はてなキーワード: エクスキューズとは
風立ちぬを劇場で見てきた。当方海外在住で、話題が古いのは許してもらおう。そして、なんだこりゃと思った。
・主人公の台詞の棒読み。朴訥とした人柄を表したかったのかも知れないが、かなり違和感がある。あんな棒読み風に話す実在の朴訥とした人物はいない。
・少年の頃の夢に没頭する話なのか、悲劇のラブストーリーなのか、何を主張したい映画なのか良く分からん。
・どちらか絞らなければならないわけではないが、映画は製作側と観客の共同作業というか、こちらも趣旨が分かればどんどん乗っていけるのだが、本作ではそこが分からず非常に乗って行きがたかった。
・2次大戦の日本の代表兵器・ゼロ戦。作中で設計屋は兵器か否かではなくより良い飛行機を作りたいだけというエクスキューズが入っており、登場人物もちょくちょく戦争に否定的な発言はするものの、ゼロ戦の開発を夢とした男を主題として取っているので、どうしても言い訳がましく聞こえてしまう。宮崎監督は極端なくらいリベラル側だということを知っているが、監督が反戦平和主義だと良く分かっている視聴者にとってすら、兵器の開発に没頭している主人公には感情移入しにくい。
・結核の奥さんに冷たすぎないか?ラブストーリーとはいえないように思う。
・英国で見たのだが、こちらの価値観だと仕事より奥さんを取るのが一般的なので、日本でも今ならそうだと思うのだが、英国人が日本人の価値観というものはこういうものだと誤解しないかハラハラした。
・夢>奥さんというのが最も残った印象なのだが、監督の主張したかったことはそういうことでいいの?勿論、そういう趣旨なら描写に成功したということになるけど。そして、一つの考え方としてはあるのだろうけど。
・妻は昔の日本、今の老人世代の男性が理想とする都合のよい女の描き方に思えて気持ち悪かったと言っていた。それもまた極端な見方だとは思うけど。
・結核の奥さんの横でタバコを吸うのはどうなんだ?そういう時代だったからそういう描写にしたと言う主張は百も承知だが、もともと写実主義の映画でないので、わざわざそこだけそういう描写にする必要あったのかな。
・原作読んだことないが、夢の中と山荘の2人のデフォルメされた外国人は原作にも出てくるの?ちょっと見ていて恥ずかしかった。
・淡々としているが、そこが魅力的なのかというと、一方で夢の中の突飛な描写が繰り返され、淡々は魅力ではなく単に盛り上がりにかけているように思えた。映画の中には風が微風くらいしか吹かなかった。
・悲劇ももっと描くのかと思ったら、奥さんは山に帰りましたと。あとは夢の中で登場と。んんん?原作がそうなの?勿論直接的だけが演出ではないけど、輪郭から描き出す力も弱いような。少なくとも感情を揺り動かす力は弱いよね。
というわけで、非常に長く感じてしまった映画でした。英国の映画レビューサイトを見ると、5段階で4ちょっとくらい。良い評価なんだろうけど、肯定レビューのほとんどの言及が映像の美しさ。なるほどね。日本人は綺麗なアニメは見慣れてしまっているし(その中でもジブリはやっぱり凄いけど)、日本の里山的風景を見るのも珍しくはないけど、外国人にはあんなに綺麗なアニメと風景と言うのは凄く新鮮なんだろう。
本作をもって監督は引退されたと聞いている。引退する投手がもう130km/hくらいしか出なくて打たれまくって火ダルマになっても、最後まで投げることができて満足、本人も世間も引退に納得というか、そういう意味の作品とすれば確かに巨匠の最後の作品にふさわしいのかもしれないと思いました。宮崎監督の作品は、魔女の宅急便くらいまではきちんと見たのだが、それ以降はTV等で見る機会はあったものの、途中で寝てしまったりして、今回は日本の映画を観たくて映画館に行ったからなのだが、見切ったのは久しぶりだと思う。
初期作品のナウシカは、監督が頭の中にあんな空想世界を構築していたのかと思うと、深海とか蟲のデザインとか、その発想力は恐ろしくもあり、天才だと思う。今でこそそのプロットは手垢がついてしまったかもしれないが、それだけこの作品の影響は大きかったのだろう。漫画版は、最後のグダグダが残念なので、映画版くらいがよいのかもしれない。この1作だけでも宮崎監督の天才性は語り継がれていくのだろう。
ネットでとある有名な詩人が優れたポエムを書いていた。それを某2chで紹介した人がいたんだよね。
自称プロポエマーの俺から見てもそのポエムは凄いもので、「はああああああ、こんな凄い詩があったのか!」と感激した。この感動をみんなと分かちあいたい。さあお前ら絶賛したまえ。そんな気持ちになった。
ところがどっこい、これがもう酷評の嵐だったわけよ(笑) 代表的な感想が「痛い」「アイタタタタ」。
どないなっとるねんこの世の中ァ!もうこれはポエムとしての出来どうこうじゃなくて、ポエムというもの自体に「痛い」「厨二的」といったレッテルが貼られてる。
そういう時代なのだな、特にネットはそういう身も蓋もない文化なのだな、と衝撃を受けたと同時に納得した。納得したらポエミーな笑顔がこぼれた。
で、ここで考察を終えては建設性がない。なぜ痛いのか?そこを考えてみたい。ポエマーなそこのお前は必見だ。
私見では「痛い」の思想は、日本古来の恥の文化なんだよね-。正確にいうと恥の文化から派生したのが「痛い」の文化。
つまりどういうことかってーと、ポエムがここにあったとするわな。それを自分が書いたと想定するわけだ。そして「うわ!これはハズい!」と思う。これが「ポエムが痛い」って感覚。
日本語を学んでいる外国人よ。これが日本の「痛い」の文化だ。分かったかね?
