまるで話が通じない東洋人にさじを投げたのか、救急車措置入院と相成った。

入院

救急車外国っぽい青いライトを光らせて夜の山道をひた走る。救急車に本人として乗るのに怪我一つしてないのは不思議なもんだなと、妙に冷静なつもりの俺は思っていた。どれくらい走ったか救急車は薄暗い建物の前に止まった。俺は促されるとおり建物に入った。石造りの古い建物で、照明もロクにない薄暗い廊下を右に折れて、15人位入りそうなでかい部屋に通された。巨大な机の向こうに何人か人がいて、書類に何通かサインさせられた。正直何喋ってるのか全然わかんなかった。部屋が暗かったのか、その人たちは顔だけ真っ黒に塗りつぶしたように見えた。その後は夜も遅かったこともあり、すぐ相部屋の寝室に通された。枕元にはスーパーで一番安い炭酸水ボトルが置かれていた。一杯だけ飲んで徐々にせり上がってくる不安に蓋をした。途中同房の人にトイレ場所を聞いたところ、寝ているように見えたもののすぐ教えてくれた。でも何言ってるか分かんなかったか自分で探した。

次の日起きて俺は焦っていた。なんで精神科入院してるんだ…言ってる意味が全く分からないと思うが、マジで焦っていた。

朝起きたら何もすることはない。みんなおもむろにロビーに出たり朝飯を食べている。それがまず気に食わない。生産的ではない気がする。周りのやつの目が全部死んでるように見える。ここにいたら俺は終わりだと思った。なんのことはない、家族仮想敵に仕立ててたのが精神科になっただけだ。なんだけど、俺は自分危機的状況に最悪なリアクションを取った。錯乱だ。

まずはでかい声を出して職員を探した。しかしまるで相手にされない。そのまま逃げようと思って大声を出しながら雪の上を素足で走った。しかし、精神科だけに柵がある。逃げ場はなさそうだ。少しだけの理性で俺は柵をよじ登るのを諦めて戻った。すると職員が騒ぎを聞きつけて何人か集まってきた。外に出れるチャンスか?俺は必死自分はまともだからここから出せと迫った。しか職員はつれない態度ですぐ俺を元のロビーに戻して対応をやめようとする。なるほど、騒ぎを大きくすればするほど対応する職員も増えるんだな。それを学習した俺は更に声を荒らげて職員を捕まえた。

彼は俺にこういった。あなたがまともなら、それでいいじゃないですか。俺は焦った、こいつはこのまま話を終わらせようとしている。逆を言えばいいのか?そう思って俺は自分サイコパスから危険から病院から追放したほうがいいと逆張りしてみた。そうすると職員サイコパスかどうかは血液検査しないと分かんないですねと返してきた。んなわけないだろ、その時の俺ですら分かった。分かったが、検査を受けないと何も変わらない気もしていた。なので必死サイコパスだね俺は危ないねと話を合わせ、とうとう採血までされるに至った。

しかしどうだろう、検査が終わったら彼は、はい用済みと言わんばかりに俺をロビーに戻すではないか。これまでの会話で勝手検査=退院と思い込んでいた俺は完全に頭にきて、いよいよ本気で暴れた。そうすると複数職員外国語で(当たり前だ)何か言いながら迫ってきた。それがちょうど進撃の巨人普通巨人みたいに見えた俺は恐ろしくて走って逃げた。ロビーから裏の通路を通って行き着く先は袋小路。ドアが閉められたとき、俺はそのドアにドアノブがない事に気がついた。

入った部屋は6畳くらいで、日本人感覚で言えば十分な広さだった。床はリノリウム、壁はクリーム色一色で、はめ込みの厚い窓が冬の寒々しい景色を切り取っていた。部屋には唯一つベッドが置いてあった。退院するために暴れてたのに閉鎖病棟に入れられるだって冗談じゃない。俺はドアをバンバン叩くがまるで開けてもらえなさそうだ。覗き窓からゴミを見るような職員の顔がちらりと見える。次に俺は窓を開けようとした。割ろうとも思ってこちらも叩くがなかなか頑丈でヒビひとつ入らない。この時点で俺は寝たら廃人になると思い込んでいた。ここ10日寝てない(体感から、寝たらパソコンRAMのように頭に入ってる記憶知識知恵すべてが失われ廃人になるに違いないと。しかし体は完全に疲労困憊していた。トイレに行きたいが行かせてくれる気配もまるでない。いよいよ俺は錯乱して部屋の中で小用を足した。これがもしかたら窓の外から目に止まり救出されるのではと思ったが、あとから思えばもし見えたとて重度の精神病患者が暴れてるようにしか見えないだろう。ともかく俺は疲れ果てて寝落ちした。

どれほど寝ただろうか、気がついたら閉鎖病棟に寝ていた。さっきの部屋だ。少なくとも廃人というには認知能力記憶連続性は失われてなさそうだった。あと、漏らして寝たはずなのに服やシーツは取り替えられていた。それには少なくとも満足した。

