「エクスキューズ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: エクスキューズとは

2015-03-06

http://anond.hatelabo.jp/20150306170503

なんのエクスキューズなんだ?新幹線おっさんクズだしジョブズクズだし、そう語られる。ただジョブズはそのクズさよりも語られる側面が多いだけだろう。

2015-02-26

うるせえ奴ら対策予防線を貼る→いちいち予防線張ってるんじゃねえよと批判される→ここは地獄か?

映画感想でも何でもいいけど書くじゃん?「大好き!超面白かった。オレは大好き愛してる!見るのを薦めるよ!」って書く→

そうすると、暇人が「私はあなたが素晴らしい!お薦め!というので、映画を見ましたが。自分にはちっとも楽しめませんでした。お金返して欲しいくらいです。」とか言ってくる→

そういうのは二度と御免だ!と思うから、その後の感想には「決して万人向けとは言わないけど、自分には最高だった!」って書くようにする。→

今度は別のヤツが「予防線とか張ってるんじゃねえよ!100人100人いい映画なんてある訳ねえだろう。余計な御託はいらねえ!」とか言ってくる訳ですよ…

本当は、どんな自分勝手感想を書くのも自由なら、その文章でどんなエクスキューズをしようとも勝手。そのせいで多少文章が冗長になろうが勝手な訳です。

だけど、他人に指図したり暇な指摘してくる人は、他人のやった勝手自分の思い通りにならないと、腹を立てるんですよ!何ですか、その我侭さ!

本人的には「自由しろ!」と他人自由にしてあげてるつもりなのかも知れませんが、自由他人強要される事も不自由ひとつなのです。

本当に面倒くさくて仕方が無いです。

2015-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20150225095517

偉そうにネットマナーを語る奴が何のエクスキューズもなしに「直リン」という言葉を使ってるのはいただけないわ。

2015-02-21

草生える

ああ、草生えるって「wwwww」の単純な言い換えだと思ってたけど、

芝生やしますよっていうエクスキューズだったのか。

芝大量に生やす文化一部の人間に嫌悪されているからこそ

まれ言葉だなあ。

そら流行るわ。

 

(キリッとか(ステマ流行ったのもエクスキューズだし、

ネット流行言葉ってこんなんばっかか。

2015-02-15

周囲の皆さんには本当に感謝していると言ったら怒られた話

先週金曜に職場飲み会があったんだけど、そこで俺が仕事で良い成果を出したという話になり、

さすがだな、たいしたもんだと先輩方に言ってもらえたので、いい気になりそうなのをこらえ、

「いえ、自分一人では絶対何もできませんでした。皆さんが僕をサポートしてくれたからこそ、

ここまでやってこれたんです。本当にありがとうございます。この恩は仕事でお返ししていくつもりです」

というようなことを言った。

そしたらその晩、その場にいた先輩のうちの一人からLINEメッセージが来て、

「お前は人に支えてもらうことしか考えていないのか」

自分が誰かをサポートする、という発想がないようなら、俺は今後お前と仲良く仕事していくことはできない」

などと言われた。

飲み会での発言は当然この先輩に向けたものでもあったし、先輩のサポートだってしていきたいと思っていたので、

このメッセージにはびっくりしてしまい、何か誤解があるのかなと思って、

自分も人に支えてもらうばかりでなく、誰かのために力になりたい、サポートしたいと思っています

しかし、今は人に支えてもらったぶんの半分も返せていないと思っています。先輩にもこれまで助けてもらっていて、

感謝してもしきれません。その分これから返していくつもりです」

と返事したんだが、

「そんなふうに、自分が誰かの力になるという行為エクスキューズをつけるようではまだまだだ」

と返され、どう言っていいのか分からず、以降会話が途切れている。

確かに、誰かに何かしてもらったか自分もお返しに、というふうに交換条件的に他人に何かしてあげることしか

できないのは人間としてどうかと思うし、できることな自分も、無償の愛っていうと大げさだけど、見返りを期待せず

自発的に人を助けられるような大人でありたい、と思っている。それでこそ立派な社会人だと考えている。

ただ、もしかしたら、自分も後輩や友人、恋人に対して支えとなったり助けを施してこれたのかもしれないけど、

それを自分で「俺は見返りを期待せず、こんなサポートをしてきた」「頼まれたわけではないのに、人にここまでしてあげた」

などと主張することが、とても品のないことに思えてならない。

から俺もその先輩に「いえ、自分エクスキューズなしに人の力になれる人間です。誤解です」と言うことができないでいる。

自分のしてきたことや、それが職場人間関係にどんな好影響をもたらしたかをちゃんと述べることは大事なんだろうけど、

どうしても「自分は見返りを求めずに行動してきた立派な人間だ」と言うことが下品という考えにしばられ、

「いや、あのときは借りを返しただけです」「あのあときっちり奢ってもらいましたから」というようなことばかり言っている。

皆さんは、ちゃんと自分が見返りを求めず行動できる人間だって人に主張できますか?