この感覚の強烈さは日本特有だと思うよ。海外でもあるけど、外国人は日本人みたいに自虐的な人少ないから。だから自分が書いたと想定しても、「うわはずっ!」にはならず、「痛い」が分かりにくい。
もちろん外国人といっても様々だ。中には自虐的な国とか自虐的な個人もいるだろう。そういう人は日本の「痛い」の文化に造詣が深いと言える。
いや、言えないけど。素質はある。少なくともぷにぷにぽえみぃがカブトボーグなど比べものにならぬ位の黒歴史アニメだということは痛いほど理解できるだろう。
さて。ここまででだいたい、厨二とかポエムとかが日本でことさら「アイタタタ」扱いされる理由(わけ)が分かったろう。そうだろう。
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続いては自虐という心理について解剖してみよう。現代人は自虐という病理に突き動かされて日々過ごしていると言っても過言ではぬわーい。じつに根深いものなのだ、自虐というものは。
だもんで、当然現代人特有の「痛い」とも密接に繋がってくる話だ。
手始めに「自虐風自慢」という学術用語があるな。これは自虐という体(てい)で堂々と自慢しようという魂胆よ。と思いきや、そうじゃない場合もあって、ほんとに自虐していることもある。
例えばイケメンがその容姿と少しでも関連する(と解釈できる)自虐をしようものなら、立ちどころに自慢と捉えられてしまう。かやうなる現象も「自虐風自慢」だ。
で、問題となるのは前者だ。なぜ自慢するのに自虐のフリしないといけないのか。自虐の構え(ポーズ)してるだけで実質自虐してないのはミエミエなのに、
なぜ人々は自虐の構えが免罪符(エクスキューズ)として通用すると思ってしまうのか?これらの問いに答えるにはたった1つのことが分かっていればいい。
セル編の最初でトランクスがきて未来を教えてくれた直後、ブルマが人造人間を作るゲロを殺したらいんじゃねって言ってるのに、強いやつと戦いたいからという理論で一般人を犠牲にすること前提で話が進んでるところマジぱないわ。
悟空のエゴはんぱねえ。他の人間もそうだ。サイヤ人の血関係ないやつまで自分を試したいとか言ってるし。天津飯てめーだよ。
あと悟空もいざ人造人間と戦ったら急に都合よく心臓病が出てきて、それまでは発症してなかったから薬のんでなかったとか伏線めちゃくちゃやがな。ベジータの見せ場のためとはいえ。
セル編以降はこうして改めて見るとほんとひどい。
こうするしかセルに勝てないとか言ってますけど、そこまで追いやったのは最初にブルマの助言をきかなかったてめーのせいなんだけど。
本気で突っ込み出したらきりないんだろうけどさー
ブウとゴテンクスのあたりとかほんと読んでてつらかったわ。。。
http://anond.hatelabo.jp/20140327004503
元増田です
http://anond.hatelabo.jp/20140326001403
増田です。
一日経って見たら、大変沢山のコメント、トラバをいただき、ありがとうございます。
こんなに多くの人から反響があるとは思わなかったので、震えております。
また追記すると思うのですが、ひとつだけ。
文中に出てきた「その人」は男性ではありません。
女性です。
会社では、男性の方がセクハラ・パワハラを気にしているようで、身体の特徴を、継続的に言われることは少ないです。
初対面や、ある程度仲良くなった際に、身長のことを聞かれることはありますが、それは純粋な興味かと思いますので全然気になりません。
背の高いこの元増田氏をからかったのは男性だと断定したブックマークコメントが多かったが、本人によってはっきりと否定された。
http://megalodon.jp/2014-0325-2150-14/anond.hatelabo.jp/20140325195902
自分は若いころに全身火傷をして、顔も爛れているので珍しいと思う、全国的にも数十数百だとは思う
でも、だからって無許可で撮影していいわけじゃないよね、普通は許可とるよね
こういう権利関係というか、下手したら犯罪になるんじゃないかって意識は男性カメラマンはそれなりに持ってると思う、今は。
でも、女性カメラマンのデリカシーの無さはどうだろう、本当にひどい。
カメラを構える人は女性だからというエクスキューズなしで、自分の加害性を顧みてほしい。
自分は何度も化け物としてネットに晒されました、全部女性アカウントです。
これでも女性を憎んではいけないのでしょうか、自分が男性だから許さなくてはいけないのでしょうか。
↓
http://b.hatena.ne.jp/Memeo/20140326#bookmark-187873530
Memeo
こういうの在り得るのかねえ。至近距離なら相手の携帯なりカメラむしり取って地面に叩きつければ一発でパーにできるし、
そうでなくとも相手が切れたらと言う事を想定しないというのもありえない感じ。
男性が盗撮被害に合った場合でも、男性はその場ですぐに反撃を行うはずなのでそういったことはありえない(作り話である)とするのがid:Memeoの主張である。
最近の国民的な話題といえば佐村河内氏と小保方氏である。佐村河内はNHKを騙し、小保方はネイチャーを騙した。
佐村河内は髪とヒゲを切り記者会見を行った。裁判をする、新垣を訴えるなどの無理筋の主張し、闘争への意欲を見せた。
一方小保方氏は未だに我々の前に姿を表してはいない。
山中教授のips細胞の上位互換を作ったと言い、ネイチャーに嫌味を言われたと明かした小保方氏は、STAP細胞発表のあの記者会見以来、口を閉ざし続けている。
もちろん、STAP細胞騒動は、理研・マスコミ・小保方という三つの力が合わさって起きたものであり、小保方1人の責任とは言い難いが、
山中教授などは捏造されたSTAP細胞のおかげで方々を奔走し必死に誤解を解かなければならなかったのだ。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20140216-00032704/
Q.( 略 )今回「iPS細胞にはリスクがあってSTAP細胞が夢の細胞だ」と簡単に割り切って比較しちゃうことの間違いが、ちょっと悪い影響が出た部分がある?
A.これは非常に大きな影響があったと思います。特に今、神戸の臨床研究、協力いただく患者さんもだんだん決まりつつあると思います。そうした患者さん、ご家族を中心とする、非常に多くのiPS細胞技術の実現をいまかいまかと待っておられる方にとても大きな不安と誤解と与えてしまったなと、本当に残念に思います。
ところが巷では、「まだSTAP細胞はあると信じてます!」「小保方さんは女の子なんだから責めるのは酷」といった意見が多い。
そういった意見に対しては様々な反論が寄せられている。
http://ymitsuno.hatenablog.jp/entry/2014/03/17/235656
小保方さん騒動において問題なのは、そういった性的な上下関係が、科学という男女平等をルールとするパブリックな空間に持ち込まれようとしていることである。それを持ち込むことによって何が起きるかというと、科学の信頼が揺らぐだけでなく、セクシャルハラスメント、アカデミックハラスメントといった問題も起きるのだ。
それゆえ、小保方さんは、なんちゃらかんちゃらのユニットリーダーというパブリックな立場としては、男女平等の厳正な処分を受ければ良いのであり、その後、( 略 )ケアするのは、プライベートにおいて彼女のそばにいる、( 略 )男の役割なのである。
私が日本に住んでいて違和感を持つものは、「男性は加害者であり女性は被害者である」という決めつけである。
そしてその決め付けは、女性をとても鈍感にさせてしまっているのではと私は考える。
生まれつき我々の股間には汚らしいものがついており、特別なトレーニングをしていなくても女性よりも遥かに筋力がある。
女印良品 - リベンジポルノ男の扱われ方
http://www.lovepiececlub.com/lovecafe/mejirushi/2014/03/17/entry_004997.html
「やっていない(やるはずのない)男には、お前もやるかもしれないから気をつけろと言ってはいけない」「男の子のことはまずは信用してあげなければいけない」空気が濃厚に漂っている。触れちゃいけない雰囲気、まずはそこから変えたほうがいいと思うし、もし本当に「リベンジポルノをする奴」が男たちの中でそんなにハッキリと異質な者として存在しているんだとしたら、直接その人たちへ防犯アクションを起こしたほうが被害が減るんじゃないだろうか?
そうではない。我々男は常に『リベンジポルノをする奴』に自分が豹変してしまうことを恐れている。
レイプをする男と一般の男性は地続きである。私たちは何かの拍子でその一線を超えてしまうのかもしれない。
そしてその欲望に抗えるのかどうかは「神のみぞ知る」である。私たちはテストステロンに操られている。
女性が絶対に体感することはない、あの衝動的な性欲に男性は悩まされている。
もちろん大抵の男は、本当に愛する人との営みや、または自慰でテストステロンを発散している。
しかしそういうことができなくなったとき、またそれで満足できなくなったときに、我々がどうなるかは我々もわからないのだ。
decimal
不安を煽る番組を真に受けて気が変になる人たち。オレオレ詐欺は老人に警告するばかりで若者を責めず不公平だろうか。お前は詐欺師か?と若者に聞いてまわるべきだろうか。
自分の性別に伴う加害性に苦悩をしているときにさらに他者から「お前レイプするんだから気をつけろよ」「お前リベンジポルノするんだから気をつけろよ」
などと言われたら、真面目な男性が女性との接触の一切を絶とうと考えるのも無理はない(異性関係の放棄)。
草食男子の存在が叫ばれるようになったのも、『お前は詐欺師か?と若者に聞いてまわ』った人間の尽力によるものだろう。
一方、女性は自身の性別に伴う加害性で苦悩することは無いと思われる。
女性は女性で大変なこともたくさんあるだろうし、日々匿名ダイアリーに投稿される女性の苦悩を吐露する記事には私も共感している。
だが、私が現実世界やインターネットで見る女性の言動の中には、ときたまとても嫌悪感を催すものがある。
「それ聞いたら絶対怒る人いるよね?」というようなことを、ごく一部の女性は公の場で大声で話す。
たとえば昨年起きたはてな女子騒動もそうだったが、
「30過ぎてもオシャレがんばってる女はみっともないから私はああはなりません」
というようなことを、ブログで書き連ね、それがホットエントリ入りしてしまうのだ。
それは多くの人の目に入り、多くの人の心を傷つけた。
はてなユーザーたちは怒り、バッシングした。結果、そういった一部のはてな女子たちははてなから姿を消したり、言動を鎮静化させたりするなど、それぞれの始末をつけさせられている。
私が一部の女性を見て不思議に思うのは、反撃されることなど全く考えずに加害行動をするその姿勢である。
私の母の場合は、それは加害行動ではなかったが、のぼりエスカレーターを降りた後に、急にその場で立ち止まって「忘れ物してないかしら」とカバンを探り始めたことなどがあった。
そのとき私は慌てて母を引き寄せ、エスカレーターの前の降りるスペースを空けたが、もし母のすぐ後ろに人が続いていたら大事故が起こっていた可能性もある。
一部の女性はときに、「こうしたらこうなる」を深く考えずに行動することがある(捨て身で動ける)。
それは女性の強みでもあり、街中で人が倒れているときにテキパキとその場で動けるのは実は女性であったり、
ここで恐ろしい顔をした男性に立ち向かって行くのは圧倒的に女性の方が多いのである。
しかしそういった女性の強さは、一方では「後先考えずに加害行動に移れる」ということでもある。
しかもその加害行動は実際の暴力ではなく、言葉であったり、思わせぶりな間接的な行動であったりする。
私が生きてきた人生の中で、そういった光景はたくさん見てきた。
http://megalodon.jp/2014-0325-2150-14/anond.hatelabo.jp/20140325195902
私が悪いの?