しかし俺はあまりの空腹と便意ですぐ耐えられなくなった。部屋は暗く時間も何日たったのかすら分からない。とはいえ2大欲求が充たされないことには始まらない。俺は再度ドアを叩いた。しかし飯が全く出されない。トイレも連れて行ってはもらえない。刑務所の部屋にはトイレがついてると聞いたことがあるが、この部屋はベッドしかない。ドアをひたすら叩いてようやく職員から得られたものは、おまるですらない用を足すお椀であった。このとき俺は完全に人権を失ってることを理解した。その後しばらくして食事も与えられた。ツナと冷たいジャガイモを混ぜた犬のエサレベルのもので、俺はさら人権がないと思って涙をこぼして食べた。こっちはよくよく考えると、実はただのメシマズな賄いだったのかもしれない。ともかく起きた日は俺の人生でも指折りの人権のない日だった。

次の日俺はまたトイレ交渉をしてみた。ダメ元だ。しかしあっさり外のトイレに連れて行ってもらえた。人は一度酷く当たられると、多少でもマシな扱いをされた時いいことをしてもらったのではと勘違いする。その時の俺はまさにそれで、トイレに行けただけで感謝した。同時にトイレに行けない可能性に恐怖した。何も口答えする気がなくなった。そしてその日はパンバターだけ食ってたまにトイレに出て終わった。

次の日は更に良くなった。部屋の扉を常に開きっぱなしになるように、食事も他の患者たちと取るようになった。もちろん俺はクワイエットルームに逆戻りしたくないから何も口答えはせず唯々諾々と従った。病棟全体には10人ほど入院していた。そのうち数人から閉鎖室に入れられるなんて可哀想にと同情されてしまった。そうして開かれた閉鎖部屋に何日いただろうか、ほどなくして相部屋に移された。

相部屋の相手はまともな学生さんに見えた。挨拶もするし自己紹介もしてくれた。ただ、虚空に向けて話し出すときと、段ボール箱ラジオと称して実際には携帯音楽を鳴らすときだけはヤバい奴だと思った。実際彼は軽症なのか、一週間ほどで退院していった。他の患者は古株そうに見えた。分かんないけど。常に冷蔵庫自分の食い物を入れては食べてるおばあちゃん、常に食洗機を回すおばあちゃん、常に電話してるトルコ人の女、2chにいそうな青年偶数日はクレオパトラ級のゴリゴリメイク奇数日はサロペットの地味子になる女の子、みんなそれ相応に精神を患ってそうに見えた。

部屋から出られるとはいえ閉鎖病棟自分のいる階から外には出られない。と言っても中で暮らしていくのは暇な事以外何も不自由はなかった。朝昼晩三食食事は出るし、キッチンで持ち込みの食事を作るのも自由だ。途中から家族文明IT機器を持ち込んでもらってからは暇潰しも簡単だった。社会に触れるのは怖かったから、オフラインゲームだけを黙々と遊んだゲーム時間を埋める作業か、あるいは順序立てて行動する訓練のように思えた。ゲームでもいいから何か進捗がないと人間としての価値がなくなるような切迫感を感じてプレイし続けた。

夜は就寝時間があり、あまり遅くまで起きていると当直の人にハロペリドールを飲まされた。すごく頭が鈍くなって好みではなかったが、あの部屋に戻りたくはないから諦めて飲まざるを得ない。

先に書いた通り閉鎖病棟から俺は一歩も出られなかった。当たり前に聞こえるけど、俺だけ外出が禁止されていた。他の患者たちは毎日午後一時くらいにお散歩に出かけていた。たまには俺も外に出たいと思って参加していいか職員に尋ねたが、あなたズボンと靴がないんですと残念そうにみな口を揃えた。自分の足で歩いて入院したのにズボンと靴が無いことがあるだろうか?しかし何度聞いても埒が明かないので、ズボンと靴は汚れて捨てられたのだろうと解釈した。家族に頼んでズボンと靴を差し入れしてもらった。そうしてズボンと靴が揃ってもなんやかんやと言い訳して外に出れず、入院して2週間たちようやく外に出ることができた。

散歩病棟の唯一外に出る玄関職員が開けて、その引率でぞろぞろと歩いてついていく。まず、俺が最初にいた病棟を通った。驚いたことに、この病棟は外の道路からなんの障害もなく行き来できるようだ。柵があって出られないと思っていたが、反対側は正面の入口に繋がっていた。はじめにもう少し理性があったら閉鎖病棟に連れて行かれなかったのにと思う反面、理性がないか入院したわけだし、あの錯乱状態で外に出たら車にはねられてそうだなとも思った。

