はてなキーワード: 拒絶反応とは
それはVにしろアニメにしろ、選球眼によるところが大きい。Vだからアニメだから、ではない。
選球眼、つまりそれらの場において自分に合うものを選び取る能力次第だが、増田の場合Vの場で選球スキルがうまく働いた(アニメの場ではうまく避けられなかった)という経験があるせいでそのような認知になるのだろう。
他人もそうなるとは限らず、むしろ逆の印象を持つ人の存在も相当数いるであろうことは想像できる。「いやVの方が断然中の人の色恋や育ち良い感(=家庭愛)やスキャンダルでこっちがダメージくらう事多いわ」という具合にである。
もちろん俺は増田とおそらく同類で愛や恋といった沙汰とは縁遠い世間的に見れば寂しい生き方をしてきた人間ではあるが、作品鑑賞をするときに架空の人物たちが愛や恋に邁進しているのを温かい気持ちで見守ることはできる。
おそらく自分の境遇と比較しすぎてしまうからそれらへ拒絶反応が出るのだと思うが、俺は自己を客体化した上で別の世界と混ぜ込まない(=比較しない、羨まない)スキルを自然と会得できてしまったので、避けるという発想がない。
もちろんドロドロでガチガチの恋愛ものを好む訳ではないし、むしろ専門外な分だけ苦手で、わざわざ選んで見るタイプではないのだが、書くのに飽きてきたのでこのへんでおわりにする。ではさらばだ。ビュオッ
幼い頃から学校が嫌いで運動音痴な上に頭の回転も遅かったんだけど歳を重ねていく事に学校嫌いが悪化してから学校に付随するものが全て嫌いになってきて中学上がったあたりから人付き合いとか勉強に酷い拒絶反応起こして1日12時間とか寝たり仮病使ってたら親に家から叩き出されて家の近くのお墓で座り込んで蹲って1人で泣いてたりしてたら中学生ながら親よりも白髪が増えてしまってそんなこんなで高校受験迎えて偏差値40の高校に合格見込み無しとか言われてさっさと落ちて通信制の高校行きたかったから家から1番近い偏差値48の高校受けたら受かってしまって行きたくない行きたくないと駄々こねながら入学する羽目になって相変わらずサボり癖が抜けなかったり人付き合い悪いまま卒業を迎えて成績も悪いし家貧乏だし学校嫌いだから進学しないし働くのも嫌だから楽な仕事で検索したら「市役所は楽」って聞いて親に公務員になる旨伝えて公務員浪人させてもらって2年間のモラトリアム獲得して公務員試験の勉強して今まで勉強してこなかったから教養問題(いわゆる国数理社英のことで主に自然科学と社会科学が得点源とされている)とかちっともわかんないし馬鹿だから頭に入らなかったんだけど知能問題(パズルみたいなやつで二次方程式出来るなら解ける問題が多い)が何故か得意だったのとコミュ障だけど愛想だけは良かったのが功を奏して地元の市役所合格したけど社会不適合者なのは全く変わってない俺が仕事続くはずもなく人付き合い苦手で頭悪すぎて仕事も理解できないし周りが何言ってるのか理解できないしで皆は普通に仕事できてるのに自分だけ1人常時パニック状態精神が壊れてしまって周りも家族も困惑させて5年ニートした後今は地元で流れてくるダンボールにガムテープをはる日雇い派遣をずっとやって実家暮らししてる今年35の男だけど俺見たいなやつの話ききたい。
最近、うちも忙しくなってきたので医者を雇おうと思ってみたりする
別に転向することは悪いことではないですが、美容系の手技をなめてる人多いです
そして一から十まで教えてもらえると思っている人多いです。
甘いですね
確かに美容皮膚科系の治療はある程度手技として覚えてしまえば大きなトラブルなくすることは可能です
ただし表面上できているだけで、本来の意図する意味や目的がわからなければ見当違いな治療をすることになります
私は美容に関する手技に関しては教える際にはかなり気を使っています
大した技術ではないですが、私はそれでご飯を食べている以上、全くの未経験の人で勉強もしてこない人にホイホイ教えるつもりはありません。
今は昔と違い美容に関する良い本もたくさん出ており、面接に来るなら面接するクリニックのメニュー位調べてくるのが当然なのではないでしょうか。
→給料に見合う働きのできる方であれば喜んでお支払いしますが、「あれできません、これできません」、「教えてもらったらできるかもしれません」っていわれるとちょっと・・・
私が勤めていたクリニックではそのような人を採用してしまい、教わっている人の時給の方が教えている私の時給の1.5倍くらいあったりしました。
→これはめちゃめちゃやる気なくなります
女性は20代から30台であれば自身の流行のメイクなどが今の流行に沿っていることが多いです
ただし40代半ばくらいから20代の流行のメイクなどが理解できなくなってくる、もしくは頭ではわかっていても拒絶反応を示してしまう人が多いです。
(未だに15年前くらいにはやったアゲハなどのメイクしている人があなたの周りにいないですか?)
男性にしろ、女性にしろ自身が一番多感な時期10代から20代に流行っていた価値観に対しては年をとっても引きずることが多いです。(全員ではないですが)
(未だにバブル時にはやった肩パットの入った服を着ている老人があなたの周りにいないですか?)
ただし異性に関しては変わってきます。どんな年代でもかっこいい男性、かわいい女性というのは同性には受け入れられなくても異性には受け入れられることが多いです。(男性がよく言うあんななよなよした男のどこが・・・とか女性の昔の〇〇に比べたら全然とか・・・というのはそういうことなのでしょう)
同年代だけを対象にしていけばよいのかもしれませんが、ある程度間口を広くしておかないと未だに浜崎あゆみみたいな顔が流行りみたいな価値観の医者を作ってしまいます
美容皮膚科も過渡期に入り、つぶれる美容皮膚科がでてきました。
美容外科も以前に書いた通り同様です
以前ほどは医者の給与も高くなくなり、下手をすると普通の病院に勤めている方が多い程度になってきており今後どうなるかわからない状態です
ましては畑違いの他科から転科する人はそのあたりよく考えてから来た方が良いと思います
それから就職に来る方は自費治療というところは技術を教わる場所ではないです
みんなそれで飯を食っている以上、本当に大切なことは教えてくれません
https://anond.hatelabo.jp/20201021210748
で述べられてる3点に対する満足な回答がない、という話だったのでちゃんと意見を述べてみる
まず投稿者は工場勤務者にめちゃくちゃ偏見がある。自分は彼らを尊敬します、といいながら一方で絶対に工場勤務者にはならないぞ、という拒絶がある。
この偏見(とその形成に至る負のイメージ)故に、若い女性に「工場勤務ならできるよ」と言われたときに「彼女からみた自分にも該当するような負のイメージがあるに違いない」と考えてしまって拒絶反応がでているのだと思った。
本当なのか?
彼女はあなたにない視点から工場勤務の仕事を理解していて、あなたの自己評価とは異なる評価をあなたにしていて、前向きに工場勤務ならできるのでは、と思っている可能性もある。工場勤務も頭脳系の仕事あるしね。
結果的にこれはハズレかもしれないにせよ、読んだ限りではもっと対話があってもいいんじゃないかと思いました。勿論拒絶しそうな心はいったん脇に置いて。
あ、知識不足故に「逆が正しい保証はない」ということがわかっていないだけかもですね。
1の話と関連しているとのことなので、彼女の立場としては自説を補強するのは自然かなと思います。
よく言えば自分を卑下している投稿者に対して別のものの見方を提供しているともいえる。
これは想像ですが、おそらくあなたは立ち止まっている自分の横を足早に通り抜ける人々のことは観測できていても、自分の後方に同じく立ち止まっている人々のことはあまり観測できていないのでは?
