はてなキーワード: 奇特とは
東大とかみたいにレベル高いところに通っているわけではないし、言ってしまうとMERCH以下の偏差値しか無い大学に居るので「お前が馬鹿だからそう思うだけ」と言われたら説得力のある返しができないのだけれど、それでも大学の授業が薄っぺらいと主張したい。
今年で大学生活も3年目に入り、順当に行けば後期には単位の取得が完了するペースなのだが、得たものが一切ないといえるほど大学での授業内容が頭に残っていないのだ。
単位取得はしているけれど成績という観点から見ればC評価が多く、ギリギリ赤点を避けている現状なので授業内容が頭に入ってないんだろうとも考えられる。
けれども単位取得の肝を担っている学期末テストの内容が『授業中に再生した動画で言及した企業のマーケティング戦略は何だったか?』というのはひどすぎるのではないだろうか。
自慢ではないがマーケティングについては当大学内で比較した場合に限るけれど、ある程度の知識を私は持っていると自負しているが、流石に特定の企業が行っていたマーケティング戦略なんて動画を見ていなかった私に解けるわけがない。
せめて、商品の販売個数を計測する戦略とか書いてくれれば何となく当たりをつけることは出来るが一切とっかかりになる情報がないので授業出席者しか解けないのだ。
授業に出席しないものは、いかなる知識を保有していようとも単位は上げませんと言っているようなものである。
そもそもの話私が大学に行かないのは、授業時間90分のうち、教授の雑談が半分以上を超えていてどのタイミングで本旨に触れるかわからないからである。
教授がゼミ生と一緒に福岡に行った時に食べた食事がとても美味しかった話など、至極どうでもいいのでとっとと必要な話をして終わらせてほしいというのはおそらく講堂にいる生徒全員が等しく思っていることだろう。
適当で面白みのない授業を展開する教授ばかりではないのはだが、どちらが多いかと言われれば上記のようなゴミ教授ばかりである。
こうやって教授を批判するかの言葉を連ねると「彼らは有名大学を出ていて高知能、その話を楽しめないキミは低知能」とマウントを取られる。
しかし東大を出ているとか、有名大学の院を出ているとか私からすればどうでもよいことなのだ。授業がつまらないという事実は私の中で変わることはないのだから。
やっていることは市販されている本(自著であることが多い)を朗読しているだけで、自宅で必要な部分は覚えられる。そんな「教授いる?」と感じるような講義内容でどこに「教授は頭いいなぁ」と感じる要素があるのか。私が異端なだけで世の中の人は資格や肩書だけで知能を判断する、判断基準が外部にしかない人ばかりなのだろうか。
つまるところ大学というのは教育ビジネスであり、肩書を得られるのを対価に金を払って、脳死しながら授業を消化し続ける場所なのだ。
私が声を大にして言いたいのは「大多数の人間にとって大学は一切必要ない」ということ。
企業が大卒を要求していて、大卒の給料が高いからしょうがないので大学に行って卒業しようと考えているだけで、そこで何を学べるかはどうでもいいのだ。
しかし私はそこまで割り切ることができず、大学を学ぶ場所と考えてしまったいたからこうして不満が爆発しているのだと思う。
私は運がいいことに文系大学に進学しているが、小さい頃にパソコンを祖父から貰い、そして2つ上のいとこがネット関係に非常に強かったため影響を受けIT関係に強くなった。
そして大学ではこれまた運がいいことにビジネスに精通した人間たちと仲が良くなり、今後の希望を得た。
情報量を多くする気はないのでこれを読んだ奇特な人は「騙された人間」と私を罵るかもしれないが、それはどうでもいいことだろう。
私の周りは大学に通うことを強く勧めたが、結局それは私に合わず、彼らに合わなければ日々鬱屈とした思いを抱えながら、ただ授業を消化する人生を歩んでいた。
アドバイスに従った結果、得られたのは大学と私が合っていなかったという知見だけである。
このことから「アドバイスと称して意見をぶつける人間は、個人を見ていない」というのが判明する。
彼ら助言をする人間は最大公約数的な、大体の人間にとってベストではないがベター程度にはなるはずという意見をぶつけることで自身の人生の正当化をしつつ、悦に入ってるだけなのだ。
確かに最終的に選択をしたのは私であるが、どれだけの人間が周りの人全てが自分と反対の意見を述べている中、自分の考えを押し通すことが出来るのか。
私は大学生になり人に恵まれたおかげで、本当の考えを通せたのであって、高校生の頃であれば貫くことはできないだろう。
結局、大学の授業が薄っぺらいというのはこの「多様性を認めず一般論を勧める人間」が大学への進学を勧めているからなのだ。