2015-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20150205141510

違うって。そういうリベラルチックなエクスキューズも、「新しい価値観についてこれてない」んだよ。

2015-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20150202125219

何のエクスキューズも無しに「正しい文章」とか言ってる奴が「正しい文章」を理解できているとは思えないんだが…

2015-01-28

かわいいは正義

ってまじで思考停止だと思うんですよ

苺ましまろは本当におもしろくて可愛くていい作品です

この言葉のいい意味でのラジカルさが今の自体を齎しているがまったくこの言葉自体責任はない


ぶこめの指摘で気づいたが、今回の話でいう女の子、とはすべて三次元の話です

二次元女の子に対しては全くもって言及していません

私の記憶が正しければ、あくまエクスキューズ付きで、ネタで、露悪的に使う言葉だったはずだ

マジっぽくこれを言ってるひとは、

「私は性器ものを考える、全身性器といって差し支えない人間です。女の子ものしか思ってません!」

という宣言だってことを自覚した方がいいとおもう




この言葉は誰もしあわせにしない

どんなに可愛くとも、パーフェクトに自分の美を認めている女の子はいない

佐々木希だってきっと満足はしていない

そして美の判断基準において公然若さ、というものが重視されてる以上、

思春期を終えた頃から、美は日々刻々と失われるものであることを、誰しも甘んじて受け入れている

多かれ少なかれそこには絶望しかないだろう

もうカジュアル一般人女の子を消費するのまじでやめた方がいいと思う

世の女の子可愛いを過剰に意識し、崇め、可愛くないと悪であるという認識をもって生きている

最近よくいるアイドルメイドさんなどの可愛い女の子が好きな女の子、は、

可愛い女の子になりたいかどこからか学んだ消費の仕方を真似てるだけであると感じてる

ある



あなた可愛いからいいのではなく、あなたであることが素晴らしいのだ

ひとの外見についてあれこれということは下品でださくて卑しいことなのだ、という大前提が教えられてないひとが増えている気がする

それをわかっていないと、過剰に自尊心の低い女の子が育つ

ダメな男の人に夢中になりやすいのはこの手のタイプ

よくまとめられているような、ブスすぎてつらいよう(キメ顔自撮りパシャーアプリ加工済み)に、

多くの人は「思ってねーだろw」と揶揄する

でも実際問題あいうことをする子って過去に外見をばかにされたり、汚ない言葉で罵られたりしたことがある子が大半だと思う

そういう子ほど他人の外見を気にしなり、自分他人を比べたりする

過剰に美しい子と友人になりたがったり、過剰に自分より美しくないと判断した子と居たがったりする

私は美しくないとよく判断されるのでそういう子は嫌だな、という気持ちがないといったら嘘になるが

同時につらい目に遭ったんだろうな、とも同情する

生来美しい子は他人のことはあまり気にしない子が多い気がするのだ


このまま露悪的に「外見がいい方がいいに決まってるじゃないか」などと世の中が進めば、まさにディストピア

人類進歩人間の知性、モラルなどという言葉がばかみたいになる

行き着く先は差別迫害に溢れる世の中だ

役に立たないもの、すぐれていないものは居なくていい、という世界

まああまりにも飛躍しすぎているかもしれないけど

可愛い正義ではない

可愛くないこと、そして「ブス」は罪でも悪でもない

自分を軽んじる理由にもならないし、他人あなたを傷つけていい理由にもならない

外見の美しさは人間価値を左右しない

愛は消費ではない

愛されることはものになることでない

人間は道具じゃない

その大前提を、若い子たちに伝えたい

追記。

可愛いは見た目のことに限らない。

内面や行動、愛嬌やしぐさのことも含め、言うのだ。

というようなブコメしていただいた方々。

まったくもってその通りだと思います

是非、容姿可愛いに囚われている女の子が居たら、そう教えてあげて下さい

2014-12-16

http://anond.hatelabo.jp/20141215184650

この界隈には決して絡むまいとしていたが、どうしても我慢しきれないので書く。

まず言っておこう。自分チキンだ。誰かを面と向かって罵倒する度胸はないし、そもそも嫌だ。

真偽が定かでないことは保留するし、「事実だったら」というエクスキューズで人を叩くのは良くないと思っている。

から所謂ナマモノと呼ばれる「実在の人物を基にした、どこまで誇張されているか判らないもの」に対しては触れたくなかった。

だが、流石にこれは美化しすぎだ。いくらなんでもそれは良くない。

その後、彼は自分を切り売りすることでたちまち注目を集め、一躍時の人となった。一見危なっかしくもあり、同時にそれが緻密な計算によるものにも思えた。

あの人の素晴らしいところは、誰1人として邪険に扱ったり誹謗中傷したりしなかったところだ。こんな人がはてなにいただろうか。

邪険に扱ったり誹謗中傷をしないことだけが、相手を尊重することではない。

「ごめんなさい、あなた理解させるように僕はうまく説明できなかった」と言うことが、侮蔑台詞であることもある。

優しい言葉で、オフレコだと言われた話を「僕は認知します」と〆ることが、誹謗中傷に該当しないだろうか。

(通常、認知という言葉は、子供が出来たとき自分の子であると認めるという意味だ。それは、何を意味した単語だと周囲が受け取るだろうか)

