たとえばとある自死遺族スレには、死にたい私が本当に言ってほしいと思わせるような言葉がたくさん書き込まれている。
これはあくまで傷の舐め合いであって、根本的な解決(果たしてこの苦しみに対して解決など用意されているのかわからないが)に繋がることはないと思うが、ひと時でもここまで心を軽くしてくれる言葉たちの存在は、決して小さなものではない。
同じ類いの苦しみを持っているからこそ、誰かのその傷をやさしくなでる術を知っている。
これは一種の療法として確立することはないのだろうかとさえ思う。専門家さえ居ないひとつのオンライン空間に、確かにその救いは存在している。自助・共助という言葉はかの総理大臣の発言として記憶に新しいが、まさしくこのスレッドの在り方こそが、それに最も近いのではないかと思う。
病院の匂いが鼻腔の奥によみがえる。正しく言おうとするならば、それは私の気道を確保した管の匂いであるかもしれないし、看護師の制服の匂いかもしれないし、大量服薬した苦々しい自分の口臭であるかもしれないが、それはひとまとまりに、自分が救われた病院の匂いとして強烈に私の記憶に残されている。
しばしば嗅覚は記憶を呼び覚ますと言われるが、記憶のほうが先に呼び覚まされ、嗅覚が再現されるという前後が正しいかもしれない。
家族に聞くところによると、私は部屋で無意識にのたうち回り泡を吹いていたそうだ。それは私の中でおよそ化け物のような姿に想像される。正気に戻ったあとには重い離脱症状が待っていた。息ができるのにできない。身体が痺れているのに痺れていない。藁にもすがる思いで看護師に助けを求めようとすると、酸素や心拍数の値は正常だからゆっくり呼吸をしてくださいと繰り返されるのみだった。1分が永遠に思われた。数時間はその状態だったと思う。ただひたすらな苦痛としか言いようがなかった。私はもうあのような地獄を味わう覚悟はない。
そういう死を超えていった故人を思い出すと、本当に切なく思う。死後の世界を信じるタチではないけれど、死は筆舌に尽くし難い虚しさであると思う。死は人間の想像をゆうに越えた概念であると思わざるを得ない。彼らはそんな場所へ到達してしまったのだ。
仮にも死を目前にしたため、毛ほども誇るべきことではないが、結果として私の共感性は周りの誰よりも高まったように思う。私はいまそのスレッドにかじりついて言葉を探すことしかできない。正直、これを今記しておかずしてどう生きていけばよいかわからなかった。乱文で申し訳ないし、思い上がりも甚だしいけれど、この経験が誰かを助くものになればいいと思う。
とりあえず俺がそろそろ福祉からでられそうだから つぎお前くるか?1枠あくかもおれのぶん
結局女の自殺というのはだいたい他人に自分の都合よく動いてほしくてやるだけで、本質的にはリスカと同じなんだよね たまに自殺未遂に失敗して死ぬ奴がいるだけ
ほな何かい?線路に飛び込む女は 言うて助かるやろってどっかでタカくくっとんのかい?
ダチョウ倶楽部みたいなもんでしょ どこかで誰かが止めてヨチヨチしてくれるだろうと思っていたら、当てが外れて引っ込みがつかなくなっちゃったの
他人を動かせない奴がなんか言ってる。 自分で自分を救うことも、他人に自分を救わせることもできないなら仕方ないね。
ハードルの低さと実際の辛さが反比例してる気がする。 飛び降りたりする勇気は無いから薬物乱用するのかもしれないけど、その目論見は失敗してかつ辛い。