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はてなキーワード: 死の恐怖とは

2022-10-29

anond:20221029214406

俺もまあ以前理屈で納得していたが、所詮論理

当たり前なんだが実際に死にかけると自分が消えるってことに本能的な恐怖を覚えるし、これが生きてる限りもう一回はあると思うと気が滅入るぜ。

結構論理での納得って死の恐怖への克服としては弱い部類だと思う。じゃあ強いのって何よって言えばやっぱり子孫を残しておく事なんだろうと思う。

まあ、元増田の言ってる死が怖いとは実感の有無って意味根本的に違うが。

2022-10-21

anond:20221017230627

最初に言う。これは自殺をそそのかすわけではない。

樹海で本格的に迷うとマジで帰ってこれなくなる。途中で死にたくなくなっても帰ってこれなくて、どんなに生きたいと思っても問答無用死ぬ

自殺をしようと後戻りのできない行動をする前に、まず「本当に自分死にたいのか」を徹底的に確認した方がいい

元増田はまだその確認が済んでないように俺には見える。

その確認のために一番手っ取り早いのは「死の恐怖」を切に感じることなんだけど、何に対して死の恐怖を感じるかは千差万別なので元増田にとって効果的な具体例を挙げるのは難しい。

曇りの日、街灯一つない深夜の誰もいない砂浜で、空との境目も分からない真っ暗闇の海の沖合をぼんやり眺めながら波の音を聴くとか。

死んで、火葬されるか微生物肉食動物に我が身を食われて骨だけになって、その心が果たしてどこにいくのかを想像するとか。

迷惑をかけない自殺などないし、誰にも迷惑をかけずに生きている人もいない根拠は考えて欲しい。

死の恐怖を切に感じたとき、少しでも「死にたくない」と感じて死を思いとどまったのであれば、なぜ私は生きたいのか、死にたいのかを問いながら、死ぬまで生きるべきだ。

追記

ちょっと本文を訂正。ちゃん元増田の話を読んでなかった。ごめん。

2022-10-17

裕福

あなた生活保護いいんじゃないかしら。」

 手の綺麗な女から一言が忘れられなかった。

 オフ会で会った港区出身現住、三十代後半白いニットふわふわ女。

 ボランティア趣味でガキが二人いて、洒落レストランでメシを食うのが好きらしい。

 あと『困ってる人へアドバイスした素敵なあたし♡』の感情公然猥褻オナニー趣味

 たいそうなご趣味である

 

 私は田舎出身関東現住、二十代前半の独身である趣味書道読書、特技はメシ作り。好きなおかずは機械姦モノである

 家族が大好きで笑顔を見たくて美味しいものや便利なものお金)をプレゼントするのも好きだった(義務だった)。

 唐突だが、大好きだった家族を紹介したい。

 母親うつ病でよく自殺未遂する。気を引くのが趣味座右の銘は『一緒に死のうね』。父親アル中趣味子ども虐めること、5ちゃんねる。

 私が子どもの時は給食費学費もほぼ払わず、服は両親がゴミ捨て場から拾ってきた服を着ていた。

 今思うとお手本のような毒親だった。

 大人になってから下宿して働いていたけれど、時々4人家族集まってなごむ実家が好きだった。暴言を吐かれても好きでいたかった。

 それでも親から包丁・弟からバットを向けられると家族愛より死の恐怖が勝ってしまう。

 両親への仕送りを止めることを伝えると以下の書類要求された。

 ・私から両親に連絡を取った場合罰金する承諾書

 ・私が事件に巻き込まれても両親は関わらない承諾書

 ・私が死体になっても両親は関与しない承諾書

 作成してサインをして上京して、縁を切った。

 ロクでもない奴が両親だったむなしさを知った。

 こんなちょっぴりナーバスな時、元々約束があったオフ会港区ババアに軽すぎるアドバイスされるとさすがにイラついてしまった。しばらく服を新調していなかったので身なりの隙があったのもしれないけれど。

 ただ生まれた時から地位も余裕も普通家族を持っている人たちとの差に絶望していても人生は止まらない。私がうつ状態だろうが解離で記憶がぶっとびがちだろうと楽に死ねないのだから生きていくしかない。抗うつ薬仕事パートナーになった。

 生活力が低いことに気付いたので、まともな料理の仕方・片付け・都会での身の振り方を勉強した。YouTubeのおかげで当たり前が勉強やすくてラッキーだった。節約につながった。

