はてなキーワード: 屋根とは
自分を完結させるために、「体外離脱の中で恋愛のプロセスをもう少し積みたい」と思っていた。
自分の人生でやはりどこか恋愛をもう少ししてみたかった、という思いがあった。
未完結な「くすぶり」みたいなものがどこか自分の中に存在しているのだ。
現実世界では立場上自由に活動することは難しくなったが、自由な世界にいって、それを完結させたい、と思った。
最初は夢だった。
まず、いくつか繰り替えし同じような部屋のシーンがあった。
そこで「誕生日だからプレゼント」という声と共に気づくと女性からフェラをされていた。
何となく「よがらなければ」という演技めいた気持ちもありつつ、快楽に身をゆだねていた。
女性器の独特のにおいに誘発されながら、はやる気持ちを抑えながら自分も舐め始めた。
世界が自分をその世界に没頭させようとすればするほど逆に自分の思考も冷静になった。
はっとして思う「同じ部屋のパターンだ!これは夢ではないか!」
気づくと自分の意識が部屋中を駆け巡り、夢の中のまま目覚める。
自動再生であるかのように引き続き物語を展開しようとする夢が、薄っぺらい張りぼてのように見える。
その展開を無視し、ワクワクした気持ちとともに夢の中で夢に気づいた感覚を味わう。
まず何からしようか。。やっぱり跳躍かな。
何かのまとめでみた「まず簡単な跳躍から初めてみるといい」という前知識がよぎった。
三段飛びのように部屋を飛び跳ねてみる。ぴょーんぴょーーんぴょーーーーーん。
うまく行った。飛行できそうだ。
「本当にリアルなのかな」瓦一つ一つを見てみる。
「本当にリアルだ」
そればかりか、屋根にビルによくありそうな、サーキュレーターみたいなものまである。
街を飛行しながら、「このチャンスに、このまま体外離脱をしたい」と思った。
そこで知り合いの声がして「腕などを重く感じて行って抜けるのはどうか」という提案をしてもらう。
右腕を重く感じていこうとすると、じんじん痛いほどに重くなってくる。しかし中々抜ける事が出来ないしその感覚が分からない。
その重さに引きずられるように地上に降りる。そこはどこかのお店みたいなところで、知り合いらしき人が何人かいる。
僕はもうその時点で何かに引っ張られるように、この世界で例えば睡魔に襲われてまさに段々眠くなるがごとく、エネルギーがなくなっていくのが分かった。
このまま引っ張られれば現世に戻る事が分かっていたので、何とかそれに抗おうとする。
時間がないという焦りと共に「このチャンスに体外離脱しなければ」と思い、「みんなで瞑想をしよう」とする。
これまたネットのまとめでみた瞑想法、「体外離脱先で瞑想してさらにそこで体外離脱する」という方法を取ろうとした。
しかし最近しばらく瞑想していないので足が硬く、また着ているいつもの服も瞑想向きではなく、中々組めない。
「しまった」と思ってるうちに睡魔のようなエネルギーの低下が益々起き、もうここには長くとどまっていられない、と思った。
「そうだ。あと自分はこの世界でナンパをやってみたいのだ」そこで瞑想への取り組みを中断し、外にでて試しにナンパをやってみる。
女性を襲ってみる人もいるようでそれが頭をよぎったが、自分の意図ではないということを思い直して、ナンパしてみる。
雑にやったのもあるが、さっと逃げてしまう。
この世界に出てくる人はすべからく、この現実の人々よりも、若干自動人形のようでもあるが、実感はあった。
大通りに出て軽くやってみてそこで終了。
羞恥心や恐怖心はなく、「声掛けをした」という実感や満足感があったので「体外離脱先でナンパや恋愛経験をして実感はあるのか」という疑問に対しての仮説検証はできた。
目を覚ました後はとてもエネルギーに満ちた感じがした。
当日の東京のメディアは「大阪北部」と聞いて「大阪のキタ!つまり梅田のことだな!」と思ったらしく変な報道をしていたが
実際は京都寄りの大阪では少し田舎の方。高槻や茨木付近ということになる。勿論この地域には支援が必要だ。
ただあの時は大阪の他地域が元気だったため、大阪行政は自分たちでなんとかすることにしたのだ。
大阪北部の震源地以外の地域でブルーシートがあるのは完全に台風21号のせいだ。
大阪だけではなく関西圏全体に台風で地震の何倍も被害が出たことをないがしろにしてはいけない。
関空が取り上げられたが、「空港だけ」が報道されてしまったのがなんとも悔しい。
