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2021-03-31

ストラテラ飲んでたけどストラテラって本当に効くんか?

ADHD疑いでストラテラを処方されて飲んでたけど全然効いた感じしなかった。

飲んでる人は効いてたりするの?

 

以下俺の覚えてる範囲の服用記録

・飲んだのはだいたい半年くらい

最初は10mgから2週間

・朝飯後に飲んで1時間後に副作用が来るので午前中は仕事にならない感じ

とはいえそんなに集中力上がったり効率が良くなった感じはしない

 

・次は25mgを4週間+2週間

副作用は10mgのときよりきついのは来る

・これもそんなに良くなった感じはしない

副作用に性欲減退があったけど、あるかもしれないけど加齢かもしれないのでわからん

 

・25mgも効かなくて40mgを4週間

・一番副作用強い気がするけど慣れてくる

・これでもそんなに良くなった感じはしない

 

医者相談して40mgを2つ飲んで80mgに

・ここで多少効果があったかもしれないけれど、副作用ふわふわしたまま仕事がおわるみたいな感じで効率は良くなってない

・どちらかというとプラシーボ効果に近い感じがする

 

コンサータに切り替えられないか医者相談したが、コンサータを処方できる権限がないので医者を変えることになるという感じで、同じ予約時間権限ある医者はいないしどうしようもなかった

・金払ってもそんなによくないし、医者と別で受けてたカウンセリングはよかったけど担当カウンセラー退職して交代されるタイミング病院行くのやめた

・そこから薬もなくなったため断薬

離脱症状はそこそこあったけど薬の副作用とそんなに変わらなかった

・数年たって今に至る

 

予約時間変えて無理してでもコンサータ処方してもらったほうが良かったのかが唯一後悔っぽいところ

2021-03-07

自殺に失敗したからとりあえず書く

たとえばとある自死遺族スレには、死にたい私が本当に言ってほしいと思わせるような言葉がたくさん書き込まれている。

これはあくまで傷の舐め合いであって、根本的な解決果たしてこの苦しみに対して解決など用意されているのかわからないが)に繋がることはないと思うが、ひと時でもここまで心を軽くしてくれる言葉たちの存在は、決して小さなものではない。

同じ類いの苦しみを持っているからこそ、誰かのその傷をやさしくなでる術を知っている。

これは一種の療法として確立することはないのだろうかとさえ思う。専門家さえ居ないひとつオンライン空間に、確かにその救いは存在している。自助・共助という言葉はかの総理大臣発言として記憶に新しいが、まさしくこのスレッドの在り方こそが、それに最も近いのではないかと思う。

病院匂いが鼻腔の奥によみがえる。正しく言おうとするならば、それは私の気道を確保した管の匂いであるかもしれないし、看護師制服匂いかもしれないし、大量服薬した苦々しい自分口臭であるかもしれないが、それはひとまとまりに、自分が救われた病院匂いとして強烈に私の記憶に残されている。

しばしば嗅覚記憶を呼び覚ますと言われるが、記憶のほうが先に呼び覚まされ、嗅覚再現されるという前後が正しいかもしれない。

家族に聞くところによると、私は部屋で無意識にのたうち回り泡を吹いていたそうだ。それは私の中でおよそ化け物のような姿に想像される。正気に戻ったあとには重い離脱症状が待っていた。息ができるのにできない。身体が痺れているのに痺れていない。藁にもすがる思いで看護師に助けを求めようとすると、酸素心拍数の値は正常だからゆっくり呼吸をしてくださいと繰り返されるのみだった。1分が永遠に思われた。数時間はその状態だったと思う。ただひたすらな苦痛しか言いようがなかった。私はもうあのような地獄を味わう覚悟はない。

死とは"そういうもの"である直感的に悟った。

そういう死を超えていった故人を思い出すと、本当に切なく思う。死後の世界を信じるタチではないけれど、死は筆舌に尽くし難い虚しさであると思う。死は人間想像をゆうに越えた概念であると思わざるを得ない。彼らはそんな場所へ到達してしまったのだ。

仮にも死を目前にしたため、毛ほども誇るべきことではないが、結果として私の共感性は周りの誰よりも高まったように思う。私はいまそのスレッドにかじりついて言葉を探すことしかできない。正直、これを今記しておかずしてどう生きていけばよいかからなかった。乱文で申し訳ないし、思い上がりも甚だしいけれど、この経験が誰かを助くものになればいいと思う。

2020-12-28

食費月1万円の増田に「身体壊しそう」とかいうやつ、貴様らの食事のほうがよっぽど身体壊しそうなンだわ。俺が本物の科学的で合理的健康的な食事ってもんを見せてやります

anond:20201227223731

元増田disってたやつ来てください

俺が本物の科学的で合理的健康的な食事ってもんを見せてやります



大学に進学して一人暮らしを始めた19歳(一浪)の俺は貧乏学生で、外食しようにも金がねンだわだった。

まり自炊をしなければ飢え死ぬ

しか家庭科では非実用的なおままごとしか習っておらず、米を炊くことすらできない。

そこで俺は「食事」を学ぶところから始めた。

図書館栄養学についての本を読み、古今東西人間がどのような食事を行っていたか文化人類学から学んだ。

遠回りすぎるかもしれないが、なにか調べたい際には、地球常識文化について何も知らない宇宙人が一から調査するようにロールプレイングすると楽しい


これまではその場の気分でなんとなくウマそうなものを食うという猿畜生のようなことをしていたが、この調査のおかげで一日の栄養から逆算して何を食べるか考えるようになった。

そこで基準値として参考にするのが厚生労働省が5年ごとに改定する「日本人食事摂取基準」だ。

日本中専門家が集まり、喧々囂々と議論して作られた叡智の結晶がなんとタダで読める。正確には我々の税金で作られている。読まなければ損である

食事摂取基準学校給食病院実施される栄養指導根拠となる科学データであり、今年2020年はちょうど改定される年だったため一部界隈では4年ごとの祭典オリンピックのように盛り上がった。