http://anond.hatelabo.jp/20140326001403
元増田です
だから、「女性は反撃されることを想定しているから加害などしない」などという言説は、余りにも現実が見えていないもののように思える。
女性だって醜い男性を撮影してネットに晒すことはあるのだ。それを、最初から「ありえない」と決めてかかる人たちは余りにもオカシイ。
私は問いたい。なぜ女性の間接的な加害行動は問題視されないのか。
暴力が伴わないものの、それは非常にタチが悪く、加害された側の心にいつまでも留まり続ける。
暴力的な加害と何も変わらないのだ。
そしてまた女性は、その間接的な加害行為を行うことに鈍感すぎると思う。これは特に日本で顕著だと私は予想している。
日本では女性はいつまでも被害者であり、加害者扱いをされることはないのだ。
男性が悪いことをした場合には、それは男性の自由意思であり、男性の心が汚いからであるが、
女性が悪いことをした場合には、それは社会のシステムの問題であり、心の綺麗な女性が悪事をむりやりさせられたのだ、となるのだ。
それは本当なのだろうか?私は女性の自由意思を認めているから、そういった言説には同意できない。
女性は自分で考え、自分で行動しているのである。動物ではない。であるのならば、女性の責任もきちんと問うべきである。
男性だけではない。女性だって加害者になることはあるのだ。女性も加害責任を問われるべきである。
私は誰かに「女性に嫌なことされた」と相談されたときには、「それがお前が悪いんだろ」や、「女の子に責任は問えないからお前が我慢しとけよ」や、「女は怖いな~」
などと言って済ませることはしない。私は加害者の性別に一切の区別はつけない。それは被害者には何の関係もないことだからだ。
私は、男性が被害者になることも、女性が加害者になることも知っている。
たとえば、今まで私が述べたようなことはほとんどの大多数の女性には一切関係のないことである。
ほとんどの女性は自身の加害責任についてしっかり認識しているし、加害の欲望も無い。
そもそも女性は加害をする以前に、暴力の被害を受けることの方が圧倒的に多いであろう。
であるからして、私が今まで述べたことは全て、「デリカシーの無い鈍感な」女性に向けたものであることを理解してほしい。
またそういった鈍感な女性を擁護し一人前扱いをしない一部の男性たちや、日本社会に向けたものでもある。
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自分は若いころに全身火傷をして、顔も爛れているので珍しいと思う、全国的にも数十数百だとは思う
でも、だからって無許可で撮影していいわけじゃないよね、普通は許可とるよね
こういう権利関係というか、下手したら犯罪になるんじゃないかって意識は男性カメラマンはそれなりに持ってると思う、今は。
でも、女性カメラマンのデリカシーの無さはどうだろう、本当にひどい。
カメラを構える人は女性だからというエクスキューズなしで、自分の加害性を顧みてほしい。
自分は何度も化け物としてネットに晒されました、全部女性アカウントです。
これでも女性を憎んではいけないのでしょうか、自分が男性だから許さなくてはいけないのでしょうか。
偉大なる先増田様
http://anond.hatelabo.jp/20140325195902(削除済)
偉大なる先増田様に対する反応
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20140325195902
http://megalodon.jp/2014-0325-2150-14/anond.hatelabo.jp/20140325195902
あれ不思議だよね。コンビニとしてもあんなケムリ門番を置いてたら多少なりとも客を逃すと思うんですよ。
喫煙できる場所を提供することで飲み物などの売り上げが伸びるとか来店の習慣をつけてもらうとかあるのかもしれないけれど、入り口から離したところに設置する方がいいような気がするんだよなあ。
コンビニの灰皿がどういう扱いなのかはよく知りませんが、ビルの入り口とかにあるのは「ここに捨ててから入館してね」って意味のはず。
なのにコンビニだけでなくビルの入り口にも喫煙者がたむろしてたりする。
ビルの入り口はそのビルの敷地だったりするけれどコンビニの前はコンビニの敷地じゃないことも多い。店の前の公道を勝手に喫煙所にしてしまうのもいかがなものかと思う。ビルの敷地の喫煙所だって人が多く集まれば周囲に煙が漂いまくるからやっぱり微妙なことも多々ある。
灰皿は喫煙者には絶好のエクスキューズで、「え?ここ吸っていいんでしょ?だって灰皿置いてあるじゃん」という気持ちになっているみたいだ。その延長で携帯灰皿さえ持っていればどこで吸うのも自由だと思っている人もいたりする。
ついでに言うと、駅前などにある喫煙エリア。わざわざ線を引いて喫煙可能エリアを示してるのに空いていてもなぜかはみ出して広がっていく人々がいる。結果歩道全体やバスロータリーの一角に煙を充満させている。なぜもう少し距離を詰められないのか。エリアから出てまで吸わないって選択肢もあるだろうに。
灰皿が置いてあろうとも、そこで吸うべきじゃないと思ったら吸わない喫煙者が増えると、喫煙者であるおれも少し暮らしやすくなるんだけどな。
炎上した例のNHK会長会見ですがインターネットの一部では別の燃え方をしていまして、質問をした記者のほうがえらい叩かれてる模様です。なんでも記者が執拗に誘導質問を繰り返して失言を誘った、会長を罠にかけた、だとか。それで更には慰安婦についての質問をした記者が朝日新聞のナントカいう24歳の記者だと特定!なんていう話題も。ツイッターで「NHK 質問」なり「NHK 記者」なりのキーワードで検索してみるとそんな感じの投稿がうじゃうじゃと出てきます。
しかしこれ、僕からすると「???」な話なんですよ。だって、僕、会見の動画見ましたから。でも全然執拗に誘導して失言を引き出したなんて印象はなかった。それでもう一度動画を見直してみました。その結果はタイトルの通りです。少なくとも慰安婦についての質問をした記者については執拗に誘導したなどという非難は的外れであると断言していいでしょう。
そのことについてこのエントリでは会見の詳細なやり取りをもとに見ていくんですが、いちいち動画を見てもらうわけにもいかないんでtarareba722さんによる文字起こしを貼っておきます。tarareba722さんは会見を見て「これは記者のほうがひどいんじゃないか」という感想を持って文字起こしをしたらしいんで、僕にとって都合のいい方向のバイアスがかかったものではないはずです。ちなみに動画を見たい方は文字起こしのページの一番下のあたりにリンクがあるんでそこから見に行ってください。
(この書き起こしの冒頭挨拶の箇所で「リスタブリッシュされた(?)」という記述がありますが、これはおそらく「エスタブリッシュ(確立)された」ですね)
さて、慰安婦についての質問の箇所について話す前にひとつ。実は僕、この件の報道を最初に見たとき、「そもそもなんでわざわざNHK会長に靖国だの慰安婦だのの政治問題について聞かなきゃならないんだろ?」と思ったんですよ。同じように思った方は多いんじゃないかと思います。中にはその疑問があるがゆえに「記者が失言を誘った」という見方を支持している人もいるんじゃないでしょうか。
しかし実際に動画を見てみるとそれらの質問は当然あるべき質問だったんです。会見の内容を見てみましょう。
まず冒頭挨拶があり、そこで会長がしきりに放送法の遵守ということを言うのでそのあたりについて記者と軽いやり取りがある。その後出てくるのが国際放送についての話題です。
記者「あの、国際放送を強化したいとおっしゃっておりますけれども、えっと、我が国の立場を伝えること、というふうに国際放送の番組基準に書いてありますので、この立場というのが政府見解、政府の主張をそのまま伝えることなのか、それだけではなくて、広くその、民主主義の発展に寄与するために、いろんな、その……、考え方があると伝えていくことが大事なのか、そのへんどうお考えでしょうか」
おそらくこのページ(http://www.nhk.or.jp/pr/keiei/kijun/kijun02.htm)を読んだ上での質問ですね。当然出てくる疑問であり、この質問が会長を罠にはめるための誘導だという人はいないでしょう。これに対する会長の答えが以下。
籾井会長「国際放送につきましてはですね、これはやっぱり多少国内とは違うのではないか、というふうに思います。例えば尖閣、竹島、こういう領土問題については、明確にやはり日本の立場を、主張する。と、いうことは、当然のことだと思います」