さらに台風のあと北海道地震があって北海道の停電、復旧までがニュースに取り上げられてた中で
関西圏ではまだ停電が続いていたことは全く取り上げられなかった。
北海道の停電はある一部が問題だったためそこを解消すればよかったが、
関西圏は至るところで電線が切れ電柱が倒れたため、電力会社たちが町中で毎日のようにサイレンを鳴らして作業を行っていたし
兵庫県の大きな被害や2週間続いた長期停電はサンテレビが独自で取材してたのみ。
でもニュース番組を見ると、北海道が大変だからという…という印象を受け声をあげることはできなかった。
これじゃ地下鉄サリン事件に話題を奪われた阪神淡路大震災と同じである。
阪神淡路と比較しても電気復旧に時間がかかっていたし、時期は夏だ。
停電地域では水を汲みに行き、みんな夜まで外に出て暑さをしのいでいた。
周りには落ちたレンガの破片だらけ。看板はどこも墜落してしまった。シャッターはへしゃげて店の中をボロボロにした。
しかし報道にあまりの偏りがあったこと、さらには今も続いていることを指摘せざるをえない。
物資が足りないと北海道のニュースが取り上げられてた間も、関西圏はコンビニも飲食店も開かない時間があった。
電気がつかなければ夏場に飲食物は置けないのだ。さらに物流も滞った。
2018年9月から1年足らずだが、いまだに台風の爪あとは消えきってはいない。
壊れた信号は簡易的なものに替えられているが、軽そうで次の台風が来た時持つとは思えない。
謎の梱包材などで補修をされている電線は、強風で普通の電線より軋みを増して恐怖しかない。
橋の柵などが崩れた場所も多く、小さい川の橋とかなら未だ飛び込み放題になっている場所がある。
刑務所の柵とかも壊れていた。怖すぎる。最近直ったが…今年に入ってからである。
折れた公園などの木が向きだしの場所は危険だが、もう手が回っていないのか注意用のテープすらまかれていない。
これが、未だにである。しかも中心部や都会と呼ばれる場所でだ。
昨今、施工不備やサブリース問題など、ダメな話題が続いているレオパレスですが、レオパレスに住んでからの周囲の反応や快適さなどを書いていきます。
今月で約1年住んでいることになります。
住みはじめた頃な施工不備などは騒がれていませんでしたが、数ヶ月してから騒がれはじめました。
立ち退きのあったレオパレス物件もあったようですが、私の住んでいるマンションは施工不備がなかったのか、立ち退きは不要でした。
ちなみに家賃4.5万円の一人暮らし用マンションに住んでおり、結構狭いです。
10部屋あるマンションなのですが、入居してすぐの時は8部屋が埋まっており、私が入居したので9部屋(90%)が埋まっていました。
おそらくレオパレスの施工不備で騒がれているのでその影響だと思います。
施工不備が発覚して2〜3ヶ月後にはかなりの人数が出ていき、さらに入居する人がめったにいないのが原因だと思います。
やや寂しかったり…。
施工不備が騒がれて以来、入居者がとても少ないので、騒音が全くありません。
隣人は空き部屋になってから半年以上経過してますし、上の部屋も音が全くしないのでおそらく空き部屋です。
飲み会の席で職場の人に「レオパレスに住んでるんですよ〜」って話すと「あ〜例の?」と返されましたw
また、施工不備とは関係ありませんが、店員さんなどがふてぶてしく感じてます。
入居の際も、他の不動産屋ならば必死のセールストークと熱烈歓迎、年始の際やお盆時期になると手紙が届いたりしていましたが、レオパレスはセールストークや熱烈歓迎はほぼなく、業務的に淡々と処理をされた記憶があります。
解約を検討していた時期もあって、その時も引き止めも全くなく、「解約するも解約しないもお客様の自由です。気に入らなければ解約どうぞ」的な対応でした。
施工不備とは関係しない部分について、ちょっと嫌だったことを書いていきます。
レオパレスなので家電などがあるのですが、例えばベッドフレームはすでにあるから要らないです、とかは出来ないです。
仕方ないので元々あるベッドフレームは解体してロフトに放置していますw
1年以内に解約すると解約手数料がいります(私の契約の場合です)。
レオパレスはテレビが必ずあるので、NHKを追い払う常套句「うちテレビないんで」が通じません。
しかもレオパレスに住む未納者に対して最高裁判所が支払い命令を出したこともあり、NHKの集金人はそれを声高に主張してきます。正直うざいです。