だから教育という存在はまるで利権を貪る団体のように怠惰でありながら肥大してしまった。
大学というのはそもそも専門性の高い話を学び、その専門的技術を社会のために使うのを目的とした教育機関だ。
特に能のない私のような人間が大学に行ったところで卒業したという事実を抱えて企業に入り、一切学んだことを使わないで終わるのが関の山である。
学歴社会は確かにフィルターとして有効な部分もあるが、その企業が学歴フィルターをかけているのが世間にバレればまるで現在の検索エンジンがハックされるようにそこに向けて最適化されてしまう。
つまり大学進学するものは優秀で専門性の高い人間だから採用するというのが前提にあって学歴フィルターは機能していたのに、そこがハックされてしまったがためにバツグンな効果を発揮するとはならなくなった。
ハックされていない採用基準は意図した人材を取得できるため優秀であるが、認知されてしまえばそこに注力できる人間を採用する弱い基準となってしまう。意図しない人材を確保することになる。
起業家の話を聞いてみると「東大生のほうが統計的に話がわかる」と語る。
つまり学歴フィルターは大卒で区別するのでなく、東大生などの超難関校とそれ以外で区別するようにしたほうが建設的だ。(給料も含め)
そうすれば無駄に大学に通う人間も減るし、ビジネス大学も少なくなる。大卒枠を争って貧困に悩む人間も減る。
私が問題提起したいのは以下の2点。
・何も考えずに一般論で「大学はいったほうが良いよ」と個人を見ずに語るやつは口を閉じよう
・企業は大卒で学歴をフィルタリングしても効果が薄いので、給料から難関大学(基準はMERCHかそれ以上?ここはわからない)とそれ以外で分けるべき。もしくは意図した人材を採用できてかつハックされていない新しい採用基準を見つける。
こうして大学が少数精鋭になれば教育者も生き残りをかけて力を尽くし、怠惰で肥えた教授も減ることだろう。
私はとにかく薄っぺらくて意味のない授業が大学から消滅してほしいので、教育機関こそ激戦のビジネス社会のように苦しみながら競争して欲しいと思っている。
確かに科学の力というのは重要だとは思うが、現在私の身の回りで生活に欠かせないと思うものを作っているのは企業であり大学で教鞭をとる人ではない。私が知らないだけで企業にその教授も協力しているのかもしれないが、それなら大学ではなく企業で研究させてもらえばいい。
つまり「安定してるー」とアホ面下げて年に数回、偉そうにゴミみたいな本を書きながら教壇に立つ輩は荒波にも稀ながら淀んだ精神を磨き上げるべきだということ。
そもそも大学はいま腐るほどあるわけだけれど、その全てが科学において必要ではないだろう。それならばなおのこと競争化させて精鋭化させなければいけない、なぜ「研究」という話になった途端嫌儲精神が発作的にでてくるのか。
何度も書いている気がするけれど、その大学の競争化をする上で最も邪魔なのは一般論を振りかざして大学に行かせようとする無能な働き者と大卒でフィルタリングする企業だ。
個人を見ないで、自分の人生訓を元にとりあえず精神でアドバイスするやつは総じて糞だし、対してその人を案じているわけではない。
こうした一般論で武装した人間に対して、正論に感じようが自分の感性と考えを元に対抗できるように成長することが、幸福につながるだろうしひいてはこの薄っぺらい大学の授業の減少につながる。
都会に乗り入れる列車が観光列車(キラキラ列車)ばかりでイライラしているの。で、よく見たらブルジョワさんが群がっていて、よく見たらななつ星だの四季島だの止まってる。
お前ら、70万円だか190万円だか溝に捨てるために駅に群がったり、何日間も鉄道に休まず連続で乗ったりするんじゃねーよボケが!
そこにラッシュアワーがお出迎えか。おめでてーな。
よーし、オタクもカメラでお出迎えか。というこの風景、もう見てられない。
お前らに幾らかの時間と賄賂代わり含めた十数万円を渡すからもう一度考え直せ。大体鉄道会社はもっと殺伐としているべきなんだよ。中国・アメリカを見習え。
露悪趣味系やオタク系ならともかく、ミーハー系は車にでも引っ込んでろ。
この間、ターミナル駅行ったが観光列車ばかりで一般人と鉄オタぶちぎれだった。今時こんな電車好きな人間は田舎のブルジョワか奇特な外国人以外いない。この電車が好きだという人に鉄道を本当に愛しているのかと、鉄道を手ごまとして思っていないか小一時間問い詰めてみたい。
金持ちでない人はともかくとして、同じ金持ちから見てもまともな都会人目線では、「お前ら何十万を溝に捨てたいだけじゃないか」と思うんだがどうよ?