つまり、領土問題について最初に言及したのは会長自身なわけです。わざわざ記者が現在問題になっている具体的なことがらを挙げずに抽象的な形で質問してきたにも関わらず。
そして会長が領土問題について言及した絡みで靖国問題についても質問が出てくる。
記者「靖国問題についても、領土問題と同様な、あの、考え方、なんでしょうか?」
「なんでわざわざNHK会長に政治問題について聞くわけ?」という疑問はこれで解消されるでしょう。会長が「領土問題では云々」ということを言い出したのだから「じゃあ領土問題以外の他の問題では?」という質問が出てくるのはあまりに当然のことです。
ただ、この靖国問題についての質問をした記者については「執拗に失言を引き出そうとした」という見方も不可能ではないかな、という感じはします。「コメントは差し控えたい」と言われた後に同じ話題についての質問をまたぶつけてますから、最大限記者に悪意を持って見てみるとそのように見えるかもしれない。まあ、僕は全然問題のある態度だったとは思わないですし、靖国についての箇所は他の慰安婦の箇所なんかと比べると全然問題にされてないんですが。
さて、では今回メインの慰安婦の箇所です。まず記者の質問がこちら。
記者「先ほどからあの、政府とNHKの距離の問題についてご発言されていると思うのですけど、思い出すのは今から10年、10年少し前にあったETV2001の問題のことなのですが、籾井会長も最近もあの、慰安婦を巡る問題については日韓間や日米間のあいだでいろいろ取りざたされております。ところがETV2001以来番組はNHKにおいてはキチッとしたものが製作されておりませんけれども、慰安婦問題については、会長ご自身はどのようにお考えでしょうか?」
これも決して突飛な質問ではない、ということがわかると思います。実際これまでのやり取りでまさに問題とされているのは政府とNHKの距離についてどう考えるかということで、領土問題や靖国問題というのはその一例なわけです。そしてこれまでに政府とNHKとの距離ということが特に問題化した事件といえばETV2001の番組改変問題(http://ja.wikipedia.org/wiki/NHK%E7%95%AA%E7%B5%84%E6%94%B9%E5%A4%89%E5%95%8F%E9%A1%8C)が想起される。ETV2001は慰安婦問題を扱った番組だったわけですから、慰安婦問題について尋ねる質問に結びつくのは当然でしょう。
それと少し話が逸れますが、この質問において記者が名乗っていないということには留意が必要です。なぜなら冒頭で少し触れたようにこの記者はネットで本名が晒されてるわけですから。では、どこから所属年齢本名が明らかになったのか。ツイッターの投稿でソースとされているページを見てみましたがその答えは見つかりませんでした。現在流れている情報はデマの可能性が極めて高いと判断していいと思います。
以下慰安婦問題についての質問に対する会長の回答とその後の記者の反応。
籾井会長「(しばらく考えて)これはちょっと……、コメントを控えてはダメですか? あの……いわゆるね、そういうふうな、戦時慰安婦ですよね? えー戦時だからいいとか悪いとか、言うつもりは毛頭ないんですが、まあこのへんの問題は皆さんよくご存じでしょう、どこの国にもあったことですよね。違います?(しばらく会場沈黙)」
記者「あ……、私に質問しているんですか。えっと、ではそしたらじゃあ、籾井会長が改めてその、お考えすることがあれば、お尋ねしたいと思います」
どう見ても会長は「コメントを控えてはダメですか?」と言いつつもその後促されたわけでもないのにベラベラとコメントしてます。しかもよりによって橋下市長が炎上したときと同じことを……。ここまでで記者がマイクに向かって話したのは最初の質問だけなんで、これが記者のしつこい質問のせいで出てきた言葉と受け取ることは不可能です。
そして最後の「違いますか?」を言いながら会長は記者の方をじっと見つめるわけですが、記者はこの「違いますか?」を反語表現だとでも思ったのか、沈黙が続いてようやく自分に質問が向けられているのだと気付き、慌てて「あ……、私に質問しているんですか」と返答する。通常このような会見では記者の質問ひとつに対し回答者がなにか答え、それでひとつの質問はおしまい、もう質問者は別の記者にマイクを譲り渡す、というのが一般的ですから、この記者は会長が答えたのでこれで自分のターンは終わりだと思ったのだろうな、ということは容易に想像がつきます。だから自分が話すべき場面なのだと悟って慌てている。これはしつこく質問攻めにしてやろうなどと考えている人物の行動とは考えづらいでしょう。
実際、そこに続く記者の言葉は「会長が改めて考えることがあればお尋ねしたい」という今なされている話題を続ける気がさらさら感じられない、それどころか「はい! その話は今日はおしまい! また今度ね!」というふうに受け取るのが自然なものです。これまた記者がしつこく質問したという見方を否定する。
とはいえ、会長とこの記者とのやり取りはかなり長く続いたというのも事実です。おそらくそのことから記者がしつこく質問をしたという見方が生まれている。しかし、やり取りが長引いた原因はなんなのでしょう。それは続くやり取りを見てみるとわかります。
(再びしばらく沈黙)
籾井会長「(会場を見回して)まあ、こっちから質問ですけど、韓国だけにあったことだとお思いですか?」
記者「いやいや、すべ……どこの国でも、というと、すべての国で、というふうにとられると思うんですけども……」
はい。どう見ても会長が記者に逆質問をぶつけたせいです。本当にありがとうございました。
この場面、記者が「改めてお考えすることがあればお尋ねしたいと思います」と話を切ってから結構な時間の沈黙があるんですよね。ちょっと間が持たなくなるなーと思うくらいの。だから何か話して間を持たせたくなる気持ちはよーくわかる。それで普通は「なにか質問はありませんか。ないならこれで終わりにしますが」とかなんとか言って次の話題に行くなりするものだと思うんですが、あろうことか会長の選んだ道はさっきまでの話題を自ら蒸し返すという……。
しかもただ蒸し返すだけでなく記者に逆に質問をぶつけるものだから記者も当然それに返答するわけで、そこからずるずると慰安婦の話が長引くことに……。そこから先の記者の発言とか、もはや質問じゃなくてただのツッコミになってるし……。
というわけで、少なくとも慰安婦の箇所については記者がしつこく誘導質問して失言を誘ったなどというのは明白な間違いで、実際のところはただの会長の自爆なのでした。ちゃんちゃん♪
会長は「ここまでいうのは会長としては言いすぎですから、会長の職はさておき、さておきですよ、これ忘れないでください。」とか言い出し、いやここ会長会見じゃんとツッコまれたら「失礼しました。全部取り消します」と。そしてもう言っちゃったから取り消せないとまたツッコまれると「いやいや、さておいたんですよ私は。あれだけしつこくね、しつこく質問されたから、私は答えなきゃいかんと思って答えましたが、会長としては答えられませんので、会長としてはさておいて、と、こう言ったんですよ。で、それが、ここは会長会見だと、じゃあ取り消しますと言ったら取り消せないとおっしゃったら、じゃあ私の、さておいては、どこにいく、どうなるんですか。そんなことを言ったら、マトモな会話ができないですよ。ああそれはノーコメントです、ノーコメントですと言ってたら、それで済んじゃうじゃないですか。それでよろしいんでしょうか。いいんなら、それでいいですよ、今後」と言ってます。
「しつこく質問されたから答えなきゃいかんと思って~」とか言ってるけど「会長の職はさておき」と言い出す直前の記者の発言は「……わかりました」だからしつこくなければ質問ですらないというツッコミはさておき、「エクスキューズをつけて発言してるのにそれを無視するマスコミはひどい!」とか言ってる人がいるんでそういう人に言いたいことがあります。
そういう人は是非、上司や社長の前で「これは社員や部下としての立場はさておき、さておきですよ、これ忘れないでください。あくまで一個人としてですからね」と断りを入れた上で言いたいことを言いたい放題言ってみてください。そして言いたいだけ言ったら最後に「今のは取り消します」と言いましょう。さておけない、取り消せないじゃまともな社内コミュニケーションなんてできないですよね。それでもしも問題になってクビにされるようなことがあったらそれはエクスキューズをつけて言ってるのにそれを無視する上司が悪いんです。きっと訴えたら勝てますよ。さあ、チャレンジしてみましょう!!