 上京して一年働いて百万貯金した。生活保護をすすめられた女でもなんとでもなれた。正社員キャリアも続けられた。

 経済的不安も少なくなり、自信も取り戻しつつあった。それでも港区ゆるふわババア一言が忘れられなかった。

 たった五分話しただけ、失礼でどうでもいいはずの奴への憎しみが頭から離れなかった。

 今はどうでもいいはずの怒りをどうにかしたくて虐待支援養成講座を申し込んで支援側の勉強をした。

この勉強大正解だった。私はあの一言にどうしてひどく傷つけられたように思えたか理屈理解できた。

支援者と相談者の非対称性に注意』

 支援者と相談者の立場に差があるから、気をつけて話を聞いたり、話をしましょうということだ。

 港区女と私は支援者と相談者ではなかったが、裕福で都会出身家族がいるマジョリティ成功者から言葉は、貧しく田舎出身孤独マイノリティに刺さった。勝ち組負け組意識しないようにしていても勝ち組から言われたことは正しいように無意識で感じてしまった。

 彼女が何を考えていたのかは知らない。でも勝ち組彼女から一言がつらかった。私は何もできず、恥ずかしい生き物だと烙印を押されたようでつらかったと自分の本当の感情を認められたら怒りは消えた。

 

 貯金もあり余裕ができてきた今、友達バーで飲んだり、お高めのデザインが良いトレーニングウェアを買ったりと人生の楽しさを噛み締めている。

 

 普通の人から見ればキャリア生活も足りないように私は見えるのだろうなと思う時もある。自分常識知らずなことな欠点がイヤで夜に発狂することもある。

 港区彼女を考える。SNS投稿と五分話しただけでは彼女のことは全くわからない。どんな性格なのか、どんなことが好きなのか。分からない。

 ただ港区彼女も私も、日常を過ごしていくし

 日常のために見たくないものを見ないし

 聞きたくないことを聞かないし

 ただ生きていくのだろうなと雨を見ながら思う。

 私が彼女を知りたいと思うことはもうない。

2022-09-30

十中八九死ぬ時は宗教を頼るという話

脳みそがはっきりした状態で死に直面した時

お前らは十中八九宗教を頼りにする

から統一教会叩いてる奴らって馬鹿なんだよ

誰もが死の恐怖を前にしたら恐れおののく

かにすがりたくなる

私は実家神社だったからそういう人をたくさん見てきた

中には理系学者までいた

当然神の存在なんてものを信じていない立場の人も、死を目の前にしたら話は別なのだ

これから死ぬ人を見て実感した宗教役割は、死=終わり

これを否定することだ

例えば靖国神社はこの為にあった

若くして死ぬことになる人たち

それを受け入れる為には、自分死ぬしかし、英霊となって永遠と祀られ人に見守られ続ける

これを信じることによって死を受け入れることが出来るようになる

自分実家でも、死は終わりではない

魂は祀られ私達が見守り続ける

そうやって死を受け入れるための話をする

信仰心なんてなかった人たちに親身になって、死が終わりではないことを信じてもらう

それが宗教本質なんだよ

死ぬのなんて怖くないですけど?みたいな中二病であればいいが、普通はそうじゃない

お前らも死に直面したら宗教を頼るし、寄付献金を惜しむことはないだろう

なぜなら自分連続性を担保してくれる人たちへの寄付なんだから

2022-09-27

山上モデルに『セヴンティーン』みたいなの書くのはセーフ?

主人公「おれ」は自涜に惑溺している少年である。「おれ」は過剰な自意識を抱えて他人の目に怯えている。「おれ」は死について、自分が無になることについて、強い怖れを抱いている。十七歳の誕生日食卓で「おれ」が自分の中でもあいまいな考えで皇室批判自衛隊批判を口にしたところ、自衛隊病院看護婦をしている姉から着実な理屈で論駁されてしまう。「おれ」は逆上して姉を蹴りつけてしまうが、そのことにすぐ後悔し、自責の念にまみれながら、逃避的に自涜を行なって寝る。「ああ、生きているあいだいつもオルガスムだったらどんなに幸福だろう」


翌日は、古文定期試験の日だったが「おれ」は試験に全く歯が立たない。試験が終わり、東大志望の優等生の連中は小賢しく試験問題の論評をしている。クラス剽軽ものの「新東宝」は試験問題下ネタにしてクラス女の子を笑わせている。どちらも「おれ」には疎ましい。試験の次の時間は体育の800m走であった。「新東宝」は「おれ」が密かに恋情を抱いているクラスのマドンナの杉恵美子に「マスをかくやつはすぐへたばる」と怪情報を流したと冗談を言う。「おれ」は他の走者より完全に遅れてゴールインする。ゴールインしてみると「おれ」は走りながら失禁しており皆の嘲笑の的となった。