一般的には重大な個人情報である病歴を披瀝した上で、離婚しますと淡々と語ることが、邪険に扱わないことだろうか。

笑顔で、優しい顔で、「止めてくれ」という相手に対して「何時でも力になるよ」とコメントすることは、本当に優しいだろうか。

前向きな提案に聞こえる「はてな村カテゴリーを作ろう」という提案は、「ファンが居て交流したいから、オマエのプラットフォームを利用させろ。バナー広告でいくら貰ってるか知らないが、定期的にトップに見えるところに自分会社エントリーを載せるぞ。リクルートするぞ。カネは出さないが、要望は当然言うぞ」というずいぶん自分勝手な言い方を、翻訳して前向きに見えるようにオブラートで包んだだけじゃないだろうか。

しかもそれが、線引きの難しい個人のブログを経由してと言う形でだ。

用法用量を守らないような薬の飲み方をしているように吹聴することは、自虐に聞こえるが交通違反自慢と同じだ。危険なのだ

「いや、僕の自業自得なんですよ。大阪に行ったかペヤングしか食べられなくて厳しいけど」ということが、「オマエのせいでカネが無くなった」と変換して相手に伝わらないと、本当に思って書いていただろうか。

貴殿馬鹿からこれ以上話しても無駄ですねという言葉誹謗中傷に聞こえ、僕の配慮が足りなかったから伝わらなかったという言葉紳士に聞こえるとするなら、それは間違っている。

netcraftさんのしたことには、面白い事もあった。会社経営は大変だろうし少なくとも現在運営されているのであれば十分に能力がある方なんだろう。

でも、やってはいけないことも多くあった。

少なくとも、忘年会オフレコの話をみんなにしたという記事については「誰も邪険に扱わないし、誹謗中傷はしていない」とは断じて言わせない。

まともな顧問弁護士であれば即座にストップをかけるレベルの内容を記事を何本も書いていただろう。

はてなブログには、今日食べた美味しい食事の写真をアップしているだけの日記もたくさんある。

彼らは一切他人迷惑をかけていないし、誰かに責任を負わせるような物言いもしないし、褒め殺しもしなければ危険な薬のみ方も示さない。

そんなひとはいくらでもはてなブログに居る。ただ、ブックマークを集めないだけだ。

netcraftさんは、面白い記事も沢山書いていた。他人から責められるような酷い記事も書いていた。

肯定も、否定もするのが、「はてな」という場所の正しいあり方のように思う。

もちろん心身の回復を祈っているが、今後は、他人を傷付けるか判断が付かない記事は、顧問弁護士や身近な人間相談してからアップすべきだと思う。

繰り返しになるが、良い記事もたくさんあった。酷い記事もあった。はてなプラットフォームただ乗りするような広告もあった。

(小さく矮小かもしれないが)はてなの築き上げたブランドやPVを横から奪って広告することが、正しい事だとは思わない。

それらがすべてnetcraftさんであり、過度に美化したり、過度に貶めたりすることは、良くないと思う。

自分商品を売ったり、自分会社を売り込むのに、はてなブックマークホットエントリーを使っているとはてな運営判断すれば、

それはスパムだと扱われても、仕方がないのではないか。

個人的には、能力のある人が「はてな村」には在村していると思うので、はてなクローンを作ってゆるく交流すれば良いと思う。

netcraftさんを美化する「http://anond.hatelabo.jp/20141215184650」は個人の感想だが、それは誰かを傷付けていると、自分は思う。

無自覚であることや善意であることは、相手を傷付けて良い免罪符にはならないと自分は思うし、はてなブックマークを利用している人達もそう思っていてくれることを願う。

2014-12-01

映画47RONIN』がぶっ飛んでいる件

ハリウッドが作る日本モノは例外なく面白い

どんなに内容がくだらなくても(実際くだらないのだが)、ツッコミどころ満載で笑えるからだ。

中国や、どこの国か分からないけど何となくオリエントな要素がごちゃ混ぜになっていたり、突然忍者が出てきたり、坊さんのように意味もなく合掌したり。

メリケン人に『時代考証』の概念はないようだ。

批判を予期してか、本作は赤穂浪士モチーフにしたファンタジーフィクションと銘打たれている。予防線を張っているわけだ。

しかしいくら『ファンタジー』と断りがあっても、『ラストサムライ』がまともに見えるほど本作はぶっ飛んでいる。

まず冒頭、モンハンに出てきそうなバッファロー然としたモンスターが現れる。

オッコトヌシ様みたいな化け物ではなく、地球外生命体みたいなやつだ。

監督の"殺る気"を感じる。

ちなみにこのモンスターストーリーの本筋とは関係がない。完全に『この作品ファンタジーなんですよ!』という監督エクスキューズである

おかしなところを挙げればキリがない。以下、ひときわ突き抜けている点だけを挙げていきたい。

まずキアヌ・リーブス演じる主人公カイ(オランダでもポルトガルでもなく英国人とのハーフという設定だが特に意味はない)

