2013-11-19

不快コンテンツ今日も得る物なし」は虚構新聞を批判出来るの?

http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20131118/1384775000

人を傷つけ不幸にして誰かの溜飲を下げるだけの風刺サイトなんか誰も求めてねえんだよ。

え? 求めてる人もいるって?

馬鹿野郎、そういうのはヒトデナシってんだ。よく覚えとけ。

これみて驚愕した。彼は自分サイトを公正明大立場から批判を行う正義サイトとでも思っていたのか?

彼のサイトちょっと見れば分かるが「アホ」とか「馬鹿」とか見るに耐えない直接的な罵倒だらけの(と言うかそれしかない)コンテンツなのだ

自分の気に入らない対象を叩いて支援者と一緒に悦に浸るのは、はっきりいって「虚構新聞」と何の違いもない。違いといえば虚構新聞は作り話で当て擦るが「今日も得る物なし」というサイトは直接、アホ馬鹿いって直接叩くのが違いだ。

上記の発言をみて今までその自覚がなかったのかと愕然とした。

自分虚構新聞不快だし、クソだとおもう。ただそれはアホ馬鹿いってる「今日も得る物なし」も見ると不快になる。どっちかのサイトを褒めてる人間はどうかしてるとも思う。

それから今日も得る物なし」では自分不快と感じるものに対しては平気でやめろとか言ってるので驚く。自分サイトにあるアホとかバカという言葉不快人間がいないと思っているいるのだろうか?

自分が人にとって不快な事を書くのは言論の自由保証されたことで問題ないが、自分不快に感じるもの言論の自由に当たらないのでなくなるべきとか本気でかんがえてるのだろうか?

もし、誰かにとって不快表現が含まれるならば、削除すべきと考えているならば、「今日も得る物なし」は罵倒表現だらけで不快なので削除すべきである。少なくとも私は不快だ。

だが私は削除すべきであるとは思わない。自分言論の自由を訴えるには他人の言論の自由を認める必要があると思うからだ。

そもそも、私は万人にとって不快でない表現存在しないと思っている。たとえば世の中には「子供が生まれた」という表現すら不快に思う人物が存在するのだ。

自分不快という感覚が他の人感覚より優先されるとは私は思わないのだが、「今日も得る物なし」の作者は自分コンテンツは削除されるべきではなく、自分不快という感覚は他人の権利よりも無条件で優先されるべきだと本気で思っているのだろうか?だとしたら恐ろしく傲慢だと思うのだが。

全ての人間権利平等であると考えるのならば、自分が自由に表現を行う事を肯定するためには、自分にとって不快表現を受け入れなければならない。

なぜなら、万人とって不快でない表現が出来無い以上、不快であるという表明で表現が出来なくならば、全ての表現はできない。

虚構新聞」は建前上、虚構つまりフィクションから、一応アニメ小説と同じ部類にはいる。この削除という表現規制前例を認めるのなら、「今日も得る物なし」の作者はユニセフアニメゲーム表現規制に賛成するのだろうか?ユニセフ表現規制ゾーニングすればOKという話ではないようだが。

もっともこの作者はアニメゲームが大好きで規制しようとするのは白痴みたいなこというのだが。(ちなみに白痴という単語出版社自主規制出版物には使用できない)

あと、大衆愚民だと思ってよくわからない選民を抱いているの一緒だ。「虚構新聞」は騙される人間を「釣ってる」事で間接的に馬鹿にしてる。

今日も得る物なし」というサイトはやっぱり直接的にアホ馬鹿言ってるんだけど、このあたり同属嫌悪のように見える。

P.S

ブクマコメント一同おまえら三行以上本文読まずにタイトルぐらいしか見てないだろ。

文章の扱ってるテーマは3つくらいにわかれているがみんな最初テーマしか反応しない。

あと、彼自身が人を傷つける事を文章で批判しているのに、彼がそのような言動を行うの許容するのはダブルスタンダードにみえる。

内容の正しさと人格批判はわけて考えるべきというのはたしかにそう。だからこそ、内容が正しいからといって人格批判を行って意味なく傷つけていいとは思わない。内容が正しいという事はエクスキューズにはならない。

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