我々のような非専門家凡夫どもはテレビ流れる「〇〇が身体に良い!」だとか本屋で並ぶクソみたいな「〇〇は絶対食べてはいけない!」といった情報右往左往せず、これに基づいて食事を行えば良い。

専門家無償で公開してくれる科学データに基づいた食事はしないのに、やれ農薬が、添加物が、化学調味料が、と言うやつ。まずは毎日野菜350gを摂ってくれ。


俺はさらなる情報を得るべくインターネット検索した。しかしその時代インターネットはすでに書き散らされたゴミ汚染されていたため、英語食事に関する疫学研究を漁った。

さらに住んでいた寮の部屋にはキッチンがなく、火を使うにはいちいち材料を持ってエレベーターで降りて共用部に行かなければならなかった。そのため、料理工程を極力少なくする必要性があった。

そのような中で生み出され、適時改良されてきたコストお金、手間)が極力かからパフォーマンス(味、栄養素)が高い最強の食事を教えよう。



精製されていない炭水化物オートミール 100g コスパと手軽さ

炭水化物パスタ100~180g GI値考慮したkcal/¥当たりのコスパでは最強 

緑黄色野菜ニンジン60g 業務スーパー冷凍野菜

野菜たまねぎ1/4 トマト缶1/2

魚:サバ缶1/2 気分に応じてイワシサンマ缶等で代替

肉:鶏肉 調理が面倒な場合プロテイン代替可 牛肉豚肉などの赤身肉は月一程度に控える 

果物バナナ1本 キウイ1個 冷凍ブルーベリー20g等 一日の果物摂取200g推奨 

飲み物水道水1.5L 牛乳200ml コーヒー週一

その他:無塩ミックスナッツ28g ヨーグルト100g キムチ30g 納豆一パック オリーブオイル15g 焼海苔1枚  オートミール用に乾燥ワカメ乾燥シイタケ、卵


まるで栄養摂取するためだけのエサのようだと思ったかもしれない。


その通りだ。

しかし、人間毎日ごちそうを食っていた時代なんてここ数十年だけだ。残りの数千年は毎日同じような質素食事を生きるために食い、行事のようなハレの日にだけ特別ものを食べていた。

良妻賢母教育を受けた専業主婦料理する近代都市部上級国民限定文化に過ぎない。

しかも、厚労省食事摂取基準世界保健機関が定める一日の塩分摂取推奨量5gを満たす食事は、プロ栄養士が設計し、給食のおばちゃん部隊大量生産を実行してようやく実現可能な代物であり、一般家庭料理では到底不可能だ。

だいたい、普段質素食事をして、たまに力を入れて作るごちそうやジャンクフードが身に染みて美味いのであって、毎日それらを食っていたら限界効用逓減の法則しかり、快楽は段々と小さくなっていくのに、デメリットだけは増えていくのでコスパが悪い。

こういうドケチ人間でも、旅行では外食中食をするが、最初快楽が大きくても長期の旅行場合はどんどん小さくなって最終的に残るのは胃もたれ脂肪だけだった。

そんな状態我が家に帰ってきて食うゲロみたいなオートミール安心感

学生時代毎日この食事で月1万円台後半、就職してからは白米を食べたり野菜の種類を増やしたり週一のごちそうを自炊、月一の外食をしたりしても月2万円前半でまかなえた。



毎日同じものを食べるのはいやだ?

人間は慣れるものだ。

毎日酒池肉林をしている富豪から見たら一般国民の食事は惨めでとても耐えきれないものに見えるだろう。

しかし、あなた毎日惨めで耐えきれないと思いながら食事をしているだろうか?

もし快楽を数値化できるとすれば両者は大して変わらないかもしれない。


それにパターン化は素晴らしい。毎日ゼロからレシピデッキを構築するよりも、構築済みの「型」を基準とし、調味料材料の一部を季節や気分、体調、割引に応じてカスタマイズしていくことで、献立を考える思考コストが大幅に削減される。お金時間、体力と同じように脳で計算する力は有限であり、できるだけ日常生活での消耗を減らし、浮いた分を自分にとって重要タスクに振り分けると良い。

一人暮らし自炊がめんどくさいという主張において根拠とされるのは、

・適切な材料を腐らすことなく常に冷蔵庫に補充し続けること、

・それらをいか調理するか考えること、

・そして実際に調理すること

の3つがめんどくさいというものだ。

この合理的食事においては日持ちする材料一定のペースで食べ続けるので補充も規則的になり、スーパーで何を買うか迷うことなくカゴにいれてすぐに終わる。

レシピも型に基づいて行えば良いので考える必要はなく、調理はタッパーに材料をぶち込んでレンジで蒸すだけだ。調理工程単純化されたことで、洗い物も僅かしかでない。

焼いたり茹でたりすると過程栄養が減ってしまう。蒸すのが手間でも栄養でも最強。



お菓子ジュース、酒といった嗜好品がないのはいやだ?

欲しくなるようなストレス下の環境に置かれていることが問題なのではないだろうか。

日常的に嗜好品ストレス解消しなければやっていけないというのはもはや依存である

健全環境下では月一、自分クリスマスケーキを食う程度のイベント毎で十分だ。



カフェイン毎日摂取しているとすぐに耐性がつき、ほとんど効果がなくなるので週一程度で十分だ。

タバコのように、最初は確かに効果があったのかもしれないが常用することで耐性が付きデバフだけは多くなる。ニコチン中毒者がタバコを吸って一時的デバフがなくなった最高の状態が、健常者の平常の状態となっているようなものだ。

丁度いい機会なので正月休みにはカフェイン断ちすることを勧めたい。数日は離脱症状頭痛吐き気で苦しむことになるだろうが、それに耐えきった後に飲む久しぶりのコーヒーの効き目に驚くはずだ。