なんとなく才能がありそうだからという理由赤穂藩浅野氏に可愛がられるのだが、召し抱えられるわけでもなく身分不明なまま。

ベンチでぼぉ~っとしているキアヌみたいに、訳の分からない小屋暮らしている。足軽くらいにでもさせてやれよ。

で、なぜか徳川綱吉が赤穂に来る。んなことあるわけないだろ。

赤穂にはもう一人珍客が来る。赤穂の"隣国"長門(?)の吉良だ。……う、うん。

そして真剣を使った赤穂 VS 長門の1対1ガチ真剣バトルが将軍様面前で始まる。……う、うん(2回目)

そのバトルにキアヌが闖入し、「身元不明なキミがバトっちゃダメよ」と将軍がキレ、浅野氏は詰め腹を切らされる(物理) 気の毒だ。

キアヌは「俺は悪くない。悪いのは妖怪なんだ」とアニメみたいな言い訳をし、お取り潰しの憂き目にあった赤穂浪士たちはその言を信じる。

浪士たちは散り散りになるが、なぜか大石蔵助だけ「危険から」という理由で吉良によって1年近く投獄され、その後なんのお咎めもナシに釈放される。

晴れて自由の身となった大石キアヌ、そしてかつての仲間を集める。

ちなみにキアヌは「ゴロツキで溢れかえる出島」でファイト・クラブの真似事をしているところを大石に拾われる。私の知っている出島と違う。

仇討ちを決意する浪士たち。しかし「刀が無い」というよく分からない理由キアヌふるさとである天狗のすみか(!!)へ行く。

天狗のすみかへ行くと、スター・ウォーズヨーダチベット僧侶を足して2で割ったような生物キアヌを迎える。どうやらこの生物天狗らしい。

キアヌ天狗とちょっぴりバトルし、怪しげな妖刀を47本くらい手に入れる。ちなみに妖刀である設定は英国人なみにどうでも良く、のちの展開には全く影響しない。

赤穂藩併合した"長門"の吉良は、赤穂藩の城で妖女(狐になったり竜になったり髪がメデューサみたいになったりとキャラが定まらない)と暮らしている。

吉良を討ち取るべく赤穂に向かう浪士たちは道すがら、かつて浅野氏に召し抱えられていた臣下たちに出くわす。

   大石内蔵助「47人じゃ勝ち目ないからさ、協力してくんない?」

   元臣下たち「……はい(パイセンに言われちゃ断れないよな……)」

巻き沿いにするな。

"大勢赤穂浪士"はノリと勢いで討ち入りし、吉良と妖女を倒す。

最後、浪士たち(47人のみ)は切腹を命じられるのだが、大石の息子(赤西仁)だけは「お前、許してあげる」と将軍に言われて助かる。事務所圧力だろうか。

以上がストーリーの概略だ。

この作品、一番の被害者キアヌだろう。

2014-11-16

クソリプ

・クソリプという言葉流行る←今ここ

 

自分が発したリプライがクソリプに該当するか心配するようになる

 

・語尾に(クソリプ とかエクスキューズを付け出す

ステマ、キリッなどと同様)

 

自分自分の首を絞めるこの流れ

いったい何度繰り返すんだ

2014-11-10

鈴木大介氏の著作『最貧困女子』を読みました。

鈴木大介氏の著作『最貧困女子』(幻冬舎新書ISBN-13: 978-4344983618)を読みました。

売春などを生業としつつ、風俗世界からも、福祉からもの世界から排除されている女性たちに関する本です。

もちろん、現在のことを書いた本です。

感想を書こうと思ったら、ぜんぜん指が進まない。

読んだ直後はそうでもなくって、スラッと書けると思ってました。

何がそうさせたのか?

それは、たぶん全編に渡って通奏低音にように響く、著者である鈴木大介氏の絶叫ではないかと思います

本音を言えばルポライターとしての僕の心情は、もう限界だ。”(p.210)