自分の観測している範囲だけを持ち出して自分だけが立ち止まっているような理解をしてしまうのは自分を追い込みすぎです。
これは当たり前すぎて、彼女が回答を一段すっ飛ばしたのでは…?
人は関わりのない人に積極的に声をかけることは少ない。しかも数十歳上ともなれば余計に声をかけることはないでしょう。
これは若い男性が妙齢の女性に対し、同世代の女性に比べて同じくらい声をかけるか、で考えても同じだと思います(気心のよく知れてる人はのぞきますよ、もちろん)
この前提があると、まさかそこを聞いているわけではないだろう……と瞬時に判断してもおかしくないというか、その判断すら発生しなくてもおかしくないような…
となると、なんで年下の人に話しかけられないかというと自ら話しかけてないからでは?となるのだと思いますよ。
と冒頭に書いている。
だが、読んだ範囲では客観的な視点(別の誰かの一視点)を提供されているのにそれを飲み込もうとしていないように読めました。
これは誰しもあるものですが、期待している回答、つまり甘えみたいなものがあって、それに適った回答があるとカタルシスを得ることができます。投稿者もそれを期待している面があったのではないかなと……
あえてカッペと言う見下した言い方をするのは
やつらが「自分の価値観以外のパラダイムを認知するための脳の容量がゼロだから」な。
でさあ、
「あっふーん(察し) 相当貧しかったんだ?」みたいな反応が返ってくるわけ。
え?いや親父は慶応卒でいいとこ勤めてて年収はかなりだったよっていうと
もう「嘘だ!」ってブチギレて発狂してくるわけ。
何にキレてるのかさっぱりわからなかったけどなだめながら話を聞くと
「車を買えないならしょうがないが、車を買えるのに買わないということはありえない、認められない」
っていう話らしいのね。
当人も何にキレてるのか整理できてないんじゃないかってぐらいキレてくるんだけど
要するに車マスト価値観を否定されたことに対するショックがすさまじいっぽいわけ。
俺もさすがに
いやなんでそんなに怒るのかわからんし
特に不自由も感じずそれで育ったし(「休日に出かけるときに電車!?みじめじゃないか!」って言われた)
嘘だっていうけど顔も知らないあなたにそんな微妙な嘘をついてなんになるの
っていうんだけどまあ信じないし落ち着かない。
要するに田舎でしか暮らしたことがない人と首都圏で暮らしてる人間の断絶な訳よ。
俺は生涯首都圏だけど、地方で車がマストだし便利なんやろな―っていうのは想像は出来る。
震災後に福島に観光に行ったときはあーレンタカー借りればよかったんだなって思ったし。(まあペーパーだから知らんとこ運転する自信なかったけど)
首都圏だとあなたが日々実感してるような自家用車の有難味が全然感じられないし
駐車場代とかも田舎とは比べ物にならないし、かわりの交通機関も発達してるし、
ライフスタイルにもよるけど自家用車持たない選択も全然あるんですよ
ってことがどうしても認められない。
この「認められない」ってのが重要なんだけど、
単に想像できないって言うのを通り越した「認められない」の気配を感じたのよね。
車が要らないっていうのは別のライフスタイルの示唆をされるという以上に
自分の価値観や人生に対する根本的な否定として受け止めてるんだなって
何度かその種のカッペとやりとりするうちに段々わかってきた。
どっかの砂漠の民に「ラクダは持ってねえし要らないですね」って言ったら
「我々の生活と魂と祖先を根本から否定したな!」ってなるかもしれない。
カッペに自動車要らねえって言ったときのあいつらの激烈な反発はそういう感じの作用が心の中で起きてる。
https://anond.hatelabo.jp/20201017180336
こいつは俺が過去に遭遇した砂漠の民族的カッペよりは知識的には「外の世界」を認識してるんだけど
それでも根っこの部分で自動車に対する心理的な何かがあるよね。
こいつらのそういうぶぶんを察知せずに「自動車のツールとしての便利さ」「環境の違い」だけで話をしようとするとどこまでも荒れるのよ。
カッペが本当に認めてほしいのは自分達の車に対する愛着とその文化なので。
そこを自分で客観化も出来てないので一方的にこっちが察知・洞察して配慮してあげないといけないのがめんどいんだけど。
baikoku_sensei これだから 田舎のゲイは嫌いなんだ! 人口密度低くて ゲイ人口も少なくて 人と接する機会が少ないから コミュニケーション 能力が育ってない!
あれはむしろエスコートマナーや会話のとこでお前のそれ未熟やんてなってるだけだから
異文化コミュニケーションとしてはむしろ圧倒的に「通じ合えてる」方なんだよな。
同じ尺度や同じ欲望の中であなたはまだまだですっていうだけ。まるっきり同じ輪の内側。
ゲイという独自文化や男のチンポと言う強い目的が他の色んな差異を埋めてしまえてるんだ。
Tmr1984 都内乗用車めちゃめちゃ走ってるのに。さてはテメエ東京エアプだな笑
2020/10/18
テメエはまず日本語読めるようになれ。
Yutorigen 都会に住んでて車持ってない側だけど、この価値観と同一だと思われたくはない
あのさあ
俺自身は車に乗らない(必要としてないし車へのフェチズムや憧れも全然ないペーパードライバー)けど
自動車を持つことについて否ともなんとも言ってないよね
「田舎では自動車は必須だろうけど首都圏ではなしという選択も有り得る」ぐらいしか言ってない
俺の文章が偉そうなのは認めるけど何らかの価値観の話なんかしてねーのよ
mayumayu_nimolove 内容がひどくて3行読んでやめた。せめて読ませる文章作らないと誰も読まないよ。
読んどるやん
で、お前はカッペって言う差別用語に拒絶反応を感じたからやめたんだろ?