この散歩想像していたものよりずっと大規模だった。30分から時間精神病院の周りの住宅街を黙々と歩いて回る。歩き電子タバコに歩き火タバコで吸い殻を投げる精神病患者達に近隣住民から苦情は来ないのか、非喫煙者としてはヒヤヒヤする。患者同士しゃべりながら歩いていて、小学校遠足くらい伸びた列を定期的に立て直す。そしてなぜおばあちゃん冷蔵庫食品を蓄えてるかも分かった。多分自分スーパーに買い物に行ってるのだ。そうなってくると家なんだか閉鎖病棟なんだかよく分からない。散歩で外の空気を吸えるのは嬉しいが、また俺はここにいたら駄目になると思った。今度こそ話で退院に持ち込まねばならない。

職員はのらりくらり退院の話を誤魔化し続け、医師の診察もろくになく、どうなってるのかと思い始めた、入院一ヶ月後。小原ブラス似の職員の引率で卓球テーブルサッカー遊んだ帰りに唐突に俺は数日後の退院が告げられた。退院する支度中に、その職員が「あ~ここにあったわ〜」みたいな猿芝居をしながらロッカーから俺のズボンと靴を出してきたが、既に俺にはツッコミを入れる気力は残されて無かった。彼らからしてみたら、話の通じない患者にどうやって秩序を与えるか、自分の気が狂わないか考えた結果がその猿芝居なんだろう。

そうして退院して数ヶ月はものすごく不安で仕方なくどうなるかと思ったけどその後はすっかり元通りになった。相変わらずのADHD、薬を飲まねば仕事にはならない。先生も上手いことストラテラ保険で落ちるようにしてくれた。ビバンセは少なくとも依存性は無かったようで、リタリン系の薬を飲みたいとも思えない。元々飲んでキマってた訳では無いからかもしれない。そのあとめちゃくちゃ面倒なことになったんだけどそこは割愛勝手に敵に仕立てて迷惑一方的にかけたのに見捨てない家族には感謝言葉しかない。

まとめ

2023-02-07

anond:20230207152134

こういう悲観的な未来言われすぎてて多分実現しないんだろうなという気がする

サッカー日本代表は衰退しなかったし、朝日新聞記者も相変わらず高給取りだし

しろ英語学習いらなくなるレベルの小型翻訳機の携帯スマホみたいに人類常識になって、外大外国語学部が廃れて漢詩や皇典の学校と同じ扱いになる未来は見える

2023-02-06

ガーシー擁護派「リモート国会できるようにすべきなんだよ」

・話す内容や投票が全部政治マターなので最低でも専用独立VPN必要

・参加時のオフィス等も機密性の担保が要る

Wi-Fiアクセスポイント盗聴等の可能性を排除するためパブリック回線禁止する都合で携帯回線を経費精算される

全員がリモートになるならともかく、数人程度のためにえらいランニングコストがかかるようなシステムは導入できない

ましてや「リモートZOOM採用します」とか言ったらIT音痴っぷりに世界が笑う

ワイ「すいません、今日はやる気出ないんで帰ります

上司今日〆の仕事は?」

ワイ「ないです」

上司携帯は?」

ワイ「持って帰ります

上司「今抱えてる仕事は間に合いそうなんか?」

ワイ「明日以降でカバーします」

上司「なら別にええけど、もうちょっと言葉選べよ。体調が悪いとかにしろ

ワイ「はい

 

うちの上司モチベーションないのにダラダラ仕事してる奴が一番嫌いと常々公言してるので

業務に支障が出ない範囲ならこういうの許してくれるので好き

支障が出たときの詰めっぷりエグいけど

アカン‥、ガイジすぎるわ。

入眠がヘタで睡眠薬貰ってんねんけど、寝れへん夜にそれを飲むって発想になぜか至らへん。

ずっと布団の中で携帯いじっててちょっと眠いかもって思ったら電気消して寝ようとするねんけど寝れへんくて電気付けて携帯いじってを繰り返してたら一睡もせえへんまま朝になってて絶望する。

それで、朝になってから昨日の夜に睡眠薬飲んでたら良かったんやって気づくねん。

夜にループを繰り返してる間は発想の選択肢の中に睡眠薬が出てこうへんねんな。

でも、ほんまに反省したらそっから1日2日は「寝れへん時は睡眠薬。寝れへん時は睡眠薬。」って繰り返し思い出して飲める日が出てくるねん。

でも、その成功を何回かしたら気が緩んで徐々に忘れていってまた睡眠薬って選択肢を忘れるようになる。

ガイジすぎる。死にたいわ。

両親が離婚し、会社に行かなくなってから2年半が経過した。

コロナウイルス流行りだした2020年の某月、両親が離婚し母が実家から出ていった。

原因はお金問題にあった。両親は共働きだったが家計管理は上手く共有できておらず、父親実家のローン返済に充てるはずの退職金を使い込んでしまたことが発端だった。

(何に使ったのかは未だに明かさないが、自分小学生の頃、父親携帯で遊んでいた際にふと開いたメールボックスキャバ嬢らしき人物メールのやりとりがあったのを覚えていたので女にでもつぎ込んだのだろうと考えている。)

