はてなキーワード: 伝統とは
この映画、上映前に「エンドロールの後にも映像がございます」ってテロップ出るのね
その映像。見ないほうがよかったし見たくなかった
映画内で主人公は敵のボスを倒すために、「時間を巻き戻す」という自然に逆らった力に手を出すことになる
それを見た仲間の一人が「自然の流れに逆らう力を使うのは受け入れられない」と言って去ってしまう
俺はそれを見て「正義を成すためになりふり構わない主人公達」と「正義の理想を追求して離反する仲間」という対比がいいなぁと思ったわけ
ダークヒーローってそういうとこあるじゃん。邪道を往くってやつ
「離反した仲間が闇落ちしてて、魔法使いを殺して回る」
はぁ?なんなのそれ
邪道を強調するための正道じゃないの?
異教徒=悪 って伝統がなかった宗教はまともな宗教とは呼べないカルト
カルト新興宗教に母親が入信したせいで家庭が崩壊した人々のほとんどは伝統宗教に異教徒弾圧は絶対に賛成だと思う
多神教が良いだの多宗教国家が良いだの偽善を言っているクズ共は恵まれた上流階級の人間だ
日本もキリスト教国の植民地になりキリスト教国家になれば良かった
そうすれば今のようなカルト新興宗教大国にはならなかったと思う
しかもキリスト教には大乗仏教や神道と違って隣人愛の精神がある
地域にキリスト教の教会があれば住民の交流の場になり絶対に自殺や鬱も減る
大乗仏教や神道は根本的に地域に何の貢献もしていなくて権力だけある邪教だと思う
いつ勝手に親になったんだよ
冗談はさておき
変質者が「パパって読んで♪」って夜道で声かけてくるみたいで寒気がする
本当にこういう日本の風習やら伝統やらを一つ一つ知るたびにイライラする
もうこんな狂った国に生まれたことが何もかも悲しい
アメリカのカーリーなんたらいうモデルが和服を来たら「人種差別!」と怒られたとのこと。えっ???
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1779780.html
なにを謝罪?
いや、まあ、アメリカのリベラルの文脈があるのだと思うけど、日刊スポーツ記者だってあきらかに僕らと一緒でそういう文脈の中に生きてないでしょ?「はぁ?」って思ったでしょ?説明無しでこういう記事書くのってアホなの?
redditとスラドには記事なくて、アメリカのYahooにあって、読者コメントがついていたので読んでみたぞ。
https://www.yahoo.com/style/vogue-dressed-karlie-kloss-as-a-geisha-050850853.html
いわく
「日本人モデルがカウボーイの服着たら、人種差別主義者だと考えないといけないの?」
「これがトランプが勝利した理由についての完璧な例の一つだな」
「私に見えるのは、誰かさんが東洋の伝統的衣装をまとった可愛い写真で、アジアに対するなんの攻撃的なところもないと思うけど。これでアジア人が悪く見える何かがあるの?」
「てことは次は黒人モデルは裸で胸をさらけ出してライオンと一緒にアフリカの風景の前で写真撮らないといけないな、じゃないとヨーロッパ人に「人種差別だ」と言われちゃうからな」
「私は、何も謝ることがないことについて謝罪したい...私はまた前に誤ったことについて謝罪します...あと、次に私が何か謝るべきことが起きることについて謝罪したいです...」
「もしあなたが白人なら、その日やることについて謝罪を投稿してから家を出たほうがいいな。はいはい。」
1ページ目、長大な一人を除いて訳しましたが、ぜんいん我々と同じように「はぁ?」って思ってるように感じました。
とりあえず私自身は、いまだにこの「cultural appropriation」という非難が意味不明なので、わからないうちは否定するよりは学習するつもりでいますが、しかしそれにしてもこのヤフコメとニュース記事との乖離。いまのアメリカの言論界を動かしているのはいったい誰なんだろうか。。。。。トランプ当選についていろいろな憶測があったが、インテリ層と一般人層との深刻な溝というものを、われわれにも身近な「和服を着たアメリカ人」という題材によって、私にも実感を持って経験できたような気がする。
バイク好き高校生・大学生や車好きの大人が支持されて、発展してしまい、最早社会が我々(こちら側)ではなくそちら側を向いているのが「21世紀の日本社会」なのだということを、左翼を希求する人はぜひわかってほしい。リア充をぼろ糞に罵るクリエイターや文化人が一人もいないのが、今の日本。
ところで、ネトウヨの脳内では道路族は左翼のようだが、私には軍国主義のにおいがする右翼シンパのように思う。昔の珍○団のダサさとかリベラルの鉄道好きが多いのも、一貫した伝統的流れが、「日本仕様」のメッキを剥いで露出しただけだろ。
没個性的なものを避ける、ヤバイと思うリテラシーを持たない人って案外多く、仮に、あからさまな右翼趣味やDQN趣味みたいなものはヤバいと思うほどのリテラシーがあっても「リア充精神」を抱えている人の場合は、その方面から染まっちゃう恐れがあるし、染められているのが今の時代。