絶望しながら自治会をさぼって帰宅の途につく「おれ」に「新東宝」が声をかけてくる。右翼街頭演説サクラにならないかという。右翼サクラをやっていることは「新東宝」の秘密のようである。連れ立って新橋駅前にいくと街宣車の上で「皇道派」の逆木原国彦が演説をしている。演説は全く盛り上がっていないが、逆木原はまったく気にせず演説を続ける。「あいつらは売国奴だ 、ヘドだ 。おれは誓っていいが、あいつらを殺してやる」「諸君自分の弱い生をまもるためにあいつらを殺しつくそう、それが正義だ」「おれ」はこの言葉に胸を打たれる。


気がつくと後ろに三人組の女事務員がおり「おれ」を指差して「あいつ、《右》よ、若いくせに。ねえ、職業的なんだわ 」と言っている。逆木原演説に感化された「おれ」は他人の目を跳ね返す力を得ており、こう怒号する。「 《右》がどうした、おい、おれたち 《右》がどうしたというんだ、淫売ども!」これをきっかけに「おれ」は「皇道派」に入党し、家を離れ「皇道派本部で暮らすようになる。「きみは天皇陛下の大御心にかなう日本男子だよ、きみこそ真の日本人の魂をもっている選ばれた少年だ!」


「おれ」の学校での立場は180度変わる。「皇道派」のサクラを隠れてやっていたことが負い目の「新東宝」が宣伝係となって、俺の《右》としての武勇伝学校中で広める。「新東宝」によると、800メートル走での「おれ」の失禁の失態は 、懲罰的ランニングをさせた体育教官への「軽蔑の 《右》的表現」ということになった。自治会の《左》の秀才が「おれ」に議論をふっかけてくるが、「おれ」は自分自身がかつてあいまいな考えのままにしていたところを突くだけでよかった。杉恵美子は「おれ」に興味津々の目でいう。「あなたみたいに時代錯誤の 《右》少年防衛大学にでも行くことね 」


「おれ」には他人の目が怖くなくなってきた。逆木原に性欲を抑圧せず「トルコ風呂の女にきみの男根をひともみさせるんだね」と言われたとき不安だったが実際にいってみると杞憂だった。俺は「鉄串のような男根」を持つ男だった。「おれの男根が日の光だった、おれの男根が花だった、おれは激烈なオルガスム快感におそわれ、また暗黒の空にうかぶ黄金人間を見た、ああ、おお、天皇陛下!燦然たる太陽天皇陛下」。「おれ」は他人の目を克服したこと、そして自分天皇陛下の御子であることを確信する。


「おれ」は逆木原書庫天皇陛下ときあかす書物を探し出す。谷口雅春の 『天皇絶対論とその影響 』を読み、求めていたものをかちとる。 「《忠とは私心があってはならない》」 「天皇陛下精神も肉体もささげつくすのだ。私心を棄てる、おれのすべてを放棄する!」「おれ」は自分があれほど恐れていた死の恐怖からまぬがれているのをさとる。逆木原が「七生報国天皇陛下万歳」と書いてくれた稽古着で「おれ」は柔道空手に熱中して取り組む。


安保闘争国会デモでは「おれ」は十万の 《左》どもに立ちむかう二十人の皇道派青年グループの最も勇敢で最も兇暴な最も右よりのセヴンティーンとなった。デモ最中女子学生が死んで、デモ隊が打ちひしがれて泣きながら黙禱していた時、「おれ」は強姦者のオルガスムを感じ、黄金の幻影にみな殺しを誓う、唯一人の至福のセヴンティーンだった。

セヴンティーン - Wikipedia

2022-09-17

人間はいつまで人間で居られるのか?

動物としての人間をやめたいと思ったことが何度かあるけど

未だ人間人間をやめられていないと思う

例えば現代から現代科学を奪ってもちゃんと野生に戻れると思う

未だに食欲や性欲や睡眠欲に抗えていないところもそうだし

死の恐怖とかそういうところも動物的だ

 

昔は例えばゲイなんかは動物を脱せたのかな?と思ったんだけど

実は動物の中でもゲイはたくさんいると知って、種全体で見れば全然動物範疇だと思い知った

 

それでも最近脱しつつあるなーと思うのは

医学的なもの

・知覚を騙すタイプのもの特にVRとか)

セックスが他の娯楽に負けつつあること

あたりかな

化学的に脳を破壊する研究(要はドラッグ研究)がもっと進んでればまた違う展開があるかもしれないけど

 

