はてなキーワード: タクシードライバーとは
http://anond.hatelabo.jp/20170201143026
真面目な話し、星野源にはかけらも似てないんだけど、読んでいって僕のことだとしか思えなかった。
今でこそ、そんな事をさっぱりしていないんだけど、増田夫にはものすごく共感してしまう。
例えば、妻のことを愛している。子供も愛している。ここに嘘は無いのだ。
別に、どうしてもヤリたい訳では無いのだけど、一種のゲーム感覚だ。
対人コミュニケーションがこなれてくると、相手が欲する言動を正解に近い形で自然と取れるようになる。
家事を手伝ったり、マッサージをしたり、子育てをしたり、大げさすぎるほどの甘い言葉を囁いたり。
相手が望んでいるからその行動を取る。それだけで妻から自分への評価点が上がる。
これは、まあヨソでも、仕事でも発揮できちゃう訳だけど、多分増田夫はコンビニの店員やタクシードライバーにも愛想がいいと思う。僕がそうだから。
職場や街中で女の子が困っていたら、その延長で当然助けるよね。
その場限りならともかく、つながりを持っちゃうと、時には女の子に好かれたりする。
ここで、倫理よりも対人コミュニケーションを発揮するのが僕や増田夫だ。
自分の事が好きな女の子に、いったいどうすれば相手が喜ぶかを読んで行動しちゃうんだから、そりゃ成立してしまう。
世の中には、まあそんな男が大嫌いな女も、興味の無い女もいるだろうけど、好きな女の子もたまにいて、そんな子にもし出会っちゃったら過ちが発生しちゃう。
精神病でも発達障害でも知的障害でもないのにこんなに人生をダメにしている、どんだけ人格が劣悪なのよって話。盗みも殺しもしてないのにこんなのアリかよ。確かに怠惰は七つの大罪の一つだが。
7年振り2回目のタクシードライバー観てる。トラヴィス26歳なんだ、。、
うろうろフラフラ歩いてるガキを軽く轢いたら警官に褒められるという夢を見たのが今朝のことだ。
4日ぐらいの泊りがけでスキーに行って、どうしようもなく天気が悪く滑りに行く気になれないような日にたまたま宿に置いてあるから仕方なく読む漫画みたいなやつを読みたいから泊まりでスキーに行きたい。セロ弾きのゴーシュとかハーメルンのバイオリン弾きとか突撃パッパラ隊。
健康診断で体重が前回と変わりなく血圧は低くなるということがあったためお祝いに缶チューハイを2本空けた。いつもは1本だけなのだ。タバコをやめるように言われたがやめない。やめられない。スムーズにウンコをするために必要なのだ。僕が未来の日本を背負ってるだって?ご冗談を。
盛りのついた猫がうるさい。まだ冬だぞ。人間は発情期をなくして一年中盛ってる生き物だというが、本当か?、俺に盛る日はくるのか?
前日の飲み会に比べて疲れたな。って感じたのは自宅で大学同級生と飲んだのと違って,
名古屋までJR使って足を延ばしたからかな。なんて考えながら帰ってきて,
夜中に酒による吐き気で起きた時に,気づいてしまったから書き残しておく。
高校の同級生と合うのはたぶん5年ぶり。31歳。結構あっていなかった。
高校時代,とても仲が良かったし,5年前までは毎年のようにあっていたので自分でも今年誘われたとき,
なんで5年も空いたのだろうか。と不思議だった。
メンバーは医師,某ビール会社の開発(肩書き付),トヨタの完全子会社のなんか出世が約束されたとこ。
世間的にみたらいわゆる受験戦争の勝ち組。医者以外は国立大(院)卒。
給料も手取りで1千万とか,ちょっと足りないぐらいだとか言ってた。
今年は4,5回海外旅行いって,元旦からもカンボジアに旅行に行ってくる。とか,
新しい車を2回ほど買い換えた。とか,今の日本の景気状況と比べたら別世界のような話をしていた。
でもなんか違和感があった。
石に刻まれた絵画,歴史,モチーフ。その壮大さに腰が抜けるかと思った。
シャムリアップの人々の生活は豊かではなかったが,良く笑っていた。
だまして売りつけるという空気感は無く,ラオスに通じるおおらかさを見た。
展示物を見た後に飯がのどを通らず,
うざい声かけしてくるおっさんタクシードライバーも,この戦争を乗り越えたんだと思ったら,
