はてなキーワード: 徹夜とは
親戚が置いていったのを借りて遊んだ。キノピオが扱いやすくて好きだった。
SFCの楽しさを知ったのでブックオフで買ってもらった。当時は確かスペシャルコースで挫折したが、後にリメイク版(GBA)で裏世界到達を果たして満足し、カートリッジをステージ中央に置いて引退。
「ロクヨン」というやつが面白いと聞いてクリスマスに買ってもらう。(トイザらス限定の金色)
当時小学校の近くに住んでおり、「スマブラ」があると聞きつけた同級生たちが連日押し掛け、人生の絶頂期を迎える。
同年、ゲームボーイカラーとポケモン金に出会い、ビデオゲーム好きを決定づけられる。相棒オーダイルの背中に乗って旅する夢を見る。
その後、銀・クリスタル・赤・ピカチュウとプレイして金のポケモン図鑑をコンプリート。
ドラゴンクエストⅠ・Ⅱ
ファンタジーの高揚感と旅の寂寥感を知る。ロンダルキアの雪原でアークデーモンと対峙する夢を見る。
あまりにもハマりすぎたためある日親がブチ切れ、ビデオゲームの類はすべて鍵付きトランクに収監、プレイも土日のみに制限され、スマブラ目当ての同級生たちも遠ざかり、人生の絶頂期が早くも終焉。
念願の「スマブラDX」を買ってもらうも、既に非社交性を存分に発揮していたため64時代の栄光を取り戻すことかなわず。
加えて、ある日帰宅するとビデオゲームが全てブックオフに売却されており、その夜焼肉に連れて行かれた。母は「ゲームを売ったお金よ」と言ったが、あれが事実なのか質の悪いジョークなのかは未だに分からない。泣きながら口に押し込んだタン塩はどこか塩辛く、しかし胃袋は正直であった。
(追記)
上記の事件は私が「ゲームは土日のみ」という約束を破り、トランクの鍵をハックしてこっそり遊んでたことが発覚したせいなので、普通に私が100%、いや99%悪いです。あと親子仲は普通に良いです。
このブックオフ焼肉事変の影響で「時のオカリナ」「ムジュラの仮面」「マリオ64」「バテン・カイトス」など任天堂据え置き機の名作をプレイする機会を失ったのが個人的にコンプレックスになっている。Switchにバーチャルコンソールはよ(今ややる時間がない)
2003~2008年
中高時代、懲りずにお小遣いを貯めてこっそりゲームボーイアドバンスSP(名機)を購入。買い漁った中古ソフトを、バックライトの恩恵にあずかって布団に隠れてプレイし、ド近眼になる。ファミコンミニシリーズでレトロゲームにも触れる(初代ゼルダ、スーパーマリオブラザーズetc)。
大学受験日程を全て消化した瞬間、ニンテンドーDS Liteとポケモンプラチナを購入し欲望のままに徹夜プレイ。DS版クロノトリガーに大感激してゲーム音楽に目覚め、光田康典繋がりでソーマブリンガーをプレイし、DS版ドラクエ5でデボラ派に鞍替えする。
初めてのソニー機・PSPとMHP2Gを購入。大剣太刀片手剣を1000時間振り回し無事留年。
この頃ニコニコ動画でThe Elder Scrolls 4: Oblivionの存在を知る。PC洋ゲーとのほぼファーストコンタクト。初めての日本語化・初めてのmod導入(受験英語でもそこそこちゃんと勉強していた過去の自分に感謝)、初めてのオープンワールドRPG。RAM4GBオンボード最低画質でも20FPS前後だったのにようやってたなほんとに。
Fallout3もプレイし、Bethesda神とHavok神への信仰心を獲得する。
ゲーミングPCへの憧れを抱く。
ゼノブレイドの評判を聞きつけてWiiを購入。ダンバンのあまりのかっこよさにJRPG熱が再燃する。
この頃から心身を病みビデオゲームから離れたため、Wii UやPS3の流行に乗れず、第2のコンプレックスを抱える。
精神に凪が訪れ、Newニンテンドー3DSLLを購入しポケモンやモンハンを一通りプレイするも、さすがにもう限度を弁えていたため事なきを得る。
なんやかんやあって卒業・就職し初任給を全額はたいてBTOゲーミングPCを買うも、なぜか初任給がなくなってしまったのでPCを抱いたまま餓死しかける。
最高画質modマシマシでTES4やFallout3を遊び直したり、
帰宅後の限られた時間でも遊べるインディーゲームを買い集める。
Nintendo Switch購入。ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルドにドハマりし、続けてスプラトゥーン2にドハマりする。プライムデュアル時々スシコラ洗濯機。
Steam、Origin、Uplay、Nintendo Switch、PS4 Proその他諸々に囲まれてあへあへ積みゲーオタクなう
