はてなキーワード: ゲームボーイとは
実際ポケモン新作が出るたびに偉そうにアレはいらないコレはいらないそれよりどれを返せ言ってるジジイやドラクエ新作が出るたびに何様目線でやれ最近のドラクエはなんだかんだ言ってるババア見てると反吐が出る。
なんで!?ジャンルの新たな挑戦や変化どれも愛おしくないか!?次は何を見せてくれるんだってワクワクしないか!?
てか嫌ならやらなきゃいいじゃない。ファミコンやゲームボーイが好きなら一生そっちをやってろよ。わざわざ最新作に手を出してツイッターでグダグダ文句言うなんて暇だな。
ポケモンやドラクエを民主主義国家と勘違いしてSNSなんかででけー声で公式を糾弾してる連中はさっさと自分たちが棄民なのだという自覚をもってこの国から出ていけ!!!!!とまで思う。
のだが。
なんでだろ。
FFだけはちょっとキツいんだよな。公式が無理。ホントに汚らわしくすら思う。
12までは大好きだった。13から突如無理になった。13以降も勝手はいるしプレーするんだけど途中で耐えられなくなってヤメちゃう。それでも13は20時間やったし14は35時間やったけど15はもう10時間くらいでダメだった。
自分が棄民なんだと思っていい加減この国を出ようかとは思っている。
https://togetter.com/li/1454680
新聞社でも毎日にしろ読売にしろ、ネットや漫画等の創作物規制に熱心だったから、何ら不思議でもないよね。
それと高齢者よりも実は50から30代後半までの中高年の方がゲームに対する差別意識が大きかったりする。
当時まだ余りファミコンなどの娯楽に触れていない上にゲームをすると親に叱られる経緯があった事、ゲームは子供のするものと馬鹿にしている思考から来るところも大きい。
これは報道による所も大きいのよね。
30代後半にしてもフェミコンやMSX、PCエンジンがやっと普及しだした世代で、まだゲームに対する差別意識が大きいのもそこまで身近ではなかったため。
この差は割と大きいと思う。
https://ameblo.jp/oginaoki/entry-12550263296.html
尾木ママが去年からeスポーツ叩きやってたのは、香川県議会と四国新聞と組んでたからか・・・。https://t.co/Mk64Fxhz3D— 荒木俊三 (@toshizoaraki) 2020年1月13日
まーたアンケートか(苦笑)
この手の規制を言い出す奴って研究データや実例ではなく、大概いつもアンケを持ち出して、お気持ちも兼ねて規制をしてこようとするのだよね。
本当データと称する何かがもし出てきても強力効果論的な何かだからなー。
そう言えば、元々主婦連関係とかこの手の規制に熱心だった経緯もあるしな。
こいつがそれらの団体に関係あるかは知らんが、普通に規制的思考であるのはおかしくないと思う。
http://www.news24.jp/articles/2019/05/16/07436812.html
この時はBSの番組と言う事もあり、おかしな内容ながら話題にもならなかったからイケると思ったのかもね。
ただこの樋口進とか言う医者自体、子供にも麻薬治療薬を投与しろとか言う割とトンでもない人物だったが(笑)
しかし学術論文すらないのにWHOが認めているとか言う権威を盾に喚き散らしていたり、寄りにもよって岡田尊司とかゲーム脳関係者も絡んでいたりとかもう色々な意味で役満だと思う。
続かない。良くて2週間。最長2ヶ月。最短1分。
RPGはレベル上げ途中で飽きる。「歳を取ったからこうなった」ではなく昔からこんな感じ。
友達や知り合い、夫などは3年以上続けていたりする。キャラについて語れる友人も居る。
すごい。その「好き」とか「語りたい」って感情(熱量)分けて欲しい。
喜々として語れる何かを持っている人って、それだけで輝いて見えるし人生楽しそう。
すごく羨ましいんだ、そういう「好き!」ってものがある状況ってのが。
夢を見つけたい増田と一緒だよ。
スイッチのドラクエビルダーズ2(1は途中で飽きた、2は一応クリアまで行ったけど、その後の自由工作が出来ない)
PS4のニーアオートマタ(一回飽きて再開したけど、同時期に夫がやりだしクリアされてしまったのでやる気を失った。2Bの回は1度クリアしたといえる)
ドラクエビルダーズⅡ(一応ラスボスは倒せた。その後の島を自由にして良いってところで飽きてしまった)
(1年程度続いたゲーム。人との関わりと、自分の城が攻められたりと色々楽しかったが仕事中もブーブーうるさいし最終的にイライラしてやめた)
・目標がないとすぐに飽きる⇒目標がありすぎたり、高すぎたりしたらすぐに飽きる
・わくわく感がないと継続できない(ポケモンで自転車をゲットして早くなったときのわくわく感みたいな)
・実況動画が好き
⇒面倒な作業が嫌い、誰かが楽しそうにゲームしているのを見たい、自分を棚に上げて人のゲーム動作を批判したい(?)