当事者である女性たちに共感するのではなく、彼女たちのことを、見てしまった者、知ってしまった者としての苦しみが吐露されていました。

自分自身、短い間でしたが、かつて風俗業界の周辺で働いていたことがありました。

障害者福祉現場でも働いていました。

そして、どこでも、あっと言う間に「適応」という名の心の麻痺完了させました。

風俗世界で、絶え間ない選別が行われていることを知っています

障害者福祉世界で、それまでの生活の中で培ってしまった「面倒くささ」ゆえに居場所が見つけられない人を知っています

そのことに対して、「そういうもの」と思ってしまった自分がいます

仕事をしてお金をもらうため、そんな自分を維持するための防御として。

本の全編に渡る絶叫は、鈴木氏の「適応」しないぞ、という叫びのように思えました。

はいえ、本の記述は決して感傷的ではなくあくまロジカルです。

ロジカルでないと、見えなくなってしまうのが、最貧困女子からです。

幼少期には、家庭からはじき出され、それと連動して児童福祉から「見捨てられ」、

少女期には、地元女子グループからはじき出され、何より地元からはじき出され、

成年になって、風俗世界からはじき出されてしまった、

そんな絶え間ない選別と排除の結果、最貧困女子が生まれていると、鈴木氏は書きます

そのプロセスを実に丁寧に記述します。

丁寧に記述することで、鈴木氏は「でもそれって自己責任でしょ」というエクスキューズを封じているように思えました。

自己責任論は、ありとあらゆる立場から発せられていて、そのひとつでも「あり」としてしまえば、最貧困女子存在が見えなくなってしまう。

その不可視を最大の問題にしています

個人的に読んでいて辛くなったところは、彼女たちの成功体験と失敗体験についてのところでした。

失敗体験の話からいきましょう。

”だが問題は、その補導時の対応だ。基本的に、警察少年課や地域少年補導員、児童相談所などは、万引き少年少女補導時には親や施設先生などの保護者を呼び出すという、杓子定規対応しかしないことがほとんどだ。確かに少しは話を聞いてくれるから少女としても、『この人は頼れるかも』と淡い期待を抱くが、最終的な対応である保護者の呼び出し』『虐待する親のいる家や居心地の悪い施設への送還』は、彼女らにとっての裏切り行為となる。これがいけない。”(p.88-89)

緊急的に福祉対象となるべき状況にあるにもかかわらず、当事者自身が、頑なに福祉による救済を拒否する心情の根底には、上記のような幼い時期の失敗体験(福祉行政は助けてくれない)が横たわっている。

失敗体験は、強力に刷り込まれて、福祉による救済への反発力として働きます

次に成功体験です。

家と地元からはじき出された女の子は、路上に出ます。さしあたって必要ものは、毎夜の安全で温かい場所(居場所)です。

それを与えてくれる人間は、まず第一に買う男であり、風俗スカウトであり、アウトローセックスワーク関係者たち。

彼らは対価として、彼女たちの肉体と尊厳要求します。

(ああ、また書くのが辛くなってきた。)

彼女たちが、そういう方法で居場所を確保できたことは、成功体験となります

失敗体験と同様に、成功体験も、強力に刷り込まれて、肉体と尊厳犠牲としてその日その日をやり過ごすことへの親和力として働きます

ただし、その対価の価値が「若い女だったから」に過ぎないので、年齢を重ねたり、さら若い女性が現れて相対的若さを失ったりすることで、簡単に崩壊してしまものです。

しかし、そこに立ち止まって、こだわってしまう。

障害者福祉特に就労支援世界で、よく言葉にするのが、まさに成功体験と失敗体験です。

社会に出たことのない人や、何らかの事情社会からはじき出された人に対して、自信と経験を身につけてもらう方法として、とにかく小さいこから成功体験を積み重ねるということをします。

それを繰り返すことで、社会へ出る(戻る)ための基礎体力をつけてもらいます

はいえ、本当にそれがいいのかどうかは、当人しかわかりません。

支援する側として、この手法ですら相手によっては押し付けではないかと思ってしまうこともあります

彼女たちのケースに目を通すと、成功体験と失敗体験は、(それが外野人間が望んでいるベクトル正反対だったとしても)やはり強烈に人の心に作用するものだと、図らずも証明されてしまったような気がしました。

この本で鈴木氏は、後半で風俗セックスワークで働く女性を分類し、状況を少しでも改善するための方策を提案しています

幼少期には、子供たちが、夜でも居ることができて、ご飯が食べれて、ゲームができて、年長者になってもウザくならない(重要!)、シンプルに「居たくなる居場所」を作ること。

思春期には、街で出てしまった少女たちを「家に帰す」に終始することのない、「『少女自身による独立』への意思」を尊重した支援を行うこと。

また、少女たちが恋愛依存やすいことを肯定して、自爆的な失敗をしない恋愛ができるような「恋活」の重要性。

そして、それら全てを踏まえた上で、支援制度が整わない間の、苦肉の策としての「セックスワークの脱犯罪化・正常化社会化」。鈴木氏は、本文中で、明確に未成年者のセックスワークを「非人道的」と否定しているので、まさに苦肉の策として提案しています

