はてなキーワード: 工場萌えとは
上に並んでる連載作品の主人公の顔の多くを見れば分かるけど、典型的な萌え絵との違いが
例外もあるけど、少女漫画の主人公の瞳はとにかく主体的な意思の強さが表現されているのが特徴。
http://www.dokidokivisual.com/
で、典型的な萌え絵はこっち。少女漫画の影響を受けて、目が大きく可愛い絵に描いてるのは事実だけど
違うのは大体において黒目が瞼にくっついて主体性が弱く、見る側に第三者目線としての安心感を与えるような絵になっている事。
でも、萌え絵の方もそれ程露出もしてないし体型もあんまり胸の強調とかはなく、特にエロくはない。
萌え絵と少女漫画絵に違いはあるけれどその違いはエロの有無ではない。
萌えっていうのはそもそも自分が可愛いと思うもの、魅力的だと思うものに対する感情の発露であってエロとは無関係だし。工場萌えとか廃墟萌えだとかの本も出ていたのをご存じない?
日本では「高層ビル」「高層電波搭」「巨大大仏」は観光資源になるが、高圧送電鉄塔って「風景の邪魔物」扱いで完全に公害扱いだな。
何故?
純粋な構造物として眺めたら、せめて「工場萌え」「ダム萌え」程度には観光扱いされても不思議じゃないのに。
ウィキペディアに「日本の主な高層建築物」なんてカテゴリあるが、高圧送電鉄塔は「無かったことにされて」いて、殆ど掲載もされてない。
高さ100m以上の高圧鉄塔は日本全国に多分1000本はあるのに、ウィキペディアに無視されてる。
高圧送電鉄塔を「観光客に開放(地上100mまで登れる)」したり、コンビナートみたく「夜間ライトアップ」すれば、嫌われモノの高圧鉄塔も、観光資源として評価されないか?
ソートしてみた。
なんとなくhttp://anond.hatelabo.jp/20140527121719に乗じて。
※はてなidで書き込まれていないものもあるので騙りが混じっている可能性があります。
※http://anond.hatelabo.jp/20140527121719とそのブックマーク・トラックバックで言及されているものは除外しました(多分)。
こちらからは以上です。
主にネットで発表されるものであり、基本的には普通の小説の体をしているのだが、特徴として「主人公の名称が変換できる」というものがある。
正確に言えばできないものもあるのだが、まあそこは置いておく。
そしてもう一つの特徴として、圧倒的に二次創作物が多く、ほとんとの場合はキャラクター(もしくは芸能人)と主人公の恋愛が描かれているということも挙げられる。
分かりやすく言えば、「オリジナルキャラクターと既存のキャラクターとの恋愛」、著しくは「自分とキャラクターとの恋愛」を楽しむ小説形態というわけだ。
タイトルは若干誤解を与えそうな表現をしてしまった。私は夢小説の中でも後者、「自分とキャラクターとの恋愛」が受け入れられないだけである。
私がこの問題にあたったのは、自分が今一番楽しんでいるジャンルで夢小説文化が盛んで、同ジャンルを好んでいるTwitterのフォロワーが夢小説、または夢的な話題を持ち出すことがわりかし多く、それを見るたびに微妙な心地になる自身がいることを感じていたからである。
自己投影をあまりしなくてもよい、オリジナル性の強い主人公と作品のキャラの恋愛模様を見るのは結構楽しい。主人公はたいてい、作中にはいないようなタイプのキャラなので、それを作品世界に放り込むことにより、相手のキャラやその世界を普段とは別な側面で見ることができるからだ。
ところが主人公≒読者自身だと私の場合そうはいかない。これについて少しばかり理由を考察してみた。
まず私の好きなキャラクターの傾向にも問題があると思われる。
これについては完全に個人的な嗜好で申し訳ないが、私は所謂精神を病んだキャラが好きだ。
要するに、作中で既に好意を向けている相手がいるキャラクターが好きなわけである。
カプ厨的思想かもしれないが、好きな相手とだけ付き合っていてほしいのだ。
つまり、キャラに対する感情が「萌え」というより「ブヒ」に近いのだ。
これは一般人には理解し難い思想かもしれないが、「萌え」は純粋に「かわいい」「かっこいい」「ときめく」「どきどきする」など、疑似恋愛的な要素が強い。世間一般にも「かわいい」というような意味で広まっているような語だ。「ときめく」からか、対人間相手ではない「工場萌え」という単語もあるくらいだ。
「萌え」が恋愛に近いのに対し、「ブヒ」は対象のキャラクターが壮絶に自身の持っている魅力を示したとき(「あざとい」「狙った」行動をしたとき)視聴者、読者は完全に製作者に「狙われて」いるのを自覚しつつもその魅力に圧倒され、愛情を抑えきれなくなったときに「ブヒる」のだ。
即ち、「ブヒ」にはいい意味でも悪い意味でもキャラクターに不自然さ、あざとさが生じる。(それが魅力でもあるのだが)
向こう側から「狙ってきて」くると、自然こちらからキャラクターへ向ける愛情もやましいものになってくる。
性欲を伴ってきてしまうのだ。
夢小説を楽しんでいる人々(夢見乙女というらしい)はおそらく、対象に「萌え」ているのだろう。
私は対象に「ブヒ」っているため、自分そのものがキャラクターと恋愛関係に及ぶのに抵抗があるのだ。
なんせ、キャラクターを恋人ではなく、オナペットとして見ているのに近いのだから、恋愛対象として見れるわけもないのだ。
最後は単純に、自身が作品世界に行けたとしても、キャラクターと恋愛関係が築けるような人物にはなれないという諦観からだ。
自身に魅力がないことを自分でわかっていると、妄想でもそういうことを考えることができないのだ。
夢見乙女達はきっと、純粋にキャラクターのことを愛し、自分もキャラクターに愛されたいと思っているのだろう。
散々否定的なことを述べてしまったが、彼女ら(彼ら)を見ているぶんにはほのぼのするので、これからも夢を見続けてくれればと思う。