ちなみにNHKと契約する必要は全くありません。NHKと契約が必要なのはテレビの設置者ですが、住居者は利用者ではあるが設置者ではないからです。
NHKが来たらレオパレスがテレビの設置者なのでレオパレスに請求するように言いましょう。また自分はテレビの設置者でないため支払い義務はないと主張し、裁判を起こして支払い命令が出されれば支払います、と言いましょう。
最高裁判所の判決は契約しちゃってるから支払い命令が出たのです。契約しなければ支払い義務はありません。
施工不備の問題は個人的には入居者が減って騒音などのストレス要素がなくなったので良かったです(^^)w
ただやや割増料金であること、自転車置き場に屋根がないこと(全部そうかは知らない)など、施工不備と関係ない部分でオススメできるかと言えば、、、まあ人によるとしか言えませんね。
・電車の電線が地中化されて二階の屋根にも乗れる。解放感抜群。みんなでタイタニックのヒロインのポーズ。
・55歳定年制度。56歳以上は労働の完全なる禁止。政治家が若返る。
・衣食住は無料。駅の真横に宿泊施設が併設されていて3日まで連泊できる3日後はほかの駅に移動すればそこの宿泊所に泊まれる。ホームレスが消える。
あと屋根が付いてる
これがとても捗る
思えば今までは、限界まで机にゴミを放置して、やがて落ちる → 寝落ちする → 汚部屋への第一歩
という流れだった
これが起きない
起きても、すぐ捨てられる
部屋が広いので今の所問題ない
以前、虫が沸く危険性を指摘した人が居たが
発生源のわかってる虫なんて全く怖くない
あとは、雑多な物をどう収納するかだなぁ
コンテナは買ってみたものの、コンテナだけだとやはり間に合わない気がする
いくら広いと行っても所詮都内なので、できれば持て余しは避けたい
椅子の中にしまう奴は目立たなくて良さそうに思えるが、アレ上に物を置くと詰むのと、中に何があるかわからなくなりそうなんだよな
おとなしくチェストっぽいやつを買うか
5일
5日目
ゆっくり眠れる保証もないので、充分な睡眠時間を取れるのは昨夜しかなかったが、やはり眠りは浅かった。
釜山で迎える2度目の朝、疲れが取れているかどうかは疑わしいが、今日は名所観光やお土産購入、食べ残した釜山グルメなど、予定を詰め込んだので、直ぐに部屋を出た。
まず目指すのは、チャガルチの朝の名物になっているという、シンチャントーストだ。
まだほとんどの店が開店前で、人もいるにはいるがほとんどは開店準備の搬入や路地の工事。
本当にやってるのだろうか。
路地をクルクル迷いながら進むと、まだ閉店してい暗い店が軒を連ねるなか、30㎡程の縦に細長い店の前でコック帽に白衣のオジさんが黙々と店先でトーストを焼いている。
釜山の朝の味、シンチャントーストの前では、そこだけ行列ができていた。
卵とハム、チーズが挟まれたトーストは、洋食なのに滋味深かった。
シンチャントーストの御主人に支払いを済ました時に、残りのウォンが心許ない事に気付いた。
南浦洞は西面と並ぶ釜山の繁華街だが、土曜の朝9:30に開いてる店はほどんどなく、人もまばらだった。
手元の3000円を両替する。
ナヨンの時は実は数えてなかったが、ここでの両替は少額なので数えやすい。空港より明らかにレートが良かった。
南浦洞から引き返し、港町、釜山の顔が最も見える場所、チャガルチ市場に向かう。
広い市場では、いけすの中にカニやエビなどがひしめき、山盛りに積まれたサザエやホンビノスなどの貝類、太刀魚などの魚、イカ、タコ、ナマコに果てはエイまで、あらゆる海産物が並べられていた。
ここで海産物を買って、2階で調理してもらえるらしく、お母さんに声をかけられるが、既にトーストを食べていたので、固辞して、市場の棟の反対側に出る。
海が目の前だった。
海風にあたりながら、あたりを眺めていると、韓国語の演歌らしきメロディーが流れてくる。そういう音楽が韓国にあるかどうか分からないが、メロディーといい、コブシの利かせ方といい、どう聴いても演歌だ。
ここでもたくさんの海産物が売られていたが、端まで抜けると食事のできる店がある。
漁師や港湾労働者、仲買人などはここで食事をとるのかも知れなかった。
歩きながら日本と韓国で意見の相違のある日本海の呼称問題について考える。
このチャガルチ市場を埋め尽くす豊富な海の幸を見ていると、韓国の人がこの海を「東海」と呼びたいのもわかる。