ガジェット好きな人が買って、すぐ飽きてオクに流しているのかなぁ?
だけど、短期解約繰り返すとブラックリスト入りして買えなくなるんじゃないの?
この人、いくつも『綺麗な携帯』を出品してる。業者?
同じような『個人』が何人もいて、大量の『綺麗な携帯』を出品している。
オクで端末買うだけならセフセフだよね? 恐る恐る某最新機種を落札。
入金後数時間で発送、翌日着。やっぱなんか変だ。
液晶にはフィルム(ロゴが印刷されていて付けたままじゃ使えない)が貼られたまま。
付属品は全部ある。説明書の入ったチャチなセロハンの袋まである。
糊で閉じるタイプの袋じゃなくて、熱で封をする方式の袋だから、本当に一度も使われていない。
唯一使った形跡が見られたのは電池残量。
95%充電されてた。
普通、工場から出荷されるときは3〜6割程度充電されてるよね。
でも個人が「ひと通り使ったけど状態は綺麗だよ」と、真偽の疑わしいエクスキューズをした上で、新品同然の商品を売ってる。
私、頭すごく悪いけど、棚卸しっていう言葉と、その意味・目的くらいは知ってる。
話をしたのが本当かどうかは知らないけど、実際芸で使えなくなったら殺処分するしか無いでしょう。
山に放つってのが簡単な話じゃないし、その猿自体、生きてくこと難しいだろうし、
下手すりゃそこの生態系おかしくする可能性もあれば、山下って民家に被害出す可能性もあるし。
ペットについても外来種とか本来日本に居ないものなら放つわけにはいかないから殺すしか無い。
エクスキューズの為
なんてものはあり得ない。そもそもエクスキューズになってないし。
それで、「自由意志」の定義はどこ行ったんですか。その名に恥じずどっかへ逃げ去ったわけですか。
自分が言いたいのは、「あのイラストはPCじゃない(差別的な表象としての解釈もありうる)けど、イラストに書かれた人工知能が自由意志を持って行動していると理解すれば、差別的な表現ではないという解釈もきちんとできる」ということで、そこに対してどう反論したいのかがハッキリとは見えてこなかった。「エクスキューズのためにケーブルに接続されて描かれている女」「人工の女」っていうのがどういうレトリックなのかもよくわからなかったし。
「差別的な表現ではないという解釈」は全然「きちんとできて」ないと思いますが。あなたが個人的に「自分はあのイラストを差別的表現としては解釈しない」と表明しているだけに留まっているので、説得力はないです。「イラストに描かれた人工知能が自由意志を持って行動している」という「理解」自体が曖昧かつ無理矢理で根拠を欠いているから。反論するだけの内容が伴っていません。
あと「人工の女」というレトリックがわからないということがわからない。
「血と肉と骨でできているのではない女」「デザインされ設計された女」「人間の女ではないにも関わらず人間の女性性が少なからず仮託された女」、思いつくだけの「人工」と「女」を単純に接続したものと思ってもらって大丈夫だと思いますけど。
「エクスキューズのためにケーブルに接続されて描かれている女」がわからないというのは一層わからない。「この絵に描かれているのは生身の女じゃないですロボットです」という言い訳のためにケーブルがつけられている女という意味です。「これはロボです」というアピールのための記号的なケーブルだとはあなた自身書いてたじゃないですか。
こんな仮定はしてないね。ちゃんと「このイラストからはこの人工知能が自由意志を持っていると読み取れる」って書いてるんだから、もうちょっとよく読んで欲しかった。
ああそうでしたね。すみませんでした。
するってえと三段論法ですらなく二段論法、悪くすればトートロジーということでよろしかったんでしょうかね。
「イラストの女性は人工知能搭載型のロボットで自由意志がある、従ってイラストの女性は自由意志に基づいて行動しており、使役されているように見えても実際は自由な行動であり、差別ではない」。
自分は「Aだとは決定できない」と言っているのに、あなたはどうやらそれを「Aではない」と解釈しているのかな。まぁレトリックが悪いといえばそれまでか。
「人工の女」っていうレトリックがねー、とにかくわかりにくいので、そこだけ直してください!お願い!
「A(家事労働者)だとは決定できない」に対して、「Aでないとは決定できない」という反論はお気に召しませんか。つまり「Aだとは決定できないとは決定できない」的な泥沼な反論をお望みだったんですかね。
「人工の女」に関しては変えるつもりはありません。ごく簡素な日本語ですし直しようがない。意味内容も必要十分を満たしていると思います。
いやいや、どこからそんなの読み取ったの……。ホウキを「与える」っていうのがそもそも一方的な仮定だし、「読書に耽る自由を取り上げること」に反対したかな? よくわからない。
本当によくわかってないんですね。「全く反対していない」と書いているのに何で「反対したかな?」という聞き返しになるのか。
idコールってどうやるの…記法しておけば良いと信じてとりあえず記法だけしておく。
どうかどうか、間違って別人に届いたりしませんように。
ロボットを擬人化したとき、ロボット女性と人間女性の区別ができなくなったことによる混同。比喩を比喩でなくそのまんまに受け取るようなもの。/女性差別というのは事実だが、悪くはない。相手がロボットならば。
スタンスがよくわからないんですがとりあえずツッコミどころはふたつ。ひとつは「ロボットと人間及び比喩と比喩の外をいかにして区別するか問題」であり、もうひとつは「『すべて色情を懷きて女を見るものは、既に心のうち姦淫したるなり』問題」であります。
前者について、例のイラストではそもそもロボットと人間に積極的な区別が描かれていない。
ケーブルがエクスキューズの役割を果たしていることを除けば両者を弁別する術はない。単に外見上の問題だけでなく文脈的にもそう。
このことから、アレを「比喩」として受け取るのならば、描かれている主題は「女性のようなロボット」ではなくむしろ「(従順な被使役者、被支配者としての)ロボットのような女性」であるという解釈はごく自然に成立してしまう。
比喩を比喩でなくそのまんま受け取っているほうが「ケーブルがついてるから女性ロボット」と単純に納得して終われるのであり、比喩として受け取っているからこそ「あれは『女性のようなロボット』が描かれた絵ではなく、従順で可憐で世話をやいてくれる、まるでそのために作られたロボットのように都合のいい女性像をケーブルひとつで『これは実際にロボットである』と装って描いている」という見方が可能になる。
後者について、相手がロボットならば女性差別は悪事でないというのは意味不明で、女性差別なら差別されるのは女性だしロボット相手の差別はロボット差別であると思うんですがそれは置く。えーと、ロボット相手ならば女性差別は悪ではないというのは要するに被害者が居なければ悪事は悪事でないということでありあくまで脳内妄想にとどめ続けるのならば女を使役しようと虐待しようと犯そうと殺そうと罪に問われることはないという考え方だと思っていますが、顔にも出さないレベルならまだしも学会の機関誌のしかも表紙に出ちゃったら非難は免れ得ません。ましてロボット差別でなくあくまで女性差別ときてはもはや「悪ではない」理由がわからないレベル。ぬいぐるみを殴っているから暴力ではないというのは詭弁であろうというのが当方の見解です。
悪いけど何について書いているのかわからない。
うーん、わりとがんばってわかりやすく書いたつもりだったけど、まだ前提の相違があるのかな。
自分が言いたいのは、「あのイラストはPCじゃない(差別的な表象としての解釈もありうる)けど、イラストに書かれた人工知能が自由意志を持って行動していると理解すれば、差別的な表現ではないという解釈もきちんとできる」ということで、そこに対してどう反論したいのかがハッキリとは見えてこなかった。「エクスキューズのためにケーブルに接続されて描かれている女」「人工の女」っていうのがどういうレトリックなのかもよくわからなかったし。
こんな仮定はしてないね。ちゃんと「このイラストからはこの人工知能が自由意志を持っていると読み取れる」って書いてるんだから、もうちょっとよく読んで欲しかった。
完全に「人工の女」について語っているけど、格好だけを根拠に家事労働者ではないとは言えない。というか現にホウキ持ってるのに。
ちなみに「人工の女じゃない」ものとしてあのイラストを見ると、話はもっとシンプルになる。
すなわち、明らかに掃除に向いた設計じゃない、デザインの段階で「女のかたち」に用がある向きの欲望が大きく作用している、よって性差別的である、と。
自分は「Aだとは決定できない」と言っているのに、あなたはどうやらそれを「Aではない」と解釈しているのかな。まぁレトリックが悪いといえばそれまでか。
「人工の女」っていうレトリックがねー、とにかくわかりにくいので、そこだけ直してください!お願い!
