はてなキーワード: 喫茶店とは
妻へ
驚くべきことが起きました!
12月27日、日曜に横浜アリーナでライブがあり娘は本当は友達と行くつもりだったそうですが
友達がどうしても行けなくなったので代わりに僕を誘ったとのこと。でもまだ本決まりではありません。
月末の金曜までに誰か他の人が見つかればそっちと行くそうです。
僕は平静を装って「どちらでもかまわないよ、それじゃあ一応日曜は空けておくよ」と言いました。
しかし内心は冷静なはずがありません。
そんなことは一生無いと思ってました。
娘が小5の時に君が死んでしばらくは父娘で仲良くやってたつもりでしたが
二人ではどうにもならなかった。
カラ元気は余計に空しくなるので気付けば、僕は無口になっていました。
派手に暴れたりはしません。
とにかく僕と一秒でも口を聞くのが嫌みたいでした。
同じ家にいながら娘は僕を見えないものとして扱い、僕もいつのまにかそれに慣れていました。
娘は僕に対して静かに怒っているようで、それはもしかしたら君が死んで数年後に僕に新しい恋人が出来たことが原因かもしれません。
その恋人とは別れましたが結局娘と会うことはなかった。
娘はもう高二です。
以前に比べれば僕らの関係はずいぶんましになりました。
少なくとも家の中で挨拶ぐらいは交わすし、時々バイト先のレストランからお酒を貰ってきて僕にくれたりします。
ごくたまに一緒にテレビを眺める時間があり同じタイミングで笑ったりもします。
しかし!それにしても!
まだ実感がわかずフワフワしています。
浮かれているわけではないですがどうにも顔がにやけ仕事になりません。
それで僕は得意先にアポを取りに行くふりをして、外出して仕事をさぼり喫茶店に入りこうして驚きを綴っているのです。
それは当然です。
僕は独身時代まだそのアーティストがバンドだった頃ライブを見たことがあります。
大昔の話です。その時に誘ってくれたのが君でした。
素晴らしいライブだった。
そういえば娘にもそれを自慢した事がありました。
妻へ
天国で暖かく見守っててください。
会食の話みてて思ったんだけど、なんか大人になってから、というか大学生あたりから友達と会って一緒に飲食しないで解散することがかなり減った気がする
つか思い出せる範囲だとマジで毎回なにかは食っとる 食ってなくても飲んどる
飲食をひとつの区切りというかメインイベントとする感じがある メシ食わないと締まらない
14〜18時くらいに会って、昼飯は食ってきました、晩飯は各自食いましょうみたいなノリで別れることってあるんか?
14〜15時に1時間だけ会うみたいなパターンだとホントに行くとこ喫茶店くらいしかない気がするし、喫茶店に行って飲食せんことは不可能
ボウリングとかだと一切飲食せずに解散するパターンもありうるのか?
なんつうか、交際と飲食って思った以上に強く結びついてる気がするんですよね
休日に会ってメシ食わないわけねえだろって感じがするもん
せっかく会うんだから一緒に寝る→寝ねえよ!
せっかく会うんだから一緒にメシ→そっスね!
謎や
露骨にわかりやすいのは、3人以上で集まって、なおかつ「3人で集まってるけど話しかけるのは一人だけ」みたいな感じではなく概ね全員が話に上手く参加できるように配慮して話すこと。(3人で集まったはいいけど、話しかけるのは異性の〇〇さんだけ、という状況だとだと〇〇さんに警戒されかねない)
仕事の打ち合わせや、△△の趣味で□□をみんなで制作するための打ち合わせ、等、なぜ会っているのかの文脈がはっきりしている集まりも安心感が高い。
個人的に、会社の同僚で、奥さんとか彼女さんとの「一緒に美術館行って楽しかった」「昨日作ったパスタが奥さんにうけた」みたいな仲良よしエピソードを話してくれた人は話しやすかった。「休みの日、美術館いくのたのしいよね」みたいな感じでこっちも自分の旦那さんの話をする、みたいな往復があると場が和むし、お互いに「特に異性を募集はしてないよ(それはそれとして仲良く話がしたい)」というメタメッセージをハードル低く交換できる。
両方独身で、仕事の打ち合わせでもなく一対一で異性と会う場合、男女どちらの人でも(この人は一体どういう文脈で誘ってるんだろう?まさか好意があるの??)という疑問が生じやすい。これを解消しつつ同時に距離を詰めるのは、できるひとはできるんだけど、できない人の方が多い。かなりめんどくさく、コミュニケーション能力がためされると思う。
片方、もしくは両方にパートナーがいた場合、本人たちが完全に友人関係だとおもっていてもパートナーがどう思うか、という問題もある。パートナーが納得していても「〇〇さん喫茶店で男性とあっていたみたいですよ」みたいなことを近所の人なんかに噂されたりすると大変めんどくさい、という問題もある。