自分実家で両親と暮らしており、社会人で貯蓄もそこそこあったためローン返済の問題はなんとか解決の目処が立ったが、

両親の仲は悪くなる一方で、寝室を別にしてから1年、遂に別れの時が訪れた。

母が実家から出ていく日、自分仕事があったため朝7時頃には家を出なければならなかった。

母に行ってきますと別れの挨拶をする際、情けないことに涙が溢れてしまった。マザコンではないのだが、息子としてもっと何かできなかったのかとその時になって後悔した。

会社への足取りは重く、仕事殆ど身が入らなかったがオフィスでは何もない素振りをしていた。

それから3週間が経過し月末に近づいたある朝、ベッドから起き上がるのを強烈に拒んでいる自分がいた。

体が動かないわけではなかったが、とにかく起き上がるのが嫌だった。2時就寝7時半起床で睡眠時間が少ないのもあったが、普段はそれでも問題なく出社していた。

前日は会社の先輩と普段乗る駅を飛ばして歩きながら帰宅した。先輩は仕事について楽しそうに語り、自分自分仕事の考えをそれとなく話し自販機ジュースを買い二人でタバコを一本ふかしてから解散した。

夜飯を食べていなかったためコンビニ弁当を買い帰宅した。時計は既に23時半を指していたが何事もなく食べ始めたのだが、買った弁当は味がしなかった。

その時、薄暗い部屋でスーツを着た大人が、広いリビングで1人コンビニ弁当を食べているという事実に気づいた。

何を言っているのか分からいかもしれないが、今までは家族で囲んでいた食卓が1人のものとなったことに対して、とてつもない虚無感が時間差でやってきたのだ。

ちなみに父親無職)は2階で寝ていたのだが、母が出ていってからは一切口をきいていなかった。

そして翌日。ベッドから起き上がらない自分は「あ~このままだとやばいな~」「あと15分経ったら始業時刻にぎりぎり間に合う電車乗り過ごすな~」「あとちょっとで朝礼始まるな~」と迫りくる始業時刻に焦りを感じながらも天井をただただ見ていた。

そして始業時刻になった。やってしまったと思ったが、変わらず天井を見ていた。始業時刻の5分後には上司から社用携帯電話がかかってきた。が、出たくなかったのでとりあえず無視した。

しばらくして自分から上司電話をかけ、ベッドから起き上がれなくなったと伝え有給を消化することになった。それから3日間トイレ以外はベッドで天井を眺めて有給を消化し続けた。

病院にいってほしいとお願いされたため、それから数日後に病院に行ったところ適応障害と診断され休職することとなった。

休職手続き診断書原本の提出と会社資産物の返却)をしなければいけないため一日だけ顔を出せないか上司にお願いされた。電車に乗ることはできなかったが車なら行くことができる気がしたので車で職場に向かった。

手続きは1時間もかからなかったが駐車料金は3000円近く取られた。休職となりとりあえず脳死で休めるとなったので気持ちが楽になり車の中で奇声を上げながら帰った。

何もしないでベッドにいると自殺を考えることが増えたため近所のパチンコ屋で連日暇を潰した。それまでパチンコ殆どやらなかったのだが、爆音と散財はその時の自分には救いとなった。

もともとアニメを観るのは好きだったためパチンコ時間をつぶすのは簡単だった。減るはずのお金が何故か増え続けたのが面白かった。これがビギナーズラックかと思った。

休職してから2週間が経過した頃、体重を測ったら3kg落ちていた。食事を一切摂らず開店9時~22時50分までパチンコを打っていたため当然の結果とも言える。

これからどうしようかな~とYoutubeを観ていたら競艇CMが流れてきた。11月ボートレーサーの試験があることを知り自分受験資格があることが分かったため気晴らしに挑戦してみようと思った。

当時体重は60kgだったが、ボートレーサーは52kgに近づけないといけなかったため大きな減量に挑戦する必要があった。両親が離婚してから食欲がなくなっていったのは逆に都合が良かった。

炭水化物は一切取らず、鶏胸肉、豚肉、卵、アボカド納豆などを中心に食べた。ある程度鍛えなければならなかったためゴールドジムに入会した。

また、筆記試験もあったため数学国語理科社会(いずれも中学生レベル)の勉強をする必要があった。そこそこの大学を出ていたため筆記もまあ余裕だろうと思いながらも気晴らしになると勉強した。

11月になる頃には体重は52.5kgになり二次試験への準備もできた状態で一次試験を受けた。試験は上出来だったが二週間くらい経った頃に来た結果は不合格だった。年齢の問題もあるよなとあっさり受け止めた。