・ゲーム実況を見ながら、次の行動を予想するのが好きなんだと思う。
例えば、パーティーで戦うゲームで上にジャンプしてしまう踏み台があるステージ。
予想外な方向にジャンプして戦ったり、予想外の動作をする武器を使って自滅したり。
相手の事を気にせず好き勝手いえる短編ゲームをやりたいのかも。
・友達など身近な人がクリアした話を聞いたらやりたくなる (もっと親しい人が目の前でクリアするとやりたくなくなる面倒な性質)
ゲーム作ってみたいっていう思いもあるから、アイディアでも良いよ。
義務としてやってきた感じがある。
・ドラクエXI (結構序盤で飽きてしまった。スロットだけやらせて貰ったけれど楽しかった)
・クッキークリッカー風スマホゲーム(タップすればレベルや賃金が上がっていくゲームは1週間で飽きる。最短数分で飽きる)
・DAYS GONE(チュートリアルのバイク運転だけやって終了。ゲームヘタクソすぎて10分で断念)
・大乱闘スマッシュブラザーズ(ゲームキューブもやっていた。スイッチ版は持っているが1日で飽きた。そしてヘタクソ)
・ボクササイズ(スイッチのダイエットゲーム。起動がダルくなり1週間で断念)
(シュタインズゲートは一時期見ていたのでゲームもやったけれど、とっても時間がかかるのでスキップしまくった。ゲームを楽しんだとはいえない。)
・モンハンワールド(竜種?が出てくるまで倒せたけど、酸性の湖みたいなところで飽きてしまった。緊急回避は超苦手でヘタクソだった)
・牧場物語(PSVita版か何かでハーベストムーン?とか持ってたけど長くて飽きてしまった。やる事が多すぎても少なすぎても飽きてしまう面倒な奴)
・スカイリム 1日で飽きた
・キングダムハーツ 1日持たなかったと思う
・ウイルスになって菌ばらまいて国を滅ぼすゲーム(99円課金して早くなるバージョンもやったけど2日くらいで飽きた)
とにかく有名どころは手当たり次第やってきた感じ。スマホゲームは特に新作をよくプレイする(※だがすぐに飽きる)
ちなみに、PS4、Switch、PC(Win10)を持っているよ。
・モンスト(友達から言われてガチャを引くためだけに持っている)
・黒い砂漠(仕方なしにやってる感じ。楽しくはない)
・ドラクエウォーク(気の向いたときのみ起動する。GPSをONにするのが面倒すぎてやってない)
・アーチャー伝説(1週間はずーっとやってた。その後飽きて全くやってない)
・バスケクラブ物語:カイロソフト(毎日やろう!とは思えない。なんか飽きる)
作ろうと思っているけれど、そのためには「飽きたこと無い物」を調査しないと。
データが少なすぎて、飽きずに続けられそうな情報が全く思いつかない。
簡単に考えれば
・単調な作業をくりかえさないこと(同じ動作3回目には新しい動作やイベントなど何かあること)
・難しすぎないこと(ニーアオートマタは銃で補佐攻撃もでき、爽快なアクションもあってよかった)
・わくわく感
これらを満たせるゲームって考えると、結構キツいなぁ。思いつかないし。
それは分かってるんだけど、楽しみたいんだよね。
見てて何となくわかった。皆でワイワイゲームしたいんだろうね。
でもパーティーゲームは好きじゃない。(マリオパーティとか人生ゲームとか飽きてた)
リアルでも続けているものってのは無いんだよなぁ。マンガとなろう小説を読むことくらい?
心はいつでもワクワクドキドキを求めているぅ!でも、大体がテンプレ。当たり前だけどね。
ねこあつめ⇒可愛いと思うけど、コンプリート欲が沸かない。すぐに飽きてしまう。
フォートでもpubgでもapexでも荒野でも⇒ちょっと気になってる。
ルーンファクトリー4⇒やったことあった。3日で飽きてしまった。
水槽シム⇒スマホゲーでもあったよね。リアルかどうかは別だけど。結構早めに飽きてしまった。
ポケモンGO⇒1日で飽きた。道端でたむろしている人が嫌いなのでやりたくはない。ごめん。
ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド⇒コメント多いね。面白そうな気がするので要検討。でも実況見てたら直ぐ飽きそうな雰囲気あった。
octopath traveler⇒体験版をやったけど、うーん?という感じ。
イース⇒イースIII? PSVITAで出てるのをやって、1日やって飽きた。クリアはできていない。
人生⇒真っ最中。唯一飽きてないというか、惰性で楽しんでいるもの。誰かに語れるほど何かをやったわけではないかな。
追記2
nice801 読んだところめっちゃ続けられてるほうだったのでちょっとがっかりした(;´Д`)
もっと一回起動してやめたとかチュートリアルだけやって飽きたとかばっかりかと。自分リセマラで飽きるのでゲーム始まりすらしないぜ
どれだけのゲームをやってきたか覚えていない。チュートリアルで飽きるのも多い。
少しでも面倒に思ったら、当たり前だけど直ぐに飽きる。その場合名前も覚えてないから書きようがないね。
新しいものが好きで、大量に手を出してはすぐに飽きてる。(買って満足することも多々あり)
リセマラは超絶面倒くさいのでやらない。リセマラしないと楽しめないゲームはそもそもしない。
ここだけ読んでるとめちゃくちゃネガティブだなぁ。
追記3
「飽きる」っていうのは、たぶん「満足できるところまでやってしまう」からだと思う。
物足りない点で止めておければ、やりたいという気持ちは持続すると思う。
昨日はとりあえず1時間くらいやった。「牧場を経営するかい?」みたいな選択肢で「いいえ」ってやったら
エンドロール流れて最初から主人公名決めたりしなくちゃいけなくて笑った。
夫もPS4のゲームをやり始めたので、一緒にやる空気が良いのかも。
ツイッターで幼少期に色々禁止されたら大人になってから反動がくる的な呟きを見かけて思い出した話。だらだらと書いたので文章汚いし長いけど、3連休の暇つぶしにでもどうぞ...