これは娯楽においても同様で、大金を使ってもドーパミンの耐性が付き、同じものでは満足できなくなる。前回よりもっと高価なもの、刺激的なものを求めるようになるだけとなってしまう。

元増田に対して消費や浪費ができない生活なんてつまらなそうという意見があるが本当にそうだろうか。

人間なんて毎日最低5分から30分朝日を浴びてセロトニンを分泌させ、中強度の有酸素運動をするだけで楽しく過ごせる単純な生き物だ。最近コロナステイホームしているのでFitbit心拍数を計測しながらOculus Quest2でアニソンに乗ってビートセイバーしたり卓球したりして昔の王侯貴族なんかよりよっぽど快適に暮らせてる。地位財を追い求めるのを控え、非地位財を求めるとよい。

一生かかっても図書館の本は読み終わらないし、ネットでは世界中音楽が聞けるし、アマプラ映画ドラマアニメもまだまだ見ていないのがたくさんある。


幸せについて科学的に追求したい場合はWell-being studyを調べると良い。俺みたいな匿名個人説教体験談なんかよりよっぽど参考になるだろう。

有酸素運動の強度については、「今日は頑張ったなー」というような曖昧感覚ではなく、心拍数に基づいて行うとよい。数値化されることでゲーミフィケーションの仕組みが働き、やる気に繋がる。個人によるが中強度の運動心拍数120~140程度を中心に、高強度の運動心拍数140~170程度を全体時間の30%行うとさらに良い。

・このように自己定量化(Quantified Self)し管理することは、RPGゲームのようで楽しい。酒を飲んだ日の睡眠スコアが著しく低くなっていたりすると人体実験のようで面白く、たまに不摂生をしても「まぁよい。貴重なデータが取れたから今回は大目に見てやろう」ゴッコをしてポジティブに受け止められる。

有酸素運動時間についてはアメリカ身体活動ガイドラインは一日20分程度推奨、JAMA Internal Medicineの論文によると最大1日64分

https://jamanetwork.com/journals/jamainternalmedicine/fullarticle/2212267



人間の尽きることのない欲望を煽って儲けてる産業お金を費やしても満たされることはないんよ


元増田を「資本家が考える理想労働者奴隷」と評価する意見があるが、本当にそうだろうか。

労働ですり減った精神塩分油分糖分と消費浪費で脳内麻薬キメて、効き目がなくなればもっと稼ぐためにバリバリ労働に励む労働者のほうがよっぽど資本家にとっては理想存在なのではないか



イギリス食文化がマズいと言われているのは、産業革命により都市移住した労働者たちが、伝統的な食文化から断絶されたせいという説がある。

日本大学生(私大)への仕送り額は1994年12万5000円から毎年下がり続け、今では8万3000円。

これから一人暮らし貧乏大学生が外食牛丼屋等)やコンビニ弁当カップ麺をかっ食らうというステレオタイプも廃れていき、自炊を強いられるようになるだろう。


家庭科が男女必修になってからも未だに良妻賢母教育時代のまま、手間暇かかるコスパの悪い塩分過多の家庭料理の作り方を教えている。おそらく多くの生徒が初めて生きるために料理することになる一人暮らし生活に適合した知識ではなく、使えない。

今ではメタアナリシスを中心としたエビデンスに基づく最適な食事についての情報簡単に手に入るようになった。昔は食材栄養素を知りたくなったら辞典を引かなければならなかったが今ではGoogle検索すればすぐに出てくるし食事摂取基準目標としてアプリで個々の栄養別に計算することができる。


現在社会状況に適合できていない近代食文化ではなく、これから上記に類するような”科学的で合理的健康的な新しい食文化”がゆっくりと普及することになるかもしれない。多くの人たちにとっては食に対する冒涜であり、貧困がもたらした退廃のように見えるだろう。

しかし、少なくとも現代金銭時間知識的に余裕がなくまともな食事を行えない者たちにとっては一つの選択肢として十分に検討価値のあるものであり、精神の安定を助け、健康寿命を伸ばすことに役立ち、高齢化に伴う医療費問題人手不足解決にも寄与することになるだろう。

事情でこのような食事をする必要に迫られている人間面白そうだからやってみたいという奇特人間日常で得られる快楽パフォーマンスを最大化したい人間などは、ぜひ実践してその過程の中で見つけた苦痛なところ、改善できるところをアレンジしてほしい。そうした人々の営みを経て”食文化”が洗練されるとよい。

2020-10-27

お酒をやめたら増えたもの

40歳を過ぎて禁酒はじめました。

禁酒というか、毎晩の晩酌を週に1~2回に減らした程度のもの

晩酌やめようと思った理由は、毎晩飲み始めてから記憶ほとんど残らないのが怖くなってきたのと、飲みすぎて次の日を無駄に過ごしてしまうことが週に一回くらいのペースで増えてきたから。