涙がでるかと思うぐらい,愛おしかった。
でも,そんな話は昨日の飲み会では通じなかった。
自分が行った時の話をさえぎり,俺もその場所に旅行したことある。で,どこのホテルに泊まったの。と別の彼は言った。
でも,家のマットレスを40万の良いものに変えたらどこの高級ホテルでも寝られない。といって話は違うところへいった。
どこに行ったのか。何を食べたのか。どこに泊まったのか。そのホテルの格は何か。どんな女を買ったのか。
いくらつかったのか。
どんな贅沢をしたのか。
すべての話は結局そこに落ち着いた。
結婚式を挙げるホテルはマリオット,ヒルトン,ウェスティン。どこが良いかな。
共働きの夫婦だから夕飯にいつも困って,こんな高いものを食べたよ。
でかい4Kテレビを買って,見るものないからyoutubeでスロットの解説動画をみてるよ。
どうでも良いことで悩んでいるんだな。と思って聞いていた。
でも,さっき気づいた。この話はすべて品評会だったんだと。
俺は他の男と違ってこんな金のかけかたができる。
こんなにも裕福になった。贅沢ができる。で,お前はどうなの?そう聞かれていた。
できない嫉妬なのだろうか。いや,絶対に違う。それぞれはしたければできない贅沢ではない。全部は無理だけど。
自分を羨ましがってもらって,自分のしてきたことは正しいことなんだ。
自分の経験値は間違っていないんだと正当化して欲しいだけなんだ。
東大で過ごした博士課程の3年間。とうぜん周りの人間は東大生ばかり。
でも博士課程に進学するだけあって,あまり,分かり易い欲が見えなかった。
でも,こんな経験がしたい。これが見たい。これが食べたい。これが知りたい。
そんな純粋な自分の欲求をみたすために,全員のベクトルは異なっていたが,貪欲だった。全力だった。
いわゆるマッドサイエンティスト的な雰囲気がそこにはあった。最高だった。
ベクトルが自分と違うから見えにくいだけで,そこには確実に,なるべき自分をそれぞれに持っていた。
高校・大学時代に勉強しておいてよかった。と昨日の彼らは言っていた。
いや違う。君らは何も先人たちの英知を学べてはいない。
ただ,学歴を勝ち取って,そこを卒業し,資格を取り,お金という対価を比較的短い時間と交換できるようになっただけだ。
今,自分が何をしたくて,どう行動して,世界にとって必要なものは何か。何も考えていない。
君たちの言う学問とは何か。世間でいう勝ち組,世間でいう高学歴とは,この人たちなのだろうか。
神を畏れることは知恵のはじめ。無知なものは知恵をも諭しをも侮る。
現勤務校にも,卒業高校にも,たまたまキリスト教高校なので,この一句が飾ってある。
勤務校ははっきり言えば底辺校,教育困難校。卒業高校はまぁまぁの進学校。
それは進学に力をいれるばかりに,キリスト教教育を怠っているからだと宗教主任は語っていた。
それを聞いたとき,あぁ,そうですか。でもそれは勤務校の生徒がアホだからでしょ。って思ってた。
でもこの評判は,正しいのではないだろうか。
自分はキリスト教徒でもない。若い時には宗教アレルギーも強かった。
とはいえ,聖書に書いてある諭しや教えの多くも,学問を通じて,経験を通じて,失敗を通じて気づけていた。
だから,受験で使わない聖書の授業は,宗教の授業は,勤務校の生徒がアホだから「教えてあげなければならず」,
アホじゃなければ「自分で身に着けられる」と勝手に信じていた。自分で作った宗教にはまっていた。
でも恐らく違うんだと気づかされた。
昨日の3人はおそらく,知恵をも諭しをも侮る,無知なもの。だと思う。勉強も仕事もできるはずなのに。
小さな自分の価値観を,他人に羨んでもらうことでしか確認できないようになったのはいつなのだろうか。
学部生の時に友人に「お前は資本主義の権化だ」と言われた。その時は全く理解できなかった。
だって何か特別なこともしてないし,ものを買った覚えもなかったから。
仲が良かったということは,すくなくとも高校時代のあのころは彼らも同じ価値観だったはずだ。
でも昨日の彼らは,いや,昨日の彼らも,資本主義の権化だった。見ていて・聞いていて辛かった。
自分は若いうちに言ってくれる友人ができて,師に会えて,幸せだったわけだ。
