はてなキーワード: 伝統とは
既得権益がイノベーションを妨げていて経済のパイが大きくならないから雇用の流動性が低くてブラックな勤め先でも我慢するしかないとか、
身分秩序が強くて庶民は権力者に反抗する手段を徹底的に奪われていて上位者への下位者の不満はさらなる下層民を作って叩かせることで逸らしているとか、
外国をよく知らないくせにでっち上げの伝統やオリジナリティで自国が一番と思い込んで排外主義を拗らせているとか、
これらは中世というよりも近世、というか江戸時代の後期の特徴ではないだろうか?
又吉イエスに「地獄の炎に投げ込む」と名指しされると有力政治家でもパンひとつ買えなくなって世界経済共同体党本部が入っている雑居ビルの前で土下座するとか、
なろうの異世界転生って
平安時代の坂上田村麻呂の蝦夷掃討から、西日本の大和王権と東北・北海道の異人種同士の対立は伝統だよ。
そもそも「日本人」という括りじたいが、近畿・中国四国・九州に住んでいる人達を指すものであって、東北地方の人達は日本人ではなかった。
今関西を通過中の台風の名前はジョンダリと言うらしい、北朝鮮語でひばりを指す言葉だ。
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/1-5.html
台風の名前は各国がつけた名前140個を順番に使い、最後まで行ったらまた最初に戻って使い回すように決まっているらしい。
各国がつけてる名前も大概変だが、日本のつけてる名前も星座由来だが台風ヤギは無いだろって感じだし、全体的に不思議になるような間の抜けた名前揃いで台風の名前をつける方々のセンスが謎だ。
3 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Kirogi キロギー がん(雁)
9 ミクロネシア Ewiniar イーウィニャ 嵐の神
14 ベトナム Son-Tinh ソンティン ベトナム神話の山の神
17 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Jongdari ジョンダリ ひばり
23 ミクロネシア Soulik ソーリック 伝統的な部族長の称号
27 米国 Barijat バリジャット 風や波の影響を受けた沿岸地域
29 カンボジア Kong-rey コンレイ 伝説の少女の名前
31 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Toraji トラジー 桔梗
32 香港 Man-yi マンニィ 海峡(現在は貯水池)の名前
45 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Podul ポードル やなぎ
52 フィリピン Hagibis ハギビス すばやい
59 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Kalmaegi カルマエギ かもめ
60 香港 Fung-wong フォンウォン 山の名前(フェニックス)
65 ミクロネシア Sinlaku シンラコウ 伝説上の女神
67 韓国 Jangmi チャンミー ばら
73 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Noul ノウル 夕焼け
74 香港 Dolphin ドルフィン 白いるか。香港を代表する動物の一つ。
79 ミクロネシア Saudel ソウデル 伝説上の首長の護衛兵
83 米国 Etau アータウ 嵐雲
84 ベトナム Vamco ヴァムコー ベトナム南部の川の名前
87 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Surigae スリゲ 鷲の名前
93 ミクロネシア Nepartak ニパルタック 有名な戦士の名前
98 ベトナム Conson コンソン 歴史的な観光地の名前
101 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Mindulle ミンドゥル たんぽぽ
112 ベトナム Songda ソングダー 北西ベトナムにある川の名前
115 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Meari メアリー やまびこ
121 ミクロネシア Nanmadol ナンマドル 有名な遺跡の名前
129 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Nalgae ナルガエ つばさ
小池都知事みたいな知性を重んじない態度は、別に嫌われないんだよ、世間一般では。知的に誠実な人間は嫌われる。
一方で打ち水とか「安全であっても安心ではない」みたいな、伝統に親しもうとする態度や、ばかの代弁みたいなことをいうと好かれる。
杉田水脈衆議院議員が寄稿した新潮45の発売日 2018/07/18
