はてなキーワード: 徹夜とは
1ヶ月ぶりに病院いった
最近生活リズム逆転してて昼間寝ちゃってたせいもあって病院いけてなかったから、
今日は徹夜して朝寝ずに起きたままでいたから、診察待ちのとき何度か寝落ちしそうになった
おやつどきはあったかかったのに、かえるときには肌寒くなってしまってた
スーパーよってなんか買おうかとも思ったけどやめた
3/31付で高校を退学することになった。こうなったのも全て自分の責任ではあるけれども、やはり割り切れない気持ちもある。自戒と気持ちの整理を兼ねて駄文を垂れ流してみようと思う。お目汚しで本当に申し訳ないが良ければ読んでいただければ嬉しい。もっと言えばこれを他山の石としてくれたらもっと嬉しい。(そもそもこの年代の増田は居ないだろうと思うけれども)
私が在籍していた高校は完全中高一貫校で卒業生の半分は有名私大に推薦で、残りは東大京大東工大旧帝大や医学部に進学していて、東大進学ランキングにも毎年掲載されている。
元々私が中学受験をしたのは一回り年の離れた従兄が中学受験をして進学したのを見てそれに憧れたからだった。そして、一人で読書をする方が友達と外で遊ぶよりも好きだったり、学校のヤンチャな奴らに若干イジメられたりしていて、荒れ気味な地元の公立中学に向いていなさそうだったのも理由である。
小4の終わりにSA⚪IXに入り塾通いをする中で、私はある文化系の部活に憧れた。そしてその部活の活動も活発な学校の中で一番偏差値の高い学校を第一志望にした。(ちなみに塾内偏差値では大体55~60を上下していた。)
小6の1月。まずは滑り止め2校に難なく合格し、チャレンジ校(親は行かせたかったらしいが自分はそこまで行くつもりは無かった。)の一次に不合格。そして2月1日に第一志望を受け、2日にチャレンジ校の二次を受けた後に第一志望の合格がわかり、無事に中学受験は終わった。
受験が無事に終わり、やる気が失せてしまったのだろうか。その後、学校から新年度の教材や課題が送られてくるが適当に処理してしまい、入学。憧れていた部活にも入り順風満帆に事も進むかと思っていたが、最初の中間試験で大爆死してしまう。この時にしっかり勉強してれば良かったのに大して何かをするわけでもなく、学校では授業に出席するものの寝てばかり、家でもアニメと当時流行っていたお船のゲームにハマって平気で徹夜をし、小言を言われれば暴れるといったような荒んだ生活を送り、唯一まともにしていたのが部活だった。当然勉強もろくにせずに中学生活が終わった。
高校に進み進級の判定がされることで一応勉強せざるを得なくなり、一応頑張るようにはなった。しかし2学期に部活で仲良くしていた先輩達が部活から引退し自分達が部の運営をしなければならなくなったことで一時的に病んでしまう。結局なんとか持ち直してギリギリで進級する。
しかし春頃から後輩との事や部の運営の事、人間関係などで悩み始め段々とマトモな思考が出来なくなっていた。(と今思い返すとそうだったんだろうと思う。)
一学期には授業にも出席出来なくて保健室にいた事も多く、学業には全く対応出来ずに酷い成績を叩き出してしまう。二学期の途中、部活を引退するまではそれを引きずってしまい、その時点ではとても進級できない成績だった。
その後状態も快方に向かい勉強に専念出来るようになったことで、今までの酷い成績を挽回するべく頑張るようにすることを担任の先生と話し合った。しかし二学期末の試験の結果は芳しくなく、三学期には奮闘しようとはしたものの結局は上手くいかずに英語・数学・物理を落として原級となり、高校を退学することとなった。
今の私の経歴は高校中退、つまり中卒無職だ。在学当時から大学は目指していたので今年1年間で高卒認定を取り、大学受験を目指す。高卒認定の学力はなんやかんやであるようなので1年間、1年早い浪人生として⚪合塾高校受験科で浪人生活を送る予定だ。なんとか頑張って中高の友人、恩師に胸を張って報告できるようになりたいと思う。
ちょうど私が大学院に入った頃から、いわゆる大学改革が進み、基礎教育のコマ数がどんどん削られていきました。私の専門の科目も、もともと需要が少なく、公募自体がめったにありませんでした。また少子化のために、短大などでは大学そのものが存続していけない状況が始まっていました。
論文を出して博士号を取り、著書も出しました。しかし、就職は決まりません。こうなると奨学金約500万円を返済しなければならなくなります。私は非常勤講師の肩書きで研究を続け、一方で実質的な収入は原稿料で得て、常勤の職に就くまでのつなぎにしようと考えました。
幸い、私の原稿を買ってくれるところがあり、大学から籍を抜く時にはその編集部でアルバイトもするようになりました。仕事内容はコピーを取ったりファックスを送ったり、封筒の発送作業をしたりです。ときには段ボール箱を積み上げる作業もしました。
