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はてなキーワード: 自発的とは

2020-07-05

感想を金で買った話

あらゆる同人女にとって、何より欲しいもの感想である


と、いきなりクソデカ主語で失礼するが、一次創作でも二次創作でもイラストでも漫画でも小説でも、なんらかの作品を自ら作り出し、ワールドワイドウェブに公開し、あるいは大枚をはたいて本を刷っているひとは、少なからず反応が欲しいものなんじゃないかな、と私は思うわけ。

感想が欲しいか創作してるわけじゃないけど、でも、書き上がったものに対しては「どうだった?」って聞きたくなる。


え、ならない?

身近に感想不要派のひともいるし、全員がその限りではないことはもちろん分かっている。

欲しい反応だって言葉なのかRTなのかイイネなのか、はたまた本を買ってくれることなのか、人それぞれだということも分かっている。


まあそういうわけで、つまり 私は とにもかくにも感想が欲しい。

この「感想」というのもまた捉え方が人それぞれなので厄介なんだけど、私は『感想とは:作品を読んで思ったこと』と定義しています

純粋に読んで思ったことなので、それは「つまらん」とか「意味わからん」とか「冗長」とか「漢字が読めない」とか、そういうあらゆるネガティブなことも、当然「感想」に含まれると思っている。

そういうのもぜーんぶひっくるめて、私は感想が欲しい。

自分の書いたものが、どのように受け止められているのか、それが知りたい。

いたこと、書きたかたことが読み手に伝わっているのかどうかを、確認したい。

もちろん、褒めてもらえたら嬉しいし、けなされたら凹むんだけど、でもそれを知ることで、得るものがあると思っている。


と、いうわけで、コミッションサイト感想を買ってみた感想を書きます

<本題ここから


今回、こういう依頼をするのは初めてだったので右も左も分からない状態だったんだけど、ともかくとあるコミッションサイト登録して、そこから

感想書きます」と募集しているクリエイターさん、かつ自分作品を読んでくれそうな人(クリエイターさんによって受付条件がいろいろある)を一晩かけて見繕い、複数人に依頼してみた。

ちなみに、私は版権二次小説同人誌を書いている腐女子なので、そういうのが万事OKクリエイターさんにお願い。


結果、分かったこと。


クリエイターさんによって、仕上がりにものすごくバラつきがある

感想はいいぞ


この2点です。


私が登録したコミッションサイトでは、こちらが提出する文章の量に応じて値段設定してる人がほとんど。

依頼するときに、作品情報と同時に作品自体も提出したので、それを見て、価格や、依頼を受けるかどうかの判断もされていると思われる。

こういうのって、クリエイターさん側も成果物サンプルを上げていて、それらを見てこちらも誰に依頼しようか判断するものだと思うんだけど、

感想に関しては、成果物の例を上げているひとが誰もいなかったので、この時点では、どんな形式でどれだけの分量の感想が返ってくるのか、見当もつかない状態

募集要項に書いてあることを熟読しても、仕上がりのイメージはまったく湧かない。


まあこの手の市場はまだ発展途上というか、醸成されてないだろうから、お互いに手探りなのは仕方ない。

よう分からんけどまあええわ!!なんかいい感じによろしくたのむで!!と思いながら依頼ポチー!

そんな感じで、クリエイターさんと何往復かやりとりして、価格納期相談し、時がくると、感想文が納品されてくるシステムです。

よう分からんと書いたけど、このやりとりの時点で、クリエイターさんの作風(?)というのがだいたい分かってくるので、この時になんとなく仕上がりが察せられるんだけどね。

あっさりめとか、分量多めとか、なんかそういうのが漠然予測できる。(そしてその予測は的中した)

同じ小説を提出しても、返ってくる感想千差万別。分量も、感想テンションも、形式も、ほんとうに人それぞれ。

けっこうあっさり、さらっと流し読みしたのかな?って感じで、それはつまり「つまらなかった」(と直截には書かれてないけど)という感想かな、と思えるものから作品引用して一文ごとに詳細に感想を記してくれるものまで、ほんといろいろ。

まさに、私の小説を読んで各々が「感じたこと」を書いてくださったわけですよね。ありがとうございます。こんなとこで言うなて感じだけど。どれも、全部心からありがたかったです。

ここで、実際に納品された感想がどんなだったかを詳しく紹介したいとこだけど、互いに身バレしてもアレなんで控えます

実際に頼んでみるといい!!!


そういうわけで、依頼の時点では何が来るのか分からない、というのは良くも悪くもあるかな、と思いました。

自分の欲しい感想(見てほしい部分)がはっきりしている場合は、それをきちんと要望として出した方がいい。

例えば小説だったら、印象的だった一文を教えてほしい、とか読んでいてひっかかった個所を指摘してほしい、とか。

当たり前のことだけど、読み手としても、どういう視点で読めばいいのか迷うと思うので、漠然としているよりは着目してほしい点をはっきりさせた方が、お互いのためになる。

そのためにはまず依頼する側が、何を望んでいるのか、自分の思う「感想」とは何なのか、きちんと自己分析する必要があるとも思うけど。(自戒を込めて)


欲を言えば、クリエイターさん側からテンプレートというか…こういう点を見てこういうコメントしますよ、みたいな作例があると、さらに良いかなーとも思いますけど…。

それこそ、ジャンプのアンケはがきみたいなのでもいいし、よくTwitterとかで見かける、同人誌感想シートみたいなのでもいいし。

それをクリエイターさん側が作るのか、依頼者側が作るのかって話にもなるけど。

感想書きます!と募集しているからには、クリエイターさんなりの感想論というものがそれぞれあるはずなので、それが分かる何かがあらかじめ提示されていたら、依頼者としても自分の欲しいものマッチしたクリエイターさんを見つけやすいし、お願いしやすいんじゃないかな?

とはいえ、提出されたものによって、出てくる感想バラバラにはなるだろうから、一概にテンプレ化もできないのかもしれないけどね。


あと、感想どころかふつ~~~に校正とか校閲的な指摘をしてくれるクリエイターさんもいて、(これは、私が忌憚のない意見要望したこともあるとは思うけど)、入稿する前に校閲をお願いするのはありありのアリだと思いました。

多分、私は継続的にそういう使い方をすると思う。



そもそもお金を出して感想を書いてもらうってどうなの???と思われるかもしれない。

私も正直迷いました。

だってふつうに同ジャンルにいる人たちとは、互いの作品萌えたら感想を言い合ったりするわけで??

しかしたら相手義理で言ってくれるのかもしれないけど、それでもそれはある種の好意(あるいは厚意)として、もしくはなんか言いたいから(萌えたから)という理由で言ってくれているわけで???

そこに、「対価」という概念存在しない。はず。

それなのに、お前は感想を「買って」喜んでいるのか!!!!そんなに感想がほしいのかこの恥知らず!!!と思われるかもしれない。


でもね、ジャンルからの「自発的感想」と、「対価を払って得た感想」では、なんというか、土俵が違う。全然違う。

うまく言えないけど、「高級懐石料理」と、「風邪ひいたときにお母さんが作ってくれた大好物プリン」くらい違う。比べることなどできない。


どっちも違ってどっちも良い。どっちも良いんだ!!!