目前にある日々の漁場が「日本海」では、借り物で漁をしているみたいだ。
日本人として韓国人の主張の是非や正当性は一旦脇に置くが、ナショナリズムじゃなく、釜山市民の生活者の実感として「ここは自分たちの海だ」とスッキリしたいという、その気持ちは理解できる。
市場を後にし、韓国旅行に当たって一番最初に決めた観光地、山間の民家をカラフルに彩った甘川文化村に向かう。
バスに乗るてもあったが、地図上では歩いて行けない距離とも思えなかったので、その足で向かった。
実際に歩いてみると、考えが甘い事に直ぐ気付いた。
市場に程近い有名観光地なのに、歩いて向かう人が殆どいないのもさもありなん、山道が結構急なのだ。
「実際に過ごしている人を見れるのも良い」と無理やりポジティブにかんがえたが、やっと観光客で賑わう村の高台に着く頃には、脚の疲れがえらい事になっていた。
甘いカフェラテが身に染みる。
デッキではカップルがロマンチックな風景をバックに写真を撮っていた。
辺りには、たくさんの国からやってきた観光客が写真を撮っていた。
実は釜山にきて見て気付いたのだが、この街で最もよく見かける外国人は「日本人」で、それ以外の外国人の存在が薄かった。
しかし、ここでは中国か台湾、ベトナム、ヨーロッパから来た人など、多彩な国々の面々が並ぶ。
韓国の民族衣装を身につけた3人組の少女、2人は明らかに韓国人ではない。
村の坂道や階段を行ったり来たりするうちに、「ギャラリー」の文字が。
興味をそそられて階段を上ると、登り終えてまだ続く坂道の上で、学生服の少女が同じく学生服の少年の写真を撮っていた。
ギャラリーは閉まっているらしく、腕章を付けた彼ら以外に周囲に誰もいない。
プライベートも極まる時間だろうが、輝く記憶を少しだけおすそ分けさせてもらった。
さすがに歩いて降りる気力がなかったので、バスを使ったが、山道を下るバスは運転が荒い。
座れてなかったら大変だった。
チャガルチから南浦洞への道すがら、行く手から派手な太鼓と鈴の音が聞こえてくる。
デモだろうか。
韓国社会はどうやらパレードが大好きで、到着2日目にも地下を歩きながら、実体こそ見なかったが、パレードの音を聞いた。
時節柄、ちょっと緊張する。
前からやってきたのは、釜山の対岸、九州からの踊り手達だった。
彼ら自身は踊ってないので、既に演目を終わったのだろう、しばらく歩くと、今度は韓国の民族衣装に身を包んだ踊り手達が舞っていた。
音は此処からだ。
そういえば、釜山であった日本人と少しだけ会話してみると、九州からの人が多かった。
岸の両岸では、それぞれの人々が交流している。
南浦洞では、韓国旅行で2番目に決めた目的、ナッツ入りバタードーナツのシアホットクを買い求める。
生地を大量のバターで豪快に揚げ、横に挟みを入れポケット状にして、蜜とナッツを詰め込む。
形状は平たい円形だが、なぜか平たく潰した紙コップに入れて供される。
しょっぱくて甘い味は疲れた体に沁みた。
でも、どうも日本に入ってくる韓国グルメは、1個流行るとそれ一色になっちゃうんだよなー。
さて、夕方前に一旦ホテルに戻るつもりだが、その前にここのロッテマートでお土産を買う。
出発直前までなかなかイメージが湧かなかった韓国土産だが、同僚の勧め通り、インスタントラーメンにした。
ホテルに戻って、明日朝の空港に向かうタクシーの手配をして、すぐ出発。
なんとか時間的に間に合いそうだ。
ここに訪れれば、今回の韓国旅行で行きたい観光地は大方回ることができる。
地下鉄を乗りついで向かうが、どうやらエネルギー切れで気力が切れてきた。
山道を歩き回ったのに、朝から食べたのがトーストとドーナツだけじゃ足りないのも当たり前だ。
とにかく何か食べないとまずい。海雲台駅で降りると、バーガーキングに吸い寄せられるように入った。
異国の地で、何が出てくるか想像できる上に早いジャンクフードはいざとなると頼りになる。
バーガーキングのカウンターの福々しいお姉さんは、言葉が怪しい日本人にも親切だった。
ちょっと迷ったが、海雲台駅から海東龍宮寺に向かうバスに乗車。
30分ほどの乗車で龍宮寺に到着した。
龍宮寺までの参道は曲りくねった階段なのだが、辺りは台湾の九份もかくやと思わされる人出で、細くて急な階段を歩くのが怖い。
しかも疲れている所に再びの山道なので、なんとか転ばないように慎重に歩く。
距離がなかったのだけが救いで、やがて海を望む龍宮寺が姿を現した。
