はてなキーワード: タクシードライバーとは
話題の映画「ジョーカー」を観た。3日間もの間、印象的なシーンが鮮明に再生され、日常生活を送りながらも映画の中の世界が頭から離れなかった。観賞中は息が詰まるような緊張感が続き、ショッキングな描写に気持ちは激しく動揺した。
これは一体どういう映画なのだろう。なぜこんなにも強く私の脳内を占拠したのだろう。これは議論を呼ぶ名作なのか、はたまたただのトラウマ体験なのか。作品に散りばめられたエッセンスから頭をよぎった監督たちの紹介とともに答えを探っていきたい。
まず系譜としてはマーティン・スコセッシなしには語れない。スコセッシは言うなれば妄執の父である。社会が見せる夢に取りつかれた青年が現実と妄想の間でもがく、という題材をひとつのテーマとしている監督だ。アメリカンドリームを皮肉たっぷりに描き、鬱屈した現実とポップな理想を同居させ、若者が狂信的な思いを貫くことで結果的に社会がカウンターパンチを食らう、という内容に特徴がある。主人公にはしばしば常識や倫理観が欠如しており、それが社会との隔絶や陰惨な事件を起こす引き金となる。「タクシードライバー」や「キングオブコメディ」でうだつの上がらない妄想癖の男を演じたロバート・デ・ニーロが「ジョーカー」で今度は人気番組の司会者を演じているのも意図的な皮肉だろう。社会の片隅で生きる男が自意識を肥大させて全能感を獲得するという構図は明らかにスコセッシに倣ったものだ。
だが、スコセッシ作品と比べると「ジョーカー」の方が観ていて受けるショックは大きい。はじめから狂気じみたスコセッシの描写する青年と違い、「ジョーカー」の主人公アーサーは特殊な障害こそあるものの、それなりの分別を持って慎ましい生活を送る恵まれない男なのだ。尊大さよりも不遇を強く感じさせる分、彼が段々と堕ちていくのを見るのはつらい。
似たような余韻を残す作家で連想するのはダーレン・アロノフスキーだ。アロノフスキーは絶望の職人である。こちらも現実と妄想の対比によって物語が進行するが、えげつないほどの乖離や物理的に後戻りのできない状況を生み出すことによって観客もろとも登場人物を絶望へと叩き落とす。往々にして個人における心理状態の変化に焦点が当てられ、描写に肉体の変容を伴うのが特徴だ。職人と称したのは、映像や音楽を神経質なまでに駆使して恐怖や落胆、憧れといった感情を煽っていく技巧派スタイルからだ。その画面は暗く、重く、そして美しい。「ジョーカー」を観て「レクイエムフォードリーム」や「ブラックスワン」を想起した人も多いだろう。アロノフスキー作品同様、「ジョーカー」には喪失そのものを賛美する鎮魂歌のような要素がかなりある。観客に登場人物と同じ夢を見させた上で、それが緊張とともに深い闇に飲まれていく過程をただただ美しく映し出すのだ。
では、「ジョーカー」の監督であるトッド・フィリップスの独自性はどこにあるのか。それは、社会的にインパクトのある題材を濫用し刺激的すぎるほどリアルな描写にこだわっているにも関わらず、全体として悲壮感を打ち消しにかかっているところにあるように思う。まさにジョーカー的とも言える、悲劇か喜劇かは主観次第、というのを地で行くような趣きがある。スコセッシが愛に飢え、アロノフスキーが闇を愛でる一方で、フィリップス節はなんとなくはじめから終わりまで人々の孤独が平行線のまま、深刻なのにどこか表面的で、楽観していて投げやりなのだ。
過去作の「ハングオーバー」でもトッド・フィリップスはそんな調子だった。いたずらに過激なモチーフを画面に持ち込み、場当たり的に対処していく。物語は緻密に構成しながらも強いテーマ性は内在させず、作り手としての態度はどこか楽観的だ。調べてみるとドキュメンタリー出身とのことで合点がいった。おそらくは観客を引きつけておく演出は最大限発揮しながら、事象としてはすべてありのままを受け入れる、ということである。男子寮、バチェラーパーティー、そして今回のジョーカー誕生といい、悪ふざけと相性の良いトピックを選んでいるのもきっと彼らしさなのだろう。待てよ、よくよく考えれば彼の切り口は「やりすぎ男子」そのものじゃないか。