適応障害の診断は変わらずだったため休職を延長しつづけ、翌年の3月末に休職の期限が限界となったが働く気が全く起きなかったため退職することになった。無職誕生である

それからは家ではネットサーフィン、外ではパチンコ風俗三昧だった。パチンコでは期待値の追い方、捻り打ちを覚え風俗では上手なデリヘル嬢の選び方、本番交渉の術を習得した。

友人とも普通に遊び、泊まり旅行富士急に行ったりもした。それまで仕事に向けていた熱量を遊びに向けた。

その頃家に帰ればいた父親仕事が見つからず他県に引っ越すこととなった。実家一人暮らし無職誕生である

父親は時々実家に帰ってきたが口をきかなかった。顔を合わせるのも嫌だったので自分引っ越しをしようと決めた。

友人と気軽に遊べなくなるのは寂しかったが、父親と顔を合わせるほうがもっと嫌だったし、アパート探しをして新天地にひとり行くのも楽しいと思った。

そして現在引っ越し完了し1人で暮らしているが、どうにも働く気が起きずこれまでと同じような日々を過ごしている。

貯金無限ではないため、底をついたら生活保護を受けることになるのだろうか。それもまあ別にいかと思っている。

最初は考えていた自殺も、時間が経てば死ぬより身近な快楽を得ていた方が良いのではと考えるようになった。

これを見た人はどう思うのだろう。自堕落生活をして情けないと思うのだろうか。さっさと死ねと思うのだろうか。

精神疾患に対して一定理解のある人はどう思うのだろうか。「いやでも遊べてるやん」と思うのだろうか。

いや、そもそも自分精神疾患なのだろうか。病院には継続して通っているが精神疾患ではなく自分がただのゴミクズなのではと思っている。

働くことは一生できないかもしれない。糞尿製造機でも胸を張って生きて良いと誰かに言ってもらいたい。

2023-02-04

令和の遺族作業

義弟が無くなったけど、スマホパソコンロックされてて何もわからない時にどうしたか

友人への連絡

年賀状から探そうとしたけど、ほとんど電話番号は書いてない。数年分探してなんとか1人連絡

クレジットカード

カードに書いてある電話番号に連絡。

ナビダイヤル契約変更を選ぶと、カード番号を入れさせたあとで暗証番号を入れさせてくる。

暗証番号を間違えると切られる。

正解は紛失を選ぶ。暗証番号を間違えるとオペレーターに繋がる。

サブスクカード会社にそれらしいものがあるか確認すると教えてくれる。

最近カード番号がない場合はどうすればいいかからない。

携帯

携帯持ってドコモショップ行った。

でもどこの会社SIMか分からなかったらどうすればいいかからない。

携帯代と一緒に払ているものはまとめて解約されるらしい。

年金

社保なので年金事務所に電話家族全員の基礎年金番号必要だった。

スイッチ

ロックはかかってなかった。念のため継続購入を辞めた。クレジットカードの停止で問題なさそう。

アマゾン

電話で問い合わせ。名前と住所と死亡届でアカウント閉鎖してくれた。プライム特典未使用だったか年会費返却してくれた。

部屋にあった外付けHDD

変なデータがないか確認して妻に渡す

最近の行動原理が「○○に洗脳されちゃおっかなー?」なんだが

俺は無宗教なんだが辛いとき安心して依存する先がほしい

いま契約してる携帯会社信者にはなってる

2023-02-03

anond:20230202175059

元増田だけど、私用携帯から予約してしまったため番号は押さえられてるかもしれないのでキャンセルする度胸もなく、とりあえず現地に向かっている。

まあ、罪悪感が強ければ、行ったがイかない、おしゃべりするがおしゃぶりなし、にすればいいので。

2023-02-02

スシロー「食べて応援

ごめん

俺には無理

できてもテイクアウトまで

 

もともと衛生管理の疑わしい店には抵抗があった

単価が低くて(=客層がDQN人件費も安い(=バイトDQN)ような店がそれにあたる

テーブルが汚い、壁が汚い、床が汚い、トイレが汚い、食器が汚い

デーブル常設の調味料が空だったりナプキンが2、3枚しか入ってなかったり

要は飲食店として行き届いていない〈感じがする〉お店がとにかく苦手

丸亀製麺とか日高屋とか、どこの店舗もそうだとは言わないが、うちの近所の店舗はとにかく汚い

この不潔感でよく食事する気になるなというレベル

いわんやスシローにおいてをや

 

まあ衛生管理優先順位はどう考えても厨房フロアなので、フロアが汚いからと言って厨房まで汚いとは限らないのだが、その優先順位でいけば、少なくともフロアキレイならば確実に厨房キレイだよな

そういうところで俺は食事をしたいよ

 

ペロペロ事件で今さら食の安全が」とか「信頼が」とか言ってる人たちいるけど、もともとなかっただろそんなもの

「ひどいこともできちゃうよなー、でもそんなやつはおらんと信じたい」って自分に言い聞かせて食ってたんだろ

でも実際にいるんだよ

今までもいたの

その場のノリで食の安全と信頼をおびやかすようなイタズラをするやつらがいたの

たまたま動画を撮ってなかっただけ

ていうかカメラつき携帯なんてもんをみんなが手にする前からいたの

 

あれは「最悪他人のヨダレで汚れてるかもしれないけど価格には替えられない人が食うもの」なの

俺は食わないよ

有料化する??しらんかった。ああああああああ!