11:10 - 2018/7/19 twitter.com/syunsuke_takei/status/1019766421578903552
17:52 - 2018/7/24 twitter.com/iP3TqoHWEmoDFNf/status/1021679596897366017
平成28年2月、自民党政調会長だった私は、LGBTの方々が自分らしく、人として尊重され、活躍できる社会を実現するため、特命委員会を立ち上げた。今、この委員会ではLGBTの理解増進のための議員立法の作業中だ。私は多様性を認め、寛容な社会をつくることが「保守」の役割だと信じる。
2018/7/24 www.asahi.com/articles/ASL7S4VPBL7SUTFK01B.html
2018/7/26 mainichi.jp/articles/20180727/k00/00m/010/089000c
「子供を産む、産まないことを非難がましくいう言動はいかがなものか」
2018/7/28(記事日付けは翌29日) www.asahi.com/articles/ASL7W6GMRL7WUTFK01H.html
「そんな心ないことを自民党は許してはならない」
2018/8/1 (発言自体は7/31か?) www.asahi.com/articles/ASL707XDBL70UTFK01T.html
あれはありえない。いかに人生100年時代をそれぞれ多様な価値観で支えていくかということをめざして、人生100年時代(の議論)や働き方改革などをやっているなかで、やっぱりあれは違う。
2018/8/2 www.asahi.com/articles/ASL824TCCL82UTFK00R.html
「人権が尊重され、多様性が尊重される社会をつくっていく、目指していくことは当然のことであろうと思う。これは政府与党の方針でもある」
※前日、事務所は回答は控えるとしていました。(下記)
2018/8/3 www3.nhk.or.jp/news/html/20180803/k10011561851000.html
「政府や自民党が、LGBTの皆さんが抱えている問題に、しっかり対応していこうと取り組んでいるさなかに、自民党の国会議員がそのような発言をすることは、水を差すような話で、よろしくないと受け止めている」
「差別や偏見のたぐいの発言であり、人間の営みに対して『生産性』という言葉を使うことも適切だと思わない。改めて自民党も政府も、しっかりと取り組んでいく姿勢を見せなければならないと痛感している」
2018/7/23 mainichi.jp/articles/20180723/mog/00m/010/024000c
雑誌の記事を全部読んだら、きちんと理解しているし、党の立場も配慮して言葉も選んで書いている。言葉足らずで誤解される所はあるかもしれないけど問題ないから
2018/7/23 mainichi.jp/articles/20180723/mog/00m/010/024000c
2018/07/24 www.asahi.com/articles/ASL7S3V2JL7SUTFK00S.html
2018/8/2 www.asahi.com/articles/ASL825HCCL82UTFK012.html
「こういうことはそんなに大げさに騒がないほうがいいんです。この程度の発言があったからと言って、帰国してからどうだってそんな話じゃありません」
2018/7/29(記事日付は8/1) www.asahi.com/articles/ASL815FV3L81UTFK01C.html
「多様性を認めないわけではないが、法律化する必要はない。『趣味』みたいなもので」
「『伝統的な家族』のあり方は、男が女と結婚し、子を授かって、家族ができ、大昔から同じようなことをして、国を衰退させないように、国が滅びないようにしてきた」
「男が男だけ、女が女だけ好きになるとなったら、多分この国は……」
「申し上げたかったのは、(婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立すると定めた)憲法24条により現状では同性婚の容認は困難であるということ」
13:22 - 2018/7/28 twitter.com/yumi_suginami/status/1023061159501426688
杉田水脈先生のLGBTについてのご発言、確かに「生産性」という言葉の響きはきつかったかもしれませんが、言葉だけ切り取らずに文脈を見ると、あの「生産性」は「子供を産めるかどうか」という意味だとわかります。
※傍から見ると全く擁護になってないとは思いますが、ご本人は容認・擁護の認識なようなのでこちらへ。
2018/07/27(記事日付 回答日時は明言されていない) www.buzzfeed.com/jp/saoriibuki/lgbt-mio-sugita-terata
BuzzFeed Newsは7月23日、LGBT議連の会長を務める自民党の馳浩・衆議院議員に書面で取材を申し込んだが、コメントできないとの回答があった。