どこまで人間でいれられるか?どこでぶっ壊れるのか?は案外100年後も脱せていないような気がしている

あと脱せたと思っても「それ◯◯という動物も似た状況にある」みたいなケースもありそう

動物単位でのセックスレスとかってよく聞くよね

やっぱ医学的な人体ハックと知覚を限界まで騙す方向くらいしかいか

2022-07-19

anond:20220719031156

死の恐怖によって思想や行動を変化させる目的

誰も次があるとは思ってないので思想も行動も変化しない

2022-06-25

田舎婚活した思い出

5年以上前の話だが結婚相談所を使って結婚したときのことを書く。

当時の自分

20代半田舎の実家住まい会社員オタク女。

仲の良い友達が「実は婚活している」と言ったので自分もやろうかなと思った(その子自分より先に結婚した)

街コンマッチングアプリは当時から存在したが、自分の手間を極力減らしたかったので相談所にしようかなと思った。

婚活の流れ

初回は相談所の人とホテル県庁所在地駅前にある、結婚式できる程度に高級なホテル)のカフェ面談し入会を決めた。以降は基本メールと専用サイトでのやりとり。

  1. 月に2回男性の紹介があり、お見合いするか決める
  2. 1.の男性からお見合いについて同意があれば相談所が日程と場所上記のようなカフェ)をセッティングしてくれる
  3. 実際にお見合いし、交際するか決める。双方希望した場合相談所経由で連絡先を交換し、交際開始となる
  4. 1.とは別に男性からお見合い希望があった場合そのお知らせも来る

入会金・月会費(金額忘れた)、お見合い(1回7000円程度)、成婚(女は75000円程度)のお金がかかってた気がする。

交際中は性的交渉はなしだよ!って規約に書いてあったので律儀に守った。

お見合いした人

実際お見合いに至ったのが5人くらいだったと思う。

1人目:よく覚えてない

2人目:練習で会いに来ました~みたいな感じで交際する気がなさそうだった

3人目:話が弾んだので交際希望を出した。相手接客業休みが合わなかったのと、一度車で出かけたとき高速道路上でLINE通話(当然ハンズフリーではない)を始めたので死の恐怖を感じてお断りした

4人目:よさそうな人だったが相手居住地が県の端っこで、双方仕事を辞める気がなくて無理だった

5人目:3人目の反動でいい人に見えた。半年ほど交際し成婚

よかった点

・1回目はホテルカフェをセッティングしてくれたので楽だった。

交際に至った人間が少ないのでその後の店のチョイスはサンプル数が少ないが、そこまで悪くなかったし自分提案していたような気がする)

悪かった点

男性の条件として「居住地~隣県に住んでいること」「年が近いこと」を希望したのだが、最大手じゃなかったのが災いしたのか、隣の隣の隣の県の人とかをお出ししてこられたのでお見合い希望を出すに至らない人が多かった。

相談所は上記の案内とセッティングはしてくれるがそれ以上のことは特にしてくれなかった。相談などすればアドバイス等あったのかもしれないが

役所独身証明書を取りに行くのが「こいつ婚活するんだ…」って思われてそうでキツかった

 (※追記)当時郵送で取得するという発想がなかった。住民票戸籍謄本なら申請書があるのでそれに黙って書けばよかったのだが、独身証明書申請書などなく役所の人に「すいません独身証明書を発行したいんですけど…」って申し出なくてはならずそれがキツかったのであった。

おわりに

入会~成婚による退会まで1年弱くらいだった。田舎人間大人しく最大手を使った方がよかったのではないだろうか。

自分結婚したしばらく後、自治体主催仲人制度みたいなやつができたのでそっちを使ってたらまた違う展開があったのかもしれないなと思った。

2022-05-29

anond:20220529074149

ガンを患ったことで急に訪れる理不尽死の恐怖ってのがちょっとだけ分かったのかもしれないな

2022-05-27

典型的な統語失調症の文章(文系のなかでは知識に広がりがあるというか頭はいいのかもしれんが)

数学者岡潔情緒論をたまたま動画で見たのですが、ところどころ自分共通する結論に達しているところがあり、なるほどやっぱりなあと頭を何度か頷かせました。

数学抽象度が高い技術ですが、既存のそれら諸技術

は、やはり情報補完という技術の域をあまり出ない技術だと思いました。岡潔の言う情緒から発生する智よりもそれら技術抽象度が低いのです。

とは言っても、欧米人が大好きな緻密な論理も、その発展物であるコンピュータも、情緒ないし直感も、相反するようで、内実それら二つの智は地続きで人の頭の中で常に相補相乗して何かしらの筋肉運動へと変換されていますから、これらの捉え方は政治における右翼左翼といった不毛な論争をするための物差しのようであり、事を知るきっかけみたいなものでもあり、機会と思考拡張以上でも以下でもない一種流行的なら認識手法であると割り切って観察すれば何か穏やかな感じがします。

