はてなキーワード: 内向的とは
母親は子どものことをよく分かっていて、息子の言い訳から本音を瞬時に見抜き寄り添った一言を発する…みたいなシーンを20代の頃本で読んだ。
母親ってスゲーな、こんなん何で分かるようになるんだと思っていた。しかし自分がその年代となった今、確かによく分かる。
当時、私は人の気持ちが良く理解できないと思っていた。それなのに仕事では信じられないくらいの量の人々に会っていた。特定の界隈ではなく、ノンジャンルだったので本当に色んな人がいた。
気持ちが分からんな、どうしてそんなことをするのか、と悩んでばかりで、良く考え込んでいた。
ずーっと分からないまま過ごし、それが理由ではないがその仕事は退職した。
今は新しい場所で違うことをして過ごしている。
また、色んな新しい人と出会っているのだが、その人がどういう人か手に取るように分かるようになってた。
夕飯何にしようと思っているか言い当てるとかそんなことはムリなのだが…
パターンというのだろうか、今まで大量に築いてきた事例がパターン化されたという感じ。
私は内向的な性格だったので、就職するまでは大勢が苦手で限られた慣れた人としか話してこなかった。
おそらく社交的な人は、色んな人と付き合うのでパターン化が早いのだろう。私はそれが遅れてやってきたのだと思う。
母親は、うーんまぁその本ちょっと古かったから、おそらく専業主婦だったのだと思う、それで子供を観察する時間が父親より長くて、パターン化が進んでいるという事情だと考えられる。
最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分を直視することから逃げてきた。
幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベルの胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しかし祖母は毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。
私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代や地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎の人間としてはかなり)知的好奇心や教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。
祖母は80歳を過ぎるまで苛烈な自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。
物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的な人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい、名前を挙げられた女の子たちに向かい、祖母を止めない母親に向かい、自分にも向かった。
私はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格。容姿も趣味も人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代に一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。
肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。
私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。
土地が二束三文で買える田舎町にある実家は敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室がひとつ、風呂も台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。
母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。
母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分の不手際が契機となり、怒鳴られ人格を否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。
小学校5年からは学校でいじめの標的になった。担任の女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道のいじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択の余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。
家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初は祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校でいじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動がいちばん盛んな頃に短大に進学して、父親が警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。
それから長い年月が過ぎた。
祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。
母は合わない職務で鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い。知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。
この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分を憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。
脳内には14歳の私が世界の万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれた規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。
ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。
私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。
今まで散々パワハラしてきた上司にも愛想良く接することができる。
連続して夜更かししてから出勤しても全然平気だし、食事をとるよりも何か自分の好きなことをしていたいという気持ちが勝る。
10時間寝ても異常なほど眠いし、パワハラ上司を許せずに反抗的な態度をとって周囲の雰囲気を最悪にしてた。そしてとにかく内向的でできる限り人と関わりたくなかった。日々に死にたいと思ってたし仕事も夏のボーナスが来たら辞めようと思っていた。
1番ひどい時は1日数回吐いていたし、目眩がして立てなかったし、身の回り全てが不安で仕方なかった。何か少しでと気になることがあると「死ぬかもしれない」という恐怖に襲われていた。
だが今は人生ハッピー状態なのである。急な変化が怖い。もしかして躁鬱か?
思い当たるとしたら、鬱状態(仮)から躁状態(仮)に切り替わる時期に筋トレを始めたりマッチングアプリを初めて気になる人ができたりしたんだけどそれも関係あるのか?