2018/7/24 www.asahi.com/articles/ASL7S4VPBL7SUTFK01B.html
「厚労省は様々な環境にいる方々が、それぞれの希望と思いを実現できるよう施策を推進している。引き続き、そうした観点に立って施策を進めてきたい」
2018/7/24 www.asahi.com/articles/ASL7S4VPBL7SUTFK01B.html
2018/8/1 mainichi.jp/articles/20180802/k00/00m/010/021000c
2018/8/1 www.jimin.jp/news/policy/137893.html
今回の杉田水脈議員の寄稿文に関しては、個人的な意見とは言え、問題への理解不足と関係者への配慮を欠いた表現があることも事実であり、本人には今後、十分に注意するよう指導したところです。
詳しくはソースへ
2018/8/2 www.asahi.com/articles/ASL825G30L82UTFK00Z.html
「自民党性的指向・性自認に関する特命委員会の古屋圭司委員長からご指導をいただきました。真摯に受け止め、今後研鑽につとめて参りたいと存じます」
===
ご指摘などありがとうございます。
小泉進次郎議員・安倍首相の言の追記については、8/1夜には更新したつもりでしたが、確認と登録を間違えたためか(もしくはリンク数での不具合のため)無くなってしまっていました。
何度更新しても更新が反映されず、新規エントリとしても登録されないため、ソースから「https://」を全て削除。
二階議員の発言を追加。自民党見解を追加。安倍首相発言を追加。党からの指導を受けての杉田議員発言を追加。
地方議員については考えてませんでしたが後ほどまとめて追加するかも。
増田の方です。なかなか分かりづらい文章だと我ながら思ったけど、読んでくれてありがとう。
そして元増田もこんな俺に付き合ってくれて嬉しいなと思っている。
これは、近代的自我やモダニズム、私小説の問題だと考えたんだけど、違うか?
・元増田:私小説家的な立場。近代的自我やモダニズムに自明さを持てない。ゆえに自分や日本に拠り所となるかっこよさを探すのを止められない(無いのは知っているが)
・増田:モダニスト。哲学や科学など、広く使われる手続きにのっとって、我々の限界を探求しつつ知を構造化するしかない。(拠り所の無さを受け入れて)
って感じで対立している感じ。
対立構造という程のものではないけど、元増田と増田(俺)の立ち位置はご指摘の通りだと思う。
ただ、強いていうなら俺もまた元増田と同じ事を考えていたし、その色々と調べるうちに
昔とは違う立ち位置にたどり着いてしまったと思っていて、だからこの辺の文献を読んでは
どうかという主旨の発言をしているつもり。あえていやらしい言い方をすると、先輩ぶっている。
俺は、元増田の立場に近いところにいると感じる。一方、その立場が無理なのは理解している。なれるなら増田の立場に移行するのが理想だ。
だから、増田がなぜモダニストの立場に立てるのかを聞きたい。言い換えると、音楽において自分の基盤を探りたい欲求を止め、なぜ哲学や科学の方法で済ませられるのか、を知りたい。
日本にいると、幼い頃から身近に学者や官僚、芸術家がいないと、モダニズムを自明なものとみなすのはまだ難しいと考えている。でも、意思の力でそれを引き受けられる人がいたなら、その意見が聞きたいのだ。
それについては明確に違うので俺の言い分を書いておきたい。
俺は日本人だが、やはり当事者自身が日本文化を取り扱う事は大変に難易度が高いと思っていて、
研究に目を通す事は多々あるけれども発信はしていない。日本文化について言及する事を意図的に避けている。
レヴィ=ストロースのいう所のメタ視点は自分自身とほぼ接点のない文化に対しては適用できても、
自らに適用する事はそう簡単ではない。だからはっきり言ってしまえばポピュラー音楽研究界隈が
あえて日本文化に切り込んでいくのを、民族音楽学者は指を咥えて見ているという状況が続いて久しい。
元増田が挙げる輪島さんにしても、増田さんにしても、二人ともポピュラー音楽研究界隈の人だ。
彼らは大衆の流行や、何となくの時代の雰囲気を分析する事に特化しているので遠慮なく物申せる部分がある。
だが民族音楽学者は違う。人間社会の織りなす文化はどれも等しく価値あるよねという大前提に立っている。
要はいいところ探しに特化しているので、雑な意見に反論はしても発信自体にとても慎重だ。
これではいかんと重い腰をあげる動きもあるのだが、全体的にフットワークは正直軽くなく、
その点についての批判は真摯に受け止めなくてはならない、という程度の後ろめたさはある。
自分の手持ち武器は当該社会に深刻なダメージを与えるかもしれない、そんな畏れが心の底にある。
ただ、だからこそプロパガンダ的な、意図的に文化志向を捻じ曲げて指針を示すような言説にはとても厳しい。
日本には侘び寂びの文化があるとか、礼儀作法を大切にするとか、伝統を重んじるとか、
何言ってんだこの野郎と率直に感じる。ごく一部の慣習を民族全体の伝統に置き換えるのはあまりに乱暴すぎるのではないか?