依存症大丈夫だろうと思ってたけど、やめてからの数日はかなりの頭痛に悩まされて、それが離脱症状と呼ばれるものだとわかって少し怖くなった。

かに今まではその頭痛を和らげるためにお酒を飲むという行為を繰り返していたように思う。

それを離脱症状なのだ自分に言い聞かせて飲まないように我慢したら1週間くらいで頭痛はなくなった。

本当は我慢できなくて飲んでしまたこともあるのだけど、翌日のほうが頭痛がひどくなって飲んだことをひどく後悔した。

そんなこんなを繰り返して、だいたい一ヶ月経った。

気がつくと身の回りに色々なものが増えていたので挙げていく。

・髪が増えた。

これまじワロタ。ここのところ生え際の防衛ラインガンガン攻め崩されて隙間からの地肌が寒々しくなるばかりだった。

あぁ。40も過ぎれば仕方ないよなと諦めてた。

ところが、お酒をやめて一週間くらいで、ドライヤーするとき抜け毛が減ってきたことに気づいた。

気のせいかな?と思っていたけど、一週間前くらいから明らかに生え際の産毛が増えてきた。

おいおい。季節的には生え変わりの時期じゃないか。って思いながら、防衛ラインブッシュが作られて防御力が強固になっていく姿をみて少し涙が出た。

貯金が増えた

それまで飲んでいた量は、だいたい第三のビールを2本、その後焼酎をグラスで2~3杯が平均。

考えてみると、それだけで500円弱飲んでいる計算になる。

それが出ていかなくなった。

試しに飲まなかった日は500円貯金をするようにしたところ、この一ヶ月で1万円以上たまった。

積み重ねてはじめて気がついたことながら、むしろそんなに使っていたのかと思うと少し怖くなった。

さら副産物として、無駄遣いも減った。

なぜかというと、今の所まだ、お酒我慢するというのはそれなりに精神コストを使っている状態なので、500円という価値ものすごく重くなったから。

今までは気になるものがあれば2000円までは思考停止ポチってたのに、4日分の我慢と天秤にかけるとおいそれと買えなくなった。

この一ヶ月で貯金箱には1万円ちょっとだけど、現実的にはもっとたまっていると思う。

・本を読む時間が増えた

今までは、飲んでしまえば忘れてしまうという理由で夜に本を読むことはなかった。

逆に飲まないようになると暇な時間が増えてしまったので、本棚から昔読んでいた本を引っ張り出してみることにした。

実は昔は本の虫だったことを思い出した。

読み始めてみると楽しくて、3日に1冊のペースで本棚を消化し始めた。

風化した心の地層から忘れていた自分が掘り起こされたような気分だった。

子供との会話が増えた

お酒を飲んでいるときのほうが楽しい父親なんじゃないかなって思ってたけど、そうではなかった。

子供にしてみると、感情の起伏が激しくて酔っ払った父親には近づきづらかったらしい。

そんなこと考えたこともなかったけど、お酒を飲まないでいると、子供たちが自然に近づいてくることがわかった。

これは素直に反省した。

・妻との会話が増えた

妻がなんでもないことを話しかけてくるようになった。

今まで会話を拒否したつもりはなかったけど、酔っぱらい相手に何を話しても無駄と思っていた部分はあるかもしれない。

とてもなんでもない、他愛のない話。例えばママ友とのやり取りとか、掃除用具をどれを買おうか迷ってる話だとか。

そういうことを話しかけてくるようになった。

でも多分これは、今まで話しかけられていたことに自分が気がつくようになったのだと思う。

これも素直に反省した。

家族笑顔が増えた

かに迷惑をかけているつもりはまったくなかった。

だけど、気がついたら『お酒を飲み始めたら触れてはいけない存在』に、家族の中でなっていた。

それに比べて、お酒を飲まずに居間に座っているときは、自分を含めた『家族時間』が動いていることに気がついた。

逆か。

それまでは、お酒を飲み始めた時点で、家族時間から取り残されていたのだと思う。

そこに、戻ることができた。

それに気づいた時ボロボロと涙が止まらなくなった。

朝目が覚めて家を出るまでの慌ただしい朝の1時間仕事から帰ってきてお酒を口にするまでの1時間

たったそれだけの時間しか家族と過ごしているとは言えなかったのかもしれない。

たまの休みさえ、二日酔いで潰れてしまっていることさえあったのだ。

それを思うと、後悔よりも申し訳ない気持ちがこみ上げて、涙を溢れさせて止まらなくなった。

突然泣き出して子供たちは戸惑っていたけど、妻を見たら何故か涙目ながら微笑んでいた。

妻はとっくに何かに気がついていたのかもしれない。

いつからだろう。多分、バランスを崩したのはコロナが始まってからだと思う。

それを言い訳にして、自分けが辛いという顔をして、家族ストレス押し付けていたのだろう。

毎晩飲んだって暴力暴言がなければいいって思っていたけど、それは間違っていたかもしれない。

軽い気持ちで始めた禁酒だけど、やめてみてわかったことは、飲んでいる間、自分想像以上の負担家族に強いていることだった。

多分それは、家族も気が付かないうちに増えていたもので、だからこそ自然ストレスから開放されて笑顔が増えてきたのだと思う。

自分ではうまく付き合えていると思っていた。

でも、やめてみたらこれほどまでに多くのものを失っていたことに気がついた。

これからも、こうして増えていくものカウントして、あの生活に戻らないように自分に言い聞かせていこうと思う。

2020-10-01

割とすんなり夫の無意味晩酌をやめさせることに成功した

夫は毎晩のように晩酌をする。

休肝日といえば二日酔いお酒が飲めないときくらいだった。(当然休肝日になっていない。)

アルコール依存症というわけでもないが、それでも仕事が終わって家にいる時間の大半は酔っ払っていることが何となくストレスではあった。

依存症になってからでは遅いし、今のうちになんとかできないだろうかと考えた結果、そこで思いついたのが休肝日貯金という提案だった。

現在お酒は夫が自分の小遣いで買ってくる。

大体ビールを1缶空けると、割と良さそうな焼酎ロックで2~3杯。毎週ゴミの日に一升瓶が一本出てるので、一週間で飲みきっているようだ。

ビールが一日150円焼酎が2500円。

150x7+2500=3550円が夫の一週間の酒代と考えられる。

自分の小遣いとはいえ、割と飲んでやがるなこいつ。

そういえば、以前夫がなんとなく大きな買い物をするのは気がひけるというようなことをいっていた事を思い出した。

自分の小遣いを貯めたとしても、なんとなく家族の手前使いづらいというような感じだった。

そんなつもりもなかったが、確かに毎日ちょっとずつ使う分には罪悪感がないのもわかる。

それならばと提案してみたのが、この休肝日貯金だった。

いつものようにビールを飲み始めた夫に話しかけてみる。

私「いつもおつかれさま。ところでそろそろ年齢的にも体のことが心配だし、お酒を減らしてみてもいいと思うんだけど。」

夫「あー、うん。そうだね。健康のことを考えなきゃだね。」

口ではこう言っておきながら明らかに生返事。次に何か私が言おうものなら言い返してやろうという身構えも感じられるが、ここまでは予想通り。

私「そこで考えたんだけど、休肝日を作ったらその分貯金してみるってのはどうかな。」

夫「、、、え?どういうこと?」

動揺が見えた!すかさず畳み掛ける。

私「あー、ほら。以前、金額の大きな買い物をするのに気が引けるって言ってたでしょ。だから休肝日を一日作るごとに500円を貯金していって、溜まったら好きなものを買ってもいいってしたらどうかなと思って。」