キモヲタ通の私から言わせてもらえば、通の間での最新流行は、やっぱり「(とくに格安系会社の高級席)航空・バス」これだね。
航空・バスオタクはエゴイズムが多めに入ってて、地域愛が少なめ。コレ。
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/652828/
http://www.phnompenhpost.com/national/trio-arrested-trafficking-women-japan-sex-work
在カンボジア日本人です。ちょっと前にこんな事件がありましたが、カンボジア側で捕まった日本人の方がFBにヘルプメッセージを載せてました。
私は今、カンボジアにあるプレイソー刑務所に留置されている XXXと申します。ニュース等でご存知の方が多いかと思いますが、カンボジア人女性7人の人身売買容疑で私の婚約者と私の店のコック3人で拘束されています。
事の始まりはカンボジアでビジネスを始めたいと言う方の依頼を安請負し、コンサルタント的な安易な考えでとった私の行動によりこのような事件に巻き込まれてしまいました。家族、親戚、友人知人、関係者の方々に多大なる心配とご迷惑をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます。
今回の事件内容の人身売買や売春には私は一切関与していませんし当然、警察でも無罪を主張しました。
警察官に言われたのはライセンスも無しにパスポートやビザの申請書類を作成しただけでも犯罪だと言われました。その後、裁判所へ連れて行かれ起訴内容の書類を見せられ拇印を押せと言われましたが全てクメール語で何が書いてあるかも何と言っているのかもわからないので、日本語の通訳をお願いしました。
すると担当官が今日は無理だから後日に改めるので留置所に行って待っててくれと言わました。私な何日間かと聞きましたら答えはショートタイムと言われて来てみたらこの刑務所でした。中では全く囚人と同じ扱いを受けています。しかも今日で42日が過ぎましたが未だに裁判所からはお呼びがかかりません。
弁護士の話だと有罪だろうと無罪だろうと一旦この刑務所に入ったら簡単には出れないと言われました。どうすれば良いのか聞くと、裁判所へお金を払って刑期を短くしてもらうしかないと言われました。
金額はいくらか聞くと私のケースだと最低30000ドルは必要だと言われました。
到底そんな大金はありません本当に途方に暮れました。このままだと私達の刑期は10年以上だと言うことです。この投稿を見てくださっている方々、どうか私達を助けてください。いや、私は構いません彼女と彼の2人だけでも救ってください。
彼女達はただ私の店でスタッフとして一緒に働いて居ただけで逮捕されてしまいました。カンボジアでは覚せい剤を所持している人間と一緒に食事をしてその場に居ただけで逮捕されてしまうと言うことです。
とても理不尽ですが、今のこの国の現状です。
どうかこのメッセージを見ている心ある方がいらっしゃいましたら、2人を助けてください。コックの彼にはまだ8歳の息子と6歳の娘がいます。一家の主人を失い経済的にも窮地に立たされています。
どうかみなさんのお気持ちを少しずつで良いので恵んでください。
また、語学が堪能な方がいらっしゃいましたらこの内容を英語に翻訳して拡散をお願い致します。
振込先
XXXXX銀行
XXX支店(XXX)
XXX口座
口座番号 XXXXXXX
口座名義 XXX XXX
一つ断っておくと、私は彼のことを知りません。会ったことも話したこともない。ニュースで初めて顔を名前を知った程度です。そんな時にこのメッセージをFBで見て、なんかモヤモヤした気持ちになりました。
状況が状況なので仕方がないですが、支援を受ける上での必要なエビデンスが皆無。事実関係は不明。受け取ったカネがどういう動きをするのかもわかりません。このメッセージを見て「よし、保釈用のワイロを恵んであげよう」と思える、奇特な方はいらっしゃるんでしょうか。
そもそもエリート男と結婚してる専業主婦は昔から大半が金持ちのお嬢様なわけで
今はそのお嬢様の多くが専業主婦では満足せず働くようになった、ってだけ
「貧乏人の男女に恩賞を与えるエリート」なんてのは昔から少数派
たまーにいるそういう奇特なエリートと、その恩恵に与れた貧乏人の結婚という構図が「玉の輿」とか「ヒモ」とか言われるわけだが
金持ちおぼっちゃまと金持ちお嬢様の結婚はごく当たり前の事でしかないから、わざわざそれを指す言葉はないだけ
エリートと結婚する専業主婦は、大抵の場合ただ一方的に夫に養われている訳ではなく
実家の経済力やその実家で育つ中で養われた知性や教養、人脈などを夫に提供してるわけだ
んで弱者男性とやらは強者女性にそういった提供できるものがあんの?何もなければ相手にされないのは当たり前だろうが
なのに配偶者に提供できるものが豊富にある人種と自分が同格と考える方が図々しい
追加
なんかmasudamasterに絡まれたけど
「お前さっきから」と言われてもこのツリーでこれしか書いてないけど何の事やねんと思うし
書いてる内容に家父長制とか関係ないやんとも思うし
フェミニスト云々と言われてもフェミニストだともどこにも書いていないしそのつもりもないので困惑している
違う人と間違われてるんだろうか?