もっと雑多でぐちゃぐちゃで日和見主義で、醜い部分から目をそらす事も多々あるだろと。
どんな事から目を逸らしたいのか、何を受け入れたくないと感じる美意識や規範、無言の空気があるのか。
そんな部分も含めて全てを率直に受け入れつつ、肯定的に評価していきたいというのが
自らのフィールドワークの体験からメタ視点については理解した。
でもそれを自らに適用する事はこの上なく恐ろしい事だ。
「女性が「やめろ」と言うことの出来ない日本語が男女差を固定している」という話をする人は多いのだが
もう一歩進んで「それは標準語に限っての話だ」という視点が出てこないのは不思議だ
方言では一人称や語尾にいちいち細かい男女差はないし命令形が女性に限って忌避される特殊な表現でもない
……少なくとも、自分の知る限りでは
ともあれ要するにこれも明治期に作られた「偽物の伝統」問題の文脈なのだ
人工言語である標準語の解体、という問題意識をきちんと絞り込まないと
コトノハ〇×(http://kotonoha.cc/)において、現在問題となっている大量の複垢を用いて大量連投を行うユーザー(以下:複垢連投オヤジ)と闘って感じた支離滅裂な理論に関して言及していく。複垢連投オヤジに関してはanond:20180217203415の記事を見てもらえれば詳しく分かるはずである。
私は、このコトノハ〇×において、複垢連投オヤジから最も個人攻撃を受けてきた被害者のひとりである。
迷惑なことに、複垢連投オヤジは自分の理論は押し通すのに他人の理論には常に批判しかしない。
ここで、私に対しての批判、暴言に対して言及していくことにする。
記事が長くなり、字数制限が厳しくなったのでPart.2を作成。
それくらい、複垢連投オヤジの思考が言い出したらキリの無いくらい滅茶苦茶であるということであるが…。
私はボランティアを趣味のひとつとして挙げているが、これに対する複垢連投オヤジの一方的な批判や暴言に関してである。
複垢連投オヤジは私の行ってきたボランティア活動に対し、「公民館レベルのボランティアで良い気になっている奴」というような内容の投稿を行ってきた。
最近は平成30年7月豪雨(西日本豪雨)が起こったこともあり、その水害ボランティアに行っていないのに、ボランティアを趣味と言っている、要するにやるやる詐欺ではということでそのような旨のコトが相次いで投稿されるようになったが、勿論それに賛同する〇側に回答するのは複垢連投オヤジのアカウントだけである。
更にはとある俳優がこの豪雨の被災地でのボランティアに参加し、Twitterで称賛されたとの内容のコトも投稿された。
複垢連投オヤジは全くボランティアをするということは無く、以前は自身がやっている献血が凄いと投稿し、私のボランティア活動を馬鹿にするようなコトも投稿してきた。
ここで考えてみる。
そうではなく、実際は様々なボランティアがあり、私が行ってきた地域清掃や地域のお祭りにブース出展するボランティアや伝統的なお祭りのボランティア以外にも、子どもと遊ぶボランティアや老人ホームのボランティアなどもある。
しかし、復興支援はタイムリーなものであり、ニュースで取り上げられることが非常に多いため、ボランティアに関心が無い人でも情報として入って来やすいため、これだけがボランティアだと思っている人も少なからず居るようである。
次は、複垢連投オヤジが今回の豪雨の被災地に住んでいるであろうユーザー名を出し、コトノハフレンズ(複垢連投オヤジが運営を名乗る時に使うアカウントのひとつ)が対策委員会を立ち上げて全力支援するというようなコトを投稿し、そのコトのコメントでその活動の一環で私(この記事の筆者)を派遣するという内容を投稿したことに関して言及する。