増田の人も相手の女性にめんどくさい対応された時に「めんどくさい!」って思ったと思うんだけど、いろんな人を見てると自分も含めて年取ると昔よりめんどくさいことに対する耐性が落ちていくみたいなんだよね。頑張ってめんどくささに耐えて新しく人間関係作る気力が昔よりみんな減ってくる。
そんなわけで年を取るとそもそも友人が作りにくくなっていくので、仕事や子育てや趣味の場の人間関係、昔からの人間関係で回している人はそれなりに多い。同性の友人に比べて異性の友人はさらに難易度が上がる。年取ってから一対一で異性とあってその人友達関係が作れる人はちょっと珍しい人で、たぶん恋愛や結婚ができる人よりは少ない。(若い時に異性の友達を作れる人、趣味や仕事の場で異性と仲良くやりとりができる人は別に珍しい人ではないと思う。)
18歳で、顔だけはいいバツイチの19歳の男に嫁ぎ、4人の子どもを設けた。夫婦仲は良くなくて、とても良くなかった。
唯一家庭を維持できたのは、そんな3人を見ていた三男のみ。
私は長女の娘で、長女もその夫も等しくクソで、私の家庭にはいつも暴言と暴力があった。でもそれが当たり前の環境だったから、おかしいと思ったこともなかった。
骨がずれるくらい殴られても、包丁で刺されそうになっても、4時間ずっとヒステリックに怒鳴られ続けても、それが当たり前だと思っていた。
ただ私は縁あって外に出て、そのときに姉に「もう二度と戻ってきてはいけないよ。ここは地獄だからね。お前はそこで幸せになりなさい。もうここのことは忘れなさい」と言われ、出てきた。
あれからもう20年近くが経つ。祖母の余命がもう1か月ほどしかないといわれた。
私は祖母に聞きたかった。あなたの人生はなんだったのだろうと。夫に裏切られ、子どもたちは幸せとは言い難く、夫と子供を自殺で亡くし、孫も子どもも寄り付かない。
子どもの頃に泊まりに行くたびに、無関心に背中を向けてテレビを見ていた姿を、しかし姉と連れて行ってもらった喫茶店で食べたチョコバナナパフェを、法事で会ったときに「(30年前に)お前がおいしいといっていた大根の煮物を、今度持たせてあげるからね」と言っていた姿を思い出す。
もう祖母は、孫の顔も名前もわからないと言っていた。だから私の問いに答えることはできない。
だけど祖母に聞きたかった。故郷を捨てた私から、地獄の渦中で生きることしかできなかった祖母に聞きたかった。あなたの90年近い人生は、幸せだったのですかと。
就職でなんとなく日立市に流れ着いて永住することになりそうな身として、淡々と生活の感想を書いてみる。
中核市でも農村でもない、日本中に沢山ある人口20万人弱の地方都市の一生活者の記録です。
3年ほど前に建売4LDKを購入。
働き方改革が始まる数年前までは残業して帰る時間に空いている店も少なく、娯楽が少ない環境で、他に使い道もなかったので、20代で新築する夫婦は同期の中で珍しいほうはなかった。
掛け捨てのアパート代よりマシぐらいの気持ちで35年ローンを組む。
マンション…はJR駅の近くに新築分譲マンションが1棟ぐらい出ていたが、駅の近くに何もない街並みなので、価格ほどの魅力は感じなかった。
でも某H社の関係で転勤族や単身赴任の人も多いので、マンションは主にそういう方に需要があるのだと思う。
客間が在宅勤務の仕事部屋になり、将来の子ども部屋は物置部屋になっている。
もともと私は物を増やす性質で、夫は物持ちが良くあまりものを増やさないので、ほとんど私の荷物で占領しているのはいちおう申し訳なく思っている。
アパート暮らしのときは電子書籍一択だったのが、紙の本を買えるようになって嬉しい(ほとんど漫画だが)
徒歩5分圏内には、コンビニと24時間営業のチェーン系飲食店が1件。
決して充実はしていないが、孤独を感じるほど何もないわけではないのが良いなあと思っている。
10分歩くと砂浜。
生まれ育ったところは海まで2~3時間の盆地だったので、移住したての頃はどこまでも続く水平線に結構感動した。
今ではすっかり見慣れてしまい、インドア人間なので夏でもいちいち海に行ったりはしないが、それでも晴れの日は通勤中に海が見えるとちょっと爽快な気持ちになる。
オーシャンビューな感じのカフェにもたまに行く。
国道沿いにはスーパーとかホームセンターとかニトリとかチェーン系のファミレスが一通り揃っているので、日常的な買い出しはそこに車で行く。
たしかに車がないとかなり不便。
うちは夫婦ともバス通勤なので、車は1台で充分なんだけど、うちも含めて周辺の物件には3~4台の駐車スペースが確保されている。