化学のエンジニアをやって来たが、中年になり短期記憶力の低下で、いつか重大なミス(取り返しの付かない状況下でのサンプルの取り違いや高額の計測機器を壊すなど)をするのではないかと不安で仕方なく、それが起こる前に回避しないとヤバいと思い詰め、逃げるように離職した。よくある話だが、その後の職が全く見つからない。40代で経験職種がNGだったら当たり前だ。昔だったら大歓迎された下位職や小規模企業も、40代未経験を雇ってくれる奇特な会社はない。
短期記憶力が駄目なので、営業などの客商売も出来ないだろう。記憶は一定して駄目というわけではなく、まれに、あるとき簡単なことがスポっと抜ける。何故か複雑なことはできるのに、非常に簡単なことがスコンと抜ける。正直記憶力はかなりよい方だったので、記憶力をカバーする技術や習慣が身についておらず、また起こる頻度が稀なので備えるにも備えようがなく、自分が別物になってしまったようで、おそろしくて仕方がない。CTやMRIでは異常無らしい。
まともな職は諦め、もう派遣するしかないと思って紹介を受けた。英語が多少話せるのと、大学・院時代の研究がコンピュータシミュレーション系だったので、ネットワーク系の英語サポートアシスタントの仕事が当たり、先方は乗り気らしい。英文科卒の通訳畑の人よりも、別分野でも中高年でも理系センスがある方がよいという理由らしい。しかし本格的な翻通訳の経験はなく、ずっとそれをやってきた人とは比べ物にならないだろうし、正直英語も大したことなく、非ネイティブとして手加減してもらえば会話できるレベル。失業してはじめてTOEIC受けたら800台だった。こんなんでやっていいのだろうか。結局すぐチェンジになり、短期職歴を重ねるだけになってしまうのではないだろうか。
IT系ならとっさのミスで大金が吹っ飛び、借金を負うみたいなことはないんじゃないか、それにアシスタントなんだし、と思って返事をしたが、非常に不安になってきている。IT系に詳しいはてなーのみなさんにお聞きしたい。これ聞いて、止めとけと思う?もう直接、清掃や介護に行った方がよいのだろうか。
めんどくさい。
職場の飲み会、入社してから10年ほど、歓送迎会と忘年会の年五回くらいの飲み会にはほぼ参加していた。
が、体力が曲がり角を迎えたことで、何もかもすべての飲み会はお断りすることにした。
別に仕事は仕事で普通に回るので、出なくなってから仕事で困ったりは一切ない。
飲み会に出ないから仕事上の連絡をしない、とかいう無能な社員は幸いなことにうちの会社にはいない。
しかし、そんなことをしていたら親から「そんなことをしてたら葬式誰も来なくなるよ」と言われた。
そうだなー、たしかにそうかも。
でも別に死んでるじゃん?
誰も来なくても知る由もなくね?
来なかったからと言って誰か困るんかな?