オタクになることは選択しない自由によって避けることはできても、中高レベルから「同化」されていると、よほど強い信念や思考力がないとそれを否定することはできない。だからこそリア充精神的なるものをぼろ糞に罵るカウンター的表現や文化を私は渇望しており、もっとオタクとクリエイターは頑張れとしかいいようがないのだ。
メモです
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040301
この『裸の自衛隊』は「兵隊になりたい!」というオイラのガキの頃からの夢を実現させるために無理やり通してもらった企画だった。
とにかく軍服着たり、鉄砲撃ったりするのが大好きだったが、在日韓国人だから自衛隊には入れない。というか政治的には日本も当時の韓国の軍事政権も北朝鮮も大嫌いなのだ。
要するに政治的には反戦的なんだけど、オタク的には戦争が好きで好きでしょうがない。
兵隊として戦争に行きたくてしょうがないんだけど、何のために戦うか、とりあえず理由がない。それになまじ戦争の本ばかり読んでるので戦争の愚かさもわかっている。でも頭ではなくて「男の子」の部分でやりたくてしょうがない。
こういう人は他にもいっぱいいると思うのだが、で、自分は「何が何でも自衛隊に体験入隊したい!」と思って、その欲望を仕事に無理やり結びつけた結果が『裸の自衛隊』なわけだ。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20050518
「電波系」なんて言葉は、もともとは中目黒の駅にあった「電波喫茶」が元なんだよね。
店の表側が「世間には電波で私を攻撃する人がいます」みたいなメッセージが耳なし芳一(よしかずではない)の体みたいにびっしり書かれた喫茶店で、化粧の濃いおばさんが経営してるの。
『宝島30』の連載コラムで記事にしようと思って、根本さんと担当編集者のオイラはただの客を装ってそこに行ったんだ。
オイラはポケットにマイクロカセットを隠して、おばさんの電波陰謀論をずっと隠し録りしてたんだ。
おばさんは一時間以上しゃべり続けていた。
「電波を防ぐために地下鉄の工事現場の蓋に使う厚さ1センチの鉄板を買った」
「そいつらは私を盗聴している」
「これ、隠し録りを勝手に記事にして大丈夫?」って根本さんに言ったら、
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040221
その動機は「とにかくテレビを見ていると猪瀬は偉そうで偉そうで、ムカムカしてどうしようもなかった」というものだった。
そのオッサンに政治的、思想的背景は特になかったと報道されたと思う。
猪瀬の思想や意見ではなく、猪瀬の立ち振る舞いが普通の市民を犯罪に走らせたのだ。
言論人でもない一介の市民がテレビでエラソー光線を発射して攻撃してくる猪瀬から心を守るには脅迫しかなかったのだ。
なぜなら猪瀬は全身から「オレは利口でお前らはみんなバカだ光線」を発してるから、見るだけで非常に傷つけられてしまうのだ。
猪瀬の態度は不特定多数への侮辱罪として有罪にできないんですか?
もしヤクザと少しでも関わりのある仕事をしていたなら、確実に刺されてるね。横井英樹みたいに。安藤昇は話をまとめるために横井に会ったのに、その態度があまりにも偉そうだったので前後を省みずヒットしてしまったのだ。
この平和な社会では猪瀬がどれだけ不遜にしても、それに対抗できるだけのヒマや機会を持てないオイラのような庶民はしかたがなく沈黙しているだけだと思う。ていうか、オイラもこいつをどこかで見かけたとき、殴らずにいられる自信がないよ。
日本のテレビを見てないから知らないが、猪瀬は、政治的や思想的なものではなく、純粋に生理的な理由で自分がそこまで人を不快にさせたという事態に少しは人として反省があったのだろうか?
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060527
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20070728
物書きが食っていくのはたしかに大変だけど、そこまでして本を出したいかねえ。
それは別に悪くはない。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20070907
日本の声優文化は、オリジナルのキャラや演技の口調ばかりか内面までもを表現し、さらにそれを日本的に違和感なく聞かせるという努力の上に培われてきた伝統芸であり職人芸なのだ。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20071128
難病映画、ケータイ小説映画、三丁目映画、アキモトコー映画、TVドラマ映画、みんな公開する必要なし! 作る必要なし! 見る必要なし!