自分は高度な数学どころか高校生くらいの数学も、概念をチラホラと知るくらいで、まともな計算訓練をしたことがないですが、論理カンストしたと自分で思ったタイミングがあります論理カンストするとは、「人間人間である以上は習熟し得ない、もしくはまったく到達し得ない知の領域までの論理的な到達手法発見した」というような意味で使っています。もちろん、現実的時間内での到達手法です。もしそうでないなら、無限時間エネルギーを想定しさえすれば誰でも簡単論理カンストできてしまます

その観点から観れば、今この社会の中を生きる多くの大人たちは、車輪の再発明を、時代と共にアップデートされた道具を使って、ちょっと違う色や形や量や時間の使い方でもって何度も再現しているだけのように観えます。これは継承という親から子へ引き継がれていく営みに対する喜びや自己満足の歩みであり、多くの場合その歩みの中に真なる野心などないということがうかがえます本質的には、一人一人が自分の体と感覚とその時代にある新しい道具を使って先人の追体験をしているだけという場合ほとんどということです。そうした営みに対して尋常ではない対価が与えられるのが欧米人主導で生み出された現代社会です。

しかしこうした継承ないし営みは、ネタは出尽くしているから当然といえば当然であり、例えば元素の数が大きく変わったりしたわけでもなく、物理法則が変わったわけでもなく、人間もつ感覚器の細胞の数や種類が誤差を超越して変化したわけでもありません。仮にそれらが変化したとしたら多くのこと、もしくは全てゼロからやり直しかもしれません。しかし、今のように先に進まないのであればいっそゼロにすれば良いのではないかとさえ思う時もあります

中世という名の暗黒の時代を乗り越えた人類現在、白黒の時代を生きています。この白黒の時代はいつまで続くのでしょうか。

制御を失った先には必ず痛みがあります。我々には身体中のあちこちに痛覚がありますが、この痛覚の上限を超えて与えられた刺激は周辺組織の量的な死と連続して繋がっています。我々は痛覚を頼りにこの死から免れて生き延びてきました。反面、代謝という緩やかな死は快楽でした。

現代社会ますます死の恐怖が増大してきているように思います。欲を与えられ、欲を満たす手段も与えられ、それに付随するように死への恐怖も増大したのです。過剰な欲は、死を過剰に恐ろしく禍々しいものへと変えます情緒を失った人間とは実に愚かです。

どこか暖かい南の国のビーチでセクシー水着を着た美女たちに囲まれてパフパフコンテストを開催したいです。一体どの美女が一番パフパフがうまいのでしょうか。

この世界観、設定、気軽さ、これはまさにメタバースです。メタバースなんて言ってますが、元々が人間一人一人の頭の中は小宇宙ですからメタバース的な世界観の中を我々は生きています最近だとイスラエル歴史学者であるハラリさんのサピエンス全史で国家というフィクションへの言及があったようですが、共同幻想論は30年以上も前に日本人提唱していました。そのルーツ海外かもしれませんが、そんなことは鶏卵問題の彼方でしょう。

いずれにしてもユビキタスIoTと言ったり、真ん中分け(エロ分けとも言われた)がセンターパートとか言われたり、言葉の額面が時代や状況に合わせて最適化されていきます不思議なことに呼び方が変わると人が肯定感をもって動き出すという事もあるようで、パフパフ コンテストにも早急に新しい名前必要です。

パフパフ コンテストの新しい名前を教えてください。

2022-05-26

anond:20220525235155

死と死の恐怖デメリット扱いしないなら、何歳だろうと即自殺が正解だわ。

そして、それをデメリット扱いできない奴は居ない。

2022-04-27

飲み会に出ると必ず唐突死の恐怖がよぎる

自分も含め、今こうやって楽しく話してる人たちもいつか必ず死ぬんだなと思って、血の気が引く瞬間がある。

なぜ飲み会ときにだけそういう思いがよぎるのかは分からない。

2022-04-17

anond:20220416154005

「この問題って何か名前がついているのだろうか?」と言っているけど、結局何が問題に思っているのだ?

「旧ボディ側の視点では死の恐怖を免れてないよなぁ」が問題なのか?旧ボディが死の恐怖を抱かなければOKなのか?

だとすれば、こういのはどうだ?死んでいく(ことにする)旧ボディに向かって「お前の意識は薄れていくが、次に目が覚めたときはお前の意識は新ボディに移っている。お前は新しい命を得る」と言い、それを信じ込ませられる、とするのである

この方法に対して違和感を持つとすると、それは死んでいく旧ボディの不安を取り除くだけであって、旧ボディが死んでしまうことに変わりはない、という感じだろうか。

しかし、ここでむしろ、「死とは何か?」という疑問を持ってもらいたい、と思う。旧ボディと新ボディなんて持ち出さなくても、次のように考えてみることはできるのではなかろうか?