まず、その名指しされたユーザーもこのコトの内容に対して全否定しているため、コトの内容は捏造で出鱈目である。
ボランティアは、基本的に謝礼金は出ず、個人の意思で行う慈善事業、奉仕活動である。
見返りを求めるというものではなく、徴兵のように本人の意思に反して無理矢理派遣するという性質のものでもない。
それなのに勝手に上記の内容を投稿しているので、もう滅茶苦茶であり、複垢連投オヤジはボランティアとは何かを理解していないのも同然である。
そこまで水害ボランティアに重要性を感じるならば、人に押し付けず黙って自分が行けば良いのではと思う。
見返りを求めないので、前述したTwitterでの称賛や表彰は求めていないので、これを過度に推すのも正直どうかと思う。
複垢連投オヤジは、最近私が東日本大震災の復興支援ボランティアに行けなかったことに対して言い訳だということを投稿したが、非常に腹立たしいことである。
私は学部時代は理系というのもあり、通学時間が長いことと授業で忙しいこととで中々バイトに就けず金欠で復興支援を含むお金が掛かるボランティアに行けず諦めてきたのである。
そんな中、唯一行けた復興支援ボランティアが4年生後期の熊本地震の復興支援ボランティアであり、東日本大震災の被災地となった各県(福島県、宮城県、岩手県)は一人旅で訪れたという事実がある。
しかし、これを言い訳と言われても困る。
人には人の事情、時間があるということを全く考慮しておらず、一方的に批判するために繋ぎ合わせただけの支離滅裂な理論そのものである。
複垢連投オヤジが、私がボランティアを趣味だと言っていることを売名行為だと言ってきたことに関して。
これも、なぜそのように言うのか根拠は全く不明である。前述の通り、複垢連投オヤジにとってのボランティアは「被災地の復興支援」だけであり、それをやっていないのにやっていると言っていることに対してなのだろうか。実際は様々なボランティアがあり、ボランティアを趣味と言っている方は大勢居るはずだがそれらも売名行為であると言えるのだろうか。
ボランティアを始める目的は様々であるが、少なくとも売名目的で始める方はほとんど居ない。私の場合は浪人中、新しいことを始めたくて友人の勧めで始めたことが一番最初のきっかけであるが、活動を続ける中で、ボランティアチーム、また周りのボランティアラーも様々な目的でやっているが、売名が目的という人にはひとりも会ったことがない。多くの方は社会経験や交流など、または子どもが好きなど純粋な理由からである。
ボランティア関連全ての項目に対して言えるけど、複垢連投オヤジは全くボランティアをやったことがない、浅いどころか無に近い知識で語らないで欲しい。
複垢連投オヤジが「就職活動などでの経歴で有利になる為に、自称ボランティア活動をしていると思う」と言ってきたことに関して。
勿論、これが理由でボランティアをやっているという人も多く見てきたので、上記の「売名行為」とは異なり、これが理由で活動しているボランティアラーが存在することは否めないが、ボランティアを始める理由、する理由は十人十色であるため、これはあるひとつのパターンに過ぎない。
この記事を他の項目も含めて読んでいただいたら分かる通り、複垢連投オヤジは常に自分の考えが正しいとして押し通そうとする性質がある。
そのため、それが100%だとして私(筆者)もそうだと思って決め付けて言っているとしか思えない。