それはまともな感覚だけどその自分が何に拒絶を感じたのかっていうのを客観的に把握して正直に表現してほしいわけよ
nenesan0102 そういう人いるけど、あまりに想像力がなさすぎて会話が成り立たないよね…。増田大変だったろうな。都心部だと電車、たまにタクシーが一番安い
2020/10/18
この文の主旨は「カッペは自分の文化の外を想像できない」じゃなくて「カッペにとっての自動車はツール以上の精神的な何かだよね」だ
sakuragaoka 東京は自動車の運用が著しく不便な土地なので仕方なく公共交通機関使う場所、と思ってる。保有はしてたけど普段の移動はやっぱり電車が早いし。
そうね
東京で車乗る人は多かれ少なかれ車の所有とか運転体験とかなんかしら趣味性を持って好きっていうのはあるでしょ
そしてそれはたぶん田舎在住者の無いと死んじゃうツールとしての切実さや砂漠のラクダとしての愛着って言うのとは重なる部分はあっても全く異質な部分もあると思う
うん
そのうちにああこいつらにとっての車はなんか侍の刀とか牧畜民族の羊とかそういう市民権や豊穣を象徴する何かなんだなっていう気付きを得た話なんだよね
sangping 要するに都会暮らし自体が不便なんだよな。どう考えたってドアtoドアの車の方が便利だもん。自らの気の毒な境遇を自覚していない都会人の価値観が他者に理解されにくいのは当然だが、当人はその方が幸せなのかも。
ごめんそういう話はしてないし全然興味もないから賛成も反対もしないし勝手にやってくれ
俺自身はそんなに都会のメリット享受してないし田舎暮らしいいなーって思うこと多いよ
人間関係とかうざそーみたいな消極的理由で移住までは出来んけど
differential “俺は生涯首都圏だけど”都民じゃないのか笑(マウント)/うちは使用頻度低いから売ったけど実家(都心)も車持ってたし周囲も車持ってる人多いよ。通勤圏の県住みの人はもっと保有率高いと思う。
土地に対するコンプレックスとか全くないのでそういう感じの(笑)やマウントが全くわからない
それをやる人はかなりそういうコンプレックスがあるのねー、としか…
一番愛着感じてる町は小学生の時住んでた江東区だよ 夢の島(ゴミの島)とかに隣接する人気のない感じが好きで好きで
hyoutenka20 地方民も仕事や大学等で東京に行く人は多く、地方にいても東京マスコミの情報ばかりで東京の生活を認識できてる人が大半
東京の生活は東京に住まずにメディアの情報だけ見ててもやっぱりわからない。(逆も同じ)
なのに地方に居ながら東京の情報を見せられ続けてるとどうなるか?
完全未体験なのによくよく知悉してると勘違いするようになるんだよ。
これはどのジャンルでも恐ろしいことよ。
たとえばオタクって空手と合気道が戦ったときの相性について得々と語れる奴いるのよ。
どっちも自分でやったことすらないんだけど、刃牙とか格闘漫画でよく出てくる構図だから。
空手の打撃はこういう風に合気道にさばかれちゃうって「知って」るわけ。
そんな感じで格闘技とか筋トレに関する事って全く未経験なのに一家言持ってる男は結構いる。
漫画をはじめとしたメディアで変な情報は沢山載るので、それを見てるうちに「ちょっと、いや結構知ってる」って気分になるの。
バーベル触ったこともないくせにウエイトトレーニングのアドバイスしてくる奴マジでいるからね。
もっとすごいのだと、スポーツクラブでどこにも筋肉がない体の奴が明らかにやってる身体の人に何か助言してるのを見かけたりする。
何が言いたいかと言うとメディアの情報では実態を知ることどころか想像力すら養われないし
「何も知らないのに知ったような気になる効果」に自覚的で気を付けない人には小さくない害ですらあるということ。
土地に対するコンプレックスがある人も憧れがある人も、知らないんじゃなくて「中途半端によく知ってる」状態なんだよ。
俺はどの土地が恥ずかしいとかどの車が恥ずかしいとかそういうコンプレックスが全くないけど、それはそもそもあまりにも興味がなくて知識が全くないからなのよ。
そういう格付けとかを気にする奴は土地のランクや車のランクに滅茶苦茶詳しい。
住んだこともない土地や乗ったこともない車についてメディアから大量の情報を取ってる。
summoned 雑に広範に刺さる蔑称を使っておいて、「これはこういう意味で言ってるのでありまともな人には言ってません悪しからず」って面倒臭い注釈で反撃封じる言説は卑怯かつ放置すると本来の蔑称の意味で広まるんだよな
そりゃ俺だってリアルではこんな常識疑われそうな言葉は使わんけど
はてなはジャップだのマイルドヤンキーだの始めいろんな蔑称が常用されて許されてる治安の悪い場所じゃん何を今更って感じ
人の言葉遣いに突っ込むよりも自分の口や自分のいる場所に注意力持った方がいいぞ
kamezo わかりあいたいなら「カッペ」とか言ってケンカを売るようなことをしなければいいのに/それでもわかりあえないこともあるが、それはまた別の問題よな。 コミュニケーション
分かり合いたいなんてどこに書いてんだ
本当に文章の読めない奴が多いよな
俺はこのエントリで「カッペの生態や精神世界はこうなのではないか」という観察所感を発表してるんだから
元々カッペに対して失礼な文章であってこれはカッペと言う言葉を「地方在住者の中の一部の我の強い方々」とかにしても本質は変わらん
つまりこの文章でカッペに語り掛けたり分かり合おうとしたりしてないわけだ
この文章でカッペと分かり合おうとしてるつもりだとか言ってたらそっちの方が傲慢なやべーサイコパスだと思うぞ
HEXAR 増田が都内以外の地域で車を所有している人たちの暮らしや価値観が分からないのはもったいない気がする…相手は決して見下す対象ではないし車があるとどういうところに遊びに行くの?とか聞いてみればいいのに〜
あのさあ
だからさあ
俺は車に乗らんけど車必須な人や車が好きな人や車がラクダな人の生活を否定はしておらんの
というか意味わからんぐらい車好きな叔父とかいてなんか有名らしいオープンカーに乗せてもらったりするの(けどそれの名前も全然覚えられん)
興味はないけど別に車を嫌ってはいないしただ運転には自信がないしそんなに車で出かけたい場所がない生活なだけだよ
誰が「自動車好きの奴うぜーわー 車なんか買う奴バカだわー」とかいう話をしてんだよ
そんな話は一ミリもしてねえわ
ちゃんと読んだうえで俺に突っかかってくる奴(こいつらには何の悪感情も持てない)とかよりはるかにウザいんだわ
お前みたいなのはほんと、ちゃんと人の話を理解する能力付けた方がいいよ?
俺の今回の話も「全く予想外なわけわからんキレ方をする異文化の人をなだめながら話を聞きだしてその人の背後の生活や精神世界を探って言語化してみた話」なわけ
お前はレベル3もねえよな
そりゃお前は表面的にはスマートで行儀も悪くないのかもしれない
けどそうやって攻撃的じゃないポジティブな感じの口調で飾ってたって
関心や理解のレベル3未満ならそれは無能だし、会話してて面白くねーし、もっと端的に言えばバカって言うんだよ
カッペみたいな差別語使う俺よりお前みたいな行儀がいいだけの無能の方が対人関係においてはよっぽど無礼だし見るとこなしだと思うのよ
あっ
これは全然違う
「えっ車がなかった…(察し) 貧しかったんだね」っていうのは
そのカッペ氏はほんとにそういう風に察してただけでこっちを気遣うニュアンスの発言だった
煽りだなんてとんでもないしそこまでは普通に和気藹々と会話してたの
カッペ氏が突如猛烈にキレだして険悪になったのは
俺が「全然貧しくはなかったけど自動車は持ってなかった」ことを理解してから
俺が別に貧しくはなかったよってのもただそれだけ言っても信じない(自動車持ってないのに貧しくないなんて!)勢いだったから
作り話では用意しにくいディテール付きでむしろ裕福だったよって言う説明をしたわけ
カッペ氏の様子が激変したのもそういう説明の中で「裕福なのは嘘じゃない」「でも自動車は持ってないらしい」ということを理解してからだった
そのキレるタイミングやキレかたが不思議過ぎたからなんじゃこれって印象に残ったし、なだめながらなんでキレてんのか探っていったのよ
その後似た感じの相手に数回遭遇して仮説を立てて確信を深めていった
…っていうこれもなあ
なんで家が裕福だとか言っただけで煽りだとかマウントだとかに直結するんだ
読解力がない上に発想の貧しい人達だな
dogear1988 この手の摩擦にはグラデーションがあってな。本当に一方的に発狂されたなら同情するが、車や地方の欠点を論った上で自分の文化圏を正当化する人間は都会側にもいるんで、そういう可能性を考慮すると何も言えない。
俺が「貧しくはないけど自家用車はなかった」と説明して、それが事実だと悟った瞬間にカッペ氏はキレた
つーか俺は車について興味も知識も全然ないから利点も欠点も語りようもない
よく積極的自家用車不要派が言う維持費がどうのこうのの話だって、いくらかかるのかとか全く知らねえんだからさ俺は
そういう車文化や土地文化の衝突に何の興味もねえって何度も何度も書いてんじゃん
dogear1988 価値観の押しつけなどへの反発には賛同するんだが、結論や追記で「車への愛着」自体を揶揄してるのはアンフェアじゃないかね。寧ろそこを認めないなら「ライフスタイルとしての尊重」とは言えんのでは。
えっ どこがよ?