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20071206
超今さらだが、国会に取り上げられたアレはマッチポンプというか政治家の綱引きの道具というかただの自演くさい感じがしたけど、
アレだな。
私も便乗して「神社本庁落ちた斯界死ね!」とかエントリ上げるべきだったかな。
視点者をコネなし就活生にして、「地縁血縁がないとまともな神社に就職すらできないのに唯一都心に残れる希望のあった本庁の試験に落とされた!残ってるのは地方ばかり!地方で死ねってのか!」とか自己中心性丸出しの、若者の悲痛な叫びを装った自分勝手な放言みたいなエントリをさあ。
でも普通のリーマン視点からすると斯界の連中は随分とまあラクしてっからなー。そんなエントリまるで書く気にならないなやっぱ。甘酒うっま。
まあ、神道ってのは一言で言えば要するに、穢れを嫌う宗教なわけですよ。でこの穢れってのは、異物と言い換えてもいい。
んで、例えばねー。
まあ神社界ってのも、平均身長がちっちゃい辺りからもよーくわかるように、せっまい世界でみんな知り合いであまり面識ない人にも遠い遠い血縁があったりとかして、そういう隔絶されたムラ社会なわけですよ。
学校に入ってくるのも知り合いばっか。家名を聞けばどこそこの子とすぐわかる。育成機関は似たような血で溢れかえっているわけですよ。
で、そういうところへ例えヨソの子が入ってきたとしても。
少子化やら現代化やらで神社の血族のみで維持し得なくなった斯界としては表向きは拒まないし、基準さえクリアすりゃあ入学を慈悲深くも情け深くもお許し遊ばして下さるんですけどね。
いやぁ残念ながら。これ。あくまでも。表向きだけの。話なんですよねえ。
ヨソの子が、神社について学びながら学費生活費稼ぎたい!と神社バイトに応募すれば、既に申し込み電話の時点からとっても失礼な対応をした挙句、他の子と一緒に面接にきたその子にだけ滅茶苦茶難しい筆記試験を出して答案を見て嘲弄し、その子だけ落とすような真似をする。
で。
バイト落とされたそのヨソの子が、それでも実務に携わりながら必要な費用を稼ぎたい!とめげずに応募を続けて、どうにか採用してくれた神社でバイトしながら学生続けてみれば、まあその神社ってのも他の神社が落とした人材拾うだけの理由があるくらいのボーダーライン上にあるヤバイ場所だったりするわけで、周囲は、何も裏事情を知らずにただ働いてるだけのそのヨソの子を、評判悪い神社の与類と責め立てる。
頑張って勤労学生してるヨソの子は自分がなぜここまで責められてるのかも納得がいかないまま、でも他に神社の勉強しながら働く宛てもないから、選択肢ないから、黙って攻撃に耐えて働き続けると。
奨学金? あぁハイハイたくさんありますよー。斯界はなんたって身内ばかり、学生への支援も充実してますからねえ。
唯一採用してくれたバイト先で費用稼いでるだけで責められるそのヨソの子が、じゃあ、と支給奨学金に応募するわけです。するとどうなるか。
驚いた事に、奨学金の面接の場で面接官からそのバイトの事を責められるわけなんですねー。
生活費学費がないから奨学金応募するのに、その費用を稼ぐ事を教職員学生全員から攻め立てられるから奨学金に応募したのに、お前は奨学金を受けるに相応しくない労働をしていると学校のお偉い面接官数名の前で面罵されるわけですよ。
あ、結局その支給奨学金は裕福な神社の子が貰ったそうですよ。徒歩十五分くらいの学校に400万くらいする車乗って来てたんだけど、学校側から駐車を禁じられたから、その奨学金で単車を買ったそうですよ? 通学楽になってよかったですねー。大事な大事なお金持ちの神社の跡取り息子ですもんねー。おみ足を汚して損なうことが万が一にもあっちゃあいけない。
それだけ耐えて耐えて耐え抜いた後に、得た実務経験が、じゃあ就職の段で役に立つのかっていうとなんとまあ救いのない事に。これが真逆なんですねえ。
ハイ。最初に言った事に戻ります。神道は穢れを嫌います。異物を徹底的に嫌って排除して視界の外に追いやって忘れ去るのが神道なのでございます。
最も有名な祝詞の一つであるところの大祓詞にも穢れをそのように扱うくだりが最後の方に出てきますけどね。まさに言行一致、神社界って祝詞を体現している素晴らしい場所だと思います。
就職にあたっては、その子だけ学校側からの就職支援も非協力的。希望する神社への問い合わせも後回し。むしろ露骨に宮司出張中だのなんだの理由つけてただの求人打診の問い合わせすら二週間放置されるのが連続であったりなんか。「ダメでした♪次頑張ってね♪」て結果を朗らかに聞かされる頃には、もう他の求人はあらかた内定出て、ほくほく顔の子達で溢れかえってます。
そんな事になったらどうするか。
何も推薦されないから、全部自分で決めなければなりません。選択したくない選択肢を選ぶのは自分の手だけで行わされます。
ま、とかく神道は穢れを嫌う。
上の話読んで、「学校やら教育委員会に学校側の不平等を、機会均等付与における不公平性を訴えればよかったじゃないか!」と思う人もいるかもしれませんね?