私は元々かなり運転に苦手意識があったのだけれど、前職を辞めて1年ほど在宅パート生活をしていた期間があり、時間に余裕があって必要にも迫られていたので、生活に困らない程度には運転できるようになった。
あと、夜でも気兼ねなく出かけられるのは、特に女性にとってはかなり大きなメリットなんじゃないかと思っている。
市内に娯楽施設らしいものはないが、最近話題の公立動物園はなかなか立派なものがあり、子どもが出来たら連れて行ってあげたいと思う。
今にも逃げだしそうなゆるい囲いのカピバラと近距離で触れ合えるのと、珍しいヘビとトカゲがいっぱいいる。
週末何してるかというと、夫はゲームかラズパイ開発か資格の勉強してるし、私はネットか漫画か知り合いのサイト開発などしていて、自宅を謳歌している。
たまには30分ほど海沿いを運転して隣の市のショッピングモール(withシネコン)に行く。
あと、土曜の夜は隔週で、やっぱり30分ほど運転して絵画教室に通っている。
先生が昼は喫茶店のマスターをしている気軽な教室で、デッサンも楽しいが、半分くらいは先生と高校生たちの明るい雑談を聞きに行っている気分。
数年前、インドア人間のくせに、思い立ってSUP(スタンドアップ・パドルボード)に行ったことがあった。
独身時代に住んでいたアパートの近くに、体験プランをやっているショップがあったのだ
ちょうど今くらいの季節で、めちゃくちゃ寒かった。
そのときは海じゃなく流れが穏やかな川で、インストラクターに促されてボードの上に仰向けに寝そべってみると、川の上に寝ている感じが心地よかった。
川で獲れた(?)という鮭のイクラ載せ放題の昼食と、1日SUP体験合わせて5千円。
かなり満足度の高い体験だったが、当時は趣味に投入する色々な(主に精神的な)リソースが足りていなくて、続けるには至らなかった。
でもまあ、その気になればそういうウォータースポーツができる環境もあるし、釣り好きな人には最高の環境だと思われる。
車に乗れない人や学生は遊ぶところがなくて寂しさを感じるかもしれない。
私はこの町で青春を過ごしておらず、余計なお世話ではあるのだが、そのあたりの寂寥感は日立市出身の人気ラノベ作家ヤマグチノボル氏(ゼロの使い魔で有名)の著作からも伺えた。
若くして亡くなった氏の作品には衰退しつつある故郷への愛が込められていて、よそ者の私が後から読んでも、何というか非常にしんみりしてしまうものであった。
これも隣のひたちなか市だけど、邦楽好きとしてROCK IN JAPANに気軽に行けるのは最高。
ネモフィラとコキアも良いのだけど、最近は人気で人が多すぎてあまり行っていない。
某H社様のおかげで市内の同業種求人はいつも需要が供給を上回っている印象。
全部歩いても45分くらいなので、気が向いたら音楽を聴きながら歩いて帰る。
バスは、2005年に廃線になった日立電鉄の線路跡をバス専用道路にしたBRTというものが開通して、かなり便利になった。渋滞に巻き込まれないバスは良いものだ。
(ローカル線好きとしては、電鉄に残ってて欲しかった気もするが)
BRTは自動運転の試験運行も始まったりしていて、ちょっとワクワクしている。
雇用がある町は強いなと思う。私は地元がかなり好きだけど、就きたい仕事の枠が無くて地元を出たので。
正直最初に越してきた頃は、工業都市特有の無機質な景観と沿岸部らしい雨風の強さに冷たい印象も受けたのだけど、ここは働くための町なんだと思う。おかげで図書館とか病院とかも新しくて綺麗。
子どもの興味と合致したら将来は茨城大か茨城高専か筑波大に行ってくれたら経済的には嬉しいかな、ぐらいには思っている。
東京に出たとしても、週末気軽に行き来できる距離なのは良い。特急で片道1時間半、高速バスで片道2時間半。
喫茶店とか、本屋でそういう話をしてたらマジでやめろ恥ずかしくないのか、って思うけれど、SNSだとそうは思わない
その発言を見るのって、見る側が見にいった時だけでしょ?
ジメッとする盆過ぎの暑さの頃、そう学生は夏休みの真っ只中だった。
クーラーの効いた個室に入って、仕事中だからこそぐったりする開放感。
しばらくすると電話が鳴り続けるので取ると、フロントからの取次だった。
こんにちはー。何歳ですかー。若いですねー。何歳だと思うー?何してるのー?
違った。「いま私たち、池袋の西口にいるんですけど暇してて。高校生」。
分かった。冷たい飲み物おごってあげるから、ロッテリアで待ち合わせようよ。
「外出します」とフロントに言い、汗がじわりとサンシャイン通りのロッテリアに歩く。
よく周りを見たら、夏休み中の小中高大学生でいっぱいだった。映画を見るのか?見たのか?