私はどっちも欲しいです。

anond:20200705141312

よりにもよってツイフェミが「女性だと認められたければ認められるよう見なりを努力しろ」って意見を言ったり同調したりするのが最高に笑えるんだよなあ

それてめえらが普段散々文句言ってるやつじゃん

自分の気に食わないファッションやら化粧やらを全部「男や社会から強制で私の自由はどこにもない」みたいなことばーっか言ってるでしょあいつら

そうやってよそから「女らしさ」という規範押し付けられるのは人一倍嫌うくせに、てめえの規範トランス押し付けるのは一向に構わねえっていうんだから、まあ素晴らしいよね

トランス前にした時だけ「私たち自発的女性をやっています」みたいなツラすんじゃねえって思っちゃうだろそりゃ

anond:20200704213154

そうは言っても機械人間が設定しない限り自発的欲望を持って何かを求めたりしない。

まり機械人間よりも高い供給能力を持つ可能性はあっても人間がいない限り需要を生み出すことができない。

2020-07-04

20台代の若い子が 200人検出となると 2万人規模で検査を受けている まぁ 1週間で14万人ぐらい 20代前半が検査を受けている それも 東京

 

自発的に?って怖いニュースながすな さすがだな

2020-07-03

インド大運動会さんの炎上について思う事

推敲もなにもしないで書きなぐっていくので読みづらい部分はご愛敬

わたしは元々pixivにアップされていた彼女作品を何作か読んだ。

キャラ崩壊したラインのやりとりや、小説においての新しい切り口等が、それまでアップされていた作品とは一風違っていたから、目を惹いた。イベント通販もされていたが、特に購入しようとは思わなかった。その程度のファンだった。

両手を挙げて「大ファンです!」という程ではないが、「この人は本をたくさん読むんだなぁすごいなぁ」とは思っていた。

6月初旬頃に、彼女がアップしたプライベッターを読んだ。以前より彼女二次創作においてルールを守っていないことについて意見を述べているひとがいるのは知っていた。

正直わたし二次創作ルールはよくわからない。グレーゾーンからとか、売り上げで利益が云々とか、彼女現在ジャンルがDなのでルールに厳しくて…等、奥が深すぎて全容を掴めていない。

なので、その部分について、裁判官でも弁護士でもないわたしが、著作権云々のことに述べるのはやめておく。専門分野は専門家に任せるのみ。

わたしが心に引っかかっているのは、彼女プライベッターにもある<ツイッター上での暴言>の部分に関してだ。

わたしは、彼女作品のゆるいファンであると共に、ここに描かれているネイルデザイン絵師さん、ヒプマイ絵師さんのこともフォローしている。

TLに流れてくる彼女らのイラストを見て、時には引用で、時にはマシュマロ感想を送ったこともある。インド大運動会さんと同じ(もしくは絵師さんに対してのほうが少しだけ熱心な)ファンなのだ

純粋な疑問として、まずなぜ2年間もの放置していたこの内容を今になって認め、謝罪しようと思ったのか。それが疑問の始まりだった。

このプライベッターをアップする理由はやはり、炎上の沈下なのだと思う。そもそもが「騒動に対しての謝罪なのだ

騒動に対しての謝罪騒動に対しての謝罪???この<ツイッター上での暴言>に関しては、謝るべきは暴言を吐いた相手であるわたしたちにではない。

彼女は「作者様と連絡を取る手段がなく、直接の謝罪はできておりません」と述べているが、相手からブロックされているということなのだろうか。それとも作者のアカウントがわからないということなのだろうか。

いや、そもそも。直接謝罪をしようと、アクションを起こしたのだろうか。

「連絡が取れれば直接謝罪する」とあるが、それは「こちからは連絡できないので、相手からコンタクトがあれば直接謝る」という、条件付きの謝罪ではないのか?

正直、第三者からでもその絵師さんが誰なのか特定することは簡単だし、「謝意を伝えたいので取り次いでほしい」と誰かに頼むこともできると思う。

彼女は、謝意を本気で伝えたいと、思っているのだろうか。

相手が直接連絡を取りたくないということであれば、弁護士を通して伝えます」という部分にも、疑問符だらけだ。

弁護士とは、本来加害者Aさんが、被害者Bさんに謝罪を伝えたい。しかしBさんはAさんと直接話をしたくない。だから間にワンクッション挟むために雇う」ものだと認識している(違う?)

今回に当てはめると、インド大運動会さんが、絵師さんに謝罪を伝えたい。しか絵師さんは直接話をしたくない…から絵師さんが…?弁護士を…雇う…?

本来彼女自身精神誠意に謝意を伝えるべきで、そこに第三者を挟むかどうかという選択相手が選ぶべきだと思う。

ではなぜ弁護士が出てくるんだろう…。

本当に、本当に、嫌な想像しかないのだけれど。

正直、2年も経ってしまった今更、相手絵師さんたちが怒るのには「遅すぎる」とも思う。そういうことをされて嫌だった、怒った、謝ってほしいという気持ちは、2年前に伝えるべきことだと思う。

リアルタイムでならインド大運動会さんに対して「このジャンルから出ていってほしい」などという要求が、もしかしたら通ったかもしれない。わからないけど。もしかしたら。絵師さんたちが同じジャンルに居たくないからってことでね。多分。わたし勝手想像

ただ、2年後の今「わたしも同じジャンルに居て、当時のことを思い出すのでこのジャンル活動してほしい」という要求をしても、年月を考えたらもしかしたらその要求は不当かもしれない。これもわたし勝手想像

そして、その相手から要求が不当か否かをジャッジする為に、弁護士がいるのではないか、とわたしは思った。

「2年も放置してきたくせに今更何!?人の創作物ケチつけたペナルティとして今のジャンル活動しないで!」と怒った相手が同等以上の要求をしてきたときに「そこまでは飲めません」とジャッジするために、弁護士がいるんじゃないか…?

自分相手に対して、本当に申し訳なく思っているから、謝意を伝えたい…と思うことに対して、何がどうなって「弁護士用意します」になるんだろう…?

今回のインド大運動会さんのプライベッターは絵師さんたちに対してではなく「騒動に対して」の謝罪をしているように見えた。本人たちに謝意を伝える為にできる限りのアクションを起こそうとしていない時点で心の底から申し訳ないと思っているわけではない、と思った。

わたしネイルデザイン絵師さんの作品も好きだ。ヒプマイイラスト絵師さんも好きだ。もう一方の絵師さんは存じないがきっと素敵な絵を描かれるのだろう。そして、インド大運動会さんの作品も好きだ。

からこそ、インド大運動会さんは、絵師さんへの謝意が本物ならば、相手から連絡がくることを待つのではなく、自発的相手謝意を伝える為にアクションを起こしてほしいと思う。それが誠実だとわたしは思うから

絵師さんたちのことを考えると、どうしても手放しでインド大運動会さんの新作に、沸けないのだ。

だってわたしなら。わたし作品引用暴言吐いて、2年も音沙汰ない人が、炎上のついでに突然わたし宛ではなく「関係者ファンの皆様、ごめんなさい」なんて言ってるのを見たら、「そのごめんなさいはまずわたしちゃうかい!」って思うもん。相手からコンタクトがないのに「連絡があれば謝罪したい」なんて言っているのを見たら、「お前から出向くべきだろうが!」って思うもん。

わたしは、作品と作者は別物と割り切れるタイプなので、インド大運動会さんの作品を読んで、素直に面白いと思う。

だが、その気持ちツイッターで表面化したときに、絵師さんたちがどう思うだろうかと考えると、ポジティブ感想ツイートする手が止まってしまう。

彼女は人の作品暴言吐いて、2年も知らない顔をして、炎上のついでに謝罪ポーズを見せてるけど、わたしのとこに直接謝りにきたわけじゃないですからね!」っていうのは…絵師さんは悪くないのにあまりにも孤独なのではないかと思った。

繰り返すが、二次創作ルール等について言及する気はない。

だけど、どうかインド大運動会さんの謝意本音であるということ、本当に申し訳ないと思っていること、炎上を沈下させる為ではなく、傷付けてしまった相手に対して誠心誠意誠実であってほしいと、わたし勝手に願っている。

わたし絵師さん本人ではないので、絵師さんは意外と「え、もうどうでもいい」って思ってるかもしれないし「一切かかわりたくない」って思ってるかもしれないし、わからないけれども。