私が覚えている限りでは2021年2月から2021年10月頃までも同じようなハイな状態になっている。
真面目な話をできる場所が無くて寂しい。
私自身は別に真面目というか単に興味のある事について語り合いたいだけなのど、一般的にはマジメで退屈、拗らせてるとか一蹴されてあまり興味を持たれないような話。
美とはなんぞやとか、美味しいメシを定義できるのかとか、世界平和は果たして実現できるのかとか。
古代ギリシャ人が暇すぎて哲学を始めたように、暇な時にふと考えるような素朴な疑問みたいな事について話し合いたい。
日常生活で周りの人間に真面目な顔してそんな事を言い出したら、雑に流されるかキチガイと思われて終わり。
だからネットとかで気楽にやれたらいいなって思う。私に近い内向的な人も多いはずだし。
しかし色んなサイトはあるけれど、どうにも喧嘩腰な人が多い。5chの哲学板は(5ch自体)過疎らしいし。
一面的な正論や、正論ですらないリリックを並べ立てて正論感を競い合いたい訳ではない。なにか正しい感のある事、雑な一般論風の言葉でそれっぽくまとめてもらいたい訳ではない。
これはどういう事なのか、なぜそうなのか、世の中に出回るこの考えは果たして妥当なものなのか。
事実と規範の混同に、論理の飛躍に気を付けながら、とある疑問に対して「それはなぜ?」を繰り返す、要は哲学がしたいのかもしれない。
そこらの人が思いつく疑問なんて昔から議論されてるだろうし、哲学書を読むのも悪くはない。
でも私は車輪の再発明が無駄だとは一切思わない。書いてある事を読んで、へーそうなんだで終われば必ずしも納得は伴わない。
私はこれまでの人生でニーチェやハイデガーの陰気ながらも前向きな思想に近い価値観を形成してきたけれど、思春期に彼らの著書を読んでも多分何言ってんだコイツとしか感じなかったと思う。
他人と話し合う事で互いに自分では気づかなかった視点を得て、自分一人じゃ足踏みするばかりの疑問を吟味したい。
時に理屈から離れて互いの実感を伴った価値観を交えて、永遠に答えなんか出ないだろう疑問について、それでも誠実に考えを深めたいな。
大阪府警・元巡査長水内貴士被告 西川出身女性殺害事件は、上記記事の読み通りの報道です。前者に当たる「警察の不祥事」を「警察官の身勝手な犯行」として報道しています。
そしてこの報道を見て注目したいことは、「出会い悪」、「浮気悪」の常識を明治以降、長い時間をかけて敷設してきた支配者層の目論みを達成していると言ってよい事象です。
たかだか浮気することが、社会的制裁になり、家庭崩壊になることが当たり前であるという、洗脳を大衆に対して敷設した、世の中にしてしまったのです。(これは完成しきっていて現代では次の段階に入っています。後述)
それら敷設された常識の逸脱を恐れ、「殺人」をする人まで出てくる時代なのです。
皆が人類の生物としての根源を忘れ、一斉に支配者層にとって都合のよい思考を取ることで、皆で同じ方向を向いて自爆している状態です。
この事件が本当の事件かわかりませんが、支配者は、人民支配する為に、このような世の中を目論み、具現化されたような事件です。 これが自然発生的に起きたのなら、支配者層は安泰でしょう。
大衆を従順にさせ、自分の為に動かせる為の道具(メディア)なのです。
そもそも、「浮気=悪」という概念を持つことによって、いったい誰が得するのでしょう?
よく、テレビでは男性の浮気に困っている女性が出てきたり、「浮気=最低の男」という常識の敷設が盛んにされています。昨日もロンドンハーツでナンパに対して、ひたすら無視するのが普通で、下画像のような対応をしたら、最低の女のような番組編成がされていました。2015年09月29日(Tue)21時12分51秒
ナンパに対して、ガン無視して、ひたすら出会いを絶つのを「良し」として、相手に思いやりの気持ちを持って接し、相手を悪い人であると頭から決め付けずに、まずは受け入れる上記画像の芸人のような人を「悪」とする常識の敷設したいようですが、この方の方が前者より人間的であり、魅力がある人物であるのは言うまでもありません。
・<靖国神社>「みたままつり」で露店ダメ ナンパ横行で ~7月13~16日、靖国神社又はその周辺で見られたらまずいことが行われるのですか?