そして鈴木氏は、これらの提案を、専門家でもない一介の記者が考えた稚拙な提案と、何度も何度も前置きしながら書いているのです。

その前置きの中からも、冒頭に書いた鈴木氏の絶叫が聞こえてくるようです。

「この本を読んだ」という事実を、自分自身無視できない、どこかに公開して残す必要があると感じました。

以上、『最貧困女子』を読んでのエントリを、とりあえず書き終えるものします。

2014-11-01

18禁F4U好奇心は猫をもアレする』感想下品注意】

ループする世界意味こじつけなくたって、ポストモダン動物化しなくたって、何かで性欲を正当化する必要なんかなく、いつだって僕たちにはオナニーする権利はある。

F4Uの新作『好奇心は猫をもアレする』は、ひとたび開けば一気に理性なんて吹っ飛ばし、声に出して読みたい日本語と限りない法悦が襲い掛かる、そんなステキ作品である

この一冊を開いて、一番初めのコマに書いてあるのは「ヘルス部だぁ!?」の一言である。変な部活ものがこの世の春を謳歌する現代において、逆に禁じ手なのではないか。

僕はこれから自分を打ちのめすであろうF4Uワールドへの期待に、床上手な処女のように打ち震えた。

手際よくぴゅっぴゅする導入を経て、「偏差値15学園」連作は開始される。ヒロインレイプが横行する偏差値15学園において先述のヘルス部を立ち上げ、貯めたお金で塾に行くことを夢見る黒ギャルである。奇想である。どこへ行くんだこの話。その先は是非あなたの目で確かめてほしい。その果てで、あなたはきっと「偏差値」という単語の持つポテンシャルを知ることとなるだろう。

さてさて話はかわるが、読者諸賢もご存知の通りエロ漫画において女の子行為に及ぶエクスキューズは数多く存在する。そして、どの「なぜ」を選ぶかには、作家性が色濃く現れる。

らぶらぶえっちがあり、無理やりから快楽堕ちがあり、悪堕ちがあり。中には、極端に人口上の男女比が崩れ女は牝奴隷と化している、機械人類の観察のために性行為を模するなど、世界法則を歪めるレベルエクスキューズSFというジャンルに一歩も二歩も足を踏み入れた作品も少なくない。

好奇心は猫をもアレする』では、凌辱系にしろらぶらぶ系にしろ、とにかく女がペニス(作中の言葉をひくなら“そう、それは――ちんぽと呼ぶには、あまりにもペニス”)を求めて堕ちてゆく。

エロ漫画ってそういうものでしょう、と紳士たるあなたは思うかもしれない。

しかしそこはF4U真骨頂、堂々たる男根で牝を盛らせ、攻撃的なまでに擬音を響かせながら堕としていく様は迫力すら感じられる。中出しした後に膣から溢れ出る精液から生命匂い立つ。

言葉で、絵柄で、セックスに至る過程を暴力的なまでに納得させられている。その独特な言語感覚に支えられた強烈なドライブ感に、F4U作家性があらわれている。

思うにF4Uの凄味は、可愛い女の子描写(頭身高め、ヤンキー優等生、地味子、巨乳貧乳何でもアリ)、ダイナミックな構図作り(魅せるための体位作り!)だけではないのだろう。

それらに加えて、底抜けに力強いちんちん賛歌があるのではないか。どいつもこいつも血管の浮き出た逸物をビキビキイキり立たせ、牝を思うがままに喘がせている。

F4Uの描くちんちんは、物言わずともその在り様で雄弁に語る。早く挿入れたいと切なげに、女を牝に引きずり堕としたいと猛々しく。

「カラオーケストラ」では優等生らしいJKに自ら笑顔でチンポを求めることを強要して内側から精神破壊し、「忘れ××もの」では処女からセックス中毒に堕とした元カノに真の絶頂を思い出させている。

F4Uの作るエピソードには、どれにもチンポへの畏敬の念が通底している。本作のカバー下でも、チンポ作画に関するこだわりを見せている。そのチンポへの飽くなき追求、はもはやちんちん賛歌の域にある。

これは私見なのだが、エロ漫画可愛い女の子ちんちん賛歌の両輪で駆動する地獄であるエロスナルシシズム幸福マリアージュと言い換えてもいいだろう。

性的欲望を向けるに足りる対象と、欲望やその持ち主自身肯定する象徴としての力強いペニス特に後者は、露出された欲望を雄々しいもの女性から欲望されるもののものとして描いていることで、読者から理性を引き剥がすための後押しとなりうる。僕たちはヒロインたちに欲望を肯定され、ガチガチ男根背中自分を重ね、ひととき獣に戻る。男根によって世界に没入し世界と繋がり、猫をもアレしているのは、きっと僕たちだ。

理屈をこねまわすのは終わりだ。サタデナイトオナニーフィーバーキャノン先生も言っている。

さあ諸君。知恵の実なんて吐き捨てよう。猫に戻ろう。めくるめく夜を始めよう。

https://www.wani.com/4862693318/

2014-10-19

クソリプ

・クソリプという言葉流行る←今ここ

 

自分が発したリプライがクソリプに該当するか心配するようになる

 

・語尾に(クソリプ とかエクスキューズを付け出す

ステマ、キリッなどと同様)

 