そこを揶揄だと思うのはお前の自覚の方が足りてないだけだよ お前は武士やベドウィン族より何か進歩してるつもりなのか?
我々はみんな刀やラクダの代わりの何かに執着して生きてるんだよ
でも現代ではそういうのはだんだん内面的な対象に引っ込んでっているから今回のカッペのように外部的なものに生活や魂や権利概念がこもってる感じの執着のあり方は予測がつきにくかったし面白かったわけ
お前もお前のラクダは何なのかを考えてみるといいよ
memoryalpha しょうもないマウンティングなんて頼まれてもないのに隙を見せてるようなもんだから可愛いもんです。愛でてあげましょう。ただしルサンチマンこじらせてるやつは相手してはいけない(´・ω・`)
違う
自分の生活や魂を根本否定するような異星人に遭遇して驚愕し混乱しキレてた
って、もう何回書いても無駄だなこれ
読めない奴はどう説明したって読めねえんだ
kyo_ju まぁ日本社会の貧困化がさらに進むと、公共交通が死んで自動車保有が必須な状況をいいことに"クルマにかかる金(税・保険その他を含め)を払うために1ヶ月働く"ようなところまで搾取が深刻化するかもしれない。
こういう「元からどんな話題でもそこから何も受け取らず自分の言いたいことを繰り返すだけ」みたいなidの方がよほどムカつかずに見れるよなそういうコオロギみたいで
りーんりーん あべしねー にほんしねー
みたいな
秋も深まってまいりました
俺はあいつ嫌いだったけどよく知ってみると確かに考え方は似てるかもしれない
腹減ったけど食うものないな〜と思っていたところで、数日前に買った辛ラーメンの存在を思い出してしまったのがいけなかった。
名前はちょくちょく聞く。韓国産だからすげえ辛いんだろう。うまいかどうかはわからない。好みが分かれそうな気がする。
味の予想もはっきりしないまま、気がついたらもう出来上がっていた。
卵をひとつ落とすと食べやすくなるなんて話があったが、生憎使い切ったところだ。残念ながら、プレーンで食うしかない。
はたしてメチャクチャ辛かった。「辛味だけしか感じなくてマズイ」という感想をみてビビっていた感じではなく、しっかり最初に塩気と旨味があるんだが、そのあと来る辛さがたしかに大きかった。
ほんで量も多い。食ってるうちに辛さが蓄積してきて、徐々にキツくなってくる。
……といいつつ全部食った。汁は流石に捨てた。
腹は満ちたし、美味しかったと思う。
でもこう、夜中にくそ辛いものをいきなり食ったせいで身体が拒絶反応を起こしてる感じがかなりある。
エンジニア界隈には将来性抜群の独身男が多いから狙い目だぞみたいなツイートが炎上したことがあったけど
日頃から女性の穴モテを妬み恨み嫉んでいる男性がこういうのに拒絶反応を示すのは凄く意外だった
理由や目的はどうであれ異性が言い寄ってきたという事実さえあれば勝ちで認証を得たことになるんじゃないの
いつも女性にそう言ってるのに
ボクの心や顔面を受け入れ包み込んでくれる目的で近寄ってきたのでなければモテたことにならないと言うのであれば穴モテもモテではないよね
婚活してる女性は増田みたいな危険思想の非モテとマッチングするリスクに常に晒されてるんだから
男性だって同じくらい異性に寄って来られたいなら木島(財産や命を奪いに来る異性)排出ガチャでも積極的に回さないと
おいしいところ取ろうとしたってねえ
子供部屋おじさんだからこそ、それを恥じてるからこそ、子供部屋おじさんと言われれば怒る
チー牛顔のガイジ陰キャラだからこそ、それが辛いからこそチー牛と言われれば怒る
そういうことだよね?
デブじゃないならデブと言われても怒らないけど、怒るってことは太ってるわけで
低学歴じゃなきゃ低学歴と言われても怒らないけど、怒るってことは低学歴なわけで
そういうことだよね?
これに怒ったら、それを認めたことになるよ?
笑いを取ろうと下手なギャグにしたり、思考停止でうんちって書いても、それは拒絶反応や代償行為だからやっぱり気にしてるって事
自分の首、締めてるよ?