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包装関係の会社員から独立してデザイン系(絵描きではない)のフリーランスを5年 去年4月に法人化して
無事1回目の決算が終わったのでフリーランスで思ったことや実践したことを書く
(私見だが)起業はまったくのゼロからはじめられる、起業する!と決めてから何で起業するか考えてもいい
だがフリーランスになるにはまず業界がフリーランスを受け入れる状態かどうか?が最重要だと思った
まず第三者的な目で自分のいる業界を評価してフリーランスが求められてるかどうかを判断するべし
前職から仕事をもらうつもりはなかったので、フリーになると決断した8ヶ月前からポートフォリオを作り
外注を募集してる会社にメールや郵送で○○月からフリーになるのでよろしくお願いします!って形で売り込んだ
の3つに絞った
理由としては会社員時代に外注として売り込んでくるフリーランスの資料を
上司がみるときに、職務経歴についてはほとんど振れてなかったから
結果として返事をくれたのは18社中11社で、フリーになる前に仕事をくれたのは5社だった
(エージェントを使おうかとも思ったけど、ただ仕事を右から左に受け流すだけで結構なマージンを取られて
基本的になにかトラブルがあれば守るのはプレイヤーじゃなくてクライアントだと(俺が勝手に)思ったのでやめた)
つまり営業時間中にしか連絡はできないし、「今日中に」というのは日付が変わるまでではなく営業時間内にという意味
納期ギリギリに徹夜で作業して朝方メールで納品すると、クライアントは9時に出社してきて10時ごろにメールを見て修正や確認などのリターンを送ってくる
6時にダウンして13時ごろに目が冷めたら「午後イチの会議で使いたいので12時までに返事ください」みたいなメールが来て真っ青になる...
なんてことが起きると大変なのであんまり浮世離れしたタイムテーブルは現実的じゃない
フリーランスから真っ先に想像するのが「時間が自由になる」のと「収入が上がる」の2つだと思う
時間は当然自由になるが前述したとおりクライアントは会社(員)なので、クライアントには土日は連絡つかないし
唐突に平日に休み作ってもクライアントからは容赦なく連絡が来る(予め言っておくとそんなこともないけど)
3連休中になんかトラブルあってもただモンモンとしながら連休明けるのを待ったりしてそんなにいいもんでもなかった
とはいえ会社員なら事務員がやってくれる作業を全部自分でやってるし福利厚生も無いのでそれらを現金化したらこんなもんだろうって感じ
結局のところ年収1000万に手が届いたあたりで消費税課税事業者になって売上が単純に8%下がったのと
所得税が一気にあがるってフリーランスの旨味をまったく感じられなくなったので同じくらいの規模のフリーランス数名と合同会社を作って法人化した。
社会保険が高くなったけど税理士に頼んで事務関係は楽になったし、会社役員という肩書は結構便利
経費もかなり自由になるし、福利厚生も設定できるしとっても快適
18:15追記
たしかにこの書き方だと年商1000万と読めますね、実際は2年目で年商1000万を超えて4年目に消費税を収めはじめ、5年目で年収1000万を超えました。
A.事前にきっちりルールを作って書面にしたので内部崩壊的な意味では今のところ問題なし
基本的には全員それぞれフリーランスのときと同じことやってるだけ、請求書も会社名に担当者名をつける形で分けてる ...とはいえ赤の他人同士で作る合同会社は3~4人が限度だとは思う
A.逆だと思います。 家族に経理をやってもらってる間、自分は金になる作業ができるので収入は上がるし、事業専従者給与は全額控除になるので専従者の控除額目一杯まで払えば家計的にもおいしい
親は団塊世代で当時は給料も右肩上がりの時代で、それなりの中流家庭だったと思う。
兄が通っていた地元の塾に自分も行かせてもらい、兄は一足先に中学受験をして某私立中高一貫校へ進学した。
自分は最初の塾(兄と同じ)で、『御三家も狙える』と言われ、有名な大手進学塾へ通うようになった。
毎週土日のどちらかには親に連れて行ってもらって都内へテストを受けに行き、自分は純粋に楽しんでいたが、それに付きあう親は大変だったろうと思う。
そしてその頃から、どうやら兄は道を徐々に踏み外していったらしい。
具体的に中学生の兄の身に何があってそうなったのかは今でも知らない。
兄は万引きなど軽犯罪を繰り返すようになり、親が警察に行くこともたびたびあった(当時、自分にはそれらの事実は知らされなかった)。
自分と兄はひとつ屋根の下に暮らしていたが、部屋は別々で元々仲の良い兄妹でもなかったし、
自分は中学高校(御三家の一つに受かった)で良い友人に恵まれ学生生活を楽しんでいて、兄のことはほぼ眼中になかった。