実はナンパ悪の概念は、「高槻市中学生殺害容疑者の山田浩二」でも出てきました。
・<高槻中1遺体遺棄事件>悲鳴や大声確認されず、言葉巧みに誘う ~容疑者を「内向的なロリコン」から「ナンパ師」と言う設定に変えるようです。
人間として魅力がある方を「悪」とする常識の敷設が盛んにされている「良心いじめ」のようなテレビ番組が、多々見受けられます。
つまり、報道のみならず、バラエティー番組も、常識の敷設をするために利用されているのです。
タレントや芸人は気付かずに、社会の空気を読み振舞うことによって利用されています。
しかし、そもそも「結婚 = 一夫一婦制」(以下、結婚)という制度があって初めて「浮気」という概念が出てくるわけですから、「結婚」とは何かを考えなくてはいけません。
「結婚」とは支配者が、大衆のみならず、手先(為政者など)を縛り付け、コントロールする制度に他なりません。
そしてその始まりは、明治31年、一夫一婦制が民法で制定されてからです。
つまり、一夫一婦制は、1898年から現在までたった、117年の歴史しかありません。
一夫一婦制とは、NWOの為、支配者層が大衆支配しやすいように決めたことにすぎません。それは聖書が巧みに大衆を支配する為に機能しているという事実が、明治より遥か前の時代から欧州で行われています。
・監視社会を敷設しようとしている支配者層の手先と、皆様へ ~我々の幸福と関係のない「常識の書き換え」を認識しなければいけない
「結婚」しようがしまいが、一緒にいる人はいるし、いない人はいないわけで、自由で良いはずです。
一昔前は、大衆を縛るために「結婚していないとおかしい」という世の中にされていましたが、今はその段階は終わりNWOの最終段階の「貧窮化」に入りましたので、今後は「結婚悪」が煽られ、同性愛(少子推進)、独身賛美(個人所得の減少)を重宝がる世の中にされるでしょう。
浮気の話に戻りますと、この手の話をすると、私が男であることから、「お前が浮気したいから正当化したいだけだろ」という人が必ずいますが、浮気に執着することで損をすることは男女関係ありません。
それを考慮した上で、話を分かりやすくするために、「浮気は、男がするもの」という常識に乗っかって、話を進めますと、
男性の浮気が女性を苦しめているのではなく「浮気=悪」という「概・念・が・」女性を苦しめていることに気付けないでしょうか?
「浮気=有無いわず悪」という概念とは、誰も得しない共倒れの概念です。
生まれた時から、「浮気=悪いこと」であるという常識の敷設がされているので、それはいけない事だと、みんながお・も・わ・さ・れ・て・い・る・だけです。
「虫=気持ち悪い」という「反射」と同じことです。
これも団結を恐れ、疑心暗鬼を作り出したい「支配者層都合の常識の書き換え」なのです。
この「浮気」と言う概念も、児童ポルノと同じくらい曖昧な概念であり、そこに執着することは、際限なく非建設的な行為であることに気付く人が増えれば、もっと自分の人生・時間を有意義に使えることでしょう。
他者にどうのこうの言う・思う時間を、自分のために使いましょう。
それが今年の夏に言った
「己の幸福追求(高次私欲)」ただそれだけでいいのです。
ということです。 ↓
・<2015年夏>さゆふらっとまうんど支援者の皆様へ 残暑見舞い申し上げます。 ~ 一般大衆傀儡の「勲章」より
そして、浮気と言う概念に執着することは、「他力本願」に他なりません。 ↓
あなたは神を目指すべきです。
これは、己の幸福追求と同じことです。
ここ最近、学校でのいじめを警察に訴えるべきだと言う話がよく話題になっているように思う。
勿論それには同意する。そもそも教師の負担が大きい中で、明らかな暴力行為、法に反する行為があればそれは警察に任せるべきだろう。今まで警察に任せていたのがおかしい。
とはいえ、こうした報道、いじめに関する話題が持ち上がる度に、かつて自分が学生時代に遭遇したものはいじめだったのだろうか?と自信をなくしてしまう。
暴力などがあった訳ではない。ただ、無視されていた。いないものとして扱われていたというよりは、何をしていてもその様子を嘲笑して良いものとして扱われていた。