久しぶりにちゃんセックスできた。挿入時萎えちゃうとか、何とか入っても三振りでいっちゃうとかで、もうお薬だなと思ってたところ、結局はドキドキ感、ドキドキ感だったんだ、足りないの。今日相手はいつもと違って積極的だった、いつも受け身のくせに自発的にいろいろしてくれた。無理はしないでよ。でもすごく嬉しかった。好きになってしまうかも。。

2020-07-01

anond:20200701100730

でもキモくて金のないおっさんから「女はいるだけで大事にされてずるい」みたいなことを言われると「私は女性であるために必死に頑張っている」と、まるで自発的女性をやっているかのような主張をしてしまうんですよね

2020-06-30

インド大運動会さんの炎上について思う事

推敲もなにもしないで書きなぐっていくので読みづらい部分はご愛敬

わたしは元々pixivにアップされていた彼女作品を何作か読んだ。

キャラ崩壊したラインのやりとりや、小説においての新しい切り口等が、それまでアップされていた作品とは一風違っていたから、目を惹いた。イベント通販もされていたが、特に購入しようとは思わなかった。その程度のファンだった。

両手を挙げて「大ファンです!」という程ではないが、「この人は本をたくさん読むんだなぁすごいなぁ」とは思っていた。

6月初旬頃に、彼女がアップしたプライベッターを読んだ。以前より彼女二次創作においてルールを守っていないことについて意見を述べているひとがいるのは知っていた。

正直わたし二次創作ルールはよくわからない。グレーゾーンからとか、売り上げで利益が云々とか、彼女現在ジャンルがDなのでルールに厳しくて…等、奥が深すぎて全容を掴めていない。

なので、その部分について、裁判官でも弁護士でもないわたしが、著作権云々のことに述べるのはやめておく。専門分野は専門家に任せるのみ。

わたしが心に引っかかっているのは、彼女プライベッターにもある<ツイッター上での暴言>の部分に関してだ。

わたしは、彼女作品のゆるいファンであると共に、ここに描かれているネイルデザイン絵師さん、ヒプマイ絵師さんのこともフォローしている。

TLに流れてくる彼女らのイラストを見て、時には引用で、時にはマシュマロ感想を送ったこともある。インド大運動会さんと同じ(もしくは絵師さんに対してのほうが少しだけ熱心な)ファンなのだ

純粋な疑問として、まずなぜ2年間もの放置していたこの内容を今になって認め、謝罪しようと思ったのか。それが疑問の始まりだった。

このプライベッターをアップする理由はやはり、炎上の沈下なのだと思う。そもそもが「騒動に対しての謝罪なのだ

騒動に対しての謝罪騒動に対しての謝罪???この<ツイッター上での暴言>に関しては、謝るべきは暴言を吐いた相手であるわたしたちにではない。

彼女は「作者様と連絡を取る手段がなく、直接の謝罪はできておりません」と述べているが、相手からブロックされているということなのだろうか。それとも作者のアカウントがわからないということなのだろうか。

いや、そもそも。直接謝罪をしようと、アクションを起こしたのだろうか。

「連絡が取れれば直接謝罪する」とあるが、それは「こちからは連絡できないので、相手からコンタクトがあれば直接謝る」という、条件付きの謝罪ではないのか?

正直、第三者からでもその絵師さんが誰なのか特定することは簡単だし、「謝意を伝えたいので取り次いでほしい」と誰かに頼むこともできると思う。

彼女は、謝意を本気で伝えたいと、思っているのだろうか。

相手が直接連絡を取りたくないということであれば、弁護士を通して伝えます」という部分にも、疑問符だらけだ。

弁護士とは、本来加害者Aさんが、被害者Bさんに謝罪を伝えたい。しかしBさんはAさんと直接話をしたくない。だから間にワンクッション挟むために雇う」ものだと認識している(違う?)

今回に当てはめると、インド大運動会さんが、絵師さんに謝罪を伝えたい。しか絵師さんは直接話をしたくない…から絵師さんが…?弁護士を…雇う…?

本来彼女自身精神誠意に謝意を伝えるべきで、そこに第三者を挟むかどうかという選択相手が選ぶべきだと思う。

ではなぜ弁護士が出てくるんだろう…。

本当に、本当に、嫌な想像しかないのだけれど。

正直、2年も経ってしまった今更、相手絵師さんたちが怒るのには「遅すぎる」とも思う。そういうことをされて嫌だった、怒った、謝ってほしいという気持ちは、2年前に伝えるべきことだと思う。

リアルタイムでならインド大運動会さんに対して「このジャンルから出ていってほしい」などという要求が、もしかしたら通ったかもしれない。わからないけど。もしかしたら。絵師さんたちが同じジャンルに居たくないからってことでね。多分。わたし勝手想像

ただ、2年後の今「わたしも同じジャンルに居て、当時のことを思い出すのでこのジャンル活動してほしい」という要求をしても、年月を考えたらもしかしたらその要求は不当かもしれない。これもわたし勝手想像

そして、その相手から要求が不当か否かをジャッジする為に、弁護士がいるのではないか、とわたしは思った。

「2年も放置してきたくせに今更何!?人の創作物ケチつけたペナルティとして今のジャンル活動しないで!」と怒った相手が同等以上の要求をしてきたときに「そこまでは飲めません」とジャッジするために、弁護士がいるんじゃないか…?

自分相手に対して、本当に申し訳なく思っているから、謝意を伝えたい…と思うことに対して、何がどうなって「弁護士用意します」になるんだろう…?

今回のインド大運動会さんのプライベッターは絵師さんたちに対してではなく「騒動に対して」の謝罪をしているように見えた。本人たちに謝意を伝える為にできる限りのアクションを起こそうとしていない時点で心の底から申し訳ないと思っているわけではない、と思った。

わたしネイルデザイン絵師さんの作品も好きだ。ヒプマイイラスト絵師さんも好きだ。もう一方の絵師さんは存じないがきっと素敵な絵を描かれるのだろう。そして、インド大運動会さんの作品も好きだ。

からこそ、インド大運動会さんは、絵師さんへの謝意が本物ならば、相手から連絡がくることを待つのではなく、自発的相手謝意を伝える為にアクションを起こしてほしいと思う。それが誠実だとわたしは思うから

絵師さんたちのことを考えると、どうしても手放しでインド大運動会さんの新作に、沸けないのだ。

だってわたしなら。わたし作品引用暴言吐いて、2年も音沙汰ない人が、炎上のついでに突然わたし宛ではなく「関係者ファンの皆様、ごめんなさい」なんて言ってるのを見たら、「そのごめんなさいはまずわたしちゃうかい!」って思うもん。相手からコンタクトがないのに「連絡があれば謝罪したい」なんて言っているのを見たら、「お前から出向くべきだろうが!」って思うもん。

わたしは、作品と作者は別物と割り切れるタイプなので、インド大運動会さんの作品を読んで、素直に面白いと思う。

だが、その気持ちツイッターで表面化したときに、絵師さんたちがどう思うだろうかと考えると、ポジティブ感想ツイートする手が止まってしまう。

彼女は人の作品暴言吐いて、2年も知らない顔をして、炎上のついでに謝罪ポーズを見せてるけど、わたしのとこに直接謝りにきたわけじゃないですからね!」っていうのは…絵師さんは悪くないのにあまりにも孤独なのではないかと思った。

繰り返すが、二次創作ルール等について言及する気はない。

だけど、どうかインド大運動会さんの謝意本音であるということ、本当に申し訳ないと思っていること、炎上を沈下させる為ではなく、傷付けてしまった相手に対して誠心誠意誠実であってほしいと、わたし勝手に願っている。

わたし絵師さん本人ではないので、絵師さんは意外と「え、もうどうでもいい」って思ってるかもしれないし「一切かかわりたくない」って思ってるかもしれないし、わからないけれども。

2020-06-29

anond:20200629121144

そりゃ「女であるだけで大事にされてずるい」とか男が言おうものなら「私たち努力している! 甘えるな!!!」ってマッチョ丸出しにしちゃうでしょ

わざわざ自発的に頑張って女性をやっているのではなかったのですか?