でもね。
訴えたら、穢れ。
騒ぎを起こしたら、穢れ。
腫れ物に触るように扱われて、のちのち丁重に斯界から排除されるんですねー。
私も業界歴長いですからねー。そういう奴いっぱい見てきましたねー。
「じゃあ神社でバイトしなきゃよかったじゃん」そう思う人もいるかもしれませんね?
神社外でバイトする子はねー。神主にならない率がねー。これけっこう高いんですよー。養成学校通ってる学生がそれじゃ、本末転倒でしょ?
まあこういうケースはただ不幸なだけの話という気もしますがね、しかしこうした大なり小なりの不遇に耐えて斯界に残る神主ってのは相当数いたりするもんなんですよね。
上のような話を読むとこれってよっぽどのレアケースなんじゃね?と思うかも知れませんけど、この手の話は割とありふれた話なんですよ。まあだからこそ書けるんですけどね。
で、なんで色々な目に遭いながら斯界に残る神主が多いかっつう話なんですが、
そこには、もちろん“斯界はヨソよりゃよっぽどラクだから”という根本的な理由もあるわけですが。
その他に、もう一つ理由があるんですねー。
それは…“不遇を是とする”。この真実を、誰にも否定され得ないという事。
いやぁこれに尽きますね。
歴史は巡るだの負の連鎖だの色々ペシミスティックな言い方はあるんでしょうけどね?
つまりはね?
今 度 は 私 達 が 理 不 尽 な 不 遇 を 与 え る 側 に ま わ る わ け で す よ 。
そ し て そ れ は 誰 に も 否 定 で き な い わ け で す よ 。
ケケケケケケケケケ!
――なんて事を、斯界以外知らない若手の連中あたりが大勢で言い出したら、穢れ扱いして対処するのも難しそうなんだがな。
それともこの手の狂信者を伝統と信仰とを継承する純粋な信仰者として扱ったりとかすんのかね。
どうせいずれはお神輿担ぐのはゆとり世代が中心になるんだから、のほほんとしたゆとり世代をムラ社会の狂人どもがキツい洗礼でお出迎えする現状は、やっぱやり過ぎと思うわ。
ゆとりもいずれキレる。
こんばんは、埼玉のおっさんです。
京浜東北線沿線に分譲マンション所有してるんで資産価値高めキープするために埼玉アピールしとくわ。
http://anond.hatelabo.jp/20170201120618
1000万というのは何もしないには十分すぎる収入だけど、何もかもするには足りない収入。
そう、何をして何をしないか、よく吟味する必要がある収入ってこと。
老後貯蓄?
それをへらすなんてとんでもない!
教育費?
普通に何も考えずに暮らしていると周りに流されていつの間にか中学受験をする羽目になるぞ。
親がそのつもりじゃなくても子供が「塾に通いたい」と言い出すからな。
それも勉強に目覚めたとかじゃなくて「友達が行ってるから」だからな。
もちろんそんなスタートでも親子で協力して合格に向けて頑張るのも悪くはない。
ただし金はめちゃくちゃかかるがな!(塾代年間数十万、ラスト1年は受験料など込みで100万超)
余談だが奇しくも今まさに中学受験真っ只中だな。最後まで諦めずに頑張れよ。
話がそれたがじゃあなにを減らすか?
住居費でしょ!