だとすると、やはり「ジョーカー」という作品は社会的意義を議論するには不向きな映画だろう。映像表現に長け、社会をありのままに捉え、悪ふざけを好むトッド・フィリップスという監督が、人々にトラウマを植え付けるほどやりすぎてしまった結果できた映画なのではないか。社会問題全部盛り、過激表現マシマシでありながら「そういうこともあるさ」と爽やかに言わんばかりの演出にはそれで説明がつく。それは確かに時代を反映しているかもしれないが、風刺の意図や分かりやすいメッセージはおそらくそこにはない。
新時代のやりすぎブラックジョーク、それが私の「ジョーカー」に対する結論である。
※ 本当はクリストファー・ノーランにも言及したかったが、うまくまとまらなかったのであえて割愛した
確かにネタ元のひとつのキングオブコメディはそういう映画だけど、劇中でもその妄想オチ要素あったけど、最後までその解釈でいく奴おる?
そもそもタクシードライバーとキングオブコメディの参照はたしかだけど、実は素材は流用して全く違う事を描いてる映画だと思うが。
むしろ知ってる人間ほど、目に映る演出は同じだから読み間違うという、昔の映画の影響語りをするヤツがバカをみるように作ってると思ったが。
それを、じゃあテーマや演出意図も同じだよね、ゴッサムの暴動はアーサーの願望で……実は精神病院オチでしたーって素朴にうけとるか?
というかアーサーの願望通りの妄想が実現するならそれはコメディアンとして大ウケしてから自分の頭をぶち抜くことでは?
タクシードライバーの流用にみえて、狙ってた事はなにもうまくいかない
キングオブコメディの流用にみえて、妄想というには本人の願望と合わない
という演出だと思うんだが。いや、別にぜんぶ妄想だから凄い説も否定できないようにはなってるけど
でもそれがみたいならキングオブコメディ見りゃいいじゃん、ジョーカー見ないでいいやろ
それともそれも信頼できない語り手だからアーサーの自殺願望それ自体が後から挿入されたものって解釈でいくのか?
信頼できない語り手っていう大技に気をとられて安心しすぎでは。
そういう妄想オチならシナトラのThatsLife口ずさむか? 違う曲にするのでは?
なにが言いたいって
チャイルドプレイのチャッキー、羊たちの沈黙シリーズのハンニバル・レクター、ミザリーのキャシーベイツ、シャイニングのジャックニコルソン、
多分好きじゃないだろうけどノーカントリーのシガー、タクシードライバーのトラヴィス、時計仕掛けのオレンジのアレックス、サイコの犯人とかかな。
悪魔のいけにえがだめなのはかなり突っ込みたいところだけど、ハロウィンもロブゾンビ版だしリメイクのテキサスチェーンソーがいいんじゃない?
あとフレディがありなら、超常現象だけど現実的な仕掛けで人を殺してくファイナルデスティネーションシリーズもかな。
これも三作目以降の方が趣味に合ってそう。
邦画は思いつかない。
アメリカの影
エルマー・ガントリー
G・I・ブルース
ワン・ツー・スリー
荒馬と女
噂の二人
草原の輝き
片目のジャック
底抜けもててもてて
101匹わんちゃん大行進
樹々の大砲
昼下りの決斗
野望の系列
ハッド
鳥
たたり
5月の7日間
未知への飛行
裸のキッス
殺人者たち
イグアナの夜
赤死病の仮面
不意打ち
ラブド・ワン
ファスタープッシーキャット キル!キル!
キャット・バルー
シェナンドー河
ミッキー・ワン
銃撃
テキサスの五人の仲間
ある戦慄
招かれざる客
ドアをノックするのは誰?
