はてなキーワード: びちびちとは
令和4年6月18日昼。僕はスタバに行った。
スタバ店員「清太さーん!節っちゃーん!おいでー!おなかすいたやろ!カフェラテも冷えてるよ!」
僕「お、うまそうや。スタバいこか。天ぷらにな、おつくりにな、ところてん」
節子「そんなんスタバにあらへん。アイスクリーム、それから、またドロップ舐めたい」
僕「兄ちゃんはメロンのフラペチーノや。・・・ほら、もう出てきた。どや、美味いか?」
節子「あーおいしい。あれ?カフェラテもうなくなった」
僕「早。一気に飲みすぎや」
節子「ちびちび言うたら、うち、お腹おかしいねん。もう、ずっとびちびちやねん」
僕「薬飲んでるか?」
節子「これ飲んでる」
僕「節子、それ薬やない、ドロップや」
節子「どうりでおいしい思うた」
僕「とりあえず家帰ろ」
節子「お母ちゃん待ってるかな」
節子「やったぁ!ほなら、ご飯はうちがよそってあげる。
兄ちゃん・・・どうぞ。ご飯や。おから炊いたんもあげましょうね。どうぞ、おあがり」
僕「ありがとさん。あぁうちらほんま満たされとるなぁ」
節子「うちなんもいらん。うちにおって兄ちゃん。行かんといて。行かんといて。行かんといて」
夢の中で私は会議に出ていた。
1だった尿意は1分後には50にはなっていた。
会議は進まない。
何の対案もない揚げ足とることだけが上手なアホが
もうだめだ。
身震いするような快感に打ち震えていた。
ところで目が覚めた。
お知りに手をやるとぬるっとしたものが手についた。
あわてて電気をつけて手を見ると、
何やら深緑色の液体がべったりとついている。
漏らしたのだ、うんこを。
パジャマもパンツも脱いでシーツでそっとうんこを包んで洗濯機にぶち込む。
なんてこった。
30も手前になってうんこを漏らすなんて。
あまりの情けなさに涙があふれた。
腸炎だった。
腸炎で便が液状になると寝ている間に漏れてしまうことは往々にしてあります
医者ってすごい、何でも出てくるな。
消化にいいものを食べるように言われた。
会社は休んだ。
どうなるかと思ったがシーツとパジャマ、パンツのうんこはきれいに落ちた、
が、なんとなくもう使いたくなくて新しいのを買った。
へんな夢も見なければ、うんこを漏らすこともなかった。
そんな日常の話だ。
誰もが、は大げさだけど旧帝大とか有名私大の名門研究室の教授を(伝統芸能みたいに)継承する一握りの人以外みんな不幸になる設計だと思う。
考えてみて欲しい。人文系の博士課程(後期)に進む人というのは幼少期から勉強が出来て親や学校の先生に期待されて大学に進学している。
論理的思考能力や粘り強く課題をやり抜く力とかも身に着け、指導教員に励まされながら論文を書き30前後に博士号取得で能力の頂点に達する。
問題はその後だ。
大学を卒業して企業に入った場合、その年代では仕事を覚え裁量範囲が増し(場合によっては部下もいて)給与や処遇も1年目よりはよくなっている筈だ。
しかし人文系博士はどうだ?博士号取得したてで就けるのは非常勤講師、それも年々減っている。時給換算すれば家庭教師より悪い。
自分が大学生の頃馬鹿にしていたようなF欄大学の学生に「パンキョー」で専門分野とは異なる分野を教えながら学会費を捻出し勉強会などで研究を続けるほかない。
なにより気が滅入るのは先が完全に見通せることだ。80代の名誉教授から大学教授、准教授、助教、常勤講師まで上はびちびちに先輩が詰まっている。
理系ならば海外からスカウト、民間研究所に就職という手もあるだろう。だが誰が哲学や宗教学や文学の博士を高級で迎えたがる?[反語的疑問文]
かつて自分が馬鹿にしていた同級生が企業の管理職に成ったり起業するのを横目に見ながら、世渡りが上手くマスコミ受けがいい分野(社〇学を筆頭に)で著書が売れる研究者を羨みながら
学生の頃と変わらない住まい、服装、生活パターンを続けていれば不安と嫉妬で頭がおかしくなるのも無理はない。