既に夕方だったので、だいぶ光が赤く、海の青さはちょっとくすんでいたが、それでもなかなかの絶景を写真に収めることができた。
満足したので引き返してバスを待つ。
やってきたバスに乗り込んだが、ここで思わぬ苦労をする羽目になった。
椅子に座れず立ち乗りだったが、渋滞に巻き込まれてバスがなかなか進まない。
その上、運転が荒い。
外国のバスの運転は概ねこんなものだと思ってはいるものの、いい加減ヨレてきている足腰には辛かった。
このワイルドな運転にも韓国の若者は涼しい顔をして立っている。
どういう鍛え方をしているんだ、いや、これ自身が日々のワークアウトになっているのか。
ユラユラ揺れる自分も、友達や恋人と事も無げに談笑する韓国男子も、真反対の意味で慣れというのは恐ろしいものだ。
渋滞に巻き込まれた結果、1時間強の乗車となったバスを降り、海雲台の駅から地下鉄に。
釜山最後の食事は、牛の地を羊羹状に固めたソンジが浮かぶソンジクッパだ。
「ソンジクッパ ジュセヨ」席に座る前に頼むと、やがてグツグツ煮えたソンジと牛もつ入りの赤いスープがやってきた。
ごはんを入れながら食べる。
パッと見、キワモノっぽく見えるソンジだが、動物の地を固めてスープの浮き身にするようは食習慣はアジアでは珍しいものではない。
台湾にも猪血糕や鴨血などがあるし、タイにも類似の料理があるという。
四角く赤黒いソンジは、特に強い匂いもなく、レバーっぽい羊羹という感じで口に抵抗なくいただけた。
これで韓国旅行で事前に設定したタスクは全て果たすことができた。
個人的な旅行あるあるなのだが、なぜか海外旅行では額にして3000円前後の小さな落し物をすることが多い。
今回もカメラのレンズのアクセサリーリングが所在不明になった。
別に機能に致命的な影響が出るわけではないが、無くしたいわけでもない。
こういう時、何かの引き換えになったとでも考えるようにしているが、少しだけ残念だ。
団地住み、川沿い住み、隣の家と屋根が繋がっている、家の壁にマルフクの看板、家の近くの道が異様に広い、
最寄駅が信濃町、実家が西ノ宮、実家が焼肉屋、実家が肉屋、実家が靴屋、
親が居ない、親が若い、親が年寄り、晩御飯17時、箸が金属、冷蔵庫は下の部分が冷凍室、冷蔵庫にシールを貼っている、
苗字に金が突いてる、苗字に星が付いてる、苗字が1文字、苗字がない、
家の壁に共産党のポスター、家の壁に100万円で世界一周の旅のポスターが貼ってある、
黒人、中国残留孤児の子供、在日、君が代歌わない、祝日に国旗掲揚、毎月靖国に行く、
天理教、創価、イスラム教、カレーに豚肉を入れる、カレーが鶏肉、カレーに肉をいれない、
奥歯が全部銀歯、下半身に汗をかかない、
爪が黒い、腕に火傷、
プールはいつも見学、友人のゲームソフト盗み常習犯、遊戯王カード盗んで転売、
カンチョーすると謝る、トイレするときに鍵を閉めない、布団を干さない、食パンに塩をかける、牛乳に砂糖を入れる、シチューをご飯にかける、パチンカス、金遣いが荒い、
すごく精神的に参ってる時、いつも思い出す人がいる。
日焼けした肌と丸顔とそんなに高くない身長。ひょうきんもので、野球部のキャプテンだった。目が丸くて、坊主で名字に丸が入ってたので、まるはげ、と呼んでいた。ひどいあだ名である。同窓会に長いこと参加してないから、中学時代のまま背格好も止まってるけど、今は髪も生えているんだろう。
そんな彼と、放課後の教室でたまたま2人きりになったとき、世間話してたのに急に相手が黙りこんで、『おまえってさぁ』と言った。
その続きを中々言わないので、変なところで察しのよかった私は『あれ、もしかして告白しようとしてるのかな?』と思って、友達だと思ってた異性に告白される気まずさを回避するために、横向いて窓の景色を見ていた。
紫色に染まっていく空と鉄塔と屋根が遠くに見える。まだ彼は黙ってるし、やだなぁ友達のほうが気軽に話せるのになぁ何でみんな中学になったら付き合うとかカップルとかになるんだろうなぁ、てかもしかして他の男子と組んで私のことからかうつもりなのかなぁとか考えてた。そしたら、彼がわたしの耳に聞こえるくらいの音量で、『おまえ、名前かわいいよな』と言った。
思わず、『え?』と聞き返したら、
『いや、おまえの名前、かわいくて、よくんらんけどすげえいいと思う』と続いた。
拍子抜けしたのと同時に、名前が可愛いなんて言われたのは人生で初めてだったのですごく衝撃を受けて、でもすぐさま『名前だけかよ』と毒づいた。その後の会話は覚えてない。