そもそも、私は浪人生だった頃から大学院生である今まで、ボランティア歴は7年を超えているが、単なる実績目的だけの人がそこまで長く続くだろうかよく考えて欲しい。
今まで数回体験で来ただけの人、実績や単位目的だけでインターンシップで来た人など短期だけだった人は多数見てきた。
何も知らない浅はかな知識で、これ以上ボランティアについて語らないで欲しい。
2018年9月上旬、台風21号で近畿地方が被災、その数日後に北海道胆振地方で震度6強の地震が発生した。
この中の「北海道地震」に関して複垢連投オヤジが地震関連、ボランティア関連のコトを複数投稿したことに関して。
前述の通り、被災地の復興支援だけがボランティアではなく、ボランティアは原則的に人に強制して行わせるというものではなく、自分の意志で行う慈善活動であるが、複垢連投オヤジは何度言っても聞く耳持たずなのでそれを理解する脳は無く繰り返し機械的に投稿しているようである。
特に自然災害に対してこのように書くことは、被災地や被災者への冒涜とも取れる。
もう、言いたいことは上記で言い尽くしたので言うことは無い。
何も知らない浅はかな知識で、これ以上ボランティアについて語らないで欲しい。
複垢連投オヤジが「〇〇(私のユーザー名)は尾畠春夫を冒涜していると思う」と言ってきたことに関して。
これは、北海道地震発生後に複垢連投オヤジが投稿されたコトであるが、上記のTwitterでの称賛等に関する内容のコトだと思われる。
まず、今までの経験上、ボランティアラーが他のボランティアラーの活動を馬鹿にする、批判するという人に会ったことがなく、友人やボランティアでの友人から聞いた話でもボランティア活動に関して批判する人は自らボランティアをやっていない人ばかりである。言葉を少し付け足すとすれば、ボランティアラー、チームの活動交流会において意見交換や討論をすることはよくあり、そこで出た悪い意見(改善点等)のことを「批判」と言うかもしれない。複垢連投オヤジの意見をこの「批判」と考えると、内容はもってのほかであり、全く理論として成立していない。勿論、尾畠氏は活動が評価され、表彰されており、それだからと言って他のボランティアラーや活動を一方的に批判するようなことはまず考えられない。特に尾畠氏は「スーパーボランティア」として新語・流行語大賞にノミネートされたとき、自分の行動は当たり前であり、スーパーではないという旨で辞退したほどである。
複垢連投オヤジは懲りずに「公民館レベル」とか「生ぬるい生活」とか色々言っているが、自分がボランティアを全くやっておらずボランティアのイロハの「イ」も知らないのに知った気になって出鱈目を語るのはいい加減もう止めてもらいたい。
私は男性ながらあんさんぶるスターズ!(以下あんスタ)をプレイしており、その中で可愛い系のキャラを推していることに対し、複垢連投オヤジが「ホモショタ (ショタコンなホモ)」であると決めつけていることに対する言及である。
まず、考えて欲しいが、男性があんスタをプレイすることがそこまで不自然で可笑しいことなのだろうか?
私があんスタをプレイすることに踏み切れたのはあんスタをプレイしている男性のニコ生主やYouTuberがきっかけである。
また、ゲーム内の公式掲示板やTwitterでもあんスタの男性プレイヤーは見掛ける。
それらも不自然と言えるのだろうか?
あんスタに限らず、男性が男性アイドルゲームや男性キャラ中心の育成ゲームをプレイすることを批判する人に言いたいことがある。
これに対して誰もが納得できる回答が出来るだろうか?