男性研究者の場合はさらに深刻だ。「女性研究者登用」という制度(それ自体は正しい)のおかげで挑戦権さえ得られないリスクさえある。
いっそ性転換してMtoFとして応募してみないか?という悪魔のささやきが聞こえてくる。
SNSでの暴言はもちろんいけない。昨今の事例を鑑み、普通の人間ならリスクと便益を考えてやらない。
あっという間に何十年とかけて積み上げて来た勉学と研究と人間関係と研究者としての将来をふっとばしてしまったある人文系研究者を見てつくづくため息が出た。
増田「もう漏らしたくない」
うんちマン「おっと、そいつは聞き捨てならねえなあ」
増田「くさっ! お前誰だ!」
うんちマン「俺かい? 俺はうんちマンって者さ」
増田「うんちマンだと! 俺がうんこを漏らすのはお前の仕業か!」
うんちマン「HAHAHA! 馬鹿言っちゃいけねえ。お前がうんこを漏らすのは他の誰でもない、お前が原因だ!」
増田「デタラメを言うな! 大人がこんなにうんこを漏らすはずがないんだ!」
増田「認めたな! お前が悪いんだろ!」
うんちマン「俺は何もしねえさ。ただのうんちマンだ」
増田「嘘を言うな! お前が俺のパンツをうんこまみれにしてるんだ!」
うんちマン「くくくっ、救えねえ阿呆だ」
うんちマン「いいかい。大人はうんこを漏らさない。これは基本だ。ならば、大人がうんこを漏らしちまったのなら、それは、もう、お前の責任に他ならねえ」
増田「違う違う違う!」
増田「ぐぐぐ」
うんちマン「胃腸が弱くなっちまったのは、お前の食生活が悪いからだろう?」
増田「ぐはっ」
うんちマン「変なタイミングでしたくなるのは、お前の生活習慣が乱れているからだ。違うかい?」
増田「ごほぉっ」
増田「うぅ……」
うんちマン「お前はトイレでうんこをするっていう社会常識さえ守れねえんだ」
増田「うぎゃああああああああああああ」
うんちマン「お前は自分のうんこさえまともに管理できない。程度の知れた人間ってことよ」
増田「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぶりゅりゅりゅりゅりゅううううううううううびちびちびちぶりびりびりぶりいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい」
漫画にしても小説にしてもそうだけど、最近読解力が足りてないような気がして悔しくなることがある。
物事の表面しか捉えられていないような、深い読み込みなんかしてみたいのに、能力が足りてなくて残念だ。
それとも、ものを読んだ時に生じた感情なり感想を維持し続けららないのが問題なんだろうか。
あるいは、その時得たモヤモヤを上手に言語化できないのが問題なのか。
たぶんすべて足りないんだろうなあ。ノウタリンなんだろう。衝動的というか組み立てることが苦手というか。
消費だけする生活は嫌なので、何か排泄したいのだけど、うまく捻り出せないというか、臭気を放てないというか。
話は変わるけれど、精神的な創造的なスカトロって結構ありなのかな。
いや違うか。排泄物じゃあ適切じゃないんだなあ。それだと、カスしか残ってないことになる。新たな価値観が込められてない。
もちろん、そこに価値を見出す人もいるだろうけれど、それとこれとは話が別なわけで。
手工業なんだねえ、きっと。料理とかそんな感じだ。それが作りたいわけだ。
そしてまた話が変わるわけだけれど、事前に何を書こうかちゃんと把握しているのとしていないのとではそもそもの書き方に違いが出るものだよね。
だいたい今上に書いたことなんて削って削れば産業で済むようなことだし。この短い中で話が三つも入ってるし。
書くことで考えるってわけではないけれど、整理が出来る人ってのは、たぶんこうして書いたことを消さないほうがインだろうと思う。