その後も普通に時々世間話するクラスの友達として過ごして、普通に卒業した。
彼はいま警察官になって、もうじき結婚するらしい。(地元の友達の話)
卒業してから一度も会ってないし、きっとあの日言ったことなんて彼は覚えていないだろうけど。
それでも彼は、あの日の背格好のまま、私が消えてしまいたいと思って沈んでる時に必ず『でもおまえ、名前かわいいよ』って言って笑ってくれるのだ。
自分がいるところは50人規模のスタートアップで、会社のコミュニケーションツールとしてslackを使っている。
元々はchatworkを使っていたが、2年ほど前にslackにリプレイスされた。
使われ方は、多くのslack導入企業と恐らく大差ないと思う。
日々、様々なタイプの情報が交わされ、チャネルの中で重要な事柄が決まっていくこともざらにある。
ただ、日常的に使う中で、もやもやを感じることが出てきたので、ここに吐き出す。
一つが、「slackを使うことが目的になってないか」という点。
馴れ合い染みたやりとりが延々と続いていたり、
「休みます」とか「遅延してます」とか、明らかにその人に向けて発信されていないにも関わらず、スタンプなどでいちいち反応しているのを見ると、
「暇なのか?いやいや仕事しろよ」と突っ込みたくなってしまう。
結局、目に入らなければストレスにならないので、
最近は、最低限のチャネル以外はすべてミュートにするなどして対処している。
もう一つが、「リアルなコミュニケーションの機会が奪われていないか」という点。
(まあ、これはslackに限った話ではないけれども)
極端な話、少人数のやりとりで、席も近くて、エビデンスを残すタイプの内容でないのなら、直接話せばいいのにと思う。
以前どこかで、同じ屋根の下に住んでいる夫婦が、家の中でメールで会話しているという話を聞いたことがあるが、それに似た違和感を感じる。
仕事が円滑に進むならばスタイルは自由だろう、という意見もあるかもしれないが、
テキストベースに偏ったコミュニケーションしか取れない組織は、正直異常なんじゃないか。
そんなことをちょっと考えていた。
思い出したので、なんとなく書き留めておく。
その日もいつも通りのバスだった。
季節は恐らく春か夏。
退勤処理をして外へ出るとまだ空は明るくて、なんだか得した気持ちになった。
その路線バスは車両の前側から乗って真ん中あたりから降りるタイプ。
乗り込むときに運転席の横で電子マネーをピッとやる。都会のバスは優しいのでどこで降りても定額料金だ。
番号のスタンプされた乗車券を握りしめ着々と値上がっていく電子料金表をビクビクしながら見つめ続けなくてもいいんだ。とてもやさしい。バス停に屋根もあるし。
停車しきる前から開いてるんじゃないかという勢いのドアから乗り込み、ピッとやって、運転手へゆるく挨拶して、歩きながら車内を見渡す。できれば座りたかった。
手前の一人がけの席は埋まっている。じゃあ奥の二人がけの席はどうかな。
人間2人分強はありそうな巨漢だった。
別に両国は近くないからアレは十中八九ただの巨漢だ。ただの巨漢が奥から数えて2つ目の座席に窮屈そうに肉を収めていた。
巨漢と窓の間にサラリーマンが挟まっていたのでよく覚えてる。
二人がけ座席は手前に1つ空いているのにわざわざサラリーマンを圧縮している巨漢は見るからにやばそうだった。
ぶよぶよしている。関わりたくない。
心のなかでリーマンへ合掌して手前の空いている席を目指した。
新たに乗り込んだ客は自分ひとりだったため、申し訳ないぐらいゆったり座れた。
自分が強い人間だったらあのリーマンを助けてあげられるのになと、のんきに車窓を眺める。
次の停留所で巨漢が動いた。
バスが停まり、老婆がひとり降りていった。遅れて巨漢が立ち上がり、降車口近くに座っていた自分の横までやって来る。
「ああ降りるのか」と思った。
リーマン開放されてよかったな~とにっこりしたのもつかの間、なぜか巨漢の尻がこちらにめり込んでくる。
何を言っているのかわからねーと思うが気付いたら巨漢と窓の間に挟まっていた。
右のひんやりは窓ガラスだ。その向こうの景色はゆっくり動き出している。
反対側は巨漢だ。自分の装備はスーツで長袖長ズボン。なのに向こうのTシャツからはみ出た肉のしっとりひんやりしている感じが、なぜか伝わってきていた。
なんで降りない?なんで座った?なんでとなり?