出来ないだろう。
女性のラブライバーは多いのに、男性のあんスタプレイヤーは少ない、また批判されることもある、これは正直可笑しい話であるので、これを書かせて頂く。
もし、男性のあんスタプレイヤーがホモであるなら、女性のラブライバーもホモということになってしまう。
経験則であるが、あんスタ、アイナナを始めとした男性キャラ育成ゲームをプレイしている男性を批判する女性を全く見たことがなく、寧ろそのようなゲームをプレイしている女性は、男性プレイヤーを歓迎する傾向にある。
それ故、女友達に勧められて始めたという男性プレイヤーも多いそうである。
私もリアルで女性プレイヤーとあんスタの話題で盛り上がったことは何度かある。
あんスタ等の男性プレイヤーを批判する人は偏った価値観を持った男性が多数を占めるのではと思う。
私にとって、あんスタの男性プレイヤーをすぐにホモだと決めつける人は短絡的で世界が狭い、頭が固い人だという評価を下さざるを得ない。
最近は複垢連投オヤジが私に関して過度な粘着、ストーカー行為を働いており、ホモと思われるような発言も見られることから、複垢連投オヤジ側がホモであると見られており、新たに「ホモオヤジ」という蔑称で呼ばれるようになった。
複垢連投オヤジは37歳、私は26歳であり、私が複垢連投オヤジ等と言った軽蔑した発言をすることに対し、複垢連投オヤジが年上なのだから敬語使えと言ってきたことに対する言及である。
まず、年上ならば必ず目上なのだろうか?
それは間違っており、上司が年下、部下が年上ということはよくあり、私は浪人していた時期があったことにより、私が4年生の頃の研究室の大学院生は私より年下であった。
このように、年齢は必ずしも位に一致しない。
コトノハの一般ユーザー間においてこのような位は存在しないため、本人の人間性や評価による部分が非常に大きいと言えるが、複垢連投オヤジは私を含む他のユーザーにとって信頼される存在だっただろうか?
全くそうではなく、大量のアカウントを用いて尋常ではない量の連投を行う、更にはそれを批判してきたユーザーのアイコンを盗用し、小学生レベルの低俗な落書きを加えたアカウントを作成して使用するなど、多くのユーザーにとって極まりなく不快な存在であった。
それ故、コトノハでは「複垢連投オヤジ」や「連投バカ」、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)のコトノハスレ界隈では「漫湖」等と言った蔑称で呼ばれるようになり、多くのユーザーに嫌われてきた。
私や一部のユーザーに関しては趣味や価値観を全て否定されて嫌がらせを受けてきた。
果たしてそんなユーザーを尊敬し、敬いたいと思うようなユーザーは存在するだろうか?
全く居ないはずである。
複垢連投オヤジはそんなユーザーであるので、幾ら年上でも軽蔑すべき要素しかない。
年相応に扱ってほしければ年相応の態度で居て欲しいものである。
増田トラバーの方々とかぬかしてるけど、長文でマウンティングかましてるのは全部俺だぞ。
それはいいとして、元増田の疑問や問題意識にはあまり響いてないようなので、少し切り口を変える。
【伝統】
様々な試論はあるが俺個人の考えでは、いくつかの文化が政治的経済的な諸々の要因と分かち難いレベルで結びつき、民族という単位でまとめあげられたものが伝統と呼ばれるものの正体なのだと思っている。
便利だから続けているライフハックの類は習慣と呼ばれるが、こちらには民族的な色彩はない。
伝統はそうではない。伝統は自らの民族を語る上で欠かせない要素であり、我々を我々たらしめるものだ。
そして我々と彼らを分け隔て、区別する為のものでもある...というのがギリシャ時代からの人々の認識だ。
しかし、伝統とは漠然と存在するものではない。あくまで異文化と接触して、彼我の違いを知り、
その違いこそが我らの唯一無二の価値だと見出すことなしには伝統という名を冠す事ができない。
だから、常に伝統は危機に晒されている。文化は戦争だ。負けたら我が民族の権威が失墜する。
そんな政治的経済的文化的な理由で弄ばれてきたのが伝統の正体なんですよというのが輪島さん達の考え。
そこまでは元増田も正確に読み取ってるなと思ってる。
「伝統は良くも悪くも我々の根幹に関わるものである」というある種の信念ではないかい?