正月の時に残額がほとんどゼロ円に

なったから、そのとき解約しといたらよかった。ゼロにしなきゃ。歯科医院にちゃんと予約できてるのか確認した。おまえなぜ電話してくるんかって感じの応対だったわ。このまえ、予約が勝手にながれてて涙だったから今回は念を入れてるんだわ。

そもそも論SMSでええんやで。たとえば、問題〇の担当になりその○○者への連絡必要場合携帯番号しかからない。だから、そこに連絡するけど SMSで連絡し、なるべく音声通話かわない。電話きらいなのよね。ブラステルつかう必要ナシ!!洋ナシ!小鳥遊!

2023-02-01

言葉のものはいろんな意味があるけど一般には特定意味を指す単語

携帯といえば電話

定期といえばバス電車の定期乗車券

免許といえば車の運転免許証

そういうの他にあるかな

逃亡するとき宿泊

仕事のなにもかもがつらくて、よく逃亡する妄想をする。具体的には明日突然欠勤し、そのまま誰にも連絡せず2〜3週間仕事をぶっちぎるというものだ。

会社携帯は当然放置し、プライベートの連絡先を知っている同僚の連絡も取らないようにする。そのうち実家に連絡が行くだろうが、実家とも連絡を取らないようにする。(実家には申し訳ない気持ち…)

懸念は自宅が会社管理なので最悪自宅に突入されることだ。これだと意味ない。

なので県を跨いで移動することにする。そのとき宿泊先はどんなところがいいだろう?

急遽に備えた金がないわけではないが、その後無職になることを思うと、あんまりパッと使うのも良くない気がする。

ビジネスホテルなら費用も抑えられて気をつかう必要もなく一番良いが、出張でよく使っているので雑念が多そう。

ゲストハウス学生時代よく泊まったので選択肢としてはアリだが、状況が状況なので、ダラダラ閉じこもれないのは気になる。

旅館は金のことを気にしなければ最高だな。

どこがいいかな?他におすすめとかある?

絶縁された。

現代の絶縁は絶縁状を叩きつけるのではなく、携帯の番号を知らせずに変えることなんだな。

そりゃ親父とは血が繋がってないし、妹も種違いとは言え、三十数年間、形だけでも家族してた人間から絶縁されるのは堪えたな。

とは言え、生活保護受けてるようなカスゴミ親族として認めたくないと言うのももっともな話だ。

怒るべくして起きた当たり前の結果のようにも思う。

さぁどうやって生きていこうか。

anond:20230201155027

マジレスすると疲れてる

携帯会社とか病院とかでも行って受付も待てないやつはやばい声してる

よく寝て家で飯を食え

anond:20230201105852

携帯電話を略すときは「ケータイ」とカタカナで書いて差別化する

文脈的にも「携帯」を単体で名詞として扱うことはほぼ無いので区別できる

USBメモリUSBと略す奴は許さねえ

2023-01-31

ポイントバックはいいんだけど

月額の支払いにあてたいとチャットでこれまで3にんにきいたよ

3人ともポイントを充てることはできると回答

結果今日ポイントきてたけど

期間限定しか

月の通信料にも携帯代金にも充てられないことが判明

うーん……。

コロナが怖く無くなっても、マスクを着け続ける予定

理由?外出時にマスクをつける生活が始まってから、明らかに体調が良くなったから。

もともと、花粉症なのもあって、シーズン中はずっとマスクをしていた。慣れてるからか、マスクを付けることにストレスはない。肌が荒れたりする人は可哀想だけど、自分はそういうのも一切無かった。

そして、年中マスクするようになってから風邪をひかなくなった!!

自分身体が弱くて、季節の変わり目に高確率風邪っぽい症状が出て困ってたんだけど、それもコロナ中は一度も無かった。何十年も生きていて、今が一番体調がいい。

マスクと手の消毒で、こんなに変わるとは思ってなかった。

コロナが5類どころか、完全に怖く無くなってからも、自分は、外出中はマスクを着け続ける予定。消毒液も、店頭に置かれなくなったら、携帯しようと思っている。

マスクつけたい人も付けたくない人も共存できる社会になりますように。

2023-01-30

anond:20230130135138

俺の場合は、新聞ペンフレンド募集欄にたまたましたことない同級生発見趣味が同じだったのでその子と同じ中学友達家電聞いて電話携帯はなかった時代)→学校でも話すようになって付き合うって感じだった