子供は一生持たないと決めてるから旦那より長生きしたらそもそも葬式やってくれる人いなくて、無縁仏だし。
旦那も私も兄弟いないから、甥っ子とかにお金渡して葬式お願いすることもないし。
そんな人生なのに、何をそんなに葬式に誰も来ないことを気にしなきゃならんのだ。
だいたい葬式に来てもらうために人間関係を持つわけじゃないだろうに。
人間関係を継続した結果として葬式に来てくれる奇特な人が現れるわけであって、そのために人付き合いするわけがない。
そんな親の葬式に何人が来るんだろう。
喪主は私になるんだろうけど、親の知り合い呼んだら私が疲れるし、父親は誰々に連絡しろと言ってるけど全て無視して親戚も会社関係も一切呼ばず私と母親だけの密葬にするつもりなんだよね。
呼んでほしい人リスト、みたいなものを渡されたけど渡されたその日に捨てた。
持ってたら後々面倒だし。
だから、そんなこと言う親の葬式にこそ誰も来ない確率が高いんだけど。
死んだあとのことなど誰もどうにもできないこと。
小さい頃から、どこか周りから浮いている、人をイラつかせてしまう子供だった。
大人たちに、「変わっている」とか「ちょっとおかしい」と言われてきた。
人と話すのも、頓珍漢だったり幼かったり、独りよがりな受け答えをしていたようだった。
なぜだかわからないけれど、バカにされていじめられることが多かった。
今になって思うと、あの子と遊んじゃいけませんと言われるタイプだったと思う。
学校に行くようになっても変わらなかった。
同級生たちからはからかわれ、先生には妙に嫌われたり目をつけられて、スケープゴートのように大勢の前で説教されることが多かった。
たまにこんな自分でも一緒にいてくれて、バカにするのではなく面白がってくれる人たちがいて、そういう奇特な人たちと仲よくなったけど、環境が変わると、その人たちとの距離感がわからなくなり、疎遠になる、ということを繰り返していた。
体育は大の苦手で、球技は特にダメだった。ドッジボールで最後まで残り、恐怖で逃げ惑う姿を笑われながらボールを投げつけられた。
でも数学や物理は、概念が全然わからなくて雲をつかむようだった。
だから、苦手な数学や物理は、たくさんたくさん問題を解いて、解法をたくさん記憶して、なんとか受験を乗り切った。
大学でも人とは仲よくなれなかった。大学受験で燃え尽きてしまったのもあり、人と仲よくするパワーも残っていなくて、家賃と生活費のためになんとかバイトして、あとは引きこもっていた。
就活はもちろんうまく行かなかった。一次面接でどの会社でも落とされた。面接では大人たちが自分の顔や受け答えを見て、渋い顔をしたり、首をひねったりしていた。
そろそろ、社会から必要とされないダメな存在だということに気づき始めていた。
自分の何がダメだかわからないけれど、自分は何かが他の人たちと違う。自分の判断はいつも間違っている。自分は宇宙人のようだった。
けれど、本当にラッキーなことに、一社だけ縁があった会社があって、宇宙人である自分は、なんとかそこに職を得ることができた。
その会社の中で、優しい人たちに見守られながら、それでも必死に、「普通の人らしい振る舞い」「常識」を身につけた。
あからさまに自分をからかったりいじめる人はいなくなった。眉をひそめられることも減った。
自分はおかしいんだな、と最も実感する時は、会話の中で妙な空気になった時だ。
自分は、会話で何を話したらいいかわからず、例文を読み上げるように会話をする。
自分の心に浮かんだことは基本的には話さない。膨大な例文集の中から、今自分がいるシチュエーションに合っていそうな会話文を持ってくるのだ。
どうやらそれを間違えたらしい、と気づいた時、いつも絶望する。
また失敗した。
こんな、言葉も習慣もわからないままの宇宙人の状態で、周りに合わせて生きていくことをまだまだ続けなければならないのか。
でも、型にはまるふりをしなければ終わりだ。
変わった、頭のおかしいやつ、として、また、いじめられるのかもしれない。
一人では生きられない。
宇宙人でも、一人では生きられない。
「君の名は。」に隠れてあまり話題に上がりませんが、少なくとも界隈ではヒートアップしている気がします。
観に行った友達からはSEが良いとのことでしたが、確かに、といった感じ。
弾がいくつも落ちてきて、時期によって種類も変わるのですが音声ともに視覚描写を変えていくところが丁寧。
爆弾で思い出しましたが、核については必要以上に触れておらず、そういうところもいい。あえて日付をぼかしておいて、視聴者に察せさせる配慮(?)もうれしい。
呉の人からすると、広島に新しい爆弾が落とされたらしい(爆破過程がいつもと違うことと、何やら雲らしきものが見える)・・・くらいの事実認識がおそらく確かに普通なのでしょうなあ。
また、あのときの雲から「あの子」を想起させるところも小気味いい。ほかにも「あの子」をすずが何度も何度も思い起こすシーンがありますが、フラグ回収という意味では気持ちいいし、悔恨の意としてもしつこくない。これも理由がはっきり説明されているからなんだよなあ。
そういえば、後悔のもととなった事故シーンはこの作品の一番奇特な場面だった。あそこで初めて、「ああ、映画を観てるんだぼくは・・・」みたいな、聴覚と視覚がフル刺激されているような感覚が走った。すずの感情起伏もあそこでガラッと変わるし、視聴者側からしてもあれだけ時間をかけて場面を見たからこそ後半への準備ができたのでは。