フェイシズ
泳ぐひと
華やかな情事
愛すれど心さびしく
甘い抱擁
明日に向って撃て!
夕陽に向って走れ
雨のなかの女
ジョンとメリー
アメリカを斬る
ハズバンズ
真夜中のパーティ
キャッチ22
さすらいのカウボーイ
断絶
愛の狩人
ラスト・ショー
白い肌の異常な夜
ゴングなき戦い
夕陽の群盗
フリッツ・ザ・キャット
アメリカン・グラフィティ
地獄の逃避行
こわれゆく女
カンバセーション…盗聴‥
三人の女
地獄の黙示録
チャンス
マンハッタン
ロング・ライダース
アルタード・ステーツ/未知への挑戦
レイダース/失われた聖櫃
評決
ダイナー
ハメット
シルクウッド
スター80
再会の時
ラヴ・ストリームス
レポマン
チューズ・ミー
バーディ
ミシマ
最後の誘惑
存在の耐えられない軽さ
ダイ・ハード
ヘア・スプレー
ドラッグストア・カウボーイ
ヘザース
ゴッドファーザーPARTIII
グリフターズ
バートン・フィンク
希望の街
殺人課
夫たち、妻たち
ボブ★ロバーツ
アメリカンレガシー
摩天楼を夢みて
エル・マリアッチ
ショート・カッツ
ナイトメアー・ビフォア・クリスマス
リトル・オデッサ
クラークス
リービング・ラスベガス
デッドマン
誘う女
真実の囁き
スターシップ・トゥルーパーズ
クンドゥン
プライベート・ライアン
バッファロー'66
マーシャル・ロー
メリーに首ったけ
π
スリー・キングス
まぁ、ストーカー行為や個人情報流出行為が悪いのであって、タクシードライバーという職業が悪いのではない。
その点、元増田の批判がタクシードライバーという職業一般に向かうのは間違っているだろう。
今日は今の日本で一番最下層、アンダークラスに属するだろうタクシードライバーについてどうしても語りたくなった。
やつらに底辺といったら怒るだろうな
給料がいいとほざいてみたり、他にも底辺職があると言い出してみたりするだろうが先にいっておく。
わかったか?
給料自慢してもお前らは歩合制だろ?
それにリスクも考えてないだろ?仕事に給料が見合ってないんだよ。
わからないのか?おまえらは知的水準も教育水準も文化水準も低い。
わるい。興奮しすぎた。話を戻そう。
「こんにちは」もいったらだめだ。
同業者の悪口をいいまくり、客の写真をさらしてる運転手すらいるだろ?
タクドラブログをみてみ?
しかもタクシードライバーは自ら自分たちが危険な存在であると明言している。
タクシー運転手が乗客として乗った菊池桃子さんにストーキング行為を繰り返していたという事件である。
この件は自宅が分かる形で降車したためストーカーに自宅がばれる結果となった。
やつらはこの件についてこういうのである。
「自宅まで送らせるのはよくない。家から離れた所でおろしてもらわないと」
菊池桃子さんの件だけじゃなく一般人でも自宅までのせてもらって自宅をさらされたが運転手がくびにならないって話がごろごろある
こういう言葉は客が言うのはわかる。
しかしタクシー運転手達がいうのはおかしいと思わないのだろうか?
例えば、とある会員制サイトやネットショップ等で社員が悪意をもって意図的に個人情報を流出させたとしよう。
お客の中には怒りつつも「こういうこともあるだろうから局留めにしてるよ☆」というようなリスク管理意識の高い客もいるかもしれない。
しかし「自宅に届けさせるのが悪い。コンビニ受け取りにしないと。自宅の住所なんて書いちゃだめだよ」
なんて言うショップはあるだろうか?ないだろ?
保険屋であろうが電気屋の配達員だろうが、決して外部には漏らさないだろ?
もらしたらくびだろ?
それがだ、タクシーとなったら平然とさも当たり前かのように言ってのけるのである。
自宅まで送らせるのが悪いぞ!