ただ、それでも兄や両親を見ていて、『兄が道を踏み外しつつある』こと、『親が兄の対応で大変らしいこと』は雰囲気でわかった。
だから、自分まで親に負担をかけてはいけないな、と子供ながらに思っていた。
別に親のためにいい子でいようと思ったわけではない。
道を踏み外していく兄を尊敬できなかった、いや、心から軽蔑していた。ああはなりたくない、と思っていただけだ。
学校の友人の兄弟はみな出来が良くて、どこに出しても恥ずかしくない「まっとうな」人達で、比べると自分の兄が恥ずかしかった。
学歴なんかの問題じゃない、今でもそれで兄を差別する気はない。
犯罪を犯すこと(万引き以外にも路駐やら何かでしょっちゅう警察から電話があった。警察をバカにし、遵法精神などまるでなかった)、
それで親に多大なる迷惑と心労をかけていたこと、それを反省もせずにまた繰り返すこと。
兄の心理など知る由もないし、なにか彼の思春期に問題があったのかもしれない。
だがだからといって兄の行為が正当化される訳もない。繰り返すならなおさら弁護の余地もない。
私は心の底から兄を嫌い、軽蔑し、しかし表にはそれを出さずに、ただ兄とは接触しないようにしていた。
(なぜなら、兄は短気で暴力に訴える人間だったからだ。一度自分がそういった態度を見せた時、夜中に枕元に金属バッドを持ってすごんできたのは忘れられない。
そしてそういった基質もまた、私の兄への侮蔑をより強める結果になった)
そして兄は高校を(なんとか)卒業し、大学へは行かずにフリーターになった。
親はどこでもいいから大学へ行かせたかったようだが、兄本人が『大学でやりたいことがない』と進学しなかった(ここは兄が正しいと思う)。
ありがちな話だが、兄は音楽の道を進もうとしたらしい。バンドを組んで、いわゆるバンドマンになった。
音楽活動の実態は何をしてるのかさっぱりわからなかったが、さほど身を入れてやっている様子もなく、芽も出なかった。だが諦めきれないのか、フリーターをしながらだらだらと続けていた。
自分が高校を卒業し大学へ進学した後も、兄はその生活をしばらく続けていた。
そのうち、兄は一人の女性(Aさん)と知り合った。そして二人は結婚を考える仲になった。
Aさんはとても良い女性だった。自分や両親とも仲良くしてくれて、兄は大嫌いだがこんな姉ができるなんてほんとに嬉しい、ようやく兄が自分にとって良い行いをしてくれたと思った。
しかしここで、両親は最大の過ちを犯した。
何を思ったのか、兄にマンションを買い与えたのだ。親の名義でローンを組んで、兄と彼女の新居にしろと兄に与えた。
フリーターの兄に月々のマンションに係る支払が払えるはずもない。それはすべて親が払っていたのだ。しかも結婚も確定しないうちに買って与えた。
呆気に取られた。納得できないが親の気持ちになって考えてみれば、『Aさんに逃げられないように、住居が確定していれば結婚生活も楽になるだろう』ということだったのかもしれない。
『妹は大学へ行かせてやったのだから、兄にも何か与えねば』と思ったのかもしれない(しかし自分は国立大で、学費をトータルしてもマンション費用の20%にもならないのだが)。
兄は別に特段の感謝をする様子でもなく、当たり前のようにそれを受け取った。
そしてその後、結婚が決まっても一向に定職につこうとせずに自堕落な生活を続ける兄は、Aさんに愛想をつかされて結婚前に出ていかれた。
(兄はAさんに入れ込んでいたらしく相当なショックを受けていたが、自分から見れば当たり前だばーかとしか思えなかった)
この頃からだろうか、自分が『親は兄を贔屓している』と思うようになったのは。正確には、『親は兄を甘やかしている(自分には厳しいのに)』と感じ始めたのは。
自分は親に言われた。『私立大に行かせる金はないし仕送りをする余裕もないから、家から通える国立大にしろ』と。
親の言うことに従おうとしたわけではなかったが、自分の行きたい大学はその条件を満たしていたので、結果として親ののぞみを叶えた形になった。
しかし心のどこかに、『親ののぞみを叶えたい』という気持ちがなかったとは言えない。兄で苦労させられている親を見てきて、自分だけは親が誇れる子供でいようとしたのかもしれない。
通おうと思えば通えたが、一人暮らしに憧れていたこともあり、親の援助は一切受けずに一人暮らしを始めた。貯金とバイトでなんとかまかない、4年間それを続けた。
親が兄にマンションを買い与えるまではそれも納得していた。だが、親がそれをした時、自分の中で不公平だという気持ちが生じた。
根底に『「親に迷惑ばかりかける穀潰しでろくでなしの」兄に、なぜそんなに金をかけて甘やかすのか?』という考えも当然あった。
自分にとって兄は「いないほうがマシ」で、存在する事で何もいいことがない、迷惑なだけの存在だった。