小学生(多分3年生か4年生の頃)の冬休み前に任天堂DSが発売された。折りたたみ式で画面が上下ふたつあって、下の画面をペンでタッチして遊ぶ。最初に某学年誌だかで写真を見たとき驚いたし、素直に欲しい!!と思った。私はそれまでゲーム機という物を持っていなかった。ゲームキューブもゲームボーイも触った事がなかった。持っていなくても友達と遊べたし、別段興味がなかった。
けれどDSが発売されたのはクリスマス前で、友達は次々とDSを手に入れていった。クリスマスプレゼントで、お正月に祖父母から、お年玉で、学年末テストで頑張ったから、進級祝いで......学年が上がった頃には大半の同級生がDSで遊んでいた。
私は持っていなかった。クリスマスもお正月も隙あらば両親にお願いした。けれど全部だめで、ならば貰ったお年玉で買おうとしたものの、両親にきつく叱られてお年玉ごと没収された。懸賞で当たれば文句は言われないだろうと考えて、いくつも応募したが見事に全部落ちた。(むしろ既に持っている友達が当選していた)
両親はファミコンが発売された当時、成人していた世代のはずでも、2人ともファミコンを触った事はなかったらしい。そもそもゲームに興味が全くなかった。むしろ否定的。
私が「みんな持ってる。持っていないと遊べない」と言っても、「みんなって誰?クラスの何人?」「ゲームばっかりしてるとバカになるよ」「ゲームしている子と遊ばなければいい」と跳ね返された。(後々、中学で同級生が携帯を持ちはじめ、部活の連絡手段がメールしかない状態になり携帯を持ちたいと言った時にも同じ様な事を言われた。「中学生のくせにメールで連絡網は生意気(以下略)」)
当時の私にはその言葉は絶望でしかなかったし、せまい小学生の世界で、ゲームをしている子と遊ぶなというのはひたすらひとりで過ごすようなものだった。今でこそ1人でも平気になったけど当時、いつも遊んでいた友達は遊ぶ時はみんなマイDSを持参して通信機能で対戦して遊んでいた。
私はその輪に入れなかった。画面を覗き込む事しかできなかった。覗き込んだ所で理解はできないし、友達にうっとおしがられるだけだった。
次第に放課後の遊びには誘われなくなった。持ってない奴と遊んでも楽しくないらしい。
学校ではどうぶつの森ごっこが流行った。(おままごとの動物版のような感じ)私はキャラクターを知らないから、嫌われているorかわいくない動物役だった。どんなキャラクターか知らないので、なりきる事ができず、何か発言する度にダメ出しをされる。休み時間一緒にいるのがしんどくて、ひとり教室で本を読むしかできなかった。
友達に「なんで私ちゃんはDS持ってないの?」と聞かれても「買ってもらえないし、なぜかゲーム禁止されてるから...」としか言えないし、普通に悲しかった。
中学校に入学する頃にはDSブームは若干おさまってって、据置型のwiiとwii sports の板が発売されていた。大半の友達の家にwii があったし、それは一緒に遊ぶ事ができた。嬉しかったしとても楽しかった。ただ、使い方に慣れていない自分は、やはり足手まといになってしまった。確か同じ頃にMiiが流行った。友人達はゲーム内で勝手に私のアバターを作って遊んでいた。そして「私ちゃん、〇〇(クラスの男子)と結婚したよ〜子ども産まれたよ〜」とわざわざ報告してくれた。友人はゲームを持っていなかった私に疑似体験させてくれたのか...?そこまでならギリギリ許す(心が狭いので本当は許したくない)けど、「○○と付き合ったら?」とリアルで言われて流石に引いた...