呆れてものがいえない。
更に、彼らは罰せられる事がないので自分たちの考えを変える機会をもっていない。
ネットショップ等の個人情報流出ならば、その社員はクビになるであろう。
流石に菊池桃子さんの件はクビになったようだけれども、他の多くの個人情報流出事件は有耶無耶に流されて終わり
自宅まで送らせたらうっかりしゃべっちまうかもわかんないから、そこんとこよろしく☆
こんな考えの糞タクドラががウヨウヨいるし
芸能人のマンションなんて聞いてもないのに、客にべらべらしゃべってくれる
このような意識の人たちと関わりたいと思うか?
ストーカーになるかもしれん
できるだけ乗るな
乗ったら殺されるかもしれない
それぐらい思っとけ!!!
JapanTaxi(全国タクシー)について書いた元エントリ(anond:20180927184434)に知らないうちに結構な反応があり、驚いている。要旨がよく分からないというコメントもあったが、要は「会社は乗務員に清貧を求めすぎだ」「アプリで無線配車の回数が増えた」ということである。字数制限で書けなかった。この記事は元エントリの補足が中心で、今伝えたい要旨はない。
乗務員一人だけの車内では、混雑時に無線が来る度に「おい!こんな無線よこすなよ!」「長距離だ!キャンセルするなよ!」という具合で阿鼻叫喚。しかし、短距離だろうが長距離だろうがお客様は皆、何らかの事情があって弊社のタクシーを利用していただいている。お客様と対面するときは、笑顔でやっている。サービス業にありがちなことだが、やはりあまり裏表があるのは望ましくない。
日本交通は、乗務員が心からの笑顔でお客様をお迎えできるような待遇を、乗務員にしていない。別にサービスを売りにしている訳でもない会社とあまり変わらない待遇である。これがよくないのだ、というのが私の意見である。
サービス業に限らず、どんな業界でも、上と現場の間で齟齬は起きているはずである。日本交通におけるそれが、無線配車と運転手の関係だ。もちろん私達もお客様のために必死。お互いが気遣い合って、一度一度の乗車を気持ちよく完了させられれば、もっとこの業界も良くなるはず。運転手にかかるストレスが少なくなれば、お客様が感じるストレスも減っていくかもしれない。
そこで、アプリをよく利用される皆様のために、双方のストレスを軽減できそうな裏ワザっぽいものを紹介する。注文の段階になると「場所詳細」というボタンが現れ、そこに色々書くことができるということは元の記事でも伝えたが、これを利用する。
実際にこのメニューを開くと「建物名」「付け場所」と出てくるが、別にそれ以外のことを書いても大丈夫である。ここでは、電話予約の際に無線センターがお客様から承った依頼を乗務員に伝える際の言い回しを紹介する。ただし、記入欄1つにつき、字数制限は15文字。
こういう時は「乗降時ドアサービス不要」もしくは略して「DS不要」と書くのがよい。全角なのがミソ。やり方は色々あるだろうが、自分がタクシーを呼ぶときは迎え先の欄に「車内待機」、目的地の欄に「DS不要」と書いている。
お客様が来るまで車外待機し、お客様の乗降時にドアを外から開け閉めするサービスは、日交のマニュアルで指定されている。これを社内では「ドアサービス」と呼んでいるが、実際は降車時にお客様が「中から開けてください」と言ってくれるのを期待している乗務員がほとんど。
アプリに表示されている時間はアテにならない。15分とか20分とか表示されていても、実際は行こうと思えば10分以内で行ける。そこで、「時間調整不要」「時間調整禁止!」と書くと、よほど混んでいない限りはアプリで表示された時刻より5~10分くらい早く来てくれる。乗務員にとっても、時間のロスが減るため、かなりありがたい要求である。
実際の所、指定された時間より早く来てもほとんどのお客様は指定された時間(もしくはそれより後)にしか出てこないため、乗務員はそこら辺を遠回りするか、コンビニに寄って飲み物を買ったり車内を片付けて時間調整をすることが多い。お客様の方からそれをせずにさっさと来てくれ!と言っていただければ、乗務員も喜んで急いで行く、という訳である。