2020-06-28

anond:20200628104743

いやそういうクソ強従者って権力に逆らえず主の言うこと聞いているじゃなくて、主の人柄に惹かれてとかそういう自発的動機で支えているのが大半でしょ。

権力に逆らえずってパターンでも、大抵はそういう理不尽から解放される展開になるし。

anond:20200627174117

なる。なるけど、抑圧された反動でなるわけじゃない。

1:小学校マンガアニメゲームネット禁止される。

2:学校話題についていけない。

3:友達を作る契機が減り、話もつまらないのでボッチ化(何度かイジメ経験する)

4:マンガアニメゲーム必須ではない高校とかへ行っても、友達との接し方が分からいからボッチを引きずる。

5:そのまま大学に進学し、一人暮らし開始。

6:それまで親の抑圧下で生きており、「勉強する事」が親の強制なしではできなくなっている。(というより親の目の無い所で自発的に何かをするという習慣がないので、そういう事をする発想そのものが無い)

7:恋人はおろか、友達の作り方・遊び方も分からないので。一人で楽しめる物(マンガアニメゲームネットにのめり込む。

駄目オタクの一丁上がり。ドルオタジャニオタも似たような経路だろ。

結局、小学校でボッチだと後はお決まりコースってだけの話よ。

2020-06-27

まり加重ストレス増田は読解力増田に非常に横柄に当たっている

それは事実だし読解力増田は「横柄だ!」と怒る権利がある

権利はあるが行使しても効果は何もない

読解力増田は怒る権利行使してしまうと怒ってしまって惨めなだけなのであった

可哀想だが哀れむものはただの一人もなく

「お前は異常だから自発的病院警察へ行って対処してもらえ」と煽られるだけなのであった

合掌

20代でガンになるということ

プロローグ 

 大学院での苦しかった日々がおわり、新しい日々が始まろうとしていた矢先のことだった。

精巣腫瘍が見つかったのだ。幸いにも転移はなく、腫瘍部分を含めた精巣を除去すれば問題はない。

その後の病理検査で今後の治療方針が決まるが、生存率は他のガンに比べて高いので安心してほしいと医師に告げられた。

頭の中が真っ白になり、待合室でみたMAD音楽が空回りしていたのを今でも覚えている。

ただ待ってほしい、なんで俺なのか

精巣腫瘍になるのは10万人に1人の割合らしい。

いけいりかこ選手白血病ですら発症率は10万人に6.3人であるらしい。

これをたまた読んでいる読者が全員男性である仮定して、10万人読んで初めて1人が罹患するような話である

しかもこの精巣腫瘍、痛みもないため発見されにくい腫瘍なのである

好発年齢は20代から30代(働き盛りに発症するのもタチが悪い)。

私はたまたま痛みとしこりがあったことと、学生時代から友人に金玉デカいということで

いじられていたからこそ早期発見に繋がった珍しいケースであるが、発見が遅れて肺やリンパ節転移するケースが多いようだ。

家に帰って寝て起きてから思ったこ

20代でガンになるなんて思ってもみなかった。

罹患した人はそういうだろう、私もその一人だ。

10から新しい会社入社し、バリバリ稼ごうとしていた未来もくすんでしまった。

これから転移、再発を繰り返すのではないか明日に怯えつつ、精一杯生きていくしかないのである

辛い人生になったとしても耐えるしかないのは、いつの世も同じなのだろうか。

ただ一つだけ嬉しかたこ

私は20歳の時にがんで父を亡くしている。

父も働き盛りの最高潮の時期に罹患し苦しみながら死んでいった。

あの時父に向けていた目線は同情に似た気持ちであったが、

最後までガンになった患者としての父の気持ちを分かってあげられることはできなかった。

今ガンに罹患し、初めて父が背負っていた未来への緊張、不安感、ストレス

完全ではないとしても同じように感じれているのではないかと思う。

私は、このような形であるが父と同じ境遇を経て、思いを重ねて合わせることができて非常に嬉しく思う。

最後に…

こんな駄文最後まで読んでくれた読者らに感謝を申し上げると共に、

何か金玉にしこり、痛みを感じたらすぐに泌尿器科へ診察してもらうことを強く勧める。

早期発見により生きていける精巣腫瘍患者が一人でも多くなることを切に願う。

追記(6/27~)

正直、こんなに反響があるとは思っていなかった。

最初に「死ぬわけじゃないのか」とコメントがついたときは、これぐらいの反響なのだろうと思っていた。

外出し、帰ってみると予想外の反響があった。質問等もあるのでここで言及しておく。

・どうして 「学生時代から友人に金玉デカいということでいじられていた」 ら 「早期発見に繋がった」 のか、高卒の僕にはさっぱりわかりませんでした 。

 私は地元の親しい友人と露天風呂に行くのが好きで、何かと理由をつけては友人とお風呂はいった。

どうも腫瘍がある左の精巣を包む陰嚢は陰嚢水腫らしく、お風呂に入るとテニスボールぐらいに大きくなった。(左:テニスボール、右:ウズラたまご

その金玉デカさに友人たちも、「果実」、「太陽タマゴ」、「大きすぎて実ってる」などのイジりをしていたのである。決して触っていたわけではない。

・種無しになるのか?

 左側の精巣を摘出するので種無しにはならないが、今後の治療や残った右側に転移するなどによっては種無しになる可能性が大いにある。

誰もが爆笑問題田中のように片玉でも子供が作れるわけではないので、安易に例として出すべきではないと思う。

病人会社組織はいやがるもんね 自分は定期通院で休めないので仕事干された。

 私もその可能性を持つ一人だ。ただ精巣を失い、仕事を干されても人生は続いていく。やるせない世の中である

20歳以降は人生消化試合という感が強いので、個人的にはさっさと癌にでもなって終わらねぇかなと思っている

 多くの人が大病を患えば若くして簡単死ねると思っている。私はこれは誤りではないかと思う。現にガンになったとしても

簡単死ねるわけではない。様々な苦しみの段階を経て死んでいく。おそらく発想する人の多くは病気についての理解が乏しいと思う。

さっさと終わっていい人生なんてない。好き勝手して長生きする人生のほうが幸福度も高いと思うのでやりたいことをやってほしい。

ガナニー

ガナニースレは私も当時拝読爆笑した覚えがある。ちなみにテニスボールほど肥大した陰嚢に性感帯はない。

しごいていても弾んで邪魔なだけである

・ 精巣ガンと乳がんパートナーがいると気づくというね。

私にもパートナーがいるが、第一発見者は私の右手であった。

パートナーは気付かなかったとのこと。

・こういうのってどういう流れで見つかるの?