かと言って、この状況がいつまでも続く訳もなく、中学3年生になる頃には再びブームは落ち着いた。
高校に進学して今日までは、ゲームを知らなくても何とかやっていくことができている。が、例え話でゲームの事を出されるとやっぱり分からない。(ポケモンのどれそれが何それ〜とか)そこでプレイした事がないのでその例えは分からない旨を伝えるとすごく意外な顔をされる。相手に悪気は一切ないし、国民的なゲーム(?)なのでまさかといった感じなのだろう。むしろこっちが申し訳なく感じる。(私の周囲には例え話にゲームの事を出す人が一定数いるので、他の方がどうかは分からない)一応自分でも調べるけど、付け焼き刃すぎてどうしようもない。まぁそれでなんとかなってきてるので多分今後もこんな感じだと思う。
ここまで書いてきて、そういえばたまごっちがリニューアル発売してブームになった時も手に入れられなかった事を思い出した。ちょうどDSと同時期だったような気がする...。1人で3台も持ってる友人がとても羨ましかった。ここでも完全に蚊帳の外だった。思い出したらまた悲しくなってきた...
別に今更、両親の教育方針にケチをつけるつもりはないし、当時より多少は自由に生きてるけど、件のツイートを見かけてふと思い出したので書いて残したかった。
反動というか、今はスマホのアプリゲームを慣れないながらもいくつかポチポチしてる。キャラクターやストーリーがそれぞれ素敵なのでのんびり続けてる。育成したりするのはすっごく苦手だけど楽しい。ゲーム楽しいね。もっと早く知りたかった。
https://anond.hatelabo.jp/20130809115823
これを読んで昔のことを思い出したので吐き出す。
僕は地方出身で大学進学と共に東京に来てそのまま東京で仕事をしているが、中学生のときに低学歴の世界と高学歴の世界の溝を感じた時の話。
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僕が勉強を教えた友達Tは小学校から同級生で中学も同じだった。田舎ではよくあると思うが小学校、中学校は家から近い公立校に通う人がほとんどで、そもそもそれ以外の選択肢があるのかはよく知らない。
Tの母親はスナックを経営していて、父親は何の仕事をしていたかは知らないが見た目はパンチパーマにゴツい金のネックレスをしているような明らかに普通の人ではない感じの風貌だった。Tは小学生の頃から金髪で緑のランドセルを持っていてなかなかに個性的だった。いわゆるDQNな家庭だったんだと思う。
Tは学校の成績はダントツに悪かったが、PCとかゲームにはめちゃくちゃ詳しくて、Winnyで音楽や映画やゲームをひたすらダウンロードしたり、ゲームボーイのマジコンを買って色々なゲームを入れたりしていた。小学生のころからよくゲームをしにTの家に遊びに行っていて、中学生になってからはTママのスナックで営業時間外であればカラオケをやってもいいと言ってくれていたのでよくTママのスナックに入り浸っていた。Tと一緒に遊んでいた他の友達には不良っぽい奴らもいたが、Tは見た目こそ不良っぽさはあったが体は細くて華奢だし暴力的なことは何もなかったし、どちらかというとオタク気質なタイプだったと思う。
その頃Tも含めた何人かの友達と僕は同じ美容院に通っていた。そこの美容師の人はちょっと意識高い系な感じで、一時期「次のテストで目標の点数をとったらご飯を奢ってあげる」というのを言ってみんなで勉強しようとなっている時期があった。中学生の僕らはまだ純粋で感化されやすかったので僕もTも他の友達もモチベーションが高まっていた。
その美容師の人から「Tに勉強を教えてあげなよ」と言われたことがきっかけで、僕の家でTと2人で勉強することになった。
TはPCとかゲームに詳しいことを知っていたし理系の方が好きそうだったのでその日は理科をやることにした。僕が持っていた教材の中から簡単そうな単語を埋めるだけの小テストが載っているページを選んで「まずこの10問を答えを見ずに全問正解できるようになるまで何回もやろう。途中で分からなかったらすぐに答えを見ていいから。」って決めてやってもらうことにした。
最初はちゃんとやってくれるか少し不安だったけど、Tはすぐに静かになって集中し始めた様子だったので僕は安心して自分の勉強をしていた。
そこから2時間くらい時間が経って「全問正解できた!」とTが言った。その時のTはすごく嬉しそうな表情をして「勉強っておもしろいね!」と言ってたのがめちゃくちゃ記憶に残っている。
結局3時間くらい一緒に勉強して、Tはめちゃくちゃ疲れた様子だったのでその日はそこで終わりにした。
Tの集中して勉強をしていた様子を見て、ちゃんと勉強すればもっともっと伸びるのにと思った。その日にやった問題は簡単なものだったし3時間もかけてやるのは遅すぎるのかもしれないが、Tはまだ勉強のやり方を知らないだけだし進みの大小は関係ない。
そこで別の日に僕は「同じ塾に入って一緒に勉強しようよ」とTを誘ってみた。Tは勉強の面白さに気づいたからか乗り気になってくれてまずはTママに聞いてみることにした。Tママは少し困惑した様子ではあったけど否定はせず「お父さんがいいって言ったらいいよ」と言ってくれた。
その日たまたま父親がTママのお店に寄ることになっていたようで、そのままの流れで一緒に父親にお願いすることにした。Tママの反応が悪くなかったこともあり、きっと父親はOKしてくれるだろうと期待していた。
