ネットでとある有名な詩人が優れたポエムを書いていた。それを某2chで紹介した人がいたんだよね。
自称プロポエマーの俺から見てもそのポエムは凄いもので、「はああああああ、こんな凄い詩があったのか!」と感激した。この感動をみんなと分かちあいたい。さあお前ら絶賛したまえ。そんな気持ちになった。
ところがどっこい、これがもう酷評の嵐だったわけよ(笑) 代表的な感想が「痛い」「アイタタタタ」。
どないなっとるねんこの世の中ァ!もうこれはポエムとしての出来どうこうじゃなくて、ポエムというもの自体に「痛い」「厨二的」といったレッテルが貼られてる。
そういう時代なのだな、特にネットはそういう身も蓋もない文化なのだな、と衝撃を受けたと同時に納得した。納得したらポエミーな笑顔がこぼれた。
で、ここで考察を終えては建設性がない。なぜ痛いのか?そこを考えてみたい。ポエマーなそこのお前は必見だ。
私見では「痛い」の思想は、日本古来の恥の文化なんだよね-。正確にいうと恥の文化から派生したのが「痛い」の文化。
つまりどういうことかってーと、ポエムがここにあったとするわな。それを自分が書いたと想定するわけだ。そして「うわ!これはハズい!」と思う。これが「ポエムが痛い」って感覚。
日本語を学んでいる外国人よ。これが日本の「痛い」の文化だ。分かったかね?
この感覚の強烈さは日本特有だと思うよ。海外でもあるけど、外国人は日本人みたいに自虐的な人少ないから。だから自分が書いたと想定しても、「うわはずっ!」にはならず、「痛い」が分かりにくい。
もちろん外国人といっても様々だ。中には自虐的な国とか自虐的な個人もいるだろう。そういう人は日本の「痛い」の文化に造詣が深いと言える。
いや、言えないけど。素質はある。少なくともぷにぷにぽえみぃがカブトボーグなど比べものにならぬ位の黒歴史アニメだということは痛いほど理解できるだろう。
さて。ここまででだいたい、厨二とかポエムとかが日本でことさら「アイタタタ」扱いされる理由(わけ)が分かったろう。そうだろう。
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続いては自虐という心理について解剖してみよう。現代人は自虐という病理に突き動かされて日々過ごしていると言っても過言ではぬわーい。じつに根深いものなのだ、自虐というものは。
だもんで、当然現代人特有の「痛い」とも密接に繋がってくる話だ。
手始めに「自虐風自慢」という学術用語があるな。これは自虐という体(てい)で堂々と自慢しようという魂胆よ。と思いきや、そうじゃない場合もあって、ほんとに自虐していることもある。
例えばイケメンがその容姿と少しでも関連する(と解釈できる)自虐をしようものなら、立ちどころに自慢と捉えられてしまう。かやうなる現象も「自虐風自慢」だ。
で、問題となるのは前者だ。なぜ自慢するのに自虐のフリしないといけないのか。自虐の構え(ポーズ)してるだけで実質自虐してないのはミエミエなのに、
なぜ人々は自虐の構えが免罪符(エクスキューズ)として通用すると思ってしまうのか?これらの問いに答えるにはたった1つのことが分かっていればいい。
アニメを引き合いに出したいのなら一昔前の作品でやるのはやめようぜ 痛いからw
さっさと酒抜いて寝ろ
まつたけお前たいがいにしろよ?うるせえわ。 これ以上荒らすのなら通報しようか?
そのポエムって「そこそこ良い(人によってはすごく良い)」程度のもんで、インパクトや突き抜け具合がちょっと足りなかったんだろうな。 某久保TITE師匠のポエムは痛いのが突き抜け...
「なぜポエムは「痛い」のか?」について一切言及されてないのがとても残念です
今の日本のネットは高二病全盛の時代ですから 自信は悪、出る杭は打つ、はみ出してはいけない、叩ければ何でも良い。 そんな感じ。
ここの事案で見ないとたたかれてる人がいいわけしてるだけかもしれないからなあ