本当に恐ろしいことをいうが、私の場合自発的受診きっかけだった。ここに寄せられた多くの

コメントの中にも精巣腫瘍についてのコメントブログのURLを貼ってくださっているが、

そのほとんどは自発的受診により発覚している。

自分の精巣に異変を感じたらすぐに受診してほしい。

何事もなければそれが一番であるからだ。

オモコロ記事について

オモコロギャラクシーさんが書いている記事精巣腫瘍になる前に読んでおり、

今回精巣腫瘍と診断されて再び読んだ。

一度読んでいたからこそ、今回の精巣腫瘍のことをある程度前向きに捉えられたのかもしれない。

オモコロ感謝である

金玉デカい事と発見の速さの相関性分からんので良ければ教えて欲しい。

金玉デカいと一言で言ってもパターンがある。男性諸君らはお分かりいただけると思うが、

袋の中にうずらタマゴのようなものがある。これが精巣である

一般的金玉がでかいというと、この精巣を指すわけではなく、

精巣を包む皮袋(陰嚢)全体を差し金玉デカいと称している傾向がある。

私の場合そもそも陰嚢水腫(袋の中に水がたまる)により外見上デカかった。

それを気にして定期的に左陰嚢全体を触っていた時に、内部の精巣にしこりを感じた。

のしこり、うまく表現できないのだが、正常な精巣の弾力をゆでたうずらタマゴとすると

しこり弾力は、固めのスーパーボール、昔のマウスボールのようなものである

また全体がそのような弾力になるのではなく、私の場合は精巣の下半分にしこり

あるようなパターンであった。

気になる場合自身の精巣を触診してみてほしい。

・その他コメントについて

 皆さんのコメント一言一句全て拝読させて頂いています

暖かいコメントや、同じ境遇人達からコメントもあり、とても励まされました。

ありがとうございました。皆様の人生にも良い出来事が続きますようお祈りします。

2020-06-26

オタクはすごい

普通の人々は好きなものさえ疑いの眼差しを向ける。

「なんの役に立つのか」

「世の中では人気がないみたいだ」

悪趣味だと思われたらどうしよう」

こんな具合に自分の好きじゃなく世間体で考える。

そんなものは本当の好きではないんだ。

一方、オタク自分の好きを疑ったりはしない。

オタクは過ぎたことを振り返らないし、また躊躇わない。

過去でもなく現在でもなく、ただ一心未来だけを見据えているから、それができるんだ。

好きであることを疑わないことがオタクの最大の強みだ。

それをそんじょそこら新興宗教などの安っぽい信仰などと一緒にしてはいけない。

信仰じゃなくて信念があるからできるところだ。

いから生ずる一切合切の躊躇を断ち切るのは信念の力だ。

なんら好きを持たない人々には信仰と信念の違いが分からず、簡単オタクを蔑む。

だが、オタクはそんなことでめげたりしない。

そこがまた、オタクのすごいところだ。

高い次元の戦いでは、一瞬の躊躇の差が明暗を分けることも多々ある。

そうした意味では上を目指すなら、オタクでなければ論外と言っても過言でない。

普通の人々もっとオタクからモチベーションアップの方法を学ぶべきだ。

冷静に考えてみるとオタク知識義務教育になってないのがおかしいぐらいだ。

ジャンルを問わずあらゆす分野の競争でなにより大切なのがモチベーションの有無だ。

世間平等などと綺麗事を言うが競争社会ますます激しくなる一方だ。

今の義務教育には見直す余地が十分にある。

ハッキリ言ってしまえば、オタク知識比較して学ぶ価値のない科目はいくらでもある。

いや、極論だがモチベーションさえ身につけることができれば他の科目は全部不必要とすら言えよう。

だがオタク知識義務教育でないこともまたオタクのすごさを物語る。

かに強制されたんじゃなく、自発的に正しい答えを見つけ出したというのもオタクのすごさのひとつだ。

オタクのすごさとは、言い換えると本質を見抜く鋭い洞察力のようなものなのかもしれない。

オタクのすごさを昔から知っていたインターネットベテランユーザーは、なにを周回遅れのことを言っているのか、と思われるかもしれない。

だがインターネットが普及したのと同時に、半ば化石化した古い世代がここでもまた大きな顔をし始めた。

からオタクのすごさを強調して強調しすぎるということはない。

オタクのすごさをわざわざ説明されねば理解できないのなら、こうした手段を取らざるを得ない。

結論オタクはすごい。

2020-06-23

性交同意必要とする考え方に反発する人達

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200623/k10012480321000.html

スウェーデンでも元々、日本で言う強制性交罪に「暴行脅迫要件」はあった。これがだいたい2017年位まで。

国民議論の上で、明確な自発的YESがない限りそれ以外のセックスは全てレイプとする、ということになったのである

そして、他にも監護権のある立場からセックス同意があろうともレイプとすると見なし、また同意必要場合にもその確認を怠ってはならない、としたのである

まず、これらのことを知らず、上の記事ブコメ違和感を表明したり同意書云々の話をする人が多いのにちょっとけがっかりする。

 

・・・あのね、同意書なんかあったって意味ないんだよ。

だって同意書を強要したら? 或いは捏造は?

もうちょっと考えてから物を言うべき。

スウェーデンだって実際にレイプを裁くには、色々と証拠固めを普通にするのである

例えば酔っ払って連れ込んでいたと認められるのであれば、明確な同意を示せる状況ではなかった、などである

その上、これでも法律完璧ではなく、冤罪余地はある。

揉めたら揉めたで、法廷審判する以外にはない。そこは今までと変わらない。

 

そうではなくてぇ、レイプをどうにかして減らすことに意味がある。

暴行脅迫という極めて曖昧な条件では、認定は難しいケースが多いのだ。

スウェーデンだって被害を申告しなかったりするケースが多いし、まともに調べてもらえないケースも結構多かったのだ。

からレイプ判定を容易にする必要性に迫られていたのである

 

ドイツ等では逆にNOを明確にしろということになっている。

スウェーデンさらに一歩進んでYESと言えなければ全てNOである

日本でも数年後には間違いなくそうなる。

暴行脅迫或いは抗拒不能が認められないと無罪だなんて、馬鹿判決を許してはならない。

 

確実にそうなると思うので、女性はしっかりNO或いはセックスしたい時にはっきりYESと言う、男性ムードへったくれと言わない、あくまでもそれはそれとしてYES・NOを明確に確認する、と言う意識を持たないといけない時代が来るので心しなければなるまい。

2020-06-19

anond:20200619081752

例えば増田が街の清掃活動自発的にやれば街が綺麗になって

めぐりめぐって増田気持ちよく過ごせたりするようになるけどやらないでしょ?

だって社会全体への奉仕コストみたいなもの他人に払ってほしい。自分では払いたくない。

2020-06-18

トランスヘイトする人達

トランス女性に対する理解がまずありません。トランス男性やその他のLGTBQ+などについてもそうですがそれらはあまり語りません。

 

古くは単に「オカマ」だったのだと思います。女になりたい男だとか、そんな風に思われていたのでしょう。

から言葉がオネェ言葉だったり、女装している人だったり、あるいはニューハーフだったりするような人達と一括で「オカマ」にカテゴライズされていたのだと思います

が、実はそうではなかったわけです。それらは全部種類が違う。種類というか全く別な存在だったわけです。

このことは、既に二十世紀中盤あたりで既に分かりつつありました。

ガチで、生物学的には男性だけど、その本人自身はどーーーーーーーーーしても自分自身自分自身で「私は女性である」としか思えない人がいるとわかってきたのです。

最初精神病気だと言われていましたが、治せないことは分かっていました。

ですから治療は主に、ホルモン療法であるとか、性転換手術であるとか、その心・思いの方へ一致させる方向で行われました。

原因もさっぱりわかりません。それで病気なのではなく心と体の性別が一致しない障害なんだと、次に言われるようになりました。

それが性同一性障害です。

病気であると言われていた時代との違いは、「女になりたがるという病気」なのではなくて「自身を女だと誤解する障害」だと認識が変わったということ意味します。

この時点ではまだ、この人は「ほんとは男の人」だという認識は変わっていません。

日本政府もまだそんな認識でいます

性同一性障害|病名から知る|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省

ところが、1990年代くらいから、海外では自発的に、治らないんだったら治らないそのままでいいじゃないか、という動きが出てきます

それがトランスジェンダーという概念でした。

新しい性別という意味ではなく、性別越境する人間なんだと認識しよう、というちょっと意味のつかみにくい用語です。

要は、もうありのまま自分として、マジョリティ性別・性志向人達と同じように、自由自分が思う通りに生きようじゃないか、という考え方です。

何故そんな事を言い始めたかと言うと、マイノリティとして苦しんできたからです。

 

