はてなキーワード: 古代ギリシャ人とは
こんど転職するのだが、見切り発車で仕事をやめた結果、次の仕事が始まるまで1か月ほど暇な時間ができてしまった。
2週間ほど休んだらもう休むのが嫌になってしまったので、せっかくなのでタイミーとやらを試してみようと思いついたときの話。
意外にも未経験だとできる仕事は少なく、やっと見つけたのは某化粧品とか日用品、掃除用品を作っている会社の流通倉庫でのピッキング作業。
朝から夕方までガッツリ働いても9000円いかないのには驚いたが、バイトなんて学生の頃以来なのでちょっと楽しみだ。
働いてみると、想像していたよりもずっとホワイト、というか巨大なシステムの一部として期待されていること以上のことは一切期待されていない、という労働環境なのでなかなか気楽で楽しかった。
休憩を抜くと7時間ほどハンドフォークを引っ張りながら歩きっぱなしだったが、毎日リングフィットをしているおかげかさほどダメージはなかった。
そのダイナミズムを維持するために設けられたシステムとしての「優しさ(バッファ)」にあふれている。
巨大な流通網を維持するためには私のような間抜けでもその日のうちに戦力になれる必要がある。そのためのあらゆる仕組みが、工夫が施されている。
合理性を体現した空間で、理論値に肉薄すべく黙々と動き回る人間たちは、まるで善のイデアに迫るため肉体という牢獄を鍛え抜いた古代ギリシャ人のように美しい。
支給されたハンディスキャナに表示されるがままに棚から棚へ飛び回るうちに不思議な陶酔感に包まれる。
それはすべての判断をこの偉大なハンディスキャナに委ね、自分は預言者となり「正しい」世界の秩序を生み出してゆく、という妄想によってもたらされる境地だ。
いま世界には棚と、格納された物体と棚の間を神の使いとして飛び回る私しかいない!なんて美しい秩序!すべてのマジックリン ピカッと輝くシート[8枚入り]に祝福を!!
そうこうしているうちに夕方になり、日勤の社員たちが帰っていった。
私はあと1時間残って作業する必要があり、私とあともう一人いる今日が初めてのタイミーさんの面倒は夜勤のパートの人が見ることになるらしい。
夜勤パートを束ねている年嵩の女性は私たちの引くハンドフォークに近寄ると、にっこり笑ってこう言った。
「無茶苦茶な積み方をしているね。夜勤だったら怒ってた。夜勤は甘くないよ」
言っておくが、今日が初めての我々にはついさっきまで社員がほぼ付きっ切りで積み方を教えていたのだ。それを滅茶苦茶とはどういうことか。
彼女は私のパレットに乗っている商品を猛然と整理し始めた。私の頭の中で像を結びつつあった最適化された作業手順が音を立てて崩れる。
彼女が新しく創造した合理性は、なるほどよく見ると次の工程の人が作業しやすいことに重点を置いたスタイルだということが分かってきた。
昼間のうちに教わったのは最も効率的にパレットを埋めることに主眼が置かれていた。おそらくこれは社員とパートという立場の違いによって生じる差であろう。
まさか30過ぎて坊ちゃんと呼ばれるとは。しかしこの迫力には何も言えない。
もう一人のタイミーさんのほうを見て
「そこのあんたも滅茶苦茶な積み方をしてるね。これは教えた人が悪いんだね」
やれやれ、といった様子で笑う彼女は、まるで間違った教えを信仰する異教徒を憐れんでいるようだった。
なるほど。つまりこれは少数の社員と実行部隊のパートが大勢いる職場でよくある権力闘争なのだ。
マニュアル化しにくい作業の手順や優先順位を「旗」にした陣取り合戦が行われているのではないだろうか。
そういえば、昼間の内も社員とパートでラベルを貼る位置など、教える内容に細々とした違いがあった。
おそらく、マニュアルで決まっていない部分なのだろう。そして彼らは「そのルールは決まっていない」のではなく「自分のやり方が正しい」と言っていた。
とはいえ、どちらの陣営も飯のタネなので大っぴらには相手を批判したりしない。
その代わり、行われるのはタイミーなどで仕事に参加してきたひよっこたちを戦場にした代理戦争だ。
もしまたここで働くならば、昼と夜とで積み方を変える必要が出てくる。
気が付けば、私がいるのは神殿ではなくなり、ただの灰色の物流倉庫だった。
働いているうちは元気だと思っていたが、やはり体はクタクタに疲れている。
働きたくない。
でも働かなきゃ、という言葉の前置きでしかないそれと違って大真面目に働きたくない。
世の中少なからずの人々も似たようなことを言うけれど、それでも求職に労力を割き、日々労働している。その程度には労働に対する気力を持っている、もしくは絞り出せるらしい。