いま思えば携帯電話も無しによく待ち合わせできたな。この後PHSを買うことにした。
スーツ姿で22歳で、ロッテリアの前で僕はキョロキョロしている。「すみません、電話の人ですか?」
女子高生二人組は、今年高校入学で、まだ垢抜けない15歳だった。服装も一昔前の中学生みたいだった。
顔も可愛くない寄りの普通だった。
ロッテリアのセットメニューを注文して、冷房が半分効くテラス席に座った。
歳は22歳と15歳と16歳だ。何してるんですか。会社が嫌で嫌で、
テレクラは涼しくて個室で寝れてテレビも漫画もあるからなんだ。
昔の外回りの営業と言えば、パチンコか喫茶店か映画館だろうか。
なんでテレクラに電話してきたの?暇だったし、興味あったし。ねえ。
二人だし昼間だし、怖かったら電話切っちゃえばいいし。そうそう。
いままで何してたの?さっき待ち合わせて、どうしようっかって。埼玉からなんだ。
「これから三人で、涼しいラブホに行かない?コンビニでお菓子買って」
えーえー。ラブホって昼間やってるんですか?昼間は逆に安いんだ。
どこにあるんです?池袋は北口にいっぱいあるんだ。ここから歩いて10分くらい。
行って何するんですか?何もしません。大きなベッドで寝られる。
私は良いけど。エッチなことしないですよね?これを機会に見学見学!
ちなみに僕は、女の子の私でも本気を出したらこいつに喧嘩で勝てる、
歩いてもいいけど、夏の暑さのせいかしら、タクシーで陸橋渡って北口へ。
コンビニの前で降りて、適当にお菓子や飲み物やビールも買った、僕はアルコールは飲まないけど。
新宿のラブホだと、もっと大きくてディズニーランドの建物、ではないけど、まあいいか。
どの部屋がいい?うーん、取り敢えずどれでもいいかな、まずは。
普通の見た目広めの部屋にした。
部屋に入りドアを閉める三人。家族旅行で旅館の部屋に入った時と同じ気持ちだ。
ベッドに飛び乗る。あちこち見る。ボタンを押す。照明をいじる。
浴室を見に行く。テレビをつける。案内板読む読む。エッチなチャンネルにする。
ここはラブホテルでエッチなことする場所だし、エッチなビデオを見てもおかしくないと思います。
なるほど。。今日だけね今日だけね。家で見たことある?無いー。
ビデオ、みんながいつも居る部屋にしかないし。お父さんも見てないと思う。
夜中でもなんかテレビついてたら分かるし。私とお母さんとおばあちゃんが買い物行ってるときとか?
私は中学校の時の友だちのお兄ちゃんのを、友達んちで少し見たことある。
モザイクで見えないよねー。見えない見えない。
僕はそんなお喋りをしてエロビデオを見てる片方の女の子の見えそうで見える白いパンツをじっと見てた。
女の子の視線はテレビのエロビデオ。僕の視線は女の子のスカートの中。
女の子が立膝を崩すのと「モザイクで見えない」と言うのが一緒だった。
「何が?」「おちんちん」「あ、え、」「おちんちんって言わない?英語でぺにす?」
「保健のテストあったじゃん。生理とか子宮とか妊娠はいいけど、
名前とか漢字で書くのやだったなー」「いんけいとかしゃせいとかぼっきとか」
ベッドの上の女の子に普通に近づいで、手前の女の子のスカートの中のパンツの股間に触ってみた。
隣の女の子も気付かないくらい反応はしなくて、後ろにあった枕を取って自分の腿の上に乗せて、押さえつけた。
だからそのまま指をパンツの中に入れたら、ぬるぬるだった。もしかして生理だったのかな、ナプキン無かった。
ここまで書いて疲れた。
女の子のパンツ脱がして二人でよく観察して、指でいじりながら、
上も脱いで脱いでと素っ裸にして、どさくさに胸を揉み揉み。
素っ裸になってエロいことも見られた女の子はもう怖いもの無し、
友だちの女の子に服脱いで。私は嫌だ恥ずかしい。恥ずかしくない、一緒にお風呂に入れる。
胸が小さいからやだ、毛も濃いから恥ずかしい。私もう全部見たじゃん。
男の僕の存在はとくにどうでもいいみたいで、
脱がせましょう!と二人で女の子の服を脱がせた。
パンツは僕が下ろした。女の子の股間に指を当てて、割れ目を開いて、
なんか透明ななんか出てて、ぬるぬるですよ。と、しれっとすごいことをやると、
濡れるの同んなじ、おなにーの時と。指で触ってないのに濡れた。
二人はお風呂に小一時間入って、「おちんちん見たい」って言うけど、
断る理由も無いから見せて触られて握られて、無理無理絶対入らない。
もう女の子の恥ずかしげでない最初に手を出した方の女の子の股間を手でぐいぐいして、
唇にキスしちゃおう、と思ったけど思いとどめて、もう片方の女の子の警戒心無い素っ裸の、
太ももに射精して、うわあったかい、精液白い。プールの臭い。はふぅっ。
手まんしてる女の子、裸で抱きついてくる。
飽きた
みんなは一人のために!