グレてようがフリーターだろうが、優しい兄なら愛せたろう。だが、兄としての優しさを見せてくれたことなど数える程もない(その数回も小学生以下の時だけ)。
家庭を持って子を為し、親に孫の顔を見せて安心させてくれたなら、「普通」で「まっとう」な人間になってくれたなら、それで兄を見直すこともできただろう。
しかし兄は正真正銘のクズなので、逆の道にしか行かなかったのだ(それについては後述)。自分が兄を見直す機会はおそらく死ぬまで来ないだろう。
(余談だが、なかにし礼氏の小説の再現ドラマ(兄との関係を描いたもの)を見た時、心からなかにし礼氏に共感した。自堕落でお調子者で弟にとって迷惑な兄。
なかにし礼氏が兄の葬式後につぶやく、『兄さん、死んでくれてありがとう』がわかりすぎて辛かった。
何年先かわからないが、おそらく自分も兄が死んだ時、『死んでくれてありがとう』と心から思うだろう。自分が先に死ぬかもしれないが)
Aさんに逃げられた後、しばらく兄は自堕落な生活をしていた(親が金を払っているマンションで一人ぐらし)。
自分は何度も親に『マンションから出て行かせろ、でなければ兄は自立できない』と言ったが、親は『そんなこと実際にできるわけがない』『目の届かないところに行かせるほうが不安だ』と言って聞かなかった。
この頃から、自分の中で『兄が駄目になったのは親の(甘やかしの)せいではないのか』『親は己の見栄しか考えてないのではないか』という疑念が湧いてきた。
やがて自分は大学を卒業して、氷河期の中なんとか上場企業に就職を決めた。
希望の会社からは内定が出ず、文系でプログラムなど全くわからないのにSEになることになったが、就職できただけでよしとするしかなかった。
親の反応は『とりあえず上場企業だから、外への体裁が整った』というものだった。親にとって自分は見栄のための存在なのだなということが、徐々にわかってきていた。
同じ頃、兄もようやく某リフォーム会社で営業として働きはじめた。
兄の営業成績は良かった(もともと外面だけは良い)ので、いっときは小金持ちになれたらしい。外車を買ったが、マンションの金を親に返す気はさらさら無いようだった。
その外車がポンコツなのかあるいは外車とはそういうものなのか、しょっちゅう壊れて修理代がかかった。あまり乗らないせいもあっただろう。
乗らないのなら売ればいいのに『売っても二束三文にしかならない』と兄は言い張り、親はなぜか修理代を肩代わりして払ってやっていた。
(散々修理代を払って直して、最後にはやはり壊れ、ろくに乗りもしないままに結局二束三文で売ったようだった)
マンションの支払いは親が続けていた。このころようやく、月々の管理費や積立金などの維持費だけは兄が支払うようになったようだった。
そのうち、バツイチ子持ちの女性Bさんと知り合い、今度は結婚した。Bさんについては自分はほとんど知らない。
その頃自分は向いていない仕事かつ長時間労働で心身を病みかけており、朝焼けの街を徹夜明けで泣きながら一人家路についたりしていたので、兄のことなど構う暇もなかった。
結婚式には一応出た。ストレスで過食気味になりむくんだ顔の自分が愛想笑いを浮かべて写っている写真は見返したくもない。
兄の結婚になんの感慨もなく、『これで普通の人間になってくれれば』と願っただけだった。兄に望むただ一つのことは『普通の家庭を築いてくれ』で、それ以上は望まなかった。
営業成績が良いのに浮かれ、独立すると言って仕事を辞めた兄だったが、ろくなノウハウもない個人のリフォーム営業がそうそう上手く行くわけもない。
あっという間に生活は行き詰まり、さっさとBさんに逃げられた(どうやら浮気されていたようだが、それを追い詰める気力もなかったようだった)。
そしてまた、マンションで自堕落な生活に戻った(もちろんマンション維持費は親払いに戻った)。
自分はずっと『兄を甘やかしすぎだ、マンションから追い出せ、マンションを売ってしまえ、でなければ兄は自立しない』と親に言い続けていたが、ずっとでもでもだってで聞き流された。
『(万引きなどの)前科があるから、追い出したら何をするかわからない。もっと悪いことになるかもしれない』『どれだけ言ってもあいつはこちらの言うことを聞かない』。これが親の言い分だった。
しみじみ、親も兄も情けなく、どうしようもないと思った。『お前は冷たい』と言われた。
『そもそも最初にあれが道を踏み外した時、お前の中学受験にかかりきりで、親としてろくに関わってやれなかったのが悪かったから』と。
そう言われて自分にどうしろと? 責任を感じろというのだろうか? もうとっくに成人していい年になった兄を憐れめと? 親でもない自分がなぜ親と同じ感情を共有せねばならないのか?