保毛尾田保毛男事件記憶している人は多いと思いますが、あれがなんであんなに批判されたのか、きちんと理解している人は意外に少ない印象です。

私自身は状況を知っていたので、正直絶句しました。もうそんな時代ではないのに・・・と。

オカマ」と呼ばれていた時代、その存在自体が奇異に見られていたのです。

その時代、その「オカマ」の周りの人は、本人自身が苦しんでるだなんて全く知らなかったのです。

本人自身だって世間がそう見るのだから、本人も自信をそんな存在なんだ、私は奇異に見られる存在なのだと、思い込まされていたのです。

ならばと、その特徴を生かしてテレビに出たり、オカマバーで働いたりしていたわけです。

自身の特徴を活かせば生きていける、と。

 

これってね、「差別」なんですよ。

だって、多くのマイノリティ人達マジョリティと同じようには働けないんです。特徴を活かせた人なんて一部の人だけです。

普通会社普通に働くなんて、とてもじゃないけど、奇異に見られてばっかりで出来るわけありません。

出来たとしても、トランス女性ならば自分をとにかく女性に見られないよう男として無理やり振る舞って気づかれないよう苦しんで仕事していかなきゃ出来ないわけです。

もし周囲に知られたら、と常に不安に苛まれ状態です。

そこまで考えた人は果たしてどれくらいいるでしょうか?

私達は意識しないままに、無自覚差別してしまうんですよ。

からね、差別するななんて言っても、差別してることに自覚的な人なんて実はあんまりいないんですよ。

たかだか、差別的なことを言わない、しない、くらいにしか分かってないんですよ。

要は、ずっと性的マイノリティな人は「差別」されてきたんです。

今でも例えば、カミングアウトなんて言ったりして、マイノリティな人が自分の性指向や自認を明かすのは勇気がいる時代が続いているのです。

しかカミングアウトに失敗して自殺までする人だっているんです。

 

保毛尾田保毛男を「笑う」というのはそういうことなのです。

何故はまちゃん黒人のように肌を黒く塗ったら批判されたのか。

それはそうやって「笑い」にするからです。黒人にしてみれば自分たちは笑われる存在なのかと、そりゃ怒るに決まってます

 

話を戻します。

トランス人達は今では「自認」とか言ったりしますけど、自認こそが性別である認識が変わっています

最早、生物学性別は単なるその人の体の特徴に過ぎません。

トランス女性ならば、男性体を持つ「女性」なのです。

ところが、時代についていけない人達がまだまだたくさんいます

生物学性別こそ本当の性別だろうと言って聞かない人達です。

 

からトランス女性ヘイトする人達はこういうのです。

「お前らほんとは男だろ? 何故こっちに入ってくるんだ? あっちへ行け」と。

言い方表現は色々ありますが、結局これなんです。

これは差別やと言っても全く聞く耳持ちません。

これを支持する人達の中心はいわゆるフェミニストの一部なんですけど、トランス差別するフェミニストという意味で「ターフ」と言います

このターフがあまりに酷い。

他人から怖がられるって、どれほど嫌なことか分かりますか?

加害など加えるつもりもない人が、怖がられるんです。ウィルス持ってるのと同じに見られるんですよ? ペニスが付いているというたったそれだけの理由で。

酷い場合には、性別適合手術を受けた男性ですらも忌避されるのです。

 

こうした状況ですから、当然トランス女性側も黙ってはいません。というより多くのトランス女性はターフに怒っているわけです。

別に普通にしてるだけなのに、何が恐いんだ?と。

怖がってるのは知ってるから別に日本ならば銭湯には入らないし、他の場所でも着替えだって時間を変えたり、こっそりやりますから、つってんのに、恐いと言って聞く耳持たないもんだから、とうとう怒って「だったら、ペニスを堂々と見せびらかして銭湯入ったろか! 何なら勃起までさせてやんぞ!」と反撃に転ずるわけです。

「何度言えば分かるんだ! トランス女性女性だっつってんだろ!」と。

 

するとターフの女性たちはこう返します。

あなた達とは違う。私達は子供を埋めるんだから。せめて性転換手術をしてよ」と。

これにさらトランス女性側は激怒します。

「だったらお前らが私達と同じになれ! いくらかると思ってんだ! リスクを知らないのか! お前らの子宮を引きずり出して子供を産めない体になれ!」と。

 

こうした対立の原因を作っている一つの大きな理由時代の流れなんですけど、ターフとトランス女性どちらが悪いと思いますか?

 

トランス女性はもうそのままで女性だとみんなが認識しなきゃならない時代です。

でも現実にはまだ追いついていません。

ターフだけではなく、まだまだ他の心ない男性などから嘲笑蔑視対象になっていますし、社会的理解がまだまだ未成熟なままです。

制度的にも戸籍変更要件が厳しすぎるとか、男性と見られるためのパス度という尺度を測られてしまうとか、性別「違和」なんて言われてしまうとか、日本社会全体の意識が低く、杉田水脈のような馬鹿なことを言う人までまだまだいっぱいいる世の中であり、進んでる海外だってまだ差別やってる人もいます

でもほんとによく考えて欲しい。

マジョリティの人と同様に、トランス人達性別を自ら選んだわけではないのです。

おんなじ人間なんですよ。

なのに、特にトランス女性は同じ女性であるはずのフェミニストの一部から蔑視されるのです。

トランス女性だって性的被害に会うんです。

それらの一部のフェミニストが常に言ってる、トランス女性だって全く同じ性的被害暴行被害対象者なのに。

 

もう一度言いますけど、

ターフとトランス女性どちらが悪いと思いますか?

明らかすぎると思うんですけど。

2020-06-15

anond:20200614180225

悪堕ち洗脳されて正義から悪に堕とされる

闇堕ちは洗脳ではなく力の誘惑や軋轢環境からストレス自発的に闇に染まる

魔法アイテムで堕ちるのは洗脳なので闇堕ちではなく悪堕ち

 

ベジータ洗脳されたので悪堕ちかと思いきや

目的があって自発的洗脳されたので闇堕ち

2020-06-14

ドラマ嫌いの考察

学生の頃はドラマを見ていたけど、社会に出てから自発的には見なくなった。むしろ嫌いになった。

それは、ドラマリアル生活だけで十分と思ってるからだろうな。何が楽しくて、アフターもハラハラしないといけないのか。別にリアルが波乱万丈でも何でもないけど、社会人やってたら、全然視聴率が稼げないようなドラマは日々あるわけで。

特に日曜劇場枠のヒラなサラリーマン権力に立ち向かってカタルシス満載なやつが嫌い。俺もヒラだし、権力に対して一泡吹かせることができればいいなとは思ってるけど、そのカタルシスに行き着くまでの過程お腹いっぱい。不遇な時間の方が長いんだよね。1クール3ヶ月だとして、2.5ヶ月は主人公が痛い目を見て、残りの0.5ヶ月で大逆転するんだけど、2.5ヶ月も俺は落ち込んだ気持ちのままだ。1年通せば10ヶ月も落ち込むじゃないか。何でそんなものをアフターにまで見なければならないのか。

その他のドラマも、結局は安心よりも不安気持ちになる時間の方が長いんだよね。もはや俺はドラマを娯楽と捉えてない。

anond:20200613222851

続き

 

色々調べて考えていたら少し分かった。

性交同意とは、同意それ自体大事なんだということのようだ。

どうしても男が性交の主たる発案者だと思ってしまうけど、そこが間違っている。

セックスは女がしたいと思ってもいいわけだし、あるいはLGBTQx+になる人達だっていて多様だから、それも含めて考えなきゃならないんだけど、それはややこしくなるので語らない。