埼玉なら3000万円台〜3LDKのお手頃な物件を取り揃えている。
駅近でも中古なら3000万円台(すぐ売れるがな)。
頭金1000万用意して埼玉に来なさい。
つか今の金利ならそんないらんか。
頭金ゼロでとりあえず埼玉で物件買って気分次第で1000万パワーで繰り上げ返済しまくって欲しい。
さて以降の文章は「安いのはわかったがでも埼玉なぁ」などと思ってしまった奴に向けて書く。
都心がじつは近い。
川口、浦和、大宮など南部の主要都市から東京、新宿、池袋、渋谷など都心主要駅まではおおむね25分〜45分で行ける。
乗り換えもゼロか1回だ。
このようなアクセスの良さは千葉にはない。神奈川だと東京並に地価が高い。
俺などは「通勤何分かかるんですか?」「え?ドアツードアで45分だけど?」「へぇ〜(あらまぁ見栄張っちゃって)」みたいな会話にもう慣れたが、そのくらい埼玉の利便性は埼玉県民以外には知られていない。
都心でちょっと背伸びする庶民(そう年収1000万のお前らだよ)にとって辛いのはショッピング。
埼玉はふんだんにイオンモールやなんとかモールを取り揃えている。
しかも田舎とちがってイオンモール以外だってシャッター商店街などどこ吹く風で活気に溢れている(南部の都市限定だがな)。
東京はもちろん神奈川、千葉などとも違って中学受験はまだまだ少数派だ。
最近増えてきたようだが駅近学区でも5〜10%程度、浦和の山の手でも20%いるかどうか。
それでいて中学受験したくなったらなったで「塾銀座」の南浦和があるから即対応可能だし
あの開成中は埼玉からのほうがアクセスがいいので実質埼玉の学校という説がある。
私立ナンバー1の開成と公立ナンバー1の呼び声高かりし浦高を抱えているのが我が埼玉県なのだ。俺はそう考えている。
都心にも近く駅近マンションが安い、駅前の商店街が機能していて大規模ショッピングモールも近い。
はてなブックマーカーのみんなが大嫌いな車はここ埼玉(の駅近)では完全に不要だ。アブソルートリィアネッセサリィ。
もうここまで読めばわかると思うが節約しようと思えば住居費以外も節約し放題なのが埼玉だ。
最重要の住居費だけでも圧倒的節約が可能だというのに他の部分までこんなに節約できちゃうなんて・・・
東京より優位なのはもちろんのこと、地方都市と比べても負けていない。
地方都市なら収入は基本下がるうえに車必須しかも一人一台、家は売りたいときに売れず不良債権化待ったなし、賃貸に住もうにも小奇麗な物件がそもそも少ない。つまり埼玉県民とくらべて支出が増えて収入が減る、おまけに資産が減る。
日本広しといえども、高収入と低コストを両立できるのは埼玉だけ。
はっきり言って年収1000万パワーを持つお前らならば「節約」という若干貧乏くさい印象をまったく抱くことなく自然体で生活しているだけで自然とお金が貯まっていく異次元感覚をここ埼玉でなら味わえることだろう。
よろしくお願いします。
この社会には有名大学卒と高卒しかいないみたいな思想の人をたまに見るけど、
今で言う有名大学ぐらいしかそもそもなかった時代の人だったらもっと中卒が一般的な時代だったはずだし
どこのスーパーマーケットでも買える食材を使ってうどんを作ります。ゆでうどんは安い。讃岐とか冷凍とか気取った枕詞が付いていないうどんはだいたい格安で買えます。どのくらい安いかというと近所のスーパーマーケットで確認した限りでは税抜きで18円です。税込みでも19円。とても安いです。
供給も安定している傾向があるけれども、閉店間際に行くと売り切れていることもある。とても安いがゆえに人気が高いことも事実です。年金生活の一人暮らしのじいさんやばあさんがこれを一つずつ買って売り切れたのではないかと思うと社会問題を提起したくなる。年金生活になったら、18円のうどんを毎日食べる日々。こんな世の中になることをみんな夢見て働いてきたのか。今を時めく政治家の方々にはスーパーマーケットのうどん売り場の前を一日中見張って、18円のうどん購買層の方々の悲哀を確認してみろ。と、気持ちの昂ぶりを抑えなくてはなりません。
ここでうどんの食べ方を確認しておきます。お店でかけうどんといえば、なみなみと注がれた汁にうどんが入っているこれがうどん業界での常識です。飲むか飲まないかわからないうどんの汁を大量に用意しなくてはならないブルジョワ志向。たくさんのおいしい汁を潤沢に用意することは庶民には高いハードルです。