後輩を自分運転で喪ってから4年近くが経った

追記

こんな駄文にとても多い反応があって凄くびっくりした。

励まし・慰めの言葉をくれた人、後輩を悼む言葉をくれた人、本当にありがとうございます。正直、時間が経った今でもあの日のことは夢だったんじゃないかって思うことがあって、でも現実を突きつけられて。の繰り返しだった。けど、これを書いたことで、少し気持ちが楽になった。今まで誰にも相談できなくて鬱屈としてたんだけど、誰かに聴いてほしかったんだな。

  

書いてると感情が凄く乗ってしまって、嫌に創作臭くなってしまった。

事故に関する記事については「高速道路事故 後輩の名字」で調べないともう出てこなくなってしまっていて、これはさすがに晒せないか事実ということを証明するのは少し難しいんだ。

けど、それじゃ「嘘松だ」っていう人を納得させるのは難しいし、自分としても後輩の死を嘘松って言われながら消費されるのは絶対に嫌なので、事故にあった後の車の写真を置いときます。これを見て事実かどうか判断してもらえたらと思う。

  

ちなみに、今までにインターネット上に公開したことは無いから、画像検索しても出てくることは無いと思う。

また、この画像を見て交通事故の恐ろしさを改めて認識していただけると救われます

  

https://gyazo.com/0b58ed31e1a84df6198a377d71c0b94f

https://gyazo.com/5390deb73e4458ef787743ac240fe85f

追記終わり】

  

  

大学部活で仲が良かった男4人組で日帰り旅行に出かけた帰り道での出来事だった。

  

  

片道250kmくらいの道のりで、あと50kmくらいで無事に家に帰れるはずだった。高速が事故渋滞していて、渋滞最後尾に追いついたんだ。

トラックの後ろに停車してハザードを焚いてバックミラーを覗いた。それから数分間の記憶はない。

  

目を覚ますと、運転席の中だった。目の前に巨大な鉄の塊があって、本来それと自分たちを隔てる、あるべきものがなかった。

状況が理解できなかった。けど目に飛び込んでくる夥しい量の情報がその事実残酷に突きつけていた。

理解せざるをえなかった。追突事故にあったんだと。

  

助手席の友人に大丈夫か聞くと返事が帰ってきた。彼に一旦外に出ることを伝えて、ドアを開けて外に出ると前のトラック運転手が携帯電話でどこかに電話していた。

  

「そうだ、自分通報しないと」携帯を取り出して110番通報した。

電話を終えて後ろのトラックをチラッと見てみると、運転席に運転手が座っていた。60〜70くらいの男性だろうか。呆然とした様子で、誰かに電話をかけるような様子もなければ、降りてきて救護する様子もなかった。

  

でも、自分には彼にかまっている暇はなかった。後部座席に座っていた後輩2人の無事を確認しなければいけなかった。

後部座席運転席側から覗くと、とても現実とは認めがたい光景が眼前にひろがっていた。

  

運転席側に座っていた後輩は口から血の塊を吹いていて、目を見開いていた。気付くと血の塊を手で拭っていた。血の塊はゼリーのように半固形状になっていて、事故が起きてから経った時間物語っていた。

大丈夫か問いかけても反応がなかったけれど、なんとか息はしているようだった。奥を見やると、助手席側に座っていた後輩の首から上が、後ろのトラックに圧迫されているのが確認できた。

  

一気に自分心拍数が上がるのを感じた。次の瞬間、思わず叫んでいたことだけ覚えている。窓から手を伸ばして、背中を叩きながら、ただ一命をとりとめてくれることを叫んで祈るしかなかった。

急いでドアを開けようとしても開かない。ビクともしなかった。追突の衝撃で歪んだせいだろう。どれだけ力を加えても開けることができず、それがより不安を加速させた。

  

ビクともしないドアが、生と死の境のように感じられた。それからずっと、救急車が来るまでただひたすらに、叫ぶことしかできなかった。もし少しでも止めてしまったら、2人がもう二度と帰ってこない気がしたんだ。

  

気付くと、救急隊の人が到着していて、引き剥がされながら、いつの間にか脱出していた助手席の友人と救急車で近くの病院搬送されることになった。

  

  

結局、自分は左足骨折と頭を数針縫う怪我を負い、助手席の友人が頭を数十針縫う怪我運転席側の後輩が顎の骨が砕けて、全治半年以上の怪我を負った。助手席側の後輩は帰らぬ人になった。

  

今でもあの日のことを思い出す。あの日、あのとき、直前のSAでもう少しだけでも休憩していれば。JCTで別の高速道路に抜けていれば。停車したときもっと車間を空けていれば。別車線にいれば。そもそも誘わなければ。

事故を防げたかもしれないあらゆる可能性を思い浮かべては、そうできなかった自分を責めている。

  

数日後に控えていた後輩たちの旅行台無しにして、亡くなった後輩のご両親からもただ一人の息子を奪ってしまって本当に申し訳がない。生きている価値がない。

あれからずっと、生きている実感が無い。

  