混乱のさなか、さきほどのリーマンのように圧縮されている自分を遠くから見たような気がした。
それどころではないので次の停留所までこの状況に耐えられるのか考えてみた。
この時間はバスがたくさん走っているから、降りてもあとから来るやつに乗り換えればいい。
町並みから察するに次の停留所はトンネルの向こうだ。ちょっと遠い。
ムリ。
まあムリ。
肉を押しのけた。とにかく立ち上がった。
立ち上がったが、肉壁が行く手を塞いでおり通路へ出られない。
天罰だとしても身に覚えがなさすぎる。
今すぐここから開放されたい。
しかし巨漢に悪意はない可能性をこの数秒では捨てきれなかった。だって悪意あったらこわい。
万が一にもピュアかもしれない生き物相手にいきなりミッション・インポッシブルなスタントで脱出を試みられるほど、自分は鍛えられていなかった。
では元に戻れるかというと、先ほどまで尻を収めていた座面はもう肉で見えなくなっていた。
肉の主は、無言で進行方向を見つめている。
戻れないなら攻めるしかない。
何を得て何を犠牲にするかの判断が明暗を分ける。形成は圧倒的にこちらが不利だ。
彼にとっても魅力的な提案のはずだ。
なんといっても窓際はいい。散歩しているわんこも見られる。窓ガラスだってひんやりしている。
方や自分はといえば通路側という呼吸するスペースを手に入れられる。
お互いメリットだらけ、Win−Winだ。
なのに肉のやろう渋りやがった。
ヤツの表情はイマイチ読めなかったが動く気はないらしいのは理解できた。
もう絶対にここから逃げ出す。自由を手にすると心に決めていた。
「次の停留所で降りるんです」
ダメ押しにと震える手で降車口を示した。
バスではよくあることだ。
座ってようやく落ち着いた頃、窓側に座っている人間が停車ブザーを鳴らし、次で降りると主張する。
また立つのは正直めんどくさい。どんな善良な人間だってそう思う。
君が嫌いなんじゃあない。
君に面倒をかけるのが申し訳ないんだ。
だから席を交代しよう。
一度こちらの提案を棄却している彼だ。重ねての親切を無下にはしにくいだろう。
更にこれは日常的に乗客間で行われているごくありふれたやりとり。
それを受け入れないのは不自然。このシーンでの不自然は悪意を浮き彫りにする。
これで動かなかったらいよいよトム・クルーズになるしかない。とルートを探り始めた頃。
目の前を塞いでいた肉はのそりと動き出し、ようやくその向こう側に通路が見えた。
やった!生きられる!
いつでも動けるようカバンを抱え直すと、空の弁当箱がカチャリと小さな音をたてた。
焦るな。今じゃない。
ギリギリの空間へ体を滑り込ませた途端プレスされて圧死なんてシャレにならない。
必要なスペースを見極めろ。その瞬間を見逃すなーーー
巨漢が巨漢なりに窓際へ収まったのを確認してから、こちらもようやく座席へ腰をかける。
勝った。勝ったのだ。
隣りを見れば圧縮リーマンに多少厚みが戻ってきていた。それでも前髪は乱れてげっそりして見える。
おつかれリーマン。ほんとうにおつかれ。
なんか巨漢がこっちをチラチラ振り返ってくるがそんなことは関係なかった。
そのうちバスは次のバス停へ止まったが、誰も乗らなかったし誰も降りなかった。
自分はそのまま終点までバスに乗り、ほかの乗客と一緒にバスを降りた。
巨漢は席を立つタイミングを逃したようで座席の横を通り過ぎる人々を見送りながらもぞもぞしていた。
それきり二度と会わなかった。
泣くほどさみしい。
死すら願うほどに。
命すら生み出したいほどに。
臨月を過ごし、無事出産。そして床上げ、実家から自宅へ帰った。新幹線でも数時間の距離。
実家の父母とは仲も良く、みんなで旅行に行くような関係性で、今回の里帰りもとても楽しく過ごし存分に甘えさせてもらった。
可愛い我が子と、喧嘩もするが大好きな両親と、日々の暮らし。幸せだった。
30代にもなったのに大人になりきれないのだろうか。両親と離れるのが死ぬほど辛い。
旦那と暮らせないことよりも実家を離れるほうが断然寂しい。誰にも言えないが、旦那が迎えに来る日は本当に嫌で嫌でしかたなくて、事故にでも合ってくれたらまたこのまま実家で暮らせるのにと本気で考えたし、今でもその思いは、脳の引き出しの割りとよく使う棚にきちんとしまわれている。
3人目は考えていないし、万が一出来たとしても、長く里帰りすることなどは到底無理だろう。上の子には学校もあるし、ヤンチャな時期の子供を2人も抱えて里帰りすることの気苦労を想像するだけで胃が痛くなる。
数年前の話だが、1人目の里帰り終了時も例に漏れず、帰宅後は1ヶ月ほど毎朝泣いていた。
朝起きたら母がいて父がいて、おはようと声をかけて、ニュース番組にツッコミを入れながら朝ごはんを食べる。そんな和やかな時間は失われた。