【追記】
図星がいっぱい
そういうとこだよ?価値の低いみなさん
あ、もちろんこれも事実
https://www.gentosha.jp/article/16300/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.gentosha.jp/article/16300/
怒ってる。
なんならあらゆる罪で一番憎んでる。
でも、どれだけ性犯罪に怒ったって、こうやって「怒らないお前ら男が性犯罪を助長している」が飛んでくる。
性犯罪が許せないぶん、自分が男というだけで、そんな性犯罪者の肩を持ってるような扱いを受けるのも耐えられない。
そういう怒りもずっとある。
じゃあ性犯罪をなくせってか。
無茶苦茶言うな。
決して、6000万人分のパワーを持った無茶苦茶デカい生き物ではない。
もし男に生まれ変われたら、どう生きるつもりなんだ。
どう生きたところで、どれだけ人を救ったところで、"男"でまとめて失望され続けるけどな。
毛頭、許すつもりはない、でもただの人間に、それを検知する力も防ぐ力もない。
犯罪ってそんなもんでしょう。
そんなものを、「なくならないのはお前らのせいだ」と言われ続ける。
そういうのが生まれながらに降り積もってる。
当然、実際の被害者の方が傷付いてるのはわかってる。
でも他人の大きな被害への怒りもありつつ、自分を責める言葉への拒絶反応はなくせない。
いるだろ。
こういう仕組みがあったほうがいいんじゃないか、って発信してる人いるでしょ。
歩み寄れる人間って、まずはその人らじゃないのか。
それでもいつまでも、彼らは”男”として、性暴力に全く関心を示さない生き物として、加害者とひとまとめに失望され続ける。
いつまでも加害的な人間ばかりがピックアップされ、「普通の男性」と表現され続ける。
違うよ、「異常な男性」だよそれは。
そのやり方に「すべての男性を責めているわけじゃない」とかいう文句の白々しさがあるんだよ。
結局、歩み寄りなんてのは建前で、「男性は異常」って結論して溜飲を下げる欲求を優先してるようにしか見えないんだよ。
歩み寄るってのは、人を、男とか女とか何かの集合体のように扱うことじゃなくて、まずは、ただ属性を持った一人一人の自分と同じ生き物だと認識することだろ。
と言ってみたけど彼女はまだ12歳だし統合失調発症してるわけでもない。毎日しょーもないことで「ママのせいで…」と恨まれるのがキツイ。くらいの意味だ。
昨晩寝る前に娘が泣きながら抱きついてきた。
めずらしいことだ。
「ママと仲良しできなくて悲しい」
とシクシク泣かれた。
とりあえず
と言ってぎゅっと抱きしめた。
ほんのりとうんちの臭いがして
「ああ、シャワー浴びて欲しいな…」
と思ったけど、夜もとっぷり更けてたので舌かんで耐えた。
「アレした?これは何?」
と責め口調になりがちで
子供を生む前は
息子だったら
鬱陶しいと邪険にしそうで
怖かった。
「男は嫌いだ」
が、
20歳を過ぎて一人暮らしを始めたら、人恋しい気持ちに流されて、なりにイイ人だけど結婚相手とは思えない相手ばかりと恋愛ごっこをしながら30代になった。
「このままではアカンやろ」と婚活して頭のイイ経済力のある誠実な相手を見つけて半年でデキちゃった婚に漕ぎつけた。
ギリギリセーフで子宝にも恵まれた私はとてもラッキーだ。神様に感謝せなアカンな。と思っている。
宗教は嫌いだけど。
娘が生まれた時は
「何かとムツカシそうな男児じゃなくてよかったー。」
と思った。
が、
娘は眠らなかった。いわゆるかんの虫が強い赤ん坊だった。
常に抱っこしてないとダメ。
昼寝も2歳位にはしなくなった。
寝付きが悪く、夜中に泣き叫んで起きる。
午前1時、3時、5時のいずれかに起こされる日々が8歳くらいまで続いたお陰様で、夜驚がない平和な夜でも私は2時間おきに目が醒める体になった。
けど、夜中に目が醒める睡眠障害な体が健全なリズムを回復したのはホントに極最近の話だ。
「いつ怒号が響き渡るのか」
と身構えてた。
と我ながら感心するが、脳が破壊されたのをひしと実感する。
自殺願望や絶望はしてないがイライラするしネットびたりで現実逃避してる自分ははっきり言ってうつだと思う。
娘と喧嘩するようになったのは、彼女が4歳になって息子が生まれた頃からだ。
男児は弱い
育てるのが大変
という先入観があった。
娘は予定日よりも2週間近く遅くデカくて難産だったが息子は1週間前にちっちゃく生まれてお産がラクだった。
娘の時には産後2−3週間は立つだけで息が切れる程消耗したが、息子の時は
え?ホントに?
ってくらいラクで、3日めには家の掃除ができるくらいには回復してた。
「もしかして…
娘はめちゃくちゃ難しい子供だったのかも」
と思うようになった。
娘に比べると息子は一人で放っておいても平気な赤ちゃんだった。
「常に抱っこしなきゃ」
という焦りがないことがこんなにラクだとは。。。
と衝撃だった。
となると
一時が万事きーきー泣く娘に
何でそんなことで。。。
先月娘は12歳になったが今でも時々パンツにウンスジをつける。
拭き忘れた
というレベルではない。
べったりとうんちで汚れたパンツを洗うのは私だ。
幼い頃は
と促すと
と彼女は怒った。
「臭いな。。。」
と私が気づく前にパンツを変えるようにはなったが。。。
丸めて洗濯かごに突っ込むので、うんちに気づかずそのまま洗濯機に放り込んで干す時にパンツにうんちがついたままで洗濯し直しということが何回かあった。
「できたら自分で手洗いして欲しいけど、無理ならせめてバケツに入れておいてくれないと洗濯機だけではうんちはキレイに落ちない」
と頼んだら、1回だけ自分で洗ってくれたが、その後は汚れたパンツがバケツに放り込まれるようになった。
自分も不安が強くIBS(男性は下痢、女性は便秘と症状に性差がある)な旦那は彼女の気持ちがよく分かるらしい。
羞恥心が強い余り自分に否があることを指摘されることに怒りを感じる
うんちを指摘されるなんてもってのほか
だそうだ。
確かに引っ込み思案で恥ずかしがり屋な子供だったかもしれない。
が、ステージでダンスをしたり学校の初日もやる気満々で臨んでいた。
そこまで人見知りで困ることもなかった。
が、一度
「ダメだ」
「できない」
と言えず、嫌なことを無理にやらされて拒絶反応になるらしい。
泳ぎだけは早く覚えて欲しかったので嫌がられるのは困った。
注射が大嫌いで定期検診も全力で嫌がる。
「今やっとかないと大人になってから受けても効果が薄いですよ。」
と医者に説得されて受けさせることを承諾した。すごく痛かったらしい。3−4日痛い痛いと文句を言われた。この調子では旦那がアイスクリームか有料アプリで釣って連れて行くことになるのだろう。私はやらなければならないことを甘いもので釣ってやらせるのが嫌いなのでいつもバトルになる。
彼女のために
と思ってやらせることを「ものすごくイヤだ」オーラ全開で拒絶されると私もムカついて
と怒鳴ってしまう。
息子は何でもオッケーなイージーモードで
「言いなさい。」と教えてもないのに
「御願い」
「礼儀正しく」と躾けるのは趣味に合わなかったので娘の時には何も言わなかったら、彼女は「ありがとう」も「御願い」も言わない娘になった。「何で私の〇〇がないの?」「誰も私の〇〇を持ってきてくれない」等と彼女の前で誰がそんな話し方をしてるわけでもないのに常に非難がましいのもムカつく所以だ。給食のおばちゃんにも意地悪をされたらしい。「ありがとうございます」とちゃんと言えないからではないだろうか。。。と思い、それを聞いてからは事ある毎に