消し始めると、全く先に進まないから。合ってないんだよね、前もってどんなことを書くかとか考えて書いてしまうのは。
そりゃあちゃんと成形するときには削らないとだけだけど、それは全部書き終わってからでいいことだし。
そうしないで削り始めつともうだめだよね。書きたいことっ点だろうって考え始めて、それが見つからないから書くのに、その手段を捨ててしまうわけだから。
ダメダメっすよ。日日日が1ページの間で矛盾が見つかって編集さんに迷惑をかけたとかなんとかあとがき書いてたことがあった気がするけど、もしかしたらこう言った書き方してるからかもしれんな。
めちゃくちゃ書いてればそれだけ進むわけだし。モチベーションも上がるしねえ。とにかくキーボードをたたきまくる乗っていいと思う。精神的にも技術的にも。
うん。まったく纏まりも糞もねえ。これこそまさしく廃棄物だ。うんこだうんこ。さほど臭わない、存在意義さえ疑うべきうんこだ。
こんなもん食ったらあかん。食う人は居ないだろうけど、自分自身でも食ったらあかん。下痢になってしまう。びちびちうんこ。
嘔吐するかもしれんしねえ。胃液と混ざって。そりゃあ臭くはなるし色も酷いもんになるだろうが、それはもう見るに値しない。そんなもん出したらそれこそダメだ。ダメダメだ。
だからとにかくこのままでいいと思うわけで。頭悪いから。頭悪いからこういう方法しかないんだよきっと。日日日は別枠だしさ。俺だけが糞なんだ。
というか、糞は糞をするのか? 人間は人間を倦むんだから、糞が糞を倦むこともありえるんだろうな。
ようわからん。
糞して寝ろ!
びちびちびち・・・
そういう音がする。
座ってしても、勢いがあれば、そこそこに音を立てることもあるかもしれない
いずれにせよ、風呂場でのおしっこに必須なのがシャワーによる誤魔化しである。
あの水が噴出す音で、おしっこの音を打ち消す。
私はそれを知っている。何故ならお風呂に入るたびに、おしっこをしてきたらから。
その歴史の長さは私の人生の長さだ。全てを知り尽くしているとは言わないが、一日の長があるとはいえよう。
つまり、私は風呂場から聞こえてくるだけで、中にいる人間がおしっこをしているかどうかが分かるのだ。
その日、風呂場に財布を忘れたので取りにいくと、妹が入浴中だった。
いつもなら妹があがってから財布を取ろうとするが、早急に金が必要だったので、
こっそりと風呂場に忍び込ん、素早く目的を果たさんとした・・・。
そして聞こえた、あの音。
私は思わず顔をあげて見た。すりガラスの向こうに妹の姿が霞んで見えた。
なんてこった・・・。
私と妹は家族である。
その確かな絆を手に入れたような気分だった。
いや、厨房みたいなこというけどまあ聞いてくれ。
俺今ふと思ったんだよね、人生って一回きりだなって。
まずさ、俺にもそれからお前等にとっても、いまこの瞬間とか明日の朝とか
おとついの昼間とかも全部が全部、もう2度と取り返せない一瞬なんだよね。これがすごいよね。
まあこのことって当たり前なんだけど、正直あんまり意識してなかったんだよ俺。
でもさ、俺たちはまず間違いなくあと50年か60年か長くても70年くらいで死ぬじゃん。
もうね、死ぬよ絶対。間違いない。それはわかりきってることなのよ。いろいろ屁理屈こねたら反論も出来るけどね。
でもいや違うのよ、違うの。俺はなにもさ、そのことでさあ、じゃあ限られた時間を精一杯いきろ!とか
なにか人生で偉大なことを成し遂げろ!とかそんな熱いことが言いたいわけじゃないんだよ。
むしろだらだらしててもいいと思う。やる気なんかなくてもいいだろう。
それも人生だ。だけどさ、だけどもし死ぬ前になってさ、
「ああ俺もうすぐ死ぬんだ。はははそうか死ぬのかあ。いろいろあったなあ・・・・・。・・・・・・・・。
ってあれ、俺何してたんだっけ。生まれて生きてそれで死ぬのか。ええと、いろいろあった・・よな?