ご冗談を。あなたはそれがホモサピエンスであろうともなかろうとも、彼女にはルンバや掃除機やクイックルでなくホウキを与え、代わりに読書に耽る自由は取り上げることに全く反対していない。
いやいや、どこからそんなの読み取ったの……。ホウキを「与える」っていうのがそもそも一方的な仮定だし、「読書に耽る自由を取り上げること」に反対したかな? よくわからない。
悪いけど何について書いているのかわからない。
「人工知能」という言葉であなたが表現しているものは、どこまでも人間や女性そのものに過ぎない。
あなたの記事の「人工知能」を「女性」に置き換えると、一昔前にフェミニズムについて書かれた文章として立派に通用してしまう。
「エクスキューズのためにケーブルに接続されて描かれている女」の、当然もつであろう自由意志について述べている。それ以上のものが読み取れない。
自由意志の定義を後回しにしたのがなおのこと良くない。それはある意味で人間の定義それ自体にも等しく、そこから差別性を説明することのできる重要なポイントたり得たのに、そこをぼかされたまま「人工知能に自由意志があることを前提とする」と始められても意味がない。
「自我」「知的存在」「コミュニケーション」にしても然り。これだけ定義の広い言葉をAIがらみでポンポン繰り出されても、曖昧なイメージが飛び交うばかりで何を説明されているのかさっぱりわからない。
人工知能についてどれくらいのことを知っているの? 実際にローブナー賞に挑戦している人工知能と会話したことは?
2-2の解釈を取ることについての説明は? 何を根拠に2-2なの? 妥当性、正当性、何でもいい。
まさか自分で勝手に定義不明のままおいた「人工知能には自由意志がある」という前提にだけ基づいているわけじゃないよね?
「従ってイラストの女性は自由意志に基づいて行動しており、使役されているように見えても実際は自由な行動であり、差別ではない」
よくわからない。想定されているとかされていないじゃなくて、素直に表象を読めば「ボディを持った人工知能」以外の何物でもないと思うのだけど。
人工知能に実際にボディを持たせてもあのイラストのようにはならない。
あれが「ボディを持った人工知能である」という解釈は単に記号的に付け足されている充電ケーブルが担保しているに過ぎない。
Photoshopでケーブルを消してしまえばあれは「家政婦さんの絵」だ。それくらいあの絵は「ボディを持った人工知能」にあるべき必然性を欠いている。
だからあの絵を見る側も「ボディを持った人工知能」ではなく「人工の人間(女)」として見ている。あなたのように。
そこはそういう設定じゃないと思う。そもそも設定されていないか、あるいはホモサピエンスに対して「エネルギー補給中である」ということを示すためのわかりやすい記号。メタ的には、あの絵を目にした人が一目で「人間以外の存在である」ということがわかるようにするための記号。
都合のいい解釈だことw 元ネタが掃除機で接続がケーブルなら「休憩を入れずに充電しながらでも広範囲を掃除するため」と解釈することはむしろ当然じゃないか。
一目で人間以外の存在であるとわからせるのにいい方法なんていくらでもある。人型でありながら人間とはかけ離れたデザインにした方がよっぽど一目でわかるよ。
充電表示だってもっと直球で「充電中」とどこかに表示されるようなデザインにしたっていい。
「描いた人間がそれじゃイヤだから」以外の、そうしない合理的な理由があるなら教えてもらいたい。
ここもちょっと決めつけすぎじゃないかなぁ~。明らかに掃除に向いた格好じゃない(よくわからんワンピース)以上、本業が家事労働代行とは言えないでしょう。だからといってセクサロイドとか設定をつけるのもやりすぎ。それだけ。
完全に「人工の女」について語っているけど、格好だけを根拠に家事労働者ではないとは言えない。というか現にホウキ持ってるのに。
ちなみに「人工の女じゃない」ものとしてあのイラストを見ると、話はもっとシンプルになる。
すなわち、明らかに掃除に向いた設計じゃない、デザインの段階で「女のかたち」に用がある向きの欲望が大きく作用している、よって性差別的である、と。
これもちょっと疑問だな。人間社会では人間のようにふるまうことが、人工知能にとっては適切な行動でしょう。なにしろ世界はたいていの場合、人間のすがたかたちをした生物が最大値のフィードバックを受けることができるようにできているのだから(人工環境は勿論、自然界ですら進化論を引っ張ってくればそういうふうに言うことも可能だよね)。
人工知能は生物ではない。「適切な行動」とは「生き延びるために適切な行動」の略ではなく、「パフォーマンス最大化のために適切な行動」のこと。
人間に合わせて本を視覚で読んでいては、データを一気にダウンロードして処理した場合に比較してどれだけパフォーマンスが落ちることか。
これだけ「人工の女」として人工知能を取り扱っておきながら、実在の生きた女に対してならば当然要される配慮がこのイラストの「人工の女」に対しては行われていないというところに疑問を持っていないのが一番不可解で怖気を誘う。
家事労働を行うにあたっての作業を助けるような利便性の欠如や、読書と掃除という相性の悪い動作の同時並行を描いていること自体が、「そんな配慮が要るという発想が無い」「眉目麗しければそれでいい」ことを如実にあらわしているのに、すべてを「この人工知能が自由意志でやっている」でくるみ込んでノーコメント。
「自由意志および自我を持ち相互にコミュニケーション可能な知的存在にはそれがホモサピエンスであろうとなかろうとも人権及び契約の自由が認められうる」?