配車のアルゴリズムがどうなっているかは知らないが、実感として自分がいる場所と同じ町内には呼ばれないことが多い。例えば、「新宿区新宿」を流している車には、「新宿区大久保」や「渋谷区代々木」からの配車依頼が飛んでくる。空車が少ない地域では100mも離れていない場所から呼ばれることもあるが、レアケース。
https://i.imgur.com/yGMi2rt.jpg
↑の画像でも分かる通り、情報ひとつはカギ括弧の中に収められ、全角カンマで区切られている。これを利用すれば、車載器に自然に反映されるようになる。もちろん、気にしない人は分かるように書いて頂ければそれで大丈夫。
例えば、「新井薬師前駅」に「南向き」で待機してもらい、かつ「ドアサービス不要」「時間調整不要」ということを伝えたいのであれば、2つある欄のそれぞれに
新井薬師前駅」,「南向き
と入力すれば、車載器には4つの情報が送信されてきたように見える。もちろん1つの枠につき15文字の制限は守る必要がある。
https://i.imgur.com/v49tBy5.jpg
アプリ配車だと伝えられる事項が限られるが、電話配車だと↑の画像のようなこともできる。
パターンは様々あるが、建物の色や入り方(バック入庫が必要な場合)、寝坊してしまったときの対処など、細かく注文したいときは、電話で無線センターのオペレーターに伝えた方がいい。どんなに長々とした要求でもしっかり車載器に届けてくれる。
たぶん新型車(ジャパンタクシー)に乗りたい人が多いと思われるが、アプリだと「黒タクのみ」「黒タク優先」となぜか「プリウス」の3種類しかない。これ以外の選択肢は電話でしか指定できない。
ちなみに前述の場所詳細欄に「ジャパンタクシー希望」と書いても意味はない。ジャパンタクシーを指定したい場合は、無線センターに電話で連絡することになる。自分も何度か電話予約のジャパンタクシー指定無線を受けたことがある。ワゴン車(エスクァイアかアルファード)も電話でしか指定できない。
荒技として、「JPN TAXI以外は代車要請」と詳細欄に記入する方法もあるが、代車要請をするとアプリに正しく車両の位置が表示されなくなる(らしい)上、朝はいつまでも車が決まらなくなるため、要注意。代車要請とは車載器のメニューに表示されているボタンの名前で、その名の通りたらい回しされるものである。基本的には事故などどうしようもない状態の時に押すもので、何もないときに押すとその乗務員はクビになる。
何もしなくても無線は黒タクに多く回されるシステムになっているのだが、多少時間がかかってもいいから黒タクに来て欲しいというときは「黒タクのみ」「黒タク優先」のいずれかを選ぶ。車両そのものは色が違うだけで何か特別な設備があるということはないが、乗務員の質が違う。
日本交通を多く利用されるお客様はご存じだと思われるが、社内で基本的な研修とはまた別のサービス研修を受けた乗務員が黒色の車両、すなわち黒タクに乗ることができる。つまり、サービスレベルがより一層高く、ドライバーが新人であれこれ説明しなければいけないということもない…はずなのだが、黒タク資格を得られるかどうかは勤続年数よりも日頃の行いや本人の希望に依るため、乗務経験が1年程度の人が黒タクに乗っていることもある。
ちなみにジャパンタクシーは全て黒(紺)色の車体だが、行灯の「桜にN」の図柄が金色のものが黒タク扱いで、青色のものが黄色と同じ扱いである。つまり、黒は黒でも行灯が青のジャパンタクシーには新人が乗っている可能性があり、目的地を告げた瞬間に「大変申し訳ございません!新人でございます。道のご案内を…」と元気よく告げられるかもしれない。クラウンやセドリックは、黒タクでも行灯の図柄は青色。