「『ありがとう』は?」
と促すようにした。
彼女が事更に
とか
とか言っても
「口先だけじゃなかろうか。。。」
と常に疑ってしまう。
娘には注意欠陥や学習障害の傾向もあるのだろう。
診断されるほど顕著ではないが
他人の話を聞いてない
理解してない
ということが多い。
息子は
宿題も、
「え?!もう、終わったの?!」
となる日も珠にあるというのに、ダラダラ終わらない日の地獄が壮絶を極める。
「これ分からない」
と質問するくせに教えると
「そんなこと習ってない」
と怒る。地団駄を踏んで泣き叫ぶ。
なのは分かっていたが、私には毎日同じ時間にご飯を食べさせて寝かせることが難しかった。
家族に予定を事前に一々言葉で伝えることも億劫だった。努力して改善を目指したが今でもキツイ。
娘の友達が遊びに来た時
と無邪気に聞かれて衝撃を受けた。
娘は
「そんなこと聞いてない」
「今日の予定は何?」
と聞くことは全くなかった。
旅行の時にはトラブルが予測されたので細心の注意を払い、予定を紙に書いて伝えた。が、無駄だった。
移動の度に
「そんなこと聞いてない」
と怒られる2週間は地獄だった。
子供たちの中では今となっては良い思い出となっているのか
「また行きたいね」
と言われるが
と誓った私の心のもやもやは中々晴れない。
夜寝るのも嫌がった。
風呂に入るのも嫌がった。
外出するものバトルだった。
一々
「服を着て」
「靴下履いて」
「かばんはどこ?」
「靴はいて」
と指示しないと何もしない。
息子が3歳になる頃には、私が娘と外出前のバトルに興じている間に彼は一人で服を着て靴を履いて玄関で待機していた。
彼にはできる
「次は何をする」
という「予測」が娘には何故できないのかとイラ立ちが募るようになった。
頭では分かるのだ。
痴呆老人が、
「全てを忘れてしまった」
ことにおののき攻撃的な言動に出るように、娘も自分の注意欠陥傾向にうすうす感づいている。
と他責するのも、私に甘えられるからだ。と頭では分かっていても、怒鳴られるのはキツイ。
怒鳴り返す衝動を抑えようと頑張っても邪険な反応をしてしまう。
最初は耐えてても最終的には怒鳴り合いに進展することも頻繁だ。
昨晩シクシク泣いてたのは
と聞いたら、娘は2−3年前の喧嘩を思い出して罪悪感を感じたから
みたいなことを言った。
いつものようにくだらないことでものすごい喧嘩をしたことは何となく覚えているが詳細は忘れてしまったその事件は
娘が楽しみにしていたケーキを食べようとしていたら私の手があたってケーキが床に落ちてしまったみたいなことで始まった。
多分最初は泣きわめく娘に
「ごめんね。もう一つ買ってこよう。」みたいなことを言って場をおさめようとしたのだと思う。が、いつまでも泣き叫ぶ彼女に最終的には私がぶちキレる修羅場となり娘は
みたいなことを言ったらしい。
「本当はそんなこと思ってなかったのに。。。」
…
「失敗」だったのではないか
と今でも思う。
息子は4歳になるまで
保育所に入れなかった。
自覚は薄かったが、今から思うと、娘の時には、とにかく彼女から離れないとやってられない。くらい切羽詰まってた。
息子が生まれてからもキツイことはキツかった。彼には八つ当たりもした。
娘に手を出したら只でさえ手のつけられない癇癪が修羅場に発展すると思うと絶対に手を出せなかった。が、息子は立ち直りの早い「簡単な」やつだ。という甘えからべしべし頭を叩いた。息子には何回も
「ママはヒドイことをした。すまない。」
と謝っているが
「ママは昔僕の頭を叩いたね。本気でべしっとやったよね。スゴく痛かった」
と息子からは事ある毎に言われる。
息子が生まれてから気持ち的にはどんどん余裕がなくなって暴力的な衝動を抑えられなくなってはいったが、娘の時に感じた
「とにかく赤子と離れなければおちおちトイレにも行けやしない。」
という追い詰められた感はなかった。
物怖じせず社交的な息子なら2歳児保育でも全くオッケーだったと思う。
が、娘は毎朝泣いた。
お弁当直後にお迎えに行くとなりに楽しそうに遊んではいたが、居残りさせるとしばしばうんちのついたおむつでお昼寝させられていた。
最初はちゃんとトイレに行かせてくれてたけどそのうち寝たくないが為トイレで長居するのだと見破られたようだ。そんな託児所に預けるのは気が引けたが徒歩で行けるのはそこだけだった。
カーシートで泣き叫ぶ娘を車に乗せることが苦痛だった。
彼女が分離不安の強い赤ん坊だということは分かっていた。寝付きの悪い娘はおっぱいがないと眠らなかった。寝たかと思って離れると泣き叫んだ。赤子ながら彼女に「ワシのおっぱいはどこや?口の中にあったはずなのに、どこへやってくれたんや?ごるらあ。」と怒られてる気分だった。
常に抱っこしていないと怒られるストレスから逃れる為に私は彼女を納得できない託児所に置き去りにした。
何かを恐れる心はその恐怖を現実のモノにする。とどこかで読んだ。
怒られるのがコワイ娘が、他者をイラ立たせ理不尽に怒られる不遇に遭わないためにも
仲良くしなきゃダメだ。と思った。
うんち我慢しないで欲しい(切実)。シャワーも毎日浴びて欲しい。1年くらい後にはきっと朝晩2回シャワー浴びるようになって、お願いだからそんなにお水使わないで。。。となるのだろうが。。。
小6の時に痴漢に遭った。
静かな住宅街で人通りはない。
蝉の声に混じって、背後からバイクのドッドッドッという音が聞こえてくる。
私の歩く速度と同じぐらいの速度のバイク。
近くでバイクを停めようとしているのかな?と思っていたが、視界の左端にバイクが入りこんできた。
さすがに違和感を覚えて隣を見たら、バイクに乗った20代と思しき男性が私の左胸をもみゅっと揉んだ。
驚きのあまり声も出ず、バイクが前方のY字路の右の方に走り去っていくのを呆然と眺める。
とにかく学校に行かなくては、と歩き始めてしばらくすると、今度はY字路の左の方から痴漢がこちらへ向かってくるのが見えた。
走って逃げても追いつかれるしどうしようどうすればと考えているうちに、痴漢は私の真正面にバイクを停め、私の胸にまたしても手を伸ばしてきた。
私はその手を払う。痴漢はまた手を伸ばしてくる。また払う、払う、払う、払う、払う…それを何度繰り返したかわからない。
鋼の錬金術師で、真理の扉から這い出てくる無数の手に”持っていかれる”シーンがあるけれど、この時の痴漢の手はまさにそんな感じだった。
どうしてそんなに胸が揉みたいのか、訳が分からなかった。
執着心が怖かった。
手が汗ばんでいる。
日差しがきつい。
木陰の葉っぱの模様が手の甲に浮かぶ。
蝉の声がうるさい。
震えながらも「やめろ!」と大きな声で叫んだら、痴漢はY字路の下の方へと逃げ去っていった。
机の上に置いてあった筆箱をわざと落とされたり、貸した消しゴムを全部使っちゃったと言って返してくれなかったり、通りすがりに肩をぶつけてきたり。
半年が過ぎたあたりで席替えがあり、彼の隣の席になってしまった。
他の子と席をトレードしているところを見かけたから、偶然ではない。
授業中もしつこく絡まれて最悪だったが、近くの席の女子が彼の発言に本気で怒ってくれて、その後彼は担任の先生にも叱られていた。
それからは関わることがほぼなくなったが、また別の男子による好きな子いじめに遭った。
ひとつひとつは些細なことだったが、さすがに半年以上続くと心がじわじわやられていく。
これが好きという感情によるものなら、一生誰にも好きになってほしくないと心の底から思った。