しばらくして父親が来て、Tは父親に向かって「塾に行って勉強したいんだけど」と言った。
その父親はすぐに「塾~!?お前が勉強なんかしてどうすんだ!バカはバカなりに生きろ!」と一蹴し、いそいそとまた出かけて行った。
しばらく僕もTも呆然としていた。
その後TやTママと何を話したのかはよく覚えていない。
その一件があってから僕とTが2人で勉強することは一度もなかった。
高校に行ってからは付き合う友達も変わったのもあり疎遠になり連絡を取ることはなくなったし、高校生の間に2~3回くらいしか会わなかったと思う。
それから数年後、成人式に出るために地元に帰った時にすごく久しぶりにTに会った。いま何してんの?という話になり「東京の大学に行ってるよ」と話すと「東京の大学って東大!?」みたいな冗談を言っていた。その他はあまり覚えていないが、たわいもない話しかしなかったと思う。
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Tの父親に塾に行かせてもらうようにお願いをしたとき「そもそも勉強したいと言って親が止めることなんて有り得ないだろう」と僕は楽観的に考えていた。当時の僕は自分が恵まれた環境にいる事に気づいたおらず、自分の環境だけの当たり前を「世の中の全ての人の当たり前」だと思い込んでいた。
僕に向けてそれを言われたわけではないが、この言葉は僕の中に今でもずっと響いている。
Tは勉強のやり方を知らないだけだった。僕がTに教えたのは「答えを暗記すれば問題に正解できる」という極めて当たり前のことだった。
どんなに苦手な科目であってもひたすら答えを暗記すれば比較的短時間で80点くらいは取れるようになるというのを僕は自分の経験から知っていた。それと同じことを学校の先生も教えてはいるんだろうが、Tはそれを理解することも実践することもなかった。
たった3時間程度でさえもそれができるようになるまで付き合ってくれる人が周りにいなかった。
問題を正解できてもその達成感を分かちあえる人が周りにいなかった。
勉強をやろうと言ってくれる人が周りにいなかった。
そして偶然勉強の面白さに気づくチャンスがあった時に「勉強をしてみたい」という気持ちをサポートしてくれる親がいなかった。
TはゲームやCDをたくさん持っていて新しく発売したものもすぐに手に入れていたし、塾に行かせてくれなかったのは経済的な問題ではなかったと思う。
Tの親はブランド物や貴金属にお金をかけたりゲームやおもちゃはいくらでも子どもに買い与えていたが、塾に通うための1〜2万円を払ってくれることはなかった。
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自分にはTに低学歴の世界と高学歴の世界の溝を越えさせることはできなかった。
しかし仮にあの時に塾に行けたとしてもただ挫折させるだけの結果になっていたかもしれない。僕も結局Tのサポートをいつしか諦めてしまったわけだし、そこまで強い気持ちでTに勉強をさせたいというわけではなかったんだと思う。
誰かの人生の選択に責任を持つことなんて到底できないし、ただただ未熟な中学生の身勝手な思いつきでTを振り回してしまって申し訳なかったとも思う。
彼が本気で勉強をしたいと思ったなら塾に行かなくても勉強はできるし、父親に何を言われようと行動をしていたはずだ。
でも、だからといって行動することを本人のやる気だけに求めるのはあまりにも酷すぎる。
高学歴の人であっても強い意志を持って人生の選択をしてきた人が果たしてどれだけいるだろう?
僕は偏差値60くらいの理系の学部を卒業した。東大京大や海外の大学を出ていたり博士号まで取得した人などと比べれば個人的にはとても高学歴とは言えないが、日本全体で見れば僕も高学歴に分類されると思う。
そんな僕が勉強をやり始めたきっかけを考えると、勉強をしなさいと親に言われたからやっただけだった。兄弟が塾に行っていたからという理由で親に言われて同じ塾に通い始めただけだった。
いつしか勉強をすることが自分事になり自発的に勉強することができるようになったが、最初のきっかけは親に同調しただけだ。そこに「高学歴の世界に行く!」なんて強い意志なんか一切存在していなかった。
「高学歴の世界」にいる人たちは自分の強い意志があったから勉強をして大学に行ったのだろうか?
Tと同じ環境にあったとしたら果たして同じように高学歴の世界に行けたのだろうか?
僕は今エンジニアとしてIT企業で働いている。周りには高学歴で優秀な人がたくさんいる。
もしTがあれから勉強を続けてプログラマーになっていたとしたら、この世界を知っていたら、彼はどうなっていたのだろう。
今でもたまに当時のことを思い出す。
地元にいるとしたら田舎は結婚するのが早いし、もしかするとTには子どももいるかもしれない。
この先Tが自分の子どもに「塾に行って勉強したい」と言われたら彼はその子に何て言うんだろう。
あの日のTの父親と同じように「バカはバカなりに生きろ」って言うんだろうか。
もしそんな日が来るのであれば、Tは彼の子どもには違う返答をしてくれると信じたい。
映画「We are little zombies」を8/31にウェブでの無料公開で見た。今も劇場で上映されているにも関わらず、という点は素直にすごいな、と思う。海外で賞を取ったとも聞く。Filmarksを見れば、割と高評価を付けている人が多い……ように見受けられる。だけどあれ、そんなに良かったか?