一人はみんなのために!って
そしていつも心に冒険を!って
ところでさ、
よくたまそんな書き込み見るけど、
今までこの片時も離さずそんな人間かどうかテスト私はやったことないんだけど、
そのソテツに混じって、
あれは超難問だわ!
と言うか本当に人間かどうかテストログインの時にあるのって都市伝説じゃないかしら?って思うのよね。
では見せてもらおうか!
本当の本当のカルビ丼ってなんなのかしら?ってもはや哲学的な領域にならないかしら。
一体全体どこが違うのかしら?って
その実力を試してみたくなるわ。
だってさ、
現地でローカライズされるじゃない。
日本で本場のカリフォルニア巻きだって見たことないし売ってるところだって見たことないわ。
デパ地下のグルメコーナーにも案外ありそうだけど全然無いのよ。
それこそログイン人間コンテストと同じぐらい都市伝説じゃないのかしら?って思うの。
スーパーで日本で売ってる半額割引大セールおつとめ品299円のパックと同じぐらい美味しそうに見えちゃうマジックよ。
あれがまた1パック全部カリフォルニアロール巻きのお寿司の詰め合わせだったら話しは別よ。
その逆のシリーズも日本にない日本食シリーズで開幕できそうだし。
だからたまに原点に戻って
オリジナルの良さを知ってこそのアレンジじゃないかしら?って思うのよ。
いきなり応用!って
それが基本になって、
逆にもともとの基本を初めて見たとき
応用すぎて困るときがきっとくるのよ。
でもまたそうなると、
基本とは?って原点的なところに、
指標を示してくれるような
慎重に扱わなければならく決して傾けてはいけない、
添えてある一見箸を洗うチープなスープでこそ実力をはかれって言うぐらいだから、
もう早いとこ猛烈にランチをしてくる。
だって機嫌が良い方がいいじゃない。
猫驀地ならぬ
私驀地だわ!
うふふ。
最近はあれよね、
レタスサンドかハムタマゴサンドかタマゴサンドかのローテーションね。
まるで三輪車!
皮ごと使えるタイプのレモンを買って輪切りにしてちゃんとボトルに入れてちょっと冷やしめの温度で
朝には飲み頃よ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
なんかお尻かゆいなと思ってちょっと掻いたら指に何か付いた。見るまでもなかった。嗅ぐまでもなかったが念のため嗅いだ。
午前中は取引先と未回収の売掛金の支払いを巡って喫茶店でバチバチやり合っていた。
会社にもうお金ないからどれだけ騒いでも脅しても払えないんだって。その割にいい車乗ってるしまた会社設立するらしいんだけどね。そのお金を1円でも寄越してくださいよ。
悲しいけど法律で殴り合うだけの腕もお金もないのでもうこれは泣き寝入りかもしれないなあと思いつつ、とりあえずお腹満たすかと昼ごはん食べて冒頭に戻る。朝出発する直前に出てきた子ですね。指を洗ったがまだなんとなく臭うな。
慣れない調べ事や書類作成に奔走し、必死すぎるギリギリメンタルで接してたから家族にも迷惑をかけて、色々頑張ったけど一矢も報えなかったなとしょんぼりしてたけど、もしかしたら一臭は報いてたかもしれないなと思うとちょっとだけ、ほんのちょっとだけいい気味になった。
当方20代後半、都下(いわゆる23区外の多摩)に生まれ、22歳で都内の大学の文系学部を卒業し、ストレートに大手メーカーに総合職として就職。配属は社内情シス。
転勤先は東海道新幹線のとある駅まで数kmの田舎の工場で、工場情シスということで仕事の内容自体は東京の本社とあまり変わらない。サポートデスク的なあまり難しくない仕事だ。
が、転勤して半年ほどたって耐えられなくなってきた。本当につらいし、地方転勤を心の底から舐めていた。東京で生活できることのすばらしさを舐めていた。住環境というものを過小評価していた。
就活してる時に戻れるなら、地方転勤があり得るメーカーなんて絶対に受けない。なまじ偏差値高い大学だったため、同期も大手企業にバンバン内定を決めていることが焦りにつながり、俺もブランド重視で大手メーカーを選んでしまったが激しく後悔している。面接で「地方転勤もあるかもしれないけど、いい?」と聞かれ、都会の生活に飽きが来ていたと思っていた自分は「地方の生活も経験してみたい、東京以外の生活も面白そうだ」というぼんやりした理由で承諾してしまった。今は転職エージェントを使って全力で転職活動している。
俺と同じように実家も東京でずっと東京で生活していて地方の生活も悪くないかもと考えている都内の大学生は多いと思う。そいつらに全力で警告したい。