『ずっとそう言い続けて兄を甘やかして、それで状況が好転したか? 好転する見込みがあるというのか? 兄の自立を妨げているだけではないのか?』
そう言っても、親は同じ言い訳を繰り返して兄への甘やかし(マンション与え)をやめようとしなかった。
自分の中で、兄への嫌悪と親への嫌悪の比率は徐々に逆転していった。兄がどれほどのクズだろうが、どんな人生を送ろうがもはやどうでもいい。
自分と同じ親のもとで、恵まれた環境で育ったにも関わらず、兄は自ら堕ちていったのだ。兄の人生は兄のもの、好きに生きればいいしどこでのたれ死のうが勝手にすればいい。
兄よりも、そんな兄を甘やかし続ける親のほうに不信と不満が募っていった。なるほど、親がこうして甘やかすから兄は更生できないのだと納得した。
そして『兄が自分よりも甘やかされてる事実』にどうしても納得できなかった。自分を特別扱いしろというのではない、兄を特別扱いするのが耐えられなかったのだ。同じ子供として平等に扱ってほしかった。
自分の大学時代、兄は親が与えたマンションでゆうゆうと一人暮らしして、自分は仕送りを一切受けられずに生活費のすべてを自力で稼いだ。
就職してから、兄は親が与えたマンションで好き勝手に暮らして、自分は親に金を入れていた。家に金を入れるのは当然だと思う気持ちもあったが、理不尽だと思う気持ちはどうしても拭えなかった。
その気持ちに耐えられず、『兄と比べてあまりにも不平等だ、兄にも金を支払わせろ、兄を甘やかすのもいい加減にしろ』と泣いて言ったら、『じゃあこれからお前も金は入れなくていい』と言われた(そうじゃないだろ)。
家庭のことや仕事のことなど色々あり、結局自分は新卒で入った会社を3年ほどで辞めてしまった。親に『30までにやりたい道(フリーランス)で食っていく目処をたてる』と誓い、宣言どおりに28で目処を立てた。
兄は親が見つけてきた非正規パートの仕事をなんとかこなし、その頃にはそこそこ年季も入って板についてきていた。新しい彼女(Cさん)もできたようで、マンションで一緒に暮らし始めた。
だが、そんな矢先。兄が、クスリで捕まった。
最初に一報を聞いた時、親はともかく、自分は『まあ、あるだろうな。やっぱりな』としか思わなかった(基本的に兄の人格を信頼していないので、何を起こしたと聞いても『やりかねない』としか思わない)。
もちろん家族の誰も気づいていなかった。家族の目の届かないマンションでずっとやってきたものらしい。
自分は『言わんこっちゃない、だからマンションから追い出せとあれほど言ったのに、甘やかし続けた結果がこれだ』と親に言った。親は『そんなこと今更言っても仕方ない』としか言わなかった。
そこからの詳細は省くが、兄は執行猶予がついて戻ってきて、兄を見捨てなかったCさん(菩薩かよ)と今でも親の与えたマンションで暮らしている。Cさんが見張っているので再犯はないと思いたい。
Cさんには敬意と感謝しかない。彼女がいなかったら兄はもっとだめになっただろう。
しばらくCさんに食わせてもらっていた兄だが、今はまた派遣で職について、そこでの仕事も軌道にのってきたようだ。今度こそは歳も歳なので落ち着いたと思いたい。
(ちなみに、また維持費だけは払うようになったが、購入費は一切払っておらず、名義は父のまま。毎年実家よりも高い固定資産税を払っているのも父)
兄はもうどうでもよく、二度と犯罪を犯すなCさんにだけは迷惑をかけるなCさんだけは大切にしろとしか思っていない。
残念なことに、自分の中で兄の見方が変わることはこの先死ぬまでない。今の兄と表面上でも付き合えるのはCさんあってこそだ。Cさんを姉と慕っても、兄を兄と慕うことは生涯ない。
きょうだいは他人の始まりとはよく言ったもので、兄への気持ちはもうこれでいいと落ち着いている。
だが、「未だに」なのか、「今だからこそ今まで積もり積もったものが」なのか、自分の中で親へのわだかまりだけはどうしても消えない。考えると落ち着かず、心がざわつく。
もう親も老い、自分もいい年だ。親も人間であり、それも見栄っぱりで子供を平等に扱わず贔屓するようなできの悪い人間だったんだと納得するしかないとわかっているのに、
自分はどうしても、親に『自分たちが間違っていた』と言ってほしい。子育ての過ちを認め、自分がどれほど辛い思いをしたかを理解し、悪かったと謝ってほしい。
だが、過去に喧嘩した時の経験から、親は絶対に自分の過ちを認めない、ましてや子供から言われる言葉を決して正面から受け止めないとわかっている。