というのも、実際にそういう人達にスポイルされた悲しい伝統というものが古今東西あって、
その問題提起が例の本だったと思うんだよな。
バルトークという作曲家がいるのだが、彼は作曲家であると同時に民俗音楽研究家でもあった。
今にも失われそうな子守唄、労働歌、踊り、気晴らしの遊びや口説き歌など膨大な歌と音楽や舞踊を採譜した。
それらの蒐集とそれぞれの作品の分析を通じて、民族の音楽とは何ぞやというテーマを深く掘り下げ、
彼らという民族を民族たらしめるものを特定し、伝統という名のバトンの受け渡しの大きなうねりに作曲家として、愛国者として身を投じようとした。
バルトークの作品群の中でも編曲作品は明らかにこうした政治的意図を持っている。
しかし、彼の音楽研究は結局の所、労作であるハンガリー民謡を読めば分かる通り、うまくいかなかった。
暗雲立ち込める祖国の中で閉塞感を感じ、積極的に行ってきた民謡の蒐集からもやがて興味を失い、
音楽的ひきこもりといえるような苦悩を臆面もなく吐くようになってしまう。
追い討ちをかけるように、愛国者バルトークはハンガリーウヨからもルーマニアサヨからも批判される事態に陥る。
アメリカは日本へ2発の原子力爆弾を投下して、日本は無条件降伏した。
無条件降伏だったので、日本はアメリカの植民地、奴隷にされた。
江戸幕府は鎖国政策を行っていたが、欧米はその間にも技術を発達させ、軍事力も増大させていた。
江戸幕府は当初「公武合体」によって、新しい日本の体制作りを目指した。
公武合体(こうぶがったい)は、幕末(1850年代から1860年代)の日本において、朝廷(公)の伝統的権威と、幕府及び諸藩(武)を結びつけて幕藩体制の再編強化をはかろうとした政策論、政治運動をいう。
しかし、公武合体は失敗に終わり、薩長のテロリストたちがクーデターを起こした。
イギリスに支援された薩長同盟 VS フランスに支援された江戸幕府
英仏の代理戦争が日本国内で展開されて、イギリスのフリーメーソンが勝利した。
明治維新以降、日本は日露戦争に勝利する等、外国と戦争して勝つことができた。
調子に乗ってアメリカにも戦争をしかけたら(真珠湾奇襲攻撃)、逆にボコボコにやられてしまった。(原爆投下で第二次世界大戦敗北)
天皇が「勝つ見込みはありますか?」と尋ねたら、軍部は「短期決戦で勝ってみせます」と応えた。それならOKと戦争を開始した。
軍部は「アメリカから買っていた石油がなくなったので、これ以上戦争を継続できない」と判断した。(そりゃ戦争やってる相手に石油を売る馬鹿はおらんわなw)
松谷誠のように、早期講和を検討した者もいたが、軍部に握りつぶされた。
日本が2年程度で戦争を止めていれば、満州を失うだけで済み、日本の本土まで取られることはなかった。
結果的に、天皇と軍部は判断を誤り、早期の損切りができなかった。
松谷 誠(まつたに せい、1903年(明治36年)1月13日 - 1998年(平成10年)10月7日[1])は、大日本帝国陸軍の軍人、陸上自衛官。
天皇の悲劇は、周りにイエスマンしかおらず、適切な判断材料となる反対意見を言う者がいなかったこと。
(天皇一人が悪いのではなく、取り巻きの連中が使えなかった。)
もしも、松谷誠らが天皇に直接提案する機会があれば、完全敗北を避けることもできただろう。
歴史を振り返ると、ワンマンのリーダーが判断ミスすることによって、国が滅ぶ例が多々ある。
日本の近代史を振り返ると、日本の岐路は、「公武合体」にあった。
もしも日本が、天皇と将軍のツートップ体制だったら、どちらか一方が判断ミスをしても、リカバリーできる可能性があった。
しかし、ワンマン体制だと、一人のリーダーが判断ミスすることによって、ドミノ式に全体がミスに巻き込まれる。
公武合体が成功していたら、日本は今とは違う歴史を歩んでいただろう。
負け惜しみで、明治維新を賞賛する向きもあるが、敗戦の結果を見れば、明治維新の天皇制は失敗だったことに気付く。
残念だ。