・東京の生活に飽きたから地方で生活してみたい、は絶対後悔する
・そもそも地方転勤がある会社を受けるな。もし受けるなら40歳平均年収が1000万円以上のところだけにしておけ。平均年収600万円程度の会社で地方転勤させられたら都内勤務で平均年収600万円の会社に絶対勝てないし自分の愚かさを心の底から呪う羽目になる。
・地方転勤は年収換算マイナス300~500万円くらいだと覚えておけ。つまり年収300万円上乗せするから地方に転勤してくれない?と言われて初めてフェアな交渉になるという意味だ。給料据え置きで地方転勤を打診されたら速攻で転職活動しろ。
これを読んでいる都内在住の人は、新幹線に乗って遠出したことが一度はあると思う。東京から新幹線に乗車し、富士山を眺めつつ、新大阪や名古屋に到着し、旅行を楽しむ。ありふれた旅行の一つだ。
都会から都会を結ぶ線路の途中でふと窓の外を見ることもあると思う。眠くなるような代り映えのない田んぼだらけの景色。
想像できるだろうか、新幹線の窓辺から見える田舎の工場で働く人の生活を。俺はまともに想像もしていなかったのに安易に転勤を受け入れてしまった。
地方転勤の想像と現実のギャップやありがちな勘違いを、東京育ちの若者目線でつらつら書き残しておく。
23区外に住んでいると、しばしば「ここは田舎だから」と自虐を宣う人を良く見かける。
こんなのは嘘だ。本当の田舎を知らないから言える虚言そのものだ。
駅までせいぜいバスや自転車、徒歩で心理的負担なく気軽に出かけられて、駅周りの喫茶店やカラオケ、ネカフェ、松屋吉野家なんでもありの活気がある場所にすぐ行ける。
この「心理的負担なく気軽に」行けるかどうかの違いは東京の郊外と、本当の地方の田舎じゃ天と地との差がある。
地方に住んでいると、駅までちょっと出かける、というのは遠足みたいな準備と気合が必要になってくる。
明日は何時に家出て駅まで行って、そこから~時の電車に乗ってでかける、といったようにだ。
東京に住んでいたら、休日に時間を気にする必要なんて全くと言っていいほどない。終電逃しても最悪タクシーがすぐに拾えるし、どんな時間にバス停や駅につこうがすぐに乗車できるからだ。
東京の場合は、財布とケータイだけもって適当にぶらぶら歩きつつ思いのままに東京タワー行ったり新宿で買い物したり美味しいラーメン屋とか書店で思う存分休日を楽しめる。
コンビニも近いからちょっとビール飲みたいなと思ったら思ってすぐに家出て買いに行ける。
それが田舎では全くできない。
田舎に住んでいると、外出するのにかなり気合が必要になる。というか、外出する目的が必要になる。東京に住んでいる時には外に出る理由なんて一切必要なかった。外に行きたいから行く。これだけで十分だった。
だが田舎は違う。目的も無しに玄関出て外に出たところで、何も起こらないのだ。田んぼだらけの道をふらふら歩いてコンビニまで30分かけて行って弁当や飲み物買って帰ってくるくらいだ。田んぼの田園風景は引っ越し初日で飽きる。何にも面白いものなんてない。だって変化がないんだもの。当たり前。
俺は思いっきりこの勘違いにハマっていた。もともと友達もあまりいないし、ネットサーフィンしたりPCでネトゲやったり読書したりとインドアな趣味が多かったので、東京に住もうが田舎に住もうが大した変わりは無いと思っていた。むしろ田舎の方が光回線の帯域を占有できるからネットのスピードに関しては東京より快適だった。
だけど、田舎の周りが田んぼだらけのアパートの一室でゲームやったりネットサーフィンやっていると、孤独感が本当に半端ない。東京に居たときとレベルが違う。東京の外で生活したことがなかった俺は、これが一番堪えた。逆に、東京にただ住んでいるだけで孤独感がほとんど無かったというのは新しい発見だった。実家が近いとか、地元の友人にすぐ会えるからとかじゃなくて、人が多いところにただ住んでいるというだけでこれほどまで孤独を感じないものなのかと再発見した。日中に玄関から出れば東京だと絶対人間に出くわす。ママチャリで買い物してる奥さん、学校帰りの子供、スーツ着たサラリーマン、作業服した作業者、とにかく人間がいる。