『それが親に対して言う言葉か』『何様のつもりだ』『はいはい、全部こっちのせいだって言いたいんでしょう』…そう言って絶対に絶対に自分の過ちを認めない。老いた今、なおさら頑なになり認めないだろう。
自分は自分なりに、親の期待には応えてきたと思う。教育で親に金をかけてもらった事は感謝しているが、それだけの成果をちゃんと出し、結果をだした。
なのになぜ、自分は兄と同じに扱われなかったのだろう。自分だけが要求され、応え続けねばならず、それなのにそれを評価もされなかったのだろう。
これを言うと嫌な人間だと思われるだろうが、客観的に見て自分のほうが親に貢献しているしまともな人間として育った(少なくとも前科ものでなく、親に迷惑をかけていない)という自負があるだけに、やるせない思いがある。
本来なら自分のほうが親に贔屓されて然るべきではないのかという思いがあることは否定しないが、贔屓してほしいとは言わないしするべきでもない。
ただ自分に求めるものは兄にも求め、兄に与えたものは自分にも与えてほしい、子供の間に差をつけないで平等に接してほしかっただけだ。
男女の差だというのならばなおさら、兄には『長男』としての役割と責務を求めるべきだったろうに、なぜ私が長男の役割も果たさねばならないのだろう。
兄が結婚した時、自分は『兄が孫を作ってくれたらそれだけが兄の親孝行だ、自分にも兄がいた意味がある。せめてそれくらい孝行しやがれ』とわずかに期待したが、兄は子供を作る間もなく離婚した(そもそも作る気もない)。
母は自分にだけ言う、兄には絶対に言わないのに、『老後の楽しみがほしい、孫が見たい』と。
子供はジジババの楽しみのために産むもんじゃねえし産んでおしまいじゃない、何ならあなたがたが育ててくれんの? 育てる金あるの? と応えたら沈黙した。
そんなに孫が見たいなら兄に言ってくれ、男なんだから自分よりよほど確率が高いだろうと言ったら、『あの子に育てられるわけがない』。『何を言っても無駄』と言って、兄には20年以上何も要求しない。
『精子バンクとかあるでしょう』『50歳で産んだって例もあるし』とまで言われた日には本当に失望した。
50歳で産んだ女性はほぼ卵子提供で母方の遺伝子は入らないし、養子じゃ嫌だってんならそれ(母方の遺伝子が入らない)も嫌なんだろうに。
そもそも出産までにどれだけ苦労したか(流産だって何度も経験してるはず)、不妊治療にどれだけお金がかかったかわかってて言っているのか、そして不妊治療と高齢出産がどれだけ母体に負担がかかると思っているのか。
娘の体など、自分の楽しみのためにはどうなってもいいのだろう。
孫の立場にしたって、父親がいない家庭に生まれることになるのだが、そういったことを考えてもいないのだろう。ただ、自分が欲しいから、だ。
私の結婚も、自分の見栄だけのためにしてほしかったらしい。大切なのは見栄と体裁で、娘の幸福などどうでもよかった。
『結婚しない女はなにか問題があると思われる』なんて言われても、それはあなただけの醜い価値観だろう、未婚率が三割の時代にそんな事思うほうが少数派だ。
図らずも未婚女性への「己の偏見」を曝け出したことにも気づかずに、『あなたのために言っている、それが世間だ』などと諭してくる醜さ。兄にも同じことを言えばいいのに。
『結婚しろ』と言われるのが嫌で、それを避けるために誰でもいい、一回結婚さえすれば文句を言われまいと思って結婚したけれど、上手く行くわけもなく2年も経たずに破綻。
(付き合っていた人とは、兄の事件で別れざるを得なかった。結婚した人には家族ぐるみで兄のことを隠した。そんな結婚うまくいくわけもなかったし相手には申し訳ないことをしたと思う)
その時の言葉も『せめて2年は持たせろ、外聞が悪い』『相手の親に私(母)の顔が立たない』『どうせお前のわがままだろう』…出てくるのは己の見栄と体裁のための言葉だけで、一度も娘の心情を慮る言葉は出てこなかった。
兄が同じように2年程度で破綻した時、兄に同じ言葉を突きつけたなら、そういう人なのだと納得もできたかもしれない。だが、兄の離婚に関して親は兄に何も言わなかったのだ。
プログラミングまったく理解してないけど某大手の下請けでSEとして5年くらい働いてた。
偏差値ギリ50くらいの大学の情報系の学科で、JavaとかC言語とかのプログラミングが必修科目だったし、基本情報も過去問丸暗記で合格したんだけど、まっっったくプログラミングが理解できないのにSEとかいう大それた名前の仕事についてしまって死ぬほど後悔した。
forっていうんは、なんか繰り返し同じことするやつで〜、i=i+1って書いてあったらiが一個ずつ増えるんだっけ?みたいなレベル。