あと、すずの描く絵はシーンを一気に童心への回帰へと持っていき、そのたびに涙腺が少し刺激されるのは「昔を懐かしむ」人間の定め?でも別に恣意的に場面を挟んでるなあという感じがしないのは、紙自体が貴重だったりする時代背景(つまり紙の出てくるシーン自体が少ない)からか。
この映画、クラウドファンディングでの応援が公募されたことで話題に上がりましたが、そういう意味でもこの映画が作られた理由というのは、「この世界の片隅」を動かしたい(してほしい)・聴覚刺激を加えたい(ほしい)という願望がやはり大きいのだと思う。
戦争を題材にするにあたって、人の恐怖心を駆り立てる轟音はあってしかるべきだし、感情の起伏こそ動きがあってなんぼのもん、だ。
「戦争ものってどうせお涙頂戴か、見てたら気まずくなるんやろ?」って僕は今の今まで思ってましたし、ほかのものは実際そんなのがあるかもしれないけど、コミカル要素がままあって、あくまで日常を実寸大に描いてるこの作品は僕にとっては非常に観やすかった。いやほんとNHKの連続テレビ小説でどれだけ胸糞悪い思いをしたか。本当にこの作品にあえてよかった。戦争に対する思いは描く人それぞれが覚悟をもって確固たるものを抱いていると思いますが、たぶんそれは敗戦直後のすずの叫びそのまんまでしょうし、僕はこの台詞でやっと戦争ものへの全体的な反発から解かれるよな気がするし、なぜ人々はここまで戦争について語るのだろう?というわだかまりまで自分の中でもう少し消化できそうな気さえしてきた。
表面的な感動だけを呼び起こすことなど全くせず、心の底からの(原始的な?)感情を目覚めさせてなお上位な思想を頭の中でくぐらせてくれました。
何度も見よう、とはならないけど、たぶんふとした時にまた呉の風景が僕の頭に戻ってくるのだろうな・・・その時にはもう少し戦争観を成熟させていたいものです。
1.構想 … 考えるだけ
3.始動 … 一応最低限揃った状態で仕事が回る状態。赤字だけど売上が立つ状態。法人化してなくてもいい
6.成長 … いわゆるベンチャー企業
7.拡大 … 中小企業となる 上場するか、営業続けるか、バイアウトするか
できれば4か5あたりまでは片手間でやりたい
でも多くの会社が副業禁止なため、2や3あたりから厳しくなってくる
「本気でそれをやるつもりはないが、ちょっとしたいいアイディアがあるから試してみる」みたいなことは更にしづらくなる
・会社を辞める
・貯金を食いつぶす
本当は「何個かアイディアを試してみたい」とか「上手くいく確率は30%だろう」とか考えていても、その仕事に全力投球しなければならなくなる
理想は「調達する(誰かから借りる)」だが、数百万借りれる相手が居るというだけで限られるのではないだろうか?
ここで多くの人が脱落するだろう
有名な話だから省略
アメリカと日本では破産時に、個人の責任の重さが違ってくるという話
例え売上が立ってきたり、調達できたとしても、簡単に給与を上げることはできない
来てくれるのは、社長のビジョンに共感してくれて「安くてもやる」という奇特な優秀な人と、単純に優秀じゃない人だ
そしてあまりケチって優秀じゃない人を入れすぎると動きが非常に鈍くなる
結局、金をばら撒いて短期集中で頑張るか、経営者自ら優秀じゃない人を長期でじっくり回すか
これは日本に限らないが
一番駄目なパターンは、優秀じゃない人を高い給料で入れてしまうパターンだ
だが自分が経験のないポジションに対して、誰が優秀なのかなんてわからない
結果、慎重になりすぎて安い人ばかりで固めるみたいなことになったりもする
人が増えれば増えるほどコントロールは難しくなる
大体30人を境目に世界がガラッと変わる印象だ
6.成長や7.拡大フェーズで止まってる会社はこういうケースが多いと思う
何がしたいんだ一体
雪を無邪気に綺麗といえる自由があるのなら、雪を心の底から憎んでいるといえる自由も欲しい。
北海道に生まれていたら、サラサラとしたパウダースノウで暖房が部屋に行き届いていて、全てが豪雪使用になっているのだから、
「そういんもんだ」って覚悟しながら生きてこれたと思うんですよ。
ここまで魂の底から憎まなかったと思う。
日本でも本州屈指の温暖な土地で生まれ育った軟弱な静岡県民に、東京の底冷えのする寒さはキツイ。きっつい。マジきっつい。
大体静岡県の中でも我が家がある地域は、5年にいっぺん雪が降ればいいほう。
ソリをすれば手がかじかんだりするし、お尻冷えるし、スケートすると足がかじかんで足痛くなる。寒すぎて。
小学校2年の時に、人生でありえないほどの大雪が静岡に降って、翌日授業を急遽変更して先生が雪合戦しよう!!と、
クラス全員がきゃっきゃやってる中で、自分は五分とテンションが持たなかった。寒すぎて。
もう残りの時間は死相を宿しながら、石を入れた雪玉をもくもくと孤独に作ってるよーな小学二年生だった。
じゃあジムでも行って運動して新陳代謝あげろとかいうヤツは全員ぶん殴りたい。
なんでクッソ嫌いな雪に対して、こっちが折れて努力せにゃならんのだ。
「雪ってなーんかワクワクするよなあ」とか、