対して田舎は本当に人がいない。外に出ても出なくても人がいない。部屋の中で心臓痛くなって倒れても助けは呼べないだろう。俺はアパート住まいだが、隣の部屋は空き室で、数室離れたところによくわからん人が住んでるという感じだ。俺がゲーム中にくらっと来て倒れても誰も気にかけちゃくれないだろう。地方の田舎の、新幹線から見える工場に勤めてる若造が、周りが田んぼのアパートの一室で倒れて苦しんでるなんて、誰にとってもどうでもいいことに違いない。そういう絶望的な孤独を、田舎では強烈に実感することができる。それはインターネットやアマゾンでは全く埋め合わせることができない。
アマゾンは確かに配達される。だけど物欲自体が無くなるわけよ、田舎に住んでると。だって自慢したい相手がいないんだもの。いくら高価なグラボを買ってTwitterで自慢しようにも、自分が惨めな田舎のアパートぐらしってだけで気持ちが強烈に萎える。
で、これ。
住めば都って言うじゃん。どんな田舎でも何年か暮らしてみたらそこが故郷になるって話。あれは絶対嘘。まあ実家がもともと他の田舎にあって田舎→田舎の転勤ならそうなるかもしれない。
だけど東京育ちの若者が田舎に何年住んだって絶対都になんかならない。人がほどんどいない無人の都なんてあるか?何年たっても田舎は田舎だし、人は増えない。当然都にふさわしい店や活気、おしゃれな建築物なんて絶対に作られない。都なんかになるわけがない。
だから、上昇志向のある人間は必然的により良い環境へのクラスチェンジというか移住が目標になる。田舎の工場で工場長や支社長になったって、多分東京で平社員やってる方が圧倒的にQOL高いよ。
田舎のトップになるより、東京の底辺の方が100万倍マシ。なぜなら優秀な人はみんな都会を目指すわけで、田舎で昇進を重ねて偉くなろうが、部下になる奴は救いの無い田舎者とか上昇志向の無い現状維持の変化を嫌う奴らだけ。優秀な奴は結局東京みたいな都会を目指すわけよ。
だから、田舎で昇進して成り上がるなんて人生の目標になるわけがない。偉くなれば東京に上がれるかも、って希望だけが向上心の持っていき場になる。
偉くなって、東京に行くんだ、ってなるくらいなら、最初から東京の会社でキャリア積んだ方が100,000,000倍マシ。地方転勤は本当に虚無。
お盆休みに実家に一週間ばかり帰ったが、田舎暮らしには何の意味もないことをさらに実感することになる。
UberEatsとか、なんだよこの便利なサービスは。外出しなくてもレストランのメニュー注文できて自宅で食えるとか神かよ。
図書館はそこら中にあるし、本屋もまだまだたくさんある。ふらっと気軽に家から出て本屋で立ち読みしたり気に入った本を買って喫茶店で3時間くらいコーヒー飲みながら読書したりとか、最高かよ!!
映画館も多くて、プロスポーツ観戦もちょっと気が向いたらすぐに行ける。ラーメン屋も地方と違ってめちゃくちゃレベルが高い。
「生き物のようにぐにゃぐにゃ生きて動いている街」のど真ん中に自分がいるということがどれだけ楽しく活気に満ち溢れている状態なのかとても強く実感する。
東京戻ってきて思ったのは、東京って行こうと思えばすぐに、海、山、湖、川、都心、港、渓谷、果ては島にすら日帰りで気軽に行けちゃうっていう、人が多くて買い物し放題なだけじゃなくて東京近郊でアウトドアレジャーも超簡単に楽しめちゃう最高の地域だってこと。
箱根や富士五湖、横浜の港、アクアラインで千葉に行ってマザー牧場とか海岸線ドライブとか、狭山とか五日市の秋川、高尾山も超気軽に行ける。調布飛行場行けば日帰りで伊豆大島にすら行ける。井の頭公園、代々木公園、新宿御苑みたいな緑にあふれたところもさくっと行って帰ってこれる。つまり東京に住んでれば自然も楽しめるし都会も楽しめるし、文化、芸術、スポーツも最高に楽しめる。
東京で不足する要素が本当に見当たらないのだ。
お盆が終わり、誰も待っていない田舎のアパートに戻ると半端ない孤独感が波のように押し寄せてくる。同じ大学の同期で東京勤務の奴は、田舎暮らしの辛さなんかこれっぽっちも知らないんだろうなあ、と思い心底うらやましく感じる。都会のおしゃれな店で貴重な20代を合コンや会社の先輩とかとの飲み会で楽しんでる中、自分は音のしない孤独なアパートの一室でやることはネットサーフィンやネトゲだけ。
大手企業だから20代なのに残業代込みで500万円近くもらえてはいるのだが、ぶっちゃけ20代なんて年収300万円の都会住まいで全然十分だし、早くこの地獄から脱出したくてたまらない。。。
年収600万円での地方生活 = 年収300万円の東京生活だ。
地方転勤命令なんて人権無視の非人道的行為そのものだ。好きなところに住む権利は基本的人権の一つだ。