家族はどうして博士号を取ってまで時給800円のアルバイトをするのかと反対でした。私の筆跡で宛名が書かれている封筒を見て気の毒に思ってくれる友人もいました。しかし私は、こうして忙しく毎日を過ごし、少ないながらも収入を得ることによって気持ちの安定を図ることが出来ました。
そのうち、原稿の仕事が増えていき、800円のアルバイトはやめました。私は、非常勤講師ともの書きで充実した生活を送っていました。憂鬱な気持ちになることもほとんどありませんでした。
唯一憂鬱になるのは、毎年の年末から4月にかけてでした。公募の結果がはっきりし、新しい年の人事が決まる季節です。知人が就職したと聞くとやはり内心穏やかではありません。なんであんな奴がと酒を飲んで発散したこともあります。また、非常勤は一年契約ですから、年末に更新の書類がちゃんと来るかどうかヒヤヒヤします。こちらに落ち度がなくても、カリキュラム上要らないと判断されればその講座はなくなります。実際に私の専門の周辺科目は年を追うごとに減っていきました。
眠れないでうなされたり、やたら疲れたり、注意力散漫で集中できなかったりという程度のことはよくありました。学会や研究会では周りの人が私に気を遣っているように思えて憂鬱でした。いつも行きの電車の中で身体が重くなり、引き返したくなるので、出かける時はスマイルスマイルと自分に言い聞かせていました。それが成功していたのか、私は困難な状況にもかかわらず、たくましく明るい人物だと言われていました。
そんな年を重ねて、私はだんだん疲れていきました。このまま一生非常勤の講師として終わるかもしれないという思いは私を暗澹とした気分にさせました。原稿の仕事が建て込んできて、専門の研究に割く時間が取れない時など、自分は何をしているのだろうと空しい気持ちになることもありました。
原稿の仕事では、時々トラブルがありました。他の人はトラブルがあってもさらりと流してしまっていました。しかし私にはそれが出来ませんでした。私は子供の頃から妙に正義感が強く、曲がったことを許せないところがあります。いつも自分の主張するべき所は主張して、編集の人とやり合っていました。それが後を引くということはなく、言うことを言うとさっぱり忘れてサバサバして根に持たないのですが。
鬱病を発症した頃、私は仕事で理不尽な目に遭いました(これは、もし裁判になったら文句なしに私が勝つようなことでした)。私は仕事を失いたくなかったので抗議するのはやめました。いつものように自分の言い分はきっちり聞いてもらい、反省すべき点は反省して今後につなげようとしていました。しかしこの時は、すぐに前向きになることが出来ませんでした。これをきっかけに私はため息ばかりつくようになりました。言わないでおこうとしても、「疲れた」と口から出るようになりました。いくら疲れても外には出さないようにしていたのに、元気にニコニコすることが出来ず、帰宅するとゴロリと横になる日が続きました。
思えば原稿の仕事を増やし続け、夏休み明けからはそれまでの2倍は働いていました。週に1度は徹夜のペースでした。いつもなら難なく乗り切っているささいなトラブルが、私の残された最後の気力を吸い取ってしまったのかもしれません。頑張ろうと思っていても力が出ず、焦るばかりの日々が続きました。常に自分に頑張れ頑張れと言い続けなければ何も出来なくなっていました。この頃、メールの最後にいつも「がんばろう」と書いてくるので、おかしいと思っていたと、後で友人に言われました。
「疲れた」とつぶやくようになってからのある日、私はカレンダーを見ていました。原稿の仕事はありますが、講義や打ち合わせで外出する日が2週間ほどないことに気付きました。その直後、私は体が粘土のように重く、何のやる気もなくなっていくのを感じました。それまでの緊張が解けて「気が抜けた」のかもしれません。この隙に鬱病が私の中に入り込んだのだと思います。
最後に研究会に行った日の晩、私は味覚を失い、翌日からは何が起こったというわけでもないのに涙が止まらなくなりました。研究会の準備をしなくてはならないのに、脳にベールがかかったようで、本を読んでも内容が全く頭に入らず、まともな文章も書けなくなりました。唯一好きだった家事の料理も、焼きめしやお好み焼きのような簡単なものを作るのがやっとで、食欲も全くなくなりました。私はパソコンで言うと「フリーズ」してしまったのです。
世間で言えば勝ち組だと思うが、なんだか人生無駄にした気がしている
昨日まで自分の人生に満足していた。普通に暮らせるし家族もいるし将来もそこまで不安じゃない。
満足した、というより無理やり満足させたというほうが正確かもしれない。
職場ではパワハラ上司、理不尽な客に何日も徹夜させられた。労働時間でいえば労基署が何回入ってもおかしくない。
もちろん残業代なんてフルで出ない。今とは違う生き残りをかけて歯をくいしばるのが当然の時代だった
上が詰まっているから10年昇進していない。俺が無能なせいもあろうがバブル期に入社してれば課長くらいにはなっていた気がする。