学年が変わる頃には、男性に性的感情はおろか恋愛感情を抱かれることすら嫌になってしまっていた。
学校の近くによく出没した、携帯電話を耳に当てながら自分の性器をいじっていたお兄さん。
電車で隣に座って寝たふりをしながら、膝上の鞄の下から手を伸ばして私の太腿を触ったおじさん。
自転車に乗って、下半身を露出させながら話しかけてきたお兄さん。
久々に会った時に急に胸を触ってきて、「小さいな」と言った親戚のおじさん。
男性だけが死ぬウイルスや毒が発明されないかなとか、男性全員の性器を刈り取って回りたいとか、とにかくこの世の男性全員死ねと思っていた。
男性に好かれないための弛まぬ努力を続け、私の中学・高校生活は終わった。
当時の私は人間がこの世をどう解釈してきたのかに興味があり、哲学や宗教、その他ジャンル問わずいろんな本を読みあさっていた。
男友達ができた要因はいくつかあるが、仏教思想に触れて精神的に落ち着いたことが大きい。
私に痴漢してきた男が、実際にその報いを受けるかどうかは重要ではない。
そう信じることで、自分以外の何かに託すことで、憎しみを手元に置いておかなくても済むのだ。
自分で裁かなくてもいいと気付いてからは、男性を攻撃する気持ちが薄れていった。
そして男友達のおかげで、私は男性に対する偏見や固定観念を少しずつ捨てることができた。
彼と将来の夢を語り合ったことを今でも覚えている。
それでも、駄目だった。
季節が一巡して、彼が私に恋愛感情を抱いていると知ってからの、拒絶反応はすさまじかった。
彼と姿かたちが似ている人を見かけるだけで、怖くて気持ち悪くて息が止まる。
これは男嫌いじゃなくて男性恐怖症なんだ、とその時になってやっと気付いた。
彼と直接話をすることはとてもできなかったので、手紙をしたためた。
昔痴漢に遭ったこと、男性に恋愛対象として見られることが怖いこと、これは私の問題で彼は何も悪くないこと、彼の幸せを願っていること、これから私は1人で生きていくだろうこと。
そうしたら手紙でお返事が来た。
私を責める言葉はひとつもなく、最初から最後まで優しさにあふれていた。
私の過去と現在を受け止めて、真っ暗な未来に蝋燭を灯してくれるような。
『これから先、笑って、泣いて、怒って、楽しんで、可能性は誰にでも平等だと思う。現実はこんなだけど、先は分からないよ。』
本当に誰よりも、私自身よりも信頼できる人だった。
だからこそ、それでも駄目だった、という事実が重くのしかかった。
大学を卒業してからは、夢だった職に就いて仕事に没頭している。
今では性別に囚われずに、人と関われるようになったと思う。
初対面の男性に対しては目が泳ぐこともあるけれど。
恋愛感情を抱かれても告白されても、もう男性に対して気持ち悪いとは感じない。
同じ気持ちになれなくてただ申し訳ないと思う、自分の変化に驚いた。
今でも、背後からバイクのドッドッドッという音が聞こえてくると、呼吸が乱れる。
自動販売機やポスト、誰かの家の前を通りがかる時などに、極稀にそういう場面に遭遇する。
その度に鞄を胸に抱えてやり過ごしては、私はまだ大丈夫ではないと思い知るのだ。
痴漢に遭うよりも前、好きな男の子とポケモン交換をして笑っていた私は、どこに行ってしまったのだろう。
私の中にあるはずの恋愛感情は、眠っているのか壊れてしまったのか、分からない。
それを自然なことだと信じて疑わない人たちは、さも不思議そうな顔で「結婚する気はないの?」と聞いてくる。
それ以前の段階で躓いてしまった私には、その選択肢すら頭に浮かぶことはない。
胸ぐらい揉ましてあげればいいじゃないか。
男女問わずそう言う人をこの目で見てきた。
それが生きる知恵だとでも言いたいのだろうか?
ただただ痴漢にとって都合がいいだけで、私やあなたを救いもしないのに。
これは胸とか尻とか、体の部位の問題ではない。
許可なく体を触ってもいい、自分の好きにしてもいい存在と見なされることが、どうしようもなく耐えがたいだけだ。
その手が今、偶然にも私に伸ばされていないだけだ。
自分で選んだ覚えもない人間という種に生まれて、人間扱いをされたりされなかったりする。
こんな馬鹿げた話があるか。
私も人間だ。
それだけのことがどうして難しい。
いっそ心ない畜生ならよかった。
命すらなくてもよかった。
私が痴漢に遭ったことも、私が生まれたことも、この世に溢れるたくさんの嘘のひとつなら、どんなにかよかっただろうに。
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この文章は性犯罪の被害者へのセカンドレイプが、今ほど問題視されていない頃(とはいっても数年前)に書きました。
当時投稿しなかった理由は、エイプリルフールに投稿しようと思っていたのに、エイプリルフールまでに書き終わらなかったからです。
次の年にはすっかり忘れていて、最近蝉の声を聞いて存在を思い出しました。
読み直していたら涙が出てきたので、もうこのまま当時の文章のまま、えいやっと投稿します。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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結局この人はどうしたいんだろう?どうなりたいんだろう?
どんな人にも、あの時こうしていたら、あの時ああしていなければ、などの過去のたらればがある(あった)と思います。
私の場合、最も頭の中で繰り返したたらればが、小6の時に痴漢に遭わなければ、だったのです。
でも時間は不可逆で、その願いが叶うことはないのだから、どこかで現実を受け入れる必要があります。
そのための行為が文章に一切合切吐き出すというもので、内容は自分が思っていた以上にどろどろしたものでした。
こんなの毒状態で生きてきたようなものじゃないか?と半ば呆れました。
増田に投稿したのは、客観的な意見を聞いてみたかったからです。
この文章は私にとっては私の半生ですが、結局主観でしかありません。
結果としていろんなコメントをいただけて、自分を見つめ直す良い機会になりました。
私は穏やかに暮らしていきたいです。そう言葉にした時に、今の暮らしはまさに穏やかじゃないか?と思いました。
今日は観葉植物の植え替えをして、ちょっと掃除機をかけて、ごはんを食べながら姫様拷問の時間です(ギャグ漫画です)の最新話を読んで、昼寝をして、仕事関係の勉強をして、この追記を書いています。
今は自粛中なので、時機を見てカウンセリングに行ってみようかなと思います。
学生の頃はお金がなくて、その選択肢が浮かんでは消えていました。
2人目も女の子だったから、増田ちゃんが生まれた時お父さんはパチンコに行っていた、と母から何回か恨み言を聞かされていました。
二次性徴が始まった頃、自分が父の望んだ男の子ではなく女の子であるという現実を突きつけられ、自分の性別をうまく受け入れられませんでした。
そんな折に痴漢に遭ったので、余計にショックが大きかったのでしょう。
余談ですが、私が高校生の頃、姉からブスというあだ名で呼ばれていました。おい、ブス!みたいな感じです。
母からお見合いの打診を受けたことをきっかけに家を出ましたが、まず家に問題があったなと今改めて思います。
因果応報でググってみましたが、確かに自分の都合のいいように独自解釈して歪めていますね。
少なくとも自己責任と同じように、他人に対して向ける言葉ではないと思いました。
ご指摘ありがとうございました!