名前を言ってはいけない元グループのメンバーの一人が宣伝マンをしている昆布つゆという商品があります。昆布の成分のおかげで糸魚川静岡構造線よりも西側の味がする一品。この瓶の裏のラベルには、かけうどんには水で5倍に薄めよと書かれています。さらに冷やしうどんのつけ汁には3倍に薄めよとの助言がある。ところが5倍に薄めると少し上品すぎてパンチが足りないと脳の中枢からの叫びが発せられます。この問題点を改善するために3倍希釈の濃度でかけうどん用の汁を作ると塩辛く、飲み干せない。この汁を捨てるのがもったいないと感じとっておこうと思うのか、いらない汁は使い終わったら下水道へ一直線に捨てることができるのかが貧困線の一つと思うのです。残った汁を保管し、次の機会に使うという行為を始めると家の中に無数のペットボトルやヨーグルトの容器が増殖を始める。うどんの残り汁の入った容器は台所を占領し、そのほかの生活空間をも脅かしていきます。ゴミ屋敷まっしぐら。兎に角も希釈したうどんの汁はその場限りで使い切らないとより不幸になってしまうのです。
ここまでのお話で、うどんが安いこと、薄めたうどんの汁はできるだけ無駄なく利用することが心の安定のために望ましいことがわかります。次にうどんの茹で方と鍋の使い方を話します。
駅の立ち食いそばうどん店やセルフ形式のさぬきうどん店へ行くとカウンター越しに厨房の様子を見ることができます。せっかく見えるのだから、ここから学ばない手はない。この様式のお店では、席の回転を上げるためにできるだけ早くうどんを提供しなくてはなりません。うどんを茹でる鍋と汁の鍋が別になっている点に注目。これはうどんを茹でた濁った汁に汁の素を入れていたのでは汁がうどんから出た小麦粉成分で濁ってしまうことを防ぐために考えられたうどん業界伝統の手法です。しかしながら、家の台所で鍋を2つ使ってうどんを作ることは不経済の印象が拭えない。せっかく安価な18円のうどんを調理するのにお金がかかっては本末転倒です。一つの鍋で沸かしたお湯で経済的にうどんを作ることがジャスティス。一つの鍋で作ることを考えます。茹でうどんはすでに茹でてあるため、温まれば食べれる。この性質は鍋での茹で時間が大変短いということです。手順を説明すると、鍋にお湯を沸かす。お湯をお玉で2杯すくい、どんぶりに入れる。どんぶりが温まったところで、お湯を捨てる。お湯を捨てたどんぶりに昆布つゆを大匙で2杯入れる。大匙を用意するのがめんどうな人は大匙2のラインにマジックで線を描いておくとよい。鍋からお玉でお湯を1.5杯入れる。このお湯の量の加減はお玉の容量によるとところが大きいので、各自工夫してください。ここまでの手順で、汁を温める鍋を準備することが省略されました。手順も片付けも半分になり大変経済的です。鍋のお湯は沸騰したままですので、ここにゆでうどんを投入し、20秒ほど温める。この時間は立ち食いうどん店での店頭でプロの調理人がその時間で茹でていたことに由来します。カウンター越しの学習はとても役に立つ。カウンター席のあるお店は知見の宝庫です。お湯を捨て、うどんを汁の中へ入れます。洗い物が増えることをいとわないのならば、湯切用のテボを使ってもいいのですが、洗い物が増えることは経済的ではない。ゆえに地味に箸でどんぶりに移します。
かけうどんの完成です。このまま食べても昆布つゆの開発者の研究心のおかげで家庭でもとてもおいしい汁のうどんとなります。味に変化をつけたいときは、「わさび」「からし」「七味」を使って刺激を与える。わさびとからしは、粉末タイプをおちょこで溶いて都度生成するのがおすすめです。「うどんにからし」に抵抗感がある人がいるかもしれませんが、豪雪のニュースで名前が出てくる越後の一地方ではからしでそばを食べています。そばに使える薬味をうどんに使わない手はない。ということでからしも薬味に加わった次第です。
さて、冒頭の見出しでは納豆うどんと銘打っているのに納豆が出てこない。ここまでの長文を読ませておいて、これはどういうことだと気が付いた読者は賢明です。納豆はなくてもこのかけうどんは完成する。完成するけれども、栄養面でこころもとない。このうどんをたべても野菜350グラムを摂取することができない不完全食です。できるだけ完全食に近づけるべく納豆を入れる。この時点でできているうどんもすでにおいしい領域に達しています。かけうどんと薬味で半分食べたところで、納豆を入れると食味が変わって、一粒で2度おいしい状態になる。うどんに納豆を入れるときは、汁が多すぎると納豆の粒を箸で拾いにくくなるので、あまり都合がよくありません。半分食べたところで汁を少なめにして納豆を入れるとうどんの中で納豆の濃度をとても高めることができより経済的に納豆うどんを味わうことができます。