「雪ってずっと見ていたくなるよね〜」とか
無邪気に言ってくるんですけど、
こっちもそれを大人だから波風たたせないでニコニコしながら頷いてんですけど、
東京の雪なんてボタボタしてて道路でぐしゃぐしゃしてて、全然キレイじゃねえし、すぐ交通乱れてイライラするし、
みぞれ混じりの雪など、もはや降ってくる凶器・狂気としか思えん。
販売の仕事やってた時には絶望的に客足が引いてものすごいマイナスだし(こんな日にきてくれる奇特なお客様は本物の神様にしか見えない)
とにかく百害あって一利なしだ。
この件、どっちにも直接の知り合いが居て、
いわば利害関係者なんで、黙っとたんだけど、
なにモメてんのかなー変われば良いのに言う人が身近に居た(その人は業界外の人)だったので、ここに書いとくよ。
「3年程度」「雇用関係下で」「技能の習得・習熟を目指す」という制度ね。
基本的には、「技能を身につけられる」という謳い文句で、売られてきて働く奴隷さん達。
土木関連とかは、ワリと良心的な(他の国に技術移転しようとしてる)ところが多かったりする。
まあ、海外で土木建築関連の仕事をすることは多いし、重機使える現場が海外に増えれば、嬉しかったりするしね。
他にもあるけど、ヒドイところもあるので、割愛。
「本当に技術を得られるところも一応ある」的な理解で良いです。
この手の話題では、とっても珍しいんだけど、待遇について認識に違いがない。
つまり、「アニメーターは稼げない」って雇用者も経営者も関係者も認識してる。
それもあって「そんなモンかな?」「業界の慣習で普通かも?」って考えてる人が出てたりする。
「名ばかり管理職」とか「偽装請負」とかそういう状態と同じです。
で、一番近いのが技能実習生。
発想が昭和初期のまま止まってるのが特徴。
あたりだと思うんですが、何かお気づきになられませんか。
そう、○○師みたいな「独占的な資格がいる」仕事が多いんです。
また、ドカタのバイトしてたらわかると思うんですが、
「玉掛作業(クレーンにモノをかけたり外したりする人)」って国家資格がいるんです。
理容師法が昭和22年に始まってるんですが、基本的なルートは全部同じで
「業界として、低品質な連中と同じにされたら困る」「品質を担保してる保障を作りたい」です。
また、危険な業界は労働安全衛生法でガッチリ規制しないとエライことになるので、規制が厳しいです。
ドカタでも美容師でもタクシーでもそうなんですが、ヒドイとこはほんとヒドイです。
まだまだ不動産業界も(調理師で無い)料理人の世界も超絶な話はそこここで聞きます。
「労働契約」なんて夢のまた夢で、明日から来なくて良いなんてのはまだマシで、
ある日行ったら店が閉じててオーナーと連絡取れないとか、良くある話です。
ただ、ブラックオーナーのブラックな夜のお店トークでガッハッハなら判るんですが、
業界全体で「動画職はいわば見習いだからしょうがないよね」って言ってる(咎めない)のは珍種です。
夜のお店でガッハッハなオッサンも、ネクタイ締めたオモテでは神妙な顔で仕事してるフリはするんです。
うちは雇用は守りますし、技術は学べますし、歩合とは言えきちんと稼げるし儲かし独立も出来るよ!と。
最初っから独立させないツモリだし、雇用は法律の範囲内で無茶苦茶するし、稼げないのが解ってるって異様です。
技能実習生制度を使わずに、ほぼ同じ意味合いの技能伝達してるトコロはあるんですよ。
単純に労働力確保のためだったり、海外に打って出るための足場を作るためだったり。
同じように、月給制のアニメ制作会社もほんの少しですが、出来てきていると聞いてます。
ボチボチそういうところが「やってんの脱税だからズルい。健全に勝負スべき」と言う頃合いだと思うんですよね。
(マトモに人を雇うと400万程度かかるとこ、100万で済むなら、差し引き300万は不正に利益を得てるわけで)
年間フルタイム拘束しといて最低時給以下ってのは、ぼちぼちお役所から指導が入って良いハズ。
「新人の研修だ」って言い張るなら、まず「無認可校」って看板出すべきなんです。
そうすると、教育委員会とか県庁レベルで、各種学校にすべきとか指導が入るんで。
(各種学校って、設備の規模とか、事業経営との独立とか文部科学省が決めてるので)
カネとって良いんですよ。取れば、いかにいままで無茶苦茶言ってたか、判ると思います。
関係を曖昧にさせたまま、独立した取引の体裁で買い叩くのが一番醜いです。
自社の研修を取引相手に年単位で拘束して受けさせるってのは、聞いたことが無いです。
(あるなら具体例が挙げられるハズ。表面上すら装ってないのは異様ですよホントに)
抜け道がいくつもあるとか、結局変わらないとか、そういうのはチョットづつで良いんです。
ドカタの世界も、ずいぶん安全になったんですよ。わかんないかもしんないけど。
モラトリアムな少年少女を「希望」で釣って奴隷労働させるの、止めませんか。
絶滅寸前の伝統芸能に、実家が太い奇特な若手が入って盛り立ててるとかじゃ無いんでしょう。
えー、一読して。どこに怒ってるのか全然わかりません。
「これだから男は……性欲を向けられる女の気持ちがわかってないんだ……」
と言わずにまあ聞いてください。
この男友達の行為の問題ってつまるところどこですかね?性欲を向けた点ではないですよね?