両親を亡くした4人の少年少女(ヒカリ、イクコ、タケムラ、イシ)が火葬場で出会い、バンドを結成し、社会現象となる。しかし、主人公(ヒカリ)の両親が亡くなる原因となったバス運転手がネットで特定され、運転手は自殺。バンドは解散し、主人公は親戚に引き取られることに。イクコ、タケムラ、イシらはヒカリを連れ出し、ヒカリの両親が事故で行けなかった草原へと目指す。道中で事故に合い、4人の乗った車が水没する。頭の中で走馬灯が駆け巡るヒカリ。突然「Continue?」という文字が浮かぶも、一度は拒否。しかし仲間たちの声もあり「Yes」を選ぶ。するとヒカリの出生シーンが浮かび、気づいたころにはヒカリは事故現場にいた。その後草原へ4人で向かい、平凡な人生がいいねとかなんとか言う。念仏が聞こえ、鯨幕の白からズームアウトして終わり。
大筋だけ抜き出すとそれなりに理解は出来る。というかこういう、理解のない大人や嫌な現実に反抗し、自由を勝ち取るというストーリーは青春モノの定石なので、悪くなりようがないのだ。それから、映像が斬新というのも分からなくはない。短いカットの連続に鮮やかな色彩、独特なショット。
自分が何を思ってどう動いたか、バンドがどうなっただとか、最初から最後まで説明のセリフだらけ!映画は、カメラを通じて作り手が見せたいものだけを見せられるメディアだ。だからこそ、言葉で全部喋っちゃ興ざめなんだよ。表情や仕草、寄って撮るか引いて撮るか、背景に美術、何を画面に入れて何を排除するか、言葉だけに頼らず表現しなきゃ「映画」の意味がないんじゃないの。主人公が一人称でナレーションをたっぷり入れることが効果的に作用する場合もあるだろうが、主人公たちは感情が無く、両親の葬式なのに泣けない(だから「ゾンビ」)という設定のはず。それなのに(一応「ゾンビ」だから棒読みで!)べらべらしゃべるものだから、「俺、中学生だけど正直感情が無くて全てが滑稽に思える」のコピペを思い出す仕上がりである。
「さあゲームの始まりです」は流石になかったが、感電して骨が見える、ネットの特定シーンでは画面上に書き込みと思しき文字がずらずら表示される、などの古臭い表現がそこかしこに見られる。走馬灯も「Continue?」も差し込まれる出生シーンも……4人が逃げ込んだ先はラブホテル、了解です!ちなみに、主人公がゲームボーイを持っている理由は一応明かされてはいるが、イクコ役の中島セナに(iPhoneでもデジカメでもなく)フィルムカメラを持たせているところから見るに、ちょっとレトロな感じよくない?ぐらいじゃないかと疑ってしまう。街中で若者がスケートボードをやっている場面も、有り体に言やPOPEYE感を演出するだけ。こういうのを削除したら90分ぐらいのソリッドなものに仕上がると思うのですが。本筋には関係ないものの、正直かなり冷める。
ここがかなり嫌だった。主人公ヒカリはおそらく東京生まれ、東京在住(東京タワーらしきものが見えることから分かる)の中流家庭であるのに対し、がめつく、金をむしり取る親戚は関西弁である。これをステレオタイプと言わずしてなんと呼ぼうか。他にも、葬式の場で主人公に「感情が無いの?」と泣くよう迫る親戚の女性は福島在住だし、主人公の両親が巻き込まれた事故の原因であるバス運転手は広島?出身であるという描写がある。それだけではない。タケムラの父親は、工場を経営しており、貧困で、母子に対し暴力をふるう。そして母親を巻き込んで自殺する。イシの両親は中華料理屋を営んでおり、イシは太っている。そして実家は火災で全焼する。イクコの両親は、イクコに心酔するピアノ教師によって殺害される。そういう設定だと言われればそれまでだ。気にならない人もいるだろう。だが、私はなんだかなあという気がするのだ。ついでに言うと、主人公ヒカリの父親は広告会社に勤めており、社内では人気者だそうだ。監督は電通の長久允氏であることを鑑みるに、強い電通力(ぢから)を感じる。
主人公たちにバンドを組むよう勧めたホームレスたちの音楽が、見た目通りのヒッピー感溢れるものだったことには思わず笑ってしまったが、それは好みの問題だろうから置いておく。問題は主人公たちのバンドだ。エクスペリメンタルビットポップをやるのは、それも好みの問題だろうから(あと一応「ゾンビ」的設定を生かしたのだろうし)置いておく。それの凄さを語る方法が酷い。CHAIや菊地成孔を出して、彼らがいかに凄いかを喋らせるのだ。鑑賞中、思わず叫びそうになった。嘘だろ?!観客はそれぞれ好みが違うから、楽曲の凄さを表現するのはとても難しいということは分かるが、実在するアーティストに言葉で説明させるのは一番ダメでしょう。先ほども述べたが、それなら「映画」でやる意味がないのではと感じる。