ここまでで最低限の納豆うどんの説明はおしまいです。これだけの自炊行為で最低限の命をつなぐことができる。政府関係者から格安うどんをよりおいしく食べる方法として広報されてもいいと思います。
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/性犯罪厳罰化へ-法定刑引き上げ、非親告罪化-「強姦罪」は「強制性交等罪」に変更/ar-AAmh5qd
罰則を強化するほか、被害者の告訴が必要となる親告罪だった強姦(ごうかん)罪などについて非親告罪化することも盛り込む。罪名も「強姦罪」を「強制性交等罪」に変更する方針で、女性が被害者となることを前提とした名称から性差のない名称に変わる。
http://wagang.econ.hc.keio.ac.jp/zigen/038.xml
姦
カン [删]
奸と通ず
○よこしま(邪)かたまし、書。堯典「烝烝乂不格─」
○わたくし(私)
○いつはり(詐)
○みだら(淫行)みだる(亂)
○惡人(罪人·淫婦·佞人·惡漢)
【姦意】 カンイ ねぢけたる心。列女傳「舜猶內治、靡有──」
【姦惡】 カンアク わるもの。潛夫論「張湯增定律令、以防──」
【姦勇】 カンイウ 心よこしまにしていさまし。國語「──爲賊」
【姦雄】 カンイウ 心のあしき豪傑。家語、始誅「此乃人之──者也」
【姦强】 カンキヤウ 心かたましくつよし。蘇軾詩「朅來東觀弄丹墨、聊借舊史誅──」
[一部抜粋]
https://en.wiktionary.org/wiki/姦
Ideogrammic compound (會意): 女 (“woman”) × 3 – lewd behaviour; vice.
このように、「性差別」的な字源を有してはいるが、皮肉なことに、熟語における形容詞的な使われ方としては、専ら男性に関するそれが圧倒的に多い。
まあ、お役所としては、こういう用語を時代ごとに置き換えるっていうのは、むしろ伝統的で正しいことなのかもしれないし、最大の社会悪というのは、こうした用語を形作る言語がシフトしていくことではなく、性暴力被害が発生し続けることだろうから、無用の批判なのかもしれないが…。
とか何とか思ったんだが、結局自分にはその語源自体はよく分からないので、そのような臆測もまた十分ではないことに気づいた。
でも逆に語源が分からない以上は納得がいかないことも、熟語二つの選び方が変だと思うことも、それが俺の率直な意見だ。…論外だが。
ついでに、アメリカだと幼稚園保育園は勿論、小学校教師も殆どが女性なんだよね
この間、生まれて初めて葬式に行ってきたのだけど色々初めての新鮮な経験をしたので、思ったところをなんのとりとめもなくつらつらと書き連ねてみたいと思う。
初めての葬式は母方の祖父の葬式だった。まあ葬式といってもそんな盛大なものではなくて、近い者たちだけで行う火葬式だった。祖父は半年前ほどに末期ガンで寿命宣告を受けていて、その死自体には何の驚きもなく、正直「やっとか……」という感じだった。というのも、祖父は数年前からいわゆるボケが始まっていて、祖母やたまに家を訪ねた母ともケンカばかりしていた。そして更にガンを患って入退院を繰り返し、同居して介護していた祖母は疲弊しきっていた。素直に死を嘆き悲しむ事ができるような祖父は、はるか記憶の彼方に埋もれていた。そんな状況だったから、なんだかとても薄情に聞こえるかもしれないが、自分にとってはその死の報せで特に悲しむということもなく、「これでやっとみんな楽になるんだな」という感想が一番だった。
そんなわけで、大した感慨とある種の現実味もないまま葬儀当日を迎えた。車で数十分の距離にある市営の小奇麗な火葬場は小高い丘の上にあった。火葬場に着くと早々に祖父の棺が運ばれてきた。自分達は炉の前で「最期のお別れ」をすることとなった。母が用意した白い薔薇と今朝書いたばかりの祖父への手紙を棺に入れた。狭い棺のなかで花に囲まれる祖父はまるでただ眠っているだけで、今にも起き出しそうに見えた。いよいよ炉の扉が開かれ祖父の棺がほの暗いその中へと消えていった。炉の扉が閉ざされて火が入ると付き添っていた僧侶が木魚を叩きながら経を唱え始めた。その瞬間、いきなり涙が溢れそうになり必死でこらえた。自分でも何故こうなったかわからなかった。ただその場の雰囲気に飲まれたのか、何か自分の奥底に眠っていた感情とやらが溢れたのかもしれない。その後、亡骸を焼ききるには一時間ほどかかるらしく、待合室で数少ない親戚との久々のささやかな会話をしながらその終わりを待っていた。