その後,学問の道にすすみ,お金はなかったし,挫折もしたけれど,
自分のやりたいことだけ,やりたい場所で,時間をつかえて自分を見直せてよかった。
大学で何を学んだのか。の差だと思う。教育はすごいと確信した。
5年間会っていなかった理由をこの文章を書きながら思い出してきた。
2011年に会ったとき,東京は計画停電と自粛ムードでどんよりしていた。
でも原発はもう一度壊れるかもしれない。そこには自然があり,生き物がすんでいる。
自分は,人間だけの都合でその環境を再生不可能な形に改変してはいけないと強く言っていた。
あの時,少しの呆れと絶望を感じたので,昨日まで会っていなかったのだろう。
昨日の飲み会で生じた感情もおそらく同じだろう。自分にとって残念であった。
学ぶ時間は大切だと痛感した。彼らは良い師に巡り合えなかったのだろう。
良き友人らと朝まで色々な価値観のもと,議論できなかったのだろう。
ただ,もちろん,彼らの価値観が間違っているわけでは無いと思う。自分と相いれないだけ。
でも,仲の良かった友人たちが忌み嫌う価値観のど真ん中にいたことは自分にとって残念でならない。
人間は,もっと自然から,歴史から,周りの人間から学んでいくべきであるし,そのために高等教育があるはず。
受験戦争に勝つことも,高いお給料をもらうことも,もちろん大切なことの一つであるが,それだけではない。
学問とは,大学とは,高校とは,教育のすべては本来そうあるはずだし,そうあるべきであろう。
君らの心は貧しい。と言ってあげるべきだっただろうか。たぶん笑わるし,理解されない。
飲み会の席で今の感情に気づいていれば,あの時の自分は言っていたのだろうか。
30超えたおっさんに説教しても変わらないのでしなかったと信じている。
熱く語って恥ずかしくなってもっと早く帰っていたかもしれない。たぶん,そうだっただろう。
なんだか教師としての道が見つかった気がする。
昨日までは教科教育に精一杯だったが,なんだかやりたいことが見つかった。
あの空間に自分の生徒を送り込んでやりたい。一人でも多くの若者に自分の価値観の狭さを実感して欲しい。
別に東大じゃなくてもその空間はあるかもしれないが,自分があの空間を経験したのが東大だから仕方がない。
少なくとも一昨日まではその空間が維持されていると聞いているし。
それは私自身が生きやすい世界のために必要な手段である。あくまでも自分のため。
もうすぐ息子が起きてくる。
予想を大きく裏切る名曲となっていた。この曲は、ASKAが、自分の故郷福岡を歌ったものだ。ASKAは中学一年生から高校二年生までの約四年間を北海道で過ごしたが、生まれてから大学在学中に歌手デビューをして上京するまで、彼は福岡に住んでいた。上京するとき、ASKAはどのような心境だったのだろうか。
俺は東へ 上るつもりだ
勝手な奴だと思うだろうが
冷たい風に深くくるまっても
だまって俺は 歩いて行くだろう
「歌いつづける」より
CHAGE&ASKAは、もともとCHAGEとASKAの二人によって成り立っているわけではなかった。CHAGE&ASKAは、バンドメンバー5人を含めて、合計7人のバンド集団だった。だが、デビューできるのは、CHAGEとASKAの二人だけだった。「勝手な奴だと思うだろうが」ASKAは、東京にやってきて、歌手活動をはじめることになる。
デビューの一年後、「万里の河」(1980)でヒットをするものの、その後、約10年間、セールス的には大きなヒット曲に恵まれず、「冷たい風に深くくるまって」、歩き続けたのであった。CHAGE&ASKAを一気に国民的シンガーに押し進めたのは、何よりまず「SAY YES」(1991)であっただろう。同年、ASKAはソロとしても「はじまりはいつも雨」(1991)でミリオンセラーを達成する。ここからさきの活躍については言うまでもないだろう。「YAH YAH YAH」(1993)など大ヒット曲を連発するとともに、活動をアジア圏にまで広げていき、またMTVにアジア人初として出演するなど、「世界的」といってもいい活動を繰り広げていったのだった。