最初の行に書いてある〜.〜みたいなやつどのプログラムでも同じだけど何?ライブラリって本借りるとこでは?ポインター?オブジェクト指向…?型?桁溢れ?何語…?全然わかんない…
いやもうほんと、社名とか書いたら「こんなのがよく働いてたな…あの会社やばいな…」って思われそう。
そんなくらいの不出来さでも、現場の人手が足りないから、1日に何度も上司に怒鳴られながら、機能追加も故障改修もやったし、顧客問い合わせの対応も本番環境のトラブル対応もした。
徹夜も休出もサビ残も代休がいつのまにか消えてるのも経験した。
流石に二年三年働けば何だかんだできることは確かに増えたし、リリース関係の社内手続きとか、一人で夜間本番監視なんかもどうにかこなせるようにはなったけど…
しかし上司もよくあれだけ怒りながら四年も面倒見てくれたなぁ…とちょっと思ったので、恨みレベルが「子供に早死にされろ」から「40手前でバーコードハゲのメタボになれ」くらいになった。
話逸れた。
今の仕事でも、既存のマクロでエラー出たときに原因箇所を調べたりするのは出来るけど、そこから何を直したら直るのかわかんない。
欲しいマクロの機能の要望とかフローチャートとかは作れるけど、それがプログラムにならない。
この先ずっと、大学から8年も触れてきたのに意味もわからないし苦手なもの、って思い続けるのが嫌すぎてこの八年分の人生を無駄にした気がして憂鬱になる。
八年あったら簿記とかFPとかTOEICとか勉強できたんじゃないか?とか、社労士とか書士とかそういう職業につながる資格の勉強できる大学にした方が良かったんじゃないか?とか。長い人生のうち八年かもしれないけど、人生80年としたら一割だし、自立して過ごせるのが18〜60くらいだとしたら二割だし、二割分出遅れたらもうフツーの人間はゴールする前に足切りされちゃうでしょ多分…
大学はよく考えて選んだ方が良いし、大学で失敗してもせめて仕事はよく選んだ方が良いよぉ…
仕事選びも失敗したなら、辞めるなら早い方が良いよぉ…
ドラマ版一話を観て今まであれだけ好きで同人誌版まで読みこんでいた「きのう何食べた」を売った。
決定的な理由はただひとつ、シロさんをどうしても推し俳優にやってほしかったからだ。
約6年間脳内で推し俳優で再生し続けた結果、現実に訪れた実写化への拒絶反応が思ったより深刻で
大切にしていた分売るのも忍びなく、溶解処分してくれるところに送った。
「きのう何食べた?」と出会ったのはツイッターのおかげである。
ドラマや映画に時間を取られ普段あまり漫画を読まなくなっていたところに
“シロさんを脳内で○○(推し俳優)で再生してる”というような
ツイートが流れてきて、同じファンの幾人かがそれに賛同していた。
どういう漫画かもわからず検索したらすっきりとした絵の漫画の情報が出てきた。
西洋骨董洋菓子店の人だとすぐわかった。あれはそこそこ面白かった記憶がある。
その週のうちに1巻を買い、次の週には当時出ていた全巻を揃えた。5巻まで出ていたころだった。
正直、読んだ当時は強烈に面白いとまでは思わなかった。
それでも最新話は立ち読みするようになり、単行本は必ず買い、ついには同人誌まで購入するようになった。
何食べきっかけでBLも読むようになったけど、私にとって一番のカップルはずっとシロさんとケンジだった。
これといって大きな事件の起こらないシロさんとケンジの暮らしがいつの間にか自分にとって本当に愛おしい物語になっていた。
売れている漫画だしきっとそういう読者が私以外にもたくさんいるのだろう。
ただ私が間違ってしまった事は、ツイッターで知った時からこの漫画を脳内でずっっっっと
作者の実績からいっても実写化はいつかするだろうと思っていたし、
推しがキャスティングされる可能性が低い事は理解していたつもりだった。
それでもツイッターなどで実写化の妄想キャスティングが盛り上がるたび
推しの名前が挙がるので、もしかしたら実現するかも…という期待があったのだと思う。
実際に発表された時点では、実はあまりダメージは受けていなかった。
実写と漫画は別だし、と割切るつもりだった。
しかし当然ながらドラマ化にあたりプロモーションはどんどん熱が入っていく。
どんどん漫画と実写が並べられて「これは同じキャラクターですよ」と言われる。
どんどん各種インタビュー記事が上がりこの俳優たちが“シロさん”と“ケンジ”ですよというプロモーションがつみあがっていく。
意外とダメージを受けている自分に気づき途中から目を通さないようにしていたが
駅にドラマのキャストと漫画のキャラが並べられた広告が出たのには笑ってしまった。駅に地雷が設置されてるなんてことある?