面白いこととか、いや辛かったなあとか、ん?ないの?ねえ俺何してたん?うんこびちびちやねん。」
ってさあ、思ってさあ。
なんかさあ、そんなこと考えてたら。あれ俺って何してんだろみたいにおもったわけよ。
それで今日もテレビみてたりしてね。プロスポーツとか映画とかミュージシャンとかその他
著名な活動してたりする人たちを見てさ、あれこの人たちと俺ってなんていうか
なんか違うのかな。って思ったの。遠いところの人っていう感覚があって、その一方で
んでも人間と人間だよな根本的には同じじゃないのか。とか思って。
そんでね俺はこう思うことがある。
例えばサッカーの代表戦みてるときは、もし仮におれがこのピッチに立って
戦うことが出来たとしたら俺はそこで戦いたいなあ。とかって。いや仮にね。
または音楽を聴いてたりするときは、仮に俺がミュージシャンになれるとすれば俺は
あるいは俳優やって良い映画にでてみんなに感動を届けたいなとか。
それで思ったんだ。結局俺はさ、何かを達成したいんだろ?って。
でも普段の俺ときたら、別にいいじゃん。適当に生きたら。とかって言ってる。
そんなにムキになって、人生は一度きりだとか大げさにならなくてもいいだろ。
ラブ&ピースでのんびり暮らしていこうぜ。なんてねw
それで十分満足です。って。いやそうなんだよ、そういうのもわかるんだよ。
でもさあ。でもさあ。なんかさああ。違うんじゃねえのって思ったりするんだよなあ。
いや、じゃあ勝手になりゃあいいだろって話になるわけだよ。
俺もなにが言いたいのかよく判ってないからしょうがないんだけどさ、
よくある言葉に、”人生は一度きりだ。悔いの無いように生きろ。”なんてのがあって
これもさあ、もうずいぶん使い古された言葉なわけだけどさあ、
俺はそれ本当に、はいはいすごいすごい。で片付けていいのかなって思ったりしてるってことなわけよ。
もし、死ぬ間際になって本当にそう思っちゃったらどうすんだろって思う。
”あ、人生ってまじ一度キリなんだなw俺もう死ぬとかワロスwそう考えたらなんだって出来たな。”
とか思ったら俺もう死にたいよ。まあ死ぬんだけどw
いや実際にね、
ワールドカップに出てブラジルとかフランスとかと戦ってる人がいるんだよね。同世代で。
そこまでいかなくてもものすごいホームランバッター相手に堂々とボール投げてる人間とかがいるわけだよ。
同世代で。
そんでさっきも言ったけど、そんなのは特別な人間のやってることだ。て思う気持ちがある。まあ確かに特別なんだろう。
でも、じゃあお前はそこに自分が立ちたいとかっていう夢みたいなものを感じないのかって言われると、
恥ずかしいけどまあ嘘つかないで言うと、正直感じてるわけだよ。
いや別にスポーツは例として将棋でもいいよ羽生まじすげえプロ棋士になれたら真剣で羽生とガチで。とかね。
でさ、でもさ無理なんだよ。とかも思うわけ。いやいや無理だろ俺って何なのみたいな。
だからさあ、俺は思うに無理でもいいんじゃねって。お前なにか実は熱くなりたいんじゃねってね。
そんで俺が今日おきてやったことってさ、
起きてそっこうPCの電源付けて寝ぼけ眼でhatenaでブクマチェックだよ。
なんか面白いエントリねえかな、ねえな。とか思ってるの。だらだらしながら。
しょうがねえなあ、じゃあ俺がなんか面白い増田上げてえな。とか思ったりして。
んで、なんとなく考えてたら昼。なんとなく考えてたら昼ってなんだよwww俺何してんの?うはwwみたいなw
冷静に考えれば俺はさ、熱くなりたいって気持ちを誤魔化して、やってることは
ハテナでホッテントリ上げたいっていう要するに”ちょっと気分的に熱くなりたい”ってことなんだよ。