自分自分の首を絞めるこの流れ

いったい何度繰り返すんだ

2014-10-18

人身事故って連呼されるのいや

人身事故って気軽に言うけど、自殺だよな(そうじゃないこともある)これを連呼するのは自殺報道ガイドラインとかガン無視ってことか

まぁ鉄道会社からしたらエクスキューズなんだろうが、

なんなんやろな。この感覚

乗れば人身事故、降りれば人身事故、大変申し訳ない。

大変申し訳ない。誰かが死んだせいで遅らせて大変申し訳ない。

星新一でもかけない、すげー世界だな

2014-10-14

リテラシー的にどうなのと思った話

はてなブックマーク - 『江戸しぐさの正体』重版に寄せて—— 一枚の写真から感じる日本の義務教育の「危うさ」 | 最前線 - フィクション・コミック・Webエンターテイメント

些細な問題なんだけど、はてなーがまるっきりスルーしてしまうのもどうかと思った。

試し読みhttp://ji-sedai.jp/book/publication/works/edo_02.pdf

ここのP42、「傘かしげ」に関する批判根拠として、色々気になる箇所がある。

まず、名所江戸百景を例に挙げ「雨の中、蓑傘を着た人に混ざって(略)しばしば傘をすぼめるようにして持っている。」

このあたりで引っかかったので、ちゃんと調べて見る必要があると思ってまあググった。

なんで引っかかったというと、広重の名所江戸百景のすぼめた傘の話に【大はしあたけの夕立】がまず思い出され、

いやそれは雨や風の激しさを表現する情景描写手法というのが一般的認識じゃないかとモヤモヤたからだ。

google:image:浮世絵 傘

その後すぐに検証しなかったのはホッテントリを消費するブックマーカーの性である

さてそういう訳で、和傘に関する認識が、確認のためにぐぐってみればみるほど、ちょっとおかしいなと感じてしまう。

「そして、和傘はスプリングが入った洋傘に比べ、すぼめたまま手で固定するのが楽な構造になっているのだ」

とあるが、和傘は骨が多く、水を含む和紙を使う。

のしみこんだ重い和傘(番傘)を、ずっとすぼめて手で支えるというのは重くないか?おまけに両手を常にふさいでしまう。

和傘は広げて固定して肩で支えるように使うもの、というのがしっくりくるんじゃないだろうか。

また日傘にわか雨用途と思われる、蛇の目傘は二段階に固定できる構造で、やや綴じ気味にして差せる事も無視してないか。

思うに、洋傘=スプリングという認識から、和傘と洋傘の違いを、ジャンプ傘の発明混同してるんじゃないかなあという疑いを持った。

もう一つ、すれ違いに関する記述も気になった。

和傘は雨で濡れる和紙であり、傘同士が触れ合うとお互いの骨で簡単に破れてしま欠点無視している。

いやこれ、批判対象として引用分中で「...とともに、ぶつかって傘を破らないようにする実利的な意味も含んでいた」とエクスキューズしているんだけども。

さらに、江戸路地で「傘かしげ」を行うには別の問題もある...」

の段。そもそも、江戸庶民に雨具として傘が普及してなかったのではないか?であれば、そんな問題は起こらないのではないか?

と色々気になったが、雨の中で番傘を差す、という経験がないので評価が難しいけれども、総スルーはいかんと思った話。

2014-10-06

64のマリオジュゲムがすごかったところ

64のマリオってのはすごかった。新機種を担う任天堂の全力投球だった。

今日指摘したいのは、マリオの動きをジュゲム撮影している、という構造がすごいという点だ。

すなわちゲームで描かれる世界が誰の視点のものか? という問題へのエクスキューズとしてジュゲムがある。

ジュゲム撮影していることで、なぜ私たちマリオを見ることができるのか? という問題を(ゲームの上ではあるが)見事に解決させている。

かつてファミコン時代私たちマリオを横から俯瞰して眺めていた。

マリオは左から右へ進んでいく。よく指摘されることだがこれは実は冷静に考えておかしい。

マリオクリボージャンプすることでしかかわせない。横にかわせない。

そして、そんな構成私たちは横から見ている。

プレイは勿論快適にできるが、視線問題現実的ではない。ゲーム的な表現で言うとリアリティがない。

3Dへのあこがれがゲーム進化とともに現実になるにつれ、よりリアルゲームが生まれ始めた。

その一つのメルクマールとなったのがニンテンドー64だったわけだが、その旗手ともいえるゲームマリオ64ファミコン以来の視線問題クリアにした。そう、ジュゲムのおかげで。