別名「四社カラー」。日本交通グループ以外では、km(国際)、大和、帝都も同じ色。いわゆる普通のタクシーである。何も特別なものはない。前述の通り、ジャパンタクシーのうち青行灯の車両も黄タク扱いになる。これをわざわざ指定する理由はないが、無線センターに言えば指定できる。新人ならではのフレッシュさを味わいたい方はどうぞ。1年未満の乗務員は後ドア横に「新人」のステッカーを貼っている。
ちなみに、この車に乗っている乗務員が全員新人かというとそういうわけでもなく、黒タク資格を持っていても車両繰りの都合で黄タクに乗せられることがある。あとは、黒タクならではの縛りが面倒という乗務員は、何年勤務していようが会社から後押しされても固くなに黒タク資格を取らない。
この選択肢があるのがよく分からないが、たぶん一時期のプリウスブームに乗じた物だと思う。実は去年までいっぱいいたのだが、ジャパンタクシーが登場してから急激に台数が減り、グループ全体を見渡してもプリウスはほとんど残っていない。つまり、これを選ぶと高確率で配車に失敗する。自分が把握している限り、プリウスは三鷹営業所とグループ会社の東洋交通に数台ずつしか残っていない(いずれも黄タク)。同じくグループの春駒交通には黄色のプリウスαがいる。
ちなみにプリウスは四隅のサイズが無駄に大きいため、乗務員からの評判がすこぶる悪い。
別に、これでアプリを利用するお客様が萎縮する必要はない。乗務員に良い無線・悪い無線というカテゴライズをさせる会社が悪い。ぜひ、今後も通常通り使って頂いて欲しい。短距離でごめんなさい…と思う必要は別にない。実際は短距離の方が多いし、乗って頂けるだけでありがたいのだから。さすがに無線で410円とか570円は辛いけど。
どこからを長距離とするかは乗務員によっても違うが、4000円(10キロ)を越えると長い部類に入る。10000円を超えると「万収」と呼ばれ、営業所に帰ったあと他の乗務員に自慢できる。
お客様が来るまでにどうやって行こうかな~というのをじっくり考えられるため、心理的負担が少ない。無線のシステムはカーナビと連動しているため、新木場営業所の乗務員が二子玉川まで来て、そこで無線を拾ってしまっても、目的地が設定されていればワンタッチでカーナビをセットできるため、お客様に延々と道を聞き続けて手間をかけさせてしまうようなことはなくなる。短距離でも許せる。
別に長距離に限らず、空車で延々と走るハメになりそうな状況を埋めてくれればいいのである。いま流行のライドシェアの真髄もここにあるのではないだろうか。
例えば、23時頃に銀座から竹ノ塚までお客様にご乗車いただけたとする。比較的長距離なので嬉しい。しかし、0時を過ぎて竹ノ塚から都心への帰り道でお客様が手を挙げそうな場所はそうそうなく、下手すると上野かどこかまで10キロ以上空車のまま帰ることになる。これでは都心で1000円前後のお客様に何度も連続してご乗車いただいたのとあまり変わらない。(そんな時でもお客様を見つけるのがタクシードライバーの腕の見せ所ではあるけれども)
そんなときに西新井→千住と、千住→浅草の無線を立て続けに引くことができれば(そんなことは普通ないが)、それぞれ2000円も行かないかもしれないが、空走りの距離を減らすことができ、結果的に効率は上がる。なぜか世田谷区でよくある。
あくまで代表的な例であって、大泉以外にもこういう場所がたくさんあることは認知している。日交のタクシーは都心に集まるが、例えば世田谷区や目黒区は都心から直接乗り付けてくる人が多いため、アプリで呼ぶとそこから都心に帰ろうとする車が捕まることが多い。しかし、大泉を始めとする練馬区西部は都心からタクシーで乗り付けるとかなり高額になるため、そうでもない…ということである。
大泉近辺でタクシーが集まるのは吉祥寺だが、吉祥寺でも遠いし、あの辺はあの辺で忙しい。日交グループの車もそんなにいないため、JapanTaxiアプリだと捕まらない。