かつての自分は野球部に所属していた。同学年のメンバーは偶数人おり、その内自分も含めた4人のメンバーでキャッチボールやペアでのストレッチなどを行っていた。ある日は増田とAとのペア、BとCとのペアでキャッチボールを行い、その翌日は増田とB、AとCとでキャッチボールを行っていた、という風に。
それがある日突然、AとBとCが3人でキャッチボールやストレッチを始めるようになった。当然のように自分は狼狽えた。AもBもCも、人間関係が出来上がった中で今更他のペアに仲間に入れてくれとも頼めない内向的な増田が一人で狼狽えている様子を見てクスクスと笑っていた。他の同学年のメンバーも、戸惑いながらもキャッチボールの仲間に入れてくれるということはしなかった。突然仲たがいを始めたグループの面倒を彼らが見る必要なんてないから当然だが、自分にとっては全員が敵に見えた。当然のように、何もしていない自分は先輩に怒られた。何もやらないなんてやる気あるのか、とっととキャッチボール始めろ、と。そこでようやくA、B、Cに小さな声で「すみません、キャッチボールの相手をしてください」と言うことが出来た。三人はじゃんけんをして、当然のように負けた人間が自分の相手となった。負けたAに対してBとCが「罰ゲームじゃんwww」とか「あんな奴の相手させて悪いねwww」と、自分に聞こえるような声で言っていて、何も信じられなくなった。三人とも、昨日までは普通にキャッチボールをし、一緒にストレッチをし、一緒に授業のことや漫画のことなど、他愛のない話をしていたので、こんなに自分のことを嫌っていると思ってもみなかったのだ。
これが中学2年になってすぐ、ちょうど今ぐらいの時期の話だ。部活動というのはだいたい3年の夏の引退試合まであるから、あと1年半はこうした状況が続くことは間違いなかった。けれど自分には部活動を辞めるという選択肢はなかった。1つには小学生から野球をやっていて、何だかんだ愛着があったこと。もう1つは、辞めた後の選択肢がないこと。自分がいた中学校は部活動には必ず所属する必要があったが、今更他の運動部に行ったところで、キャッチボールの相手も頼めない自分が他の運動部で新たな関係を築けるとも思えなかった。文化系の部活だって同様だ。そもそも、田舎の小さな学校の中で部活動を途中で変える人間なんていなかった。前例のないことをするのは自分にとって非常に恐ろしかった。今現在でさえ部活のメンバーから浮いている自分が、更に浮いてしまう気がした。
毎日頭を下げることでしかキャッチボールやストレッチをさせてもらえなかった。少しでもミスをすれば、ストライクを見逃せば、ボテボテの球しか打てなければ、走塁をミスすれば、すぐ笑いものにされた。ABCがそういう扱いをしているという空気はどんどん部活内に伝播して、同学年も、先輩も、挙句の果てには後輩にも笑われるようになった。自分が空振り三振した時、空振りをする俺の打ち方を誇張する物まねが部内で流行した。「オイあれやってみろよwww」と何度も言われた。そういう状況だから、例えばチームに貢献するようなことがあっても、褒められることなんてなかった。自分がヒットを打っても、後でベンチに戻った自分とハイタッチしてくれる人は誰もいなかった。透明人間みたいに無視されたかと思えば、突然あっこんなところに変な奴がいるぞwwwwと笑いものにされて、全部が苦痛だった。ちなみに顧問は試合の前後以外全く練習に来ない人で、このようなことが起きていたことも知らなかっただろう。
このような思春期を1年半過ごした。もちろん1年半の部活生活だけで済まず、部活以外のところでも無視や嘲笑されることはあった。けれど部活以外の場所には信頼できる、突然自分のことを笑いものにしたり無視を始めたりしない友人がいたので、それだけが救いだった。これがきっかけで高校を選ぶ時には、なるべく同じ学校の人間が行かない高校を選んで進学した。それでも自己評価は下がったままだし、新しい友人を作る勇気も湧かず、高校も大学も就活も、あまりうまくいかずに過ごした。