ただ何れにしても、

行為は明確な意思表明のもとで行わなければならない

と考えれば割とスキッとする。

リングに上がるボクサーが、やりたくもないのにリングに上がるわけがないのと同様だ(八百長とか複雑なことは考えないように)。

すると、例えば彼女が自宅に誘ってくれて、しか彼女が素っ裸になったら誘っているのと同じだ、は通用しないことになる。

ボクサーボクシンググローブボクシングパンツを付けていても、リング外なら試合できないのと同じ。

あるいはもっとレフェリーの前でこれから試合するという意思表明儀式に参加しない、のと同じというべきか。

何れにせよ、きちんと「セックスしてもいい」と意思表明をしなければならない。

しかも「お互い」にだから、裸になっていたところで「誘われている」と思う必要はない。

それでも嫌なら嫌といえばいいし、したいのならしたいと言えばいい。

肝心なのはあくまで「明確な性行為に参加する本人の意思表明」だということになる。

 

伊藤詩織さんのケースなんかだともっと効果的で、泥酔状態なら、性行為のものに及ぶことは不可能になる。

だってそんな状態だったら、明確な性行為に参加する本人の意思表明は出来ない状態だった、と言わざるを得ないんだから

泥酔状態でしつこくセックスしようと伊藤さんに迫られたって、もしそういう法律の定めがあれば、拒否しないと違法になる。

ともあれ、同意ということよりもむしろ自発的参加意思の一致、ということなのではないか

  

・・・と考えてみた。 

2020-06-12

家庭での光通信って速くなっても活用できてない

今の家庭用光ファイバー通信速度って中途半端だ。

音楽くらいはストレスないが、映画となるとCDNに載ってないと遅い。

ゲームGBダウンロードするには遅い。

というかそれくらいしか活用できるのがない。


家庭で大きなデータを作るというのがあまりない。

写真RAWで撮ったり、4K6Kで動画撮る人はいるが、そうなると通信速度が足りない。

クラウドバックアップなんてストレスになるくらいの通信速度だ。


家庭用パソコンも放っておくだけで何かしてくれるようにはならなかった。

気になるキーワードを入れておいたら、論文PDFダウンロードしてくれるとか、

家の周辺にオープンしたお店を教えてくれるとか、コンビニ書店などの新商品が出たかを、パソコン自発的に教えてはくれない。

2020-06-11

anond:20200611204446

MTGの件は「外圧に屈した」というよりは

社会情勢を見て、何か行動を取る必要性を感じたウィザーズ自発的に行動した結果だと思うよ

anond:20200610213142

マニュアル叩き込まれてるんじゃなくてただトークの癖だろ

こんな袋の有無を自発的に言うことで選民意識持たれても...

2020-06-10

anond:20200610141041

それは女性加害者になるから駄目

男性が自らの加害性を自覚して、自発的に産まれてこないのがベスト

2020-06-08

設定改変が分かってるメディアミックスを観るための準備運動



 観たら絶対自分は怒るだろうなと分かっている映画がある。原作小説がとても好きで、映画化の際に「そこは変えちゃ駄目だろ」と思うような根底の部分にドひどい改変をされた映画だ。予告CM開始3秒でそれが分かったので公開当時は絶対観ないと決めていたし、観るような気分になる日が来るとは思ってもみなかった。

 しか最近、「公式との解釈違い」のような文言を用いて苦しむ人々をよくSNS上で目にするようになってその映画存在を思い出し、いい機会だから観てみようかなと思った。何かコンテンツとの付き合い方における知見を得られるかもしれないし。原作版を大事に思いつつも、派生版も楽しんで愛せるような人間になれるならなりたいし……。

 観た後では感情が大きく動いて今の気持ち100%は思い出せないだろうから、観る前に今抱いている改変ポイントについての思いを書きとめておく。

 (ひとつその映画について鑑賞前から確実に言える腹立たしい点は、原作者が亡くなった途端にその映画が作られ、「映像化は不可能と言われていた名作が遂に!」みたいな売り文句付きで世に出された事だ。映像化を何度も断ってきていた作者だから余計に……今までは作者が止めていた設定企画を、もう止める者がいない+追悼とか言える勢いから好き勝手にやっただけではないのかと思う。せめて存命中の公開なら「作者はこの映画化を了承したんだな」と思えたし、そうしたらきっと作者は何かしらのコメント映画へ寄せるだろうから、それを見られればもうそれで良かった。原作レイプ(こんな言葉があったのを久々に思い出した)を通り越して屍姦みたいだ。大切な人の墓に立小便をされた気分だ。)

 映画タイトルは『悪童日記』と言う。原作小説も同題だ(海外文学の中では普通によく知られてる方だと思うので、勿体ぶった言い方をしてしまって少し恥ずかしい)。

 十年以上前、私は好きな作家たまたま雑誌でこの本に言及するのを読んで、高校夏休み中に手にとったそれに首ったけになり、ひと夏の間何度も何度も繰り返し読んで過ごした。だからこんな、映画を観るのに支障をきたすほどに思い入れが強くなってしまったんだと思う。

 しかそもそも映画化されたものをこき下ろしたい訳ではなく、映画映画として楽しめる作品にするためには原作からの多少の改変もやむを得ないというのは充分承知の上だ。だからこの作品についての改変もなんとか納得したいという思いから、今自分は何に納得いっていないかを整理して考えたく、文章に起こしている。

 (このカッコ内は余談なのでとばしてくれて構わないが個人的に、映画化された作品映画原作の順でふれた方が大抵の場合はどちらも楽しめるように感じる。原作映画の順だとカットされた箇所や改変部分が気になってしまって映画100%楽しめない事もままある。例えば私は『ジュラシック・パーク』に映画から先に入ったおかげでスピルバーグのあの映画メチャクチャ最高不朽の名作だと思っているが、もしも原作小説を先に読んでいてファンだったら、そこまで手放しで褒められたかは分からない。映画原作では構成人物もかなり別物だからだ。原作ではティムレックスティムの方がしっかり者の兄でレックスは足ばかり引っ張る幼い妹だし、Tレックスは二頭いて小さい方がかなりチャーミングだし、グラン博士最初から子供に優しいし、ハモンドさんはかなり嫌な感じの爺さんでコンピーに集られて無残に死ぬのだ。)

 改変箇所について書いていきたい。

 映画の予告から分かる改変箇所は主に「父親存在」「日記帳というアイテム出自」だ。私はこれがこの物語においてかなり重要パーツだと思っているので、予告CM開始3秒で見られる改変にガタガタ白目をむき憤死する羽目になった。

 原作小説主人公双子少年)の一人称「ぼくら」で書かれた日記形式をとっている。彼らが母親に連れられて小さい町の祖母の家に疎開してくる所から話は始まる。詳しいあらすじが知りたい人は原作wikihttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E7%AB%A5%E6%97%A5%E8%A8%98)でも見てくれ。ラストまでネタバレされてるから気をつけて。別にあらすじを知らなくてもこの文章を読むのに支障はないと思う。そういうふうに書けていることを願う。

 父親云々の話に戻ろう。

 主人公家族について、母親は冒頭から登場するし、すぐに主人公たちを置いて行ってしまうがその後、他の男の赤ん坊を連れて二人の前に現れ、どうこうなるくだりがある。二人が母親に対して色々思いを抱いていることが分かるような描写もある。

 描写があるという事は、書き手である主人公双子がそれを必要だと判断したという事だ。詳しくは後述するがこの日記はそういうルールの元で書かれている。主人公が無関心もしくは不必要だと判じたものは書かれず、必要ものけが書かれる。例えば作中の時代設定は戦争なのだがそれが一体いつの戦争なのか、年号国名地名人名などの固有名詞ほとんど出てこない。<大きな町><さな><解放者たち>などの言葉しかからない。関わる人々も名前はなく、ほとんど代名詞役職あだ名などでしか呼ばれない。双子自身名前も出てこない。彼らは大抵はあんた達、時に祖母からは雌犬の子などと呼ばれる。