それでも満足していた。俺は仕事が好きで、苦労も楽しめる性格だと思い込んだ。上司や客からの理不尽な要求もいい経験だと。
40を過ぎた今、低みを見すぎたのではないかと後悔し始めた。会社は業績順調で職場環境はだいぶよくなった。
徹夜とかサビ残なんて20代の子達に言っても信じてもらえない。
サバイバルの時代を長く生き過ぎたせいで、定時に帰れる環境になっても帰ることに罪悪感を持ってしまう。土日フルで休むことも。
社内のやらなくていい雑用を率先してやってしまう。恩を売りまくることがサバイバルするための術だと思い込んでいたから。
間違っていると思っても声をあげずに淡々と取り組むようになってしまった。波風立てないのがサバイバルするための条件だと思ったから。
結果的に固有スキルのほとんどないハードワークだけが取り柄の調整型人間になった。
死にたい。
理由は尽きない。
友だち少しだけいるが、向こうが忙しくなかなか会えない。
恋人はいない。というか、以前付き合っていた人にトラウマがあって、もう恋人は作れないだろう。
仕事はまずまずだが、それだけで生きがいにはならない。
その他、顔がよくない、自分が臭いのではないか、性格・考え方・頭が悪い等。
インターネットの〇〇診断をするといつも最低の結果が出る。思考力がない、ネガティヴすぎる、人として魅力がない、云々。
本当にその通りだと思う。インターネットにすら見透かされる、薄っぺらい人間になってしまった。
最近はめっきり頭を使わなくなった。ただただ死にたいしか思うことがない。
朝はギリギリまで寝ていて、仕事をし、食べるのが遅いので夜はだらだら食事をしていると時間がなくなり、体力がないので長時間眠る。
休日は1日ほとんど眠って夕方か夜に起き、ストレス発散のためネットショッピングで要りもしないものをたくさん買う。そのため生活リズムはガタガタ、1週間に1日は徹夜し、貯金はたまらない。
要は、生きていくのに向いていない。
最低限必要なコミュニケーション能力、常識、気配り、優しさもない。
もちろん自ら身につけなかったわけではないが、さしたる心当たりもないので、たぶん生まれながらにこういう社会に合わない性格なのだろう。
残りの人生に絶望しかない。長い長い孤独な消化試合だ。失敗が怖いやらなんやら理由を付けて、自殺する勇気もない。
何もかも中途半端で、見えない何かに怯えながら、この先生きていくのだろう。
たぶん、何もかも俺自身が悪いのは知っている。
このホームページでは睡運瞑菜とかいうご大層な思想が流行っているらしい。
人間に睡運瞑菜など不要だということを、分かっていただきたい。
これでキマりだ!
仕事柄オタクが多く、また、同人活動をしている人も多い環境です。
教育係を任されたこともあり、よく会話をしましたし同人誌を出しているジャンルが同じだったこともあり仕事後に食事に行くことも少なくはありません。
ツイッターも特に抵抗もなくお互いにフォローをしあっていました。
しかし、彼女はギリギリにならないと原稿に手をつけられないタイプのようで毎回のように徹夜、もしくは朝方まで原稿→翌日会社をサボる……ということがあり不満が募っています。
この1年で5回以上ありました。欠勤に至らない、しかし大幅な遅刻も含めると両手では足りない程です。
寝坊をしましたなど正直に話せばいいものを他の社員には体調不良と伝えているためみんな心配をして仕事量をおさえめにしたりと気を使います。
私はツイッターをフォローしているため原稿が修羅場なこと、前日4時頃まで起きて原稿をしていたことなどを知っているので体調不良といわれても全く信じられません。
ギリギリになってしまうのがわかっているのだから原稿前に有給をとってみてはどうか、当日急に欠勤はまわりに迷惑がかかるし
連絡がないのは心配もかけるのでせめて連絡はしたほうがいい。
というように一度注意をしたのにも関わらず直らないためいいかげん堪忍袋の緒がきれそうです。
1人休めばその分他の人の負担は増えますし、同じイベントに参加する予定の私もそのせいで残業になったことが一度や二度ではありません。
まわりには気遣われ心配をされているため事実を知っている私だけが後輩に対して冷たい態度をとってしまい、きっと職場では
思いやりのないやつだと思われています。
欠勤した日は必ず証拠隠滅のように前日の原稿作業中のツイートを消しているのも腹が立って仕方ありません。
念のためすべてスクショをとっていますが、こんなことをしている自分が嫌で嫌で仕方がありません。
上司にすべて伝えて糾弾されてほしい気持ちもありますが、私の心が狭く気にしすぎだと思われてしまったら、プライベートなことを晒してこちらのほうが悪者になってしまいそうで、できません。
後輩のことを気にせずバカなやつだな、と関わらないようにしてサッパリ割り切って考えたいです。
まったく無関係の人が「ギリギリ入稿で会社サボったww」のようなことを呟いているだけで腹がたってしまいます。
どうにか後輩のことを考えないようにしたいです 助けてください。