全部が全部彼らのせいだとは思わない。元々かなり内向的な性格なので、いずれはどこかで何かしらの引っかかりを感じていただろう。それでも、あの無視や嘲笑が、いい歳になった大人になっても忘れられない。人を軽い気持ちでからかうような人間がこういうものを読んでも、無視される側に原因があるだろうとしか思わないだろうが、かつて自分を無視したABCの名前を検索すると会社の役職が出てきてしまって衝動的にこれを書いた。お前たちは同窓会にも来ない俺のことなんてとっくに忘れているだろうが、俺は忘れていない。お前たちの名前も、顔も、俺にしたことも全部。
和製英語「ジャパニーズ・トラディショナル・カンパニー」の略。自分の観測範囲内でなんかデカいけどイケてない感じがする日本企業を指す。富士通とかのこと。任天堂は入らない。ソニーやトヨタは入ったり入らなかったりする。
「ブロックチェーンとかに関わる新しそうなITっぽい技術」の総称。メタバースは一応入るけどAIは一応違うらしい。あと公開鍵暗号もWeb3らしい。
性格診断。多くの心理学者や精神医学者から「星占いの亜種」と批判されつつ何故か世に蔓延る、心理学の本を読んだ作家とその娘(法学部)によって作られた不思議なテスト。
「バカ」「アホ」をカッコよく言いたいときに使う。最初は違った意味だったみたいだけどそんな細かいことを気にして何の意味があるのか。
ハイリー・センシティブ・パーソンの略。MBTIとは比較できない程度にはマトモに研究されているが現状マトモに体系化された概念ではないので「神経質です」「内向的です」の言い換えとして濫用されがち。
なんかほかにもいっぱいあったはずなのに思い出せないからもうこれでいいや。
みんなも似たような言葉があったらおしえてね。
炎上のおかげで人気配信者となった、元プロゲーマーのたぬかな。
普通にトークが面白くてTwitchの配信を見てるんだが、そこで女のプロゲーマーが少ない理由を女ゲーマーの立場から語っていた。
女は家の外で趣味を見つけられる外交的なタイプが多いけど、内向的な陰キャ男はゲームで居場所を見つけるしかない。
大半の女にとってゲームはコミュニケーションのツールでしかないから、たとえゲームは好きでも、競争が好きな女は少ない。
女は妊娠した時に自分の身を守らなきゃいけないから、争いや戦いを避ける本能がある。
https://mobile.twitter.com/Shanice79540635/status/1615913667471757313
この『「陽キャは他者の心が分からないのでは?」という話があって、イエール大学で1100人の男女に「この人間はこの状況で次にどういう行動をとるか?」を予測させたところ、陰キャ(内向的/孤独/自尊心低い)ほど他者の心理や行動を正確に読み取れ、陽キャほど駄目な傾向が判明した』
ってツイートって全く陰キャageでも陽キャsageでも何でもなく
寧ろ「いちいち他人の顔色を窺って、人から嫌われる事に怯えて行動出来ない……だから陰キャは駄目なんだよな」という自虐だと思うんだけど
ネットばっか見てる人なら少なからず「自分って発ッ達なンじゃねェーの?」と一度は思った事があるのではないかと思う。
自分も大分前からそうだった。あまりにお粗末な集中力とダラけようはなんらかの障害なのか、あるいはシンプルに怠け者なのか。障害ならなんらかの対応が必要だし、怠惰なら特別な薬などないから根性でどうにかするしかないと、今思えばゼロ百的な悩みを抱えていた。
そこの所のはっきりとした線引きをメンクリで与えて欲しかったのだが、初診で受け付けてもらえるのか分からんし、どこもgoogleレビューは最悪だし、何かと理由をつけて病院には行かずにいた。発達障害の存在と、それがどうやら身近なものであるという事を知らなければ余計な迷いは生まれなかったものを……
大学で色々あって(平たく言えば留年した)相談室に行く運びとなり、その流れでキチガイ判定試験を受けた。診断狙いで敢えて「かまして」やろうかとも思ったが、模試でカンニングするようなものだし本質的な解決にはならないので真面目に受けた。