転勤命令を出すなら、最低でも年収300万円は上乗せしないとフェアじゃない。それを会社側の負担がせいぜい数十万円の引っ越し代でほぼノーリスクで転勤命令出せるなんてありえない。
俺と同じ無知による悲劇はもう起こってほしくないし、何よりノーリスクで転勤命令出そうとするクソ企業を心底呪っているので、転勤ありの会社に新卒が全く集まらないような社会になってほしい。
転勤ありの会社は地元から社員を募集するか、年収300万円以上給料上げて募集しないと人が集められない、そういう社会になってほしいと思ってこのエントリーを書いている。
だっておかしくないか?企業は企業で土地代の安い田舎に工場や事業所を作るわけだから、土地の負担額は数十億円単位でセーブできているわけだ。だったらそのセーブした分を人件費に積みかえることで地域が活性化してお金が地方にも回るのに、都会で人を集めといてそのまま地方にぶん投げる、こんなのありえないだろ。せめて金銭的に地方に行ったら得になるようなインセンティブを出せよと。
どうか、人の人生をなんとも思っていないクソ企業にまともに人が集まらず、人事が苦しんで苦しみ抜いてバッタバッタと倒産しまくりますように。
コメント拝読させていただいております。賛否両論あるようで、共感いただけるかた、いただけないかた様々なようです。いくつか共通する提案や質問があったので回答させていただきます。
■車を買ってはどうか
この質問とても多かったですね。ですが、車を買ってしまうと少なくとも数年は田舎に居住することを自分の中で追認してしまう気がして買っていません。
なので、転勤の引っ越し先も工場から徒歩30分ほどの場所にアパート借りています。なお東京に住んでいる時は親の車を借りたりレンタカー使ったりしていました。免許自体は持っています。
田舎で数か月勤務して東京の実家に戻った時の衝撃があまりにも強く、「これ以上田舎で生活するのは無理だ」と白旗を上げたので車は今後も買う気はありません。
すみません、訂正させてください。一番近い新幹線駅に繋がっている最寄り駅まで数kmですね。
新幹線駅までの距離はちゃんと測っていないですが、20km離れているほどではないので数km~十数kmの間です。
地方の田舎、という言葉が聞く人によってだいぶイメージが違うんだなと実感しています。観光でしか行ったことはありませんが大阪、名古屋、仙台あたりの地方都市に住んでいれば
今回みたいな田舎の絶望は無かったと思います。少なくともそれらの地方都市は東京郊外に匹敵する人の往来や活発さがあると思うので。
新幹線に乗って、田んぼだらけの眠くなる景色にたま~に見える工場、そこに自分が勤めるとしたらどういう生活になるだろう、というのをイメージしていただければと思います。
ずっと東京に住んでいた身としては、首都以外の都市は全て地方都市だという認識でした。
実家が太い方だと思う。
私立4大でて授業料も卒業まで入っていた寮費も仕送りも親もち。
(私が成人してから3台に増えたけど)
今は結婚してとある都会に住んでいる。フルタイムで働いている。
世帯年収は大人二人がまあ多少贅沢しても毎月貯金はできるくらい。
そんな状況なんだけど、
正直人生でお金に困ったことあったか?みたいな認識なんだけど、
「貯金できない」じゃなくて「貯金できる余力があるのに全額消費しちゃう」人ね。
無理に捻出することはないと思う。
一度扶養に入ったけど生活費(食費とか通院代とか)にほぼ丸々消えて
夫に「食わせてもらってる」状態が怖かった。
(夫は無理に働かなくていいよ!って言うタイプだし、
正直それだけでも暮らしていける)
そんなに必死に働かなくても良いのでは?って考え。
まっっっっっったく共感できない。
未成年の頃はいざしらず、社会人になって自分で自由に使えるお金がないって不安にならない?
いやきっと、親からもらったものも夫のお金も自由に使っていいんだろう。
服を買ってもネイルやっても、美容院も喫茶店でも何もかもやっていいんだろうな。
でもそれができない・・・
人が許しても「すねかじり」の自己意識が巨大すぎてできない。
この先の人生で私が社会から不必要とみなされ、働き口がなくなり、ランニングコストに切迫して
自分が価値のない人間だと今より強固に思い込む前に貯金をしなければ。
貯金さえあればそれは私の目に見える実績になる。
貯金さえあれば、何かが起きても多少はなんとかなる。
そう思ってしまう。
いや、違うな。
「働いてる」「貯金できてる」だから私はちゃんと大人になれてる。って認めてほしいんだろな。
誰に認めてほしいのかはわからんけど。