寝て起きる前の自分と起きた後の自分は同じだろうか?眠る、というのは意識を失うということであり、寝る瞬間にそのときまでの自分死に、起きた時に新しい自分が生まれているのである、と。

もっというと眠る前と後でなくてもいい。午前の自分と午後の自分は同じだろうか?さらにいうと5秒前の自分は既に死んでいて、今いるのは記憶をもっているだけの新しい自分ではないのか?

自分毎日死んでしまうかもしれないのにもかかわらず安心して眠ってしまうのは、単に次の日を同じ自分として迎えられる、という信念を持っているからだけではないか

このように考えてくると、死とは何か、ということを考えようとすると、自分同一性とは何か?ということを考えたくなってないだろうか(こなかったらすまん)?

筆者も専門家じゃないし、哲学科にすらいったことはないけど、同一性ということについて近年(デリダあたりから)は次のように考えているような気がする。

自分同一性、というものは個々の瞬間の自分をつなぎとめる「自分規定」というものがあって、それによって担保されている、と考えられてきたが、実はそうではない、差延という考えがあって、すべての個々の瞬間の自分をつなぎとめる規定なんてものをどれだけ作ったところで、常に瞬間瞬間の自分はそこから微妙にずれていってしまう、という考え方である。この自分がどんどんずれていってしまうことを郵便的というモデルを使って東浩紀表現したし、郡司ペギオ幸夫は「規定」と「個々の瞬間の自分」以外に第三項があるのだ、それがずれを生んでしまうが同時になるべくつなぎとめているのだ、ということを理論化してそこからまれ創造性を説いた。

まあだからなんだ、ということかもしれんけど、しゃべりたくなったので書いた。以上。

2022-04-16

記憶転送技術

NHKの「ヒューマニエンス」再放送を観つつ思い出したこと

SFクローン人格記憶転送して延命する技術ってわりとあるよな。例えば

 ・映画で言うと:シュワルツェネッガーシックス・デイ

 ・漫画でいうと:からくりサーカス(転送かいダウンロードだっけ?)、銃夢アンパンマン

で、そういうので転送元の旧ボディ・人格円満に(?)処分している描写って無くない?

結局、旧ボディ側の視点では死の恐怖を免れてないよなぁと思ってしまう。(アンパンマンを挙げたのはそんなWeb漫画を観たから)

この問題って何か名前がついているのだろうか?

この問題に焦点を当てたり、うまいこと解決してる作品があったら観てみたい。

 それと、現実記憶転送可能になったとして、最初にその恩恵を受けであろう権力者は古いボディをどうするんだろう?

やっぱバックアップのために取っておくのかな。何かの事故で目覚めちゃったら悲劇だよな。(まんま、からくりサーカスであった展開だけど)

 ユヴァル・ノアハラリのホモデウスに「右脳左脳とは別人格を持ってるけど、脳梁で繋がって何とか一つになってる」的なこと書いてあった気がする。

そのノリで新・旧ボディを同期させた状態で、自分意思で旧ボディ側をシャットダウンできたら一番恐怖を味わなくて済むなぁとという無駄な願望を抱いてしまう。

##追記

転送元の旧ボディ・人格円満に(?)処分している描写って無くない?

これってよく考えると当たり前だ。

円満に済んだらお話ギミックにならないのでさらっと流されるか、何も言及されない。

ドラえもんどこでもドアとか、スタートレック転送システムとか。

(スタートレックでは事故ライカー副長が二人になってた気もするけど)