ビールテーブルに置いて考え始める夫。

しばらくして口を開く。

夫「うーん。でも、小銭とか用意するの大変だし、長続きしなさそうだな。」

実はそれも想定内

私「そそ。それで考えたんだけど、寝るまでにお酒を飲まなかった日は、電子マネーサービスに500円チャージするっていうのはどう?いつも電子マネーお酒も買ってるんだから、月末の請求は変わらない感じになるでしょ?」

ハッとした顔で顔を上げる夫。畳み掛ける私。

私「それでたまったお金の使い道に関しては、絶対文句を言わない。趣味のものでもゲームでも、好きなものを買ったらいいんじゃない?」

夫の瞳の奥が輝いたのを見逃さなかった。

私「そしたら、今日だけはこのビール一本で終わったらOKということにして、早速やってみようよ!」

えー、悪いよ。いいの?といいながらスマホを取り出す夫。どの電子マネーチャージしようかアプリぽちぽちし始める。

勝った。

次の日から嘘のようにぱたりとお酒をやめた夫。

最初の一週間くらいは日中頭痛がひどかったらしく、それってどこぞで読んだ離脱症状じゃねーか!って大声で突っ込みたくなるのを我慢

そんなこんな、すでに禁酒生活10日を過ぎ、自分の仮説が正しかたことを実感した。

なんとなく夫の心理的には、小遣いを残しても使いみちがないなら、毎日の発散で消費してやろうという気持ちがあったみたい。

その辺はなんとなく自分でも反省

まぁ、私だって好き勝手買い物ができるわけじゃなくて、小遣いだからって好き勝手できていいですねという無言のプレッシャーをかけていたことは反省している。

子供も大きくなって少し手がかからなくなってきたので、そろそろ趣味を取り戻して、いいも悪いも子供を巻き込んでもらいたいなと思ったのは事実で、うまく行ってくれてよかったです。

さて、その分今度は子供お金がかかるようになってくるので、次はどのタイミングで小遣い減額を申し出るかの戦略を立てなくては。

まずはお酒をやめてくれてよかった。言うなればバケツの穴を埋められたような達成感あります

2020-09-25

筋トレすると鬱になる

一時期Twitterタイムラインで「筋トレが最強のソリューションである」みたいなアカウントがバズって本が出た。

筋トレをするとホルモン関係で鬱にならないらしいんだが、もともと季節性のうつ病治療しながら筋トレをしているわたし筋トレ歴三年)くらいから言うと

筋トレをしすぎると疲れてそのまま下がって動けなくなる

・季節性のうつハイになる季節には筋トレをしていくと良いと思う。

・服薬無しだと、動く気すらなくなる。

・あと、カフェインとかを筋トレにのむトレーニーも居るけれど、あれの離脱症状みたいなのが普通の人よりも出やすいかあんまりおすすめしない。

基本的うつ病セロトニンによるし、個人的には太陽の光を浴びたりすると症状が軽減されるきがする(光治療

太陽の光は無料

∴ 太陽の光を浴びる、あるいは光治療という最強のソリューションをした上で筋トレをやれ。

 