現在多くのゲーム3D空間自由に移動できるものになっている。中にはキャラクター視線のものプレイできるものもあるだろう。

しかし一方で、何らの前提もなしにキャラを後方から眺めて操作するゲームがかなりあることは改めて留意すべきだろう。

そのキャラを後方から眺めていられるのはなぜなのか。誰がキャラを後方から眺めているのか。どうして私たちは後方から眺めてゲームをすることが許されるのか。

実はこうした点は、ファミコン時代の奇妙な俯瞰問題が通底している。視線リアリティが欠如しているのだ。勿論プレイは快適にできるのだが。

マリオ64ジュゲムってのはそういう意味作品リアリティをもたらしている。

リアリティってのは何もゲーム中に美しい、現実に近い風景を描き出すだけにはとどまらない。

実はジュゲム3D時代の影の功労者なのだ

2014-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20140926124913

自分がわからないものを頭から否定するのはどうかとは思う」というエクスキューズが入ってるんだからいいんじゃねぇの。

いやよくないだろ。

http://anond.hatelabo.jp/20140926124551

自分がわからないものを頭から否定するのはどうかとは思う」というエクスキューズが入ってるんだからいいんじゃねぇの。

おまえらも実際にそこにいたら迷惑に思うはず」と主張している人に対するカウンターなんだしさ。

2014-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20140910144641

とある武道を習ってる」の増田です。

そうだよね。他人の体に触れるわけだしエクスキューズ必要だと思う。

「やってられないな」とか書いたけど、触る時は一声かけてる。

「触りますよ」だとちょっとストレートから「手をちょっと動かすよ」とか「背中押すよ」とか言ってる。

元増田の話みたいに、「胸を張れ」ってのは「しゃきっとしろ」とかの方がいいのかな。

慣用的な表現でも、性的連想をさせる言葉はまずいんだろう。

配慮必要だけど、人によって捉え方が違うから難しい問題だな。

2014-09-04

マクロ的なコンテンツは引っ込んでろよ!!!!!!

ナレッジタスクが終わったらふたりで「語り」 にアクションを起こすアグリーしてたのにシリコンバレーデカイだけのマイノリティフェーズが同行したいって言いだして超むかつく

こっちはペンディングがないんだよ!軽いモチベーションロングテールすんじゃないよ彼氏いるドライブ

意識の高い奴が帰社したらASAP出れるようにタスクバッチリ終わらせたのにノマド的な全部パーに携わる

若くてマクロ的なコンテンツが相手じゃ勝ち目ないじゃん

マクロ的なコンテンツが憎い・・・シリコンバレーだけで世渡りしやがって

シュリンクしたコンテンツの苦労なんかコアコンピタンスわかんないんだろうなポテンシャル

若い子にマクロ的なコンテンツマジョリティ化してきてるモチベーションがしてマターに焦る

ちくしょう

飲み屋一軒でマクロ的なコンテンツと帰りやがったよバカ野郎

素敵な未来会社いかねえ

エグゼクティブ2行は昨夜ローンチ時半頃追記だよマイノリティ。今はコミットメント12オポチュニティーポテンシャルトラバ共そこ化までエクスキューズしなきゃエコ胸なだけじゃなくM3層ハンドリングポテンシャル

原文:巨乳は引っ込んでろよ!!!!!!

翻訳ビジネッシュ翻訳

http://bizwd.net/?h=52c51591f0e31809fb624e7e1942d134

2014-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20140903101818

これが人気エントリーになるようなら続けて書いていきたいと思う。

2chとかでよくある「需要があれば書きます」的かまってちゃんスピリットを感じる。

あの言い回しきらいなんだよね。

そんでそのあとにもったいぶって「では書きます」とかで書き出されるとほんとぶん殴りたくなる。

何かっこつけてんだと。

本音はただ語りたいだけのくせして、他人から求められたから仕方なくってスタンスをとることで、失敗したときエクスキューズを事前に用意しとく的な、図々しいくせに卑怯チキンなやつ。

あ、中身は別にどうでもいいです。

2014-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20140721150354

そもそもエクスキューズになってないしアニメ見てるからきもいと言うより

こいつはきもいからアニメ漫画ゲームが好きで女児欲情して右翼やってるだろって決めつけるのが主流

アニオタからってキモい犯罪者予備軍って決めつけるな!

っていうけど、そのアニオタっていう偏見が世の中から消え去ったら、

キモいアニオタは本当にただのキモい人になっちゃうんだよなあ…

からオタクへの偏見をなくしたい人はそれが本当にアニオタにとっての救済になるかよく考えた方がいいと思うんだ

アニオタっていうエクスキューズがあるから多少変わった言動もああ、シカタイネで済まされるって一面もあるんじゃないか?

2014-07-17

http://anond.hatelabo.jp/20140717124920

近藤が叩かれているのを見て、おまえはありがちな逆張りを考えた。

悪人をひとりひとり潰すのではなく悪事の原因となるものを潰そう」という考えだ。

おまえはその「悪事の原因」を「医療の不完全さ」に求めた。

から悪人よりも医療の不完全さを非難すべきだ」という主張を展開した。

個別の悪人はいわば「小悪」であり、

その原因となる医療の不完全さこそが真に非難されるべき「大悪」である

というような論調だ。

しかし、医療の不完全さは「解決されるべき問題」ではあっても「非難されるべき問題」ではない。

医療の不完全さを非難してもガンの特効薬が完成するわけではないのだ。

よって、非難されるべきは悪人のみであり、医療が不完全であったところで、悪人の悪が減免されるわけではない。

「俺はどっちも悪いって言ってるよ」というのは出来の悪いエクスキューズにすぎない。

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