俺徹夜でつれーわーというのと似てるのかもしれないが、「死にたい」と言うことすら許されない空気を感じる。
「死にたい」と言ったらメンタルヘルスの治療をしましょうだとか、然るべきところへ相談だとか、とにかく自殺はダメですよ!助けますから!とシュバババといろいろやってくる、そんな空気を感じてつらい。
死にたいなりに生きてくために頑張っているのでほっといてほしい...見守ってほしいのほうが適切な表現かもしれないが。ツイッターでも増田でもそんな空気があるような気がしちゃうわけ。そんなこといちいちネットで言うなという意見もわかるけど、つらいよな、頑張ってるなと慰めたり励ましたりそういうふうにされたいときがあるんだ。それこそ身近な人には「死にたい」とか言えないじゃないですか。息苦しさを感じてるのは僕だけですか。寛容さを求めるのは甘えですか。甘えは罪ですか。
しゃぶれよ
しゃぶりません
致しません みたいで カッコイイ
甘えは罪です 再投稿だって罪でしょ
罪ではありません 恥です
別に何言ってもいいけれども レスポンスが期待通りじゃなかっただけで不機嫌になるっていうのはやめなよ
ごめんなさい。
「ネットにつないで『死にたい』とかいう文言が目に飛び込んでくるのはつらい」 「いきなり他人の希死念慮をぶつけられて恐怖を感じてしまう」 って言われたらどうすんの? 「ネ...
いえ、自由だからこそ配慮が必要だと思います。
死にたい
しゃぶれよ