ご冗談を。あなたはそれがホモサピエンスであろうともなかろうとも、彼女にはルンバや掃除機やクイックルでなくホウキを与え、代わりに読書に耽る自由は取り上げることに全く反対していない。
いや、この感想に噛み付いてる人多いけど、別に人が作品にどんな感想を抱こうが自由(叩くこたあない)と思いますがね。みんな大丈夫か。
この意見に対しては、半分ぐらい解りつつ、半分ぐらい首を捻る感じ。映画はそんなに好きではない。
たぶん原文で「マイノリティ」としてるところを、「非嫡出子」に置き換えればたぶんもう少し通りが良くなると思う。
あの映画は例えば「生活保護」であったりとか「非嫡出子届出」のようなところについて、半狼の子供である、ということで
最低限のエクスキューズは置いているけれど、策を尽くしている感がしなくてモヤモヤするところが多い。
そのリアリティが中途半端なところを受け入れさせる手段として、「母の偉大さ」で黙らせるというのは、
あまりにも乱暴な手腕だと思う。
そして「母の偉大さ」を描いた映画だから批判しづらいって風潮がいやだ。障害者を描いたテレビ番組と一緒だ。
ていうかそもそも大学生の分際で 避 妊 し ろ や !!!!!!
あれ現実だったら花ちゃんは間違いなくキャバ嬢かソープ嬢で稼ぐコースだからな!!
でもそっちのがたぶん素直に感動できたっちゅうねん!!
http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20131118/1384775000
人を傷つけ不幸にして誰かの溜飲を下げるだけの風刺サイトなんか誰も求めてねえんだよ。 え? 求めてる人もいるって? 馬鹿野郎、そういうのはヒトデナシってんだ。よく覚えとけ。
これみて驚愕した。彼は自分のサイトを公正明大な立場から批判を行う正義サイトとでも思っていたのか?
彼のサイトをちょっと見れば分かるが「アホ」とか「馬鹿」とか見るに耐えない直接的な罵倒だらけの(と言うかそれしかない)コンテンツなのだ。
自分の気に入らない対象を叩いて支援者と一緒に悦に浸るのは、はっきりいって「虚構新聞」と何の違いもない。違いといえば虚構新聞は作り話で当て擦るが「今日も得る物なし」というサイトは直接、アホ馬鹿いって直接叩くのが違いだ。
上記の発言をみて今までその自覚がなかったのかと愕然とした。
自分も虚構新聞は不快だし、クソだとおもう。ただそれはアホ馬鹿いってる「今日も得る物なし」も見ると不快になる。どっちかのサイトを褒めてる人間はどうかしてるとも思う。
それから「今日も得る物なし」では自分が不快と感じるものに対しては平気でやめろとか言ってるので驚く。自分のサイトにあるアホとかバカという言葉が不快な人間がいないと思っているいるのだろうか?
自分が人にとって不快な事を書くのは言論の自由に保証されたことで問題ないが、自分が不快に感じるものは言論の自由に当たらないのでなくなるべきとか本気でかんがえてるのだろうか?
もし、誰かにとって不快な表現が含まれるならば、削除すべきと考えているならば、「今日も得る物なし」は罵倒表現だらけで不快なので削除すべきである。少なくとも私は不快だ。
だが私は削除すべきであるとは思わない。自分の言論の自由を訴えるには他人の言論の自由を認める必要があると思うからだ。
そもそも、私は万人にとって不快でない表現は存在しないと思っている。たとえば世の中には「子供が生まれた」という表現すら不快に思う人物が存在するのだ。
自分の不快という感覚が他の人感覚より優先されるとは私は思わないのだが、「今日も得る物なし」の作者は自分のコンテンツは削除されるべきではなく、自分の不快という感覚は他人の権利よりも無条件で優先されるべきだと本気で思っているのだろうか?だとしたら恐ろしく傲慢だと思うのだが。
全ての人間の権利が平等であると考えるのならば、自分が自由に表現を行う事を肯定するためには、自分にとって不快な表現を受け入れなければならない。
なぜなら、万人とって不快でない表現が出来無い以上、不快であるという表明で表現が出来なくならば、全ての表現はできない。
「虚構新聞」は建前上、虚構つまりフィクションだから、一応アニメや小説と同じ部類にはいる。この削除という表現規制の前例を認めるのなら、「今日も得る物なし」の作者はユニセフはアニメ・ゲーム表現規制に賛成するのだろうか?ユニセフの表現規制はゾーニングすればOKという話ではないようだが。
もっともこの作者はアニメ・ゲームが大好きで規制しようとするのは白痴みたいなこというのだが。(ちなみに白痴という単語は出版社の自主規制で出版物には使用できない)
あと、大衆を愚民だと思ってよくわからない選民を抱いているの一緒だ。「虚構新聞」は騙される人間を「釣ってる」事で間接的に馬鹿にしてる。
「今日も得る物なし」というサイトはやっぱり直接的にアホ馬鹿言ってるんだけど、このあたり同属嫌悪のように見える。
P.S
ブクマコメント一同おまえら三行以上本文読まずにタイトルぐらいしか見てないだろ。
文章の扱ってるテーマは3つくらいにわかれているがみんな最初のテーマにしか反応しない。
あと、彼自身が人を傷つける事を文章で批判しているのに、彼がそのような言動を行うの許容するのはダブルスタンダードにみえる。
内容の正しさと人格批判はわけて考えるべきというのはたしかにそう。だからこそ、内容が正しいからといって人格批判を行って意味なく傷つけていいとは思わない。内容が正しいという事はエクスキューズにはならない。
ひろゆきがアグネスdisのために日本ユニセフ協会についていやらしい書き方をしてるんだけど。
http://hiro.asks.jp/90907.html
「今一番大事なのは、子供達の為に私たちもできることを考える事です。」
と仰られていますが、アグネスさんが募金先にあげている日本ユニセフ協会は、2012年度、募金の81%しか、ユニセフ本部に送っていません。
一方、ユニセフ親善大使をされている黒柳徹子さんは、募金の100%をユニセフ本部に送っているそうです。
黒柳徹子は個人口座を2つ公開してて、そこに入金された寄付金をそのままユニセフ協会本部に拠出してるのに、日本ユニセフ協会は81%しか拠出してない。子供のためを思えば徹子に寄付するべきだ、という論法なんだけど。ようするに「金抜きすぎ」というほのめかしだ(実際、秒刊SUNDAYはひろゆきのこのエントリを「日本ユニセフピンハネ疑惑」と要約してる)。
しかし「81%を上部団体に拠出し、19%を自前の運営・活動に割いている」という経営実態は、日本ユニセフ協会のやってる活動内容を見るかぎり、相当のパフォーマンスだ。実際、ユニセフへの拠出額 | 日本ユニセフ協会を確認すれば:
がわかる。そして、日本ユニセフ協会のこの誇らしい宣言を見よ。
2012年度、当協会は、みなさまからお預かりした開発途上国の子どもたちを支援するためのユニセフ募金(161億1,252万円)の81%にあたる130億円(下記計算書の※15)を、ユニセフ本部に拠出することができました。これは、世界36の先進国・地域においてユニセフを代表するユニセフ協会(国内委員会)の中で、最高額となっています。また、81%という拠出率も極めて高いレベルを維持しています。
日本ユニセフ協会の国内活動費に使われるのは癪だから黒柳徹子氏に寄付するほうがいいのだ、という考え方もあるかもしれないし、それが一律に間違ってるとは思わない。しかし、黒柳徹子氏のWebを見る感じでは、年間の寄付額はおそらく1億には満たないだろう。そして個人口座では、130億円/年の寄付金の出納をマネージすることは不可能だ。また、善意で無償奉仕を行う個人ボランティアを引き合いに出して日本ユニセフでの19%の資金利用が「ピンハネ」「中抜き」だと叩くのは、ボランティア活動やNPO活動全体にとって、非常に悪い結果を招く。つまり:
からだ。
「100%持ち出しの金持ちをお手本にすべき」「ボランティア実務に関わる人はタダで働くべき」というイメージの流布は、こうした活動の継続性を著しく悪化させる。ボランティア系団体を無償または低コストな善意だけで廻そうとすると必ずどこかで破綻する。ちゃんと優秀なマネージャーと専従スタッフがいて、業務知識と経営資産を継承できる体制がないと、萌芽組織が生まれてはまた壊れ、そのたびに尽力した善意の関係者たちは疲弊してその世界から離脱していく。