2020-09-14

Twitter見ない!と思って見るの辞めたらすげー気になってこれってもしかして離脱症状???ってなった

胃がずーんと重くて気になっちゃうんだよねえ

2020-07-28

禁煙のコツ

7ヶ月くらい禁煙できてるのでいくつかのコツをシェアする

# 動機を持つ

そもそも禁煙したい」「止めたい」気持ち動機があるかどうか確認する。

そういう気持ちがなければ、禁煙する必要はない。

# 連休中に禁煙を始める

喫煙者がいきなり禁煙すると、離脱症状(禁断症状)が出る。

異常に眠くなる、頭痛がする、熱が出る、全身の倦怠感等々

酷い風邪か鬱のような症状が発生して体調不良になる。

特に最初の1週間とかはひどくて、仕事にならないので

連休中に始めることをオススメする。

# 喫煙以外の行動に置換する

最初ハードルを超え、肉体的依存を脱しても、習慣は中々変わらないものだ。

こういうとき喫煙行動を別のものに置換するのは良いアイデアだ。

私の場合は、筋トレに置換した。

「吸いたいな〜」とおもったら、外に出て、人の通らないところで腕立てスクワット

これはすごくうまくいった。

吸いたいイライラエネルギー筋肉にぶつけることができた。

筋肉が追い込まれると自然と吸いたい気持ちも治まった。

# 禁煙アプリを入れる

なんでも良いのでスマホ禁煙アプリを入れる

私はswanというアプリを入れた

今日禁煙何日目、というのが、わかりやすいしモチベーションになった

# 気楽に構える

禁煙してたのに、ついタバコを吸ってしまうことがある。

これは必ずある。

台無しだ〜」などと思わなくてもいい。みんな通る道である

また禁煙を始めれば良いのだ

# タバコはやめられない

これは個人的感覚で、コツとは違うかもしれない。

タバコそもそもやめられないものだ、と思う。

タバコやめた」なんて言ったことはないし、これからも言わない。

未だに、自分喫煙者である感覚を持っている。

ただ長く禁煙してるだけ。

死ぬまで自分は、「禁煙中の喫煙者」だろうと思ってる。

2020-07-24

死ねないだけで生きてきた

初めて死にたいと思ったのは小学2年生の頃だった。

家のすぐ隣に出来たゴルフ練習場の明かりが眩しくて、眠れない夜が続いた時だ。

死にたい」という明確な気持ちがあったと言うよりは、明日もこのまま寝不足学校に行って、

眠くてぼんやりとしているところを先生に怒られて、というのを続けるぐらいなら、いっそこのまま消えてしまったらいいのにと願っていた。

そうやって暗いイメージが湧き出しては止めることが出来ず、幼少の自分には長すぎる苦痛な夜の時間から抜け出したくて、

ベッドに横になったままできる限り精一杯長く息を止めるのを繰り返し「うっかり窒息死してしまえたら」と子供じみた自殺未遂を試み続けていた。 

次に死にたくなったのは高校2年生の時だった。

高2病とも言われるような、人生を斜に構えて無気力に過ごしては自身無力感に苛まれていた。

次第に学校もやや不登校気味になり、気が付けば「皆が真面目に勉強している中でフラフラ遊んでいる」というレッテルを貼られ、

たまに教室に顔を出そうものならクラスメートだけでなく教員たちから厄介者のような扱いを受けていた。

そんな時、家の薬箱から母親が昔飲んでいたらしい薬局の袋に入った睡眠導入剤を見つけた私は、

「これをたくさん飲んだら死んでしまえるかもしれない」と袋に入っていた束になったシートから錠剤を全て取り出して震える手で飲み干した。

どくんどくんといつもより大きな鼓動を打つ心臓が、自分死ぬかもしれないという不安と緊張と少しの期待のせいなのか、

それとも単純に薬の副作用だったのかは分からないけれど、私は暴れる心臓の音が家族に聞こえないように自室の中で布団に包まっていた。

暗闇の中で止めどなくほろほろと溢れる涙を流しながら、その時を待っていた、そして私の意識は途絶えた。

翌日、私は何事も無かったかのように、いつも起きる時間よりもだいぶ早くに目が覚めた。

遺書も残さず、数少ない仲の良い友人にも何も言わずに突発的に試みた自殺未遂だったけれど、

拍子抜けすると同時に、あれこれ残したりせずにして良かったと安堵していた。

まだ誰も目覚めていないキッチンに行って水を一杯飲んで、違和感を覚えた。

かめるように冷蔵庫に入っていたオレンジジュースを飲む、味覚が無くなっていた。

冷汗が止まらず、ただただ「どうしよう」という言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。

自殺しようとして薬を沢山飲んだら味覚が無くなってしまった」などということを誰かに相談する訳にもいかず、

しばらくは生きた心地がしないまま、味のしない食べ物咀嚼するのはまるで砂や泥を食べている気分で、誰にも気づかれないように胃に押し込むことにひどく苦労した。

結局、三日も経たない内に味覚は元に戻るのだけれど、この時に「次に死ぬなら確実に死ななければいけない」と心に誓ったのだった。

 

次に死にたくなったのは22歳、大学留年した時だった。

真面目な学生では無かったけれど、なんとなく大丈夫だろうと思っていた淡い期待はあっさりと裏切られてしまった。

一応サークルには所属していたけれど、ほとんど活動に参加していなかった私は、文字通り大学一人ぼっちになってしまったのだ。

そんな私の唯一の心の拠り所はSNSの顔も知らない友人たち、その中でもとりわけ"メンヘラ"とカテゴライズされるような人々との交流だった。

最初は寂しさを埋めるためのアイテムだったはずが、尊大希死念慮に苛まれて生きるダメな人たちの存在可視化されることは私の良くない考えを加速させていった。 

あの頃を思い返すと、死にたかった、というよりも、いつ死んでもよかった、というのが正しかった。

私は名前も知らないおかしな人たちと浴びるように酒を飲むことも、サイケデリックな色をした「海外製」とだけ言われた錠剤をスナック菓子のように口へ放り込むことも、

そのまま外に飛び出して狂ったように遊びまわることも、怖いと思うことは何一つなかった

素面でいたくなかった、誰かと過ごしているようで、感覚けが宙に浮かび、幻覚の中を彷徨って倒れこみ、自分を取り囲む影と会話して過ごした。

路上はもちろん、駅の医務室や知らない人の家で目覚めることも日常茶飯事だった。

裸で目覚めて隣で眠る見知らぬ人を起こさないようにベッドを抜け出し、最低限の服と荷物だけ持って逃げ出したこともあった。

 一方で大学がある日は真面目に授業を受けていた。

離脱症状でガタガタと震えながら、倒れないように机に噛り付いて授業を受ける様は正しく狂人だったと思う。

ただ「死のうと思えばいつでも死ねる」ということが確かな心の支えになって、私は人より一年だけ多く掛けて大学卒業することができた。

真っ先に死ぬと思われていた私を残して、大学時代の悪友たちは4人が亡くなり、2人は隔離病棟入院していると風のうわさで聞いた。

 