たいていの女性は男性から性欲を背景とした親切を受けることは多いと思います、貴方も例外ではないでしょう。
まさかその度に「性欲の発露で傷つけられた!モノ扱いされた!」って怒るんですか?
他ならぬそのご友人に向けられたからこそ嫌だった、という事になります。
「友情が裏切られた気がして」なんて可能性もあるにはあるですが、貴方の文章のどこを探しても男性への深い友情を感じさせる部分は見当たりません、すぐに縁を切るつもりにすらなってますしね。
で、これはこう考えればしっくりくるという推測なんですが
「貴方が自分の女性的価値というものを相当に高く見積もっており、
友人の男性のことは男として全く眼中にないと内心見下げていたのに、
そのようなペット扱いの相手が自分に性欲を向け、剰えそれを都合よく消費出来ると奢ったため、
まあこんなもんなんじゃないですか?彼女(いたとして)とかのあたりから内心馬鹿にしてるのは窺えますし。
どうです?当たってますよね?
あれおかしくない?
脱衣所がよくある100円入れて使い終わったら戻ってくるロッカーでさ、
自然と100円を握りしめてるかポケットに入れた状態で通りかかるから、
100円で売ってるのを見て「おっ牛乳飲もうぜ」ってなるんであって、
「あ、牛乳飲みたいな、でも財布出すのめんどいし、小銭なかったらやだし__」
俺は思ったね、たとえ量を減らしても、一本あたりの利益がキツくても、
100円で飲めるという線だけは死守すべきだったと。
「ちょうど100円持ってたしつい__」需要を取り逃がしてしまっては、
早晩自販機の維持もおぼつかなくなるだろうと。
わざわざ十円玉を3つ揃えて牛乳を飲んでくれる奇特な人はいないだろうと。
わざわざ精霊石を3つ揃えて時の神殿を開けてくれる奇特な人はいないだろうと。
奇跡か。
を風俗に行くと必ず聞く。下世話な好奇心もあるが、女の子によって個性があって面白いのだ。
「あー入ってるなーという(だけの)感覚」、「棒が入ってるのと同じ感覚」と答える子たちはここに入る。
もともとセックス自体がそれほど好きでないという子が多い印象。
俺はこのタイプが大多数なのだと思っていたのだが、意外と数が少ない(遠慮して言わないだけかもしれないが)。
「私、この仕事(風俗)始めて、初めてイカされた」と答える子の派閥。
原則としてAタイプだが、テクニックやチンコの形状によって感じることもあるという子はこのタイプ。
「私、お客さんのことはバイブかローターだと思ってるの」と答える子たちの派閥。
とりあえず硬いチンコであれば、ルックスの良しあしにかかわらず、感じることができるらしい。
客の個性は度外視で、客とセックスするというより客でオナニーをしているという点で、後述するDタイプと区別される。
「チンコ入れられて感じない子なんていないよ!」という子の派閥。
これが意外と多い。風俗には、もともとセックスが好きで、多数の男たちにセフレ扱いされてきた子が、同じことやってお金もらえるならこっち(風俗)の方がいいという理由で働き始める子が多い。そういう子はこのタイプに入ることが多い印象がある。
また、このタイプの子はAタイプの子の存在が信じられず「絶対ウソだよ!」と言っていることが多かった。
ルックスの良しあしが関係するのかはよく分からないが、キモい親父の方が犯されてる感じがしていい、という奇特な子が居たのが印象的だった。
聞いてみると個性が見えてなかなかおもしろい(割と盛り上がる)し、聞かれてそんなにウザい質問ではないと思うので、風俗に行った際にはぜひ聞いてみてもらいたい。