そんな時、ASKAにとって生まれ故郷の福岡はどんな場所だったのだろうか。
ASKAが福岡に曲を捧げたのは今回が初めてではない。福岡市市制100周年を祝して、「心のボール」(1989)という曲を作っている。ここでは、故郷と幼い日を思い出して涙が出てくるが、でも思い出に浸っていてはいけない、人は未来を生きているのだから、ということが歌われている。
次のステージが待っている。自分を育ててくれた故郷でゆっくり過ごしたいが、待っている人たちがいる。自分は「ハンサムな道」を「歩きつづけ」なければならないのだ……。
*
「FUKUOKA」は「SCENE」シリーズに代表されるASKAのバラード曲につながるものだとも言えようが、決して「お得意」のジャンルにASKAは引きこもっているわけではない。むしろ、この曲にはASKAの新しい展開を予感させるものが凝縮して詰め込まれている。これほどまでに静謐な言葉のなかに激しい想いが込められたASKAの曲を私は知らないのだ。
発車のベルが鳴る 街が動いて行く
あの頃の僕は何を見ていたのか
当たり前の、いつもの日常風景。通学する時、いつも見ていた何気ない風景。剣道の道具を、あるいはギターを持って、つまらない顔をして車窓風景を見ていたのではないか。しかし、車窓から流れていくその何気ない街の風景が、今、映写機が回っていくように、一コマ一コマが映画のように美しいものとして、かけがえのないものとして記憶の中に流れていく。
繰り返しながら僕はここに居る
何気ない挨拶たちと共に、出会いと別れを繰り返しながら、生きてきた。その一つ一つが今、生き生きと現れてくるのだ。
ここで想起するのは、傑作映画「ニューシネマパラダイス」だけではない。光GENJIに提供した曲「パラダイス銀河」(1988)を私は思い出した。
ようこそここへ 遊ぼうよパラダイス
同じ「パラダイス」という言葉が「パラダイス銀河」と「FUKUOKA」ではこれほど違った響きを与えられて存在している。この響きの違いのなかにこそ、ASKAの時間と記憶を、私は感じる。
いささか唐突に出てくるこの節。中島みゆき「タクシードライバー」からの引用だと見るのは深読みしすぎだろうか。
あたしの泣き顔 見て見ぬふり
天気予報が 今夜もはずれた話と
野球の話ばかり 何度も何度も 繰り返す
不器用なタクシー・ドライバーは、泣いている乗客にその理由を聞くわけではない。どうでもいい話ばかりを客に話すことで、静かに励まそうとしているのだ。静かに励ましてくれる街、福岡。そこでは「風が見える」のである。ASKAにとっての「風」とは何かというのは、「風のライオン」「風の住む町」「風の引力」などの曲を再び聴いてもらいたい。
*
私が「FUKUOKA」で最も感動を覚えたのは、
という箇所だ。様々な感情が入り乱れた「memories」の「s」の音である。静かに消えていくsの音には、記憶を手繰り寄せていく中で、当時気が付くことができなかった様々な人たちの気遣いに気が付き、泣きたくなるような「感謝」の想いが、「祈り」にまで高められているように感じられるのだ……
それは「苦痛」をプログラミングしなかった場合のロボットの話だろ
そりゃ苦痛を「人間が」インプットしてなきゃロボットは知らんがな
お前みたいなゴミカス低能が作ったロボットが社会を支えるとそりゃ不安しかないだろうし俺も実際不安だわ
お前は計算するときにレジも電卓もパソコンもスマホも使わずに4桁の掛け算やってんのかよ?
お前の計算はいつも温かみがあるな(計算ミスを電卓で確認しながら)
「電卓には苦痛がないから!これだから機械は!かー人間の計算ならこんな間違いしないのになー!かーこれだから機械は!苦痛を知らない機械は!」
みたいな地獄のミサワみたいなこと言うんだろうな
早く辞めて欲しい
機械は一度たりとも間違えたりしない
もし機械が自分の間違いに気づかなかったらそもそもAIという技術が確立できてない前提になる
前提としてAIが完成している以上、人類が束になっても勝てない精度がAIに約束されてるってこと
なのにお前は人類よりもはるかに精度が高いAIの決断よりもAIからみて赤子以下のIQしかない人類側の管理の方が安心できるわけ?