 父親は出てこない。ラスト数頁まではほとんど。

 「父親の不在・不干渉」が、この小説(というか作者であるアゴタ・クリストフ作品はわりとどれも)に通底するテーマひとつだと私は思っている。そして出てこないということはそれは「書かない」という姿勢主人公たちの無関心を示しているのだから映画にも変にひっぱり出してほしくなかったのだ私は。しか作品の根幹である日記に関する部分で。一原作ファン気持ちを言わせてもらうならば。

 以下は物語終盤のネタバレとなるので、知りたくない人は読まない方がいい。

 原作の終盤、国境付近にある双子(主人公)の家に、国境を越え亡命したいという一人の男が訪れる。双子その男自分たちの父親だと気がつくが、父親は二人が自分の息子だとは気付かないまま、亡命の協力を頼みこむ。双子はそれを承諾する。国境までの間には地雷があちこちに埋まっているし、軍の見張りもある。双子は彼に地雷が埋まっていない道筋や、見張りの目の外れる時間帯などを教える。

 亡命決行の日、父親国境へたどり着く前に見事地雷を踏み抜いて死ぬ。すぐにその足跡の上を双子の片割れが辿り、その死骸も踏みつけて国境を越え、亡命を果たす。地雷国境と平行して並べられている。一度爆発した地雷国境を結ぶ線上にはもう地雷は無いので、先に一人立てるのが最も安全亡命のやり方だ。

 原作小説ではこの場面がラストだ。一人は父親の死骸を踏み越え国境の向こう側へ渡り、一人は残ってそれを日記に記録する。父親殺しと、それまで一心同体のようだった双子別離が同時に強く印象づけられて終わる。

 それなのに映画ではどうして、別れる息子達に日記帳を与えるような父親像に変え、それを受けて日記を書く子供たちに設定したんだ? 原作では双子自分たちの稼いだ金と自分たちの意志で紙と鉛筆を買い、自分たちの定めたルールの元で事実だけを、ただ必要と思われた事だけを淡々と記録し続ける。彼らは感傷感情は不必要とし、そういったウェットなものが取り払われ切り詰められた文体はこの作品の特長の一つだ。彼らの考えのもと自発的に書かれていくそ日記こそが『悪童日記』という作品となっているのだから日記帳というアイテムとその経緯は何というかかなり……成り立ちの部分ではないのか? この作品の根幹において、重要位置を占めるはずだ。

 それが映画はいきなり、別れる父親から最後プレゼントという陳腐でウェットなしろものとなる。双子は父の言いつけを守り日記を書き出す。制作側はそこに何の違いもないだろうと思ったのかもしれないが、違うのだ! と言わせてもらいたい。強く。

 日記帳は、それにものを書き続けるということは、戦時下に父とも母とも別離し粗暴で抑圧的な祖母宅に身を寄せねばならなくなった主人公双子が、初めて自分たちで選び獲得した、何かそれこそ父親教師代わり(彼らは学校にも行かない)のような、「この世界で生き抜く上で己の力になり、時に導いてくれる(と彼らが信じ掴んだ)モノ」だ。繰り返しになるがそれを「彼ら自身が」、彼らの面している世界であるところの小さな町で、そこの文具店で「身銭を切って」獲得した点が肝心なのだ。この話は平たく言えば庇護されない子供たちが、彼らの対峙する厳しい世界の中で、自身の力で何とかやっていこうとする物語からだ。

 「父親から与えられた道具」では過ぎ去りし想い出のよすがであるばかりか(感傷双子がつとめて日記から排除してきたものの一つだ)、それが上の者から与えられたという性質上、彼らにとってただの環境の一つに過ぎない。それでは全く意味が違ってしまう。そうでは無いのだ。彼らは道具がたまたま得られたから書くのでは無く、もちろん父親に言われたから書くのでも無い。書くことは彼らが生きるために必要で、だから彼らは道具を求め、書いた。「書くこと」自体彼らの周りには教えてくれる者がおらず、二人は一冊の聖書を使って独学で読み書きを学んでいった。

 「彼らが巻き込まれしかなかった環境に逆らって、初めて自分で望み獲得したモノ」であったはずなのだ、この日記帳は。「書く」という行為は。そういう意味合いがあったのだ、原作の中では……。

 そしてこれは作者の生い立ちや創作の源泉とも重なることが多いので(この作品を含めた彼女作品群は半ば私小説と呼べるものが多い)、私は映画でこんな改変をされた事について作者の気持ちを思うと、勝手にやり切れないものを感じてしまう。作者はもう亡くなっており、死者が尊重されないのは彼女作風からするとむしろ合っている事なのかもしれないが……。

 とりまとめて言えばまだ子供な上にただでさえ不自由が多い戦火の中、それが主人公たちにとっての武器であり糧であり強く生き抜くためのモノだった日記帳が、映画ではまるで父親から受け取った愛みたいなものに、ともすれば別れた父親を想って書かれているようにも受け取られるものすり替えられてしまった。かなりアイデンティティぶっ潰れではないか? どうしてそんなことをしたんだ? この日記は彼らの「書く」という意志のもとの話でしかないのにその根本を摘み取り別な物に置き換えたのは何故? 映画を観れば何か納得できる答えは得られるだろうか。頼む、納得させてくれ! 煽りではなく心からそう思っている。

 観たら本当にメチャクチャ怒り狂ってしまうかもしれないので心の準備をするためにいくつか映画レビューを読んだのだが、映画では日記帳パラパラ漫画が描き込まれている描写があるという。パ……パラパラ漫画!? と二度目の憤死をした。あの全ての無駄を省き贅肉を削ぎ落としたような原作文体淡々事実の記録しかしない所に物語的にも大きな意味が込められている事を知っているはずの制作側はどうしてそんな付け足しを? 主人公(ひいては作者)が定め、遵守してきたルールを踏みにじるような真似を……どうして……。

 

 もちろん、映画化された事によって現代日本の読者から想像もつかないような、主人公たちが生きた当時の暮らし風土感覚などを凄いリアリティで感じられる事などについては大変嬉しく思う。そういった映像表現についてはきっと素晴らしい映画であるだろうと感じられるのだ、予告からだけでも。

 主人公双子を演じる少年たちのビジュアルも、原作から受ける印象そのままと言っていい。もうそれだけでも十分以上のものだし、納得出来ない点があっても他に目を向けて感謝して観れば良いのだ……と思えるようになるまでに何年もかかってしまった。映画が公開されたのは2013年のことだ。

 私は本当にこの映画を観て納得したいし、納得出来なくてもそれはそれで良かったと思えるようになりたいと本気で願っているが、どこまでまっさら気持ちでこの映画を受け止められるかが分からない。願わくばこの物語に関する記憶を消して映画を観られたら、その後で初めて原作を読めるのなら、とても幸せなことだと思う……。でも、それは無理な話だ。

 だから私はこれから記憶思い入れも抱えたまま歯を食いしばってでも全部観て、自力で噛み砕いて納得するしかない。きっとそれはこの先の自分にとって有意義ことなんだろうが、こんな文章をジタバタ書いて整理しないと腹がキマらない位には苦しいものがあった。長くなってしまったが、読んでくれた方は本当にありがとう

 せめて映画ではラスト父親ちゃん地雷で惨たらしく死んで、主人公はその死骸を踏んづけてくれるんだろうなあ!? などとうるさく言いながら観ることにする。そういう観方でもしなかったら多分無理だ。その後言える感想があったら追記する。怒り狂っていたらすまない。

☆いきなり管を巻きまくってしまったが、小説悪童日記』はマジの名作の上にアッと言う間に読めるので、気が向いたら是非読んでみてほしい。もし面白かったなら続き(『ふたり証拠』、『第三の嘘』)もある。全三部作で、全て読むと分かる構成が本当に、本当に素晴らしいんだ。

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