気がつけば30歳を目前としている、生きてしまった、生き延びてしまった。

私は死ねなかった、自分長所や得意なものというのは思い浮かばないが、死ぬことは特別下手なようだった。

それどころか真っ当に就職して、結婚し、子供にも恵まれた、人は私のこと見て「幸せだね」と言うようになった。

ただそれでも「死にたい」という心の底に燻る感情は、初めて認識した時から今のこの時まで片時も消えてはいなかった。

から私は今夜も、精一杯長く息を止め続ける、「一度ぐらい上手くいきますように」と願って。

死ねないだけで生きてきた

初めて死にたいと思ったのは小学2年生の頃だった。

家のすぐ隣に出来たゴルフ練習場の明かりが眩しくて、眠れない夜が続いた時だ。

死にたい」という明確な気持ちがあったと言うよりは、明日もこのまま寝不足学校に行って、

眠くてぼんやりとしているところを先生に怒られて、というのを続けるぐらいなら、いっそこのまま消えてしまったらいいのにと願っていた。

そうやって暗いイメージが湧き出しては止めることが出来ず、幼少の自分には長すぎる苦痛な夜の時間から抜け出したくて、

ベッドに横になったままできる限り精一杯長く息を止めるのを繰り返し「うっかり窒息死してしまえたら」と子供じみた自殺未遂を試み続けていた。 

次に死にたくなったのは高校2年生の時だった。

高2病とも言われるような、人生を斜に構えて無気力に過ごしては自身無力感に苛まれていた。

次第に学校もやや不登校気味になり、気が付けば「皆が真面目に勉強している中でフラフラ遊んでいる」というレッテルを貼られ、

たまに教室に顔を出そうものならクラスメートだけでなく教員たちから厄介者のような扱いを受けていた。

そんな時、家の薬箱から母親が昔飲んでいたらしい薬局の袋に入った睡眠導入剤を見つけた私は、

「これをたくさん飲んだら死んでしまえるかもしれない」と袋に入っていた束になったシートから錠剤を全て取り出して震える手で飲み干した。

どくんどくんといつもより大きな鼓動を打つ心臓が、自分死ぬかもしれないという不安と緊張と少しの期待のせいなのか、

それとも単純に薬の副作用だったのかは分からないけれど、私は暴れる心臓の音が家族に聞こえないように自室の中で布団に包まっていた。

暗闇の中で止めどなくほろほろと溢れる涙を流しながら、その時を待っていた、そして私の意識は途絶えた。

翌日、私は何事も無かったかのように、いつも起きる時間よりもだいぶ早くに目が覚めた。

遺書も残さず、数少ない仲の良い友人にも何も言わずに突発的に試みた自殺未遂だったけれど、

拍子抜けすると同時に、あれこれ残したりせずにして良かったと安堵していた。

まだ誰も目覚めていないキッチンに行って水を一杯飲んで、違和感を覚えた。

かめるように冷蔵庫に入っていたオレンジジュースを飲む、味覚が無くなっていた。

冷汗が止まらず、ただただ「どうしよう」という言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。

自殺しようとして薬を沢山飲んだら味覚が無くなってしまった」などということを誰かに相談する訳にもいかず、

しばらくは生きた心地がしないまま、味のしない食べ物咀嚼するのはまるで砂や泥を食べている気分で、誰にも気づかれないように胃に押し込むことにひどく苦労した。

結局、三日も経たない内に味覚は元に戻るのだけれど、この時に「次に死ぬなら確実に死ななければいけない」と心に誓ったのだった。

 

次に死にたくなったのは22歳、大学留年した時だった。

真面目な学生では無かったけれど、なんとなく大丈夫だろうと思っていた淡い期待はあっさりと裏切られてしまった。

一応サークルには所属していたけれど、ほとんど活動に参加していなかった私は、文字通り大学一人ぼっちになってしまったのだ。

そんな私の唯一の心の拠り所はSNSの顔も知らない友人たち、その中でもとりわけ"メンヘラ"とカテゴライズされるような人々との交流だった。

最初は寂しさを埋めるためのアイテムだったはずが、尊大希死念慮に苛まれて生きるダメな人たちの存在可視化されることは私の良くない考えを加速させていった。 

あの頃を思い返すと、死にたかった、というよりも、いつ死んでもよかった、というのが正しかった。

私は名前も知らないおかしな人たちと浴びるように酒を飲むことも、サイケデリックな色をした「海外製」とだけ言われた錠剤をスナック菓子のように口へ放り込むことも、

そのまま外に飛び出して狂ったように遊びまわることも、怖いと思うことは何一つなかった

素面でいたくなかった、誰かと過ごしているようで、感覚けが宙に浮かび、幻覚の中を彷徨って倒れこみ、自分を取り囲む影と会話して過ごした。

路上はもちろん、駅の医務室や知らない人の家で目覚めることも日常茶飯事だった。

裸で目覚めて隣で眠る見知らぬ人を起こさないようにベッドを抜け出し、最低限の服と荷物だけ持って逃げ出したこともあった。

 一方で大学がある日は真面目に授業を受けていた。

離脱症状でガタガタと震えながら、倒れないように机に噛り付いて授業を受ける様は正しく狂人だったと思う。

ただ「死のうと思えばいつでも死ねる」ということが確かな心の支えになって、私は人より一年だけ多く掛けて大学卒業することができた。

真っ先に死ぬと思われていた私を残して、大学時代の悪友たちは4人が亡くなり、2人は隔離病棟入院していると風のうわさで聞いた。

 

気がつけば30歳を目前としている、生きてしまった、生き延びてしまった。

私は死ねなかった、自分長所や得意なものというのは思い浮かばないが、死ぬことは特別下手なようだった。

それどころか真っ当に就職して、結婚し、子供にも恵まれた、人は私のこと見て「幸せだね」と言うようになった。

ただそれでも「死にたい」という心の底に燻る感情は、初めて認識した時から今のこの時まで片時も消えてはいなかった。

から私は今夜も、精一杯長く息を止め続ける、「一度ぐらい上手くいきますように」と願って。

2020-06-20

子供部屋おじさん、リモートワークになってから飲酒量が増えて辛い

作業出来る環境が他に無いので、朝食の以外ほぼ自室で過ごしている。

退勤後にどうにもオンオフの切り替えが付かない。通話する時も昼食も夕食も致す時も寝るときも自室。

ズルズル勤務時間外でもSlack見たり、どうでもいい作業について考えてしまうので、思考シャットダウンするために毎日退勤後に飲酒するようになってしまった(普段は金曜くらいしか飲まない)。どうにも一旦飲んで、数時間立つと離脱症状的なものしんどいし、尿意で早朝に目覚めてしまうわで生活の質がバク下がり、終いには太る。学生時代不眠でアル中になりかけた経験もあり、このまま酒に頼る行為がが習慣になるのがどうも怖い。