結果は詳しく思い出せないが、ナントカ傾向だのナントカ状態だの歯切れの悪い答えだった。いわゆるIQも出て、トータルで言えばまともらしいが、一点だけボコッと低い能力があった。そういった場合に得てして発ッ達認定がもらえるらしい。(詳しく知りたい人はWAIS-Ⅲで調べればいくらでもネットに情報が転がってます)自分が欲しかったのはネットでよく聞くアスペだのADHDだのとハッキリとした病名か、あるいは異常ナシ。まともですというバシッとした答えだったのだが、まともなのかまともじゃないのかという二元論的な悩みが余計複雑化しただけだった。
取り敢えず検査の結果と相談室の紹介状を握りしめて大学で聞いたメンクリの予約を取った。googleレビューは例に漏れず低かった。
初診では大学の相談室で聞かれたのと同じような事を一から説明し直し、その後数回に渡りまた別の検査を受けた。質問内容がド直球に「忘れものをよくするか」のような項目ばかりの検査もあったが、ここも一応正直に答えた。複数受けた検査の結果は何れも回答内容から考えて極めて意外性のないものだった。発達気味。根暗。抑圧的。内向的な分嫌ほど自覚している。採血もあったが至って健康ですの一言だった。何が悪ければどう精神に影響するのかすら分からない。聞けば教えてくれたんだろうけど。
あとウォッチメンで有名なロールシャッハテストも受けた。ハナからオカルトじみてるなと思い期待はしないものの、モノとして知っていたので興味はあった。が、何にも見えないシミを「強いて言えば何に見えるか?」と執拗に聞かれ、やっと終わったと思えば今度はなぜそう見えたか聞かれ、いや直感的に……と言っても「具体的にどの辺りがどう見えた?」と詰められるのは苦行だった。
これら検査山盛りセットは良い金ヅルに過ぎなかったのではないかと未だに思っているが、ともあれ結果を踏まえ、念願の薬を出すかという話に辿り着いた。無論同意。最初に相談室へ行ってから半年ほどかかった気がする。
薬を飲み始まる前には既に半期の成績が出て、今までに比べたら遥かに前進していた。以前の終わった生活を引きずりつつも、基本的に授業を真面目に受ける。ルーズリーフはどうせ失くすのでPCでノートを取る。レジュメは曜日、授業ごとにファイルを作りPCで管理。といった当たり前を真面目にやるのは案外継続できた。それでも単位をポロポロ落としてはいたが、その後薬を飲み始めてからは2学期連続でフル単だった。
まともに大学へ通う事に慣れ、授業を受けるリズムが出来ていたからなのか、あるいは薬が効いていたからなのかははっきり言って分からない。授業を受けるというある種受動的な場面以外に、能動的な作業をしようと思うと相も変わらず中々集中は続かず気力も低い気がする。目下重要な就活についてもだ。
待ちわびた薬を飲みながらしばらく過ごしてみて、少なくとも自分にとっての一つの答えが得られた。性格と障害などはっきりと線引きできるものではない。その境界にこだわるよりも、何を為すか、自分には何ができるかを模索するのが重要なのだ。具体的なものは何も指し示してくれないが、しかしきわめて当たり前かつ重要な答えだと思う。(大変失礼ながら、明言はしないがハッキリ障害と言える程度のものもあるとは思うが……)
もちろん、診断を受けて薬を飲んだら生活が劇的に改善されたという人もいるのだと思う。コンサータを飲んだらバキバキになって人生変わりました、みたいな話はネットにいくらでも転がっているだろう。真偽は知らんが。しかしそれにしても、この性格と障害が曖昧であるという意識は重要なのではないかと思う。これに気付けなければ、発達障害かは微妙だけど実は鬱かもしれない、自律神経失調症かもしれない、HSPかもしれない。それさえ病院で治せば……といくらでも別の可能性にすがってしまうのかもしれない。
まあマジで無理だと思ったら変に迷わずさっさと病院予約した方が良いと思いますね。別にもし何かしら診断が下ったとして、その瞬間に「健常者」から「障害者」へ身体が変化する訳じゃないんだから。
結婚し家庭のある友人が羨ましくなったので、一念発起して活動していました。
こういう増田とその反応には勇気をもらっていたので、自分の体験談もまとめます。
成果なし
参考にならなくてごめんなさい