https://b.hatena.ne.jp/entry/4718247167480028386/comment/zkq

これをテーマイーガン小説結構書いてる。筆頭は「ぼくになることを」技術的な前日譚の「ゼンデギ」など

SFを全く読んでないくせに、こんな日記を書いてしまい若干後悔している。

マジックキングダムで落ちぶれて」は買えなかったけど、「祈りの海」は今買ったので読んでみます。どうもありがとう

2022-03-19

anond:20220319130151

プーさん拍手喝采しているロシア人のおばちゃん

ロシア人から爆撃受けて家族は死に自分も片腕を失ったウクライナ少女の姿を見せてあげたいな


だけどロシア人死生観先進国根本から異なっていて

死の恐怖感覚が薄いと聞いたことがある

あらー私は両腕揃ってるからちゃん拍手できるわよ」なんて返されちゃうかな

2022-02-26

anond:20220226135925

大坂夏の陣を知らんのか

戦争目的は要らない人を戦場に送って敵に殺してもらう事

死の恐怖を与えて自国民服従させること

勝利する必要なんてないんだな

2022-02-19

anond:20220219110023

青葉に罵声を浴びせて死の恐怖を味合わせて残虐に処刑したところで、犠牲者がよみがえるわけでは一切ないのにな

2021-12-19

転落死よりは安楽死の方が苦しまなかった筈

日本は安らかに死ぬ権利もないからね

せいぜい末期癌になったらフェンタニル打つぐらい

から仕方なく勢いで転落死するしかない

数秒間もの間、落下と死の恐怖に怯え、道路に強く打ち付けられて絶命の瞬間まで永遠のように感じる長く激しい痛み感じたことだろうが

そんなこと日本人の知ったことじゃないからね

自殺するような精神障害者がどんな最後を迎えようとどうでもいい、それより早く病気を治して働いて子供産んでねというのがこの国の総意

舞台関係者はただでさえコロナで弱ってるのに、演者自殺公演中止で大損害だろう

彼女計画的で安らかな死の権利さえあれば、突発的な苦痛にあふれた自殺はしなかったろう

ビルから突き落としたのは日本

2021-11-28

anond:20211128205941

すみません

未接種者を代表して謝ります

でもアレルギーや体調のアレコレでコロナにかかるのと同程度の死の恐怖があるので打たないです。

重ねてすみません

2021-09-30

今月で40歳になりました。

もう40歳人生の折り返し地点。自分限界も見えたという自覚があるのに精神的には1020代と何も変わってない。それはつまり人生に於けるイベント1020代と何も変わってないってことだ。

対してここ5年ぐらいで、周りの同僚は結婚したとか子供が生まれたとか管理職に昇進したとかばかりだ。

結婚してないか人間的にどうだのこうだのはないと思う。だけど実感として独身管理職結婚してる管理職は部下に対する当たりや育成の仕方に違いがあるように見える。もちろん全員がそうだってことは無いのでただのバイアスかも知れない。そういえば親から結婚の話なんて一度か二度、それも数年以上前に聞いたぐらいだったがついこの前にも年齢と絡めて言われてしまい、人並みに親っぽいことを言うのだなと感心してしまった。悪いけど諦めて欲しい。

親とはもう何年も顔を合わせてない。別に喧嘩してるわけでも会いたくなかったわけでもなく、ただ単に面倒だった。いやちょっと嘘だ。倒れたと聞いて駆けつけたとき自分想像よりも遥かに老いた姿の親を見て、現実を受け止められなかった。会うことで老いていく姿を見てしまうのがただただ嫌だった。親不孝にも程がある。

仕事面白くもなく楽しくもなく。ただ自分の実力よりも多く貰えてる自覚はある。うちの会社は有能な人ほど仕事を抱え込んで忙しく、無能な人は自分仕事を囲い込んで独自地位を築く、良くも悪くも大企業なのだと思う。そんな場所にいると同年代の同僚と一緒に同じ仕事することは少ないのだが、最近は人不足もあってある同僚と組むようになった。そしたらその同僚、何処に隠れてたんだというぐらいの超有能実力派で生きる世界の違いを感じてしまった。当然ながら上司幹部クラスの覚えもめでたく、あっさりと昇進。(コロナ前は)積極的上司の酒席にも付き合い、どんな客にも突っ込んでいくコミュ力お化け必要あれば土日だって働く社畜根性、よもやよもやにも程がある。

対して自分はヒラから上がるだけでも普通の人なら1回か精々2回のところを3回連続落ち、仕方ないと言われてやっと4回目で上がれた。年下の後輩にも当然追い越されてしまった。積極的に働いて自分を高めたいなどとは欠片も思わないし、評価されるような仕事をしたいとも思わないので納得はしている。管理職になったところで、土日に社内業務を片付けるために出社するのは御免蒙る。だけど人生総収入で考えたらどんなに無能でも管理職が有利なんだろうな。仕事は好きではないが金は欲しい。管理職以外で、上位の役職があったりはしないものだろうか。

20代の頃は病院とは無縁だった。30代前半も。30代後半から身体の痛みに敏感になったと思う。歯が痛い、胸が痛い、背中が痛い、頭が痛い。痛みなんて横になればいつの間にか無くなっていると考えていた自分はもう何処にもいなくなり、すぐ病院に行って恐怖を拭い去ることに躍起になっている。先日は原因不明微熱があり、コロナかもしれないと1時間おきに検温して布団の中で震えた。健康であるとき孤独と、健康不安を覚えたとき孤独は天地ほども違いがある。