いやホッテントリ上げるのは難しい。だからいい感じでブクマが伸びたりすると俺はちょっと嬉しかったりする。
いやすごく嬉しい。そこでさ、俺そこで、なんだよ俺っておもうわけ、自分誤魔化して、でもやってることは一緒じゃんって。
じゃあやれよ、なんか人生で成し遂げたいんじゃねえのって。いや難しいこれ誤解されそう。ハテナを下に見てるとかじゃない。
違うんだけどなんだか俺は人生をちゃんと見つめなおすときだろって思ったりしてるわけだ。
俺はさあ、俺にだってさあ、まあ恥ずかし気も無くいうけど
”可能性”ってやつがあるだろっておもうわけよ。つまりはそういうことなんだよ。
俺にも、それからお前等にも、”可能性”ってやつは、もうそれはまじで”有る”としか言えないんじゃないかと思ってんの。
”夢”みたいなものがあるなら、そこには必ず”可能性”みたいなものもあるよなって。
それはすごく微かな手ごたえで、むしろ”無い”とすら言えるかもしれない。
うはww意味わかんね俺ww無いのか有るのかどっちだよww
でもさ、”本当はそれは「有る」んだけど「無い」としか思えない俺”ってのが今の俺だと思うわけ。
微妙だけどそうとしか言えない。
だからさ、俺はさ、ちょっとじゃあやってみようかなって思うわけ、思うわけだよ。
で、そこで俺思った。何やるんだろ俺wwwやべえそこから始めないとww俺まじ今まで適当すぎ。まあそれも人生。
いままでの俺は、それはそれで俺なりに人生について考えてそれでなんとなく今を
こうやって生きてるのも悪くない。って思ったんだから。
でもなんか時間とか人生とか、よくわからんけど考えてみた。わりと正直に。
夜に。深夜に。深夜の俺が思ったわけ。そして俺の中のなにかが顔を出したんだよ。本当は違うだろお前って。
ということで、結局まずは自分探し、みたいなしょぼい結論っぽくなっちゃいましたけど、
なんとなく言いたいことを言ってみました。
とにかく俺は何が好きで、何をやりたいのか、それから何を成したいのか、
ってことについてある程度の人生の現実的なリスクを無視して考えることからはじめてみます。
ちなみに俺は20代後半です。ぷはwwいまさらかよ。っても思うけど、でもいいやって思えてきた。
んでじゃあどうしようかなあ。俺。
とりあえず好きな漫画のジョジョから今の俺に対してこの言葉を書き写す
「君はぼくを乗り越えると言ったが……… 君よりも9年も長く生きてるから教えてやろう……
他人を負かすってのはそんなむずかしい事じゃあないんだ………
もっとも『むずかしい事』は! いいかい! もっとも『むずかしい事』は!
『自分を乗り越える事』さ! ぼくは自分の『運』をこれから乗り越える!!」
あとこれも好きな言葉だ
「「ブッ殺す」… そんな言葉は 使う必要がねーんだ なぜなら オレや オレたちの仲間は
その言葉を頭の中に思い浮かべた時には! 実際に相手を殺っちまって
もうすでに終わってるからだッ! だから 使った事がねェーーーッ」「『ブッ殺した』なら使ってもいいッ!」
さて、このまま寝て
あしたの朝起きたらさっぱりいつもの自称ラブ&ピース&適当&無気力の俺がいるかもしれない。
でも、これだけはやると決める。
あしたの朝おきたら俺はこのエントリを読み返す。間違いなく。絶対に。確実に。
そう決めた瞬間にもうソレは完了していると言ってもいい。おれはこのスレを読み返し、もし
それでも俺が変わらないならおれは俺をあきらめる。そう思う。だが俺は変わりたいと思っている。
明日の俺にこれだけは行っておく。
”俺は今、変わりたいと思っているし、きっとお前も変わりたいと思っている。自分を誤魔化すな”
ここまで読んでくれた人ありがとう。
こうやって自分について少しでも考えることができたのはhatenaのおかげだと思う。