その間に先程の経を唱えた僧侶が来て祖父の戒名の説明をしていた。ちなみにこの僧侶へは、式全体のパック料金には含まれないお布施を直接渡すことになっていた。そのお布施の額も決まっていて、値段によって僧侶の人数だのが明確に決められていた。旧来の檀家制度に比べてみればある意味良心的なのかもしれないが、「ビジネスだなぁ……」としみじみ感じてしまった。しかし僧侶というのは大したもので、丁寧に戒名の由来を説明する姿や祖母や母の質問や相談に真摯に答える姿は、金銭の授受によって成立し提供されている一種の「サービス」であることを一切感じさせず、その清い心の底から自分達に同情と共感を向けてくれているように思えた。自分はここで初めて本当の意味での宗教の存在意義を見出したのかもしれない。ミッション系の大学に通っているので、講義で宗教の必要性や重要さ(キリスト教に関わらず)は訥々と説かれていたはずなのだが、懐疑的なところもあった。しかし、渡された戒名を眺めながら言った「これでじいちゃんもきっと向こうで喜んでるね」という祖母のありきたりのようにも思える台詞は、その疑念を実感を伴って払拭するような体験としては十分だった。
そして放送で祖父の名前が呼ばれ時が来たことを知らせた。その時自分は緊張していた。それはある叔父の言葉がきっかけだった。「じゃあお前たち、骨を拾うのも初めてってことだな」。それは自分達姉弟が葬儀に出席するのが初めてという話題に端を発し知らせられた衝撃の事実(自分にとっては)だった。その時は、骨は焼かれた後は影も形もないほど粉々になり、そのまま骨壷へ収められていくものだと勝手に勘違いしていていたので、まさか形が残っている骨を自らの手で拾わなくてはいけないとは夢にも思っていなかった。「あんまり形が残ってたらやだなあ……」などと考えながらいよいよ先程の炉の前に着いた。炉が開き、台車がゆっくりとこちらに向かってくる。その台車の上には軽石のような、なにか鉱石のようにも見える白い物体が載っていた。半ば逸らしていた目を向けよく見てみると、たしかに人の骨格をうっすらと思い起こさせる形をしていた。初めて人骨を目にしたが思ったより衝撃はなかった。二人一組になっていよいよ骨を拾い骨壷に入れる。自分の番になり、姉と一緒に恐る恐る遺骨を長い鉄製の箸でつかみ骨壷に入れた。一斉に骨を離した瞬間、骨壷のなかから乾いた音がした。もちろん骨はいくつもあるので、残りは火葬場の職員が手慣れた手つきで骨壷に収めていく。その時に「こちらは大腿骨です」とか骨の部位をいちいち説明してくるのだが、「そんなん言われても『へえ、これが大腿骨なんだ! 』以外どう思えっちゅうねん」と心のなかでツッコミを入れていたところ、母が「こんなに丈夫そうで、骨格は立派だったんだね」などと言い出し祖母もそれに同調し、「まさかこんな形で故人を偲ぶイベントが葬式にあるとは……」と少し興味深く感じてしまった。その後も骨は骨壷に収められ着々と骨壷の中身はかさを増していくのだが、途中で「どう考えても骨が骨壷に収まりきらないぞ……」とその場に居た皆が感づき始めた頃、不意に、「このままでは収まりきらないのでお骨を少し砕きますね」という声がかかった。その刹那、その職員は箸でバリバリと骨を砕き始めた。それはもう容赦なくだった。粉になった遺骨をさらさらと骨壷に収めていくぐらいだろうと考えていた自分にとっては、かなり印象的な光景になった。一緒に骨を入れた姉と終わった後に「あんなにバリバリ砕くとはねえ~」と少し笑いあった。式を終えた帰りの車内で骨壷を抱えながら「お父さんもこんな中に収まっちゃった」という祖母の気が抜けたような言葉には、何とも言えない寂寥の念を感じさせた。
なんだかんだ書いてきたけど、結局人が身近な人の死をどう認識して受け入れていくのか、そのプロセスのために何が必要なのか、とかそういったことが伝統的な儀式の中には組み込まれてるんだな、という当たり前のことを認識させられた。戒名とかそのために何万も金払うのとか無駄だろwとか思ってなくもなかったけど、単なる損得勘定では考えられないこともあるということも分かった。そして終わってみるといろんなことを学んだ気がした。どうでもいいけど遺骨はさらさらの粉になって出てくるって勘違い、小さい子供が魚は切り身で海を泳いでると思う勘違いと似てるなって思った。ほんとにどうでもいいな。おわり。