そもそも日本交通は乗務員に都心で営業することを勧めている(実際に都心で営業した方が売上はいい)ため、郊外ではJapanTaxiアプリではなく、東京ハイタク協会の「スマホdeタッくん」を使った方がいいかもしれない。日交は営業所が千住だろうが三鷹だろうが都心にガンガン出ていくが、中小は郊外ローカルで気ままにやる人が多いのが背景にある。
以前ある乗務員から聞いた話では、三鷹営業所では「世田谷番」を設定し、都心に出ずに世田谷区内を中心に営業する乗務員を日ごとに決めていたそうだ。これで需要が多いにもかかわらず日交の営業所がない世田谷区内の需要にもくまなく対応できいたが、営業補償があったかどうかは知らない。ただ、世田谷に営業所を置く飛鳥交通が東京無線から日交にのれん替えしたため、今はないと思われる。
底上げ給を設定してくれるのであれば、一日中郊外の特定地域に居座っていた方が乗務員にとっても気は楽である。都心のピリピリした雰囲気に巻き込まれず、営収を追う必要もそんなになくなり、駅まで・病院までの短距離乗車だって笑顔でこなせる。銀座の金持ちを狙うばかりがタクシーの社会的責任ではない。
配車アプリでUberの進出を防ぐという目標があり、それをタクシーを生業とする自社の社員に担ってもらうのであれば、こうでもして各地域まんべんなく配車が成立する確率を高め、より一層お客様に満足していただけるよう取り組むのが筋ではないか。
アプリを開発したJapanTaxi(株)は、日本交通の100%子会社で、アプリ以外にも無線システムや車載器、あるいはクレカ/電子マネー決済機を開発している会社である。どちらかというとITベンチャーの部類に入る。なぜこの会社が優先配車の980円をもらっていくのかは謎。アプリとお客様は悪くない。会社が悪い。
タクシードライバーから見たシステム関するお話しとか出て大変だなと・・・
私は一般的に普通にタクシーを利用する側なのだが、最近立て続けに
これはたぶん、明確に法的か規約的に違反していることだと思う。
高額ではないが、家計管理上クレジットカードで払うことが多い。
いつも通り、クレジットで払おうとしたときに運転手さんからこんなことを言われた。
「このクレジットの手数料は私たち運転手が払ってるんですよ。天引きです。」
「え?そうなんですか?大変ですね。」
と言いながらその時は、クレジットカードで支払いをした。
しかし、ちょっと気になった。「そんなこと言われると今後クレカで払いずらい・・・」
なぜなら、サービスとして提供している以上、それを利用することは普通の行為だからだ。
しかし、裏側ではタクシーの運転手がカードの利用手数料を引かれているらしい。
他のエントリでもあったけど、載せれば乗せるほど、今時カードで払う人なんて
沢山いるわけで、その分手数料が増えるわけだ。。
そもそも、これって法律違反?いや、クレカの利用規約違反じゃないのかな?
とか思っていたら、ついぞ、同じ地域の別のタクシー会社でこんなことがあった。
いつも通り、乗ってクレカで払おうとしたら、
「すいません、クレジットカード使えないんです」
「あ、そうなんですね、わかりました。」
と言って普通に現金で支払い、お釣りをもらう際に、ふと気になったので聞いてみた。
「使えますよ。でも使えないタクシーがあって、それが唯一この車なんです。」
「あー、そうなんですね。(なかなかレアなのにあたったな)」
「実は、クレジットの支払いの手数料を運転手負担になってるんですよ。
そのことを労基に訴えたんです。そしたら、労基から指導が入ってね。
会社はどうしたかというと、僕の車だけクレカを使えないようにしたんです。」
どうやら、クレカの支払手数料を運転手負担にしている会社は多いのか?
労基から指導が入るくらいだからダメだと思うし、報復的にその車だけクレカ
使えなくするとか、相当ひどいと思う。
実際利用した私という顧客にも不便を被ったわけで。
個人タクシーの場合は自営業だからクレカの手数料を個人が払うのはわかるけど、
タクシー会社がクレカ導入したらその手数料は会社が払うべきなのではないだろうか?