運動とかで切り替える習慣付けたほうがいいのかな〜。

2020-05-13

夜は夜らしくしていればよかった

仕事柄、毎日のように深夜の会議に出席していたら睡眠導入剤がないと寝付けなくなってしまった。

仕事がヤマを越して深夜の会議に出る必要がなくなっても、薬に依存気味になり、やめられなかった。いちど飲むのをやめてしまうと、離脱症状のせいで夜に目が覚めてしまって辛かったので、飲み続けるしかなかった。

だが新型コロナウイルス流行を期に、最近は薬を飲まなくても寝られるようになっている。

精神の不調を抱えているわけではなく、睡眠導入剤を処方してもらうためだけに心療内科に行って感染リスクさらされるのは割に合わないので、自然と足が遠のいた。

さらに、一言でいえば、夜に夜らしくしていれば寝られることがわかった。

まず夜でも電灯が明るい繁華街から郊外引っ越した。日が沈むと周囲が暗くなった。

また室内でも、日が沈んだ後は明るい照明をつけるのをやめた。すると、その明るさでできることは限られてくるので、夜に目が覚めるような活動はせず、自然と早めに寝るようになった。

日の出時間が早くなるにつれて起床時刻も少しずつ早くなり、朝の時間を余裕を持って使えるようになった。

大げさに聞こえるかもしれないが、コロナウイルスのせいでようやく人間らしい生活に戻れた気がしている。

2020-03-12

anond:20200312170519

「やめたくてもやめられない」だけだと強迫性障害に近いと思う。そこに「渇望」や「離脱症状」などが加わると依存症寄りになる。

2020-03-05

家にいると延々とインスタントコーヒーを飲み続けてしまうので、空になったのを機にネスカフェカフェインレスに替えてみた

それから日経ったけど片頭痛がひどくてググったら、カフェイン中毒 - Wikipedia離脱症状にがっつり当てはまってて「ああ…カフェイン中毒だったのか…」と納得している

摂取を中断した場合離脱症状としては頭痛一般的であり、12 - 48時間以内に出現し、2 - 4日以内に消退する。他の症状としては眠気、集中力の減退、疲労感、不安抑うつ運動遂行能力の低下、発汗、吐き気(嘔気)、カフェイン摂取の渇望などがある[11]。禁断性の片頭痛に対しては鎮痛薬で対応できるが、通常短期間(数日)のうちにすべて治まる。一般用医薬品の鎮痛剤には、カフェインも含まれている場合がある。

頭痛だけじゃなくて、前ほどコーヒーを飲みたいと思わないのもカフェイン中毒の現れだったせいか~ なるほどな~(ネスカフェカフェインレスコーヒー、味はちゃんと美味しいんだよ)

数日で治まるというからもうちょっと我慢してみよう

ああ香味焙煎飲みたいな ゴールドブレンドでもいいな

2020-03-02

家で一人が好きだけど、コミュニケーションとったほうがいいのかな

仕事ストレスが大きい。

仕事内容もそうだし、上司との人間関係も。

ちなみに同僚はいないも同じ。

 

自分は一人で楽しむ趣味が多い。

外に出るのも面倒だから必然、家が好きになる。

そして、それはストレスで加速する。

一ヶ月以上、休日は家から出ていない。

 

友達はいないわけじゃないけど、頻繁に連絡をとったり遊んだりはしない。

地方で働いてる友達が多いのもある。

親が毒系統だし、姉弟にもそれほど興味がないので、家族とも疎遠。

 

でも人とコミュニケーションとったほうが、ストレスはまぎれるのかな?

仕事ストレスで、長期休み以外は不眠の症状がひどいんだけどまぎれるんだろうか?

睡眠導入剤は飲んでない。飲んでたことあるけど効きが悪いし、強い薬は副作用離脱症状が強かったから)

 

若いわけじゃないから友人と会うと食事するぐらいだけど、楽しかたこともあれば、家で趣味してたほうが良かったと思うこともあったんだよね。

時間お金もかかるわけで、自分にとっては大きなコストなんだ。

まあ、友人と会って楽しくないときがあるのは、自分自身がそんなに愉快なタイプじゃないのもあるんだろうけど。

そもそも人間あんまりきじゃないのかもなあ。

 

なんて考えてるうちに、もう2時。

今日もよく眠れないんだろうなあ。

2020-03-01

体調が悪いと思ったら

ストラテラを飲み忘れていただけだった

ストラテラ離脱症状がないと言われているけれど、実際はあるように思える・・・

みんなも気をつけてな

2020-02-03

[]2020年2月2日日曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
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増田合計ブックマーク数 ()内の数字は1日の増減

7005218(2901)

2020-02-02

anond:20200202004648

離脱症状問題もありますし、薬の血中濃度不安定になってしまうといった問題もあるみたいですね。

anond:20200202000902

へー。SNRIだとSSRIほど強烈な離脱症状はないのかなー。羨ましい。

服用を一旦中断してから服用を再開するときは最小投与量から始めるケースが多いと思うけど、増田さんもそうだったのかな。

ていうか服用開始直後に躁転(もしくはアクティベーションシンドローム?)したのにそのまま服用継続するのね。そういうものなのかな。私の主治医なら向精神薬精神神経系副作用が発現したら投与中止して別の薬に変えそうな気がしないでもない。まあ素人から分からんけど。私も明日で薬が切れるし離脱症状が怖すぎるので明後日なんとかして病院に行って薬を貰ってきたい。

anond:20200201235527

SSRIを急に服用中断すると起こりがちな離脱症状(いわゆるシャンビリ頭痛目眩など)が起きてないところを見ると、そなたはドグマチールリフレックスレメロン)服用か、もしくは抗うつ薬以外の向精神薬を服用しているのか…?

ワイはルボックスパキシルレクサプロSSRIを服用してきたが、1週間も服用中断してたらシャンビリと頭が割れるような頭痛…いわゆる離脱症状で布団から起き上がれないくらい最悪な体調になるで

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