それなりに暮らしていくには何かしらの労働をしなければいけない。どうせ働かなければいけないのなら少しでもマシな環境を探そうと折り合いをつけて、ちょっとの辛抱を耐え抜くのがきっとベターなんだろうと頭では分かっている。
そうやって考えてみても、やっぱり働きたくない気持ちは誤魔化しきれない。
こうやってくだらないことを考えているのが問題の先送りでしかない事も分かっている。現に今もそうしてきた割を食っている。
働きたくない、さりとてそこそこの暮らしをしたい、を反復横跳びしてばかりいる。出口のない考えをぐるぐるさせても仕方がないので、少し前から取り敢えず職を見繕うくらいはしてみようかと思い立った。おれにも絞り出せば少しばかりの気力があったみたいだ。
趣味を軸に生きたいと考えており、それを実現できる職場を探しています。
特別な技能、資格が要求されず、最低限の労働かつ高い給与水準という貴社の環境は私の希望と一致する所であり、応募させて頂いた次第です。
具体的な事業内容につきましては一切関心がありません。
と言って雇ってくれる、希望通りの待遇の会社は存在するだろうか。
志望動機も何も、そもそも働きたくないのだから嘘をつくしかない。100に膨らます1がないのなら、0から作るより他人から拝借した方が良さそうだ。
Unistyleの投稿を適当にコラージュしてみたESは案外通る。中学以来身に着けたその場しのぎの技術は中々役に立つ。大学でも通用しているのだし、これからもし働くがあれば役立つかもしれない。
そもそもESで落とされる事は無いのではなかろうか、なんて思う。時期のせいだろうか。でも面接では落ちる。
高望みのしすぎか。舐めた態度を隠しきれてないのか。経歴のキズをロクに取り繕いもしないからか。踏んだ場数の少なさから緊張や喋り下手が丸出しなのか。
どれも正解なんだろうな。割り切って精力的な就活生を演じるなんて簡単な事だと思っていたけれど、中々嘘に徹しきれない。
他人にはいくら嘘をついても良いけれど、自分には納得に従って正直に生きようと決めたのは人生の指針になった。それが特に間違っていたとは思わない。でもここに来てそれが枷となっている。今くらいは嘘をつくのもやぶさかではないのではなかろうか。
いや、本当にそうか?ESでは嘘をつきまくっているのだし。文面では隠せるものが対面のコミュニケーションで滲み出たりはするだろうけど、それだけか?
おれは今ゴミを売りつける営業活動をしている訳だけど、それっておれがやりたくない労働のトップに近い。
もしかしたら働きたくない気持ち以上に、今まさにやっている就職活動が嫌なだけではないか?
つまりこの営業を済ませて希望の職種にさえつけば、ライスワークといえどある程度は割り切ってやっていけるのではないか?
なんて考えてみるけれど、まあ働いたら働いたで一瞬にして仕事辞めて〜が口癖になりそうだ。
いや〜面倒臭い。
なんで働きたくもないのに働かせてくださいなんて頭を下げなあかんのか。まあ世の中そうなってんだから仕方ないわな。
おれの希望に合わせるよりも世の中の仕組みに合わせた方がラクだろうな。でも自分の納得に従った生き方をしなければ生きている意味がない。
今おれにある選択肢は何だろうか。
割り切って就職活動を進める。
まあグチグチ理屈を並べようが、これを進めるのがベストなんだろう。希望に近い仕事を得られるか、ロクでもない所に転がり込むかは知らん。おれと運次第だ。
心にもないモチベーションを語るよりは、出来る事を言った方が精神の衛生には良さそうだ。労働が減り余暇が増えるかは微妙な所だが、賃金は高くなるかもしれない。でもそもそも労働がイヤなのに、それを軽減するための労力を割くというのも倒錯している。投資といえば聞こえはいいが……
何にしても、これは今からではちょっと遅すぎる。考えるとすれば新卒就職後の転職とかになってくるのだろうか。しかし新卒採用程度でもやる気が起きないおれの無気力さを考えれば、働きながら勉強というのはちょっとありえなさそうだ。あまり考えない事にしておこう。
自殺。
悪くない。
生きる事に意味はない。生きて楽しい思いをする事には意味がある。楽しくないなら死んでしまった方がいい。
面倒事の一切から解放されるのはデカいが、好きなことをしている時間や憧れを追っている時の充足感も同時に全て手放すのは寂しい。
というか自分で言っときながら、どうせ死ぬ勇気は無いんじゃないかとも思う。でも時々訪れるデカめの希死念慮の全てどうでもよくなってしまう感じを思い起こせば、あるいは……
まあある程度本気で視野に入れておけば、こういう道もあるという精神安定剤として機能するかもしれない。