旦那は早朝に仕事に出かけてしまうため、言葉の通じない赤子と二人きり、誰の声もしない朝を迎えるたびに涙が溢れた。
でもその時はまだ未来に夢があった。
「2人目を産む時はまた帰れる」
愛しい葬儀屋に会うために、身内を殺す女の話を思いだす。
産後はホルモンバランスがこれでもかと崩れる。毛は抜け、肌は荒れ、情緒はゼリーで出来たジェンガのように脆い。
この辛く寂しい気持ちも、そのホルモンバランスの悪戯だとわかっている。現に1人目を産んだ時は寂しさを少しずつ忘れることができたし、旦那と子供の3人暮らしを楽しく過ごせていた。
でも今、今、
この瞬間に死ぬほど寂しいのだ。
殺したいくらい辛いのだ。
怖い夢を見て、母のベッドに潜り込む我が子のように、寂しさから逃げて実家の屋根の下で安心したい。母のぬくもりに包まれて再び眠りにつける我が子が羨ましい。
今、結婚する前にタイムスリップすることが出来たなら、全力で止めるだろう。
さみしいつらい。
さみしい、つらい。
現実にこんな話をする子持ちのおばさんがいたら皆引くだろう。しかも涙まで流し、世間的にも私から見ても「出来た旦那」の命すら惜しまないと語るのは異常だ。匿名でしか吐露できないこの気持ちを、文字に起こすことで少しでも捨てたかった。(が、実家への慕情を確認し募らせる行為にしかならなかった。)
人間は忘れていく生き物だし、あと1ヶ月も経ってホルモンバランスが落ち着けばこの気持ちも緩和されるだろう。
でも私はきっと思い出す。
流れる晴れた空を見つめながら
孫のおむつを替える母の手を
眠る孫を見つめる父の横顔を。
孫と手を繋いでコンビニへ行く父の背を。
今後、子供が成長する節目のたびに
夜に布団の中でそっと泣くだろう。
入学式を終えたその足で、ランドセルを背負った孫を見せに行きたかった、などと思うのだろう。
さみしいつらい。
さみしい、つらい。
遠距離でも、両親が揃って元気に生きているだけ幸せなんだと自分に言い聞かせている。
次に会える日を指折り数えて待っている。
私が思う最良の人生を夢見ている。
自分が遅刻しそうになると子供の保育園への送り出しを押し付けてきたり、仕事が遅くなることを言わずに遅くなったりして食材を無駄にしたり、掃除や炊事をきちんとこなせなかったり、夜の頻度が減ったりそのまま眠ってしまったり、子供の幼児教育の面倒を全く見てくれなかったり、とにかくストレス溜まることばかりが続いてた。
だから私も本当に頭にきて、何日も無言で無視したりとか、帰ってきてもチェーンロック閉めたタママにしてドアを開けずにいたり、臭い革靴を廊下に放り出したり、ベッドに自分のゴミを置いたり、いつもゆっくりしてるソファーに大量のファブリーズを夫がいるときに発射した。本当にイライラして仕方なかった。選択すると加齢臭が私の服にも移りそうだった。(何度洗っても枕の加齢臭が取れないのは何故なの?)
ある日泣きながら掃除をしていたら、夫が心配したらしく私の親と連絡を取っていて、親が私を迎えに来ることになった。とても裏切られたと思った。夫婦二人の生活なのに、夫は親を使って逃げようとした。本当に卑怯な男。そういえばまだつきあいたての頃に生でしてしまった後に、もし、赤ちゃんできたらどうするのか聞いたら、下ろしてもらうことを頼まれた。そんなクズなやつなんですよ。
数ヶ月ぶりにクズと親子三人で過ごすことになったんだけど、あれっボディタッチがない。すぐ寝る準備、ベットが分かれてるんだけど、そのまま寝てしまったみたい。何かそのこと自体が寂しくて泣いた。だって数ヶ月ぶりに一つ屋根の下になってセックスしないの?悲しくない?
それでまた頭にきたので無視することにして実家に帰った。そのまま年末年始に入ったけど、うちの実家には一応元旦だけ来られるようにしてやった。針のむしろのように居心地が悪そうだった。その日の夜に帰っていった。
ずっと合わない日が続いた。電話も取らず、別居で、一年くらい経った。
久しぶりに子供に合わせることになり、話すことになった。聞くところによると夫はキリスト教のカトリックという分野の教会で洗礼を受けたらしい。とてもたくさんのお恵み?をいただいたといっていた。とにかく癒されたようなことをいっていた。何か別人のようになってしまった。
あんなにイライラして怒り返してきた夫が怒りづらくなってる。私がムカついたことがあって責めても、ムカついたことに同情されるところから始まって調子が狂ってしまう。
でもなんか夫が変わった気がした。
なんというか前より大らかになって話を聞いてくれるようになった。心はキリスト教のことばかりみたいだけど、霊操とかexamenのことばかり勉強してる。これで心を強くしてるんだってさ。よくわからないけど、良い方向に変わったんだから許してあげようかな。