ここまで読んでくれた人たちにお願いがある。交通事故は本当に、誰一人も幸せにならないから、本当に気をつけて運転してほしい。

2023-01-29

「昔は普通に働けば家族四五人養えた」って言うけど進学率も低くて教育費かからん携帯ネットもないか通信費もかかってないだけやんという話

2023-01-28

育休中のリスキリングについての大家の質疑と岸田の答弁

id:entry:4731525159018182404 等の件についての国会インターネットアーカイブからの書き起こし。後半は130万の壁で別の話ではあるが、質疑の粒度として不可分であったため対象としている。

大家が「育休中にリスキリングしたらよい」と提案したのがまず最大の誤解であり問題でもあるが、岸田がその誤解・問題の指摘をせずに飲み込んだ上で、リスキリン支援について一般的に後押ししていくとしたところは大問題である

なぜ大問題かというと、これが参議院本会議における質疑であり、質問内容が事前に明らかであり、十分に考える余地があった上での答弁だからである。岸田は大家質問内容を変えないのであれば、育休中にリスキリングする事がナンセンスだと明言する必要があった。

以下、書き起こし。

https://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php

大家の質疑

岸田総理は、指定方針演説において構造的な賃上げ政策の一環として新たな分野で活躍するための能力スキルを身につけること、いわゆるリスキリン支援を続けておられます企業経由となっている支援個人への直接支援に見直すことなどが極めて重要であります。岸田総理、是非ともご検討頂きたい新しい案について私からを示したいと思います

子育てのための産休育休がなぜ取りにくいのか?理由のその一つが一定期間仕事を休むことで、昇進昇給で同期から遅れをとることだと言われてきました。しかし、この間にリスキリングによって一定スキルを身につけたり、学位を取ったりする方々を支援することができれば、子育てをしながらもキャリア携帯を最小限にしたり逆にキャリアアップが可能になることも考えられます

大胆な子ども政策検討する中で、例えばリスキリングと産休育休を結びつけて支援を行う企業に対し、国が支援を行うなど、親が元気と勇気をもらい子育てにも仕事にも前向きになるという二重三重ボトルネック突破できる制作は考えられんではないでしょうか。この政策によって結婚育児期に女性就業率が低下する M 字カーブ育児非正規で働くようになる L 字カーブの解消にも資するものだと考えます。今ある仕事が近い将来 AI にとって替わられることも予想され、私たちキャリアにとってリスキリングが当たり前になる時代が来る中、このようなリスキリン支援メニューの拡充が必要になるのではないかと思いますが、総理のお考えをお伺いします。



これまでの取り組みにより働きたい女性がこれまでよりも働きやす環境になってきているとしたら、それは一歩前進と言えると思いますしかし、総理施政方針演説で言われていた通りに、まだ存在する女性就労の壁については今すぐにでも取り除かなければなりません。税制の面では女性就労の壁は解消されてきましたが、社会保険の面では依然として大きな壁が存在しています

私の周りでお一人こういう方がいらっしゃいました。二日間のパート勤務で、仕事がよくでき職場にも馴染んでおられました。経営者はその方にさら活躍していただくために、勤務を1日増やして週3日間の勤務に移行して頂いたそうであります。このようにお仕事を楽しみやりがいを持っておられましたが、数ヶ月経てこのままだと130万円の壁を超えることが明らかになったため、勤務を週2日に戻したそうです。

追加で働いた給料よりも多い額がそのまま保険料になる現実に驚き躊躇したのであります130万円の壁存在によって、ご本人の意思に反して勤務時間を減らしたという減らしたいという気持ちになってしまう、こうした働き方に中立的でない制度はご本人から仕事への意欲を奪い、女性活躍もの趣旨にも反しているように思います。このように未だに存在している女性就労の壁を一刻も早く取り除き、全ての女性が納得感をもって活き活きと活躍していただく環境を作ることが、包摂的な経済社会づくりのためにも重要であると考えます総理のご所見を伺います

岸田の答弁

子育て世代に対するリスキリン支援女性就労の壁を取り除く取り組みについてお尋ねがありました。

政府としては、人への投資支援パッケージを5年で1兆円に拡大し、リスキリングへの支援を抜本的に強化していく中で、育児中など様々な状況にあっても主体的に学び直しに取り組む方々をしっかりと後押しして参ります

またいわゆる130万円の壁については、これを意識せず働くことが可能となるように、その解消に向けて短時間労働者への被用者保険適用拡大を進めているところです。

いずれにせよ少子化対策を強化する上で、男女共に働きやす環境の整備、これは重要でありいわゆる L 字カーブの解消、男女間の賃金格差是正などの課題に対して、女性就労の壁となっている制度見直しに取り組んで参ります議員の方からもご提案いただきました。こうしたご提案も参考に参考にさせて頂きながら取り組み飯を進めて参ります

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