好きなことで、生きていく。
これはなさそうだ。だからこそ趣味に軸足置いて生きようと決めたんだし。得意な事は金稼ぎに繋がらない。好きな事はあっても得意な訳ではないし、金稼ぎに繋がる望みは限りなく薄い。
ライスワークの目処が立ったら、ちょっとずつ何かしらのトライをしていくのも悪くないかもな。
生活保護。
最近になってこれもまたかなり現実的なのではないかと思ってきた。他人に対する申し訳なさみたいなのが1ミリもないのはおれのアドバンテージだ。根気よくゴネれば働ける身体の人間でも受給できるとの話もあるし。
ただ、おれの想定するそれなりの暮らしを実現できるかは怪しい。楽器とか持っていいんだろうか。靴は何足まで持てるんだろう。あと中途半端に内面化した社会性がちょっと邪魔をしてくる。
しょーもない人生をただ維持させるだけになってしまうかもしれないし、おれの場合そこから抜け出せなくなる可能性が高い。
死んだり生活保護受けたりもあるよ、なんて気休めを胸に淡々と職を探すのがおれが今すべき事か。いくら理屈を並べようがやる事は変わらないな。
奴隷に仕事を任せて遊び呆ける古代ギリシャ人か、そうでなきゃAIが仕事を奪った未来に生まれたかったよなあ。
自分の為に生きるって結構大変なんだな。社会性をすっかり内面化してしまうのって実はラクな生き方への近道なのかもしれない。働きたくねマジで。
真面目な話をできる場所が無くて寂しい。
私自身は別に真面目というか単に興味のある事について語り合いたいだけなのど、一般的にはマジメで退屈、拗らせてるとか一蹴されてあまり興味を持たれないような話。
美とはなんぞやとか、美味しいメシを定義できるのかとか、世界平和は果たして実現できるのかとか。
古代ギリシャ人が暇すぎて哲学を始めたように、暇な時にふと考えるような素朴な疑問みたいな事について話し合いたい。
日常生活で周りの人間に真面目な顔してそんな事を言い出したら、雑に流されるかキチガイと思われて終わり。
だからネットとかで気楽にやれたらいいなって思う。私に近い内向的な人も多いはずだし。
しかし色んなサイトはあるけれど、どうにも喧嘩腰な人が多い。5chの哲学板は(5ch自体)過疎らしいし。
一面的な正論や、正論ですらないリリックを並べ立てて正論感を競い合いたい訳ではない。なにか正しい感のある事、雑な一般論風の言葉でそれっぽくまとめてもらいたい訳ではない。
これはどういう事なのか、なぜそうなのか、世の中に出回るこの考えは果たして妥当なものなのか。
事実と規範の混同に、論理の飛躍に気を付けながら、とある疑問に対して「それはなぜ?」を繰り返す、要は哲学がしたいのかもしれない。
そこらの人が思いつく疑問なんて昔から議論されてるだろうし、哲学書を読むのも悪くはない。
でも私は車輪の再発明が無駄だとは一切思わない。書いてある事を読んで、へーそうなんだで終われば必ずしも納得は伴わない。
私はこれまでの人生でニーチェやハイデガーの陰気ながらも前向きな思想に近い価値観を形成してきたけれど、思春期に彼らの著書を読んでも多分何言ってんだコイツとしか感じなかったと思う。
他人と話し合う事で互いに自分では気づかなかった視点を得て、自分一人じゃ足踏みするばかりの疑問を吟味したい。
時に理屈から離れて互いの実感を伴った価値観を交えて、永遠に答えなんか出ないだろう疑問について、それでも誠実に考えを深めたいな。
非正規ワーキングプアの40代が嘆くなら同情するけどさ、正規の仕事して生活にも困ってないのに「孤独」だとか「生きる意味が見つからない」とか知るかよw
古代ギリシャでなぜ哲学や数学が発達したかって理由で、当時はそこそこ平和でギリシャの上級市民は家事&子育ての大半を奴隷に丸投げしてたから暇すぎて哲学とか数学とか考えてたって話きいて、これってまさしくお前らじゃんって思ったよ。
そんなに生きる意味が欲しいなら古代ギリシャ人に倣って社会人学生で大学にでも通って哲学か文学でも専攻してろよ。
「独身40代の孤独」に打ち勝つには家族&子供を持つことだって言ってたブログにミソジニーたちが炎上してたけど、あんなの当たり前じゃん。子持ち世帯は毎日が忙しすぎて「生きる意味」とか「孤独」とか悩んでる暇なんてないんだよ。
人付き合いが煩わしいからって面倒な人間関係を断っておいて、いまさら人恋しいとか言われてもねー。
本当に貧困状態で困っているシンパパ、シンママはブログで愚痴る時間も気力すらないから、お前らみたいな面倒くさいミソジニーどもの愚痴ではてぶが埋まっていくのも高学歴&非コミュが集まるはてならしいな。