小さな事かもしれないけど、配車アプリや、このクレカ手数料のように
ぜんぜんわからない、俺たちは雰囲気で演技を語っている、ってやつだよ。
だからパントマイムみたいに大袈裟な動作や表情で、感情を伝える演技が求められた。
1930年代からトーキー映画が始まって、より自然な演技が求められるようになった。
役柄の生い立ちや深層心理まで想像して「なりきって」いくというもの。
ロバート・デ・ニーロとか有名だよね。
タクシードライバー役をやるために実際にタクシードライバーになったりする。
そうやって役柄との一致率を高めていく。
一時期は、このメソッド演技法が「名優の条件」みたいな扱いだった。
たとえばどんな役も上手く演じる「カメレオン俳優」が評価され、
逆に「何を演じても同じ印象」みたいな俳優を演技力がないとするのは、
共演者と協調しにくいとか、台本の変更に弱いとか、精神的肉体的に負担が大きいとか。
「台本どおりにやれよ」と言ってメソッド演技を嫌う監督も多い。
だからハリウッドの俳優たちも全員がメソッド演技をやってるわけじゃない。
多くの人が演技を評価するとき、何らかの価値観を前提に置いている。
極論、「棒読みが悪い」とされているのは「声に感情を込めるべきだ」という価値観があるからだ。
でもなぜ声に感情を込めるのか?を突き詰めれば「好み」としか言いようがない。
「だって現実には無感情な声を出す人なんていないだろ?」というのも
誰々の演技が上手だ下手だというような記事をいくつか読んでも、
「この人はこういう演技が良いと思っているんだな」ということしかわからない。
映画の題材、割り振られた配役によって、求められる演技も違ってくるだろう。
「俳優の演技が下手」なのではなく「キャスティングが下手」なのかもしれない。
どんな演技だろうと映画がおもしろけりゃいいんだよ!ということかもしれない。
でも自分の嫌いな演技が目につけば映画全体もつまらなく感じるかもしれない。
演技を気にしていない観客のほうが、より多くの映画を楽しめるのかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20180606094444
根がマジメ(相手の立場になって想像≒妄想をしがち)な人か、ヒマ(心に空虚を抱える)な人だろう。
つまり「マジメ+ヒマ」な人が、最も発症しやすいのではないか。『妄想×空虚』な心理状態の人が。
既に「相手の考えを想像≒妄想して先取り」しているので、相手(他者)の言う事を聞いても
自分の意見や「思い込み」を変更する事をしない(出来ない)んだろう。
間違っている、嘘をついているのは相手であり、自分の中に「一点の曇りもない」と、信じ切っている。
映画『タクシードライバー』で、デ・ニーロが演じる「孤独で不眠症」のトラヴィスも、
そんな人(マジメ+ヒマ)だったのではないか。彼がとる行動は、まさに重度の【世直し病】の症状だ。
幼い頃に離婚して母親に引き取られて離れた父親に、子供の頃から今まで一度として会いたいと思ったことがない。
別に恨んでるとか特別な事情があるわけでもなく、なんとなくどんな父親だったか憶えてるし、特に興味がないから会う気が起きない。
ちなみに生まれ育った街はなつかしいので学生の頃電車で行って散歩して実家みるだけみて帰った。
おっさんにこの父親に数十年会っていないという話をすると、それ以上の事情も聞かず「今会っておかないと歳とったら後悔するぞ」という説教なんだか何なんだかわからないことを言い出すおっさんが多い。
こっちが曖昧に「はあ、そうっすね」と流してると、響いてないことが伝わるや『若造には分からないことを人生の先輩として忠告してやる』的な念押しをしてくる。
割とシッカリしてそうなおっさんは踏み込んでこなかったり色んなケースを想定した返しをしてくるんだけど、過去も今もどうしようもなさそうなおっさんはだいたいこういう類のセリフ一択なんだよね。