だから海外のNGO/NPOはしっかり給料出して堅固な組織を作り、行政とも強いパイプを築いて、運動の継続性を担保する。啓発のためにはTVCMも含めて広告宣伝だってバンバン使うし、効率的な事業運営のためには報酬積んで一般企業から敏腕マネジメント招いたりもするし、運動に貢献するなら物販の収益事業だってやる。というか、強い使命感と継続の意志があるなら、早晩そういう運営に移行してくのが当然の流れなのだ。oxfamとか(RED)とか。で、日本ユニセフ協会は、古典的ながら、比較的これに近い路線で確固とした組織形成をやってきたのがうかがえる。
でも、日本でそれをやると、なぜか叩かれる要因になる。「慈善活動にはコスト概念を持ち込んではいけない」「善意の運動は無償で担われるべき」という愚かしい思い込みが広く浸透しているからだ(個人的には、これは日本財団系の「誰が金を出したかが明瞭でない公営ギャンブルの収益の一部が、社会的エクスキューズのためにドカドカ慈善活動に突っ込まれる」という様式に我々が慣らされすぎた、というのもあるだろうと思っている)。これが、慈善的な社会運動へ参加してみよう、とか、組織してみよう、という行動へのハードルをどんどん引き上げていくことは言うまでもない。そんな理由で草の根における再分配の仕組みが活性化されないのは、社会全体にとっても大きな損失なのだ。
ひろゆきのこのあてこすりが、一応は「叩き」として機能してしまう理由もここにある。ひろゆきは世間の常識にとらわれない無手勝流のように言われるけど、この件に関してはもうズブズブに因習的で俗論にまみれた偏狭な日本人だということ。
てか、長々書いてはみたけどさあ、冒頭のエントリ読めばはっきりわかるよね、ひろゆきが子供の福祉にも日本ユニセフの活動実態にも全く興味がないってことが。アグネス叩きたい一心で持ち出してきただけの話で、しかもそのロジックが粗雑きわまりない。「マクドのポテトは原価率が〜!」って得意げに吹聴する高校生とどこが違うのこれって感じ。そもそもブコメで複数の人が書いてるように、裁判に負けても借金踏み倒し続けたり納税を回避してる奴が、こんなときだけ子供の人権の代弁するようなフリして他人様の金の使い道にあれこれ口出すのがおこがましいわ。
大手の検索エンジンがバグっててこっちのサイトを検索結果に出すのはいいんだけどURLを間違えて張ってくる。こっちはエラー画面を出す。そしたらどういうわけかユーザがこっちにクレームつけてきやがった。お前は馬鹿か?こっちじゃなくて検索エンジンの方に文句言えよ。
向こうは大手。そしてユーザ。しょうがないからこっちでリダイレクトするように設定したが、納得行かないので検索エンジンの方にバグ報告出した。そしたら半年以上放置したのち「対応中です」だって。そりゃこっちはマイナーなサイトだよ。優先順位低いのよく分かるよお金払ってるわけでもないんだし。でもどうせ対応する気ないんだろ?大手様は好きな様にやってろ。エクスキューズ出したければ出してろ。
http://anond.hatelabo.jp/20131022132048
俺は別に、書いてある主旨に反対とか文句とかはないよ?
でもさあ
完全に自尊心失ってる人いるよね
それは、日本をどこと比べて?
それぐらい書けよ。
わけわかんなすぎる。
適正な世論調査の結果とかじゃないのもわかってる、
だから厳密さとかを求める気はないんだが、
少なくとも、自分は社会での地位が低いからから生きてる価値ない、とか、社会のゴミみたいな自虐は、ほとんど聞いたことない
そんなこと言い出したらすぐにカウンセリングに放り込まれるだろうし、自分で考えられる余裕のある人なら、自分でカウンセリングに向かうと思う
だから、それはどこでの話よ?
あんたがどこに在住しての話?
繰り返しになるが、あんたの印象の話に過ぎないのはわかるよ。
でも、「私がこことここの国で○年生活しての所感です」とか
そういうあんたなりの個人的なソースは書けるだろ?
何故そこを書かない?
見てる人がいるのかわかりませんが、自尊心を完全に失った人が日本にはいて海外にいないという意味ではありません。
日本以外でももちろんいると思います。日本でも自尊心失ってない人はゴマンといると思います。
こういうぼんやりグジュグジュしたエクスキューズなんかしなくていいからさ、
そんなのより前に、「何と比べてそう思ったのか」ぐらい示せよ、まず。
わかるか?
俺がなににイラついてるか。
それ以前だろと言ってるんだ。
「書ける範囲内での自分なりの根拠」を書くのは当たり前じゃないか?
なんでそこを失念したり省略したりできるんだ?
俺が要求してるのは本当に、中学生の作文でも要求されるレベルの論理性だ。
これぐらいのことをわきまえない奴というのは、どこで暮らしてても何語で喋ってても
「こいつの話はぼんやりしてるから相手に出来ないな」って扱いを受けるんじゃないか?
どこの国で暮らしてた人か知らないが。
http://anond.hatelabo.jp/20130319161249
お前みたいな馬鹿の相手してると何の刺激も歯ごたえもなく
ただこっちの脳がじわじわ腐る。
久々にログインして返信があったのを見ました。よく考えもせず噛み付いてすみませんでした。
あなたが言いたいことは分かりました。論拠をあいまいにしてしまった所をこの記事では補足します。
今回は少しは「刺激的」になるようにします。あなたは頻繁に増田やってそうな気がするので、今更このトラックバックは見ないような気がしますが。
その前に脇道にそれますが、仮に元増田のようなエントリーを書くべきではないというあなたの主張はおいといて、
逆に、愚痴に「死ね」「馬鹿」って100%の攻撃性を持って反論・提案してるあなたが、愚痴で攻撃的なことを書いちゃダメだと思う理由は何ですか?
私の主張はそもそもあなたが元増田のエントリーを「自分も守ってないようなルールで他人を圧迫して」ると認識した前提がおかしいと思っています。
私がおかしいと思う根拠を以下に述べます。これは以下のようにあなたが返信の中で指摘した私が書いてなかった根拠です。
には感じませんでした。
感じなかったでちゅか。
そうでちゅかー。
「感じました」「感じませんでした」なんて話には
せめてお前なりの理由を添えてくれないと「そうでちゅか」としか言いようがありません。
あなたが元増田のエントリーの内容で問題にしてるのは東北の食品に対する不安を主婦がつぶやくことに対して東北出身の筆者
が嫌悪感を示し、嫌味を口にしたことですよね。
どのような不安の対象にも無数のステークホルダーが居るんだからよ。
あらゆる関係者達の気分を害さない為にどんな不安も口に出さず・避けないって言うなら
それはそれで筋が通ってる。ロックだわ。
でもそうじゃねーんだろ?
筆者は東北産の食品に不安感を口にした人々に対して、嫌悪感を示す一方で理解も示しています
「残念には思うけど納得せざるを得なかったりもするわけで」
「まぁ仕方ないか、とも思うけど」
「今の事態からそういう感想が出てしまうことがどうしても仕方のないことだってことも良く知ってる」と。
これはあなたが言うような「不安を口にした人々に対して一方的に糾弾してる」ことになるのですか?
他人に対して「もっと配慮してほしかった。私はつらかった」という過去の出来事に対しての感想であって、将来的にずっと「もっと配慮してほしい」と書いてはいないんじゃないですか?
筆者自身が言っていましたがこのエントリーは愚痴です。将来に対しての主張は示されてない。
「ほんの少しの思いやりくらいはあればいいのにと思う」というのはもはや「つぶやき」じゃないですか?
配慮せよって意味は含まれてますけどベクトルが世間へ向いた「要求」と表現するような大げさなものじゃなくて、個人の内向きな「願望」でしかないのでは。
ただ、あなたはその「願望」を自分への批判なしに持つこと自体が醜悪だと言ってるんですよね。
「周りに存在する無数の関係者に対してひたすら配慮を求めていく」人が、自分が配慮を求められる側に立つことを想定する覚悟・その時を想定した自分への批判精神を持っていないのは醜悪だというあなたの主張は分かりました。
その通りだと思います。
でも私は、元増田の記事は「ひたすら配慮を求めている」記事ではないと以上の理由で思いました。