からこそ老いても結婚相手を求める人が世の中にはいるのだろう。何か有ったときに一人でいるよりは二人の方がマシであると。親もそんなことを言っていた。しかしそんな、老後の安全保障のために結婚するというのは互いに利益があるとしても理解し難い。極論、老人ホームにで入った方が余程安心安全だ。現実は厳しい。

温かな家族に囲まれた夢のある結婚生活を求めるのなら、遅くとも20代には他人に興味を持った人間らしい言動ができないとダメなのだろうな。

そして自分10年後もきっと同じことを思ってるんだろうな。

追記

増田で祝われるなんて思わなかった。ピザ屋とかのダイレクトメールしか祝われてなかったので嬉しい。ありがとう

昔はTwitterに書いてウィッシュリスト付けたりなんかしたけど、あれはTwitter上での人付き合いレベルが高い人がやるから楽しいだって気付いてから止めてしまった。

気が引けるほど高すぎず、それでいて気持ち程度で贈って貰えるような一品リストを作るセンスがあるから成立する神々の遊びTwitterでさえ使うのが難しいよ。

追記2】

こんなどうでもいい記事ブコメ付くとは思わなかった。

自分限界自分でもよく分かってはいないけど、同年代とは思えない程に仕事ができる人を間近で見てしまって自分はこの域には達せないなと思ってしまたからだと思う。あれは出世していくタイプの人だ。何せ仕事に対して真剣に、そして真面目に取り組んでいる。この仕事が終わった後はどうするか、後輩をどう育てていくか、部門として何を伸ばすのがいいか管理職では無い頃からそれらに対して自分の考えをきちんと持っていて、それを実行するために上司も利用する。取り敢えず目の前のことを最短で片付けてその場凌ぎで乗り切ってきた自分とは視点も視界も違いすぎた。

一応、年齢を考慮した配慮というやつなのか管理職になる気はあるかと上司に聞かれ(即答を求められたので)チャンスがあるのならということにしている。しかし目の前であまりに有能な人を間近で見て自分無能さを痛感している。その高い壁こそが自分限界なのだと思う。

お小水、ここ数年で確かに切れが悪いのが気になってるし残尿感はないのに下着を湿らすほど濡らしてしまったりもしていたけどこれも加齢なのか。人間身体、弱すぎでは。

結婚周り、今更結婚したところで子は望めないし、いわゆる親以外の誰かに愛されたことがない族なので恋愛もわからないし、友人知人もいないのでパートナーという感覚もわからないのでまず何のために結婚するのかを理解しないと難しい。逆に若い頃に勢いで結婚してしまった人の方が後から目的が付いてきてるのではないか。子がいたのなら、子のために真面目に仕事して上へ上がろうとする心情は理解できる。そういえば有能な同僚も子持ちで、子のイベント時には仕事がどんな状況でも必ず休むことを徹底していた。

思うに、この位の年齢になると意志を持って働くには何かの理由目的必要なのだろう。書きながら納得してしまった。

では孤独コース一直線のおっさんが、働く目的理由を何処へ求めれば良いのか。娯楽程度では理由にならない。終の棲家として、家は欲しいと思い始めているが35年ローンなんて組んだら完済前に死んでいるかも知れないし事故物件だ。いや75まで働かされるのか?定年間近の非管理職に向けられる視線の厳しさを知っているだけに恐怖しか無い。思い通りに動かない身体鞭打ち、形ばかりの仕事を振られる立場自尊心を大きく損なうものだろう。かといって自分のなけなしの知識経験が30年後にも通用するとは全く思えない。

そして人生諦観があるようでいて、少し体調を崩せば死の恐怖に震えるような小心者だ。

みんな一体どこで人生相談したりキャリア相談してるんだろう。

2021-09-23

私は癌と診断されるだろう

それも手の施しようのない末期だ

私は政府に殺されるんだ

私は手厚い治療なんぞ受けさせてもらえないからな

死の恐怖の前にも

私は本を読んで過ごしてやるから

乗せられて告発なんぞしない

2021-08-22

anond:20210822165130

逆にお前ごとき死の恐怖を克服できるわけなくない?

2021-06-29

戦時中は反出生主義は流行らなかったのだろうか

当時の日本人にとっての死の恐怖は、今のコロナ禍よりも激烈だったと思う。

毎日のように繰り返される空襲警報と、子供すら徴兵する末期的状況があった。

当時の人たちが「子供を作ってもその子たちは幸せになれない」と考えていても不思議ではない。

仮に戦争が終わったとしても、焼け野原になった世界子供を育てていかなければならなかったわけだし。

まあ、戦時戦後に生まれてきた子供たちが社会人になる頃には日本高度成長期を迎えるわけで、その時の心配杞憂になったけど。

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