私に痴漢した男性も、誰かにやられたダメージを私に返したのでしょうね。
男友達が私を許してくれた時に、私も私に痴漢した男性のことを許そうと思えました。
でも本当に許せているのか、今も自信はありません。
正直に最初の印象を答えると、これまたキャッチーな今どきツーピースがでてきましたねだった。
その時探していた曲は別のガールズバンドで、どちらかというとロックテイストがつよいグループだった。
そんな検索結果にレコメンドされてでてきたのがヨルシカの「言って。」「ヒッチコック」「ただ君に晴れ」だった。
作業用BGMを探していただけだったので、とりあえず耳障りでなければそれでよいくらいの気持ちでそのままのレコメンドを受け入れてみた。
仕事のことを考えながら、頭の片隅で、あぁ、キャッチーで記憶に残りやすそうだけど、味の素みたいな面白みのない曲だなというのが本当に、本当に正直な感想だった。
その後はとくにヨルシカを聞くこともなく、ただレコメンドに促されるままいろいろな曲を聞く日々を過ごした。
とくに琴線を響かせる音楽に出会うことができず、ただただ新しいっぽい音楽を面白みなく口の中で咀嚼するような毎日を過ごしていた。
流行りものを狙ってくる戦略も嫌いだし、世の中に流行っているというと言われるだけで嫌気が差した。
ワニの寿命が100日なんて言われればその時点でどう頑張っても拒絶反応がでるようなタイプだ。
日常が当たり前に続くことに裏貼りされたくらいでいちいち心がうごかされるようなピュアさはとうの昔に剥ぎ取られてしまった。
ひとまずは自分という人間がどれくらい迎合という概念を忌み嫌っているかを知ってほしかっただけだ。
そんな毎日を過ごしていたのだが、ある日、ふとまたヨルシカを聞きたくなった。
耳の奥の深くに、ヴォーカルの声が消えないでいたのだ。
迎合したくないという意思に阻まれながら、ちゃんと聞いてみないとわからないだろうという自分の説得に負けて、それならアルバム1枚聞いて、面白みがまったく感じられなければそれまでだろうと自分を言い聞かせることにしてみた。
前提を忘れていたが、流行りは嫌いながら、音楽そのものが好きだという理由で、とあるサブスクに登録している。
だからこういうときに、新しい音楽を試すことにコストも抵抗感も低いままチャレンジができる。
ジャケ買いで失敗しても強がって聞いていた時代とはこうまでも変わってしまったのだ。
かくしてヨルシカの「負け犬にアンコールはいらない」を聞くことにしてみた。
ただ君に晴れのメロディと声がずっと引っかかっていたような気がしたので、その曲が収録されているアルバムを聞いてみたのだ。
とにかくよくわからなかったのだ。しょうがない。それ以上の言葉を持ち得なかった。
これまで好きになる音楽にも嫌いになる音楽にも明確な理由があった。
別のアルバムを聞いてみればこの気持が説明できるかもしれない。
そうおもって、彼らのファーストアルバムである「だから僕は音楽を辞めた」を聞いた。
でも、それだけじゃない強がりの裏返しのような言葉に心がざわついた。
これだけでは心が粒立つばかりではないかと、とにかく納得できるまで聞いてみようと思い、サブスクでDLできる曲はすべてプレイリストに突っ込んでヘビロテする日々が始まった。
とにかく掴み所がない、自分の気持ちを確定できない歯がゆさと、それでも聞いていないと落ち着かないような気持ちで、振り返ってみれば結局は400時間近くヨルシカだけを聞き続ける日々を過ごした。
それでわかったことは、ヨルシカの魅力を未だにまったく理解できていないけど、とにかく、とにかく好きだという気持ちだけだった。
ヨルシカの惹かれてやまないところは2つ。
歌詞の言葉選びと、それに対して完璧なまでに順応するヴォーカルsuisの変化に飛んだ歌声だ。
ある意味では文学の教科書的な言葉選びとも言える歌詞だが、その単語ひとつひとつの登場のタイミングは優れた文学に引けを取らないバランス感覚がある。
それに対し、suisの声色のバリエーションがとにかくものすごい。ここにきてボキャブラリーを失うほどにすごい。
流行りのツーピースと決めつけていたのは、キャッチーな部分での声色を聞いただけの判断だった。
しかし、同じ曲でも、たしかに同じ人・同じ声なのに、まったくもってテイストが違う部分だらけであることに、あとになって気がついた。
意識していなければ聞き流してしまうような、ものすごく小さい心の機微をものすごく大胆に表現しているのだ。
その部分に気がついてしまったら最後、ランダムに餌が出てくるボタンを押し続ける鳩のごとく、ヨルシカの曲を聴き漁る日々が始まった。
フラットな気持ちで聞いているつもりなのに、突然の声色の変化に突然心臓を鷲掴みにされるようなスリルを楽しんでいる自分がいることに気がついたのだ。
これまで、実力派と言われる歌い手を国内外問わず聞いてきたつもりの自分だったが、これほどまでに繊細で、かつ意識していなければまったくもって聞き流してしまうような瞬間に大胆な表現をするようなヴォーカルには出会ったことがなかった。
何が不思議なのかといえば、1度目に聞いてそれほど好きではないと思っていた曲だったのに、聞き流しているうちに気がつけばその曲を欲するようにまで変わってしまうくらい聞くたびに曲の印象が変わっていくのだ。
1度聞いたくらいでは拾いきれない言葉選びのセンスと、それに呼応するように変化するsuisのヴォーカルだからこそなせる業なのだと言える。
何度聞いても、この曲の本質を理解することができないような不安と、それでいて、それでも気持ちが良ければいいではないかと疑わずに思えるほど懐の深い世界がそこにあるのだ。
とにかくヨルシカの曲をかたっぱしからプレイリストに突っ込んで聞き続ける日々を送っている。
自分でも不思議で仕方ないのだが、この曲は好きではないかもしれないと飛ばしていた曲を、今日はヘビロテしているのだ。
これからヨルシカを聞いてみたという人に何を勧めていいかが全くわからないが、どの曲でもいいが、1度聞いて好き嫌いを評価した自分をとにかく疑ってみてほしい。
好きだと思っても、本当にそうなのか疑ってほしいし、苦手だと思っても、同じように本当にそうなのかを疑ってみてほしい。
どの曲でスタートしてもヨルシカに対して先入観が作らてしまうことは仕方ないが、その後、どの曲を聞いてもその先入観はいい意味で裏切られ続ける。
そうして気がつけば、その裏切られる瞬間の気持ちよさを求めて、再び同じ曲を聞いてしまうのだ。
もちろんそんな難しいことを考えないでBGMに使ったっていい。
どの曲も一昔前のロックンロールを意識しているかのように見せかけて、まるで3つのジムノペティのように必要以上に意識を刺激されることがないのだ。
聞いていたいと思うのに、気がつくと意識の外にあるようなそんな不思議な魅力にあふれているのがヨルシカという存在なのだ。
とにかくすべてのアルバムを聴き倒して、今、それでもどうしても選ばなきゃいけないと言われるなら、選ぶのはこの3曲だ。
女の子達がレイパー軍団に輪姦されたあとのエピローグ的なやつアレあるじゃん?散々ヤられちまったメス同士で慰め合ったりするあのお涙頂戴的な会話のシーン、みたいな?
何故なのか「被害者の女の子達だけで現場に放置されてる」事に強烈な違和感を感じてまともに台詞を読んでられない。レイパー軍団どこ行ったの?次の撮影現場??
いろいろ想像するに「1.リアリティを出したら「コンクリ詰めにして海洋投棄」にしかならない。2.そんな救い様の無い話は余程のマニアでないと拒絶反応しか生まない。
3.整合性を捨ててでも抜きを追求するなら、御都合主義のストーリーで行くしか無い。」みたいな合意が編集とのやり取りで発生しているんだと思う。