大半が同年代の子もちでいつも大人数で遊んでいた、5才くらい年上の世帯の兄さん姉さん達は可愛がってくれていた。
老人夫婦の世帯は庭の柿を取らせてくれたり、お菓子をくれたりした。
いつも学校から帰ると友達の家の前で○ちゃんあそびましょーと大声で呼び、道路でドッジボールやゴムとびや花いちもんめやかごめかごめや缶けりやじゅんどろをこれまた大声でやっていた。
時には自転車で鬼ごっこやろうぜーとバカが言い出して、自転車で暴走したあげくに捕まえようとしたら2台ともこけるので中止したりもした。今から思うと事故にならなくて良かった。
いつも遊んでる十字路の前にいつも雨戸を閉めている家があった。
めったに顔を見ることもなく、たまに見かけると睨み付けてきた。
その人の家の裏は川があって、横に土手がありそこではつくしや野イチゴが取れるので子供達はよく収穫に行っていた。
そこで私がまだ園に通ってない頃に事件を起こした。
近所の小さい子達と一緒に野イチゴを摘みに行って、子なしの家の裏でイチゴを見つけたのだ。
凄い本物のイチゴがある!とたらふく食べて子供達はそれぞれ家族にイチゴを土産に持ち帰った。
母は特大雷を落として謝りにいったが子なしは非常に怒っていた。
母も凄い剣幕で怒り家の前で私の尻を叩いた。
近所の婆さんが出てきて取り成してくれて、やっと尻叩きがやんだ。
後から聞いた話によると子なしは愛想が悪く近所の付き合いもなく会うと嫌みを言う変人的な位置付けだったらしく、やっかいな事をしてくれたと思っていたらしい。
そしてイチゴ泥棒家庭の母への嫌みは私が中学に行っても続いていたらしい。
今から思うと外でみたら睨み付けてくる程度で子供に直接来なかったのは不思議な感じだ。
私は子供の遊び声好きだけどあの人は嫌いだったろうに、毎日夕御飯まで家の前で大音量で遊ばれるのも辛かったろう。
あの頃に匿名掲示板があれば近所の子供達を悪し様に書いたりして子なし仲間とつるんだりもできてたんだろうな。
久しぶりに昔の家の前を通るついでに見ると相変わらず雨戸を閉じて庭も荒れ果てて住んでるかどうか解らない家だったのを見て思い出したのでメモ。