ぜんぜんわからない、俺たちは雰囲気で演技を語っている、ってやつだよ。
だからパントマイムみたいに大袈裟な動作や表情で、感情を伝える演技が求められた。
1930年代からトーキー映画が始まって、より自然な演技が求められるようになった。
役柄の生い立ちや深層心理まで想像して「なりきって」いくというもの。
ロバート・デ・ニーロとか有名だよね。
タクシードライバー役をやるために実際にタクシードライバーになったりする。
そうやって役柄との一致率を高めていく。
一時期は、このメソッド演技法が「名優の条件」みたいな扱いだった。
たとえばどんな役も上手く演じる「カメレオン俳優」が評価され、
逆に「何を演じても同じ印象」みたいな俳優を演技力がないとするのは、
共演者と協調しにくいとか、台本の変更に弱いとか、精神的肉体的に負担が大きいとか。
「台本どおりにやれよ」と言ってメソッド演技を嫌う監督も多い。
だからハリウッドの俳優たちも全員がメソッド演技をやってるわけじゃない。
多くの人が演技を評価するとき、何らかの価値観を前提に置いている。
極論、「棒読みが悪い」とされているのは「声に感情を込めるべきだ」という価値観があるからだ。
でもなぜ声に感情を込めるのか?を突き詰めれば「好み」としか言いようがない。
「だって現実には無感情な声を出す人なんていないだろ?」というのも
誰々の演技が上手だ下手だというような記事をいくつか読んでも、
「この人はこういう演技が良いと思っているんだな」ということしかわからない。
映画の題材、割り振られた配役によって、求められる演技も違ってくるだろう。
「俳優の演技が下手」なのではなく「キャスティングが下手」なのかもしれない。
どんな演技だろうと映画がおもしろけりゃいいんだよ!ということかもしれない。
でも自分の嫌いな演技が目につけば映画全体もつまらなく感じるかもしれない。
演技を気にしていない観客のほうが、より多くの映画を楽しめるのかもしれない。
みんなこれanond:20180821141938についていってるってことは「演技の上手い下手なんて論ずるまでもなくわかる」って前提なの? ほんとにわかんない。 すごい棒読み大根とかはさすがにわか...
ぜんぜんわからない、俺たちは雰囲気で演技を語っている、ってやつだよ。 舞台の役者は大袈裟な身振りで声を張り上げて演技する。 そうしないと離れた客席にいる観客に分からないか...
俺もそう思うよ。 演技のうまい下手を、はてなにいるような生きるのが下手な人間に言われてもわかんねーよな。
松田龍平と長谷川博巳は結構いい感じの演技するぜ。 特に松田龍平にサイコパス系の演技させたら最高に気味悪いキャラになる。
松田龍平ってまず容姿がカッコキモくない? サイコパスやらせたらはまるだろうけどそれって演技力なのかな?
お父様のDNAなのかも、眼とか似てらっしゃる。
松田龍平はサイコパスの代名詞みたいなもんだけど、別に松田龍平氏自体はサイコパスではなく普通の演技も出来るからな。その辺だよ。 (パッとサイコパスじゃないキャラって誰がい...
松田のお父さんもサイコパスな演技がすごい印象 見下げたような無表情なような顔のイケメンっぷりがすごい 龍平息子は顔も声も喋り方も似てるからな
そいつから目が離せなくなったら「上手い演技」だよ。 より正確に言えば共感によって観客の感情を動かすということ。 いくら普通の人がやる通りの行動をしても、見てる人に感情が...
吉田鋼太郎がさああああああ(泣
なるほどね。 明確でとてもよくわかった。 考え方が整理されててとてもいいしありがたい。 そうするとあと知りたいことは それってあなたが独自に整理したあなたの基準? それとも演...
演技の現場にいたことはないのだが、それ系の本で読んだ話なのは間違いないので、ある程度は共有されているんじゃなかろうか。 相手の「感情の動かし方」に答えがないから言い方や...
藤原は舞台のお芝居に適正がありすぎて、映像作品に出るとちょっと浮くんだよね。 舞台だと、生身で遠くの席の観客にも芝居を届けなきゃいけないので、やっぱり「普通」の所作、...
そもそも日本国内で 「どのような演技が上手いのか。」 という教本もガイドラインもビッグデータも存在してないから日本人の演技の巧拙を語ること自体に無理があると思う。 藤原竜...
演技の目的は、ストーリーっていう嘘を二時間の間だけでも観客に信じ込ませること。 つまり見ていて嘘っぽくないか、嘘っぽくてもなんとなく楽しめちゃうかっていうのがポイント。...
棒読み大根っていえば舞の海さんだね!