そして決定的だったのは作者が今後この実写化を原作に取り入れていく…というようなインタビューをwebで見てしまった事だった。
正直パニックになってしまいすぐ閉じたのでどういう意味だったのか思い出せないけど二度と読むことはないからまぁいいか。
とにかくもうダメかも…ギブかも…と思った。
でもせめて別物にしておく余地をもうちょっと残して置いてくれよ!!
それにこのプロモーションなら今後実写から入った人は実写のキャストを念頭に漫画を読むんだと思ったらなぜかそれもつらかった。
無理だ。
それでも1話は観ようと踏ん張った。
観たら案外いいかもしれない、案ずるよりなんとやらで観たら別物と思えるかもしれない…
ハイそれで昨日観ました。
ケンジはおどろいた。正直こちらの方がどうなるのかわからないななんて思っていた事を恥じた。
ケンジはめちゃくちゃハマってると思う。
ケンジ動いてる!!と感動した。
でもシロさんがさ…なんかムキムキじゃん知ってるよこの人なんかムキムキでしょ!!!別のドラマで見たよ!!黒いし!!
マジでこれならなんで推しじゃないの!?推しでよくない!??ハァ???
これ見たいなら家電のCMでいつでも見れるだろうが!!!!!!!
これはシロさんじゃなくていつものこいつだよ!!!!!!!!!!!!!!!
力が入っていて、絶対当てるぞという意識の高さがもう画面の隅から隅まで充満している。
「これを推しで観たかった!!」という悔しさがすべてを上回ってしまう。
どうせこれから7月までの間にツイッターでドラマに精通してるアルファ実況クラスタやらライターがこぞって褒め称え
ギャラクシー賞かなんか獲るんだろ。あーもういやだ。考えただけでつらくなる。
すべて私が悪くて私の責任だ。
この原作を好きになったことがそもそもの間違いだったんだなと一日考えて結論付けた。
この増田は頭の整理のために打ってるんだけど、
打っているうちに気がついた。
私は好きだった漫画にとっていらない読者になってしまったのがつらかったんだ。
みんなにとって文句のつけどころの無い喜ばしい実写化を受け入れられない悪い読者、
足を引っ張る読者、ターゲット外の読者だったことに気づいてしまったから苦しいんだ。
原作はまだまだ続くだろうけどもう読めない。
というか読む資格が無くなったと今は感じる。
そもそもここ最近はすでに開くのもつらかった。表紙すらつらい。
好きだった漫画がいつの間にか全く違うものになっていた気がしてしまうけど、そもそも自分の楽しみ方が間違っていたという事実に愕然とする。
あー本当にすいませんでした。私みたいなのが読んじゃって。好きな漫画とかいっちゃって。ご迷惑おかけしました。
というわけで全巻処分した。今まで楽しませてくれてありがとう何食べ。
人に布教するために何度もいろんな人に貸したり
本当にいろんな思い出がある。
お世話になりました。
日付が変わる前にどこかに吐き出さないとさらに頭がおかしくなりそうなのでここに流すことにした。
何か察した友人やフォロワーの皆様はしばらくそっとしておいてほしい。
最後にもう一回言う
俺徹夜でつれーわーというのと似てるのかもしれないが、「死にたい」と言うことすら許されない空気を感じる。
「死にたい」と言ったらメンタルヘルスの治療をしましょうだとか、然るべきところへ相談だとか、とにかく自殺はダメですよ!助けますから!とシュバババといろいろやってくる、そんな空気を感じてつらい。
死にたいなりに生きてくために頑張っているのでほっといてほしい...見守ってほしいのほうが適切な表現かもしれないが。ツイッターでも増田でもそんな空気があるような気がしちゃうわけ。そんなこといちいちネットで言うなという意見もわかるけど、つらいよな、頑張ってるなと慰めたり励ましたりそういうふうにされたいときがあるんだ。それこそ身近な人には「死にたい」とか言えないじゃないですか。息苦しさを感じてるのは僕だけですか。寛容さを求めるのは甘えですか。甘えは罪ですか。
理由はともかく、若いうちから美味いもの食べて育てた味覚は財産になる。
出世したかったら、その組織で一番評価されてるやつのマネすればいい。出世したければね。
30年も働いてないけど、若い頃の仕事で築いたコネが中年以降になって効いてくるのはよくある。
これは、合わないやつともとりあえず付き合っとけと思う。役に立つこともあるから。
その年齢になってないのでわからん。