「エモいって古い」にはエクスキューズを付けるいやらしさを感じる。さらに、一種の夢オチとも取れる結末で〆ているところもあまり好きではない。別に、全て主人公ヒカリの内面の旅であっても悪くはないが、それにしてはこの(法要中の)短い間によくそこまで考えたな!となり、オモシロさが増す。また、自己弁護ではないが、「絶望ダッサ」にはどうも乗り切れない。「僕は感情がないから悲しみなんて感じないんだ平気なんだ(自己防衛)→いや本当は絶望して悲しんでいるんだ(自覚)→でもそんなのダサいから乗り越えていくんだ(そして未来へ……)」なのかな、と好意的に解釈するとしても、それは「ダサい」という言葉で乗り越えていくべきものなのか、疑問である。抑うつ状態はダサい/ダサくない、という問題じゃないと思うのだが……。
疲れた。映像が斬新と述べたが、中島哲也に似ているんじゃないかとも思う。他にも色々言いたいことはあったが、もう止める。だいたい夢オチの可能性がある時点で、全ての指摘は負けなのだ。楽しんでいる人をけなしたいわけではない。良かったという人はそのまま、堂々としていればいいと思う。ただ、私には合わなかった。
大人は子どもたちがゲームボーイに釘付けになったまま横断歩道を渡るのを怖がってさ、しかもアニメ見てる時に痙攣する子が1クラスに1人ずつぐらい出てきて、ポケモンは危ない、ポケモンは敵、ポケモンさえなければウチの太郎ちゃんは勉強もしてたわ、ポケモンが無かったら一郎ちゃんはサッカーに打ち込んで今頃ラモスみたいになれてましたのに、そういう事ばっか皆言ってた。
サウスパークってアニメでさ、ポケモン(厳密にはパロディのチンポキモンだけど)ばっかり遊んでいる子どもたちを止めるために親がポケモン(チンポキモン)を遊んで見せることで子供を冷めさせるエピソードがあったぐらいだ。
ポケモンGOを遊んでいる層の中高年率を見てみなよ。
なんとか子供も楽しんでいるけど、それは親が安心して与えてくれる玩具がポケモンだからだ。
ポケモンは信用されている、だから親が買ってくれる、だからポケモンで遊ぶ。
そういう流れだ。
子どもたちは本当はパズドラやヒカキンやキズナアイが好きなんだ。
でも、大人はそうういのを怖がって与えてくれなくて、ねだってもどうせ手に入らないならとポケモンだいしゅき~~あびゃ~~~と口にしてる。
悲しいよな。
長く生きていると、これまで見てきた作品でクオリティの上限の認識がどんどん上がっていく。なので、生半可な作品では満足できなくなる。
と思っていたのだけど、これはちょっと違うなということに気付いた。(一理はあるんだろうけど)
うちの親は、多分ファミコンやゲームボーイを年取ってから見たんだろうけど、全く興味なかったようだし。
受け入れる柔軟さがなくなるのかもしれない。若い頃はなんでも肯定的に吸収できるのだけど、ある年齢をすぎると、これまで摂取したコンテンツとは異なる、異質なコンテンツを見ると、拒絶反応が起こってくる。世の流れとしては、「異質なコンテンツ」のほうが主流となり、結果的におっさんは時代に取り残されることとなる。
両親の監視下なのにクラスメートの分のおにぎりを作ることができたのですね。余計な食材を使って咎められなかったのでしょうか。
八頭身で巨乳だそうですが小学生のころから八頭身で巨乳だったのでしょうか。満足な食事も与えられていない栄養失調状態で成長に問題はなかったのでしょうか。
バイト代全額親に取られてもラバーソールは買えたのですね。こっそり買っても目立つ靴ですしラバーソールを買ったことでひどい目に合わなかったか心配です。
結構ゲームやってますね。ゲームボーイや64などで遊ぶことはできたのでしょうか。
1日2本見ても1年で730本、1万本に到達するには10年以上かかりますね。実家を離れてから映画に目覚めて狂ったように見まくったのでしょうか。
とはいえ今から30年前のものでそのときにあったのはPCのテトリスとアーケードにあったセガのテトリスのみ。それの攻略本。まだ任天堂のゲームボーイ版のテトリスも出てなかった。
だから攻略もなにもない。Tスプーンやバックフリップなどの技術もないし2pプレイすらなかった。端っこから丁寧に積み立てていけばいいというくらいで。目指すのはハイスコアだから。
では、どういう意図の本かというとサブカルの人がサブカルの人に向けてテトリスを肴にあーだこーだ語る読み物になっているのです。
その中に、「テトリスとは平成なり」とあった。平(タイラ)に成ることがテトリスを永遠に続ける=ハイスコアを狙うコツだと。つまり平成を目指せと。
先日、この記事を読んで、なつかしいPS・SS・N64による次世代ハード戦争を思い出した。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1903/31/news006.html
ソフト売り上げ結果を見れば圧倒的にPSの勝利であり、どうあがいても勝てそうにない
https://entamedata.web.fc2.com/hobby/game_rank_ss.html