ちかっていうがお前らみたいな口だけ豚野郎女郎に務まるほど甘くねえよ。
コミュ障まっしぐらかつ低学歴でただ考えなしに走ってるだけの雑魚は一日中走ってやっと食っていけるかどうかだからな。
ちゃんと研究して効率よく稼げる時間帯やルートを理解してしっかり勤勉にポジ取れるやつ以外はそう簡単に稼げねえよ。
あと、老害の害ぶりが普通の会社より上だから、普通の会社ごときをブラック会社とか言ってる雑魚には務まらねえんだよ。
そこにやとわれるやつは結構学歴いるからな。白タクでお前らが食っていけると思うなよカス。
つーか、ニュースになってる時点でもうおいしい要素なくなってんだよ。
競争力上がってきたら、会社側が強くなるんだから当たり前だろ。
ニュース後追いでタクシードライバーもいいよな、とか言ってるやつは一生食い物にされて終わりなんだよ。
はてなの豚どもはホント世の中なめてるくせに態度だけえらくてどうしよもうないな。
お前らニュースになるまで何んもしらんかったくせにニュースになった瞬間偉そうな顔で知ってましたみたいな恥知らずな顔さらすのやめて
たまには出る前から自分の仕事関連だとか世の中観測してわかったことを語れよバカか。
はてなの豚は君の名はがヒットしてから見に行ってしょうもない感想書くような廃棄物しかおらんから黒王の配下でパラハラ受けてるのがお似合いだゾ
http://anond.hatelabo.jp/20160208024311
http://anond.hatelabo.jp/20160208010627
普段俺がモヤモヤっと感じていた物が全部テキスト化されていて、
全部に賛同は出来ないけど、辛辣だけど確かにその通りな部分も多々有って良い文章だよ。
ただね、おじさんもオタク歴長いからそんなの全然分かってるのよ。
旧タイプのオタクは濃さを競う連中だから大変なの一杯いたからなw
(その分面白い人も本当に多いけど)
それで実際困った友人だなって思ってたら、後年、実際にアスペの診断が下りたり
障害者手帳貰っちゃうレベルの発達障害だった人とか周りにいたりすんのね。
そんな経験も友人も持ちつつ、自分を良く言う訳じゃないんだけど、
その内数名の友人はは多少なりとも救えてた様な気もしてるんで、
何か気になってしまいちょろっと書いてみたんだな。
>人付き合いについて正しいアドバイスをしたところで全く理解できないし
>本当は理解する必要性も感じてない。なぜなら自分の感受性に完全な自信があるから。
当たり前だけど世の中には多くの人がいるんで、
人付き合いに確実な正解って無い訳でさ、
恋愛に関しては何度も失敗やミスをして異性を学んで行くのがまぁ普通なんだよな。
人付き合いを学ぶ機会が無いままで年齢を重ねてしまった人は
その辺の経験値が本当に低いんだよ。
そうすると少ない経験値から正解を探すので本当に無理ゲーになる。
でも、そんな人達にいきなり無数に存在する「正解」を覚えさせるのは多分無理だけど
割りと確実な「NG」を教えることはまぁ出来るんですよ。
あいつら、無駄に正義感強いからマナー的な物として教えると結構出来る、
応用が出来ない場合も多々あるけど、
NGに関する応用は正解より少なめなんで何とかなる。
せめてこのNGってのを避けて行動していければ
人付き合いに関しては、多少なりとも生きやすくなるんじゃないかな?
っておじさんは思ってます。
まぁ、いくら言ってもダメな人はもう距離とって放っておくけど。
その正解が通用しない相手は捨てていくって方法が恋愛工学的な物だと思うんで
実はああいった「彼女が欲しい」「セックスがしたい」ってだけの
って層と親和性高い気がしてるんだよな。恋愛工学の本読んだことないけどw
たとえば以下のような例文について、冷静に考えてみてほしい。
A)
「ねえ、○○まで連れてってよ」
「なんだと?オレは雲助じゃねえぞ!」
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あるいはこうだ。
B)
「まったく、隣の犬はワンワンうるさいねえ、あんた、捕まえて捌いちゃいなさいよ」
「オレにヨツの真似事でもさせようってのか?冗談じゃねえ!」
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例Aでは、明らかに現代社会でいうところの、タクシードライバーという職業に対する差別的な眼差しを含んだ語が、用いられている。
例Bは、食肉解体業に従事されている方への、同様のそれである。
職業差別が絶対に許されるものではないという前提は、共有できている前提で話を進める。
はてなで現在用いられている「マウント」および「マウントを取る」という語についてだが、
「議論の相手に対して優位性を保とうとする、保っていることを誇示しようとする」という意味以外で使っている人はいるだろうか。
これは見逃しがたい、重大な差別的言動であり、レイシズムである。
これは。総合格闘技を含んだ組技格闘技の用語である「マウントポジション」を「取る」「取りにいく」という行為を。モチーフとしているのは、明らかである。
はてな民が大好きな、小野ほりでいも、同じ理解のようであるから、間違いない。
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「不毛の連鎖! ネット上で優越感を奪い合う”マウント勢”とは?」
http://togech.jp/2013/12/16/4878
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これは組技格闘技を職業とされている方々にとっては、ある種の重大な目的とは言わないまでも、
たとえばタクシードライバーにとっては乗客の望む行き先を間違いなく聞き出すとか、
たとえば食肉解体業従事者にとっては牛の眉間に間違いなく銃を押し当てたりとか、
そういった職業上欠かすことの出来ない手段として、日々行っている、通常通りの業務上の手順なのである。
組技格闘技従事者の方々に「あなたはマウントを取ろうとしたことがありますか」とアンケートを採ったら、99%がイエスと応えるはずである。
それを、はてな民は、他者に対して、優位性を誇示する、卑しい行いの比喩として、用いているのである。