https://nendai-ryuukou.com/article/056.html
このデータの正確さはわからないが、概ねの傾向は掴めるだろう。
トリプルミリオン3本、ダブルミリオン3本、ミリオン12本のPSとミリオン1本のSS。これは勝てそうにない。
当初はSSの方が売れており、ハード100万台の達成はSSが早かった。これはアーケードゲームが強いセガのファンが購入したのに対し、
そもそもどこを目指しているのかよくわからなかったPSという位置づけだった。
潮目はもちろん誰もが知るところのFF7の発表だ。あとは多くのサードがPS陣営に流れていった。
そこで、スクウェアがSCE陣営に付くことを前提として、当時どうやればセガがそこそこ戦えたかを
後世の知識を持ってたままループしたとして、シミュレートしたい。
1997年1月にFF7が発売、その前年である96年8月にトバルNo.1が発売されることを考えると、時間はあまりない。
バーチャファイターとデイトナUSA(5か月早める)の2本をローンチに発売する。
これでアーケードファンの心をがっちりつかむ。デイトナUSAはそのバカさから、
パーティゲーにも向いているので、気合で4人対戦機能を付ければ、キッズの遊び道具になったはずだ。
(私の記憶では、4人同時対戦できるレースゲームはマリオカート64が最初だったはず)
逆にワンチャイコネクション、ゲイルレーサー、 真説・夢見館は開発をやめよう
・8月11日 シャイニング・ウィズダム
サードだと
・12月25日 真・女神転生デビルサマナー
くらいだろうか。どうみてもオタク臭い。いや、個人的には悪くないラインナップだが、ドラクエかFFしかやらない一般層がこのハードを買いそうにない。
まず、前年のバーチャファイター11月、リミックス7月、2を12月に発売するのは頭が悪すぎる。
ここは気合でバーチャファイターとリミックスは合体させて、ローンチで発売すべきだっただろう。
オリジナルバージョンとリミックスバージョンが選べます。これはかなり画期的なローンチだ。
そして、バーチャファイター2は夏に発売すべきだ。バーチャコップ、VF2、セガラリーを立て続けに発売する意味が分からない。
そして、申し訳ないが、シャイニングウィズダムやホーリィアークの開発をやめよう。
冬に発売すべきはシャイニングフォース3だ。発売を2年早めよう。
あと、シナリオ1、シナリオ2、シナリオ3という売り方は最悪だった。
3部作であることは隠して、シャイニングフォース3~王都の巨神~というタイトルで売る。
「続くじゃねーか!」という批判が出るかもしれないが、当時はネットはない。大丈夫だ。
・1月26日 ガーディアンヒーローズ
・3月22日 パンツァードラグーン ツヴァイ
・8月30日 ファイティングバイパーズ
・11月29日 電脳戦機バーチャロン
・12月21日 ファイターズメガミックス
あたりだろうか。翌年の1月にはFF7が出ることを考えると、辛すぎるラインナップである。
アーケード移植作はどうしようもないので、これでいくしかないが、
相変わらず、バーチャファイターキッズとファイティングバイパーズをこの近さで発売するという暴挙をしている。
キッズは春ごろに発売すべきだ。または、昨年末の年末戦線に、キッズ同梱のSSを発売するなどをやるべきだろう。
とはいえ、本物のキッズはわざわざ「キッズ」と書かれたものは嫌いなわけだが。
ここで、何回シミュレーションしても、あの名作NiGHTSは発売すべきではないという結論を得た。
もう一つの大好きなバーニングレンジャーもである。
では、ソニックチームは何をすべきだったのか。
よくifの話で、ソニックをSSで早い段階から発売すべきだったという話がある。
もちろんそれは正しいが、日本市場でのソニックの人気はいまいちのため、日本市場ではソニックでは勝てなかっただろう。
ここでやるべきはエニックスの口説きである。つまり、エニックスと堀井雄二に頭を下げ、
うちのコンシューマ主力部隊であるソニックチームと中裕司をドラクエ7の開発部隊として使ってくださいと
頼み込むことであった。つまり、チュンソフトの立場をセガがやりますよ、彼にはファンタシースターを作った経歴もあるので、
RPGできますよ、ということだった。これは荒療治にもほどがあるが、
これまでのセガハードのソフトを見ても、やはりRPGは弱い。いまでこそJRPGと揶揄されるRPGだが、
当時は一番の花形であり、ハードの生き死にを決める。ここで、ドラクエを取らない限り、SSがPSに勝つことはないだろう。
つまり、結論としてはソニックチームをチュンソフトやハートビートの代わりのドラクエ開発会社に充てること。
もっと言えば、開発が遅れていたSFCのドラクエ6も引き取って、1995年末または1996年初旬に
多くの人が持つゲームボーイに比べて、ゲームギアでやったところで、たかが知れているのかもしれない。
他の案も募集したい。